レミリアは満足していた。
紅魔館のベランダで安楽椅子に沈み、頬杖をつきながら眼下の霧の湖を睥睨する。
瞳には毒花の綻ぶ禍々しい喜悦が浮かぶ。
霧の湖は嵐が吹き荒れる様に二つの影が弾幕遊びに興じている。
しかし見る目麗しい色とりどりの可憐さは潜み、獣の取っ組み合いの様相を帯びている。
飛燕の動きで縦横無尽に駆ける影達。
濃霧を巻き込み、激突を繰り返す。
その度に轟音が一帯に響き、湖面は怒涛もかくやの大荒れである。
吹きつける戦風を春の微風を受ける心地良さで浴びるレミリア。
影の激突に煽られ、館に木々や砂礫が飛来するが従者が時を止め、
払い落とし館は威容を留めている。
レミリアは満足していた。
これ程の弾幕遊びは中々に見られないだろう。
弾幕遊びに率先して混じろうとする彼女にとっては稀有な事だ。
それ程までに素晴らしく思い、それを見届けようとし、部下に一切の手出しを禁じ、
熱気に当てられた彼女の妹が参戦しようとするのを厳しく諌めた。
この事態の経緯を従者に調べさせ、既に把握している。
事はそこまで複雑では無い。あるいは童の駄々であり、それ故にこの事態を歓迎した。
煌く宝石を純白の羽箒で撫でるに似た、本心を隠した迂遠な言葉遊びにも
辟易としていたところであった。
矢張り、闘争とはかくの如き遮二無二であることが素晴らしい。
遥かな過去、外界に置き去りにした懐かしき鉄火を思い出させる。
せめぎ合いは一旦途絶え、荒波は凪ぎ、立ち込める霧が晴れた。
影が明瞭になる。
二人は浮かぶ氷塊に立ち、対峙する。
両者とも喘鳴を鳴らしながらも、燃え盛る激怒を衰えさせない。
レミリアが無邪気な応援を送る。
「頑張りなさいな。チルノ、お空」
白雪が赤々とした篝火に照らされる。
炎の色を写しとった色合いの雪が辺りを囲み、夜の宴会場は不思議と暖かなものであった。
幻想郷は雪深い。今頃の真冬にもなれば、なにやら雪が建物や木々の
形を模倣して隆起するのかと錯覚させる。
人は家に閉じこもり滅多には表に出ずに、妖怪も又脅かす者の不在を寂しがり無聊を弄んでいた。
それでも尚、幻想郷は宴を忘れない。
博麗神社で久方ぶり催された酒宴は雪片が風もなく舞い落ちる。
盃に幾片の雪が落ち溶ける度に、歓声が湧き立つ。
果たして宴もたけなわ。
酩酊と興じる者達がちらほらと出てきた所、チルノは陽気に宴会場を駆け回る。
氷の妖精たるチルノにとって白銀に閉ざされた今こそを快く思い、
カラカラと歓声を上げながら、酒盛りの一団の中へと文字通り飛び込んでいく。
裏表の無い明朗闊達なるチルノを良くも思う者は多く、丁度可愛げのある
妹を皆で甘やかすようである。
今回チルノが加わった一団には一人新顔があった。
先日、博麗神社近辺にて突如として温泉が出現し、それに混じって地下の
亡霊たちが湧き出てきたのである。
その異変の原因たる霊烏路空である。
異変解決の専門家、博麗の巫女に成敗された後はこうして暢気に盃を傾けている。
チルノはかねてからこのお空という少女について聞き及んでおり、
幻想郷最強を自負する彼女にとって是非とも"挨拶"せねばならぬと計画していた。
お空を認めるやいなや捲くし立てる。
「やいやい、あんたがお空だね。
あたいは幻想郷最強のチルノだよ。なんでも神様の力を手に入れて強いんだって?
でもあたいには敵わないよ。なんたってあんたのご自慢の炎をあたいの氷で
カチンコチンだからね」
いきなりの名乗り口上に唖然とするお空。
酒精で胡乱気な眼差しがチルノの勝気な眼差しと交差する。
しかしそれも一瞬、酩酊が稚気を誘い、稚気が愚行を生む。
「うん? あなた誰? 私はお空よ。
冷たそうな妖精さん、ちょっとお出でなさいな。
灼熱地獄の妖精は皆、熱々だから鳥舌の私は苦手なの。
ねえ、ちょっと冷やしてくれないかしら」
言うが早いか、お空はチルノの腕を引っ張ると自分の膝に座らせ後ろから抱き抱える。
火照った身体に氷の妖精の冷たさは良い塩梅で、目を細めて嬉々とし、
遂には頬と頬を触る。
「うわっ! 引っ張るな、抱きつくな!」
「おお、冷っこい、冷っこい。
あなた旧地獄にいらっしゃらない? きっととても人気者になれるわ。
それとも溶けて水たまりになってしまうかも」
必死に逃げ出そうとするチルノ。
それを手足を絡ませることで阻止するお空。
そんな様子が滑稽なのか、微笑ましいのかあちこちに笑い声が飛ぶ。
しばしの格闘の後、やっとのことで抜け出すチルノ。
「ええい、そんな事させるもんか。
烏は大人しく串焼きにでもなっていろ。
あたいが美味しく食べてやるからさ」
不敵な笑顔。
しかしもみくちゃにされたため、肩口で揃えられた髪は逆立っているし、
ボタンは取れかかっている。
「まあ怖い。地上は恐ろしい所。
でも食べるのは私も得意よ。
だって神の太陽を食べちゃう位だもの、妖精なんてぺろりよ」
「きいいぃ! 頭に来たっ!
