きっかけは、些細なことだった。
紅い館の大図書館で、アリスは本を探していた。
強くて頑丈な糸を作る。それの手助けになるような、そんな本を探していた。
図書館は結構広く、長いこと整理されていない箇所がたくさんある。
図書館の主も全て読みつくした訳ではないし、興味のない分野は特に整理されていなかった。
だから、探すのに毎回苦労している。
アリスの興味のある分野と、パチュリーの範囲内の分野は、重なっていることもあればないことも沢山ある。
そうなると、自力で探さなくてはいけない事が多く、結構苦労するのだ。
「西洋人形大全集第4巻……」
本を開こうとして、アリスは手を止めた。興味はあるけれど、それが目的ではないからだ。
目的外の本をつい読み耽ってしまう、こういうことも常だった。
アリスは手にした本を元に戻した。
「どこにあるんだろう」
上を見れば本ばかり、天井がずっと遠くに見える。
ここは地下室だから当たり前かもしれない。けれど、こんなにたくさんの本を見たのはこの場所が初めてだ。
初めてここへ来たのは天気の異変があったときで、あの時は随分とこの部屋の主に怒られた。
それ以来よくここに来ているけれど、無表情に本ばかりを読んでいる彼女とは、あまり言葉を交わさない。
確かに無礼と言えば無礼な話だった。
パチュリーの所有物ともいえる物を勝手に借りているのだから。
それを平気でやってのける隣の家の白黒魔法使いは、やっぱり野良魔法使いだと思う。
だから、お礼代わりにちょっとしたお菓子などを焼いてきたりしていた。
(ま、それでチャラ、ってわけにはいかないんだろうけど)
そして出来るだけ、本を借りるときは一言言うようにしている。
大抵つまらなそうに、あ、そう、とだけ言って本を読み始めるのだけれど。
幸いにして、アリスが借りていった本をパチュリーが止めたことはない。
分野が相当違うのか、既に読んだ本だったのか、とりあえず止められたことは一度もなかった。
「んー、ここにもないなぁ」
図書館は、広い。
とんでもなく広い。
ホコリを被って、誰も読んでいないであろう本も沢山ある。
いつも場所がわからないときは、秘書である小悪魔に聞くようにしているが、彼女の姿は今日まだ見ていなかった。
出来るだけ迷惑はかけたくない。しかし、ヒントもなしに探し当てる自信はない。
もしも彼女に会ったら相談してみよう。そんなことを考えていたときだった。
「何探しているのよ」
「うわっ」
後ろから話しかけてきた声に、思わず変な声をあげてしまった。
図書館の無愛想な魔女、パチュリー・ノーレッジ。
思わぬ人物の登場に、アリスはちょっとうろたえてしまう。
「えっと、その」
「また来たの?」
「う、うん、まぁ」
アリスはパチュリーがちょっぴり苦手だった。
最初ここへ来たときはとんでもない扱いを受けたし、それ以来ここへ来ても、彼女に中々話しかけられない。
いつも本ばかり読んでいるし、話しかけるなオーラを放っている。
白黒魔法使いみたいに無神経な神経していたら、空気読まずに話しかけることも可能だろう。しかしアリスにそれは出来なかった。
なるべく笑顔を心がけているが、向こうは興味がなさそうに本ばかりを見ている。
嫌われているのかもしれない、と時々思ったりすることもある。
だから、こうして彼女から声を掛けられることは、かなり珍しいことだった。
「ちょっと調べたいことがあって」
「ふうん」
「あ、おととい借りた本、机に置いておいたわ、ありがとう」
「別に、礼を言われることでもないけど」
「あはは……」
パチュリーは無表情だ。
顔だけじゃない、声まで無表情なのだ。
それが彼女の性格なのか、それともわざとなのか。
できれば後者は避けて欲しかった。人にはあまり嫌われたくない。原因があるならともかく、そんなに話したこともないのだから。
「あ、あの、それで」
もしかしたら、このタイミングでもっと話せば、もうちょっと話せるようになるんじゃないか。
そう思ったアリスは、本の在り処をパチュリーに聞こうとした。
「パチュリー様、アリスさん、お茶にしましょー!」
入り口のほうから元気な声がした。
ナイスなタイミングだった。
「小悪魔」
「へへへ、アリスさんのクッキー付きですよー」
「アリスが?」
「はい」
小悪魔の言葉を聞いて、パチュリーはアリスに目を向ける。
ここで何か言えばもうちょっと話せるようになるかもしれない。
アリスは顔を紅くして、「えと、まあいつものお礼に」と言ってみた。
「ふうん」
「……」
いつものように、無表情にアリスを見るパチュリー。
笑顔のままのアリス。
ふっと逸らして小悪魔の元に向かうパチュリーに、アリスは固まったままでいた。
(やっぱり、嫌われているのかなぁ)
そうかもしれない。いや絶対そうだ。
あれが地なのだろうか、それにしたって無表情すぎる。
あるいは、自分に全く興味がないか。そのほうが正しいかもしれない。
どちらにしろ、あんまり気分がいいものではなかった。
ちょっと気落ちしながら、もう一度パチュリーの方を見る。
彼女は丁度、小悪魔とお茶の準備をしていたところだった。
「あら、おいしそうね」
(あ……)
アリスは初めて見た。
無表情で無愛想な魔女が、笑っているところを。
甘いものが好きなのだろうか。嬉しそうに小悪魔に話しかけている。
いつもの彼女とは違う姿に、何故だか目が逸らせない。
「……何見ているのよ」
「い、いや別に」
しかし、次の瞬間にはいつものパチュリーに戻っていた。
少し怒っているような声色に、慌ててアリスは顔を逸らした。
「まあいいけれど」
無愛想なパチュリーの言葉に、やっぱり嫌われているのかなぁとアリスは思った。
けれど、それよりもさっき見た表情が、頭の中に焼きついて離れない。
(あんな顔するんだ)
「アリスさーん、お茶にしますよ」
「い、今行くわ」
少しだけ上ずった声を、彼女に聞かれただろうか。
いつもと変わらない無表情な彼女からは、わからなかった。
その日のお茶会はすんなり終わった。パチュリーと違い小悪魔は、結構喋るし冗談も上手い。
ほぼ小悪魔と喋っていただけのような気もするが、いつもより何故か緊張していたアリスにとっては、正直助かることだった。
何度かこんなやり取りをするうちに、アリスはちょっぴりわかったことがある。
パチュリーは結構、甘いものが好きだ。
そして、自分が作ってきたものを喜んでくれている。
決して顔には出さないが、少しずつ会話も増えていったのがわかった。
それはちゃんと自分の事を、受け入れてくれているということであり。
友人、とまではいかないが、ちょっとした顔見知りぐらいにはなれたのではないだろうか、とアリスは感じていた。
「パチュリー、何読んでいるの?」
「貴女、自分の研究を人に話すと思っているの?」
「うっ」
と、まあこんな風にして、本を読んでいるときに声を掛けるなんてことをすると睨まれてしまうのだが。
「まぁいいわ、お茶にしましょう」
と、お茶の時間になると少しだけ機嫌が良くなるような気がした。
「……」
「何よ」
「パチュリーって、結構お菓子好きだよね」
「うるさい」
しかし、こんな風に余計な一言を言ってしまうと、やっぱり一瞥されてしまうのだが。
思った以上に、この魔女は子供のようなところがある。
甘いものが好きだったり、気に入らないとすぐに拗ねる。
それなのにプライドだけは高い。いつも無表情でいるのはそのせいもあるのだと気が付いた。
そんなパチュリーが、アリスにはなんだかおかしかった。
「なに笑っているのよ」
「いや別に、気のせいよ」
「……ふうん」
時々どうしても、ふっ、と笑ってしまうことがある。
決して馬鹿にしているわけではないが、パチュリーの性格上、笑っているのがばれたら関係がまずくなるような気がしたので、なんとか誤魔化していた。
二人は少しずつ話すようになった。
魔法の事、弾幕の事。
お菓子に合うお茶の話、貸して返さない迷惑な魔法使いの愚痴だとか、最近文屋がやってきて本を置いていったとか、神社に行ったきり戻ってこない吸血鬼の親友の話とか。
「レミィのノロケを聞くのが辛い」
「聞いてあげればいいじゃない」
「読書の邪魔」
「あはは……」
「咲夜も泣きついてくるし」
「そうなんだ」
「読書の邪魔」
「……さっきからそればっかりね」
「うるさいわよ」
もうちょっとだけ、パチュリーについてわかったことがある。
広大な魔法図書館の中には、魔法に関する本だけではなく、割と普通な本も混じっている。
普通な本、というのは小説とかの類の本だ。
「本当、たくさんあるのね。……高等製金術第6巻、すごいわ、こんなに纏まっているなんて」
「ちょ、そ、そっちは」
「ん?なにこれ、「蜂蜜味の放課後」……小説みたいだけどこれもパチュリーの」
「アリス!」
しかも、それを見つけることをパチュリーはとても嫌がる。
きっと彼女の趣味の本なのだろう。
小悪魔あたりが悪戯をしているのだろうか。とにかくそれはところどころに隠れており、見つけると途端に嫌な顔をされた。
「パチュリーも、こういうの読むんだ」
「べ、べつに私の本じゃないわよ!こ、小悪魔の趣味!」
ここでいつものようにしれっとしていればアリスだって気に留めないのだ。
無表情に隠れているせいで気が付かなかったが、演技というものが出来ないらしい。
「官能小説と、一般書の区別は付けたほうがいいんじゃない?」
「うるさい、ま、まだ整理していないのよっ。それにそこは立ち入り禁止よ」
「あら、見えなかったわ」
「全くこれだからネズミは……」
これもまた新たな一面であった。パチュリーは小説の類の本を嫌いだと思っていたからだ。
知識を高める為にならない本を、読んでいるということが結構意外だった。
けれど、こんな恋愛小説を隠れて読んでいるあたり、パチュリーも乙女みたいだった。
「あ、ここにも。「先生は僕に恋をする」」
「アリス!」
まぁ、趣向はちょっぴりアリスとは異なっていたが。
「ちょ、な、殴らないでよ!」
「立ち入り禁止って言ったでしょ!」
「わ、わかったわよ、わかったってば」
「邪魔するぜー!」
「え」
「あ」
ばあん、扉を破ってやってきたのは、白黒衣装の魔法使い。
ところどころ服が破れていた。
「あー、全く、今日は結構手ごわかったぜ門番の奴」
「あんたまた正面突破してきたの?」
「ああ、そうだぜ。めんどいからな」
「ちゃんと話せば通してくれるでしょうに……」
「通すこと自体問題よ。攻撃されて当然」
アリスはいつも、お菓子やお土産を持って、門番に話しかけてからこの図書館にやって来る。
愛想よくしているせいか、攻撃を一切しないせいか、門番からは気に入られ、ほぼフリーパスで図書館にやって来ていた。
そのこともパチュリーにとっては面白くないんだろうと、内心感じながら。
「ん、なんだ二人とも集まって。何か面白い本でもあるのか」
目を輝かせて近付いてくる魔理沙。
これは何か面白いものを見つけたときの表情だ。
アリスの手にあるのは先ほどの官能小説。
パチュリーの体が少しだけ動いたような気がした。
「アリス、その本なんだ。面白そうな匂いがするぜ」
ニヤニヤしながらやってくる魔理沙に、パチュリーが何かを言おうとする。
しかしそれより早く、アリスは答えた。
「人形の素材についてね」
「ほう」
「馬の皮は硬過ぎるけれど、長時間鍋の中に血を入れて煮込むことによって色落ちするし、丁度よくなる。けれどその長時間というのが一ヶ月とかその位の時間であって、人形作りというよりはこれは召喚のために子羊の生きた魂を捧げる禁術に似ているわ。確かにこれなら結構いいものができそうよ」
「……」
「あとはえっと、ああここだった。羊の毛は繊細すぎるわね。魔力の流れはいいけれど、強度がない。これについてもまた山羊の血で長時間煮込むことにより魔法に対する耐性ができると書いてあるけれど、こっちは二ヶ月。どっちにしろ容易ではないということね。あとそれから生きた蛙をこの中に入れると」
「あーもういいぜ、私の管轄外だ」
すたすたと休憩室に向かう魔理沙を、アリスはじっと見ていた。
その様子を、パチュリーはじっと見ていた。
アリスは本を元に戻した。
「あいつにこういうのがバレると厄介よ。早いとこ整理したほうがいいんじゃない?」
「……」
「どうしたのよ」
「嘘つきね、案外」
「え」
「……生意気」
そう言って、魔理沙のほうに歩いていくパチュリー。
アリスは内心、やっちゃったかなぁ、と思った。
少しからかい過ぎたかもしれない。だからああやって頑張って誤魔化したんだけど。
そしてその誤魔化しは成功したように見えたのだけれど。
アリスはあんまり気が付いていなかったが、パチュリーにとって気に入らなかったのはアリスのそんな大人びた面であった。
自分が出来ない演技を簡単にやってのける、そんな所に腹が立ったのだろうと、気が付くのはもう少し先の話だった。
また怒らせちゃったなぁと落ち込むアリス。
どうにもこの魔女のカンに触ることばかりやってしまうみたいだ。
本当は、もっと仲良くなりたいのに。
そう思っていたのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
そんな風に、アリスは落ち込んでいたときだった。
「でも、助かったわ、ありがとう」
無表情な声。
下を向いていたアリスは顔を上げる。
しかし、次の瞬間には、パチュリーはふわふわと飛んでいた。
「い、いえとんでもっ」
といった言葉は、彼女に届いただろうか。
「やっぱ、生意気」
そう聞こえた気がした。
けれど、ありがとう、と言ってくれた。
普段礼なんて滅多に言わないのに。
これは許されたということでいいのだろうか。
(でも、そっか、生意気か。そんな風に振舞ってるつもりはないんだけどなぁ)
ははは、と苦笑するアリスであった。
そんなこんなで、魔法以外のことについても少しずつわかるようになってきた。
冷静に見せかけて、意外と純情だったり。
やっぱりプライドは高かったり。
そんな図書館の主の姿を見るのが、アリスには楽しかった。
本が好きだということもある。知識を得なくてはいけないという目的もある。
けれど、それより何より、パチュリーと少しずつ仲良くなっていくのが嬉しいのだということに、アリスは少しだけ気が付いていた。
そんなことを認めるのは恥ずかしかった。だから知らない振りをした。
◇◇◇
図書館に通うようになってから二ヶ月ぐらいが過ぎたある日のことだった。
「宴会しようぜ!」
とお隣さんから誘いが来た。
「宴会?」
「そ、最近全然やってなかっただろ」
「そうだっけ」
「そうだよ。お前は図書館に通い始めてから付き合い悪いしなぁ」
そうかもしれない、とアリスは思った。
確かに何回かお隣さんに今日暇か、と誘われたことはあったような気がするけれど、その度に断っていた。
それよりも、借りていた本を消化するのに忙しかったのだ。
アリスはいつも、パチュリーに、この日まで返すということを言っていた。
それを守れば信頼が上がるし、借りるのに都合がいいからだ。
時々魔術書のキーワードが見つからず、徹夜で解読することもあった。
一度読んだ本をもう一度あの図書館から見つけるのは難しい。
せめて内容がわかれば、わかりやすいところへ取っておいて、ぐらいは言えるのだが、読まずにそのまま返してしまっては、本当に内容がわからないままになってしまう。
だから、宴会よりもそっちが優先だったのだ。
「そうね、それもいいかもしれないわ」
「お、ノリいいな。珍しい」
「そう?」
そうやってこの二ヶ月過ごしてきたものだから、神社にいる面子とはあまり顔を合わせなくなっていた。
顔を合わす、といってもせいぜい霊夢ぐらいしか知り合いはいないのだが。
しかし、宴会で新しく交友が広がることはよくある。
魔理沙が開く宴会は、結構知らない妖怪がたくさんやって来るのだ。
「そうと決まればだ、お前、とっとと神社に向かってくれ」
「はい?」
「準備だよ、準備。お菓子作るの得意だろ」
「……待った、あんたが私を誘ったのって、もしかして」
「じゃあ、私は人集めに忙しいんでな!よろしく頼むぜ」
「魔理沙!」
続きを言おうとした瞬間に、白黒魔法使いは空の彼方へ飛んでいた。
人使いが粗い、アリスはそう一言呟いた。
幸いにして今日は借りている本は一冊しかなく、昨日の夜に読み終わっている。
それに、あの様子じゃ準備を毎回やっている霊夢なんかは大変そうである。
「もしかしたら、……いやきっとそれはないかな。こういうこと嫌いそうだし」
図書館の無愛想な主を思い浮かべる。
彼女はお酒とか飲んだりするのだろうか。
みんなでワイワイやっているイメージには、到底結びつかない。
「ま、いいか。霊夢待っているもんね」
お気に入りのローブを羽織り、アリスは神社へと向かった。
読み終わった本は、机の上に置いたままだった。
「これ、適当に皿に盛っておいて」
「うん」
「あとそれが終わったら、コップとかも出しておいてくれる?」
「わかったわ」
神社には少しずつ人が集まっているようだった。
萃香が飲んでいる声がした。霊夢まだぁ、とひっついては、うるさい、と陰陽玉で蹴散らされていた。
「いっつも苦労しているのね、霊夢」
「まぁね。特に最近は、誰かさんが来なかったから」
「う、そ、それは」
「貴女は無意識に断っていたんでしょうけれど、魔理沙言ってたわよ、あいつ最近冷たいよなぁって。私もそう思っていたわ」
「ご、ごめん、ちょっと色々研究していて」
準備の忙しさを考えると、今まで断ってきたことをちょっぴり反省するアリスであった。
「宴会には来ないけれど、図書館には行くのね」
「なによそれ」
