人間の里で、権三さんのお茶と言えば知らないものは殆ど居ない。
紅魔館のメイドも気が向いたときに買っていく、なんて噂まである。褒められているのかいまいち釈然としないが、兎も角それ位評判になっている茶葉なのだ。
そんな権三さんのお家の茶葉の発酵が最近完了し、今年も人里でお茶会が開かれる段取りとなった。
夕刻の永遠亭。
庭先で兎たちと戯れていた私に、渡り廊下に顔を出したお師匠様はそんなことを話して聞かせた。
「はあ。それに姫様を連れて行けと」
「そう。私はその日ちょっと別件で忙しいから、優曇華と一緒に連れていってあげてほしいのよ」
お師匠様が私に仕事を押し付けるのはなかなか珍しい。
鈴仙と一緒ということだから、私が頑張る必要はなさそうではあるが。
「私もその日はちょっと都合がなぁ」
「そう、じゃあ頑張ってね」
反射的にしてみた婉曲的拒絶も華麗にスルーされる。
幸運の素兎たるこの私の言う事を信用しないとは何たる愚。月の頭脳も堕ちたものだねぇ。
ちくしょうおぼえてろ。
「でも、姫様は特に行きたいなんて言ってませんでしたよ?」
「ええ。多分優曇華が改めて誘っても駄々をこねて行きたがらないでしょう」
「じゃあなんでまた」
お師匠様は縁側に腰をおろして、少し困ったような笑みを浮かべる。
「姫のことだから、ね。少し前から、姫は自分から見聞を広めようとしていたでしょう? ただ、言葉は立派でもなかなか行動に移せない。
こういう機会に外へ出てみるのは良い経験になると思ったのだけれど、あの子は面倒を嫌うから。遇には背中を押してあげても良いんじゃないかしらってね」
別に急ぐことでもないのは分かっているんだけど、と小さく付け加える。
お師匠様も随分地上人らしい感性を持つようになったなぁなんて感心しながら聞いていると、鈴仙用に設置しておいた奈落の落とし穴に別の兎が引っかかっているのが見えた。
誠に遺憾である。
「というわけで、姫については上手く言いくるめてちょうだいね」
「あいさー」
反抗が無駄なことは先程証明されたので、素直に承諾しておく。
面倒な仕事に楽しい悪戯を見出すことこそプロの所業である。
キリリ。
「いーやー、明日は予定あるのー」
自室で盆栽をゴロゴロと眺めていた姫様にお茶会の話をふって、返ってきた答えがこれだ。
姫様に限って予定なんてそんな。こやつめハハハ。
「茶会は明日じゃなくて明後日ですよ」
「……う。いやいや、明後日も多分予定が長引いてるわ」
やたらと苦しい。
「ちなみに、何の予定ですか?」
「日記よ。日記をつけるの」
「……予定、ですか」
そういえば、少し前に姫様が思いつきで日記を書いて製本まで至りそうになったということがあった。
結局製本自体はてんやわんやの騒ぎのうちに有耶無耶になってしまったが、日記に関しては続けていたらしい。
訂正。続けようとしているらしい。
「日記は一日かけて書くようなものでもありませんよ?」
「日記をなめているわね、因幡。そういう小さなことの積み重ねが時間を奪って……」
説得力の無さは今更だが、なんとなく言いたいことは伝わってきた。
「……何日分たまってるんですか?」
「うぐ」
図星だった。そんな事だろうとは思ったが、改めて事実だと知るとなんとなく哀れである。
「ひ、ひっふー」
わなわなと震えながら指折りを始める姫様。その右手が折り返しを始めた辺りで数秒動きが止まる。
そして状況によっては威厳に満ち溢れていたであろう、柔らかく、しかし重い動きで顔を上げた。
「三日分くらい」
サバの読み方が宇宙人クラスだった。
いやーさすがだなー。
「でも姫様。日記を書くのは良いですけど、書くことがないんじゃ話が始まりませんし。お茶会の一つ位なら行ってネタ作りした方が良いんじゃないですか?」
「……むー。一理あるわね」
もっともらしい理屈をあげたら早くも揺れ始めた。やっぱり姫様はこうでないとね。
「それにほら。ずっと机に向かってたら疲れちゃって効率も悪いですって」
「むむむ」
「行った方が捗ります。私が保証するウサ」
おっといけない、つい癖が。嘘を吐くときには、今でもたまに妙な語尾がついてしまうのである。
