草木も眠る丑三つ時、しかし私は時間という概念が根本的に消失しているので、暗く静まった世界に佇んでいると、自分だけが世界から隔離されているような疎外感を感じてしまう。いつものことだ。
いつものようにふらふらとゆらゆらとまるで世界の外側を廻るように眠る竹林を彷徨っていると、それに出会った。
私は息を飲んだ。それはあの糞ムカつく姫君とその従者以外の者に出会った驚きからではなく、その情景に息を飲んだのだ。
月光に照らされ艶やかに輝く、緑と白銀が入り混じった髪。
一本一本が銀の糸のように細微に揺れる尾。
頭から突き出した、力強さの象徴のような二本の角。
眠る草木と竹林が、月を見上げる彼女の鮮烈な姿を際立たせる。
まるでお伽噺の世界の幻獣のようなその姿。
不死鳥と呼ばれた自分とは、紛いものとは違う、本物の幻。
綺麗だな、と思った。こんな美しいものは見たことが無かった。見惚れて、そこに佇んでいた。
ふっと、深緑の瞳がこちらに向けられた。
一陣の風が過ぎ去り、彼女の全てを幻想のように揺らした。
「お前は神か?」
そんな馬鹿な台詞が、彼女に投げかけた最初の言葉だった。
せめて、神には美しく在ってほしい。
そんな失笑ものの願望を、彼女に願ったのかもしれない。私を静かに見つめる彼女は、それくらい美しかった。
「藤原さん」
迷いの竹林の入り口に当たるここに、今日も彼女はやって来た。
白に蒼が混じった髪を風に揺らしながら、いつもの微笑みを浮かべて。
「こんにちは」
「こんにちは」
視線だけ彼女に向けて、申し訳程度の挨拶を返した。
彼女はいつものように「お隣、いいですか?」と尋ね私が「どうぞ」と返事をすると、私の隣に腰掛けた。私の隣といっても、私は小さな岩に腰掛けているので、彼女は地べたに腰を下ろしたことになる。
最初に会話らしい会話を交わしたとき、ずっと私の前で姿勢よく立っている彼女に私の隣、つまり地べたを指差し「貴方も座れば?」と冗談を口にしたら、本当に「それでは失礼します」なんて言って地べたに座り込んだ。それ以来、彼女は私と話すときは丁寧に断わり、私の隣、つまり地べたに座り込むようになった。彼女は生真面目だ。
「今日は随分と涼しいですね」
「そうね」
「少し肌寒い気もしますが、この竹林だと不思議と風に温もりを感じます」
「そう」
「今日はお団子を持ってきたんです。一緒にいかがでしょう?」
「ありがとう。貰うわ」
「お茶も持ってきました。どうぞ」
「ありがとう」
「いえ」
彼女は嬉しそうに笑い、そしていつものように最近起こった出来事の様々を嬉しげに話し始めた。私はそれに相槌を打ちながら団子を頬張る。
彼女は度々、この竹林へやってくる。満月の夜に出会ったその日から。そしてなにが楽しいのか、私と他愛の無いお喋りをして、そして決まって「また来てもいいでしょうか?」と尋ね「いいよ」という私の返事を聞いて嬉しそうに微笑み帰っていく。出会ってからおそらく幾年経った今でも、それは変わらない。
「また来てもいいでしょうか?」
日が沈み始めた頃、この日も彼女はそう尋ねてきた。
「いいよ」
私はいつものようにそう返し、そして彼女は嬉しそうに微笑み「それでは」と礼をして帰っていった。
彼女は何故私に会いにくるのか。
外れ者同士の仲間意識なんてつまらないものが理由でないことは知っている。彼女は今も昔も、人から外れていながら人に歩み寄る努力に懸命だ。彼女ほど外れていれば、それはとてつもない苦痛の道であっただろうに。それでも彼女は傷付けられながらも人に手を差し伸べ、微笑みを浮かべる。
そして彼女は今、里の人間に受け入れられている。幼子のための寺子屋まで開いているのだ。里の人間に慕われ、感謝されている。
彼女は、私から見れば絶するほどの強さを持っている。
では、外れながら外れた私と一緒にいて私の存在を認識しながら安堵するために会いにきているのかと言えば、それも違うだろう。
彼女は本当に心の底から嬉しみを持って私と接してくれていると思う。彼女の微笑みは少女のそれに似ている。嬉しむから嬉しみの表情を浮かべる。まあ、そんな気がしているだけかもしれないが、私はそう思う。
では彼女が私に会いに来る理由は何故なのか。嬉しみの理由は何なのか?
