まず、阿求の霊夢に対する人称が解りません。とりあえず仮として今回はこう呼称しますが、実際は何が正しいのでしょうか。
又、時系列的には幻想郷縁起が出て、霊夢がそれを見た直後です。
魔理沙が博麗神社にこなかった。
一日間が空くなど、いつものことだ。
次の日、魔理沙が博麗神社にこなかった。
二日くらいなら特に気にすることはない。
次の日、魔理沙が博麗神社にこなかった。
三日程度なら珍しいがそこまで気にすることではない。
次の日、魔理沙が博麗神社にこなかった。
四日も来ないのはかなり珍しいなと、その程度に認識した。
次の日、魔理沙が博麗神社にこなかった。
なるほど、久々に魔法の研究をしているのかと、納得した。
三日後、魔理沙が博麗神社にこなかった。
そろそろ来るかと思ったが、一日程度ならそこまで気にする必要性は無かった。
次の日、魔理沙が博麗神社にこなかった。
さすがにおかしいのではないかと思い始めた。
そしてその次の日、これは異常だと、霊夢は初めて判断した。
____
もし、魔理沙がこないだけならば、おかしいと思うだけで、博麗神社を訪れた誰かにそのことを聞けばいいのだ。しかしそうも行かなかった。
そしてだからこそ、おかしいと霊夢も判じることができたといえよう。
十日、それだけの時間、博麗神社には誰も訪れなかったのだ。
里の参拝客は当然として、いつもならば博麗神社に用も無くたむろしたりする連中も来たりはしない、ありとあらゆる博麗神社という世界が、霊夢だけになっていたのだ。
おかしい、おかしいと、霊夢は繰り返す。
「あの迷惑ではあるけど暇つぶしにはなる連中が、まったく来ない? こっちが拒否しても向こうから来る連中が……こない?」
拒否しているわけではないが、ほぼ間違いなくそうだろう。
とかく、霊夢は言葉を繰り返す、おかしい。そして今度はありえない。
「そんなはずが無い、結局の所、暇で物好きな連中が集まる場所じゃないの? ここは」
霊夢にとってそういった連中はどうでもいいといえばどうでもいいが、それでもいないと楽しみが無いのだ。結局の所、霊夢にとって今までであった人妖とはそういった存在である。
逆に、人妖にとって、興味の無さからくる霊夢の壁の無さは、惹かれ、好まれるものである。両者にとって両者とはそう言うことだ。
――まるで、ひと時の夢の様、ありとあらゆる幻想が、旋風が如しと過ぎてゆく。
「じゃあ、何? だから、何? どういう、事? ……解るなら苦労はしないわね」
考えても答えは出なかった。
「それにしても――」
縁側。
寒さと春になりかけの陽気が同居する、不思議な空間として、そこは在っていた。霊夢はその二つのうち、寒さに振るえる。
「冷えてきた、わね」
まるで夢を拒絶するような寒さに、霊夢は愚痴を漏らす。寒さに強い、弱いではなく、何かが寒いのだ。春らしからぬ、柳の寒気に、霊夢としては疑問を覚えるしかない。
幽霊がどうだと怖がることを霊夢はしないが、気味が悪いとこぼすことはする。
「心細いってわけじゃあ……ないんだけど」
なんだかこれじゃあ、一人でいることを否定させているみたいじゃないか。
周りを見て、周りにあわせろとでも、言っているみたいじゃないか。
そうだとしたら、なんと住みにくい現実であることか、なんとつまらない世界であろうか、考えれば考えるほど――おぞましい。
「ありえないわね、そんな事はありえない」
言いながら、博麗霊夢は立ち上がる。
個々として、此処にあるように。
「ありえない上に、救えないわね」
それから、神社の中に入って部屋を回る。一つ一つの部屋に入って、忘れ物を捜すように歩き回る。それ自体に意味があるわけではなく、ただ何となく、だ。
そこにあるものに意味はない。
霊夢が暮らしてきた。意図して部屋を選んでいく、博麗神社の中には数個の部屋があるが、入らないものと入るものを分ける。
「一人だというの? たとえどんな場所であろうとも一人だというの?」
入る場所は全て魔理沙や他の連中が来なくなってからの十日間、“一度も入らなかった部屋”だ。一度入った部屋ではなく、一度も入らなかった部屋。
故に数はかなり少ない――が、その部屋の歴史は霊夢が一人でいたという歴史ではなく、霊夢が誰かといた――という歴史が一番新しいのである。
十日より一日前の場所から、数ヶ月使用していなかった場所まで、片手で数えられる程度ではあるが――博麗霊夢以外の存在がいたというその歴史は、確実にその場所に、その世界に存在していたのだ。そこを丹念に、霊夢は周り、そして――
何も感じなかった。
こんなものか。
「こんな、程度なのね」
納得したように頷いて、霊夢は外へ立つ。
最初に目指すは魔理沙邸。
あの白黒魔女の家は今――どうなっているだろうか。
考えて、考えて、しかし結論を出すことは無く。
こうして――純潔の物語は始まった。
____
季節は春、季節の節を向かえ、もう次の第122季を迎えようかという時期だ。近いところではふきのとうが楽しみになってきている。
とはいえまだかなり遠いのでそれ事態はたいしたことではない。
問題があるとすれば春が始まろうかというのにリリー・ホワイトが見られず、ここ数日――どれほどの期間だったかは忘れたが――季節はずれの寒さに霊夢は襲われていた。まるで随分前に春がいくら待っても来なかったときの様だ。
とはいえそのときは完全に冬だったのだ、今日は冬のような陽気でこそあるものの、あたりに注がれた化粧は全て春のものだ、冬終わり桜芽吹くは春の山。冬の名残、たとえば雪などは、一部を残して溶けていたというわけだ。
ただし、霊夢が飛び立ってから寒さが厳しくなったのは事実。さすがにそれほど薄くはないが防寒着としては機能していない巫女服で飛ぶことに無理があったため、霊夢は結界をはって寒さをやり過ごしている。
原理は簡単。
霊夢自身と寒さの間に境界線を引いたのである。結局の所結界なんてものは立ち入り禁止の看板を立てておけばそれだけで結界になるのだから、単純なものだ。
辺りは春のような冬のような毛色、桜満開の春一色というわけでもなく、あたりに雪こそ残るものの殆どが溶けかけ、冬も殆ど去ろうとしている。
そんな中でも魔法の森は変わらない。
