「いや、馬鹿だよ」
霖之助は、目の前の少女二人に向けて、キッパリと言い放った。
宴会の席での話である。いつもの如く博麗神社の境内では、よく分からない理由で人妖達が集まり、よく分からない理由のまま飲めや食えやの宴が繰り広げられていた。
「そうかしら?」
首を傾げつつ、霊夢は霖之助が持参してきたツマミを一つ摘まんで口に放り込む。『チーたら』と呼ばれるそれは、外の世界から流れ着いた食べ物だという話であった。
拾ってきたものを食べるのはどうだろう、と初めは敬遠していたのだが、一口食べてみればコレがなかなかどうして。チープな味わいがどうにもこうにもやめられない止まらない。
「そうだよ。年を経たからと言って妖怪が賢くなるなんてのはね、迷信もいいとこだ。妄言と言ってもいい」
「けど実際、大妖怪とか呼ばれてる連中は、結構な知識を持ってるぜ? 頭も回るし」
横で『柿の種』と呼ばれるツマミの『種』だけを、ポリポリとリスのごとく頬張っていた魔理沙も反論する。どうでもいいが、その大量に残っているピーナツはどうする気だろうか。こちらに押し付けてくるようなら、鼻に詰め込んででも自分で処理させるが。
「その前提が間違っているんだよ。いいかい? 知恵や知識を持ったから馬鹿が治るなんてのは、あまりにも楽観的な思考だ。むしろ、下手に知恵と知識を身につけたがために、馬鹿さに拍車がかかるなんて事も往々にして――」
――ズンッ、と。大地を震わせる衝撃が疾ったのはその時だった。
すぐ側で一升瓶を抱えて酔いつぶれたチルノが、目を丸くして飛び起きる。
転がった一升瓶を手にとってみればひんやりと冷たく、程よい感じに冷酒は出来上がっているようであった。
トクトクと杯に冷酒を注ぎながら騒動の元を見やれば、二人の妖怪が互いの額をぶつけんばかりに顔を近づけて対峙している。まぁ、勝手気ままで自己中心的な妖怪共が集まる宴会では、よくある光景である。よくある光景ではあるのだが――さすがに今回は、少々相手が問題だった。
風見幽香と星熊勇儀。自然の権化と地底の鬼。向き合っているのは、この二人であった。
「アンタ、アタシが何者か理解した上で喧嘩売ってんだよなぁ? そういう認識でいいよなぁ?」
ズボリと。地面に突き立てた拳をゆっくりと引き抜きながら、勇儀がニタリと笑って犬歯を剥いた。
対する幽香もニッコリと――いやより正確に雰囲気を伝えるなら“ニッゴリ”と、穏やかでどす黒い笑みを顔に貼り付け口を開く。
「ええ勿論。地底の穴蔵に引き篭もって管を巻いている落ちぶれた鬼が相手だって、ちゃんと知った上で喧嘩を売っているわよ?」
「なるほどなるほど。花の妖怪ってぇのは、頭の中にもお花畑を咲かせてるらしい」
二人の笑みが、より一層深まった。
「ちょ、落ち着こうよ幽香! 鬼相手にこんなことで喧嘩するなんて――」
「大丈夫よリグル。私はいつだって冷静だわ」
「いや嘘だ。傘の柄を親指で撫でてるのは、幽香が相当頭に来てる時の証こおおおおおおお……ッ」
服を掴んで引き止めるリグルの頭をグリグリと撫で回す様に揺さぶって、幽香は立ち上がった。
「ちょっとコレ、持っててくれるかい?」
持っていた杯を横に座っていた射命丸に預け、勇儀も腰を上げる。
「……本当にやる気ですか?」
「喧嘩売られるなんざ久しぶりでね、折角の機会を逃す理由もないさね。それにアレ、強いんだろう?」
「地上で大妖と聞かれて、まず名前が上がるのが彼女です」
「それはそれは」
「何でもいいけど、弾幕ごっこやるなら他所でやりなさいよー」
ポンポンときな臭い方向へ進んでいく話に、さすがの霊夢も見かねて声を上げた。誰がどこで喧嘩しようと構いはしないが、神社を荒らされてはたまらない。今の神社は、建て直してからまだそれほど日も経っていない新築なので尚更だ。
しかし言われた当人達はといえば、その言葉に従うでもなく、ふぅと小馬鹿にするように息を吐き出し、
「せっかく鬼を痛ぶれるというのに、“ごっこ遊び”じゃ拍子抜けだわ。そう思わない?」
「ああ、まったく同感だ。井の中の蛙は拳で叩き潰すってのがアタシの信条でねぇ」
とんでも無いことを言い出した。
その場に居た全ての人妖がギョッと目を剥く。その中で唯一、山の神だけが他と違う反応を示した。