それは、私が知りたい。
「藤原さん」
今日も、彼女はやって来た。
「こんにちは」
「こんにちは」
視線だけ彼女に向けて、申し訳程度の挨拶を返した。
彼女はいつものように「お隣、いいですか?」と尋ね私が「どうぞ」と返事をすると、私の隣に腰掛けた。私の隣といっても、私は小さな岩に腰掛けているので、彼女は地べたに腰を下ろしたことになる。
「今日は暑いですね」
「そうね」
「でも竹林の中だと少しですが涼しいです。竹の葉の音も涼やかですし」
「そう」
「今日は冷たいお茶を持ってきたんです。一緒にいかがでしょう」
「ありがとう、貰うわ」
「いえ」
彼女は嬉しそうに笑い、そしていつものように最近起こった出来事の様々を嬉しげに話し始めた。私はそれに相槌を打ちながらお茶を啜る。
「そうだ藤原さん」
彼女は今閃いたかのようにぽんと手を打ったが、私にはそれが嘘だと分かった。彼女は今日ここに来たときから、なんだか緊張していた。
「明日、里で祭りがあるのですが、藤原さんもよかったらいらしてくれませんか?」
何気ない口調でそう言ったが、張り詰めたような緊張が見て取れた。彼女は本当に優しく、そして思慮深い。そんな彼女が私を人間の里の祭りに招いてくれたことは、素直に嬉しかった。
だけれど。
「悪いけれど、断わらせてもらうわ」
「……そうですか」
しゅんとしたふうに、しかし微笑み眉を下げ「残念です」と言う彼女。だけれど私にはそれが偽りだと分かった。
表には出していないが、相当落胆した様子だった。傷付いてしまうほどに。
「ごめんなさいね」
「いえ」
彼女は首を振り、そして「そういえば」と話を移した。なんでもないように喋る彼女、しかしその後の彼女はずっと落ち込んだままだった。
「また来てもいいでしょうか?」
日が沈み始めた頃、この日も彼女はそう尋ねてきた。
「いいよ」
私はいつものようにそう返し、そして彼女は微笑み、しかしその微笑みは嬉しみより切なさが多く含まれているような気がした。そして、「それでは」と礼をして帰っていった。
「…………」
彼女のことは好きだけれど。
私は、彼女のように強くはなれない。
「こんにちは」
「お隣、いいですか?」
「藤原さん」
しかし次に会ったときからは、いつも通りの彼女に戻っていた。いつも無理なく自然に嬉しげで、明るい。羨ましいとは思わないが、眩しいな、とは思う。
彼女は私の理解者だ、なんてことはもちろん思わない。彼女だって、私を自分の理解者だ、なんてことは思っていないだろう。
誰かが誰かを理解し合うなんてことは不可能だ。たとえ心を読める能力があったとしても。感情とリンクできる能力があったとしても。そういう勘違いをして悲惨な目に遭った者を、私は腐るほど見てきた。例えば相手の思考や感情の諸々を完全に共有できる者がいたとしても、それは共有ではなく同一だというだけのことだ。
ただ、想い合うことはできる。そういうことだと思う。
では、一体彼女は私の何なのか。
「あの、藤原さん」
「ん?」
「あ、いえ、随分と上の空な様子だったので」
「ああ、すまないね」
「いえ。…………あの、よければ、悩み事があるなら相談に乗ります」
そう言った彼女の声は、少し震えていた。私は自然、微笑む。彼女のような人にそう言ってもらえるのは嬉しかった。
「いや、たいしたことじゃないの」
「そうですか」
「でも、ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しい」
「あ……。は、はい」
そうして、やはり彼女は嬉しそうに微笑むのだった。
彼女にとって、私は何であるのだろうか?彼女は私との関係を、どのようなものだと思っているのだろうか。
「また来てもいいでしょうか?」
日が沈み始めた頃、この日も彼女はそう尋ねてきた。
「いいよ」
私はいつものようにそう返し、そして彼女は嬉しそうに微笑み「それでは」と礼をして帰っていった。
「あの糞×××」
私は悪態を吐きながら地べたに寝転んでいた。
あの糞姫君との殺し合いを終えたばかりだった。
「意味の分からん技ばっか使ってきやがって。なんなんだあれは。唯一『龍の頸の玉』のからくりは分かったけど、他はほんとに分からない……」
ぶつぶつと呟きながら、雲をその霊的な色で染める欠けた月を見つめる。
あの糞姫君と自分の関係とは、一体どのようなものなのだろうか。ふと、脳内で誰かがそんな問いを囁いた。
これはすぐに答えが出る。私にとってあいつは憎しみの対象であり、憎しみをぶつける標的だ。あいつにとって私は煩わしいものであり、だから私を消し去ってしまいたい。
つまり、殺戮関係だ。あれと私は殺し合いで繋がっているし、それ以外ではいかなる意味でも繋がっていない。
私はあいつがいないと生きていけない。心の底から湧き上がり蓄積していく醜悪な狂気をあいつに叩きつけているからこそ、私は狂気に蝕まれず正常でいられる。あいつが私の狂気を否応なく受け止めているからこそ、私は明日も彼女と会話できる。
私はあいつが世界の何より大切だ。私があいつを殺し続けることが、世界の何より重要なのだ。あいつが私の傍に在るためだったら、なんだってする。
だからこそあいつはどうしようもない恐怖の対象だ。あいつがどこか遠いところへ消えてしまったら、あいつの存在を知ってしまった今の私は、狂気を溜めこむ術を忘れひたすら狂気を発散し続ける今の私は、おそらく発狂するか、狂気に蝕まれ自失となるしかないだろう。
遠いところ。
月、とか。
「……まさかね」
欠けた月から視線を外し、立ち上がった。
では。
彼女と自分の関係とは、一体どのようなものなのだろうか。
今度は私が、脳内の誰かに問いかけた。
返答は無かった。まあ、そうだろうな。
私は彼女が好きだけれど。
私は彼女が大切だろうか?
彼女がいなくなったら、私は何を想うのだろうか?
