咲夜はわたしの爪にマニキュアを塗るのが好きらしかった。
「むなしくならない?」
「何がですか」
「だって、自分には塗らないんでしょう」
「メイドに過度の装飾は不必要ですわ」
「引き籠りにも過度の装飾は不必要だよ」
「王子のキスを待つ眠り姫は、ずっと美しくなければいけませんから」
咲夜の上手い減らず口を聞いていると、やっぱりこいつはメイドが似合ってるなぁと思った。天職なんだろう。
「本日は何色に致しましょう」
咲夜はいつも聞いてくれるが、わたしの答えが変わった試しはないのだ。
「お姉様と、違う色」
咲夜は満足したように笑って、
「では、本日は柑子色にしましょうか」
わたしの返事を知っているから、結局咲夜もまた、わたしの爪に好きな色を落としたいだけなのだ。
◆
部屋に美しい胡蝶蘭がやってきた。
それも、赤、ピンク、白、オレンジ、黄色。色とりどりの胡蝶蘭だ。
「どうしたの、これ」
「美鈴に頼んで栽培してもらったのです。少し、ズルも使ったのですけれど」
「だよねぇ。咲くのは十二月くらいからだもん、ほんとは」
それにしても美鈴すごいな。胡蝶蘭まで栽培出来ちゃうのかあいつは。売ったら良い値になりそうなものだ。
美鈴はもう門番よりもお庭番と改名すべきじゃないか?
「しかしまた、どうしてこの時期に胡蝶蘭? 能力使ってまで咲かせてさ」
「パチュリー様が仰っておりまして」
「ふぅん?」
「妹様が胡蝶蘭というものを見たがっていらっしゃると」
「あぁ、うん、言ったかもしれないね」
花は好きだ。眼と鼻同時に楽しませてくれるし、種類によっては料理に使ったり紅茶に使ったり出来る。
何より、すぐ枯れるところが良い。
わたしが壊すまでもなくいなくなってくれる。わたしが壊す前に消えていってくれる。
つまりわたしは、お手軽なところが好きなのだ。花は枯れるのが当たり前なのだから、すぐに枯れたところでわたしの所為ではない。
なんともまぁお粗末な理由だ。しかし真実なのだからしょうがない。
「妹様は図鑑を見るのがお好きでいらっしゃいます」
「よく知ってるね」
「メイドですから」
「それはそれは、御苦労さまです」
「いえいえ」
どういう訳か、わたしの部屋には年中色んな花々で賑わっている。
春になればパンジーやらチューリップやらナズナやら、時には部屋の一角が勝手に改築されて桜の樹が植えられた事があった。お姉様が考案したらしく、美鈴が地面の一部を土に変えてそこに桜の木を植え、咲夜が時を進めて大樹にし、パチュリーが魔法で日光無しでも咲き続けるようにしてしまった。
風情もへったくれも無かったが、みんなしてわたしに良くしてくれようとしているのだという気持ちはそれなりに伝わって来た。
まぁ、わりと邪魔だったので、いつも過ごしている部屋の隣の部屋に植え変えてもらったのだが(つまり今でも植わっている)。
夏になれば百合やら朝顔、鬼灯やらハイビスカスに向日葵、ラベンダー、どっから取り寄せたのだかありとあらゆる夏の花がやってくる。
金木犀のにおいを嗅いでみたいとふと漏らしたら、その秋は桜の隣に金木犀が植えられた。コスモスやバラ、菊などもついてきた。
ふたつ与えられた内の普段使わない方の部屋は、もはや完全に植物園の形相である。魔法やら変な薬やらで、季節も原産地も関係なく咲き誇っている。時々遊びに来る魔理沙が勝手に変なキノコを植えていったりもして、なんかもうカオス。とにかくカオス。
「カオス過ぎやしませんかね、お姉様」
ため息まじりにそう呟いてみせた事がある。
お姉様は口をへの字にしてしばらく黙って、それから取り繕うように、
「でもほら、いろんな花がその眼で見られるでしょう? 図鑑とは違うでしょう?」
不器用なお姉様の不器用な優しさを、わたしはなんとなく知っていて。なんとなく、心地良かったりして。
「うん。外に出る必要、無いね」
そう言って、笑ったのだと思う。
記憶の中のお姉様は、「それとこれとは別よ」と言って、口をへの字にしたままだった。
すっかり植物園になってしまった部屋を、早朝、寝る前にぐぅるり見渡すのがわたしのささやかな日課だった。
季節も気温も湿度も栄養も、色々なものをすっ飛ばして、咲きたい時に咲きたいように咲いている花々はへんちくりんな生命力に溢れていて、見ているとどうしてか笑ってしまう。綺麗ではあるけど。いささか人工的でズルいその活力は、なんだかわたしには不釣り合いな感じがした。