「アァ? おいテメェ、今なんつっt――」
「あ、諏訪子様。頭に蛆が沸いておいでですよ」
後頭部を一升瓶で強打され、神はあっさりと昏倒した。山の青巫女の仕業である。
あの巫女は大体において、常識に拘って常識外れのことをするか、常識を無視して常識外れのことをする。そしてそれ以外の場合では、常識を意識せずに常識的なことをする。総合的に見ればつまり、常識を知っている常識人であった。
何にせよ、騒動が余計に大きくなることは防げた。巫女二人互いに親指を立てあってから、霊夢は改めて騒動の元に向き直る。
「アンタらねぇ、ふざけたこと言ってるんじゃないわよ。アンタたち二人に暴れられたら、地形が変わるでしょうが。弾幕ごっこが嫌だってんなら、ジャンケンでもかけっこでもして適当に勝敗決めなさいよ」
「あら、かけっこ。いいわねそれ」
「……は?」
従わないようなら問答無用で退治してやろうと決意していた霊夢はしかし、幽香から帰ってきた予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げた。
そんな霊夢の様子にも取り合わず、幽香はぐるりと周りを見回し、一点を傘で指し示す。
「神社のあちら側、林を超えた先って確か崖になっていたわね?」
「え? ええ、そうだけど」
「距離は八十間(百五十メートル弱)ってとこだったかしら。丁度いいわね」
言うやいなや、傘で地面を一閃。即席のスタートラインが境内に刻まれる。
「ここから『よーいドン』で走って、先に崖の向こうに飛び出した方が勝ち。どうかしら?」
幽香から告られたあまりにも子供じみた提案に、勇儀はキョトンとした顔を浮かべた。しかしすぐに顎に手を当ててニヤリと笑い、
「ルールはそれだけかい?」
「ええ、『かけっこ』ですもの。それ以外はなんにも無いわ。なぁんにも」
「いいね、ノッた」
実に子供じみた顔で承諾した。
「決まりね。リグル、貴方が合図なさい」
「ええ、わたしが!?」
二人がスタートラインに並ぶ。途端、その進路上で飲んでいた人妖たちが、慌しく腰を上げた。
「はぁ、全く騒がしいこと……」
「紫様、ご自分の盃ぐらい自分で持って行ってくださいよ」
「ほら妖夢~。もっと離れないと危ないわよ~?」
「え? え? でも、かけっこですよね?」
「咲夜ー。ワインとおツマミ、屋根の上まで持ってきてー」
「はぁ、屋根の上ですか?」
「そ。アリーナ席よ」
人妖の波が割れるようにして、瞬く間にかけっこのコースが出来上がる。
その成り行きを呆然と眺めていた霊夢の耳に、「ちょうど良かったかな」と呟きが聞こえた。振り返るといつの間に居たのか、霖之助が両手に杯を持ってすぐ後ろに佇んでいた。
「なにがよ?」
「さっき僕が言ったことの証明さ」
「うう……なんかとんでも無い墓穴を掘った気がする……」
霖之助が肩を竦める。ひょっとしたら慰めてでもいるのか、横から冷酒がなみなみと注がれた杯を霊夢に差し出してきた。
ひったくるようにして、それを煽る。よーい、と若干緊張した様子でリグルが声を上げた。
――どん、と言う声は聞こえなかった。最初の一歩を踏み出すよりも早く、二人の大妖怪は拳をぶつけ合っていた。
音というよりも、衝撃そのものが耳に突き刺さる。衝突し行き場を無くしたエネルギーは、大地にその先を求め、ボコリと数メートルに渡るクレータを境内に生んだ。
突風に巻き上げられた砂埃の先で、グラリと風見幽香の体が傾ぐのが見えた。
「幽香が押し負けた!?」
「お、鬼と腕力で張り合ってる……」
リグルと射命丸が、互いに信じられないといった声音を漏らす。
バランスを崩したその隙を勇儀が見逃すはずもなく、その足元をすくって足が払われる。とはいえ、その威力は足払いなどというものからはかけ離れている。暴走牛車にでも弾き飛ばされたかのように、グルングルンとシュールな縦回転を見せて幽香の体が吹っ飛んだ。
地面に激突してもまだ幽香の体は止まらない。氷面を滑るようにして、ガリガリと大地をえぐり続ける。叩き込まれたエネルギーが巨大すぎて、地面との摩擦程度では殺し切れないのだ。
「チィ……!!」
拳を杭のごとく石畳に打ち込んで、ようやく幽香の体は止まった。
その頃にはすでに、勇儀の足は林の入り口にまで差し掛かっていた。