この森はたとえ冬だろうが、たとえ秋だろうが、その緑茂った葉を散らすことが無いのだ。魔法の毒気を帯びた森は、それを維持するためだとでも言うかのように、幻想郷の四季とは別の存在と化していた。つまり――幻想郷全土の何割かは、四季とは別の存在なのだ。
「とはいえ」
最初に定めた目的の場所である魔法の森内部――途中香霖堂を最初にしようかと思ったが、最初の指針をなんだかんだで貫いて――魔理沙の家へ向け、降下を始めた。
その中で、ぽつり、ぽつりと霊夢は漏らす。
「今はまるで、元気が無いわね、魔法の森という大きな力の存在が、喪われていく様」
その声音に色はない、事実を、そして感じたことをただ想うままに、吐き出しているだけ、そんなところだろうか。
「じゃあ、何かしらね」
それに、一瞬だけ色が灯る。
「まるで魔法の森から、幻想が掻き消えたみたいじゃない」
そこに宿る灯火は、果たして何か。
不安か、焦燥か、はたまた――
____
魔理沙の家の玄関になんでもなく降り立つ。
そこで改めて、自分の感覚が正しいことを知る。
魔法の森、魔がはびこる故に瘴気が舞い、常人であればその体を蝕む毒気に犯され耐えることのできぬ場所、妖怪たちの妖気や毒に耐えられないような人間がたやすく入ってはならぬ場所。
禁断の、しかし奥地というようなものではなく、幻想郷全土の数割を覆うその森は、しかし、その用途を失っていたのだ。
幾多も存在する妖気と、化け茸の毒胞子、妖気を発する大本であるはずの妖怪ですら寄り付くことを忌諱するそこはしかし。
ありとあらゆる妖気が、胞子が、つまりは――瘴気が、消えうせていたのだ。
霊夢の勘は当たりやすいのだ、確実に当たるというわけではないが、百発打てば逃すのは二か三発程度。そして、特に大事になった際はよく当たる。
まぁ今回は元々この魔法の森の、異様ではないことによる異様さには感覚的に気がついていた、それが実際に降り立って、意識的に気がついたということなのだろうが。とかく。
「ありえないわよ、こんなこと」
思わず言葉が漏れた、この十日間に何があった。何故こうも全てがなくなっている。
目の前に見える魔理沙の家はいわば廃屋。魔女が住む悪魔の屋敷は、しかし、つい数日前に放棄されたただの建物と化していた。魔理沙の家の、あの魔女めいた悪魔の気はそれほど無かったもの、魔法の森特有の瘴気漂う雰囲気は、どこそこへと掻き消えていた。
いや、どこそこ以前に、この世から“最初から無かったことにされている”様だ。
「ありえない……何回目に、なるかしら」
それしか表現できない――のではない。
それ以外に表現のしようがないのである。
「これも……」
握り締めるように、西洋風なドアノブに手をかける。感触を確かめるように、それを少しずつ馴染ませるように、二度三度、手に力をこめる。
――感覚で確かめなくても解る。
ドアをゆっくりとあける、ガチャリと開いた音がした。そのまま木がきしむ音を聴きながら、そうっと中へ入っていく。
……もしくはすり抜ける、だろうか。
「これも……」
入ってすぐの棚に貝が置いてあった。一体魔理沙はこれを何に使うつもりだったのだろうか、ほこりをかぶっていないところを見ると、商品にするために置いたのか、最近ここにおいたのかもしれない。
鑑定でもするようにそれを手に取る。
淡い桃色の桜貝。御守等にも使われる非常に美しい貝である。
“桜貝波にものいひ拾ひ居る”などとも読まれ、春の季語である。
まるで人を引き寄せる、桜のように幻想的な魅力がそこにはあるが、それはまた意味のないことである。結局の所、幻想的と幻想では、隔たりがあるのだ。ここに存在する美しい貝は、恐らくもって、間違いなく偽者であった。
これがもし、本物であれば……自分は一体どう感じたのだろうか。
――考えて、無駄だと切り捨てる。結局、本物でも恐らく、霊夢は何も感じないだろう。むしろ、この貝が何なのかという興味を持っている今の方が何かを感じている気がしてならない。
手に持っていた貝を放り捨てるように棚に戻し、霊夢は中へと踏み込む、中は紅魔館とはまた違った西洋の民家で、土足で問題なく歩けるあれだ。
一体この家は何処から来たのかと、考えなくもないが、霊夢はそういったことを考える性質ではなく、中に入ったこともこれが最初ではないのだから、考えるはずもない。
霊夢はこの部屋の、魔理沙が寝室として使っている部屋の戸を開く、中には生活感があるベッドと、何もかもが無くなった本棚、後には何も残っていない。
「これも……」
その本棚に手をかけて、ぼそりと漏らす。
棚にかけた手を横に引く、埃を確かめる動作だ。少しの間引いてから持ち上げて、じっくりとその手を見る。多少なりとも埃は溜まっているが、数日程度で溜まったもので、放置してもそこまで問題はない、あと少ししたら――完全に掃除が必要な廃屋になっていたら、掃除が必要だろう。
まぁ、そんな事はどうでもいい。
結論として――
「全部、全部魔理沙のものじゃない……!」
ここまで回って、ありとあらゆるもの全てにその結論を持ってこられた、ここに置いてある全てが潔く、霧雨魔理沙という符号から外れているのだ、森に住む悪の魔女、その面影は、完全に消えうせていた。
だから、あのときのように言葉を漏らすのだ。数時間か数分前のこと。
「ありえない……」
それはもはや、合言葉のようなものだった。信じられない、この世にあるはずのものがない、夢が無いなど――幻想が消えてゆくなど、それこそ、夢の望むところではない。
「何がそれこそよ、夢が無い、現実しかない? それこそなんて必要ない、当然なのよ、前提なんていらない、この世界には今なんて欲しくない」
____
全てを回って、幻想郷のありとあらゆる場所を回って、霊夢はここにいる。紅魔館――今はただの無色の屋敷の前、湖の前でただ、立ち竦んでいた。
ここまで、色々な場所を回ってきた、例外なく、ほぼ全てを……例外として、在るとすれば、そもそも存在が無かった冥界のような“幻想郷とはちがう他の所”しかないだろう。
少なくとも霊夢の知る場所は、行きつくした。
魔理沙の家を出て、魔法の森の知っている場所を全て回った、だがどれも、人が数日前まで暮らしていた形跡はあっても、霊夢の知る個人の形跡は一切無かった。