生きながら死んでいるような、わたしには。
でも、新しい花を持ってくる時の咲夜は、とても良い顔をするのだ。
芽吹く寸前のつぼみのように、刹那的で破滅的な美しさを孕んでいる。
「妹様」
そう言って楽しそうに花の蘊蓄を語る咲夜の顔は、まるで恋をしているようだ。
何が咲夜をそうさせるのか、わたしには判らないけれど。咲夜のそんな顔を、わたしは決して嫌ってはいないのだ。
(出来ればその笑顔は、しかるべきひとに見せてあげて欲しいけど)
(例えば、お姉様とか)
お姉様の隣にいる咲夜を、咲夜の前にいるお姉様を、そんなふたりを見ているのが、わたしはいっとう好きだった。
よくお似合いのふたりだった。
お姉様の隣にいる咲夜は何より輝いて見えるし、咲夜の前にいるお姉様は何より誇らしげに思う。あのふたりを覆う薄い膜のような空気は、誰にも干渉出来ないし、誰にも真似出来ない。不可侵の空気だった。果てゆく彗星のように、静かな美しさがそこにはあった。
いつまでも一緒にいられるふたりではないから、そんな風に思うのかもしれない。
(そうだ、まるで花みたいだから)
いずれ枯れていく。わたしが手を加えるまでもなく、消え果ててしまう。そんな関係性なのだ。
だから邪魔したくなくて、見つめていたいと思う。
咲夜はきっと、たくさんのものをお姉様に与えてくれるだろう。わたしでは決して与えられない、決して見つけられない、何か尊いものをきっと教えてくれるだろう。
近過ぎる故に、わたしたちでは得られないものを。遠いからこそ、得られるものを。
永過ぎる故に、わたしたちでは気付けないものを。儚いからこそ、気付けるものを。
(花のような、咲夜)
咲夜は花だ。
いずれ手折られる、お姉様だけの生花であって欲しい。
◆
「何故、お嬢様と同じ色を拒まれるのですか」
「んー。だって、お姉様っていつも赤塗るでしょう。それもなんか真っ赤な、血の色みたいな赤」
「そうですね」
「なんかあれは、お姉様の色って感じが、わたしにはする」
「妹様とて、スカーレットの名を冠するご息女であらせられますわ」
「まぁ、ね。感覚的なものだよ。それにほら、わたし、服に結構赤の面積あるし。赤以外も身につけておきたいんだよ、きっと」
ことり、咲夜がテーブルの上にいくつかのマニキュアを並べていく。
けれど選択権は、実のところわたしには無いのだ。
「今日は何色にするの?」
「では、本日はつつじ色にしましょうか」
いつも不思議に思う事がある。
咲夜はいつも、どんな色のマニキュアを塗ろうと、わたしの左手の薬指だけは必ず水色のマニキュアを塗るのだ。
「なんでこの指だけ?」
「なんとなくです」
「超意味深」
「まぁまぁ」
お姉様の爪にもそうしているのだろうか、と少し思ったが、別にとりたてて聞く程の事でもなかったから黙っていた。
咲夜のよく判らない行動は今に始まった事でもないし。
「妹様。また明日にでも、新しい花をお持ちしますね」
「へぇ。次は何かな」
「スターチスは御存じですか」
「うん。また随分季節外れな花をチョイスするなぁ」
「何色をお持ちしましょう?」
「んー。咲夜の見立てで良いよ。わたし、よく判んないし」
「承知致しました」
そう言って咲夜は、また例のように笑ってみせた。つぼみが芽吹くような、喜びに満ちた微笑みをたたえて。
(お姉様はいつもこんな風に笑いかけてもらえるんだな)
わたしは精々、マニキュアを塗ってもらう時か、花を持ってきてくれる時、食事の時くらいしか咲夜には会わない。
咲夜は忙しい身だし、わたしは不精で部屋に引き籠りがちだし。部屋を出ても、パチュリーのいる大図書館に足を運んで、少し本を読むくらいだ。かといって別にパチュリーと多く会話する訳でもなかった。最低限、挨拶とか。そのくらい。
別に取り立てて仲が悪いんじゃない。みんなわたしに良くしてくれるし、それは大変ありがたい事だと思っている。
だからこそ、なんとなく、居づらいのだ。
整然と並んだ七並べに紛れたジョーカーのように。どこにも所属出来ない、どこにも帰属出来ない。わたしは多分、どこにいても相応しくない。
お姉様の隣も咲夜の前も、美鈴のパチュリーの、どこにも。
わたしの座って良い椅子など、どこにも無いような気がしてならない。どこにいてもそわそわする。うずうずする。ぞわぞわする。がくがくする。
――そんなところにおまえの居場所などあるとでも思っているのか? そこにいても良いだなんて、そんな幻想を抱いているのか?