「まあそのまんま?そうでしょ最近」
したり顔で霊夢にそういわれ、ちょっとだけ顔を赤くするアリス。
ニヤニヤしているのはきっと気のせいじゃないだろう。
「ほら、あの図書館便利だし、結構居心地よくって」
「へぇ、居心地いいんだ。あんな無愛想な魔女が睨んでいるのに」
「そう無愛想でもないわよ、パチュリーは」
「そうかしら」
霊夢は何かを言いたそうにしているが、アリスは構わず、大きい皿にバンバンジーのようなものを盛り付けた。
作ったドレッシングを適当に掛ける。
「ちょっと、これ掛けすぎじゃない?」
「知らない」
「あんたにしては珍しいわね、美味しそうだからいいけど」
ぶっかけたドレッシングは、あんまり見た目がいいものではなかった。
けれど、なんとなく霊夢の側から離れたかったので気にしなかった。
「ま、夜は長いし、こういう話は夜やるべきよね、やっぱ」
くすくす言いながら、煮物の入った鍋をかき混ぜる霊夢。
俗に言うがーるずとーくという奴であるが、アリスは聞かなかった振りをした。
別にパチュリーがどうこうということはなく、単純に図書館で読みたい本があったのだ。
ただそれが結構あったせいで、宴会に行けなかった。それだけの話である。
夕焼けが赤かった。
もうすぐ日が落ちて、妖怪も沢山集まってくるのだろう。
バンバンジーのような料理を机に置きながら、アリスはそう思った。
「霊夢、こんばんは」
「あらこんばんは、レミリア。咲夜も」
ついでに水の入ったコップも置く。
隣に空のコップも置く。
それが終わると、裏口にある酒をいくつか運ぼうと立ち上がった。
「あら、後ろに誰か居る?」
「ああ、折角だからな」
「折角ですしね」
霊夢が居るほうを見る。
レミリアと咲夜が居る。
その後ろの柱の影に、月のアクセサリーをつけた帽子が見えた。
「あら、パチュリーじゃない。いらっしゃい」
「じ、邪魔するわ……」
アリスはびっくりした。本当にここに来るとは思っていなかった。
酒を運ぶ手を止めてしまう。
左手に大きな本を持ち、そっぽを向きながら神社の中に入ってくるパチュリー。
と、思ったらコケた。前を見ていなかったせいで、段差がわからなかったらしい。
振動が、アリスのほうまで伝わってきた。
「大丈夫?」
「平気……」
遠めでその様子を見ていたアリスは、ふっと笑ってしまった。
けれどそれを指摘したら、絶対機嫌が悪くなるだろう。
笑ってしまったのもバレたらまずい。というか見ていたこと自体ばれたらまずい。
アリスはお酒を運ぼうと、その場を後にする。
「笑ったわね、あいつ」
「ん、どうかしたの?」
「なんでもない、ありがとう霊夢。手間掛けさせたわね」
しかし、パチュリーには完全にばればれだったわけであるが。
(興味のない振りをして、意外とこういうのが好きだったんだ)
そう思うと余計、口元が緩んでしまう。
けれどそんなことをすれば、絶対に機嫌を損ねてしまう。
プライドがすごく高いのだ。
宴会なんてくだらない、普段はそう言っているに違いない。
けれど一番楽しみにしているのは、意外と彼女なんじゃないだろうか。
アリスは台所で一人くすくす笑った。
「……ゆるせないわね、未熟者のくせに」
パチュリーがそう呟いた言葉は、アリスに届いていない。
「王様だーれだ!」
「私だ!」
「げっ、魔理沙」
「うわ魔理沙」
「なんだよなんだよみんなして、私が王様じゃ不満か?」
「だってさー、ねぇ」
「うん、嫌な予感しかしないっつうか」
「うるさい、じゃあ命令行くぞ!4番と6番がポッキーゲームする!」
宴もたけなわになった頃だった。
飲んだ量はそれほど多くはなかったが、久々ということもあって少し頭がくらくらしていた。
「出た、期待通り」
「出た、予想通り!」
「面白いからいいけど別に」
「だろ、っていうか霊夢、お前は違うのか」
「私3番」
「ちえ、つまらん。じゃあ誰だ4番は」
「わ、私だ……」
「け、けーね!?」
向こうの方では酔った連中が王様ゲームなんかを始めていた。
アリスはその前に離脱した。離脱して正解だった。正直あの手のゲームは好きになれなかった。
「お、お嬢様、それは」
「ふうん、ハクタクの血、っていうのも良さそうよね」
「お、6番はレミリアか。よーしこれで始めてくれ!」
「ってこれ大根じゃない!どこがポッキーよ!」
「野菜スティックもポッキーも同じようなもんだろ」
少し涼んでくる、と霊夢に言って、アリスは裏手に回る。
今日は色々、他の妖怪と話したなあと思った。
竹林に居る永遠亭のメンバーや、山の妖怪達。
寺子屋の慧音に、人形をいくつか作ってもらうように頼まれたり、山の神社の風祝に裁縫の仕方を教えたり。
結構飲んで、結構しゃべったような気がした。
「辛い辛い辛い!」
「お嬢様、食わず嫌いはいけないと思います」
「け、けーね、本当にやるの?本当なの?」
「し、仕方ないだろう、王様の命令なんだ。わ、私だって、ほ、本当は」
「ほらいいからお前ら始めろ!」
そしてしばらく飲んだ後、アリスは気が付いた。
パチュリーの姿がどこにもないということに。
喋っていたときは彼女が誰と話しているか知らなかったし、そんなに気にはならなかった。
けれど、こうして見渡してみると、宴会場のどこにも彼女の姿がない。
いつの間にここから離れたのだろうか。もしかしたら帰ってしまったのだろうか。
それはそれでなんだか悲しかった。確かにたくさん妖怪がやってきて、話す機会も少なくなるのもわかるのだが。
これでも少しは打ち解けたと思っていた。挨拶ぐらいは、してもいいような気がした。
「どこ、いったんだろう」
そう思うと急に探さなくてはいけないような気がした。
一言ぐらいは何かしゃべりたい。そう思い、廊下を早足で歩く。
神社の中には小さな部屋がいくつかある。そのうちのいくつかは宴会用に、またいくつかは空っぽのままだった。
そのうちのひとつをガラリと開けた。
「あら、アリスも混ざる?」
煙草を吸いながら八雲紫と八意永琳達が麻雀をやっていた。
「い、いえ」
「えー、楽しいのに、ねえ妖夢」
「そうよね妖夢」
「すみません、ちょっと人を探していて、それでその」
右手にビールを持って顔が赤い二人が、アリスにはちょっぴり怖かった。
「あらそう、残念ね」
「残念ね」
「こっちの方が面白いと思うのにね、ウドンゲ」
「そうよねウドンゲ」
「……」
二人に捕まっていた妖夢と鈴仙はちょっぴり涙目だった。
「ごめんなさい。用が終わったらまた来るわ」
「待っているわよぉ、せっかくのカ……ああいやなんでもないわ」
「ごめんねぇ、ゆかりん酔っているから気にしないでねぇ」
ははは、と苦笑しながらその場を後にする。
紫が何かを言いかけたのはきっと気のせいだと思うことにした。
捕まっていた二人が気の毒であったが、あとでまた来るから、と心の中で謝った。
その場を後にしたアリスは、裏手のほうに回った。
縁側には金木犀が咲いている。甘酸っぱい香りが鼻をかすめた。
黄色に光っているのは三日月だった。
雲ひとつない空だということに、ぼんやり気が付いた。
「パチュリー?」
「……」
縁側で、誰かが倒れていた。その人物はすぐにわかった。
うつ伏せで、左手に本、右手に酒らしきものを持っている。
「大丈夫?」
「……」
アリスは駆け寄ると、まず酒の入ったコップを取った。
本が濡れたら困るからだ。
コトンと音を立てて、少し遠い所に置く。
そして、体を揺らしてみる。
うつ伏せになっているせいで、パチュリーの表情は見えない。
けれど、相当つぶれているのだろうか。具合がいい風には見えなかった。
「眠っているの?……気持ち悪いの?」
「……」
「ごめんね、嫌だろうけど、ちょっと我慢してね」
そう言うと、アリスはパチュリーを持ち上げる。
酔っているのか気分が悪いのか、抗議の声は上がらなかった。
「軽っ!」
パチュリーをお姫様抱っこしたアリスはそう言った。
軽すぎた。
一番近くの部屋の障子をガラリと開ける。
ごろりと寝かせ、近くにあった座布団を、枕代わりにひいてやる。
そして、自分のローブをかけてやった。
ううん、という声が聞こえたような気がした。
「あ……アリス?」
「気が付いた?」
顔を覗き込むと、しばらくぼーっと見つめてから、急にぱっと向きを変えた。
状況を理解したらしい。
顔を見られたくなかったのだろう。うずくまって動かない。
「な、なんでここに」
「なんでって、パチュリーがそこで倒れていたから」
「あ、あれはただね、ねていただけよっ!……うぇっ」
大声を出して、気持ち悪そうに頭を抱えるパチュリー。
きっと飲みすぎてしまったのだろう。
元々体が強いほうではないと、小悪魔からも聞いている。
「これ、水だから。飲んで。ちょっと気分よくなるわよ」
「……」
水の入ったコップを差し出す。
しかし、パチュリーは受け取ろうとしない。
やっぱり想像通りだと、アリスはため息をつく。
「飲みなさいって」
「……」
「気持ち悪いまんまよ、いいの?」
アリスの問い掛けにびくりともしない。そっぽを向いたままだ。
聞いているのかいないのか。表情が見えないのでわからない。
酔ったときは水が一番いいのに。
火照った体を冷ましてくれるし、頭が痛いのも治してくれる。
うんともすんとも言わないパチュリーに対し、業を煮やし始めたアリスは思い切って肩に手をかけた。
そして右手にコップを持ち、振り払われるまえに耳元で囁く。
「飲まないんならぶっかけるわよ、これ」
「なっ」
アリスのその言葉に、驚いた声を上げたパチュリー。
しかしアリスはしゃべるのを止めなかった。
コップを耳に当ててやると、冷たかったのか、パチュリーの体がちょっと動いた。
「まぁまだ暑いし、平気じゃない?すぐに乾くわよ」
「な、あ、あんたねぇっ」
「お酒のせいで暑いんでしょ。ちょうどいいんじゃないかし」
ニヤニヤしながら楽しそうに話しているアリスに、ばっとパチュリーは振り返った。
コップに入った水が顔に跳ねる。
冷たい、そう思った次の瞬間には、コップは右手になかった。
「とんでもない奴」
ジト目でそう言われた。
「貴女が素直に飲まないからでしょう」
「ふん、病人に水かけるなんてどうかしているわ」
「だってそう言わなきゃ絶対飲まないでしょ」
ごくごくと、コップに入った水を飲む音がする。
白い喉がコクンと鳴る。
酔っているのだろうか。
少し暑そうに、汗が顔を伝っていた。
(あぁ、やっぱり弱いんだ、暑いのに)
いつも図書館に引きこもっているせいで、外の空気に慣れていないのだろう。
こんなに白いのはそのせいだろうか。
「何見てるのよ」
「え、あ、い、いや」
無表情な声にそっぽを向いた。
危ない危ない。何じっと見てしまっているのだろう。
また機嫌を損ねるところだ。
「まぁいいけど」
「……」
けれど、さっき脅してしまったことに関してはあまり反省はしていない。
ああでも言わなければパチュリーは自分の言うことを聞かなかった。
これでよかったのだ、少し楽になれたはずなのだから。
ビクっとしたパチュリーを見て、ちょっと楽しいとか思っちゃったことは頭の隅から追いやることにした。
「頭いたい」
「飲みすぎたんでしょ」
「うるさい」
「あ、枕かなにか持ってこようか。あとは氷とか」
「いらない」
一瞥されてしまう。
プライドが高いパチュリーのことだ。自分にこんな姿を見せるのさえ嫌なのだろう。
これ以上手を借りたくないと言っている。
そんなパチュリーの態度に、アリスは少しだけ心が痛くなる。
(もうちょっと、頼ってくれたって、ねぇ)
ごろりと寝返りを打って、向こうを向いてしまった。
ちょっとやりすぎてしまったかもしれない。
けれど、このままこの場から去る気にはなれなかった。
どうすればいいかわからなくて、そこに立ち尽くす。
外を見れば金木犀。
秋風がひゅうと吹いた。
さっき頬にかかった水が、余計涼しく感じた。
アリスはそのまま縁側に歩いて、すとんと腰掛けた。
「いいの、戻らなくて」
少しして、小さな声を聞いた。
「私も少し疲れたから」
と答えた。
「そう」
「だって、王様ゲームも麻雀も得意じゃないから」
「ふうん」
「ねぇ、パチュリーって意外と宴会好き」
「うるさい」
一瞥されて、苦笑い。
いつものことだった。
だけど、話しかけてくれたことが嬉しかった。
先ほどまでの淋しさはどこへ消えたのだろうか。
そっぽを向いた彼女に気付かれないように、縁側の方を向きながらにやけてしまった。
チロチロと鈴虫が鳴いている。裏側で、王様誰だ、なんて声がする。
時々寝返りをうつ気配がした。
アリスはずっと月を見ている振りをしていた。
「気分よくなったの?」
「ええ」
「そっか」
かさり、と布が刷れる音。
畳の上を歩く音。
無表情な声。
どのくらいこうしていたのだろうか。時計がないのでわからなかった。
少しだけ名残惜しいような気がしたけれど、それは気のせいだと思った。
「アリス」
「なに」
声を掛けられ、振り返る。
珍しいことだった。
大概は、声を掛けるのは自分からだったから。
「ありがとう」
(あ……)
不意打ちだった。
笑った顔を見たのは、久しぶりだった。
胸が締め付けられる。
笑って返せばいいのに、何故だかそれが出来ない。
「アリス?」
「い、いえっ、どういたしまして」
「……変な子」
上ずった声に気付かれなかっただろうか。
顔を見られたくなくてそっぽを向く。
心臓が速く波打っている。
「あ、あの、私、もうちょっと涼んでいくから」
「あそう」
無愛想な声が、何度も何度も頭で繰返されて。
今顔を見られるわけにはいかないと思った。
おかしいぐらいに熱くなっている。
きっと飲んだお酒が今になってめぐりめぐってきたんだ。絶対そうだ。違いない。
「先、戻っているから」
「う、うん」
廊下を歩く音。
頭の中に響く音。
足音が聞こえなくなってから、アリスは縁側に仰向けに寝転ぶ。
雲ひとつない空に黄色い月が浮かんでいて、あぁそっか、アクセサリーに似てたんだ、とぼんやり思った。
「重症かなぁ」
宴会場から、王様誰だ、と声がした。
小さく呟いた言葉は、夜空に消えていった。
それからのことだった。
アリスは相変わらず図書館に通っていた。
読みたい本が沢山あるし、知りたいことも沢山あったからだ。
その場で借りて家に行くことも、読みふけることもある。
ここまではいつもどおりだった。
だけど。
「アリス」
「へっ!?」
「……なに間抜けな声出しているのよ」
声を掛けられ、思わず妙な声を出してしまう。
かぁ、と顔に血が上るのがわかった。
そんなアリスの様子とは対照的に、呆れた声でそう言いながらパチュリーは自分の部屋へ行く。
「気分でも悪いんですか?アリスさん」
「いや、だ、大丈夫」
「そうですか、ちょっと顔が赤い気がしたんですが」
「はは、疲れているのかな、最近根詰めているし」
「養生してくださいね」
「うん、ありがとう」
苦し紛れの言い訳だった。
少しだけ口元の上がった図書館の秘書は、何かを言いたそうであった。
(ああ、またやっちゃった)
宴会のあったあの日から、アリスはパチュリーとまともに話せずにいた。
パチュリーが普段、本を読んでいるときに近付くなオーラを放っているというせいもある。
アリスが割と、人の顔を伺いながら話しかけるという癖もある。
けれど原因はそれだけじゃないことに、アリスは気が付きつつあった。
(どうしてだろう、どうかしている、私)
いつからこうなってしまったのだろう。
あの日、宴会で不意打ちを食らったのがいけなかったのだろうか。
それよりもっと前からだったような気もする。
(ああでも、まずいよなあこのままじゃ)
いや、昔のことはどうでもよかった。
パチュリーに不自然に思われていないだろうか、気にしなきゃいけないのはそこだった。
けれど。
(何も気にされていないんだろうな、私のことなんて)
彼女は相変わらず顔色変えずに本を読んでいる。
こちらのことなど何も気にしない風に。
少しだけ仲良くなったように感じていたのは気のせいだっただろうか。
そのことが、アリスにはどうしようもなく淋しく感じた。
「パチュリー、見てみろ、新しい理論だぜ!」
落ち込んでいたその時だった。
ばあん、と扉を破り、元気な声が飛んできた。
白黒魔法使いだった。
左手にキノコの山を持って、ところどころ服が泥で汚れている。
おそらく採ってきたばかりなのだろう、そしてキノコの山の上に、一つの紙が載っていた。
パチュリーはその紙を手に取る。
「なにこれ、ただキノコの種類を増やしただけじゃない」
「ははは、そう見えて違うんだなぁこれが。なにせ今までの二倍の威力があるんだぜ」
「たかだか二倍程度じゃ新しい理論なんて言えないわよ。精製するときの時間短縮、無駄な術式を廃除すればそれぐらい簡単なことじゃない」
「逆にいえばこれだけで二倍。たいした進歩だと思うぜ」
アリスは遠くから、二人の様子を見る。
よくある魔法談義。
少し前まではアリスもこんな風に話をしていた。
人形を操る為の糸、魔法の籠め方、パチュリーは色々知っていたから、よく聞いていたものだった。
「実用化は可能なの?どれぐらいの労力がいるものなの?常にパフォーマンスの良い術式として使えなければ新しく作っても意味ないわよ」
「そう、それだ。それを聞きにきたんだ私は。本くれ」
「直球ね」
「わかりやすいと言ってくれ」
「そう簡単に渡すとでも?」
「ま、まぁ待てよ。とにかく聞きにきただけなんだ。お茶でも飲んでじっくり聞いてくれよ。話はそれからだ」
「調子のいいこと」
(魔理沙は普通にしゃべっているよなぁ)
ため息をつく。
あれぐらい強引ならば、ああして簡単に声をかけられるのだろうか。