「じょう、とう、よ!!」
立ちあがった幽香が、石畳を思いっきり蹴り上げる。まるでプリンかゼリーのように柔らかく刳り抜かれた石畳は、砲弾の雨となって勇儀に降り注いだ。
巻き込まれては堪らないと、そばに居た人妖達が悲鳴を上げて逃げ惑う。ちなみに、一番大きな悲鳴を上げたのは霊夢だった。
コレには、さすがの鬼も立ち止まらずを得なかった。直撃こそしなかったものの、石畳の砲弾(散弾?)は林の木々を根こそぎなぎ倒し、シッチャカメッチャカに掻き回していったのだ。まともに走り抜けられるはずもない。
「この……やってくれるじゃないか!!」
犬歯を剥き、勇儀はあたりに散乱する木々の中から一際大きなものを一つ掴み上げた。そのまま軽々と振りかぶって、追い縋る幽香に向けて投げつける。
対する幽香は避けるどころか立ち止まろうともせず、傘を大上段に構えて一閃振り下ろした。縦から真っ二つに裂かれ、木の幹が左右に飛び散る。斬り裂いたのではなく、斧の如き鈍重さで無理矢理叩き割ったのだ。
さらに幽香が誘うように右手を伸ばすと、木の幹の片方がメキメキと急速に枝葉を伸ばしてその腕に絡みついた。グルンと腕を振り回せば、巨大な即席フレイルの出来上がりだ。
「ちょ――!?」
遠心力を過剰すぎる程たっぷり載せた木の杭に打ち抜かれ、勇儀の体が面白いように吹き飛ぶ。立ち並ぶ木々など、クッションとしてはあまりに脆弱だ。結果として林に一本、乱暴に耕された林道が出来上がった。
ちなみに捨て置かれたもう片方の幹はというと、神社の境内を転がってさらなる荒地を生み出していた。霊夢はもはや、悲鳴をあげる気力も失っている。
オマケとばかりに幽香は腕をもう一振り。ハンマー投げの要領で幹を勇儀に投げ放ってから、ゴールの崖に向かって走りだした。
さすがにこの差は覆せない――そう考えたのは、多分風見幽香をよく知らない者だけだろう。そしてその人妖達は、ピョンピョンと倒れた木々を飛び越えながら進む彼女を見てこうも思ったはずだ。『トロくせぇ……』と。
林の一角で何か、爆発でもしたかのような轟音が響いた。勇儀が吹き飛んだ方向だ。見れば、なぜか木がまるごと一本、宙に浮かんでいた。爆音は、ドドドドドと連続して続き、その度に木の幹が、枝葉が、波打つように天に向かって放り出さている。その様は、点火された巨大な爆竹か何かが林を走っているようにも見えたが、正体は言わずもがなだ。おそらく勇儀は単純に「真っ直ぐ走らないと追いつけない」とでも考えたのだろう。
しかしその予想に反して、彼女は崖からまだ五間ほど距離を残した地点で、あっさりと幽香に追いついた。
「……お前さん、足遅いなぁ」
「自覚してるわよ……」
少しだけ拗ねたように、幽香は唇を尖らせた。
取り敢えずといった感じで、勇儀が横から出会い頭に拳を一発。流石に今度はまともに打ち合わず、幽香はクルリと身を捻ってそれを交わす。そのまま横薙ぎに傘を振るうが、それはアッサリと相手の腕に防がれた。
「腰が入ってないな」
「入れてないもの」
その先端を相手に向けたまま、パン、と幽香の傘が花開く。
勇儀が目を見開いた。危機感、焦燥、鬼の身を持ってしてもタダでは済まないと告げる本能をしかし、彼女は無理矢理笑みで噛み潰して一歩踏み込んだ。
太陽もかくやと言う巨大な熱線が勇儀の半身を呑み込むのと同時に、捨て身の鈎突きが幽香の身体をくの字に折り曲げる。
左腕と左足を根本から炭化させた鬼が膝を突き、左腕と肋を砕かれた幽香が地面を転がった。幽香の手にしていた傘はといえば、数秒ほど熱線を放出したままクルクルとはた迷惑に回転して、林に幾筋もの黒線を描いていた。
ちなみに一條、神社を掠めそうになったものもあったが、
「自堕落妖怪ばりやー!!」
「ちょっ、れい――きゃぁぁあああああああああああああ!!?」
それは霊夢に無理矢理盾にされた紫によって防がれた。
大妖二人、立ち上がったのはやはり同時。吹き飛ばされた分位置的には幽香が不利であったが、片足が駄目になった勇儀の歩みは遅い。しゅうしゅうと白煙を上げながら急速に再生を続けているものの、流石に間に合うものでもないだろう。
ならばどうするか? 答えは単純明快だった。
「もっぺんぶっ飛ばす!」