人形も、よくわからない代物も消えうせていた。
紅魔館、しかしそこに紅も魔も無い、窓から外を、外から外観を、眺めただけで解ってしまったのだ、あんな場所にレミリアがいるはずもない。レミリアがいなければ――館の主たる吸血鬼“カリスマ”が無ければそこには門番もないし、メイドもないし魔女もないし壊れきった破壊の吸血鬼も存在し得ない。
在るのは無色、“無色の個”とでも言おうか、紅魔と呼ばれた屋敷は、しかし紅も魔もなく、ただの屋敷だった、つまり――アレほどまでに紅しかなかった紅魔館は、紅が抜けていたのだ。
冥界にも“行こう”とした、紅魔館から発って、一直線に上を目指した。神のとどろく雲さえも突っ切る、どれだけ雷鳴があっても知ったことではなかった。雷鳴など、向こうから勝手に避けてくれる。
しかし、霧散した、雲を抜けても、何も無かった――そこにあるのは、何処までも続こうかという空だった――いっそそれは空虚といえよう。
そのまま妖怪の山にも行って、人里にも行った。山では鴉の羽音が聞こえず、人里はまるで、死んだようだった、生きる人々が死んでいた。孤独だ、孤独であるのに、それはまさしく群集なのだ。
当然射命丸文も、上白沢慧音も存在しなかった、たとえ天狗でも、これは変わらないのか。たとえハクタク自身でさえも、歴史から消え去りうるのか。
竹林を回り、焼き鳥のにおいがしないことを確認し、永遠亭にも行った。永遠亭はまるで初めて来たときのようで、それはつまり、昔の永遠亭は、人を寄せ付けない、廃屋と同じだったということだ、歴史が止まるとは、似たようなものだろう。違うのは、廃屋が朽ち果てるか朽ち果てないか、それだけだ。
また来たときの“よう”であっただけなのだ、今度こそ、永遠亭は廃屋であった。
存在を拒否する永遠亭に、兎の一つも望めるものか。
彼岸は冥界のように存在しなかった、終着点は無縁塚、死を誘う悪霊の場所、今この場所に、悪霊など存在しなかったが、しかし、存在しないのに、引き寄せられるのは、いったいなぜだろうか。
まるで死が、霊夢を待っているかのように。
ほぼすべてを回った、例外など、霊夢は知らない、つまり――存在しないので、あっても知ることができなければ、存在しないも同じ。
そのすべて、ありとあらゆるを回りきった。
だけれど、何も無かった。
空虚、無数、有為転変の大地は、しかして何も残さず、何も許さない、世界にとって拒絶以外はありえなかった。霊夢にとってのこれが世界なら、霊夢自身が世界なら、拒絶以外、何がありえようか。
例外は物か――紅魔館の庭で咲き誇るプリムラを、食べるつもりだったのか、永遠亭で放置されている淡い桃色の、魔理沙鄭で見つけたような桜色の鯛を――それぞれ見つけた。
だが、それだけ。
「何も――」
こぼす。
「何も、無いわ」
実感をこめるかのように、こぼし、そして嘆息する。
コレじゃあ、生きていないのと同じだ。生きながらして死に、生きながらにして搾取するものの傀儡となる。傀儡は情報を求め情報に依存している自分たちだった。とは、あくまで余談か。
――考えてみよう。
霊夢にとって、幻想とはなにか、霊夢にとって、幻想郷とはなにか、霊夢にとって――現実とはなにか。考えて、みよう。
逃避かもしれない、しかし、考えずに入られなかったのだ。思わずには、想わずにはいられなかったのだ。
「魔理沙は黒と白、魔女のエプロンに魔法の毒。何の意味も無く居座って、無駄に時間とお茶を消費して、それでいて何気なく格好つけてて……人のものを盗るのはどうかしらね、たまにこっちに飛び火してくるんだし……」
自分のことは棚に上げる、霊夢に飛び火するのは大抵香霖堂関係なのだ、だから――そういったことは気にしないことにする。自然にそうして、思い起こす。
魔理沙は嫌われ者だ、知り合いは多く、行動範囲が広いが、何処へ行っても大体迷惑がられ、実際迷惑な行動をすることが多い。とはいえ悪者がなんだかんだいって憎めないのが幻想郷、魔理沙は輪の中心になるタイプだ。
同じ人間では霊夢もそうだが、勝手に輪の中心になっている霊夢と自分で輪を作る魔理沙ではタイプが違う。
「魔理沙はなんにしても博麗神社にいることが多いのよね、だからどうにも最初に顔が浮かぶし、なんだかんだで記憶に残るのね。
そういえば弾幕決闘もよくやったわね、勝ち越してるけど」
そう考えれば、魔理沙は霊夢にとって幻想として一番近い存在なのかもしれない。
幻想はびこる幻想郷で、幻想が近いとなれば、それだけ付き合い多いというものだ。大切とまで行くかどうかは定かではないが、霊夢にとって、友人といえば魔理沙だろう。
弾幕決闘はよくやった、向こうから持ち込まれることもあれば、何かの拍子で喧嘩として始まることもある。
では、それが無くなる事を怖くなど考えただろうか、人間が周り“だけ”を見て、周りの行動に敏感になり、周りに依存するように、日常の崩壊を考えただろうか。
否だ――現実しかない状況など、ありえない。
魔理沙がいて……それだけではない、夢という夢、ありとあらゆる全てがなくなることなど、考えもしない。考えたくもない。
それこそ、魔理沙に言えば馬鹿にされるだろう、そんな事。
「その通り……ね、どこも変わらない、紅魔館だって、冥界だって、山だって里だって、永遠亭だって、彼岸だってそうよ――何もかも、当たり前じゃない」
博霊霊夢は、他人に対して興味の薄い人間だ。というよりも、ほとんど興味を持たない、他人という存在に対してだからどうしたで済ましてしまうのだ――それはつまり、冷たい薄情な人間であり、逆に他者から避けられるような相手とも平等に接するという事だが――とかく。
他者に興味の薄い霊夢だが、それでも他者という存在は彼女の生活にある程度影響を与えていたのだ、やめられない葉巻のように、いないと何だかんだいって感情にゆれがあるものだ。
それが大きく出た。
霊夢という人間の特性を考えれば、珍しいというほか無い位……大きく影響がでた。
霊夢の隣にいる霧雨魔理沙という存在が。
霊夢によってくる紅魔館という存在が。
霊夢にとってなんだか不気味な永遠亭という存在が。
霊夢に近しい香霖堂という存在が。
他にも、宴会や何かで、交流のある者達が。