昔はもうちょっと気軽に話しかけられたはずなのに、どうしてそれが出来ないのだろう。
聞きたいことがあっても、声をかけられない。
「とにかく喉が渇いたぜ」
「図々しい奴」
「まぁまぁ、細かいことは気にするなって」
だから遠くで見てるだけ。
あんまり見すぎて嫌な顔をされない程度に。
ここ最近、ずっとそうだ。ばれないように本を読む振りをしたりしながら。
それでもよかったけれど、時々どうしても淋しくなる。
昔のように喋りたい。たまにでいいから笑った顔が見たい。
けれど、どう声をかけていいかわからない。
「おーい、アリス、お茶にするぜー」
「え、あ」
魔理沙に呼ばれる。
ぼうっと考えていたせいで、二人が準備をしていることに気が付かなかった。
「お、シナモンクッキー。咲夜か?」
「アリスよ」
「へぇ、うまそうだぜ」
「ちゃんと手洗いなさいよ。泥だらけじゃない。本当だったら門で追い返すところよ」
慌てて二人の元へ向かう。
走りながら、少しほっとした。
二人きりでは話せなくても、三人なら少し楽だ。
話したくないわけじゃない、きっかけが掴めないだけなのだから。
声が聞きたい、喋りたい、ずっとそう思っていたのだから。
ふと前を見ると、パチュリーがこちらを見ていた。
無表情にじっと、こちらを見ていた。
目が合った。
まずいと思った。
顔にかぁ、と熱が上がる。
恥ずかしくなって目を逸らす。
顔までおもいっきり逸らしてしまったことに、気が付くのに数秒かかった。
(あ、やば)
「……」
視線を感じる気がした。
さすがに今のまずかったかもしれない。
普通目があったって、逸らしたりなんかしない。
自分がされたら結構傷つくことだ。
けれど、顔が赤くて向こうを向けない。
体が熱い。
どうしていいかわからない。
「アリス、これどうやって煎れるんだ?」
「ま、まりささん、私がやりますから」
「やりますからって、悪いだろそれじゃ」
「いえ、貴方に貸すとろくなことにならないので」
魔理沙の呼ぶ声がした。
小悪魔が危なっかしい手つきの魔理沙にあたふたしていた。
逃げるように、アリスは給湯室の方に向かった。
助かった、とアリスは思った。
あのまま二人でいたら、どうすればいいかわからなかったから。
パチュリーはどう思っただろうか。
少しだけ、傷ついただろうか。
それともまたつまらなそうに、本を読んでいるのだろうか。
(きっと、後者だよなぁ……だって、私のことなんて)
やきもきしているのはこちらばかり。
向こうは涼しい顔ばかり。
それもそれで悔しいが、仕方のないことだとため息をつく。
だから、逸らされた相手が淋しそうな目でアリスを見ていたことに、アリスは気付かない。
「おお、うまいな、さすがアリス!」
「本当、美味しいですねぇ、今度うちに雇われに来ませんか?お金出しますから」
「あはは……」
褒められて、照れた振りした苦笑い。
みんなが美味しいといってくれたクッキーは、正直何の味をしているかわからなかった。
「こんなに借りるんですか」
「ええ」
「大変じゃないですか、こんなに」
「いいの、ちょっとだけ家に篭るから」
宴会のあったあの日から、アリスは人形や魔法について全く手がつかなくなってしまっていた。
そして、図書館の主とは相変わらず碌に話せずにいた。
どうにも気まずい空気を作り上げてしまっている。
少し時間を置いて、落ち着きたいとアリスは思った。
「そうですか。残念ですね」
「ごめんね、しばらくしたらまた来るから」
大量に本を借りて、しばらく自宅に篭ることにした。
借りた本は10冊で、難しい本ばかりだった。
まともに読んでも丸一週間はかかるだろう。そして魔法創りに専念すれば、さらに時間はかかる。
冷静になりたかった。
魔法や人形作りをしていれば、変に体が熱くなったり、顔が赤くなったりすることも忘れるだろうから。
「……パチュリー様も、残念がるでしょうね」
「え、パチュリーが?」
その単語を聞いたときに、体が少し熱くなったのがアリスにはわかった。
混乱している自分を隠すように、なるべく冷静な声で話す。
「どういうこと?」
「え、あ、えっと」
アリスの問いかけに、しまった、といった表情をする小悪魔。
「ほら、クッキー、美味しいじゃないですか。パチュリー様もそう言っていましたから」
特技のスマイルで誤魔化した。
「そ、そう。クッキーね」
「はい、しばらく食べられないと思うと、なんだか淋しいですよ」
「そっか、ごめんね」
「いえ、いっつも頂いてばかりで悪いっちゃ悪いですから」
アリスは思った。
やっぱりパチュリーは自分に興味がないのだろうと。
たまにクッキーやお菓子を持ってきてくれる、客の一人としてしか見ていないのだろうと。
(あー、やばかった。もうちょっとでアリスさんにバレるところだった)
小悪魔は思った。
口が滑ってしまったと。
落ち込んだままのアリスの様子からすると、誤魔化しは成功したようだった。
しかし。
(これでよかったのかなぁ、本当に)
思った以上にパチュリーがアリスのことを気にかけているということを、知らせたほうがよかったんじゃないだろうか。
そうも思ったが、やっぱりパチュリーが怖い小悪魔には言えなかった。
「じゃあ、行くね。一ヶ月は掛からないと思うから」
「そんなに、やっぱり掛かるんですね」
「ごめん、でも」
「いいんです、でもたまには顔を見せてくださいね。淋しいですから」
「うん」
本を抱えて飛ぶアリス。
笑って見送る小悪魔。
出口の扉を開けた。
振り返っても、図書館の魔女の見送る姿はなかった。
(行こう、もたもたしていても仕方がない)
扉を閉める。
地下室の廊下を出て、紅い館を、門を出る。
いつもよりも速いスピードを出して、アリスは魔法の森へ向かった。
それから10日ばかりが過ぎた。
図書館には、3人しか居なかった。
あれからアリスは来てない。
小悪魔はそのことに気付いていたが、あえて触れないようにしていた。
パチュリーは本を読み、魔理沙は向かいに座りお茶を飲む。
時々小悪魔も混ざり、魔法についての会話に加わる。
パチュリーは相変わらず無表情だった。
けれど小悪魔はその声に、日に日に元気がなくなっていることに気が付いていた。
「なぁ、パチュリー」
魔理沙がパチュリーに話しかける。
パチュリーは、面倒そうに魔理沙を見た。
「なに、今本読んでいるんだけど」
「つれない奴だな」
「で、何の用よ。手短に言いなさい」
淡々と返すパチュリーに、魔理沙は言った。
「はいはいっと。聞きたかったのはあれだ。アリスのこと知ってるかってことだったんだけど」
アリス、という単語を聞いて、パチュリーの体が揺れた。
小悪魔はそれに気が付いた。
「人形作りか、魔法作りかはよく知らないが、ずっと家から出ないんだ。お前、何か知っているか?」
飄々とした態度の魔理沙に、パチュリーは本を閉じた。
「お、なんだ。珍しいな」
「何が」
「いいや別に」
やはり気になっていたらしい。
パチュリーが読みかけの本を閉じるなんて、滅多にないことだった。
「やっぱりお前が原因か」
「何よそれ、私が何したっていうのよ」
「喧嘩でもしたんじゃないのか?」
「そんなこと、身に覚えがないわ」
小悪魔にはわかっていた。
パチュリーは何も気にしていない振りをしていたが、内心そのことが気になっているのだということに。
元々アリスから声を掛けることが圧倒的に多かった。パチュリーから話しかけることはほとんどなかったと言っていい。
だから、アリスが声を掛けなくなってから、二人の会話が減っていくのは明らかだった。
「ちょっと、生意気って言いすぎたかもしれないけれど」
「あいつそんなことで怒るような奴か?」
「私にだってわからないわよ、そんな事」
そしてアリスはそんな中、自宅に閉じこもると言った。
淡々と話しているが、内心落ち込んでいるんじゃないかと小悪魔は思った。
「理由があるんだよなきっと。研究で引き篭もるなんてよくあることだしな」
「……」
「お前だったら何か知っているような気がしたんだがなぁ」
それを知ってか知らないか、飄々と話す魔理沙。
反対に、パチュリーの表情は暗かった。
「ま、いいけどな。知らないんだったら知らないで」
「……」
魔女の癖に人間が好きで、よく気が利くアリス。
そんな所がカンに触るのだと、可愛くない後輩だと口癖のようにパチュリーは言っていた。
自分の弱みを若輩者に握られたという恨みもあるのだろう。
けれど本当に嫌いだったらとっくのとうに追い返しているということを、小悪魔はよく知っている。
意地っ張りでプライドが高くて、どこか子供のような我が主。
アリス曰く、そういう所がなんだか可愛いのだという。
けれどこのままでは平行線だ。アリスに何があったのか、小悪魔にもわからないのだ。
きっとアリスは勘違いをしている。パチュリーが自分に興味がないと。
だから放っておいても平気だと思っているに違いない。けれど。
(ああもう)
遠目で二人を見ながら、小悪魔はため息をついた。
パチュリーの表情は暗い。この暗いパチュリーを見せたらアリスはどう思うのだろうか。
(本当に意地っ張りなんだから)
アリスのことを知りたかったら、自分から向かうしかないのだ。
そのことに、気が付いていないわけではないはずだ。
けれどパチュリーのこと、そんなことを認めたくなくてじっと待っている。
「あの、魔理沙さん」
「お、なんだ小悪魔、聞いてたのか」
「ええ、まあ」
「……」
じっと、パチュリーが小悪魔を見る。
これは、きっと盗み聞きしていたわね貴女、という目だ。
しかし構ってはいられなかった。このままの二人は見ていられない。
小悪魔は思い切って、話を続けた。
「そんなに気になるんだったら、いっそ行けばいいんじゃないですか」
小悪魔の言葉に、パチュリーはぴくりと眉をあげた。
「おお、そうだな。でもアリスの奴、根詰めていると怒るぜ」
「その時はその時ですよ。追い返されて終わりです。様子が気になるなら見に行ってあげればいいと思います」
「うーん、しかしだなぁ」
「ほらアリスさん、結構自分から言わないこと多くないですか?我慢してしまうというか。優しいし」
「まあ、そうだな、アリスは優しいもんな」
その言葉は魔理沙に言っていることじゃない。
パチュリーに気付かれたら自分の身が危険になる。いわば掛けのような行動だった。
「あいつは言いたいことを中々言わないんだよな。いつもは笑っているくせにさ。小さいことで傷つくし。器用なんだか不器用なんだか」
「ええ、わかります。魔法使いなのに人間みたいですよね、アリスさんって」
「落ち込むと結構閉じこもるんだぜ、あいつ」
「そうなんですか」
「ああ」
「まあそんなタイプだとは思っていましたけれど」
本をめくったり閉じたり。
明らかに動揺しているパチュリーに気が付いていた。
しかし、二人は話を続けた。
「何か落ち込むことでもあったのかなぁ」
「ちょっとわかりませんよね。でも急に行って、押し帰されるなんてことはないんでしょ、アリスさんのことですし」
「ああ。それはないはずだぜ。少しぐらい忙しくても、黙って押し帰されたことはない。お茶の一杯ぐらいはいつも淹れてくれるからな」
パチュリーは二人の話を聞いているだろうか。
聞いて、どう思っただろうか。
表情を恐る恐る伺うと、何かを真剣に考えているように、本をめくったり閉じたりしている。
「もしも、何かあったりしたら、何も言わないなんてことはないと思うぜ。律儀な奴だからな」
そんな独り言は、最早パチュリーに言っているようなものだった。
意地張ってないで気になるならば行けばいい。魔理沙はそう言っている。
「ま、聞けばの話だけどな。自分の事あんまり言わない奴だから」
「そうかもしれませんね。弱点握られるのが嫌なのかもしれません」
「しかも結構演技上手いからなぁ、わかるようでわからないんだよな」
「普段人形劇をやっているせいでしょうかねぇ」
本当は仲良くなりたい癖に、自分から行こうとしない。
話しかけ方がわからないが、人に聞くのもプライドが許さない。
最初の頃と同じだった。けれども。
「黙ってばっかりじゃ、伝わらないぜ。人の事気にするくせに、肝心なところで抜けているからな」
魔理沙の言葉に、ぴくりと体が動く。
もう少しだ。もう少しできっとパチュリーは動いてくれる。
「ですよね、アリスさんは肝心なこと言わない代わりに、踏み込もうとしませんから」
小悪魔も続ける。
あくまで表向きは魔理沙と喋っているように。
「ま、あいつのことだし、すぐにひょっこり顔を出すかもしれないけどな」
「ですねぇ、本当に研究に励んでいらっしゃっているだけなのかも知れませんしね」
「ま、顔を見に行って損はないと思うぜ。押しかければ迎えてくれるさ」
「いい人ですからね、アリスさん」
「……ねぇ」
「ん」
パチュリーは手に持った本を閉じた。
そして魔理沙に話しかける。
「……あの子の家、教えてくれないかしら」
「え」
動かない図書館が動いた瞬間であった。
顔を見られたくないのか、下を向いている。
「お前、もしかして」
「……」
「魔法の森って結構瘴気がきついぜ?お前、辛いんじゃないか?」
「平気よ」
魔法の森は、魔法に関する材料がたくさん眠っている。
しかしパチュリーは自らそれを取りに行った事はない。
空気が湿っていて、喘息に悪いと聞いていたからだ。
薬草の類は、いつも小悪魔か咲夜に頼んでいた。
「結構あるぜ、ここから」
「知っているわよ」
「そうか。いいぜ、ついてこいよ」
それを承知の上で、アリスの家に行こうとしている。
以前のパチュリーからはおおよそ考えられない行動だった。
魔理沙はちらりと小悪魔を見て、パチュリーに気付かれないようにウィンクした。
「お、そうだ、私の箒に2ケツするか?」
「……そういう下品な言い方やめてくれない?」
「いいじゃないか。そっちの方が速いぜ」
「知っているわよ」
これでやっと上手くいく、小悪魔はそう思った。
急いで喘息の薬を探す。
魔理沙も箒を準備する。
「一応、これ持っていって下さいね」
「わかったわ」
小悪魔から薬を受け取ると、パチュリーは魔理沙の箒にまたがった。
「いってらっしゃいませ」
「おう」
「……」
「挨拶ぐらいしていけよな、パチュリー」
「うっさい」
人に会いに行く、ということを普段していないせいだろうか。
そんな自分が恥ずかしいのだろう。
顔を背けながら箒に乗る。
そんな主がなんだか可笑しくて、必死に笑いをこらえる。
(ここで笑ったら、アリスさんの二の舞ですからねぇ)
ジト目睨まれて済むほうが少ないのだ。
大概笑ってしまえば、パチュリーはスペルの一つでも出すところだ。
そんなことが今までなかった辺り、やっぱりアリスのことを気に入っていたんじゃないかと思う小悪魔であった。
(まあいいか。とにかくがんばって下さいねっと)
小悪魔に見送られながら、魔法使い二人は魔法の森へと向かった。
あっという間に箒は空へと消えていった。
その間にパチュリーが乗り物酔いにあったのは、言うまでもないことであった。
その頃。
アリスの家では。
「手がつかない……」
アリスはゴロゴロしていた。
何もしていなかった。
魔法の森の一角に、アリスの家はある。
一人暮らしにしては少し大きすぎる家だった。
その中には沢山の人形があり、家の大半を占めている。
アリスはずっと、そこに篭って人形作りに励もうと思っていたのだ。
「あー、なんでだろう、わかんないよ、上海」
上海人形を手に取る。そして腕の先端を持って、ぷらぷらさせる。
上海は、シャ、シャンハーイとちょっと嫌そうな声を上げたが、アリスは気にしなかった。
ブラブラさせると髪が乱れた。さらにぽーんと投げてキャッチすると更に乱れた。
上海人形は嫌そうな声を上げたが、アリスは気にしなかった。
「どうしているのかな」
上海人形を胸に当てる。上海は小さく声を上げた。
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞こえない。
ここ数日、アリスはずっとこうだった。
本を読んでも頭に入らない。人形作りをしては針を指にぶっさす。
電子レンジを爆発させる。色々と怪我したせいで何も出来ない日もあった。
思い浮かべるのは、図書館にいる彼女。
宴会の夜に笑った顔が忘れられなかった。
あんまりに綺麗で何も返せなかった。それぐらい見惚れていた。
しばらく離れれば、忘れるだろうと思った。
何事もなかったように出来ると思っていた。
けれど、それは違っていた。
「会いたい」
日を追うごとに、想いは募っていく。
離れたことは逆効果だった。
無表情でも構わないから、睨まれたって構わないから、とにかく彼女の姿が見たかった。
「会いたいよ」
なんかもう、色々と限界だった。
結局自分は、彼女に会いたくて仕方がないのだ。
何も手が付かないで、結果、こうしてゴロゴロするばかり。
最初から結論は決まりきっていたことだった。
「……行こうかな、本、返さなきゃだし」
「シャ、シャンハ」
「ね、上海」
上海を片手に立ち上がる。
思い立ったが吉日だ。
冷たくあしらわれても構わない。話しかけられなくても構わない。
全ては会ってから考えればいい。
アリスは借りていた本に手を掛ける。
ほとんど読んでいなかった。
いつもはちゃんと読んで返していた。それがマナーだと思ったから。
お気に入りのローブを着て、アクセサリーをつける。
今回はお菓子もない。電子レンジを壊してしまったからだ。
仕方なく、リビングにあるリンゴをいくつか籠に入れて持っていく。
お土産代わりにしては少し貧相だけど仕方がない。
ドアを開けようとした時だった。
向こう側から、どんどん、と叩く音がした。
