今日はパーティー。
私は、三日ぶりに部屋を出た。
だいたい吸血鬼なんてのは、体は地下室の棺おけに横たえたまま、霊体になって人間を襲ったりする、そういうもののはずなのだ。
閉まった窓や壁をすり抜けて、影は足元に落ちることもなく。
振り向いた自室の扉には、壁にかかったランプに照らされて、私の形をした影がくっきり落ちている。おかしな羽だけがやや薄く、ゆらりゆらり。
そんな幽霊みたいな真似、きっと出来ないことだろう。
ふと天井を見上げた。何重もの石と煉瓦を積み上げた上で、今日もきっと偉そうにふんぞり返っていることだろう。
……まさか、出来ないよね?
長い階段を上っていく。
一段ごとに空気のにおいが変わる。無地の紙に色がつくようで、この時間は、けっこう好きだ。
太陽は空のてっぺんにある。地下にいても、窓のない廊下を歩いていても、そのくらいわかる。
にくらしい太陽。
夏は終わったけれど、暑さ寒さは私たちには、あまり関係がない。明るいか暗いか、それだけだ。
……吸血鬼が昼間っからパーティーなんて、なにを考えてるんだ?
たくさんの料理をのせたトレイを、妖精の召使いが押していく。
大広間の方角からは、こしょこしょと、話し声。食器がかちかちふれ合う音。壁の向こうで動き回る、ネズミみたいだ。
そういえば、咲夜がやってきてからネズミの気配が減ったかもしれない。ネズミ、苦手なんだろうか。今じゃこの館で「ネズミ」と口にするなら、それが指すのはほぼ、魔法を使える人間の娘一択である。
その魔理沙は来ているのか。少し興味は湧いたけれど、広間に行く気にはなれない。どうせほとんど、私には馴染みのない顔ばかりなのだ。
「ああ、これはいいところに。フランドールさん」
なのに、呼び止められた。ひらりと隣に降り立ったのは、天狗の記者だ。隕石を壊したとき取材されたけど、名前は忘れた。
「レミリアさん、知りませんか」
「うん?」
「神社の宴会じゃありませんから、さすがに主抜きで始めるのもどうかと思いまして」
「いないの? じゃあ咲夜にでも頼めばいいじゃん。かんぱい、ってやるだけでしょ」
「メイド長さんはさっき、妖精が鍋ひっくり返したとかで、厨房に」
「あらら」
「そんなわけでフランドールさん、お願いします」
ぐいと腕をつかんで引っ張られた。
「へ?」
お酒と花の匂いに人いきれ。整然と並ぶ白いテーブルには白い薔薇が盛られている。話し声や気配がいきなり濃密に私を包み込む。
厚かましい天狗は私の背をどんどん押して一段高い壇に上げる。するとカードが裏返るみたいにたくさんの顔が私に向き、視線が弾丸になって全身に降り注ぐ。部屋はやけに明るくて、誰が誰なのかも判別できない。
「ちょっと、ちょっと!」
私を残して降りようとした無責任な天狗の翼をつかまえる。ゆっくり面倒くさそうに彼女は振り向いた。
「館の主代理として、一言お願いしますよ」
「むりだって! いいじゃん、勝手にはじめりゃ」
「いえ、呑み食いはまあそれで構わないんですけれど、せめて招待した意図というか、パーティーの趣旨くらい説明いただかないと、ねえ?」
「そ、そんなの私知らないよ」
趣旨も知らずにこの連中は集まったのか。私が呆れたのはあとになってからである。そのときの私は、太陽の真下に縛り付けられたみたいに、心の底まで漂白されて、何も考えられなかった。
「ああ、ええ。フランドールさんですよ。レミリアさんの妹の。知りませんでした?」
天狗が誰かに小声で説明している。へえ、と好奇な目がまた二つ加わる。
なんだっけ。パーティーがあるって伝えに来たとき、咲夜はなんて言ってた? 覚えてない。興味なかったし。なんで私がこんな目に。どうして巻き込まれなきゃいけないんだ。
壇上のサイドテーブルには、一本だけ赤い薔薇が、細口の瓶にさしてある。腹立ちまぎれにそいつをつまみあげ、天狗に投げつけて叫んだ。