――少なくとも、誰もが霊夢にとって、一斉に欠けてはならない存在だったのだろう……一つ一つならまだしも、ここまで大勢であれば、霊夢に影響を与える。
孤独は怖くない、ただし喪う事は怖い。いうなればそんなところか。
ああ――
「なんて、こと――」
これじゃあ、お終いじゃないか。霊夢にとって、霊夢が、知っている存在など、もう無い。恐らく妖精や霊夢と顔を合わせただけの野良妖怪もいないだろう。
勘である。だが、確信めいた――むしろ絶対にそうだとしか思えない何かがある。
ならば、ならば、ならば――
____
いや、ちょっと待て。
何か霊夢は忘れている。
(何か、よ――思い出しなさい。思い出して、思い出してっ)
つかめ、思い出せ、勘を、霊夢の間隔を確信に変えて、そして答えを出せ、必ず何かがある――違和感が、ここまで来て、一度も思わなかった何かがあったはずだ。
霊夢という存在が十数年生きてきて、少ないけれどあった交流、その殆どを回ってきた、だけれどもこれがすべてか?
交流しようがない連中ならばともかく。
(何か、あるはずなのよ、“絶対に何かある。”そう確信できる、なのに思い浮かばない、思い浮かんで欲しいのに。じゃあどうすればいいの? ――いえ、疑問に思う必要なんてない、考えればいいの、それだけ)
解らないはずもない、考えれば、解るはずだ。
だって最近のことのはずだから――霊夢はそう確信しているから。
考えがおぼつかない、意識がなんだかくらくらして、動揺か、それともまた別の何かか――口を大きく開けて、霊夢は更に空気を求める。
二度三度繰り返し、それでも取れない。むしろひどくなっている。
これは……眠気だろうか、何となくだがそう思う、そして同時に寝てはいけないと、飛び上がる。
肌寒い風を浴びて、だんだんと霊夢の思考がまとまっていく。
おぼつかないながらも、答えは――出た。
そもそも、思いつけば簡単だったのだ。
魔理沙が消える数日前、全てが無くなるその本の少し前に、霊夢はそこを訪れているのだから、去年に、“それ”は完成し、霊夢はそれを見ようと、そこを訪れている。
つまり、
____
全速力で霊夢は目指す。
目的地は定まり、その場所へ。
しかし霊夢の体は何度かふらつく、理由はわからないが、やはり眠気だろうか、感じている暇は無いのだが、さすがにここまで来るのに、数時間という時間を使っている。
あらゆる場所を回るのに、大分体力を使っただろうか。
疲れはまず間違いなくある。だが止まるわけには行かない――最後なのだ、次が最後、探すべき場所は、もうそこしかないのだ。
だから、故に、そして翔ける。
空に翻る霊夢はしかして、今まで以上の、霊夢自身が今まで、一度でも出したことがあるかどうかすらわからないほどの高速で、とんだ。
速さは、もしかしたら魔理沙に並ぶかもしれない、魔理沙はこれが平常だが。
とかく。
目の前に見えてきた。人里だ。
数秒、その程度で霊夢はそこへ駆け込んだ。
人里の中でも一際目立つ大きな屋敷、知名度で言えば、確実に人里の中でも一か二だろう。
駆け込むように、霊夢はその屋敷の庭へと、降り立った。目的の人は果たして――
「おや、あなたが来るとは……なるほど、今日は一体、何用で?」
――縁側にちょこんとすわり、いつもの霊夢のようにお茶を啜る。彼女は――稗田阿求はそこにいた。
____
「なるほど、幻想の消滅……いえ、この場合は失せモノですから――消失ですか。なるほど、把握しました。ここ数日は妖怪の方の訪問が在りませんでしたからね、納得といえば、納得でしょうか」
長い長い廊下を歩き、稗田阿求と博麗霊夢はゆっくりと前へ進んでいた。その道すがらの会話、縁側にて簡単な説明を終え、歩きながら大体の詳しい説明をした、そんなところだ。
なるほど納得といった様子の阿求だが、正直なところそれほどそうは思っていないだろう。何せ阿求は疑問に思う理由が無かったのだから、殆ど無意識に問題ないと吐き捨てていただろう。
「とはいえ考えなくてはなりませんね。御子様のおっしゃることが本当ならば、幻想郷は既に崩壊しているわけですから」
「それで、一体どこに向かっているの?」
最もな疑問、後ろから付いていく霊夢としては、これは先が見えないのだ、この先に光明があるのならばその光明を少しでも速く知っておきたい。
それが焦りであることは鑑みるまでもないだろう。
「この件、考えられる理由としてはいくつかの理由、方法が考えられます」
それに答えるためか、それとも無視してか、阿求は推測に口を動かす。霊夢は前者だと判断して――なんにしても、話してくれないのならば待つしかない――言葉を待つことにした。
「たとえば歴史の消失、何処かのハクタクが妖怪の歴史を食べた、とか……上白沢様ではありえませんがね……野良か、もしくは流れ着いたか」
「それは無いわよ、それほどの力を持つ妖怪なら、入ってくれば何か起こすわ、でもこんなことじゃなく、大掛かりな異変になる。だって幻想郷に入ってくる妖怪の境遇を考えればこういったことは起こりえないもの」
「とはいえ、零じゃあないでしょう? 幻想郷が自分を見捨てたとか、逆恨み、とか」
だから、と霊夢に体ごと視線を向けて阿求は続ける。
「確認ですよ、今から行く場所には、ね。――さすがに、どれだけ強力なハクタクでも、今の歴史は消せても昔の、存在しなくなった妖怪の歴史というのは中々難しいのですよ?」
記録が残らない、記憶に残らないのだと、阿求は言う。よほどの存在でもなければ記憶になんて残らない。それに今の幻想郷では、それすらも忘れてしまいそうだ。
夢と夢、つながりが消えて、今すらもあいまいになっている無為の幻想郷では。
「とはいえ、巫女様の“冥界すらも、彼岸すらも消えうせていた”ということを考えるとこの可能性はかなり低いのでしょう」
締めくくって、少しだけ阿求は歩く、とはいえ無言と呼べるような時間はない、一歩か二歩、簡単に、非常に簡潔に間を取っただけだ。
簡素な話である。
「もう一つ考えられるとしたら、この幻想郷は幻だったという話ですね」
「つまり、今目の前に見えて、会話しているはずの認識が、他者からすればまったく別のものだった、ということ?」