「アリス、アリス、いるんだろ」
「魔理沙?」
お隣さんの声だった。
借りていた本を机に置き、ひとまず彼女を迎え入れようとドアをあけた。
「どうしたの?」
「どうしたのって、まあ。引き篭もりの隣の家の様子を見にだな」
にひひ、と笑っている魔理沙。
本当はここで、お茶の一杯でもご馳走するところなのだが、当のアリスはそれどころじゃない。
早く行きたいと思っていた。けれど、律儀な性格のせいで、迎え入れずにはいられない。
「えっと、ごめん、あの」
「ん、これからどっか行くのか、引き篭もり」
「まぁ、その」
図書館に行こうと思ってて。
そう言ってしまうことは、まるでパチュリーに会いに行くとでも言っているようで。
アリスはそのことをはっきり言えなかった。
けれど、混乱した頭では、言い訳の言葉も思いつかなかった。
「急用なのか?」
「あー、いや、なんていうか」
急用って程じゃないが、こういうのは勢いが肝心なのである。
ここで魔理沙とお茶の一杯でもしてしまったら、図書館に行く意思がくじけてしまう。
どう言い訳をすればいいのだろうか。
全くもって、タイミングが悪すぎた。
少し落ち込んだ様子のアリスに、口元を緩める魔理沙。
アリスが何をしようとしていたか、魔理沙に察しはついていた。
単純なことだ。口ごもっている辺りがそう言っている。
けれどその必要はない。
「実はな、アリス。もう一人客が来ているんだ。世にも珍しい客がな」
「え?」
「なぁ、引き篭もり」
まさか、とアリスは思った。
こんな所に来る筈がない。
彼女は本と魔法にしか興味がなくて、自分のことを生意気だとか、嫌っていると思っていて。
おまけにここは彼女にとって環境が良くないところだ。森の瘴気は喘息に悪いから。
だから。
「ま、あとは二人で仲良くやれよ。土産話、期待してるぜ」
「え、ちょっと魔理沙」
「私はこれで退散するぜ」
「魔理沙!」
白黒魔法使いは帽子をかぶり、箒に乗って空に浮かぶ。
にやりと笑ったその顔が、憎らしく思えた。
本当にここにパチュリーが来ているとしたら、自分はどんな顔をして会えばいいのだろう。
「じゃあな、あー、私って良い奴!」
「魔理沙!」
待って、二人にしないでよ。どうすればいいかわからないじゃない。
そう叫びたかったが、近くにパチュリーが居ると思うと、そんなことは言えなかった。
大体魔理沙が本当のことを言っているかの確信さえない。
本当にパチュリーは近くにいるのだろうか。
「あ、アリス……」
「あ……」
家の影に、月のアクセサリーがキラリと光ったのが見えた。
紛れもない、彼女のアクセサリー。
家の影に隠れて、顔を少しだけ覗かせていた。
がさり、と草を踏む音がした。
「パチュリー?」
「……」
歩み寄る。
少し近寄ると、パチュリーはびくっ、と体を震わせた。
「どうしてここに」
「……」
アリスの様子をちらっと見てパチュリーは顔を引っ込めた。
「本」
「本?」
「……本、返して欲しくて」
小さな声でそう言うパチュリー。
アリスはああ、と思った。
あの時大量に借りたのだ。
なるべくパチュリーの迷惑にならないような分野の本を借りていたのだが、どうも重なってしまったみたいだ。
「それだけ」
「そっか」
「……」
「ごめん、今持って来るから」
少しだけ、期待していた。
もしかしたら自分に会いにきたんじゃないかって。
けれど、本を大事にしている彼女のこと。
ここまでやってくる理由なんて、それ以外に考えられなかった。
「どの本?」
「え」
「結構借りちゃったから、わからなくって」
「あ、そ、それは」
焦ったように顔を上げたパチュリー。
アリスはここで、違和感を感じた。
(あれ?)
貸した本を覚えていないのだろうか。
こんなところまでやって来る程大事な本だ。
タイトルを忘れるなんて、パチュリーにしては珍しい。
「そっか、じゃあ私の家で探した方が早いね」
「え、あ」
「せっかくだし、上がって行かない?お茶ぐらいなら用意できるし」
壁についていたパチュリーの手をとる。
自然に動いていた。
(あ、まずい)
本が目的でも、なんでも、彼女に会えたことがそんなにうれしかったのだろうか。
気がついた時にはパチュリーの手に触れていた。
また突っ走ってしまったと思った。
だんだん顔が赤くなっていくのがわかる。
「は、始めてでしょ、ここ来るの。あ、案内しよーかなー、なんて」
「……」
「いいでしょ、いいよね。つ、ついてきて。こっちだから」
上ずった声で話すアリス。
パチュリーからの返事はなかった。
強引だっただろうか。
変に思われていないだろうか。
きっと睨まれているに違いない。
けれど、そんなアリスの不安は、握り返された手によってなくなっていった。
弱弱しく、躊躇いがちに、パチュリーが握り返してくるのを感じた。
(あ、今)
手を繋いでいる。
そう思ったら、さらに体温が上がったような気がした。
赤くなっている顔を見られたくなくて、前を向いたまま歩く。
だからアリスは気が付かない。パチュリーの目にかすかに涙が浮かんでいたことに。
気付かれないようにぎゅっと口を結んだことに。
ずっと避けられていたと思っていた。
それは自分が無愛想に返していたせいだと思った。
アリスはいつもパチュリーに優しかったから、あんな風に避けられるなんて思っていなかった。
だから、普段と変わらない笑顔で迎えられたことで、ホッとした。
それが今のパチュリーの本心だった。
こんなことで泣きたくないのに、何故だか涙が出てきてしまう。
けれどプライドが高い自分のこと。泣き顔なんて見られたくないと思った。
アリスが相手なら余計にだ。けれども涙が止まらない。
俯いて、そっぽを向いて、握られた手を握り返すのが精一杯だった。
(あれ、気のせいかな)
それでも小さい嗚咽は我慢できなくて。
パチュリーが泣いていることに、アリスは少し歩いて気が付いた。
けれどそれを指摘すれば、絶対に機嫌を損ねるだろうから。
知らない振りをして、ゆっくりと歩いた。
ドアを開け、リビングを通り、階段を昇っていく。
ついてくるパチュリーが転ばないようにゆっくりと進む。
二階の自室。
借りた本はそこに置いてあった。
机には少しだけノートが散らばっている。
床にも人形が転がっている。
本当は片付けておきたかったが、いきなりの訪問に、頭の回転が追いつかずにここまできてしまった。
泣き止んだだろうか。
前を向いたままではわからない。
けれど、振り返ることも出来ず、ただ立ち尽くす。
(私、何かしたかな)
「アリス」
「なに」
声を掛けられる。
左手を握ったまま。
じんわり汗をかいていることに気が付いた。
「……私のこと、嫌いになった?」
「え……」
予想外の言葉だった。
そんな風に見えたのだろうか。
嫌いだなんて、そんなこと。むしろ。
「そ、そんなこと、どうして」
振り返る。
振り返らずにはいられなかった。
パチュリーは目に涙を浮かべ、口をぎゅっと結んでいた。
一瞬ジト目でアリスを睨んで、パチュリーは下を向いた。
「だって、ずっと、話しかけてこないから」
「あ、う、そ、それは」
あの日にパチュリーと目があって逸らしてから、まともに話していなかった。
それだけじゃない。何も話さずに引き篭もると言った。
向こうからすれば、拒絶されたと思われてもおかしくはない話だ。
無関心に見えたのは、ただの振りだったのだろうか。
「図書館にも来ないし」
「い、忙しくって、その」
そう考えると、すごく申し訳のないことをしたと思う。
思った以上に、自分はパチュリーのことを傷つけていたことに気が付いた。
どうすれば、そうじゃないと伝わるだろうか。
笑顔が綺麗で、つい恥ずかしくて目を逸らしていた、なんてことは言えなかった。
けれど、伝えなきゃいけない。どうしても伝えなきゃいけない。
「ごめん、ごめんなさい、あんな風にして。でも」
だから、代わりに手を伸ばす。
震える肩に手を掛けると、パチュリーはびくりと顔を上げた。
伝わるように。そんな悲しい顔をさせないように、まっすぐ言った。
「嫌ったりなんかしないよ。本当に、絶対に」
目を見ると、体が熱くなるのがわかる。
いつもよりも至近距離にいることが、頭を真っ白にさせる。
もしかしたら、変に思われてしまうかもしれない。
だけど、それより伝えなきゃいけないことがあるから。
「うん」
「本当に研究に忙しくて、中々行けなくて」
「うん」
「ごめんね、本も借りっぱなしで」
「うん」
「また、行くから」
「うん」
伝わっただろうか。
ちゃんと伝えられただろうか。
恥ずかしかったけれど、ここで目を逸らしてはいけないと思った。
「よかった、嫌われてなくて」
泣きながら、パチュリーは笑った。
普段の無表情とは考えられない、彼女の笑顔だった。
どくりと胸が高鳴った。
(あ、また)
笑い返したいのに、上手く返せない。
いつまでもじっと見ていたい。
綺麗過ぎる。
そう言ったら彼女はどんな顔をするだろうか。
「あ、えっと、その」
「あ」
アリスが見惚れている最中、パチュリーは急に向きを変えた。
どうやらこの状況を理解したらしい。
頭が冷えてきて、自分がどれだけ恥ずかしいことをしているかがわかったみたいだった。
「と、とにかくっ、本返しに来てもらいにきただけだから」
「あ、うん」
パチュリーはアリスの机にあった一番上の本を取った。
机の上から本が崩れ落ちるのにも関わらず、そのまま自分の懐にしまった。
一度ごしごしと目を拭うと、ガチャリと音を立てて部屋を出ていった。
「ただそれだけだから」
「うん」
足早に駆けて行くパチュリーを、アリスは追う。
助かった、と思った。
今の自分の表情を見られたら、パチュリーは不思議に思うだろうから。
きっと今、パチュリーは自分のことで精一杯なはずだ。
こちらの表情を悟られなかったことが、アリスには救いだった。
「それじゃあ」
「うん」
ぎこちなく挨拶をして、パチュリーは空へ浮かぶ。
アリスに背を向けたまま。
「後の本は、近いうちに返しなさいね」
「わかってる」
ぶっきらぼうな声は少しだけ震えているような気がした。
「早く読んでね、私も必要だから」
「うん」
「……さよなら」
パチュリーの姿が少しずつ、小さくなっていく。
見えなくなるまで見送った。
手に残ったぬくもりを確かめるように、ぎゅうと握った。
泣き出しそうに我慢している表情。
涙いっぱいに浮かべた目。
笑った彼女の顔。
ぶっきらぼうな普段より少しだけ、嬉しそうな声。
「重傷だなぁ」
アリスは空を見上げたままそう言った。
残った本は9冊だ。
今から読めば、一冊ぐらいはなんとか頭に入るだろう。
電子レンジは壊れているが、ゼリーぐらいならば作れる。
今日渡しそびれたりんごも残っている。お土産はそれで充分だ。
「……明日行こうかな。きっと待っているよね」
少しだけ嬉しそうにアリスは呟いた。
「どうだったんだ、昨日」
「なにが」
「なにがって、はぐらかすなよなー」
翌日。
アリスは魔法図書館に来ていた。
本を探していたところを、魔理沙に話しかけられたのだった。
やけにニヤニヤしながらやってきた魔理沙。
そういえば、こいつが昨日の出来事の原因だったな、とアリスは思った。
「なぁ小悪魔」
「ええ」
「なに、小悪魔も昨日のことに一枚噛んでいるわけ」
「あはは……」
不満そうなアリスの表情に、苦笑いの小悪魔であった。
しかしおかげで誤解は解けたのだ。
あんまりに恥ずかしいことの連続で、詳細は決して口にはできないが。
「なにがって、今日私はここに来ているでしょう。ちゃんと仲直りならしたわよ」
「なんだ、やっぱり喧嘩してたのか、お前ら」
「う、うんまあ」
本当は喧嘩というわけではないような気がしたが、この方が誤魔化せるとアリスは思った。
しかし詳しいことは口にできなかった。
パチュリーが帰った後考えて、自分が色々暴走しすぎたことに気が付いたからだ。
パチュリーもおそらく言おうとはしないだろう。
「で、そっから先は?」
「なによそれ、だから私はここに来たって言ってるでしょ」
「いーや、そういうことじゃなくってな」
「何ニヤニヤしてるのよ。仲直りした以外になにもなかったわよ」
「お前ってさ、本当は」
ばあんと。
魔法図書館の扉が開いた。
来客用の方ではない。パチュリーの自室の方からだった。
「私の図書館で騒がないで」
ジト目で無表情に冷たくそう言って、パチュリーはいつもの定位置の椅子に座る。
小悪魔がパチュリーの元に飛んでいく。
魔理沙とアリスは顔を見合わせた。
「なぁ、あんな無表情な奴のどこがいいんだ?」
「無表情?」
「ああ、本以外には興味なさそうだし、しかめっ面ばっかりして」
「そうかな」
魔理沙は後にこう思った。
あの時のアリスは、まるで恋をしているようだったと。
「そんなこと、ないと思うんだけどな」
少し嬉しそうに、パチュリーの背中を見ながら呟いた。
普段の無表情な姿に隠された、彼女の七色の表情を思い浮かべながら。
「そうかなー」
「そうよ」
「……」
「なによ」
「別に」
本を棚に置き、アリスは二人の元に向かう。
あ、まてよ、はぐらかすなよ、という声が後ろから聞こえたが、聞こえない振りをした。
「また来たの?」
「あはは……」
決まり文句を言いながら、ぷい、とそっぽを向くパチュリー。
昨日のことを思い出すと、ほんの少し恥ずかしくなる。
けれど、ちょっとだけ打ち解けたような気がするから。だから。
「ねぇ、昨日読んだ本さ、わからないところがあったんだけど」
「どこよ、あんまりに下らなかったら追い返すわよ」
「それは嫌だなぁ、折角ゼリー作ってきたのに」
「……」
あ、やっぱり甘いものに弱いんだ。
そう思ってアリスは少し笑う。
「……笑ったでしょ」
「気のせいね」
「いいや、笑ったわね」
「気のせいだってば」
「ふうん」
「……」
「笑っているでしょ」
「笑ってないわよ」
「絶対笑った、許せない」
世話焼きな人形遣いと、ぶっきらぼうな図書館の魔女。
七色と七曜の物語は、まだ始まったばかりだ。
~七色七曜物語・完~
紅い館の大図書館で、アリスは本を探していた。
強くて頑丈な糸を作る。それの手助けになるような、そんな本を探していた。
図書館は結構広く、長いこと整理されていない箇所がたくさんある。
図書館の主も全て読みつくした訳ではないし、興味のない分野は特に整理されていなかった。
だから、探すのに毎回苦労している。
アリスの興味のある分野と、パチュリーの範囲内の分野は、重なっていることもあればないことも沢山ある。
そうなると、自力で探さなくてはいけない事が多く、結構苦労するのだ。
「西洋人形大全集第4巻……」
本を開こうとして、アリスは手を止めた。興味はあるけれど、それが目的ではないからだ。
目的外の本をつい読み耽ってしまう、こういうことも常だった。
アリスは手にした本を元に戻した。
「どこにあるんだろう」
上を見れば本ばかり、天井がずっと遠くに見える。
ここは地下室だから当たり前かもしれない。けれど、こんなにたくさんの本を見たのはこの場所が初めてだ。
初めてここへ来たのは天気の異変があったときで、あの時は随分とこの部屋の主に怒られた。
それ以来よくここに来ているけれど、無表情に本ばかりを読んでいる彼女とは、あまり言葉を交わさない。
確かに無礼と言えば無礼な話だった。
パチュリーの所有物ともいえる物を勝手に借りているのだから。
それを平気でやってのける隣の家の白黒魔法使いは、やっぱり野良魔法使いだと思う。
だから、お礼代わりにちょっとしたお菓子などを焼いてきたりしていた。
(ま、それでチャラ、ってわけにはいかないんだろうけど)
そして出来るだけ、本を借りるときは一言言うようにしている。
大抵つまらなそうに、あ、そう、とだけ言って本を読み始めるのだけれど。
幸いにして、アリスが借りていった本をパチュリーが止めたことはない。
分野が相当違うのか、既に読んだ本だったのか、とりあえず止められたことは一度もなかった。
「んー、ここにもないなぁ」
図書館は、広い。
とんでもなく広い。
ホコリを被って、誰も読んでいないであろう本も沢山ある。
いつも場所がわからないときは、秘書である小悪魔に聞くようにしているが、彼女の姿は今日まだ見ていなかった。
出来るだけ迷惑はかけたくない。しかし、ヒントもなしに探し当てる自信はない。
もしも彼女に会ったら相談してみよう。そんなことを考えていたときだった。
「何探しているのよ」
「うわっ」
後ろから話しかけてきた声に、思わず変な声をあげてしまった。
図書館の無愛想な魔女、パチュリー・ノーレッジ。
思わぬ人物の登場に、アリスはちょっとうろたえてしまう。
「えっと、その」
「また来たの?」
「う、うん、まぁ」
アリスはパチュリーがちょっぴり苦手だった。
最初ここへ来たときはとんでもない扱いを受けたし、それ以来ここへ来ても、彼女に中々話しかけられない。
いつも本ばかり読んでいるし、話しかけるなオーラを放っている。
白黒魔法使いみたいに無神経な神経していたら、空気読まずに話しかけることも可能だろう。しかしアリスにそれは出来なかった。
なるべく笑顔を心がけているが、向こうは興味がなさそうに本ばかりを見ている。
嫌われているのかもしれない、と時々思ったりすることもある。
だから、こうして彼女から声を掛けられることは、かなり珍しいことだった。
「ちょっと調べたいことがあって」
「ふうん」
「あ、おととい借りた本、机に置いておいたわ、ありがとう」
「別に、礼を言われることでもないけど」
「あはは……」
パチュリーは無表情だ。
顔だけじゃない、声まで無表情なのだ。
それが彼女の性格なのか、それともわざとなのか。