何も想わない気がする。
どうだろう。
分からない。
「藤原さん」
今日も、彼女はやって来た。
「こんにちは」
「こんにちは」
視線だけ彼女に向けて、申し訳程度の挨拶を返した。
彼女はいつものように「お隣、いいですか?」と尋ね私が「どうぞ」と返事をすると、私の隣に腰掛けた。私の隣といっても、私は小さな岩に腰掛けているので、彼女は地べたに腰を下ろしたことになる。
「今日も暑いですね」
「そうね」
「蒸し暑いです。でもこんな日も、この竹林はいくらか涼しいですね」
「そう」
「あ、今日はお饅頭を持ってきたんです。一緒にいかがでしょう?」
「ありがとう。貰うわ」
「お茶も持ってきました。今日の気候を考えると冷たいのを持っていこうかとも思いましたが、温かいのです。こういうのも良いかと思いまして」
「ありがとう」
「いえ」
彼女は嬉しそうに笑い、そしていつものように最近起こった出来事の様々を嬉しげに話し始めた。私はそれに相槌を打ちながら饅頭を頬張る。
「……と、いけない」
二人静かにお茶を飲んで温い空気に身をゆだねていたところで、彼女がはっとしたように声を上げた。
「どうしたの?」
「今日は夕方に用事があるのでした。ついつい忘れそうになってしまいました……」
「そう」
いつもよりも幾分早かったが、彼女は帰り支度を始めた。
「お饅頭とお茶、ありがとう」
「いえ。……また来てもいいでしょうか?」
「いいよ」
私はいつものようにそう返し、そして彼女は嬉しそうに微笑み「それでは」と礼をして帰っていった。
私は彼女の背を見えなくなるまで見送り、それから空を見上げ思考を宙に浮かす。永年生きてきて身に付けたスキルだ。これをしていると一日が一瞬で消し飛ぶ。
そのまま植物のように世界に身を任せ明日までぼーっとしているつもりだったが、そうはならなかった。まだ完全に思考が宙に浮かぶ前に、私の意識は現実に引き摺り戻された。
ガサッ。ドスッ。
それなりに大きな音がした。
「……………?」
物音がした方に顔を向けると、斜め右方向にある茂みがガサガサと揺れていた。耳を済ませると、微かに誰かの声が聞こえる。
「ばっ……おっま……なにやってんだよ!」
「痛……。ゆ、悠くんが押すから転んだんじゃん!」
「押してねぇよ!」
「押しましたー!」
「ねえ、お姉ちゃんこっち見てるよ」
「モロばれですね」
「げ」
「げ」
その四つのひそひそ声は、比較的若い者の声だった。
「……誰?」
私が声をかけると、茂みが大きく一回揺れて、再びひそひそ声が聞こえてくる。
「どうすんの!?」
「ど、どうするって……。に、逃げる?」
「さすが悠くん、思考の根本がヘタレだ」
「だ、黙れよ。じゃあ出ていくのかよ?」
「出ていきましょう。ここで逃げるのは彼女に失礼です」
ひそひそ話が終わると、茂みから十代前後くらいの四人の子供が出てきた。男の子が三人と、女の子が一人。見たところ、人間だ。
「……誰?」
私がもう一度尋ねると、一番右に立っている男の子とその隣の女の子がびくりと身を引いた。
「……風香さんがびびるのは分かりますが、悠くん、あなた本当にヘタレですね」
一番左に立っていた、本を脇に抱えた落ち着いた雰囲気を持つ男の子が、心底呆れたように言う。子供だけれど、子供らしからぬ雰囲気を持つ子だった。
「う、うるさいな」
一番右に立つ、ゆうと呼ばれた少年は少し落ち着きを取り戻し恥かしむようにそう言ったが、私と目が合うとこくりと唾を飲み込み、また落ち着きを無くした。私はゆっくりと目を伏せる。
「誰だか知らないけれど、ここは人間の子供が来るようなところじゃない。帰りなさい」
静かにそう言うと、しかし、女の子と本を抱えた子の間に立っていた子が、私の言葉を聞くと同時にぱたぱたとこちらに駆けてきた。
私の前で立ち止まり、どこか人を安心させるような笑みを浮かべる。……ここまで誰かに近付かれたのは、ここ百年ほどでは彼女と糞姫以外では初めてだった。
「こんにちは」
その人懐っこい笑みと同様の警戒心の欠片も無い声に、私は無愛想に応じる。
「こんにちは。……君たちは誰?」
私が顔を上げその子の目を見ても、その子はほんの僅かの怯みも見せず、笑顔でその問いに答えた。
「僕たちは、慧音先生が開いている寺子屋の生徒です」
「……慧音の生徒達か」
「はい」
私とその子が話している間に、他の子も私の傍に寄ってきた。ヘタレと呼ばれた男の子と女の子は、私にビクつき他の二人より少し距離を取っている。
「紹介しますね。僕の名前は悠(ゆう)禅(ぜん) 水面(みなも)です。水面と呼んでください」
言って、頭を下げる。礼儀正しい子だな。
「この子供らしからぬ雰囲気を持った子が、蓮羽(はすば) 蓮(れん)くんです。蓮くんと呼ばれています」
みなも君が紹介すると、本を持った子が静かに頭を下げた。
「そしてこの女の子が灯(ともしび) 風(ふう)香(か)ちゃんです。風香ちゃんと呼ばれています」
女の子が、おずおずと頭を下げる。
「そして最後のは樹之(きゆき) 悠(ゆう)くん。ヘタレと呼ばれています」
「おいッ!?」
風香ちゃんより半歩下がってヘタレていた子が怒鳴った。
「彼と名が一字被っていることが、僕の数少ない恥の一つです」
「お、おまっ!?そんなこと思ってたのかよ!初耳だよ!……マジでか…………」
「このように、すぐに傷付く可愛い子です」
「お、お前な……!」
「いいから彼女に挨拶しなさい」
蓮くんに窘められ、悠くんはむくれながらも、しかし私から視線を反らしながら頭を下げた。
「そう。……私の名は藤原 妹紅。妹紅でいい」
無機質にそう言って、四人の顔を順に眺める。ビクつく悠くん、おどおどする風香ちゃん、水面くんと蓮くんは表情を変えなかったが、人間ながらに特別な能力を持っているわけではなさそうだった。
「慧音の跡を付けてきたのか?」
この子たちがここにいる理由はそれしか考えられない。水面くんは頷いた。
「実は、寺子屋である噂が流れていまして」
「ある噂」
「はい。というより、人間の里に流れる噂、と言ったほうがいいですかね。寺子屋ではより濃く噂されている噂です」
噂が濃いとは良い表現だなと思う一方で、その噂の内容を想像し、薄汚い穢れた黒いモノが体の内に渦巻くような気持ちの悪さを感じた。
その噂はおそらく慧音に関わる噂であって、多分私もそれに関わっていて、もしかしたら慧音は私の所為で良くない噂を負っているのかもしれない。例えば、彼女はおぞましい人間のなれの果てのような者と仲良くしているそうだ、とか。
もし、そうなら。
私は、どうするべきだろうか。
しかし、私の予想は、まったくの見当違いだった。
「その噂の内容は」
そこで溜める水面くんに、私は仕方なく合いの手を入れる。
「内容は?」
「慧音先生は通い妻らしい、です」
かくん、とずっこけそうになった。
なんじゃ、そりゃ。
……いや、そう思われても仕方ないか。わざわざ週に何日もこんな辺境の竹林に遊びに来ていたら、そのような噂が流れても仕方ないかもしれない。
「寺子屋には数年前からその噂があったのですが、事実を確認した人はいなくて。それで、試しに慧音先生の跡を付けようと。そんな悪趣味な提案を、悠くんが」
「俺!?」
いきなり罪の泥を塗られ、仰天する悠くん。
「え?ちょ、ちょっと待って。最初に慧音先生の跡付けようって言ったの、……確か水面じゃなかったっけ?」
「え?」
「え?じゃねえよ!お前が最初に言い出したの!」
水面くんは首を傾げ、悠くんの怒声を無視した。
「まあ、そういうことです。でも、意外でした」
私をじっと見て、その表情から笑みを消す水面くん。私を見下ろすその瞳から、私はつっと目を反らす。
「貴方みたいな人と会っていたなんて」
……私が想像したような噂を人間の里に流すわけにはいかない。ここは頭を下げて懇願してでも口止めするべきだ。彼女のためだ、それくらい苦でもない。
「先生がそういう趣味だったなんて」
「違う」
私は頭を下げ懇願する。
「頼むからそんな巫山戯た噂は流さないでくれ」
「あ、いえ、僕はべつに同性愛に嫌悪的な感情は抱いてませんよ。ただ驚いたってだけです」
「だからそうじゃなくて」
ため息を吐く。
「彼女は、私の友人だよ」
自然に、そう口にしていた。
すると水面くんは、驚きの表情を浮かべる。
「え、嘘。通い妻じゃなくてセックスフレ――」
「だからそうじゃなくて」
頭が痛くなってきた。今時の子供は、皆こんなにませてるのか?