今はまだ気付かれていないようだが、こんなことで嘘が発覚してしまったら商売上がったりである。気をつけないとね。
まあ嘘だけどさ。
「……むむむむむ」
まあ何はともあれ、姫様が陥落するまでさほど時間はかかりませんでしたとさ。
そして、お茶会当日。
「というわけだから、姫様の側に付いて監視と警備をお願いね。私は物陰から見守ってるから」
「え、何どういうわけ? てゐも手伝ってよ。師匠に頼まれたんでしょう?」
人里に向かう道中で、私は予め頭の中に用意しておいた口上を持ち出す。
鈴仙の反応もまた分かりやすい。
ちなみに姫様は私たちの後ろを牛車で付いて来てはいたが、早くもうたた寝をしていた。
「ほら、私人見知りだから」
「嘘つけ」
「まあ嘘だけどさ。でも、私の能力を思い出して見なよ?」
「えっと、確か人を幸運にする程度の…それが?」
鈴仙は首をひねる。
「そんな私が人の大勢いるところに堂々と現れたら、稀少価値が下がっちゃうでしょう」
「あ…!」
ハッとしたように顔を上げて目を見開く鈴仙。足元がお留守だったので、私は徐に足払いを決める。
臍の辺りを軸にして鈴仙は為す術なく半回転。その長い耳が地面の土を数cm抉り取っていった。
硬いなその耳。
だが、流石に反射神経は(主に私のせいで)鍛えられているのか。
そのまま頭から大地に突っ込むということはなく、適度に回転したところで手をつきバネのように飛び跳ねて、鈴仙はスムーズな着地を決めた。
うーん、6点。スカートに手をやるのはイマイチ。
「そっか、確かにそうかもね。無茶言って悪かったわ、てゐ」
まあ、実際はそんな柔な能力ではないのだが。
とりあえずの大義名分は出来た。
ここで世のライアー達にアドバイス。
人を騙すときに重要なのは、「如何に疑惑を持たれないか」ではない。
「疑惑を如何にうまく消すか」という技術なのである。
一度位疑われた方が、信じたときの盲目さはより強烈なものとなるのである。
え、何? 信じちゃったの?
まあいいんじゃないかな。信じるものは救われるっていうし?
ウン、ホントホント。
人里に到着し、足がしびれて今動きたくないと主張する姫様を無理矢理牛車から降ろす。
姫様をおぶってのそのそと会場まで歩いていく鈴仙を見送って、私は晴れて自由の身となった。
まあ、何も本気で物陰に居続けるつもりはない。かくれんぼに飽きたら辺りを好き勝手に彷徨いていようか。
茶会の中心から少し離れた木の上に登り、枝の間から顔を出して様子を覗く。
大勢の人が屋外で集まって賑わうその様は、お茶会というよりは少し時期のずれた収穫祭のような雰囲気だった。
現に権三さん以外にも、便乗して自分の家の作物や品物を仮設の出店で売り出しているものも数多く居る。
こういう所は人間も妖怪も変わらない。騒ぎの口実があれば、騒ぎの形式や内容など二の次でしかないのだ。
さて、二人の様子は…っと。いけない。見失ってしまった。
だがそんなことで慌てる私ではない。今こそあの秘密兵器を使うときである。
ポケットから取り出したのは旧型(らしい)でボロっちい小型の「とらんしーばー」。以前香霖堂で面白そうだったから少々拝借してきたものである。
香霖堂には「2つセットでないとあまり意味がないと思うよ」と言われたので、ただのガラクタかと思ったがそうでもなかった。
よく考えたら、鈴仙は妖怪トランシーバーなのだ。しょっちゅう月から電波を送受信しているし、鈴仙自身たまに言動が電波になる。
まさかと思って使ってみたら当然のように交信できた。
音質はいまいちだが、なかなか便利なので重宝させて貰っている。
もし香霖堂がいつか返せと言ってきたら、代わりに鈴仙を差し出そう。多分あっちの方が電波状態も良いし高性能だ。
科学の力ってすげー。
さて、そんな電波妖怪鈴仙は何処だろう。
私は無線機の電源を入れた。
「おーい、聞こえるかい」
話しかけながら辺りを見渡す。あのへにょりとした耳を見つける前に、返事が返ってきた。
『……スネーク』
「なんだ、少佐」
『誰が少佐よ。いるのよ、スネークが』
「んー?」
会話をしながらキョロキョロして、ようやく鈴仙の姿を捉える。そしてその視線の先にには、大きな注連縄を背負い、里の者達と談笑する八坂神奈子の姿。