「か、かんぱぁい!」
おー、とか反応がまばらに返って、グラスを持った腕がちょこちょこ上がる。
「あ、あのさ私、あいつ呼んでくるから! 待っててよみんな!」
薔薇をくわえた天狗にいってらっしゃーいと手を振られ、私は広間を飛び出した。
およそ私たちみたいなのは、不死の王だとか威張ってみたところで、勇敢な人間に墓をあばかれ日の光をあてられて、心臓を貫かれて、早晩滅びるのが関の山なのだ。
地下室にこもって過ぎた日々、私はつねに覚悟していた。怖くはなかった。ある朝目覚めれば自分が憐れな一握りの灰になっていても、ちっともおかしくない。不条理じゃない。むしろ、そうあるべきだとも思った。その結末に、どこか清々しい憧れすら感じていたくらいだ。
もし、夜が滅びるのなら、私たちは一緒に消えてなくなるべきなのだ。
だから、信じられない。人間たちのように、日の高いうちから動き回り、土を離れた居室をかまえて、棺桶じゃなくベッドで眠る、なんてこと。
……まあ、ベッドは私も、すっかり気にいってしまったのだけれど。
「あら、フランドール様」
厨房をのぞくと、すぐ気づいた咲夜が笑いかけてくれる、のだが。
「どうして、そんな格好なの?」
私がたずねると、咲夜の前にしゃがみこんだ妖精があわてて頭を下げる。二人とも、髪やらメイド服からエプロンから、怪我でもしたかのように真っ赤に染まっている。
血でないことは、すぐにわかった。
「いえ、この子のひっくり返したトマトソースを作り直してたら、なんと私もやっちゃいまして」
あっはっは、と暢気に笑う。笑いながら、前髪から垂れたソースをぺろりと舐めた。
「美味しい。勿体無かったわね」
「そんなこといいから、お風呂場いってきなよ」
「そうしますわ。――フランドール様は、御用があったのでは?」
「いいよ。ほらほら早く。火傷しなかった?」
「ありがとうございます。どうやら、平気みたいですわ」
それで、また思い出したみたいにくすくす笑いながら出ていく。妖精のトマトソース和えは、小さな肩を震わせて、今にも泣き出しそうだ。
「私がいけないの。油がはねてびっくりして、思わずメイド長に抱きついちゃって……。どうしよう、私のせいで、メイド長が」
「そんなことで怒られたりしないって。安心しなよ」
たぶん。
それに当の本人がホスト役をほったらかしているんだから、世話はない。
「ほら、お前も咲夜のとこ行ってきな? 咲夜も怒ってないからさ」
お腹に力を入れる。優しい声ってやつを出せているだろうか。はじめて私と目を合わせ、彼女は小走りに出ていった。
「他の子は、床拭いてあげて」
はぁいとかろやかな返事が返って、厨房にいた妖精メイドたちは、それぞれテキパキと動きはじめた。
さて、しかし。咲夜に聞きそびれたなあ。
「フランドールお嬢様。メインディッシュが遅れるかもしれません」
一人、度胸のありそうな子が進み出て頭を下げる。たぶん、憧れているんだろう、髪型から喋り声の抑揚まで咲夜そっくりだが、透き通った羽根が震えているのが惜しいところだ。
「ああ、うん。あいつには私が伝えとくよ」
「え? あ、はい。お願いします」
どうせ咲夜がどうにかするだろう。しかし、館に来てどのくらいになるのか、わずかの間にここまで妖精を手なずけるんだから、咲夜も大したものだ。
一応ノックをしてから、返答をまたず両開きの黒い扉を押す。いつも思うが、無駄に重い。私は平気だけれど、人間の咲夜は苦労しているんじゃないか。
まさか、蝶番に油をささないのが偉さの証明みたいに信じてるわけじゃないと思うけど。
「いないの?」
きちんとメイクされてシーツにしわ一つないベッドも、背もたれの大きい椅子も、空っぽだ。
部屋の壁と同じ色のカーテンが小さくひるがえる。この部屋にはちゃんとした窓がある。
カーテンをめくると、闇に慣れた目が痛む。秋の太陽は門扉の影を庭に長く伸ばしている。日傘をさした姿は、見当たらない。