「普通の、友人だよ。一緒になにか食べて雑談したりする」
「そうなんですか。……通い妻説は所詮噂ですか」
何故か残念そうな水面くん。何故だ。
「……貴方は」
それまで静かにじっと私を観察していた蓮くんが、静かに口を開く。彼の動作は一つ一つが丁寧というか、ゆったりとした余裕を感じさせた。
「人間、ですよね?」
彼の静かな問いに、私はゆるりと首を振る。
「私は人間じゃあないよ」
「妖怪には、見えませんが」
「……強いて言うなら、人形だよ」
自虐ですらない私が私に抱く正直な比喩だったが、しかし彼はそれをマイナスとは受け取らなかったようだ。
「人形、ですか。それは素晴らしいですね」
「…………」
変わった子だな、と思いながらも、人形という表現は適切では無いかと反省する。人形はこんなにおぞましいものではない。
「失言だった」
「はい?」
「人間のなれの果て、とでも思ってくれ」
「はあ」
蓮くんは曖昧に返事して、
「じゃあ、妹紅さんは少女な大人ですね。希少価値です」
水面くんは笑顔で、訳の分からないことを言った。……本当に、変わった子達だ。
そろそろ追い返そうと思ったら、水面くんがこちらにとことこ寄ってきて、私の隣に座った。
「あ、おい……」
「せっかく逢えたんだから、もうちょっと妹紅さんとお話したいです。……駄目ですか?」
言って、微笑みながらも寂しそうな表情を見せる水面くん。
「あ……いや……」
何故だろう、彼のその表情と声に、私の心は有り得ない程に乱された。何故か、動揺してしまう。私の中から「駄目だ」という拒絶が、ゆっくりと解けるように消えていく。
「ん……まあ……いいけど……」
言ってから、なにを言ってるのだ私は、と焦る。けれど水面くんの嬉しそうな微笑みと、
「ありがとうございます」
という言葉を聞くと、解けた言葉は私の内で渦巻くよく分からない感情とぐちゃぐちゃに混ざって消えた。……なんだこの子は。
それから結局、流されるままにその子達と雑談していた。なんだか終始、この子達にペースを握られていたような気がする。最初は緊張していた風香ちゃんも、次第に会話に加わってくるようになった。悠くんは所々突っ込みを入れていたが、基本私を警戒しながら黙っていた。
「そろそろお暇しましょう」
夕日が空を染める頃、蓮くんがすっと立ち上がり、言った。
「そうだね。もうちょっとお話してたかったけど、時間かな」
水面くんは残念そうに言って、私にあの微笑みを向ける。
「……また来てもいいですか?」
その問いに対し迂闊に口を開くとなあなあな肯定の言葉が出てきそうで、だから私はただ黙った。水面くんも黙ってこちらを見つめてきた。そのまま随分な時間が流れた。じっとこちらを見つめる水面くんには強い意思を感じたけれど、しかし、ここだけは私は譲らなかった。水面くんはついに根負けして、寂しそうに微笑む。
「…………そうですか。では、僕達はこれで」
言って、私から視線を外し、立ち上がる。悠くんと風香ちゃんも、幾分気まずそうな表情を浮かべながら立ち上がる。
「送っていこうか」
「大丈夫です。それじゃ」
最後は特別明るい微笑みを浮かべて、水面くんは言った。
「縁が合えば、また」
「…………」
縁が合えば、ね。
だけれど、もう縁が合うことはないだろう。
四人の背を見えなくなるまで見送り、ため息を吐いて空を見上げる。意識を宙に浮かそうと思ったけれど、様々な感情が根のように意識に絡み付き、それを妨げる。私はもう一度ため息を吐き、立ち上がる。どこぞの姫君に、憂さ晴らしに付き合ってもらうか。
「藤原さん」
二日後、彼女はやって来た。
「こんにちは」
「こんにちは」
視線だけ彼女に向けて、申し訳程度の挨拶を返した。
彼女はいつものように「お隣、いいですか?」と尋ね私が「どうぞ」と返事をすると、私の隣に腰掛けた。私の隣といっても、私は小さな岩に腰掛けているので、彼女は地べたに腰を下ろしたことになる。
「今日は幾分涼しいですね」
「そうね」
「この竹林だと、丁度良い気候です」
「そう」
「あ、今日は鯛焼きを持ってきたんです。一緒にいかがでしょう?」
「ありがとう。貰うわ」
「お茶も持ってきました。今日は涼やかですし、冷たいのを」
「ありがとう」
「いえ。……鯛焼きって、何故幻想郷に広まっているのでしょうね?鯛は外の世界の魚類なのに」
「さあ」
首を傾げて、鯛焼きを頬張る。腹に詰め込まれた餡の上品な甘みと、皮の香ばしさが体に染み渡る。ような気がする。蓬莱人になってから、人間の三大欲とそれに関わる機能はほぼ全て消失していた。
「慧音」
いつもであれば彼女が最近の出来事を話してくれるのを待つのだが、今日は私から声をかけた。
「はい?」
彼女は若干驚きながら私に顔を向ける。私は手元の鯛焼きに視線を落としたまま言う。
「昨日、寺子屋の生徒を名乗る子達がここに来たよ。慧音の跡を付けてきたらしい」
「え」
固まる彼女。その手からぽろりと落ちた鯛焼きを、地面に落ちる前にキャッチして固まったままの彼女の手の中に戻す。
「…………え、と。だ、誰ですか……?」
そう問いながらも、彼女は薄々、いや明確に、自分を付けてきた生徒が誰なのか予想しているようだった。
「確か、水面くんに、蓮くんに、風香ちゃんに、……あと一人は何て名前だったかな……」
「あ、あいつら……」
引き攣った表情で、わなわなと鯛焼きを握りつぶす彼女。彼女が「あいつら」なんていう乱暴な言葉を使うのは意外だったが、その言葉だけでなんだか彼女が寺子屋で教鞭を振るっている様子が思い浮かぶようだった。
「ご、ごめんなさい……。あの子ら、迷惑かけ……ましたよね……。ごめんなさい……」
どうやら予想通り、あの子らは彼女が手を焼く問題児達らしい。
「いや、べつに。迷惑ではなかったよ。……不思議な子達だった」