「そうなりますが……そんな事は判断できませんからね、私は少なくとも巫女様とお話をしておりますし、巫女様も私と話をしているのでしょう?」
そう認識していて、間違いは無いはずだと、阿求。
とはいえ霊夢にそれを確かめる術はない。何せ他人の認識など誰も知らないのだから。
ならば、
「それはいついかなるときでも存在する可能性よ――馬鹿馬鹿しいはなしね」
「今、この認識が正しいものではないと証明するのは無理ですからね……実際、夢を見ているというほうが――よっぽど現実味があっていい」
それはそれで、なんだか嫌だけれども。
「この感覚が夢であるはずは無いわ……はぁぁ」
言って、大きく息を吐き出す。
「どうしたのです? 巫女様。眠いのですか?」
「そんなはずは無いんだけどねぇ……」
とは言うものの、これも正しいことなのかは認識できないのだろう。これは価値観ともいえるかもしれない、人の持つ認識は価値観によって相互する。
認識が合うのは価値観が一つに意図的に纏め上げられているからであり、赤という認識でも、紫という認識でも、指標とされる価値観が青であれば全ての認識が、その青一色になり、知られるべき黄が消える。そんなところか。
「まぁ、なんにせよそのための確認です。ハクタクでもさすがに過去までは消せないでしょうし、例え認識が間違っていても、無理やり正せば何かわかるはずです」
結論はそれなのか、軽く振り向いて阿求はそれだけ言うと霊夢から遠ざかっていく。足を速めたのだが、霊夢は思わずあわててしまう。
阿求はなんだかおかしくなりながらも、目的の場所へと足を運ぶ。
それほど遠い場所ではない。暫く歩いた先にある一つの部屋だ。蔵だとか、そういったことは無いらしい。
確認するように阿求は後ろの霊夢に目を向けるがなんだかそれがもったいぶっているようで、霊夢は早くしろとせかす。解っているとばかりに阿求は戸に手をかけ、開ける。
そこは何も無く、蛻の空だった。
____
霊夢と阿求は応接室のようなところにやってきた、客人は大体ここに通すらしい。今回の霊夢は間違いなく例外中の例外だろう。
ここに通されないのは客ではない、たとえば盗人であるときのみだ。
中は思いの外広いが、これはどちらかというと阿求の家が大きいため相対的にこの部屋も大きくなっているのだろう、つくりや飾りは普通の家と変わらない質素なものだ。
稗田といえば人里でも有数の名家、とはいえ基本的に他者に見栄を張る必要は無いのだ、ここはあくまで歴史の編纂所なのだから。
そんなわけか、霊夢と阿求が囲む机も簡素なつくりだ。これが霧雨等の商家や見栄を張るような場所か、豪華でないとつりあいの取れない場所であれば別だろうがここは基本的にどれだけ簡素でもある程度釣り合いは取れる場所なのだ。
「それで……」
霊夢が口を開く、そこにあるのは困惑か、落胆か……自覚はしていないが、恐らく両方というのが正しいだろう。
「どういうこと……なのよ」
「解りかねますね……その質問は」
阿求は落胆を隠さずに言葉に出す。霊夢の質問に対する答えもかなりおざなりで、自身の思考に沈んでいるといった感じで、疲れ果てて、それしかできないといったところか。
まぁしかたが無いだろう、目の前で信じられないことが起きて、それに動揺するのはまぁ、仕方が無いことだろう。普段感情を大きく動かさない霊夢が落胆や困惑にゆれる辺り、よくわかるものだ。
――あれから、色々な場所を探した、書庫の中から始まって、屋敷の中を全て回って、それでも、それ故に何処にも存在し得なかった。
探していく中で、前をあるく阿求の歩みがだんだんと弱弱しくなっていくことが、霊夢には感じ取れた。それは霊夢とてあまり変わらない、明確に何かが折れていく事は無かったが、今まで探してきた、求めるために手でつかんでいた何かがすり抜けているのは解った。
何が、とは解らない。
だが自分の先に、もはや道を作れる場所すらないことを知って、放してはいけないものを手放してしまったのは否定できない。
だからこの状況なのか、すべてが無駄になって、つまりそういうことなのか。
自分は、異変の一つすら解決できないのか。――いや、それはあり得ない。異変なんて、日常から一歩遠のくだけで、こんな状況のことを指すのではない。
これはつまり“異常”なのだ。
だからそれは……
「幻想郷から幻想が消えれば一体何が残るというのか。幻想が故の幻想郷は、いったい何を考えるの?」
わからない、けれど。
「少し、お茶を頼みます」
少し遠くから、阿求の声が聞こえてくる霊夢はどうやら、だいぶ遠くへ行ってしまったようだ。意識が遠くに、自身はさらに遠く。
阿求は言葉どおりに解釈するならお茶を頼んだようだ。そういえばここに入る前に女中を捕まえて何か言っていた。それがここにつながるのだろう。いや、今はそんなことはどうでもいい。
それ事態なら今は置いておいていいはずだ。
「それで――」
「ええ、事態は大分深刻なようです。ですから――」
出だしは別。だが、こちらがたっぷり間をおいたから、続きは同じ発車になる。
「どうするか――ね」
「今から、考えるのですよ」
まぁわかりきっていることだ。
今まで、少なくともドアを開ける前にあった余裕がなくなっているので、言葉にウソはないだろう、真剣に今後を考えなければいけない。それはわかっていた様子だ。
「結局の所、私たちに何か考えるということは不可能です。材料がありませんから、ですからどうしても、想像か感傷で語るしかありません」
「じゃあどうなのよ、って話よ……お互い、この状況の如何をまだ話したわけじゃあないわ」
目を瞬かせながら阿求が言って、霊夢が大きく息を吐いてから答えを切り返す。疲れか、それ以外か、二人の動作が緩慢となってくる。
とはいえ、そうは言っていられない。少なくとも、何かを考えていないと今は耐えられそうにない。
「……どうしても不思議なのですよ、私たちが積み上げてきた歴史が、十日そこらで消えうせるのが」
「まやかし、だとは思うわ、それでも紫クラスが黒幕で確定。ちょっと前に貴方が言ってたけど、ワーハクタクは無理でしょうね」
「犯人探しは不毛ですよ、可能性なんていくらでもある」
それでなくとも犯人探しは無駄になりやすい。