崖に背を向け、向かい来る幽香と対峙する。それを見て走る勢いのまま、幽香が大きく右拳を振りかぶった。
勇儀と幽香。合わせ鏡のように全く同じ動作で、拳が衝突する。
――クシャリ、と。幽香の拳が、腕がひしゃげた。しかし驚愕に歪んだ表情は、勇儀のものだっった。
予想外の手応えの無さに、勇儀の体が前方に泳ぐ。その鼻っ面へ――
「一番屈辱的な倒し方をしてあげる」
幽香は己の額を叩き込んだ。
「ぶはっ――!!」
天に向かって真っ赤な血を吹き出しながら、勇儀の体が仰向けに倒れこむ。それを踏み越えて進む幽香の姿を見ながら、勇儀は自らの頭が真っ白に染まるのを自覚していた。茫然自失の空白ではなく、岩をも溶かす白炎の白だ。
鬼が、山とさえ象徴される怪力無双の化身が、真正面からぶつかって蒼天を仰ぎながら倒されたのだ。これ以上の屈辱があろうか。
「こ、のッ――」
残った右手が幽香の足首を掴み取る。しかしそんなものなど意に介さず、鬼の体を引きずりながら彼女は走り続けた。
「っっけんじゃねぇええ!!」
叫びと共に勇儀の右腕が倍ほどにも膨れ上がり、鈍く耳障りな音を林に響き渡らせた。ただその握力のみで、幽香の足を握りつぶしたのだ。
崖まで僅か一間という距離を残し、幽香の足が止まる。その結果に、勇儀は会心の笑みを浮かべた。
相手の両腕はもはや潰れて使えない。元より膂力では優っているのだ、このまま引きずり倒してしまえば、こちらの勝ちは揺るがない。
その確信を――
――ズン!!!
幽香の最後の一歩が、文字通り踏み砕いた。
ベコリ、と大地が凹む。踏み下ろした足を中心に走る、幾筋もの巨大な亀裂。その場所は、そう――崖の手前だ。
――ずどどどどどどどどどどどどー!!!
「いよっしゃ勝ったぁああああああ!!!!」
「ちっくしょお負けたぁあああああ!!!!」
大量の土砂と共に、二人の妖怪はそろって声を上げながら、崖を転げ落ちていった。
「そら、馬鹿だろう?」
「ええ……そうね……」
「あたしが間違ってたぜ」
「あたい妖精だけどあれはバカだと思う」
チルノの言葉にも、今回ばかりは誰も異を唱えなかった。
「まったく……どうしてくれんのよ、これ……」
「まぁ今回は、勇儀がちゃんと直してくれるって」
萃香の言葉に、「だといいけど」と溜息をつき、霊夢は荒れ果てた境内を見回した。
窪んだ大地に、抉り取られた石畳と散乱するその破片。転がる木の幹、枝葉。例え台風に直撃されたってこうはなるまい。建物そのものに被害が出なかった事だけが幸いか。
「にしても……」
呟き、霊夢はリグルと射命丸の姿を見つけて足を向けた。
その背後からひょいと身を乗り出し、
「あいつら、結局なにが理由で喧嘩してたのよ?」
そう問いかけながら、丁度残っていた最後の『チーたら』摘み、口に放り込む。
「「あ゛」」
リグルと射命丸が、揃って口を開けた。
「……? なによ」
「いやその、え~っと……」
「さっきの喧嘩、その残ったチーたらをどっちが食べるかで争ってたんだけど……」
「え゛」
丁度その頃、風見幽香はとってもご機嫌な様子で崖をよじ登っていた。
しかし、チータラ一つでこの騒動が起きる辺り、幻想郷だなあ…w
この後、意気投合して呑みなおしたんだろうなぁ
超かわいいっすww
>自堕落バリヤー
紫様ェ・・・
タイトルから予想した話とはちょっと違ったけど面白かった
このあと意気投合していい強敵(とも)になる流れだよなぁ。
地味にリグルんがゆうかりんと仲良かったりするのもいいが、何よりも・・・
あとがきのゆうかりんカワユス
幽香かわいかった
その幽香にチーたら売りつける霖之助ってどんだけ根性ひねくれてんだよw
幽香「ころしてでもうばいとる」
後二人の勝負がカッコいい、凄くカッコいいし熱い、燃えた
>「あたい妖精だけどあれはバカだと思う」
ここ笑いました
勢い凄まじい戦闘描写を読んでいるとテンションがマッハになりますね!
オチが読めたのがちょっぴり残念
「まじめにくだらないことをする」、この言葉がこの作品にも当てはまるような気がしました。
そしてオチ、あとがき、顔文字の使い方、絶品ですね!
このインパクトは俺には出せないw
馬鹿でいいや
いや、馬鹿がいい!
見事な表現です。この文章になぜか一番心惹かれた。