「ああ、もう」
面倒くさい。すると図書館だろうか。
ここは館で、ほとんど一番高いところなのだ。
壁を天井を蹴って、廊下を階段を駆ける。2階と3階の間の踊り場でパチュリーと行き会う。
「妹様。外の世界の『デパート』というところでは、こういう踊り場にベンチがあって、トイレがあるところも存在するらしいわ」
「何の知識? それ重要なの?」
シャンデリアから飛び降りる私を、パチュリーはじっと見つめている。
「別に。階段上がるのが面倒になっただけよ」
「だったら、図書館にこもってればいいじゃない!」
魔女殿はうっすら笑う。どうやら会話を楽しんでいるらしいのだが、私にはその余裕がない。
「パチュリー、あのさ」
「あなたのお姉様なら、今朝会ったきりよ。たぶん、図書室にもいないと思うわ。今そっちから来たから」
パチュリーは、たまに生意気だと思う。
「そっか。なんか言ってた? パーティーのこととか」
「パーティー? 何のこと?」
どうやら、素で知らないようだ。吹き抜けを直滑降、こんなとこ見つけたら「はしたない」とか言うんだろう。自分だって天井をさかさまに飛んだりしてるくせにさ。
玄関からつづくエントランスホールを歩いていると、背後で扉が開く。
まったく、どこをほっつき歩いていたのか。声をかけてくるまで、振り向いてやらないことにする。
首の後れ毛に、温もりが近づく。
「そこ、めくれてるわ」
声は違った。
その指は長くて、細くて、若竹の節のようにくびれていて、私はそれが自在に動いて、ブラウスの襟を直していくのを、ただ呆然と見つめていた。
白い手は戻りながらじゃらりと、私の羽にぶらさがる玉石を撫でていく。
頬が熱い。いつから、裏返っていたのだろう。ろくに身だしなみも確かめず出てきてしまったから。大勢の前に立ったりして、きっと笑いものになっていたに違いない。
「ほら、きれいよね。まるで玉の枝みたい。この子の翼……」
「輝夜、彼女は……」
私はくるりと向き直る。お姫様みたいなのと、背の高い銀髪の女。二人とも、人のかたちに削り出した石像みたいな冷たい肌色だけれど、お姫様は人懐っこい笑みを浮かべている。
スカートを撫で付けて、私は胸を張った。
「当家へようこそ。歓迎するわ」
「あら。レディね」
二人は顔を見合わせて笑う。嫌な笑いではなかった。小さな声でやりとりして、お姫様の方が私に進み出る。
「お招きいただいてありがとう。あなた、ここの主人の妹よね?」
「ああ、そうなんじゃない?」
「……仲、悪いの?」
「さあ」
面食らったお姫様が一転、妙に血色のいい顔になる。悪戯を思いついた妖精そっくりだ。「どう? お姉さん倒してご主人様になっちゃえば」
「うん?」
「ユーやっちゃいなよ。今は悪魔がほほ笑む時代なのよ」
「にぱー」
はあ……と肩を落として消沈したお姫様は銀髪の連れを伴い奥へ進みかけ、廊下の手前で振り返った。
「ところで、今日は何を見せてくれるのかしら?」
しかしそんなこと聞かれても、なんのことやら。
「期待は裏切らないわ」
「ふうん? 楽しみにしてるわね」
お姫様は嬉しげに片目をつぶる。ばたんと扉が二人を飲み込み、少し遅れて現れた兎耳の従者が、あわてて追いかけていく。私は溜め込んだ息を吐き出した。
しーらない、っと。
吸血鬼は、孤独を怖れない。無音の闇を枕にして何千年でも過ごせる。
明るい世界を夢みない。森や山や川の眺めは、心を慰めない。
故郷はない。弱い人間たちの優しさとやらは、まるで理解できない。
私は閉じ込められていたらしいが、私にしてみれば私以外のすべてが私から逃げ出して内側から鍵をかけていたにすぎない。
そんな錠前、引きちぎるのは簡単だったけれど、私を遠ざけようとしたのが気に入らなかった。
臆病者の世界へ告ぐ。
よもや、こちらから歩み寄ることなんて、期待していないよね?