「結局の所……これじゃあダメなのですよ、誰も居ない、つまり何もない。あるはずなのに無い、それは人が人でなくなった証拠です」
「解ってるわよ…………周りの色が無色になれば、周りなんて無いも同じ。なにと……呼ぶべきかしら。――周りの存在が制御され、何の個性もない存在が出来上がる。空からしか見てないけど、太陽の畑なんてまさしくコレだったわ」
主のいない庭園と、客のいない古道具店ほどわびしいものは無い。閑古鳥以上に、貧乏神がないているのだ。いや、その貧乏は実際の貧乏ではなく精神の貧乏か。
「それは貴方も、私も同じことですよ、制御云々はともかく、この色の無い場所では、私たちとて巻き込んでしまう」
道理だ、だがそれ以上ではない。結局の所、阿求も、霊夢も、そういった中の一人なのだ。むしろ――消えていないだけ、解りやすい。
「じゃあどうすればいいの? 私たちが生きるということは簡単ではないわ、それに色をつけるなら、なおさら」
「別に考えて生きる必要はないでしょう。私たちは色があるのですから、いま、この時を除いて」
本当に怖いのは、この時が現実となることだと、阿求はいう。
「道理も道理、その通りね……こんな現実、考えたくもないわ」
そのときだったか、沈黙が振って沸いて多少の空間を濁したところで、女中が入ってきた。緩慢な動作でお茶を置き、そのまま緩慢な動作で帰っていく。
咲夜の速度がおかしいだけなのかもしれないが、それにしても随分とのろのろとした動作だった。ここは毎回コレなのだろうか。
そう思い阿求を見ると首をかしげている。どうもそう言うわけではなさそうだ。
「これは……いえ、まだなんともいえませんね」
まだ核心をつけないのなら、つけるまで待つしかないか……どういうわけかは知らないが、気にかける必要はあるかもしれない。
「……で、どうするの? これは何もでないわ」
「お茶を飲んでから考えましょう……ここで会話するだけでは進展がないのは判っていますがね」
お互いに、大きく息を吐き、目を瞬かせる様にしながら、ゆっくりと、お茶を飲み下していった。
____
それから、沈黙の中で経った時間はいかほどか、霊夢は目を何度か動かして、大きく伸びをしてから阿求を見る。
「どうしようかしらね……これから」
それにしても、少し時間が経つうちに、大分冷えてしまったようだ、あたりの空気は重く肌寒い、春の陽気と呼ぶには程遠いが、冬真っ盛りというほどではない。微妙なところだが、晩冬といえばそれらしいだろうか。
なんと言うか本当に冷えてきた。時間はそれほど経っていないはずなのに、この感覚はおかしいのではないかと思わざるを得ない。
「そうですね……まずは外に出てみようかと、少しばかり、気になることがあるのですよ」
阿求が物憂げに言ったそれは、霊夢にとって反論する理由のないものだった。
____
部屋から出て、阿求はまず手近にいた女中に声をかける。どうやら先ほど頼んだお茶を片付けさせるらしい。頼んでから暫くはその女中の緩慢な様子を眺めて、如何ともしがたいような、考えを纏めているような表情で、再び出口を目指す。
基本的に霊夢はそれについていくことになるのだ。
外に出るまで、特に会話は無かった。霊夢はもはや考えられる類が無く、阿求も自身の中に篭ってあーだこーだやっているようだ。
先ほどの『気になること』がこれなのかもしれない。
外は相変わらずの寒さだった。
空は日の光すら届かない曇天で、今にも雪か雨がのしかかってきそうだ。だがそれでも本当に雪と雨が降ってくることはないだろう。要するに、そんな中途半端な気候なのだ。
なんとも言いがたいそれを、空に手を軽くかざしつつ見ながら霊夢は大きく息を吐く、それは丁度手を温める風に白く蒔かれる。
だが、霊夢にはどうにもそれが視界をさえぎる霧に見えて、不透明なそれを思わずなぎ払う。冷たかった手が余計冷えたが、構うものか。
――霊夢がそんな事をしている間にも、阿求は周りを伺いながら歩き始めた。
あたりには数人の人がまばらにぱらつき、思いのほか閑散としていた。訳は定かではないが、時間帯を考えると大分おかしいように感じられる。
……今は日が傾き始める時刻のはずだ。出たのが朝食の後直ぐだったはずだから、大分時間が経っているはずだ。
そこに、
「やはり――」
阿求の一石が、投じられてきた。
「……何が?」
問うまでもなかったことだろうが、突然のことだ、霊夢は反射的に返してしまう。阿求とてそれは解っているだろう、一つ頷いて、辺りを見ながら霊夢に意識を向けてくる。
「生気がないのですよ、わかりますか? 死んでいないだけ……というやつです」
言われて霊夢もつられるようにあたりを見る。
数人、閑散とした人里にいるのはそれだけだが、それだけでよくわかる。その人間たち、全てに気力というものが見られないのだ。
生気がない。
的を射ている話だ。周りの人間、全てが同じ色に見える。それも、色あせた無色のグレーに染まっている……脱色か。
「生きたいとは思わないわね、こんな所で」
「その通りです。ですから何とかするのですよ。たとえ私たちがこれを直接変えなくとも、望むことはできるわけですから」
今はあまり関係ないけれど、と阿求は結ぶ。
「だから教えてください。簡単な説明だけじゃない、今日、貴方が見つけたもの、ことを、全て」
阿求は問い、霊夢は答える。
かかる時間はそれほどではない。何もが無くなったこの現実で、見つけたものは一つしかない。
全てを話して、自分の中で情報を整理したからか――はっとしたように霊夢は阿求を見る。
「だから、終わらせますよ」
「ねぇ――」
ここに来る間、どこから抱いていたのかは知らないが、阿求が抱いていた考え、そして今霊夢が感じ取った一つの勘。
情報量は同じなのだ。霊夢とて気づくことができたはず。きっかけだけを勘に頼り、それ以外を自身で補った。霊夢の場合は全て勘だ……形が違う。だが、答えは同じ。
二人の声が……重なった。
同時に――
「今の季節は何?」
「春ですよ」
ここまで、ばら撒かれてきた歯車が体をなし、かみ合った。
____
空を切り、博麗霊夢はひたすら飛び急ぐ。
阿求とは別れ、飛ぶべき場所は既にわかっている。歯車が回り、得た活力は計り知れない。はやい、早い速いハヤイ!