わたしの中の誰かがそんな風に耳元で囁く。そうすると、もう駄目だ。いたたまれなくなる。どうしようもなくなる。
逃げ出して、放り出して、さらけ出して、吐き出したくなる。
「考え過ぎよ」
お姉様はそう言ってくれる。でも、お姉様の言葉は、わたしの中の誰かの言葉よりずっと軽い。わたしの鼓膜を覆う声をかき消すには足りない。
「貴女は貴女のいたい場所にいれば良いのよ。ここではそれが許されている。私が許している。そうでしょう、フランドール?」
お姉様は優しい。だからそんな風に言ってくれる。でも駄目なんだ、その優しさはわたしを救わない。
「誰も貴女を責めない。誰も貴女を罰しない。誰も貴女を縛らないわ」
違う。そんな事は判っている。知っている。
わたしがわたしを責めるのだ。わたしがわたしを罰するのだ。わたしがわたしを縛るのだ。
「貴女はもう少し、貴女自身を許すべきなのよ」
じゃあ、――わたしの許し方を教えてよ。
(腐ってどうしようもない土みたいな、わたし)
わたしは土だ。
同じ腐るくらいなら、いずれ新しく芽吹く花を育てる、誰かの為の腐食土になりたい。
◆
その日は気分が良かったので、紅魔館内をふらふらと歩き回っていた。時々妖精たちがわたしを見て会釈をしてくれて、とてもいたたまれない気持ちになった。
やはり慣れない事をするものではないな、と後悔しながら、とりあえず足が動くので、動くままに館内をぐるっと一周する事にした。
「あら、珍しい」
エントランスでお姉様に出くわした。丁度外から帰って来たところのようで、ふわりと纏う外気がひんやりと冷たく、あぁそうかもう冬なのだ、となんとなく知った。
わたしは、こと季節感覚に疎い。
「貴女がこんなところにいるなんて」
「気が向いてね。まぁ、今では結構後悔してんだけど」
「あらあら。それはまたどうして」
「妖精たちに会釈されて」
「普通でしょうよ」
「なんかちょっと惨めな気持ちになった」
「なんでよ。じゃあ、メイドたちには貴女には会釈しないよう言っておくわ」
「やめてよ。一層部屋から出たくなくなる」
「どうしろってのよ」
「なんていうか、うん。視界に映ってないものとして扱ってくれると、一番ありがたかったりする」
「えぇー」
「それにしても、珍しいのはお姉様もでしょう。咲夜も連れて行かないなんて」
「断られたもーん。ぷんぷん。咲夜ったら私の誘いを断るなんて偉くなったものだわ! だからバチが当たったのよ」
「バチ?」
「貴女が今ここにいるじゃない」
「は? それがバチ?」
「うん。そうでしょうよ」
「なんで?」
「えっ」
「えっ」
お姉様は口をへの字にして、明後日の方角を見つめ始めた。
「うーん、まぁ、そうか……フランドールなら、気付かないかもね……ちょっと今すごく咲夜をぷぎゃーしたいわ……」
独り言オンパレード。
「気付かないって、何が」
「爪、見せて」
「え? うん」
お姉様はわたしの手を見て、「あぁやっぱり」といった風な表情をしてから、今度は自分の爪を見せた。
わたしの薬指にある青色は、お姉様には無い。赤が一色、ずらりと並んでいた。
「わかった?」
「謎が深まった」
「なんでよ! 鈍すぎ!」
「何が……」
だんだん疲れてきた。あまり会話を長く続けていると消費するのだ、色々と。
「お姉様、そろそろ部屋に戻っても良いかしら」
「あぁ、はいはい。ちゃんとご飯食べて、夜更かししないで早く寝るのよー」
「はい。今日は疲れたので、そうします」
お姉様と久しぶりに長く会話したので嬉しかったしもっと話していたかったが、いかんせん、身体は言う事を聞かないものだ。