人里に降りてきていたのか。あの神社の連中はなんだかんだでこういう行事にはマメである。
「ああ、ほんとだ」
『あの人が居るってことは……もう片方も居そうなもんよね?』
成程、そういうことか。
確かに鈴仙は以前、蛙の神様の方にボコられた実績がある。
あの神様も見た目通り人懐っこいし、鈴仙は再会すれば物理的に痛いちょっかいをかけられるのではないかと危惧しているのだろう。
その心配はあまり的外れでもなさそうだ。
というか、現にいる。鈴仙、うしろうしろー。四足ついて跳躍の準備に入ってる神様が居ますよー。
まあ、伝えなかったが。どちらにしろ私には救うことが出来ないのだ。南無。
鈴仙の苦労話は後で聞き流すことにして、私は無線機の電源を切った。
おっとそうだ。姫様を探さないと。
守矢の連中を見つけて鈴仙が硬直していた間に、姫様は勝手に何処かへ行ってしまったようだ。
流石鈴仙の監視スキルはCランクマイナスといったところか。
とりあえず、そう遠くへは行っていないだろうという推測の元に鈴仙の周囲を探す。
と、出店が少なく、ちょっと奥まったスペースで長椅子に腰掛けている姫様を見つけた。
隣には、人里の中ではお偉いさんに分類される稗田阿求の姿もある。
姫様が身振り手振りを交えながら話すのを、阿求は興味深そうに聞いている。
なんとなくその組み合わせに興味をひかれたので、私は近くに行ってみることにした。
足場にしていた太い枝から軽やかに飛び降りる。
……すると。縦に高速で流れる景色の中で、遠くに何か銀色のものが光ったような気がした。
慌てて、着地したその場から背伸びして光が見えた遠くの木々の隙間を覗き込む。
銀色の他にも赤と青の目に優しくない二原色が、遠く緑の中で浮いていた。
「なにやってんのあの人……」
用事は嘘だったのかとか、親馬鹿極まってるなとか。
突っ込みたいことは幾らでもあるのだけど。その中でもまず一番最初に思ったのは―――
その服装、隠れる気あるのか。
……まあ、私も今まで気付いていなかった位だし、何か理由でもあるのかもしれないが。
あの天才の行動理論なんざ考えるだけ無駄だ。気にしない方向で行こう。
しかし、お師匠様は出会った当初に比べたら本当に俗にまみれたなと改めて思う。
それは何も、落ちぶれたと言っているわけではない。
その変化は決して悪いことではないのだ。
私はただ、あれだけ長く生きている人がなおも時を経て変わっていくという事実が興味深いと思っただけである。
私が何食わぬ顔で歩いてきて姫様の隣に座ると、阿求の方が真っ先に反応してきた。
「あ、因幡てゐさんですか? やった、今晩はぐっすり眠れそうです」
遠まわしに馬鹿にされているような気がするが、私が会っただけで振りまける幸せなんて実際そんな程度である。
その意味では、こいつの感想はなかなかいいところをついている。
「つきましては貴方の足を少々」
いきなりスプラッタな話題をふってくるんじゃない。
「ああ、いいよ。どうせまた生えてくるし」
「あら、本当ですか? ありがとうございます」
ちょっとしたブラックジョークにも全く動じない。
嘘だと分かった上で平然と会話を淀みなく投げつけてくるからこいつは苦手である。
大した年数も生きてない癖に、性格が屈折しすぎだと思う。
「貴方も大変ねぇ」
なんて、姫様が慰めともなんともいえない言葉を私にかけてくる。
なんとも複雑であるが、私はこんな気分を味わうためにここに座ったわけではない。
私のことはいいからお話の続きをどうぞ、と目だけで姫様に伝えようとする。
一応通じたらしく、姫様は軽く頷いて阿求の方へ再び向き直った。
「さて、何の話だったかしら」
「輝夜さんが最近日記をつけているという話でした」
よりにもよってそれか。
「そうそう。今は持ってきてないけど、機会があれば貴方にも見せてあげるわ。恥ずかしいから、ちょっと昔のになるかもしれないけど」
恥云々というより、最近のがないからだよね。
今の補足は墓穴だったんじゃないかと思いつつ、悟られてはいまいかと阿求の方に目を向けると丁度向こうと視線がぶつかった。