「水面と蓮は、少々変わってますから」
困ったように苦笑し言う彼女はしかし、なんだか身内を自慢するような様子でもあった。
「うん。まあ、雑談していただけだよ」
「そ、そうですか……」
ほっと息を吐く彼女。……だけれど。
強い意思を込め彼女の目を真っ直ぐ見つめる。私の目を直視して瞬間的に硬直したような緊張を見せた彼女に、強い口調できっぱりと言う。
「だけれど、もうここには来させないようにしたほうがいい」
「…………そ、そう、ですね」
歯切れ悪くそう言って、俯く彼女。そんな彼女の様子に心が痛むけれど、しかしこれだけは譲れない。
「慧音も、分かっているでしょう?関わるということは、引き摺られるということ。私は元が人間だから、余計に性質が悪い。あの子達をわざわざこちらの道に引き摺りこむこともないでしょう」
「………………分かりました」
彼女は何か言いたそうだったが、それを拳を握り締め堪えて、低い平坦な口調で頷いた。それでもその言葉に微かな揺れを見た私は、今度は深く頭を下げ懇願した。彼女は目を見開き息を飲んで、茫然とした様子で私を見下ろす。
「頼むよ。私は、あの子達を巻き込みたくないんだ。……頼む」
「わ、分かりました!分かりましたから、顔を上げてください!」
私は顔を上げ、彼女の瞳の奥をじっと見つめる。彼女の瞳には、困惑と、そして悲しみの色が浮かんでいた。
「約束してくれる?」
「……分かりました。約束します」
頷く彼女に、小指を差し出す。彼女は黙って私の小指に自分の小指を絡めた。そして私と彼女は指切りを交わし、約束を形にする。
私の所為で誰かを巻き込んだことは、数え切れないくらいあった。私の仲間だと思われたからとか、化け物である私を庇ったからその者も迫害されたとか、蓬莱人である私と関わっていたことそれ自体が理由で誰かが不幸になったわけじゃない。
私は何もしていない。彼らを殺そうとなんかしていないし、彼女らに恨まれたわけでもない。私は何もしていない。ただ、私の周りの普通の者達は皆、狂う。運命が狂う、とでも言えばいいのだろうか。普通である彼ら彼女らには考えられないような奇妙な出来事が起こり、死んでゆく。私は何にもしてないのに。
そこに在るだけで影響を及ぼす。蓬莱人形は人形ではなくあくまでも人間だから。妖と人の境界に立つ私は、どうしようもなく人を引き摺る。そのことに気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
ただ、彼女は。私の目の前で悲しそうに俯く彼女は、そのことに気付きながらも、たとえ迫害され、排斥され、疎外されながらも、それでも人に、歩み寄った。そしてその結果、人に受け入れられた彼女が在る。人から慕われるほどに。それは例えようもなく凄いことだとは思うけれど、残念ながら私はそんなに強くない。
それに。
「……でも、妹紅さん」
俯いたまま静かに、しかし決心を持って発せられたその声で、私の網膜に焼き付いた様々な誰かの死に様が大きく揺らいで消えた。
「なに?」
「ここは、幻想郷は、そのような者達が集う場です。だから、きっと妹紅さんが考えているようなことは、起こらない。……無責任だけれど、でも」
拳をぐっと握り、その強く握られた拳を見下ろしながら、それに声を落とす。それは小さな声だったが、しかし、私の内に波のように響いた。
「……私も、そうだったから」
私も、この、幻想郷という場に、救われたから、と。
血が滲むほどに拳を握り締め、吐き出すように言葉を紡ぐ。
私は彼女の横顔から目を反らし、組んだ手に目を落とす。私も、その手を拳の形にして、握り締めてみる。その程度じゃ、痛みは感じなかった。
「…………やっぱり、私には無理かな」
いつもと同じ、感情の籠らない声で言う。
「……それに、こんな人形の成り損ないみたいな人間、気味が悪いだけでしょう」
何気なく言っただけだった。私が持つ私に対しての感想を何気なく口にしただけだったが。
ふと彼女に視線を向けると、彼女は目を大きく見開き、驚愕のような表情を浮かべ固まっていた。その予想外の反応に私は戸惑い、怯んでしまった。そしてこちらがなにか声をかける前に、彼女には考えられない叫ぶような大声が私達を囲む竹林を揺らした。
「――――そ、そんなッ!な、なんでそんなこと言うんですか!…………なんで、そんな……!」
彼女の剣幕に呆気にとられてしまい、立ち上がった彼女を茫然と見上げるほかなかった。烈火を宿した瞳で私を見下ろしながら、彼女は叫び続ける。
「そ、そんなこと、ないです!妹紅さんは気味悪くなんかない!絶対に、――賭けてもいい、妹紅さんは、そんな訳無い!もしそんなことを言う誰かがいたのなら、その誰かが致命的におかしいだけです!」
「――――……け、慧、音?」
取り乱し、正気を失ったようにも見える彼女に、放心しながらもなんとか声をかける。すると彼女ははっとしたように冷静になり、俯いた。
「す、すみません……取り乱しました……」
「…………ん」
そんな中途半端な返事を返しながら、考える。いったい彼女はなぜこれほどまでに私の言葉に憤ったのか。……分からない。私が自分を卑下したことに憤っているのは分かったけれど、それ以上は何も分からなかった。
しばらく気まずい沈黙と、その沈黙の気まずさを擬音化したような竹の葉のざわめきがその場を支配していた
やがて彼女は俯いたまま、力無く言った。
「でも、貴方は……」
「貴方は、私のあの姿を、美しいと言ってくれたじゃないですか……」
「――――……」
「妹紅さんは、気味悪くなんかないです」
頭を鉄の棒でぶん殴られたような衝撃があった。こくりと唾を飲み込み彼女の目を見ようとするけれど、彼女は俯いたまま顔を上げない。