できれば後者は避けて欲しかった。人にはあまり嫌われたくない。原因があるならともかく、そんなに話したこともないのだから。
「あ、あの、それで」
もしかしたら、このタイミングでもっと話せば、もうちょっと話せるようになるんじゃないか。
そう思ったアリスは、本の在り処をパチュリーに聞こうとした。
「パチュリー様、アリスさん、お茶にしましょー!」
入り口のほうから元気な声がした。
ナイスなタイミングだった。
「小悪魔」
「へへへ、アリスさんのクッキー付きですよー」
「アリスが?」
「はい」
小悪魔の言葉を聞いて、パチュリーはアリスに目を向ける。
ここで何か言えばもうちょっと話せるようになるかもしれない。
アリスは顔を紅くして、「えと、まあいつものお礼に」と言ってみた。
「ふうん」
「……」
いつものように、無表情にアリスを見るパチュリー。
笑顔のままのアリス。
ふっと逸らして小悪魔の元に向かうパチュリーに、アリスは固まったままでいた。
(やっぱり、嫌われているのかなぁ)
そうかもしれない。いや絶対そうだ。
あれが地なのだろうか、それにしたって無表情すぎる。
あるいは、自分に全く興味がないか。そのほうが正しいかもしれない。
どちらにしろ、あんまり気分がいいものではなかった。
ちょっと気落ちしながら、もう一度パチュリーの方を見る。
彼女は丁度、小悪魔とお茶の準備をしていたところだった。
「あら、おいしそうね」
(あ……)
アリスは初めて見た。
無表情で無愛想な魔女が、笑っているところを。
甘いものが好きなのだろうか。嬉しそうに小悪魔に話しかけている。
いつもの彼女とは違う姿に、何故だか目が逸らせない。
「……何見ているのよ」
「い、いや別に」
しかし、次の瞬間にはいつものパチュリーに戻っていた。
少し怒っているような声色に、慌ててアリスは顔を逸らした。
「まあいいけれど」
無愛想なパチュリーの言葉に、やっぱり嫌われているのかなぁとアリスは思った。
けれど、それよりもさっき見た表情が、頭の中に焼きついて離れない。
(あんな顔するんだ)
「アリスさーん、お茶にしますよ」
「い、今行くわ」
少しだけ上ずった声を、彼女に聞かれただろうか。
いつもと変わらない無表情な彼女からは、わからなかった。
その日のお茶会はすんなり終わった。パチュリーと違い小悪魔は、結構喋るし冗談も上手い。
ほぼ小悪魔と喋っていただけのような気もするが、いつもより何故か緊張していたアリスにとっては、正直助かることだった。
何度かこんなやり取りをするうちに、アリスはちょっぴりわかったことがある。
パチュリーは結構、甘いものが好きだ。
そして、自分が作ってきたものを喜んでくれている。
決して顔には出さないが、少しずつ会話も増えていったのがわかった。
それはちゃんと自分の事を、受け入れてくれているということであり。
友人、とまではいかないが、ちょっとした顔見知りぐらいにはなれたのではないだろうか、とアリスは感じていた。
「パチュリー、何読んでいるの?」
「貴女、自分の研究を人に話すと思っているの?」
「うっ」
と、まあこんな風にして、本を読んでいるときに声を掛けるなんてことをすると睨まれてしまうのだが。
「まぁいいわ、お茶にしましょう」
と、お茶の時間になると少しだけ機嫌が良くなるような気がした。
「……」
「何よ」
「パチュリーって、結構お菓子好きだよね」
「うるさい」
しかし、こんな風に余計な一言を言ってしまうと、やっぱり一瞥されてしまうのだが。
思った以上に、この魔女は子供のようなところがある。
甘いものが好きだったり、気に入らないとすぐに拗ねる。
それなのにプライドだけは高い。いつも無表情でいるのはそのせいもあるのだと気が付いた。
そんなパチュリーが、アリスにはなんだかおかしかった。
「なに笑っているのよ」
「いや別に、気のせいよ」
「……ふうん」
時々どうしても、ふっ、と笑ってしまうことがある。
決して馬鹿にしているわけではないが、パチュリーの性格上、笑っているのがばれたら関係がまずくなるような気がしたので、なんとか誤魔化していた。
二人は少しずつ話すようになった。
魔法の事、弾幕の事。
お菓子に合うお茶の話、貸して返さない迷惑な魔法使いの愚痴だとか、最近文屋がやってきて本を置いていったとか、神社に行ったきり戻ってこない吸血鬼の親友の話とか。
「レミィのノロケを聞くのが辛い」
「聞いてあげればいいじゃない」
「読書の邪魔」
「あはは……」
「咲夜も泣きついてくるし」
「そうなんだ」
「読書の邪魔」
「……さっきからそればっかりね」
「うるさいわよ」
もうちょっとだけ、パチュリーについてわかったことがある。
広大な魔法図書館の中には、魔法に関する本だけではなく、割と普通な本も混じっている。
普通な本、というのは小説とかの類の本だ。
「本当、たくさんあるのね。……高等製金術第6巻、すごいわ、こんなに纏まっているなんて」
「ちょ、そ、そっちは」
「ん?なにこれ、「蜂蜜味の放課後」……小説みたいだけどこれもパチュリーの」
「アリス!」
しかも、それを見つけることをパチュリーはとても嫌がる。
きっと彼女の趣味の本なのだろう。
小悪魔あたりが悪戯をしているのだろうか。とにかくそれはところどころに隠れており、見つけると途端に嫌な顔をされた。
「パチュリーも、こういうの読むんだ」
「べ、べつに私の本じゃないわよ!こ、小悪魔の趣味!」
ここでいつものようにしれっとしていればアリスだって気に留めないのだ。
無表情に隠れているせいで気が付かなかったが、演技というものが出来ないらしい。
「官能小説と、一般書の区別は付けたほうがいいんじゃない?」
「うるさい、ま、まだ整理していないのよっ。それにそこは立ち入り禁止よ」
「あら、見えなかったわ」
「全くこれだからネズミは……」
これもまた新たな一面であった。パチュリーは小説の類の本を嫌いだと思っていたからだ。
知識を高める為にならない本を、読んでいるということが結構意外だった。
けれど、こんな恋愛小説を隠れて読んでいるあたり、パチュリーも乙女みたいだった。
「あ、ここにも。「先生は僕に恋をする」」
「アリス!」
まぁ、趣向はちょっぴりアリスとは異なっていたが。
「ちょ、な、殴らないでよ!」
「立ち入り禁止って言ったでしょ!」
「わ、わかったわよ、わかったってば」
「邪魔するぜー!」
「え」
「あ」
ばあん、扉を破ってやってきたのは、白黒衣装の魔法使い。
ところどころ服が破れていた。
「あー、全く、今日は結構手ごわかったぜ門番の奴」
「あんたまた正面突破してきたの?」
「ああ、そうだぜ。めんどいからな」
「ちゃんと話せば通してくれるでしょうに……」
「通すこと自体問題よ。攻撃されて当然」
アリスはいつも、お菓子やお土産を持って、門番に話しかけてからこの図書館にやって来る。
愛想よくしているせいか、攻撃を一切しないせいか、門番からは気に入られ、ほぼフリーパスで図書館にやって来ていた。
そのこともパチュリーにとっては面白くないんだろうと、内心感じながら。
「ん、なんだ二人とも集まって。何か面白い本でもあるのか」
目を輝かせて近付いてくる魔理沙。
これは何か面白いものを見つけたときの表情だ。
アリスの手にあるのは先ほどの官能小説。
パチュリーの体が少しだけ動いたような気がした。
「アリス、その本なんだ。面白そうな匂いがするぜ」
ニヤニヤしながらやってくる魔理沙に、パチュリーが何かを言おうとする。
しかしそれより早く、アリスは答えた。
「人形の素材についてね」
「ほう」
「馬の皮は硬過ぎるけれど、長時間鍋の中に血を入れて煮込むことによって色落ちするし、丁度よくなる。けれどその長時間というのが一ヶ月とかその位の時間であって、人形作りというよりはこれは召喚のために子羊の生きた魂を捧げる禁術に似ているわ。確かにこれなら結構いいものができそうよ」
「……」
「あとはえっと、ああここだった。羊の毛は繊細すぎるわね。魔力の流れはいいけれど、強度がない。これについてもまた山羊の血で長時間煮込むことにより魔法に対する耐性ができると書いてあるけれど、こっちは二ヶ月。どっちにしろ容易ではないということね。あとそれから生きた蛙をこの中に入れると」
「あーもういいぜ、私の管轄外だ」
すたすたと休憩室に向かう魔理沙を、アリスはじっと見ていた。
その様子を、パチュリーはじっと見ていた。
アリスは本を元に戻した。
「あいつにこういうのがバレると厄介よ。早いとこ整理したほうがいいんじゃない?」
「……」
「どうしたのよ」
「嘘つきね、案外」
「え」
「……生意気」
そう言って、魔理沙のほうに歩いていくパチュリー。
アリスは内心、やっちゃったかなぁ、と思った。
少しからかい過ぎたかもしれない。だからああやって頑張って誤魔化したんだけど。
そしてその誤魔化しは成功したように見えたのだけれど。
アリスはあんまり気が付いていなかったが、パチュリーにとって気に入らなかったのはアリスのそんな大人びた面であった。
自分が出来ない演技を簡単にやってのける、そんな所に腹が立ったのだろうと、気が付くのはもう少し先の話だった。
また怒らせちゃったなぁと落ち込むアリス。
どうにもこの魔女のカンに触ることばかりやってしまうみたいだ。
本当は、もっと仲良くなりたいのに。
そう思っていたのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
そんな風に、アリスは落ち込んでいたときだった。
「でも、助かったわ、ありがとう」
無表情な声。
下を向いていたアリスは顔を上げる。
しかし、次の瞬間には、パチュリーはふわふわと飛んでいた。
「い、いえとんでもっ」
といった言葉は、彼女に届いただろうか。
「やっぱ、生意気」
そう聞こえた気がした。
けれど、ありがとう、と言ってくれた。
普段礼なんて滅多に言わないのに。
これは許されたということでいいのだろうか。
(でも、そっか、生意気か。そんな風に振舞ってるつもりはないんだけどなぁ)
ははは、と苦笑するアリスであった。
そんなこんなで、魔法以外のことについても少しずつわかるようになってきた。
冷静に見せかけて、意外と純情だったり。
やっぱりプライドは高かったり。
そんな図書館の主の姿を見るのが、アリスには楽しかった。
本が好きだということもある。知識を得なくてはいけないという目的もある。
けれど、それより何より、パチュリーと少しずつ仲良くなっていくのが嬉しいのだということに、アリスは少しだけ気が付いていた。
そんなことを認めるのは恥ずかしかった。だから知らない振りをした。
◇◇◇
図書館に通うようになってから二ヶ月ぐらいが過ぎたある日のことだった。
「宴会しようぜ!」
とお隣さんから誘いが来た。
「宴会?」
「そ、最近全然やってなかっただろ」
「そうだっけ」
「そうだよ。お前は図書館に通い始めてから付き合い悪いしなぁ」
そうかもしれない、とアリスは思った。
確かに何回かお隣さんに今日暇か、と誘われたことはあったような気がするけれど、その度に断っていた。
それよりも、借りていた本を消化するのに忙しかったのだ。
アリスはいつも、パチュリーに、この日まで返すということを言っていた。
それを守れば信頼が上がるし、借りるのに都合がいいからだ。
時々魔術書のキーワードが見つからず、徹夜で解読することもあった。
一度読んだ本をもう一度あの図書館から見つけるのは難しい。
せめて内容がわかれば、わかりやすいところへ取っておいて、ぐらいは言えるのだが、読まずにそのまま返してしまっては、本当に内容がわからないままになってしまう。
だから、宴会よりもそっちが優先だったのだ。
「そうね、それもいいかもしれないわ」
「お、ノリいいな。珍しい」
「そう?」
そうやってこの二ヶ月過ごしてきたものだから、神社にいる面子とはあまり顔を合わせなくなっていた。
顔を合わす、といってもせいぜい霊夢ぐらいしか知り合いはいないのだが。
しかし、宴会で新しく交友が広がることはよくある。
魔理沙が開く宴会は、結構知らない妖怪がたくさんやって来るのだ。
「そうと決まればだ、お前、とっとと神社に向かってくれ」
「はい?」
「準備だよ、準備。お菓子作るの得意だろ」
「……待った、あんたが私を誘ったのって、もしかして」
「じゃあ、私は人集めに忙しいんでな!よろしく頼むぜ」
「魔理沙!」
続きを言おうとした瞬間に、白黒魔法使いは空の彼方へ飛んでいた。
人使いが粗い、アリスはそう一言呟いた。
幸いにして今日は借りている本は一冊しかなく、昨日の夜に読み終わっている。
それに、あの様子じゃ準備を毎回やっている霊夢なんかは大変そうである。
「もしかしたら、……いやきっとそれはないかな。こういうこと嫌いそうだし」
図書館の無愛想な主を思い浮かべる。
彼女はお酒とか飲んだりするのだろうか。
みんなでワイワイやっているイメージには、到底結びつかない。
「ま、いいか。霊夢待っているもんね」
お気に入りのローブを羽織り、アリスは神社へと向かった。
読み終わった本は、机の上に置いたままだった。
「これ、適当に皿に盛っておいて」
「うん」
「あとそれが終わったら、コップとかも出しておいてくれる?」
「わかったわ」
神社には少しずつ人が集まっているようだった。
萃香が飲んでいる声がした。霊夢まだぁ、とひっついては、うるさい、と陰陽玉で蹴散らされていた。
「いっつも苦労しているのね、霊夢」
「まぁね。特に最近は、誰かさんが来なかったから」
「う、そ、それは」
「貴女は無意識に断っていたんでしょうけれど、魔理沙言ってたわよ、あいつ最近冷たいよなぁって。私もそう思っていたわ」
「ご、ごめん、ちょっと色々研究していて」
準備の忙しさを考えると、今まで断ってきたことをちょっぴり反省するアリスであった。
「宴会には来ないけれど、図書館には行くのね」
「なによそれ」
「まあそのまんま?そうでしょ最近」
したり顔で霊夢にそういわれ、ちょっとだけ顔を赤くするアリス。
ニヤニヤしているのはきっと気のせいじゃないだろう。
「ほら、あの図書館便利だし、結構居心地よくって」
「へぇ、居心地いいんだ。あんな無愛想な魔女が睨んでいるのに」
「そう無愛想でもないわよ、パチュリーは」
「そうかしら」
霊夢は何かを言いたそうにしているが、アリスは構わず、大きい皿にバンバンジーのようなものを盛り付けた。
作ったドレッシングを適当に掛ける。
「ちょっと、これ掛けすぎじゃない?」
「知らない」
「あんたにしては珍しいわね、美味しそうだからいいけど」
ぶっかけたドレッシングは、あんまり見た目がいいものではなかった。
けれど、なんとなく霊夢の側から離れたかったので気にしなかった。
「ま、夜は長いし、こういう話は夜やるべきよね、やっぱ」
くすくす言いながら、煮物の入った鍋をかき混ぜる霊夢。
俗に言うがーるずとーくという奴であるが、アリスは聞かなかった振りをした。
別にパチュリーがどうこうということはなく、単純に図書館で読みたい本があったのだ。
ただそれが結構あったせいで、宴会に行けなかった。それだけの話である。
夕焼けが赤かった。
もうすぐ日が落ちて、妖怪も沢山集まってくるのだろう。
バンバンジーのような料理を机に置きながら、アリスはそう思った。
「霊夢、こんばんは」
「あらこんばんは、レミリア。咲夜も」
ついでに水の入ったコップも置く。
隣に空のコップも置く。
それが終わると、裏口にある酒をいくつか運ぼうと立ち上がった。
「あら、後ろに誰か居る?」
「ああ、折角だからな」
「折角ですしね」
霊夢が居るほうを見る。
レミリアと咲夜が居る。
その後ろの柱の影に、月のアクセサリーをつけた帽子が見えた。
「あら、パチュリーじゃない。いらっしゃい」
「じ、邪魔するわ……」
アリスはびっくりした。本当にここに来るとは思っていなかった。
酒を運ぶ手を止めてしまう。
左手に大きな本を持ち、そっぽを向きながら神社の中に入ってくるパチュリー。
と、思ったらコケた。前を見ていなかったせいで、段差がわからなかったらしい。
振動が、アリスのほうまで伝わってきた。
「大丈夫?」
「平気……」
遠めでその様子を見ていたアリスは、ふっと笑ってしまった。
けれどそれを指摘したら、絶対機嫌が悪くなるだろう。
笑ってしまったのもバレたらまずい。というか見ていたこと自体ばれたらまずい。
アリスはお酒を運ぼうと、その場を後にする。
「笑ったわね、あいつ」
「ん、どうかしたの?」
「なんでもない、ありがとう霊夢。手間掛けさせたわね」
しかし、パチュリーには完全にばればれだったわけであるが。
(興味のない振りをして、意外とこういうのが好きだったんだ)
そう思うと余計、口元が緩んでしまう。
けれどそんなことをすれば、絶対に機嫌を損ねてしまう。
プライドがすごく高いのだ。
宴会なんてくだらない、普段はそう言っているに違いない。
けれど一番楽しみにしているのは、意外と彼女なんじゃないだろうか。
アリスは台所で一人くすくす笑った。
「……ゆるせないわね、未熟者のくせに」
パチュリーがそう呟いた言葉は、アリスに届いていない。
「王様だーれだ!」
「私だ!」
「げっ、魔理沙」
「うわ魔理沙」
「なんだよなんだよみんなして、私が王様じゃ不満か?」
「だってさー、ねぇ」
「うん、嫌な予感しかしないっつうか」
「うるさい、じゃあ命令行くぞ!4番と6番がポッキーゲームする!」
宴もたけなわになった頃だった。
飲んだ量はそれほど多くはなかったが、久々ということもあって少し頭がくらくらしていた。