“いいですか? 貝、鯛、プリムラ、これらは全て俳句における春の季語を表します。”
前だけを見る。
目的地が定まっているゆえ、迷いなど何処にもない。
“桜貝、桜鯛、プリムラはそのままでしょうね……後はお分かりでしょう?”
答えは大掛かりに用意されていた。
恐らく、魔理沙たちも結託しているのだろう。目的は――あれか。
“春を表し、且つこんなことができる存在は一つしかありません。”
ただ彼女にできることは“アレ”だけだ。
故にそれの拡大解釈のために共謀者がいるだろう。……あいつの胡散臭い笑い声が、聞かなくても聞こえてくる。聞きたくなくとも思い出す。
“目的については、まぁ邪知でしょう。試すことと、殺すこと……最大の理由は楽しむことでしょうね。”
あいつらのことだ、考えるだけ無駄……だが、確実に幻想郷のためになることだろう。特に相方が、それしか考えていないのだから。
……そこまでが彼女の推測、霊夢の勘。
向かうべき場所までは効いてこなかったが、ここは霊夢の勘が発揮される。何となく解るのだ。
ここは幻想郷、想うことで存在する妖怪たちの楽園。
その楽園そのものともいえる巫女、霊夢のイメージ通りのはず。
――見えてきた。
「だから……神社」
始まりにして、純潔の場所。
「そして、――――」
ゆっくりと速度を減速し、同じように目を閉じる。
着地まで、数秒かからなかった。
風が舞う。霊夢の髪がたなびいて、幻想をかもし出す。
「幻想全てを消し殺せるのはあんただけよ、西行寺幽々子――」
目を見開いて、目の前の存在、桜色、西行寺の亡霊姫――表すそれはただ一つ、西行寺幽々子を睨みつけた。
____
飛び立った霊夢の筋道をただ眺めて、阿求は一人漏らした。
「――純潔や、巣立つツバメの幻想郷」
純潔とは桜の花言葉の一つであり、巣立つツバメは春、親元を離れ、現実をかぶることになる。しかしそれは違う、ここは幻想郷、ツバメが待つのはまた一つの幻想であり、生きていくための幻想だ。
少なくとも、阿求はそれを思った。
終わったと全てを閉じた後……不意に後ろから襲い掛かる衝撃によって意識を失い、彼女は“そこ”へ引きずり込まれた。
____
そこは桜吹雪だった。
あたり一面桃色の山、桜をもよおしたようなあれらとはちがう、本物。
ほんの数時間前までここは冬めいた、春の始まりだったはずだ。だからありえない。こんな事。
「よく来たわね――三つまで、質問は受け付けますわ」
その中で、幽々子は霊夢に向けて真ん中の三つの指を立ててみせる。
暫く、困惑してあたりを見渡していた霊夢だが、幽々子の言葉は耳に入れていたため、まずはそちらに意識を移すことにした。
「この桜は……?」
そしてもれる言葉……うかつと言える。だが仕方がないとも、また言えた。
「一つ。――少しばかり春度を集めたのよ。ここに来るまでの間、貴方は寒いと、何度も思っていたはずだわ……納得いただけたかしら?」
それは確かに、何度も感じていたことだ。今年は春が寒い……過去の異変と比べると、かなり常識的なものだったため、こういうものだと、思っていたが。
違ったのだ。
理解して、同時に疑問が浮かんでくる。
「そんなことが可能なの? ほんの数時間で、春度を集めるのは私が出て行く前からやっていたようだけど、でも、いくらなんでも速すぎる!」
「二つ、――確かに数時間程度で何とかできることではないわね、紫の力を借りても、一日はかかるかしら」
幽々子は動じずに、指を下ろしながら答えてみせる。
だったら……と、続けざまに霊夢は最後も消費する。
「何――」
「三つ、――」
霊夢の言葉、それをさえぎるように、待ってましたとばかりに、最後の指を折る。
「別に数時間ではないわ――“一日時間があったのだから、可能に決まっているでしょう?”」
霊夢の瞳が限界一杯まで見開かれる。驚愕、それ以外に思考も感情、全て振り落とした。
それを見ながら、満足げに幽々子は手を下ろし、別の手に持つ扇を口元にかざす。
「貴方はこれまで何度か深い睡魔に襲われているの。私が死を夢という形にして貴方を引き寄せたんだもの。その最も足るものが無縁塚。あなた、あそこは特にひどかった、死が近い所為か、睡魔を通り越して死の恐怖を感じてしまったんですもの」
確かに、と納得する。
眠いと確実に自覚したことは無かったはずだが、もしかしたらとは考えたし、実際に眠気を抑えるような動作をした。
……阿求も同じだろう。阿求も同じように、一日を気づかぬうちに眠りですごしたのだ。
「誰かが起こしに来ることもなかったものね、幻想を殺す反動として、残った人間の内、求聞持を覗く全ての人間が、現実に殺されたんですもの」
つまり、生気が感じられなかった彼らは、本当に死んでいるようなものだったのだ。呼吸をして、機能しているだけの人形。
人形使いのそれとなんら代わりがありようか。
「それで……」
納得した霊夢に向けて、幽々子は更に声を向ける。
「答えを聞かせてもらおうかしら」
「答え?」