吸血鬼の意地は、気が長い。
幼い咲夜が館の一員にならなかったら、私はもう100年や200年、闇の底にいてもよかった。
私に引き合わせた咲夜一人分の足音が消えて、しばらくして独り言めいた声が、扉の向こうから聞こえてきた。
『ねえ、いつまでもそうやっていてもいいけれど、次にあなたが出てきたときはあの子、しわだらけのおばあちゃんかもね? いや、白く乾いた骨かもしれないなー』
どうだろう? この卑怯な物言いは。
館をもう一巡りする。いい加減ばからしくなってくる。
さっさと地下に戻ってひと眠りしようか。どうせ今頃はもう、何食わぬ顔で大広間に現れて、誰も聞かない高説でも垂れ流しているんじゃないか。
そう思いながら私は、玄関ホールに戻ってきている。庭への大扉は片方だけ開け放してある。胎内のような薄暗いこちら側、白く明るく、一片の影など許さないかのように峻烈なあちら側。
ふと、信じられないくらい弱弱しい考えがこぼれかけ、瞬間私は憤慨する。上等じゃないか。壁際の棚に用意されている日傘の一本をつかんで、外へと飛び出した。
湿っぽい黴のような心は、光に追いやられて居場所をなくしてしまえばいい。
少し冷たい風が、耳をくすぐる。
明るさに慣れた目に入るのは、乾いてちぢれた落ち葉。石畳の上に、風の置いた形のまま留まっている。踏み歩くと、ささやくようにして砕ける。
また誰かに会うと面倒だから、花壇の間の脇道へ折れる。黄色い百合が重たげな花弁を垂らしている。鉄製のアーチにからみついた蔓は枯れ、小さな紫の実だけがつやつやと光沢を放っている。
日差しはやわらかい。あんなに、屋内からは刺々しく見えたのが嘘のようだ。
花。(たぶん、薔薇だ)
空。(青ガラスみたい)
煉瓦。(赤い、赤い)
鳥。(名前もわからない。三羽並んで飛んでいく)
雲。(山ふもとから、流れてきてる)
山。(雲に乗って、帽子みたい)
不思議なのは、あらゆる色という色があまりにもあざやかに見えること。日傘の柄を握る私の手だって、まるで自分のものではないような色味を帯びている。
こんな感覚ははじめてだった。昼間に館を出たことがないわけではないけれど、たいてい一人ではなかったから、だろうか。
私のちっぽけな影は石畳の凹凸を過ぎるたび小さく震える。
なまっちろい考えがまた、そろそろと這い出してくる。今度は追い払わず、私は気づかないふりをする。
庭の東の端っこまで来ていた。立ち止まって見上げた屋敷は斜めに空を区切って、図鑑で見た、海をゆく客船の姿によく似ている。
咲夜の不思議な能力で、中身こそ大きく変わっているけれど、その外観は私の知る限り、ほとんど変化はないはずだ。
『ねえ、フランドール』
数百年にわたるここでの暮らしで、そう長い間ではなかったけれど、完全に二人ぼっちになったことがある。
ある者は去り、ある者は死に、私たちだけになった。ただの引き算の結果の夜。
いや昼だったのか? よく覚えていない。世の中がすこし騒がしくなって、『あなたはしばらく身を隠していた方がいい』なんて言われて、ちょっと喧嘩して、お互い黙った。それから、そうだ、こうやって庭を歩きながら、らしくない声で、ぽつりと。
『ねえ。私たち、二人きりになっちゃったわね』
ぞっとした。腹がたった。なんでそんなこと言うんだって、思った。二人だけってことは、一人になることだって、ありうる。