「出た、期待通り」
「出た、予想通り!」
「面白いからいいけど別に」
「だろ、っていうか霊夢、お前は違うのか」
「私3番」
「ちえ、つまらん。じゃあ誰だ4番は」
「わ、私だ……」
「け、けーね!?」
向こうの方では酔った連中が王様ゲームなんかを始めていた。
アリスはその前に離脱した。離脱して正解だった。正直あの手のゲームは好きになれなかった。
「お、お嬢様、それは」
「ふうん、ハクタクの血、っていうのも良さそうよね」
「お、6番はレミリアか。よーしこれで始めてくれ!」
「ってこれ大根じゃない!どこがポッキーよ!」
「野菜スティックもポッキーも同じようなもんだろ」
少し涼んでくる、と霊夢に言って、アリスは裏手に回る。
今日は色々、他の妖怪と話したなあと思った。
竹林に居る永遠亭のメンバーや、山の妖怪達。
寺子屋の慧音に、人形をいくつか作ってもらうように頼まれたり、山の神社の風祝に裁縫の仕方を教えたり。
結構飲んで、結構しゃべったような気がした。
「辛い辛い辛い!」
「お嬢様、食わず嫌いはいけないと思います」
「け、けーね、本当にやるの?本当なの?」
「し、仕方ないだろう、王様の命令なんだ。わ、私だって、ほ、本当は」
「ほらいいからお前ら始めろ!」
そしてしばらく飲んだ後、アリスは気が付いた。
パチュリーの姿がどこにもないということに。
喋っていたときは彼女が誰と話しているか知らなかったし、そんなに気にはならなかった。
けれど、こうして見渡してみると、宴会場のどこにも彼女の姿がない。
いつの間にここから離れたのだろうか。もしかしたら帰ってしまったのだろうか。
それはそれでなんだか悲しかった。確かにたくさん妖怪がやってきて、話す機会も少なくなるのもわかるのだが。
これでも少しは打ち解けたと思っていた。挨拶ぐらいは、してもいいような気がした。
「どこ、いったんだろう」
そう思うと急に探さなくてはいけないような気がした。
一言ぐらいは何かしゃべりたい。そう思い、廊下を早足で歩く。
神社の中には小さな部屋がいくつかある。そのうちのいくつかは宴会用に、またいくつかは空っぽのままだった。
そのうちのひとつをガラリと開けた。
「あら、アリスも混ざる?」
煙草を吸いながら八雲紫と八意永琳達が麻雀をやっていた。
「い、いえ」
「えー、楽しいのに、ねえ妖夢」
「そうよね妖夢」
「すみません、ちょっと人を探していて、それでその」
右手にビールを持って顔が赤い二人が、アリスにはちょっぴり怖かった。
「あらそう、残念ね」
「残念ね」
「こっちの方が面白いと思うのにね、ウドンゲ」
「そうよねウドンゲ」
「……」
二人に捕まっていた妖夢と鈴仙はちょっぴり涙目だった。
「ごめんなさい。用が終わったらまた来るわ」
「待っているわよぉ、せっかくのカ……ああいやなんでもないわ」
「ごめんねぇ、ゆかりん酔っているから気にしないでねぇ」
ははは、と苦笑しながらその場を後にする。
紫が何かを言いかけたのはきっと気のせいだと思うことにした。
捕まっていた二人が気の毒であったが、あとでまた来るから、と心の中で謝った。
その場を後にしたアリスは、裏手のほうに回った。
縁側には金木犀が咲いている。甘酸っぱい香りが鼻をかすめた。
黄色に光っているのは三日月だった。
雲ひとつない空だということに、ぼんやり気が付いた。
「パチュリー?」
「……」
縁側で、誰かが倒れていた。その人物はすぐにわかった。
うつ伏せで、左手に本、右手に酒らしきものを持っている。
「大丈夫?」
「……」
アリスは駆け寄ると、まず酒の入ったコップを取った。
本が濡れたら困るからだ。
コトンと音を立てて、少し遠い所に置く。
そして、体を揺らしてみる。
うつ伏せになっているせいで、パチュリーの表情は見えない。
けれど、相当つぶれているのだろうか。具合がいい風には見えなかった。
「眠っているの?……気持ち悪いの?」
「……」
「ごめんね、嫌だろうけど、ちょっと我慢してね」
そう言うと、アリスはパチュリーを持ち上げる。
酔っているのか気分が悪いのか、抗議の声は上がらなかった。
「軽っ!」
パチュリーをお姫様抱っこしたアリスはそう言った。
軽すぎた。
一番近くの部屋の障子をガラリと開ける。
ごろりと寝かせ、近くにあった座布団を、枕代わりにひいてやる。
そして、自分のローブをかけてやった。
ううん、という声が聞こえたような気がした。
「あ……アリス?」
「気が付いた?」
顔を覗き込むと、しばらくぼーっと見つめてから、急にぱっと向きを変えた。
状況を理解したらしい。
顔を見られたくなかったのだろう。うずくまって動かない。
「な、なんでここに」
「なんでって、パチュリーがそこで倒れていたから」
「あ、あれはただね、ねていただけよっ!……うぇっ」
大声を出して、気持ち悪そうに頭を抱えるパチュリー。
きっと飲みすぎてしまったのだろう。
元々体が強いほうではないと、小悪魔からも聞いている。
「これ、水だから。飲んで。ちょっと気分よくなるわよ」
「……」
水の入ったコップを差し出す。
しかし、パチュリーは受け取ろうとしない。
やっぱり想像通りだと、アリスはため息をつく。
「飲みなさいって」
「……」
「気持ち悪いまんまよ、いいの?」
アリスの問い掛けにびくりともしない。そっぽを向いたままだ。
聞いているのかいないのか。表情が見えないのでわからない。
酔ったときは水が一番いいのに。
火照った体を冷ましてくれるし、頭が痛いのも治してくれる。
うんともすんとも言わないパチュリーに対し、業を煮やし始めたアリスは思い切って肩に手をかけた。
そして右手にコップを持ち、振り払われるまえに耳元で囁く。
「飲まないんならぶっかけるわよ、これ」
「なっ」
アリスのその言葉に、驚いた声を上げたパチュリー。
しかしアリスはしゃべるのを止めなかった。
コップを耳に当ててやると、冷たかったのか、パチュリーの体がちょっと動いた。
「まぁまだ暑いし、平気じゃない?すぐに乾くわよ」
「な、あ、あんたねぇっ」
「お酒のせいで暑いんでしょ。ちょうどいいんじゃないかし」
ニヤニヤしながら楽しそうに話しているアリスに、ばっとパチュリーは振り返った。
コップに入った水が顔に跳ねる。
冷たい、そう思った次の瞬間には、コップは右手になかった。
「とんでもない奴」
ジト目でそう言われた。
「貴女が素直に飲まないからでしょう」
「ふん、病人に水かけるなんてどうかしているわ」
「だってそう言わなきゃ絶対飲まないでしょ」
ごくごくと、コップに入った水を飲む音がする。
白い喉がコクンと鳴る。
酔っているのだろうか。
少し暑そうに、汗が顔を伝っていた。
(あぁ、やっぱり弱いんだ、暑いのに)
いつも図書館に引きこもっているせいで、外の空気に慣れていないのだろう。
こんなに白いのはそのせいだろうか。
「何見てるのよ」
「え、あ、い、いや」
無表情な声にそっぽを向いた。
危ない危ない。何じっと見てしまっているのだろう。
また機嫌を損ねるところだ。
「まぁいいけど」
「……」
けれど、さっき脅してしまったことに関してはあまり反省はしていない。
ああでも言わなければパチュリーは自分の言うことを聞かなかった。
これでよかったのだ、少し楽になれたはずなのだから。
ビクっとしたパチュリーを見て、ちょっと楽しいとか思っちゃったことは頭の隅から追いやることにした。
「頭いたい」
「飲みすぎたんでしょ」
「うるさい」
「あ、枕かなにか持ってこようか。あとは氷とか」
「いらない」
一瞥されてしまう。
プライドが高いパチュリーのことだ。自分にこんな姿を見せるのさえ嫌なのだろう。
これ以上手を借りたくないと言っている。
そんなパチュリーの態度に、アリスは少しだけ心が痛くなる。
(もうちょっと、頼ってくれたって、ねぇ)
ごろりと寝返りを打って、向こうを向いてしまった。
ちょっとやりすぎてしまったかもしれない。
けれど、このままこの場から去る気にはなれなかった。
どうすればいいかわからなくて、そこに立ち尽くす。
外を見れば金木犀。
秋風がひゅうと吹いた。
さっき頬にかかった水が、余計涼しく感じた。
アリスはそのまま縁側に歩いて、すとんと腰掛けた。
「いいの、戻らなくて」
少しして、小さな声を聞いた。
「私も少し疲れたから」
と答えた。
「そう」
「だって、王様ゲームも麻雀も得意じゃないから」
「ふうん」
「ねぇ、パチュリーって意外と宴会好き」
「うるさい」
一瞥されて、苦笑い。
いつものことだった。
だけど、話しかけてくれたことが嬉しかった。
先ほどまでの淋しさはどこへ消えたのだろうか。
そっぽを向いた彼女に気付かれないように、縁側の方を向きながらにやけてしまった。
チロチロと鈴虫が鳴いている。裏側で、王様誰だ、なんて声がする。
時々寝返りをうつ気配がした。
アリスはずっと月を見ている振りをしていた。
「気分よくなったの?」
「ええ」
「そっか」
かさり、と布が刷れる音。
畳の上を歩く音。
無表情な声。
どのくらいこうしていたのだろうか。時計がないのでわからなかった。
少しだけ名残惜しいような気がしたけれど、それは気のせいだと思った。
「アリス」
「なに」
声を掛けられ、振り返る。
珍しいことだった。
大概は、声を掛けるのは自分からだったから。
「ありがとう」
(あ……)
不意打ちだった。
笑った顔を見たのは、久しぶりだった。
胸が締め付けられる。
笑って返せばいいのに、何故だかそれが出来ない。
「アリス?」
「い、いえっ、どういたしまして」
「……変な子」
上ずった声に気付かれなかっただろうか。
顔を見られたくなくてそっぽを向く。
心臓が速く波打っている。
「あ、あの、私、もうちょっと涼んでいくから」
「あそう」
無愛想な声が、何度も何度も頭で繰返されて。
今顔を見られるわけにはいかないと思った。
おかしいぐらいに熱くなっている。
きっと飲んだお酒が今になってめぐりめぐってきたんだ。絶対そうだ。違いない。
「先、戻っているから」
「う、うん」
廊下を歩く音。
頭の中に響く音。
足音が聞こえなくなってから、アリスは縁側に仰向けに寝転ぶ。
雲ひとつない空に黄色い月が浮かんでいて、あぁそっか、アクセサリーに似てたんだ、とぼんやり思った。
「重症かなぁ」
宴会場から、王様誰だ、と声がした。
小さく呟いた言葉は、夜空に消えていった。
それからのことだった。
アリスは相変わらず図書館に通っていた。
読みたい本が沢山あるし、知りたいことも沢山あったからだ。
その場で借りて家に行くことも、読みふけることもある。
ここまではいつもどおりだった。
だけど。
「アリス」
「へっ!?」
「……なに間抜けな声出しているのよ」
声を掛けられ、思わず妙な声を出してしまう。
かぁ、と顔に血が上るのがわかった。
そんなアリスの様子とは対照的に、呆れた声でそう言いながらパチュリーは自分の部屋へ行く。
「気分でも悪いんですか?アリスさん」
「いや、だ、大丈夫」
「そうですか、ちょっと顔が赤い気がしたんですが」
「はは、疲れているのかな、最近根詰めているし」
「養生してくださいね」
「うん、ありがとう」
苦し紛れの言い訳だった。
少しだけ口元の上がった図書館の秘書は、何かを言いたそうであった。
(ああ、またやっちゃった)
宴会のあったあの日から、アリスはパチュリーとまともに話せずにいた。
パチュリーが普段、本を読んでいるときに近付くなオーラを放っているというせいもある。
アリスが割と、人の顔を伺いながら話しかけるという癖もある。
けれど原因はそれだけじゃないことに、アリスは気が付きつつあった。
(どうしてだろう、どうかしている、私)
いつからこうなってしまったのだろう。
あの日、宴会で不意打ちを食らったのがいけなかったのだろうか。
それよりもっと前からだったような気もする。
(ああでも、まずいよなあこのままじゃ)
いや、昔のことはどうでもよかった。
パチュリーに不自然に思われていないだろうか、気にしなきゃいけないのはそこだった。
けれど。
(何も気にされていないんだろうな、私のことなんて)
彼女は相変わらず顔色変えずに本を読んでいる。
こちらのことなど何も気にしない風に。
少しだけ仲良くなったように感じていたのは気のせいだっただろうか。
そのことが、アリスにはどうしようもなく淋しく感じた。
「パチュリー、見てみろ、新しい理論だぜ!」
落ち込んでいたその時だった。
ばあん、と扉を破り、元気な声が飛んできた。
白黒魔法使いだった。
左手にキノコの山を持って、ところどころ服が泥で汚れている。
おそらく採ってきたばかりなのだろう、そしてキノコの山の上に、一つの紙が載っていた。
パチュリーはその紙を手に取る。
「なにこれ、ただキノコの種類を増やしただけじゃない」
「ははは、そう見えて違うんだなぁこれが。なにせ今までの二倍の威力があるんだぜ」
「たかだか二倍程度じゃ新しい理論なんて言えないわよ。精製するときの時間短縮、無駄な術式を廃除すればそれぐらい簡単なことじゃない」
「逆にいえばこれだけで二倍。たいした進歩だと思うぜ」
アリスは遠くから、二人の様子を見る。
よくある魔法談義。
少し前まではアリスもこんな風に話をしていた。
人形を操る為の糸、魔法の籠め方、パチュリーは色々知っていたから、よく聞いていたものだった。
「実用化は可能なの?どれぐらいの労力がいるものなの?常にパフォーマンスの良い術式として使えなければ新しく作っても意味ないわよ」
「そう、それだ。それを聞きにきたんだ私は。本くれ」
「直球ね」
「わかりやすいと言ってくれ」
「そう簡単に渡すとでも?」
「ま、まぁ待てよ。とにかく聞きにきただけなんだ。お茶でも飲んでじっくり聞いてくれよ。話はそれからだ」
「調子のいいこと」
(魔理沙は普通にしゃべっているよなぁ)
ため息をつく。
あれぐらい強引ならば、ああして簡単に声をかけられるのだろうか。
昔はもうちょっと気軽に話しかけられたはずなのに、どうしてそれが出来ないのだろう。
聞きたいことがあっても、声をかけられない。
「とにかく喉が渇いたぜ」
「図々しい奴」
「まぁまぁ、細かいことは気にするなって」
だから遠くで見てるだけ。
あんまり見すぎて嫌な顔をされない程度に。
ここ最近、ずっとそうだ。ばれないように本を読む振りをしたりしながら。
それでもよかったけれど、時々どうしても淋しくなる。
昔のように喋りたい。たまにでいいから笑った顔が見たい。
けれど、どう声をかけていいかわからない。
「おーい、アリス、お茶にするぜー」
「え、あ」
魔理沙に呼ばれる。
ぼうっと考えていたせいで、二人が準備をしていることに気が付かなかった。
「お、シナモンクッキー。咲夜か?」
「アリスよ」
「へぇ、うまそうだぜ」
「ちゃんと手洗いなさいよ。泥だらけじゃない。本当だったら門で追い返すところよ」
慌てて二人の元へ向かう。
走りながら、少しほっとした。
二人きりでは話せなくても、三人なら少し楽だ。
話したくないわけじゃない、きっかけが掴めないだけなのだから。
声が聞きたい、喋りたい、ずっとそう思っていたのだから。
ふと前を見ると、パチュリーがこちらを見ていた。
無表情にじっと、こちらを見ていた。
目が合った。
まずいと思った。
顔にかぁ、と熱が上がる。
恥ずかしくなって目を逸らす。
顔までおもいっきり逸らしてしまったことに、気が付くのに数秒かかった。
(あ、やば)
「……」
視線を感じる気がした。
さすがに今のまずかったかもしれない。
普通目があったって、逸らしたりなんかしない。
自分がされたら結構傷つくことだ。
けれど、顔が赤くて向こうを向けない。
体が熱い。
どうしていいかわからない。
「アリス、これどうやって煎れるんだ?」
「ま、まりささん、私がやりますから」
「やりますからって、悪いだろそれじゃ」
「いえ、貴方に貸すとろくなことにならないので」
魔理沙の呼ぶ声がした。
小悪魔が危なっかしい手つきの魔理沙にあたふたしていた。
逃げるように、アリスは給湯室の方に向かった。
助かった、とアリスは思った。
あのまま二人でいたら、どうすればいいかわからなかったから。
パチュリーはどう思っただろうか。
少しだけ、傷ついただろうか。
それともまたつまらなそうに、本を読んでいるのだろうか。
(きっと、後者だよなぁ……だって、私のことなんて)
やきもきしているのはこちらばかり。
向こうは涼しい顔ばかり。
それもそれで悔しいが、仕方のないことだとため息をつく。
だから、逸らされた相手が淋しそうな目でアリスを見ていたことに、アリスは気付かない。
「おお、うまいな、さすがアリス!」
「本当、美味しいですねぇ、今度うちに雇われに来ませんか?お金出しますから」
「あはは……」
褒められて、照れた振りした苦笑い。
みんなが美味しいといってくれたクッキーは、正直何の味をしているかわからなかった。
「こんなに借りるんですか」
「ええ」
「大変じゃないですか、こんなに」
「いいの、ちょっとだけ家に篭るから」
宴会のあったあの日から、アリスは人形や魔法について全く手がつかなくなってしまっていた。
そして、図書館の主とは相変わらず碌に話せずにいた。
どうにも気まずい空気を作り上げてしまっている。
少し時間を置いて、落ち着きたいとアリスは思った。
「そうですか。残念ですね」
「ごめんね、しばらくしたらまた来るから」
大量に本を借りて、しばらく自宅に篭ることにした。
借りた本は10冊で、難しい本ばかりだった。
まともに読んでも丸一週間はかかるだろう。そして魔法創りに専念すれば、さらに時間はかかる。