ベッドにうずまって深く眠りたい。死んだように眠りたい。
――王子のキスを待つ眠り姫は、ずっと美しくなければいけませんから。
いつかに聞いた、咲夜の言葉を思い出した。
わたしは眠り姫ではない。ハッピーエンドは、わたしには要らない。
「あぁ、そうそう。フランドール」
お姉様の声が背中から飛んでくる。
「花言葉って興味ある?」
「無い」
「咲夜はあるらしいのよ」
「へぇ」
「今度調べてあげてよ。貴女、色々花もらってるでしょう」
「咲夜が自分で調べれば良いじゃん……」
「貴女が調べる事に意味があるのよ。そうだ、今日私が断られた理由はね、あの子、風見んとこに行って花の種をわけてもらいに行ったからよ。確か、ブーケンビリアと言ったかしら? 探しても売ってないからですって。私の付き添いを無視してまでよ? ここまで言えば何か判った?」
「返事がもう浮かばないくらい疲れてきた事は」
「そう。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
◆
胡蝶蘭は、「あなたを愛しています」。
スターチスは、「永遠に変わらない心」。
ブーケンビリアは、「あなたしか見えない」。
(なんだこれ)
(これじゃあまるで)
夢なら早く覚めて欲しいのだけれど。
◆
「本日は何色に致しましょう」
「赤」
「あら。珍しいですね」
「うん。良いから、塗って」
「はぁ」
咲夜はやっぱり、わたしの左手の薬指にはいつも通りの青を塗った。
「ねぇ、咲夜。咲夜の左手の薬指にさ」
「はい」
「同じ青、塗らないの?」
一瞬、沈黙して。
ぼんっ、と、音を立てる勢いで、咲夜の顔が真っ赤になった。なんだ、こんな顔もするんだ。
――貴女は貴女のいたい場所にいれば良いのよ。ここではそれが許されている。
困ったな。どうしよう。
お姉様の隣は咲夜の席で、咲夜の前はお姉様の席なのだけど。
(咲夜の隣に、いたい気がする)
隣の部屋に生やしているものから手折って、花瓶に入れておいたナズナを手に取った。
「あげる」
「ナズナですか?」
「花言葉、知ってる?」
知ってると、思うんだけど。
『あなたにすべてをお任せします』
――貴女はもう少し、貴女自身を許すべきなのよ。
咲夜の隣にいる時くらいは、頑張ろうかな。
そんな風に、ちょっと前向きに、思った。
おわり
新境地だ……キュンキュン
繊細で詩的な描写が大変すてきでした。
会話が好きだよ
作品の雰囲気が素敵でした
面白かったです
とても楽しめました
最高でした
キュンキュンしすぎて
氏の作品は文章もそうだけれども、タイトルにとても魅了させられます。
一人一人の言動がとても素敵で印象に残りました。
最高に胸キュンした!
出来ればまた書いていただきたい。
こんなもんをちゃんと飲んでるあたりに、このレミリアの義理堅さを感じるww
こんなに乙女な咲夜さんは氏の作品にしては珍しいのではないでしょうか。新鮮でした。
それにしても氏の作品は会話の軽妙さからタイトルまですべてが素敵ですね。見習いたい。
こうも綺麗に書かれたらもう……!
とてもよかったです。
もちろん内容も大好きです
てかこの話大好きです
すごい新鮮に感じる
後書きの二人仲いいなw
ふんわりとしたタッチの中に可憐さや想いが水彩画のようで本当に素敵ですね
ある種詩的のような含みを持つ言葉の数々が優しい余韻を残してふわり消えていくようです
フランの花が好きな理由にもぐっときた
しかし薬指に青でまさかと思ったらまさかの咲フラだった
ピュアな咲夜ちゃんがとても可愛いかったです。