私は滅びを怖れない。永劫につづく孤独だって、黒い土に包まれた棺桶の中で、片頬をつりあげて笑い飛ばしてみせる。
それは一人じゃないからだ。哀れな夜の輩が、すぐ近くに居るって、知ってるからだ。
湖の波が遠く打ち寄せる。それをくぐって聞こえてくる、かすかなざわめき。笑い声。パーティーとやらはまだ始まらないのか。
どこへ行ったの、本当に。
傘の外へ手を差し出す。湯に浸したような感触が、ゆっくりとむず痒くなり、やがて細かな針で突いたような痛みへと変わっていく。
このまま。全身をさらして立っていたら、もしかして。
とんできてくれるかな。
「ふん」
さすがに、この情けなさには胸がむかむかした。自分の心に破壊の目が見えたなら、今の私は粉々に吹き飛ばしてしまったかもしれない。
「いい加減にしてよね。さっきから探してるんだけど?」
館の裏手に回りこむ。前庭とは違い、こちらは石造りの倉庫や菜園、きまぐれに集めたのだろう彫像や奇岩が並ぶ一種異様な空間だ。吸血鬼の館なら定番だろうと、どこで引き抜いてきたのか、十字架の並ぶ小さな墓地まである。ちなみに、誰も埋まっていないはずだ。咲夜が一番乗りならぬ「埋まり」を希望しているらしいけど、正直賛成できない。
妖精たちは怖がって、ここにはあまり近づかないらしい。
「ねえったら」
目も鼻もない、不気味な石像が道の両側から手を広げている。あいにくと私は、そんなもの怖くもなんともない。ただ苛々しているだけだ。
「応えてよ」
実は知らぬ間に一人ぼっちになっていたんじゃないか、なんて。そんなくだらないこと、どうして考えてしまうのだろう。
自分の足音が、わずらわしい。
「お姉様」
胸につかえて岩塊みたいに出てこなかった呼び名は、声にするとたやすく風にほぐれてしまう。頼りなくって、余計不安になる。
「お姉様お姉様お姉様お姉様。おーねーえーさーまー」
絞り出すようにしていた声が、だんだん大きくなってしまう。はっと口を押さえたときには、もう遅い。
「はぁい」
そんなときばかり、ちゃっかり返事を寄越すんだから、さすが悪魔の端くれだ。
++++
「……なにしてんの?」
私の疑問は、無理からぬことである。
「何よ何かしら呼んだかしらどうかしたのフランドール。ちゃんと回数分答えられてる?」
「だから、なにしてんの?」
吸血鬼は貴族である。まあ、そういうイメージらしいのだけれど、このときわが不肖の姉、レミリア・スカーレットは絢爛たる舞踏会のセンターで踊り終えた淑女のように、華麗なホールド姿勢を決めていた。
ただしパートナーを抱え込んだ姿勢はどちらかというと男性側だし、そもそも腕の中の相手は生き物ですらなかったのだが。
「おおきなかぶ、という話は知っているかしら」
「うん?」
「おじいさんに力があり過ぎると、こうなるのよ」
なんだっけ。人間が数珠繋ぎになって畑の野菜を引き抜く話。うんとこどっこいしょ。
「で、そのかぶはどこにあるのよ」
「あそこ」
あごを振って示すのは紅魔館のてっぺんだ。時計室の尖塔に突き刺さっているのは、バスタブほどもあろうかという。
「カボチャじゃない」
「そうよ」吸血鬼が額に汗をにじませているのは、貴重な眺めである。「かぶみたいに土に半分埋まっていたのよ。これは重いだろうって、思うじゃない!? で、力任せに引っ張ったら」
「石像の男との恋によろめくってわけか。人間の民話は斬新だね」