「ええ、こうして動いて、貴方が出した答え……まさかないとは言わせないわ?」
霊夢は少し沈黙する。
「質問は全て出し切った――貴方のできることはこれでお終い……もし、陳腐なものだったら、殺しますわ」
抑揚も、感情さえもない言葉、霊夢が感じた怖気をそのままに、押し付けた。
阿求を見つけるまで、感じていた感情、それを全て霊夢に押し戻すような、視線。幽々子はゆったりと霊夢を見つめていた。
だが、
霊夢は変わらなかった。
「愚問ね」
いつも通りの、いつもと変わらぬ声で、
「夢あってこその幻想よ、夢無くてこその現実よ。
夢無くてこその幻想よ、夢あってこその現実よ。
夢と実像、交わるが如し全ては――すなわち、夢が無いなどありえない。
幽々子。
幻想を還しなさい。実は――夢のうちに覚めなさい」
告げた。
____
それから、何もかもが消えて見えた。夢が、実が覚めたのだ。
最初に聞こえたのは、笑い声だった。
それはもう、盛大な笑い声、幻想郷中が笑っている声だ。
そこには誰もが居た。
幻想郷のありとあらゆる幻想が、そこに集まっていた。
それは魔理沙やレミリアのような見知った人妖から、山か野良の、見知らぬ人妖まで、さまざまだ。多種多様、全てがここに集っていた。
突然この場所へ現れたということは元からここにいたのだろう。つまり今回の共謀者は紫だけでなく伊吹萃香もいたのだろう。
たしかに、魔法の森の瘴気や、紅魔館の色など、そういう抽象的なものや、数が多いものは萃香の方が適任だった。
集められた少しの人と妖怪たち、共通点は一つ、笑っていることだ。
おかしさをこらえきれないとばかりに笑っている。
たとえば、魔理沙は腹を抱えて大爆笑し、もはや笑うことだけでは耐え切れず、涙すら出していた。たとえば、咲夜はさすがというべきか、直立不動で、何とか耐えているようだが、完全にこらえ切れてはいなかった。
ほかも大体そんな感じ。霊夢が知っているいない関係なく、全てが笑っていた。
それを隠していた萃香は、霊夢から見える手前の方で地に付してピクピクと体を震わせていた、もはや完全に死に体だ。
唖然と、それを眺めていた霊夢に、一番霊夢の近くにいた魔理沙が、笑いをこらえならが――こらえきれず結局笑いながら――話しかけてきた。
「いやー、最高だったぜ、普段は見ざる言わざる霊夢様なお前が慌てふためいて、ころころと表情を変えるのはさ」
結局、それが全てなのだろう。ここにいる全員、霊夢がゆれるのを楽しんでいたのだ。
と、後ろから音が聞こえる。足が地に着く音、二人分だ。
いたのは胡散臭い妖怪と、稗田阿求。
「どうやら……神隠しにあってしまったようですね」
後ろの胡散臭い紫を眺めながら、阿求はやれやれと首を振る。
紫は既にその場から消え、幽々子の元へ移動していた。
「お疲れ、でももう少し耐えなさいな、そうやって隠さなければ、台無しになっていたわよ?」
「だってしょうがないじゃなぁい。こんな楽しいこと、笑わないなんてありえないわ、それに、最初からそうなると思って、この扇を持っていたんじゃない」
好き勝手……混沌としたそれを示すには、その言葉ほど正しいものは無かった。
「なんといいますか、これだけの妖怪が一斉に貴方を笑っていたと考えると、その出汁にされたはずの私ですら笑えてしまいますね……貴方はどうです? この宴会、学ぶことが無かったとは言わせません」
不意に、阿求が霊夢に笑いかけてくる。
結局、誰がそんをしたのかといえば、霊夢で、その損を、ひたすら笑ったのが目の前にいる。というか、今も酒盛りをしながら笑っている。
何とか平静を取り戻した霊夢は、考える。
現実とは、冷たく、とてもつまらないものだ。ならば幻想があるのならばそれでいい、自分が守る、自分が生きる、自分であるこれが幻想郷だ。変わることも、変わらないこともある。
世界は回るし、何処かに本当の、避けきれない異常があるかもしれない。それでも、今はいいだろう。こうして感じて、乗り越えられるとわかったのだから。
そのときが来たときに、乗り越えられるはずだから。
――よくも騙したなという怒りも在るし、これだけ大掛かりなことをやって結局はそれかという呆れもある。だが、この場では違うだろう。ここで浮かべるべき感情は違う。
要するに――
「笑うな、封印するわよ」
そう怒鳴りながらも、霊夢は自身の笑みを隠さなかった。
こんなに楽しいところなのだ、幻想は。
「そりゃないぜ、作者様!」
ラストまでイイ感じに引っ張ってきたじゃない、作者様なりの幻想郷への回答が用意されてると思うじゃない。
それがドッキリって貴方……、ええい、プラカードはやめろ、プラカードは!
百歩譲って霊夢の存在が幻想郷を維持する為に必要な鍵になっていて、
その答え如何によって世界に変化が起きるとかならば、まだ納得できたんですよ、
それがドッキリって貴方……、ええい、霊夢さんは笑ってないで夢想封印かましなさい、夢想封印を!
騙されるのは全然嫌じゃない。
でも個人的には肩透かしって気分だなぁ。