口元に微笑をたたえながら、物言いたげな目線でこっちを見ている。うわ、絶対気付いてる。こいつ絶対気付いてるよ嫌だなぁ。
それから姫様と阿求はしばらく、『時間』についての価値観を語り合っていた。
私はあまり細かいことは知らないけれど、阿求の方も面倒な輪廻を辿ってきた人間らしい。
独特な視点で、堂々と意見を述べていく阿求の様子はとても年頃の少女のものとは思えなかった。
姫様はそれを楽しげに聞いていたし、私の方もあまり退屈せずに時間を過ごしていた。
相変わらず、この地は妙ちきりんな連中ばかりで飽きることがない。
しかし、姫様も姫様だ。別に隠すことではないけれど、日記の事など言いふらすものでもなかったと思うのだが。
案外、言いふらすことで自分を追い詰めているのかもしれない。日記を書かなければいけないという状況に。
もしそうだとすると随分と殊勝な心がけだ。というより、案外日記のことに関しては本気であるということか。
……まあ、追い詰めたところで姫様が日記を続けられるかは分からないけどね。
でも、きっとこのことは無駄にはならないだろう。
口先だけで行動に移せない者を若い人間は良く馬鹿にするけれど、それは経験が浅く心が未熟であるが故の誤りだ。
無論、行動に移すに越したことはない。だが、人にしろ妖にしろ、楽な方へ楽な方へ流れていってしまうのが世の常である。
面倒なことや努力が必要なものは、言葉自体は本気だったとしても、実際には思い通りにいかないことの方が多いのだ。
なら、その「本気」は嘘になるのか。無駄に終わってしまうのか。
そうではないのだ。
真摯な想いを持ち続けること。たとえ行動へ転移しなかったとしても、それはそれ単独で大きな力を持つ。
日々の意識が変わる。自身を省みる。未来に建設的な希望を抱く。
その積み重ねは、何十年も何百年も、或いは何千年と待って初めて、目に見える形で報いが見えてくる。
思い通りにはならなかったけれど、一歩ずつでも歩を進めていった。
いつの間にか辿りついていた頂は、目指していたものとは違うものになった。
それでも、手に入るのはとても大事なモノだ。
姫様は「それ」を知っている。
だから多分、今日日記を書けなかったからと言って姫様はさして焦らないだろう。
姫様はゆっくりと、永遠の時の中に有りながら変わっていく。
勿論、私だって「それ」を知っている。
だからこそ今の私がある。
……これでも、昔は嘘をつかないように努力したことだってある。
人を困らせる嘘ばかりで、周りから疎まれた時代。
無用な嘘は人を傷つけると、諭されていた。
でも、嘘吐きは変えられない性分だった。嘘は、私の本当の言葉だったのだ。
だから、いつも願っていた。
私に騙された人が、ほんの少しでも幸せになれますように。
私が今の力を手に入れたのは、あれからずっと後のことだ。
……まあ、信じるかどうかは任せるけど、ね。
信じたほうが幸せかもしれないし、疑ったほうが賢くなれるかもしれない。
どっちだって私は構わないよ。
損する人は誰も居ないんだ。
茶会も少しずつ散会の流れになって、私たちも引き返すことにした。
外に出て久々に有意義な会話をしたと、姫様は満足そうだ。
鈴仙は姫様の側に居られなかったことを謝りながら、なにやらげっそりとしている。半分くらいは自業自得だ。
「ね、鈴仙」
私は鈴仙に優しく呼びかけた。
「何?」
「さっき、陰からお師匠様が見てたよ。ちゃんと監視してなかったから後でお仕置きされるかもね」
「なっ」
鈴仙が驚いて一歩後ずさるが、気を取り直してふっと息を吐くと私の頭をはたいた。
「って、そんなわけないじゃない。師匠は用事があるって私にもちゃんと言ってたんだから、今日は居るはずないわ」
「あはは。さすがに覚えてたか」
嘘吐きの性分はちっとも改善されなかったけど。
私は今の自分の在り方に十二分に満足している。
「まあ、信じるかどうかは任せるけど、ね?」
だってほら。私の言葉は、こんなにも重い。
とっても面白かったです!
落ち着いた雰囲気だから170万年の方の設定かと
面白かったです
掴み所が無いようでいて、どこか暖かなものが感じられる、素敵な文章でした。大好物です。