私の背とちょうど同じくらいの台形の台座があり、その上にお姉様は立っている。片膝を曲げて突き出して、そこに文字どおり全身をあずけたパートナーを抱きしめて、空いたもう一方の手で天高く日傘を突き出している。
あ、膝、震えてる。
「フ、フランドール、見てないで助けて。お姉さんいい加減限界なの」
「手を離せばいいじゃん」
この像、なんていうんだっけ。近寄って台座の文字を読んだが掠れている。前かがみで、薪を背負って、本を読んでいる男。足首のところでぽきりと折れて、お姉様の膝に乗っている腰のあたりもヒビが入っている。
なるほど。吸血鬼の全身全霊ですっぽ抜けたから、かぼちゃは館の屋根まで飛んで、自分も反動で石像の胸に飛び込んじゃったということらしい。
あいにくと、本に夢中の男にはお姉様の愛は重すぎたというわけだ。
「この像、パチェのお気に入りなのよ。本の守護精霊の姿を模したものに違いないって。落として砕けたら修理できなくなっちゃうかもしれないじゃない」
「ふーん」
「あ」
それでどれだけ、この態勢でいたのだろう。たぶん私が館中探し回っている間、ずっと。
ゆらり持ち上げた私の手を見て、お姉様は顔色を変えたが、もう遅い。
握りしめる。
石造りの土台が粉々になる。とたんに、馴染みのある感覚がした。時間に切れ目の入る、あの感じ。
「さすがに、荷が重いですわ」
お姉様は石像の下半身、上半身を必死にぶら下げて降りてくるのは咲夜だ。駆け寄って、下から持ち上げてやる。
「ありがとうございます、フランドール様」
ほほ笑む咲夜を見上げていると、人間は成長が早いなあって思う。ごろり像を横たえて、お姉様は日傘を咲夜に持たせ帽子をとり、髪をかきあげる。
「結局パチェには怒られそうだな。しかし、さしあたり……」
カボチャはちょうど真ん中を突き通され、下から見るとまるで館の屋根が小さな傘をさしたようだ。
「どうしようかな。せっかくの見世物だったのに、あのざまだ」
「下ろしてくればいいんじゃないですか?」
「たぶん中身がスカスカなのよ。ネズミか何かに食われたのかしらね。大きくしたのは美鈴の功績だけど、肝心なところで抜けてるわねえ」
「ちょっと待ってよ。今日のパーティーって、ただ大きなカボチャが生ったからって」
どこか呑気なやりとりに割って入る。『期待は裏切らないわ』なんて言っちゃったのに。
「それだけ!? それだけで人を呼んだの?」
「そうよ?」
心底不思議そうな顔をするな。
「ああもう。お客さんに格好つけた私がバカみたいじゃん……」
「ん? フランあなた、客の出迎えなんてしたの?」
返事はしてやらず、菜園からはみ出た、こちらは普通サイズのカボチャをむしって咲夜に渡す。パイでも作りますか、と咲夜は胸に抱える。
「フランドール様は、厨房に指示も出してくれましたものね」
当然、咲夜のメイド服にトマトの染みなんてない。
「別に、私は何も」
あからさまににやにやしているもう一人の視線がうっとおしくて、思わず顔を伏せる。
「いえ。あの後、メイドたちがよく働いてくれましたわ。それに聞けば、広間で乾杯の音頭もとってくださったんでしょ? おかげで皆お酒が入って賑やかにやってますわよ」
「何も……」
大広間の端にピアノがあったかもしれない。試すように和音が鳴っている。途切れて起こる小さな拍手、笑い声。それが静まるとそれなりに達者な演奏が始まる。
「勝手な連中だなあ。まあいいか」