「…………今日はこれで失礼します。そして、失礼しました。……でも、さっきのことは、忘れないで」
それだけ言って、彼女は竹林の出口へと駆けていった。遠ざかるその背になにか言わなくてはと思ったけれど、結局何も言えなかった。
「…………………………………………糞が」
泣きっ面に蜂とは、まさに今のような状態を指して言うのだろう。
疲労した体は、もはや私を見切ったように言う事を聞いてくれない。大の字に倒れぐったりしている私の両目を、明るすぎる星と月が虐める。
あれから。
慧音と別れうじうじしていた私の元に、珍しく糞姫のほうから私のところにやって来た。よりにもよってこのタイミングで。うじうじした私を見ると上機嫌になり、殺し合いましょうという彼女の誘いをそんな気分じゃないと言って断わると、ますます上機嫌になって、問答無用で殺しにきた。私は当然怒り、糞姫を消し炭にしようとしたけれど、しかしなぜか力が出ず一方的にぼこぼこにされた。
そして今の私は、歌を歌いながら去っていった糞姫に満身創痍の身にされ、大の字で空を仰いでいるわけだ。糞が。
でも、今はそんな屈辱にはらわたが煮えくりかえることも無かった。
俯いた彼女の姿が目の前から消えない。
「どうしよっか……」
月の光に目を焼かれても、目をぎゅっと瞑っても、頭の中で様々な想いが途切れ無く廻り続ける。
彼女に何と声をかければいいのだろうか。
彼女はどれだけの想いを込めてあの言葉を呟いたのだろうか。
彼女に会いに行ったほうがいいのだろうか。
――彼女は私のことをどう思っているのだろうか。
彼女の眼に、私はどのように映っているのだろうか。
今度会ったときは、またいつもと同じように雑談することができるだろうか。
「…………やだなぁ」
そんな受動的なことを考える自分が嫌だった。本当なら、今すぐにでも私のほうから会いに行ったほうがいいのだろうけれど。けれど、それができない。とんだヘタレだ。
「あーあ……」
今日はこのまま寝てしまおうか。そんなことも思ったけれど、俯く彼女の姿がちらつき、結局いつになっても眠ることはできなかった。
次の日、彼女はやって来なかった。
「…………行くべき、だよなぁ」
ここは私から行くべきだろう。どう考えても、何としても。彼女を友人だと思っているのなら。
だけれど、体が動かない。いや、まず脳髄がその考えを否定してくる。……まったく、自分がこんなヘタレだとは思わなかった。
結局、次の日必ず会いに行こうなんていう妥協ですらない呆れ果てた案を自分に誓い、その日はため息を吐くだけだった。
夜。
なんとなく、彼女といつも会う場所で夜空を見上げていた。いつも座っている小岩が今日はなんとなく冷たいな、なんて思ったけれど、当たり前だ、今は夜だ。
夏にしてはやけに鮮明な夜空の星々を見上げながら、明日彼女に会ったときに掛けるべき言葉を模索する。しかしどんなに探そうと、私の頭の中には適切な言葉なんて一つも無かった。ため息を吐く。
掌に炎を灯す。ゆらゆらと揺れる炎を見ていると、少し落ち着いた。気持ちが沈むという意味でだが、落ち付くことには変わりない。
氷点下まで堕ち込んだ頭で再び思考を試みるも、今度は気持ちが落ち込みすぎてそんな気分じゃ無くなってしまった。もういいや、ぶつけ本番で、と投げやりな気分になる。
と。
誰かが、こちらに近付いてくる音がする。走ってくる。
糞姫かと身構えたけれど、違った。
来訪人は、上白沢 慧音だった。
「……け、慧――」
突然の来訪に驚き声をかけたが、彼女の表情を見た瞬間、出かけた言葉を飲み込んでしまった。
荒い呼吸。
乱れた髪。
細かに震えた身体。
見開かれた瞳は、完全に落ち着きを無くしていた。
「も、妹紅さん」
震えた悲痛な声が、私の神経を針のように突き刺す。
「蓮が――――」
嗚呼、これは、もう駄目だ。
見た瞬間、そう思った。
本を脇に抱えた、子供らしからぬ雰囲気を持っていた男の子、蓮くん。
今彼は、布団の上でビクビクと痙攣していた。
布団を握り締め、苦しみの悲鳴を必死に耐えている。
今私は、人間の里の、彼の家にいる。人に逢う事を極力避けるとか、そんなことを言っている状況ではなかった。彼女の悲痛な懇願に、私は迷う間すらなく頷いていた。
しかし、これは――。
「どうして、こんなことに?」
蒼白な顔の、しかし蓮くんの家に到着した途端気丈な表情を作り崩さない彼女に、問う。
「この子は、生来の持病を持っていて。その病の原因は、分かりません。私達の知恵では、分からなかった。私がたまたま外を歩いていたら、こんな時間なのに明りが付いていたから、気になって尋ねてみたら……」
……なるほど。事情は分かった。
ただ、しかし。私には何も――。
「……なんで、私の他に誰も呼ばないんだ?」
この家にいるのは、彼と、彼女と、そして私だけだ。
「そ、それは……」
「それは……僕が頼んだんです……」
食い縛った歯から漏れた言葉に、彼女はびくりと震え彼を見下ろし、私は驚き、そして顔を顰める。
しゃがみ込み、彼に尋ねる。
「お前が、言ったのか?」
「……はい。もう……分かるでしょう……?僕は、ここまでです。僕の生命は、ここまで……。よく持ったほうです。……最後のお別れとか、そう……いうのは、要らないから………………ッ――――。…………だから、誰も呼ばないでくれって、お願いしたんだけれど……どうしても、っていうから、妹紅さんだけ…………」
――……駄目で、元々だと思ってはいたのだろう。
だけれど、彼女がそんなことをするほどに、この子は、彼女にとって――。
彼女を見る。その表情に浮かんでいるのはただひたすらに気丈さだったけれど、瞳の奥には、己の無力の嘆きと、悲しみと、申し訳なさと、そして祈りだった。
異形として造られた彼女は、いったい何に祈るのだろう?