冷静になりたかった。
魔法や人形作りをしていれば、変に体が熱くなったり、顔が赤くなったりすることも忘れるだろうから。
「……パチュリー様も、残念がるでしょうね」
「え、パチュリーが?」
その単語を聞いたときに、体が少し熱くなったのがアリスにはわかった。
混乱している自分を隠すように、なるべく冷静な声で話す。
「どういうこと?」
「え、あ、えっと」
アリスの問いかけに、しまった、といった表情をする小悪魔。
「ほら、クッキー、美味しいじゃないですか。パチュリー様もそう言っていましたから」
特技のスマイルで誤魔化した。
「そ、そう。クッキーね」
「はい、しばらく食べられないと思うと、なんだか淋しいですよ」
「そっか、ごめんね」
「いえ、いっつも頂いてばかりで悪いっちゃ悪いですから」
アリスは思った。
やっぱりパチュリーは自分に興味がないのだろうと。
たまにクッキーやお菓子を持ってきてくれる、客の一人としてしか見ていないのだろうと。
(あー、やばかった。もうちょっとでアリスさんにバレるところだった)
小悪魔は思った。
口が滑ってしまったと。
落ち込んだままのアリスの様子からすると、誤魔化しは成功したようだった。
しかし。
(これでよかったのかなぁ、本当に)
思った以上にパチュリーがアリスのことを気にかけているということを、知らせたほうがよかったんじゃないだろうか。
そうも思ったが、やっぱりパチュリーが怖い小悪魔には言えなかった。
「じゃあ、行くね。一ヶ月は掛からないと思うから」
「そんなに、やっぱり掛かるんですね」
「ごめん、でも」
「いいんです、でもたまには顔を見せてくださいね。淋しいですから」
「うん」
本を抱えて飛ぶアリス。
笑って見送る小悪魔。
出口の扉を開けた。
振り返っても、図書館の魔女の見送る姿はなかった。
(行こう、もたもたしていても仕方がない)
扉を閉める。
地下室の廊下を出て、紅い館を、門を出る。
いつもよりも速いスピードを出して、アリスは魔法の森へ向かった。
それから10日ばかりが過ぎた。
図書館には、3人しか居なかった。
あれからアリスは来てない。
小悪魔はそのことに気付いていたが、あえて触れないようにしていた。
パチュリーは本を読み、魔理沙は向かいに座りお茶を飲む。
時々小悪魔も混ざり、魔法についての会話に加わる。
パチュリーは相変わらず無表情だった。
けれど小悪魔はその声に、日に日に元気がなくなっていることに気が付いていた。
「なぁ、パチュリー」
魔理沙がパチュリーに話しかける。
パチュリーは、面倒そうに魔理沙を見た。
「なに、今本読んでいるんだけど」
「つれない奴だな」
「で、何の用よ。手短に言いなさい」
淡々と返すパチュリーに、魔理沙は言った。
「はいはいっと。聞きたかったのはあれだ。アリスのこと知ってるかってことだったんだけど」
アリス、という単語を聞いて、パチュリーの体が揺れた。
小悪魔はそれに気が付いた。
「人形作りか、魔法作りかはよく知らないが、ずっと家から出ないんだ。お前、何か知っているか?」
飄々とした態度の魔理沙に、パチュリーは本を閉じた。
「お、なんだ。珍しいな」
「何が」
「いいや別に」
やはり気になっていたらしい。
パチュリーが読みかけの本を閉じるなんて、滅多にないことだった。
「やっぱりお前が原因か」
「何よそれ、私が何したっていうのよ」
「喧嘩でもしたんじゃないのか?」
「そんなこと、身に覚えがないわ」
小悪魔にはわかっていた。
パチュリーは何も気にしていない振りをしていたが、内心そのことが気になっているのだということに。
元々アリスから声を掛けることが圧倒的に多かった。パチュリーから話しかけることはほとんどなかったと言っていい。
だから、アリスが声を掛けなくなってから、二人の会話が減っていくのは明らかだった。
「ちょっと、生意気って言いすぎたかもしれないけれど」
「あいつそんなことで怒るような奴か?」
「私にだってわからないわよ、そんな事」
そしてアリスはそんな中、自宅に閉じこもると言った。
淡々と話しているが、内心落ち込んでいるんじゃないかと小悪魔は思った。
「理由があるんだよなきっと。研究で引き篭もるなんてよくあることだしな」
「……」
「お前だったら何か知っているような気がしたんだがなぁ」
それを知ってか知らないか、飄々と話す魔理沙。
反対に、パチュリーの表情は暗かった。
「ま、いいけどな。知らないんだったら知らないで」
「……」
魔女の癖に人間が好きで、よく気が利くアリス。
そんな所がカンに触るのだと、可愛くない後輩だと口癖のようにパチュリーは言っていた。
自分の弱みを若輩者に握られたという恨みもあるのだろう。
けれど本当に嫌いだったらとっくのとうに追い返しているということを、小悪魔はよく知っている。
意地っ張りでプライドが高くて、どこか子供のような我が主。
アリス曰く、そういう所がなんだか可愛いのだという。
けれどこのままでは平行線だ。アリスに何があったのか、小悪魔にもわからないのだ。
きっとアリスは勘違いをしている。パチュリーが自分に興味がないと。
だから放っておいても平気だと思っているに違いない。けれど。
(ああもう)
遠目で二人を見ながら、小悪魔はため息をついた。
パチュリーの表情は暗い。この暗いパチュリーを見せたらアリスはどう思うのだろうか。
(本当に意地っ張りなんだから)
アリスのことを知りたかったら、自分から向かうしかないのだ。
そのことに、気が付いていないわけではないはずだ。
けれどパチュリーのこと、そんなことを認めたくなくてじっと待っている。
「あの、魔理沙さん」
「お、なんだ小悪魔、聞いてたのか」
「ええ、まあ」
「……」
じっと、パチュリーが小悪魔を見る。
これは、きっと盗み聞きしていたわね貴女、という目だ。
しかし構ってはいられなかった。このままの二人は見ていられない。
小悪魔は思い切って、話を続けた。
「そんなに気になるんだったら、いっそ行けばいいんじゃないですか」
小悪魔の言葉に、パチュリーはぴくりと眉をあげた。
「おお、そうだな。でもアリスの奴、根詰めていると怒るぜ」
「その時はその時ですよ。追い返されて終わりです。様子が気になるなら見に行ってあげればいいと思います」
「うーん、しかしだなぁ」
「ほらアリスさん、結構自分から言わないこと多くないですか?我慢してしまうというか。優しいし」
「まあ、そうだな、アリスは優しいもんな」
その言葉は魔理沙に言っていることじゃない。
パチュリーに気付かれたら自分の身が危険になる。いわば掛けのような行動だった。
「あいつは言いたいことを中々言わないんだよな。いつもは笑っているくせにさ。小さいことで傷つくし。器用なんだか不器用なんだか」
「ええ、わかります。魔法使いなのに人間みたいですよね、アリスさんって」
「落ち込むと結構閉じこもるんだぜ、あいつ」
「そうなんですか」
「ああ」
「まあそんなタイプだとは思っていましたけれど」
本をめくったり閉じたり。
明らかに動揺しているパチュリーに気が付いていた。
しかし、二人は話を続けた。
「何か落ち込むことでもあったのかなぁ」
「ちょっとわかりませんよね。でも急に行って、押し帰されるなんてことはないんでしょ、アリスさんのことですし」
「ああ。それはないはずだぜ。少しぐらい忙しくても、黙って押し帰されたことはない。お茶の一杯ぐらいはいつも淹れてくれるからな」
パチュリーは二人の話を聞いているだろうか。
聞いて、どう思っただろうか。
表情を恐る恐る伺うと、何かを真剣に考えているように、本をめくったり閉じたりしている。
「もしも、何かあったりしたら、何も言わないなんてことはないと思うぜ。律儀な奴だからな」
そんな独り言は、最早パチュリーに言っているようなものだった。
意地張ってないで気になるならば行けばいい。魔理沙はそう言っている。
「ま、聞けばの話だけどな。自分の事あんまり言わない奴だから」
「そうかもしれませんね。弱点握られるのが嫌なのかもしれません」
「しかも結構演技上手いからなぁ、わかるようでわからないんだよな」
「普段人形劇をやっているせいでしょうかねぇ」
本当は仲良くなりたい癖に、自分から行こうとしない。
話しかけ方がわからないが、人に聞くのもプライドが許さない。
最初の頃と同じだった。けれども。
「黙ってばっかりじゃ、伝わらないぜ。人の事気にするくせに、肝心なところで抜けているからな」
魔理沙の言葉に、ぴくりと体が動く。
もう少しだ。もう少しできっとパチュリーは動いてくれる。
「ですよね、アリスさんは肝心なこと言わない代わりに、踏み込もうとしませんから」
小悪魔も続ける。
あくまで表向きは魔理沙と喋っているように。
「ま、あいつのことだし、すぐにひょっこり顔を出すかもしれないけどな」
「ですねぇ、本当に研究に励んでいらっしゃっているだけなのかも知れませんしね」
「ま、顔を見に行って損はないと思うぜ。押しかければ迎えてくれるさ」
「いい人ですからね、アリスさん」
「……ねぇ」
「ん」
パチュリーは手に持った本を閉じた。
そして魔理沙に話しかける。
「……あの子の家、教えてくれないかしら」
「え」
動かない図書館が動いた瞬間であった。
顔を見られたくないのか、下を向いている。
「お前、もしかして」
「……」
「魔法の森って結構瘴気がきついぜ?お前、辛いんじゃないか?」
「平気よ」
魔法の森は、魔法に関する材料がたくさん眠っている。
しかしパチュリーは自らそれを取りに行った事はない。
空気が湿っていて、喘息に悪いと聞いていたからだ。
薬草の類は、いつも小悪魔か咲夜に頼んでいた。
「結構あるぜ、ここから」
「知っているわよ」
「そうか。いいぜ、ついてこいよ」
それを承知の上で、アリスの家に行こうとしている。
以前のパチュリーからはおおよそ考えられない行動だった。
魔理沙はちらりと小悪魔を見て、パチュリーに気付かれないようにウィンクした。
「お、そうだ、私の箒に2ケツするか?」
「……そういう下品な言い方やめてくれない?」
「いいじゃないか。そっちの方が速いぜ」
「知っているわよ」
これでやっと上手くいく、小悪魔はそう思った。
急いで喘息の薬を探す。
魔理沙も箒を準備する。
「一応、これ持っていって下さいね」
「わかったわ」
小悪魔から薬を受け取ると、パチュリーは魔理沙の箒にまたがった。
「いってらっしゃいませ」
「おう」
「……」
「挨拶ぐらいしていけよな、パチュリー」
「うっさい」
人に会いに行く、ということを普段していないせいだろうか。
そんな自分が恥ずかしいのだろう。
顔を背けながら箒に乗る。
そんな主がなんだか可笑しくて、必死に笑いをこらえる。
(ここで笑ったら、アリスさんの二の舞ですからねぇ)
ジト目睨まれて済むほうが少ないのだ。
大概笑ってしまえば、パチュリーはスペルの一つでも出すところだ。
そんなことが今までなかった辺り、やっぱりアリスのことを気に入っていたんじゃないかと思う小悪魔であった。
(まあいいか。とにかくがんばって下さいねっと)
小悪魔に見送られながら、魔法使い二人は魔法の森へと向かった。
あっという間に箒は空へと消えていった。
その間にパチュリーが乗り物酔いにあったのは、言うまでもないことであった。
その頃。
アリスの家では。
「手がつかない……」
アリスはゴロゴロしていた。
何もしていなかった。
魔法の森の一角に、アリスの家はある。
一人暮らしにしては少し大きすぎる家だった。
その中には沢山の人形があり、家の大半を占めている。
アリスはずっと、そこに篭って人形作りに励もうと思っていたのだ。
「あー、なんでだろう、わかんないよ、上海」
上海人形を手に取る。そして腕の先端を持って、ぷらぷらさせる。
上海は、シャ、シャンハーイとちょっと嫌そうな声を上げたが、アリスは気にしなかった。
ブラブラさせると髪が乱れた。さらにぽーんと投げてキャッチすると更に乱れた。
上海人形は嫌そうな声を上げたが、アリスは気にしなかった。
「どうしているのかな」
上海人形を胸に当てる。上海は小さく声を上げた。
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞こえない。
ここ数日、アリスはずっとこうだった。
本を読んでも頭に入らない。人形作りをしては針を指にぶっさす。
電子レンジを爆発させる。色々と怪我したせいで何も出来ない日もあった。
思い浮かべるのは、図書館にいる彼女。
宴会の夜に笑った顔が忘れられなかった。
あんまりに綺麗で何も返せなかった。それぐらい見惚れていた。
しばらく離れれば、忘れるだろうと思った。
何事もなかったように出来ると思っていた。
けれど、それは違っていた。
「会いたい」
日を追うごとに、想いは募っていく。
離れたことは逆効果だった。
無表情でも構わないから、睨まれたって構わないから、とにかく彼女の姿が見たかった。
「会いたいよ」
なんかもう、色々と限界だった。
結局自分は、彼女に会いたくて仕方がないのだ。
何も手が付かないで、結果、こうしてゴロゴロするばかり。
最初から結論は決まりきっていたことだった。
「……行こうかな、本、返さなきゃだし」
「シャ、シャンハ」
「ね、上海」
上海を片手に立ち上がる。
思い立ったが吉日だ。
冷たくあしらわれても構わない。話しかけられなくても構わない。
全ては会ってから考えればいい。
アリスは借りていた本に手を掛ける。
ほとんど読んでいなかった。
いつもはちゃんと読んで返していた。それがマナーだと思ったから。
お気に入りのローブを着て、アクセサリーをつける。
今回はお菓子もない。電子レンジを壊してしまったからだ。
仕方なく、リビングにあるリンゴをいくつか籠に入れて持っていく。
お土産代わりにしては少し貧相だけど仕方がない。
ドアを開けようとした時だった。
向こう側から、どんどん、と叩く音がした。
「アリス、アリス、いるんだろ」
「魔理沙?」
お隣さんの声だった。
借りていた本を机に置き、ひとまず彼女を迎え入れようとドアをあけた。
「どうしたの?」
「どうしたのって、まあ。引き篭もりの隣の家の様子を見にだな」
にひひ、と笑っている魔理沙。
本当はここで、お茶の一杯でもご馳走するところなのだが、当のアリスはそれどころじゃない。
早く行きたいと思っていた。けれど、律儀な性格のせいで、迎え入れずにはいられない。
「えっと、ごめん、あの」
「ん、これからどっか行くのか、引き篭もり」
「まぁ、その」
図書館に行こうと思ってて。
そう言ってしまうことは、まるでパチュリーに会いに行くとでも言っているようで。
アリスはそのことをはっきり言えなかった。
けれど、混乱した頭では、言い訳の言葉も思いつかなかった。
「急用なのか?」
「あー、いや、なんていうか」
急用って程じゃないが、こういうのは勢いが肝心なのである。
ここで魔理沙とお茶の一杯でもしてしまったら、図書館に行く意思がくじけてしまう。
どう言い訳をすればいいのだろうか。
全くもって、タイミングが悪すぎた。
少し落ち込んだ様子のアリスに、口元を緩める魔理沙。
アリスが何をしようとしていたか、魔理沙に察しはついていた。
単純なことだ。口ごもっている辺りがそう言っている。
けれどその必要はない。
「実はな、アリス。もう一人客が来ているんだ。世にも珍しい客がな」
「え?」
「なぁ、引き篭もり」
まさか、とアリスは思った。
こんな所に来る筈がない。
彼女は本と魔法にしか興味がなくて、自分のことを生意気だとか、嫌っていると思っていて。
おまけにここは彼女にとって環境が良くないところだ。森の瘴気は喘息に悪いから。
だから。
「ま、あとは二人で仲良くやれよ。土産話、期待してるぜ」
「え、ちょっと魔理沙」
「私はこれで退散するぜ」
「魔理沙!」
白黒魔法使いは帽子をかぶり、箒に乗って空に浮かぶ。
にやりと笑ったその顔が、憎らしく思えた。
本当にここにパチュリーが来ているとしたら、自分はどんな顔をして会えばいいのだろう。
「じゃあな、あー、私って良い奴!」
「魔理沙!」
待って、二人にしないでよ。どうすればいいかわからないじゃない。
そう叫びたかったが、近くにパチュリーが居ると思うと、そんなことは言えなかった。
大体魔理沙が本当のことを言っているかの確信さえない。
本当にパチュリーは近くにいるのだろうか。
「あ、アリス……」
「あ……」
家の影に、月のアクセサリーがキラリと光ったのが見えた。
紛れもない、彼女のアクセサリー。
家の影に隠れて、顔を少しだけ覗かせていた。
がさり、と草を踏む音がした。
「パチュリー?」
「……」
歩み寄る。
少し近寄ると、パチュリーはびくっ、と体を震わせた。
「どうしてここに」
「……」
アリスの様子をちらっと見てパチュリーは顔を引っ込めた。
「本」
「本?」
「……本、返して欲しくて」
小さな声でそう言うパチュリー。
アリスはああ、と思った。
あの時大量に借りたのだ。
なるべくパチュリーの迷惑にならないような分野の本を借りていたのだが、どうも重なってしまったみたいだ。
「それだけ」
「そっか」
「……」
「ごめん、今持って来るから」
少しだけ、期待していた。
もしかしたら自分に会いにきたんじゃないかって。
けれど、本を大事にしている彼女のこと。
ここまでやってくる理由なんて、それ以外に考えられなかった。
「どの本?」
「え」
「結構借りちゃったから、わからなくって」
「あ、そ、それは」
焦ったように顔を上げたパチュリー。
アリスはここで、違和感を感じた。
(あれ?)