先に立って歩き出すお姉様は背中を丸めて羽をすくめる。どうして、あんなに楽しそうなんだろう。
いつだって、そうなんだ。
「そうだよ」せいぜい、その背に投げつけてやる。「お姉様の代わりなんて、ぜっんぜん大変じゃなかったよ。いつも何してるのさ」
「そうねえ」
横顔で柔らかく目を細めている。「私が滅んでいなくなっても、紅魔館は安泰ね」
足が止まった。不意打ちだった。つま先からどんどん凍りついていくのに、胸の真ん中だけ燃えるように熱くなる。こみあげる。必死に耐えた。お姉様も立ち止まる。駄目、振り返らないで。
「どうして、そんなこと言うのさ!」
だから振り向く前にしがみついた。「ぐぇ」とか聞こえたけど手加減してやらない。力いっぱい、腰に腕を回して額を擦り付ける。
「フランドール? どうしたの」
緋色のドレスからは慎ましい熱が伝わってくる。私のも、ちゃんと伝わっているんだろうか。
「ねえ苦しいんだけど。おーい。ちょっとフランちゃん? 妹ちゃん? ごめん、悪かった。……悪かったからさ。謝るからさ」
ぽんぽんと背中を叩かれる。首を振っていやいやすると、涙がぽとりと地面に落ちた。煉瓦道にうっすら積もった砂が丸く色を変える。咲夜の綺麗な膝が屈んで、私の放り出した日傘を拾い上げるのが見える。
「……困ったな」
深く長いため息。いい気味だ。もっと困ればいい。
ピアノの音が外れる。誰が弾いているのだろう。
私たちと日傘の影を包む地面は黄金色に輝いている。涙の落ちた染みに小さな蟻が近寄り、頭を軽く振ってから日なたへ出ていった。
<了>
相変わらず登場するキャラみんなが素敵で楽しませていただきました。
二宮尊徳先生、見かけないと思ったら紅魔館にいらっしゃったのか。
やはりフラレミ話は胸にきますわー
フランちゃんのかわいらしい強がり萌え
この姉妹はなごむわぁ
お嬢様はちょっと間の抜けた役どころなのになんだかかっこよかったです
この読後感。幸せです。
二宮尊徳の像が少しずつ減っていると聞いたが、そうか幻想入りしてたのか……。
フランとパチュリーの掛け合いが好きだった
レミリアと咲夜も良い
ただ、幼い咲夜と会ったことがなぜフランの変化のきっかけになったかがわからない、消化不良。
フランの狂気を再現できず、ありがちなほんとはいい子フランだけで終わってしまったのも含め低めの点数で
ああ、和む。
二宮像のあたりで描写が分かりづらく、一体何がどうなってんの!? となりました。
完全無欠なシスコンフランちゃん。おまけに内弁慶、さらにはツンデレ。
彼女の魅力は108式まであるのだ。
フランちゃんもカリスマお姉さまに対して素直でないところが可愛いです
100点をくれてやる!
穏やかな気持ちになります。
書き手としての自分の顔、みたいなものが鏡に映るようで、得難いことだと思っています。
フランさんに「お姉様」と言わせるだけのプロットが、ふくらんでしまいましたねー。
でも文化帖の「あいつ」呼ばわりも、姉妹らしいやりとりで、大好物なんですけどね。
カリスマブレイクではなくて、ちょっと抜けた感じのお嬢様が良かった。
もちろんなんだかんだ言ってお姉様がいないと生きていけないフランも可愛い。
反する二つの雰囲気が同居する作中の空気が堪りません。
二人に幸あれ。
姉妹の絆に乾杯
レミリアがどういう状態なのかが異常にわかりにくかった点が惜しい