「…………できれば妹紅さんとは、お友達になりたかったのですけれどね……。……まあ、こんなものでしょう……」
悟った風に言う蓮くん。しかしその虚ろな瞳には、ため息のような憂鬱がとっぷりと溜まっていた。
……一つだけ、手はある。
だけれど。
それをしてしまったら蓮くんはこの先生きることができても――。
…………。
……………………。
過ちを忘れ繰り返すのが人間の長所だなんて巫山戯たことを抜かしたどこぞの姫君のことを思い出す。 今度こそは大丈夫だろうと、高をくくることが長所だと。
馬鹿みたいだ。
ほんとに。
だけれど、今なら、あの糞姫が言いたかったことが、少しなら分かる。
「…………付いてきな」
「……え?」
「医者に、心当たりがある。生者を亡者にする程に、優秀な医者のね」
迷いの竹林の夜を歩いてはいけない。
かといって、走ってもいけない。
恐ろしいモノに襲われるから。
「どけよ」
手を振りかざす。液体のような濃度を持った紅蓮の炎が、異形の妖を消し溶かす。
「私の友人が、そこを通るんだ」
「……こんな夜更けに何の用かと思ったら」
こんな夜更けに訪れた私を、姫はため息を吐いて迎えてくれた。
「病気持った肉を届けに来たなんて、ほんと嫌味ったらしいやつね」
「お前に言われたくないよ。……医者がいるだろう。治せよ」
「あのねぇ、この屋敷は秘密の屋敷なのよ?」
突然竹林の中に現れた巨大な屋敷に驚愕し緊張している彼女と、彼女の背で歯を食い縛っている彼を指差して言う彼女に、私は素直に謝る。
「悪かった」
「おかしいわね。わとるとかとつとたを組み合わせ流暢に発音すると謝罪の言葉になるはずなんだけど」
「頼むよ」
高慢に腕を組んで立つ姫君に、深く頭を下げる。姫君の視線を後頭部に感じる。
「頼む。望みなら土下座だってする。黙って何度も殺されてもいい。なんだってする。だから、頼む」
「………………………………ふん」
あいつが、くるりと背を向ける気配があった。それでも私は頭を下げ続ける。
「べつに、追い払うつもりは無かったわ。……いいでしょう、入りなさい」
「恩に着る」
頭を上げ、彼女に振り返る。
「さ、行こう」
「は、はい」
こうして私は過ちを繰り返す。何度も、何度だって。
それが、たとえ人形の成り損ないのようであろうとも、私が人間である証なのかもしれない。
まるで嘘みたいに、苦痛の病と己が生誕した瞬間から戦っていたという彼の今までの苦労すら嘘のように、朝日が昇る頃には、蓮くんの病気は完全に治っていた。
「万能どころか、永続健康薬すら作れるんじゃないか?」
糞姫の従者、永遠亭の薬師、八意 永琳にそう聞いてみたが、彼女は肩を竦めた。
「作れるけれど、作らないわ。私だってちょっとは学習するのよ。今回のだって、姫の頼みだから完全に治したのよ」
なるほど。彼女も今回、ほんの少しの過ちを犯したわけだ。
「……さて、私はそろそろお暇しようかな」
「あの子はどうするのよ?」
「彼女が連れて帰るだろう」
「あ、そ。でも、その彼女が帰っちゃったんだけど」
「は?」
「正しくは、帰らされた、ね。あの子、蓮くんだっけ?が、強引に彼女を説き伏せてね。あなたとお話したいからって」
「……そうか」
「あなたの性質をよく理解してるわね。親しいの?」
その矛盾に首を傾げる彼女に、私は苦笑して頷く。
「ああ。友人だよ」
「本当に、ありがとうございました」
永遠亭を後にして、朝日を散らす竹林を歩いていると、蓮くんが何度目かの礼を口にした。
「いいよ、べつに」
私はなんでもなさそうにそう言ったが、内心醜い怒りがぐるぐると渦巻いていた。何故か。それは、昨晩のあれからから朝までの間、どこぞの糞姫に弄られまくっていたからだ。
土下座はまあいい。自分で言ったのだから。
猫耳なんて装飾具があることを、私は昨晩初めて知った。
今晩時間があれば、あいつを最低十回は殺しに行く予定だ。まあ、多分今晩は予定があるけれど。
「何度言っても足りませんよ。正直、僕はまだ死にたくなかった」
「そっか」
私は頷き、そして彼はまた無言になる。さっきから、少し話しては黙り込むの繰り返しだった。彼が口下手というわけではなくて、何かに対し躊躇しているような様子だ。なんだろう。
「…………あの」
ようやく迷いの竹林の出口に差し掛かろうというとき、彼は突然立ち止まり、先程より強い口調で私に呼び掛ける。
「なに?」
彼に振り向き問うと、彼は酷く言いにくそうに口をもごつかせている。なんだろう。
「あの」
もう一度言って、彼は私を真っ直ぐに見つめた。
「貴方は神ですか?」
私は噴き出した。
夜。
あの場所のいつもの小岩に、私は座っている。
そろそろかな、と思ったら、丁度そのタイミングで彼女はやって来た。
「……藤原さん」
今日も、彼女はやって来た。
「こんばんは」
「こんばんは」
視線だけ彼女に向けて、申し訳程度の挨拶を返した。
彼女はいつものように「お隣、いいですか?」と尋ね私が「どうぞ」と返事をすると、私の隣に腰掛けた。私の隣といっても、私は小さな岩に腰掛けているので、彼女は地べたに腰を下ろしたことになる。
「今日は涼しいですね」
「そうね」
「まあ、夜ですもんね。でもこの竹林は、夜でも地面が温かいのですね」
「そう」
「今日はお団子を持ってきたんです。一緒にいかがでしょう?」