貸した本を覚えていないのだろうか。
こんなところまでやって来る程大事な本だ。
タイトルを忘れるなんて、パチュリーにしては珍しい。
「そっか、じゃあ私の家で探した方が早いね」
「え、あ」
「せっかくだし、上がって行かない?お茶ぐらいなら用意できるし」
壁についていたパチュリーの手をとる。
自然に動いていた。
(あ、まずい)
本が目的でも、なんでも、彼女に会えたことがそんなにうれしかったのだろうか。
気がついた時にはパチュリーの手に触れていた。
また突っ走ってしまったと思った。
だんだん顔が赤くなっていくのがわかる。
「は、始めてでしょ、ここ来るの。あ、案内しよーかなー、なんて」
「……」
「いいでしょ、いいよね。つ、ついてきて。こっちだから」
上ずった声で話すアリス。
パチュリーからの返事はなかった。
強引だっただろうか。
変に思われていないだろうか。
きっと睨まれているに違いない。
けれど、そんなアリスの不安は、握り返された手によってなくなっていった。
弱弱しく、躊躇いがちに、パチュリーが握り返してくるのを感じた。
(あ、今)
手を繋いでいる。
そう思ったら、さらに体温が上がったような気がした。
赤くなっている顔を見られたくなくて、前を向いたまま歩く。
だからアリスは気が付かない。パチュリーの目にかすかに涙が浮かんでいたことに。
気付かれないようにぎゅっと口を結んだことに。
ずっと避けられていたと思っていた。
それは自分が無愛想に返していたせいだと思った。
アリスはいつもパチュリーに優しかったから、あんな風に避けられるなんて思っていなかった。
だから、普段と変わらない笑顔で迎えられたことで、ホッとした。
それが今のパチュリーの本心だった。
こんなことで泣きたくないのに、何故だか涙が出てきてしまう。
けれどプライドが高い自分のこと。泣き顔なんて見られたくないと思った。
アリスが相手なら余計にだ。けれども涙が止まらない。
俯いて、そっぽを向いて、握られた手を握り返すのが精一杯だった。
(あれ、気のせいかな)
それでも小さい嗚咽は我慢できなくて。
パチュリーが泣いていることに、アリスは少し歩いて気が付いた。
けれどそれを指摘すれば、絶対に機嫌を損ねるだろうから。
知らない振りをして、ゆっくりと歩いた。
ドアを開け、リビングを通り、階段を昇っていく。
ついてくるパチュリーが転ばないようにゆっくりと進む。
二階の自室。
借りた本はそこに置いてあった。
机には少しだけノートが散らばっている。
床にも人形が転がっている。
本当は片付けておきたかったが、いきなりの訪問に、頭の回転が追いつかずにここまできてしまった。
泣き止んだだろうか。
前を向いたままではわからない。
けれど、振り返ることも出来ず、ただ立ち尽くす。
(私、何かしたかな)
「アリス」
「なに」
声を掛けられる。
左手を握ったまま。
じんわり汗をかいていることに気が付いた。
「……私のこと、嫌いになった?」
「え……」
予想外の言葉だった。
そんな風に見えたのだろうか。
嫌いだなんて、そんなこと。むしろ。
「そ、そんなこと、どうして」
振り返る。
振り返らずにはいられなかった。
パチュリーは目に涙を浮かべ、口をぎゅっと結んでいた。
一瞬ジト目でアリスを睨んで、パチュリーは下を向いた。
「だって、ずっと、話しかけてこないから」
「あ、う、そ、それは」
あの日にパチュリーと目があって逸らしてから、まともに話していなかった。
それだけじゃない。何も話さずに引き篭もると言った。
向こうからすれば、拒絶されたと思われてもおかしくはない話だ。
無関心に見えたのは、ただの振りだったのだろうか。
「図書館にも来ないし」
「い、忙しくって、その」
そう考えると、すごく申し訳のないことをしたと思う。
思った以上に、自分はパチュリーのことを傷つけていたことに気が付いた。
どうすれば、そうじゃないと伝わるだろうか。
笑顔が綺麗で、つい恥ずかしくて目を逸らしていた、なんてことは言えなかった。
けれど、伝えなきゃいけない。どうしても伝えなきゃいけない。
「ごめん、ごめんなさい、あんな風にして。でも」
だから、代わりに手を伸ばす。
震える肩に手を掛けると、パチュリーはびくりと顔を上げた。
伝わるように。そんな悲しい顔をさせないように、まっすぐ言った。
「嫌ったりなんかしないよ。本当に、絶対に」
目を見ると、体が熱くなるのがわかる。
いつもよりも至近距離にいることが、頭を真っ白にさせる。
もしかしたら、変に思われてしまうかもしれない。
だけど、それより伝えなきゃいけないことがあるから。
「うん」
「本当に研究に忙しくて、中々行けなくて」
「うん」
「ごめんね、本も借りっぱなしで」
「うん」
「また、行くから」
「うん」
伝わっただろうか。
ちゃんと伝えられただろうか。
恥ずかしかったけれど、ここで目を逸らしてはいけないと思った。
「よかった、嫌われてなくて」
泣きながら、パチュリーは笑った。
普段の無表情とは考えられない、彼女の笑顔だった。
どくりと胸が高鳴った。
(あ、また)
笑い返したいのに、上手く返せない。
いつまでもじっと見ていたい。
綺麗過ぎる。
そう言ったら彼女はどんな顔をするだろうか。
「あ、えっと、その」
「あ」
アリスが見惚れている最中、パチュリーは急に向きを変えた。
どうやらこの状況を理解したらしい。
頭が冷えてきて、自分がどれだけ恥ずかしいことをしているかがわかったみたいだった。
「と、とにかくっ、本返しに来てもらいにきただけだから」
「あ、うん」
パチュリーはアリスの机にあった一番上の本を取った。
机の上から本が崩れ落ちるのにも関わらず、そのまま自分の懐にしまった。
一度ごしごしと目を拭うと、ガチャリと音を立てて部屋を出ていった。
「ただそれだけだから」
「うん」
足早に駆けて行くパチュリーを、アリスは追う。
助かった、と思った。
今の自分の表情を見られたら、パチュリーは不思議に思うだろうから。
きっと今、パチュリーは自分のことで精一杯なはずだ。
こちらの表情を悟られなかったことが、アリスには救いだった。
「それじゃあ」
「うん」
ぎこちなく挨拶をして、パチュリーは空へ浮かぶ。
アリスに背を向けたまま。
「後の本は、近いうちに返しなさいね」
「わかってる」
ぶっきらぼうな声は少しだけ震えているような気がした。
「早く読んでね、私も必要だから」
「うん」
「……さよなら」
パチュリーの姿が少しずつ、小さくなっていく。
見えなくなるまで見送った。
手に残ったぬくもりを確かめるように、ぎゅうと握った。
泣き出しそうに我慢している表情。
涙いっぱいに浮かべた目。
笑った彼女の顔。
ぶっきらぼうな普段より少しだけ、嬉しそうな声。
「重傷だなぁ」
アリスは空を見上げたままそう言った。
残った本は9冊だ。
今から読めば、一冊ぐらいはなんとか頭に入るだろう。
電子レンジは壊れているが、ゼリーぐらいならば作れる。
今日渡しそびれたりんごも残っている。お土産はそれで充分だ。
「……明日行こうかな。きっと待っているよね」
少しだけ嬉しそうにアリスは呟いた。
「どうだったんだ、昨日」
「なにが」
「なにがって、はぐらかすなよなー」
翌日。
アリスは魔法図書館に来ていた。
本を探していたところを、魔理沙に話しかけられたのだった。
やけにニヤニヤしながらやってきた魔理沙。
そういえば、こいつが昨日の出来事の原因だったな、とアリスは思った。
「なぁ小悪魔」
「ええ」
「なに、小悪魔も昨日のことに一枚噛んでいるわけ」
「あはは……」
不満そうなアリスの表情に、苦笑いの小悪魔であった。
しかしおかげで誤解は解けたのだ。
あんまりに恥ずかしいことの連続で、詳細は決して口にはできないが。
「なにがって、今日私はここに来ているでしょう。ちゃんと仲直りならしたわよ」
「なんだ、やっぱり喧嘩してたのか、お前ら」
「う、うんまあ」
本当は喧嘩というわけではないような気がしたが、この方が誤魔化せるとアリスは思った。
しかし詳しいことは口にできなかった。
パチュリーが帰った後考えて、自分が色々暴走しすぎたことに気が付いたからだ。
パチュリーもおそらく言おうとはしないだろう。
「で、そっから先は?」
「なによそれ、だから私はここに来たって言ってるでしょ」
「いーや、そういうことじゃなくってな」
「何ニヤニヤしてるのよ。仲直りした以外になにもなかったわよ」
「お前ってさ、本当は」
ばあんと。
魔法図書館の扉が開いた。
来客用の方ではない。パチュリーの自室の方からだった。
「私の図書館で騒がないで」
ジト目で無表情に冷たくそう言って、パチュリーはいつもの定位置の椅子に座る。
小悪魔がパチュリーの元に飛んでいく。
魔理沙とアリスは顔を見合わせた。
「なぁ、あんな無表情な奴のどこがいいんだ?」
「無表情?」
「ああ、本以外には興味なさそうだし、しかめっ面ばっかりして」
「そうかな」
魔理沙は後にこう思った。
あの時のアリスは、まるで恋をしているようだったと。
「そんなこと、ないと思うんだけどな」
少し嬉しそうに、パチュリーの背中を見ながら呟いた。
普段の無表情な姿に隠された、彼女の七色の表情を思い浮かべながら。
「そうかなー」
「そうよ」
「……」
「なによ」
「別に」
本を棚に置き、アリスは二人の元に向かう。
あ、まてよ、はぐらかすなよ、という声が後ろから聞こえたが、聞こえない振りをした。
「また来たの?」
「あはは……」
決まり文句を言いながら、ぷい、とそっぽを向くパチュリー。
昨日のことを思い出すと、ほんの少し恥ずかしくなる。
けれど、ちょっとだけ打ち解けたような気がするから。だから。
「ねぇ、昨日読んだ本さ、わからないところがあったんだけど」
「どこよ、あんまりに下らなかったら追い返すわよ」
「それは嫌だなぁ、折角ゼリー作ってきたのに」
「……」
あ、やっぱり甘いものに弱いんだ。
そう思ってアリスは少し笑う。
「……笑ったでしょ」
「気のせいね」
「いいや、笑ったわね」
「気のせいだってば」
「ふうん」
「……」
「笑っているでしょ」
「笑ってないわよ」
「絶対笑った、許せない」
世話焼きな人形遣いと、ぶっきらぼうな図書館の魔女。
七色と七曜の物語は、まだ始まったばかりだ。
~七色七曜物語・完~
こあと魔理沙はよく直視できるものだ。
安易にちゅっちゅしないのもまた甘くていいですね。
ご馳走様でした。
遅々として進まない感じとかお節介な周囲とかもうなんというか幻想の少女
赤面とかね! いいよね!
一年分くらいの砂糖を接種しちったじゃないですか、全く……。
しかも適度に甘酸っぱいおかげで、ついつい読み過ぎちゃいますし。読み始めたら止まらないし。
こういうどうしようもなく意地っ張り同士なアリスとパチュリーが大好きです。
素敵なパチュアリをありがとうございました!
ちょっとずつ縮まっていく二人の距離が素敵
パチュリーとアリスの関係ももちろん良いのですが、脇で活躍する小悪魔と魔理沙の二人もとても良い味を出してましたねっ。
うん、楽しかったです。
み な ぎ っ て き た !
一瞥ってのは一瞬チラリと視線を向けるというだけの意味であって、別に相手を蔑むような言葉ではないはずです。 時によっては一瞥をくれたというように肯定的に使われる場合もあります。
特に気になった神社でのやり取りの場合は一瞥ではなく一蹴の方が適切かと。
こういう細かいミスがあると作品内に引き込まれていた意識が現実に引き戻されてしまうので非常に勿体無く感じます。
逆を言えば内容が良かっただけにこういう細かいミスが際立って感じたということですな。
なんにせよグッジョブ!次回作も期待させていただきます。
あー、虫歯痛い
本筋には全く関係ないけど、アリスは萃夢想時点で図書館には訪れているかと
パチュリーもかわいいなぁ
二人とも乙女で素晴らしかったです
の辺りが、あまりにじんわり温かくてもどかしい感じが出ていて
それまでに積み重なった物もあって、つい一人で悶えてしまいました
こんな話を書けるなんて、羨ましくて少し妬ましくて、ほどよく素敵です
しかし電子レンジに話に入り込むのを邪魔されたのでちょっとマイナスで。
幻想郷にレンジという違和感と、お菓子作りにほぼ必須の機器って
レンジじゃなくオーブンなんじゃない?という疑問が…
でもくどくなァァァい
不思議ィィィィ
思う存分ニヨニヨさせていただきました。
いましたら僕に分けてください。
一言言わせていただくと、視点人物をころころ変えるのは感情移入がしにくいのであまりお勧めしません
これが青春か・・・
パチェアリもいいもんですねぇ
でもここから!ここからじゃないですかアリスさんパチュりーさん!手をつなぐだけでいいの?ちゅっちゅは?!
と詰め寄りたくなるような余韻を残した終り方がたまりません。
王様ゲームにくわえ煙草で麻雀と、めちゃめちゃ俗っぽい宴会の楽しみ方をしている幻想郷のメンツが良かったww
のは伝わってくるんだけどパチュリーの良い所が全然見つからない。
ぶっちゃけ容姿に優れてなかったら誰からも忌避されるような
キャラになってしまってるのではないだろうか。
いいなー。こういうパチュアリ素敵ですね。
パチュアリは真理。
タグに偽り無し
その感覚が私にとっては病みつきなのです。
パチュアリのすれ違い加減が絶妙でした。
100あげちゃいます。