「ありがとう。貰うわ」
「お茶も持ってきました。どうぞ」
「ありがとう」
「いえ」
彼女は嬉しそうに笑い、そしてしばらく、二人とも黙って団子を頬張っていた。
「……里まで来ればよかったのに」
「そのうちね」
「そのうち、ですか」
「ええ」
微笑み団子を頬張る彼女がなんだか微笑ましくて、私も微笑んだ。
団子の甘みを熱いお茶で流して、私は、ずっと聞きたかったことを聞いた。
「何故、私に会いに来るの?」
彼女は私をちらと見てお茶を地面に置き、薄雲に覆われた月を見上げた。
「醜いと思っていたあの姿を、貴方が美しいと言ってくれたからですよ」
「…………そうか」
「あのとき、私は、本当に嬉しかった」
「不死鳥のように美しい貴方にそう言ってもらえて、私は本当に嬉しかったんだ」
「――――……」
そうか。
それは、嬉しいな。
私も、彼女に美しいと言ってもらえれば、幻獣のように美しい彼女にそう言ってもらえれば、これ以上なく、嬉しいだろう。
「……少しずつ、里の人間と関わってみようかな」
少しずつでいいから。
ほんのちょっとずつでいいから。
時間は、たっぷりと、永遠くらいあるから。
「それは、いいですね。いつか貴方を里の祭りに招待したい」
「いつか、ね」
「はい」
そして、黙って小指を差し出してくる彼女。私も黙って彼女の小指に自分の小指を絡めた。そして私と彼女は指切りを交わし、約束を形にする。
ああ、そういえば、明日は満月。
幻想の郷に、幻獣が降り立つ日。
それから、僅かばかりの時が流れた。
「……ねー」
「なに?」
輝夜の呼び掛けに、焼き芋の具合を見る作業を中断し振り向く私。
「なんかさ、あんた、最近妙に明るくない?」
「そう?」
「気持ち悪いんだけど」
「あ、そう」
再び焼き芋の具合を見る。うん、良い感じだ。
「……まあいいんだけどさ。キレたら昔のままだし。でも、なんかあんたが明るいとムカつくわ」
「あ、そう」
「あ、ちょっと、そっちのは私のでしょう」
「巫山戯んな。それは私が育てたんだってば」
「私が持ってきたお芋でしょう」
「けちけちするなよ」
燃える落ち葉に直接手を突っ込み、お目当ての焼き芋を手に入れる。
「あ!ったく……」
「美味い」
美味だった。ほど良い甘さが体に染み渡る。
「明るくなったのはいいけど、図々しいのは……いやそれは元からか」
「あ、おい、そっち焦げてるぞ」
「え?あ、ああっ!」
慌てて落ち葉を掻き分ける輝夜を笑いながら、口いっぱいに芋を頬張る。美味い。
「あーあー……焦げちゃった……」
「油断してるからだよ」
「凄くムカつくわ。まあいいわ、今日の夜は永遠亭で十五夜のお月見だし」
「あ、そういえば今晩は里の祭りに呼ばれてるんだった。どうすっかな。あんま騒がしいのは好きじゃないんだけど、前回も前々回もすっぽかしちゃったからなぁ。行かないと慧音と水面のやつが煩そうだ」
「……凄くムカつく」
「なにが?」
「なんでも。あーもーほんとムカつくわ。今度刺客の一人や二人放ってやろうかしら」
「お前知り合いすらいないじゃないか。兎にでも頼むつもりか」
「煩いなぁ。なんか今日は特にうざったいわ」
「そりゃ重畳」
「……あれ、これ上の方の芋焼けてないわよ」
「秋でもないのに落ち葉で焼き芋なんて無理だっての。もう無いよ」
「は?もう無いって……ああっ!いつの間に焼けたの全部食ってやがる!」
「油断するからだよ」
「こ、このやろー」
「さて、じゃあ」
焼き芋を包んでいた新聞紙を燃やし捨てて、口を拭いながら言う。
「殺し合うか」
「上等」
世界は変わらず廻り続ける。
けれど、永遠とは無限という意味でも、輪という意味でもない。
過ちを繰り返すことは、後悔を焼き直すこととは違うから。
そう自分に言い聞かせて、彼らと彼女らに関わっていく。それも、まあ、悪くない。
「……相変わらず、眩しいやつね」
「当たり前だ。私は不死鳥。たぶん幻想郷で二番目に美しい幻の具現だ」
その後のどうでもいい小言
そしてあれからいくらかの時が流れた今、輝夜は本当に私に刺客を送ってきた。迷惑だ。
一人は人間。巫女だ。あれが噂に聞く、博麗の巫女か。初めて見た。
そしてもう一人は妖怪。流れる金の糸の髪に、怪しく輝く金色の瞳。陶器よりも白いその肌。なんというか、妖艶、という言葉がよく似合う、とんでもない美人だった。たぶんあれが噂に聞く、スキマ妖怪か。
初めて見る幻想郷の有名人二人に、まあ特に感慨は無かった。
……だけれど、なんでだろう?
私は、スキマ妖怪の彼女と、どこかで逢ったことがあるような気がする。
でも、残念ながら、気になるところが一点。
ね、ネコミミもこたん。だと!?
トップにそれとなく注意書きがあると良い気がします。ただ、自分の読解力不足のせいかもしれません。
このお話のみを読んだ感想として、長い物語の途中の部分を抜き出したような感じを受けました。
ループしているような錯覚を受ける慧音と妹紅の二人のシーンに、寺子屋の少年少女と出会ったのがきっかけで、慧音と妹紅、それに妹紅と輝夜の関係性にも好ましい変化が見れるのは微笑ましかったです。
が、せっかくの重要な役割を担うオリキャラの面々、作中でもうちょっと妹紅との交流を深める印象深いシーンがあったらな、と感じました。
小説儚月抄を感じさせる慧音と妹紅の口調や関係性は好感が持てました。