表に出な、地上の礼儀を教えてやる」
一同からは突っ込みの嵐。
気炎を吐きながら弾幕遊びの準備をするチルノ。
「教わりたいのは山々だけど、遠慮しておきます。
だって飲酒運転はいけない事だもの。
私もよくお燐に怒られるし」
そうしてお空は自らの盃を傾け、勢い良く飲む。
嚥下する度白い喉が鼓動を打ち、垂れた一筋が縦に走る。
空になった盃に新たに澄んだ美酒を注ぐ。
途中、粉雪が漆塗りの見事な朱色に舞い落ち、しばし留まっていたが
清流に流されて消えていってしまった。
「ささ、今宵は雪月花を肴に一献」
ぐいと突出された盃を、チルノは半ば奪い取るようにして
受け取り、そのままの勢いで飲み干す。
同じように酒を注ぎお空へと突き出すチルノ。
囃し立てる無責任な応援が宴会を包み、二人を祝福した。
盃の二人の往復を数える者がいなくなった頃、二人は寄り添うようにして己の姿勢を留めていた。
酒精は隈なく廻り、映るのは天地の溶けた極彩色であり、辛うじて互いの熱さを感じ取っていた。
「うう、まさかこれ程とは。
地上の妖精を甘く見すぎていたようね」
「ふふん、ど、どうだ……。参ったか」
息も絶え絶えに、搾り出す声。
「あら、まだ負けてはいないもの。
あなたも私もまだ潰れてはいないから」
「ちぇっ。往生際の悪い奴。
まああたいはまだまだイケるけどね」
「私もよ、折角の地上の美酒だもの。
味わい尽くさないと損じゃない」
新たな飲み比べの気配を目敏く察したのか、
死屍累々の酔いどれ(その殆どが河童と天狗だ)の山の頂上で旧交を温めていた鬼達が手招きする。
これにはさすがの二人も丁重に辞退する。
時折駆け抜ける夜風が火照りに優しく染み渡る。
「ああ、地上はこんなにもふざけて、面白いなんて。
実は怖かったんだ。だって初めてであった巫女が凄く怖かったから。
でも皆面白いね。地上も地下も変わりはないんだ」
柔和な顔立ちに安穏とした微笑が浮き上がる。
「ふん、一人きりなんて寂しいだけじゃない。
あたいが友達になってあげるよ」
「うにゅ。きっと私達は友達よ。
でなければきっとこんな風にお馬鹿な事をしていないもの」
「うん、あたい達は友達だ」
宴会の後、チルノとお空はこの新しい友と地上で共に過ごした。
逞しさを内包した種子が豊穣な大地で萌芽し、麗しい花弁を装う様に友情を育んでいった。
彼女達二人は稀有な実直さ、素朴さを共通としている。
年輪を重ねる毎にすり減っていくあの無垢なる情念を有しているのだ。
老樹の捻れた根っこのチルノの家で木の実のジャムを舐めたこと。
白皙の山々の奥から浮かんできた朝日の強烈な眩しさに目を細めたこと。
落葉樹が一様に丸裸になった枯山に、白妙を装った雪が積もったこと。
そして、霧の湖の凍った湖面に白い月がくっきりと写ったこと。
初めての地上の楽しげな経験、美しい自然にお空は心奪われ、
チルノは自分の持つ秘密の場所を一つ一つ明け渡していく度に誇らしく思うのであった。
それは一層一層強固に肥える若樹を想起させた。
ある日のこと、旧地獄にて大層大きな祭りがあるというので
お空は主人に暇をもらい、チルノを誘ってみた。
なにせ不夜城めいた旧地獄である、絢爛豪華な祭りは見るものを楽しませることだろう。
それは今までチルノが自分に与えた感動と釣り合うのではないか、という思慮からでもある。
チルノはこれに快く応じ、軽やかにお空の待つ旧地獄へと赴いた。
深々とした風穴を下り、薄暗い深道の果てを抜けるとそこは光輝がそびえていた。
いくつもの楼閣が果てまで並び、高見からは四方に架橋が渡されて格子状になっている。
あちこちに赤、黄、橙、白、さらには紫、緑、青の燭台が備え付けられて、
万華鏡の内で揺らめく色を開け放ったかの可憐さである。
その夢のような光の洪水を忘れさられた妖怪どもが所狭しと祭りを闊歩していた。
遠く近く祭り囃子が聞こえてくる。
チルノはその威容に圧倒されながらもお空と合流を果たせた。
(もっともそのチルノの手には様々な料理や玩具が握られていたが)
お空とともに縁日の屋台を廻りに行ってもチルノは興奮を抑えることが出来ずにいた。
香具師が手にする珍物を目にする度にそれに引き寄せられ、お空が説明をする。
「ねえ、ねえ! お空!
これはなんて言うの? なんて遊びなの?」
「ああ、それはね……。射的っていうの。
そこにある銃で欲しい景品を撃つの。で、その景品が倒れたらそれが手に入る」
「じゃああたい、あれを取る!」
ピンと伸ばされた指の先には巨大な鬼のぬいぐるみ。
とてもじゃないがコルクの弾丸では撃ちぬくことは困難だ。
「いやいや、あれは客寄せだから。
あんな物取ろうとしたらチルノの財産丸ごと投げ出さないといけないから」
「それじゃあ、お空の制御棒で取ればいいじゃない」
「炭化した元ぬいぐるみでよければとってあげるよ」
「意地悪」
二人が桜色に頬を染め、クスクスと笑いあう。
突如ざわめく喚声が響く。
それは雑多な音に紛れ曖昧としていたが、再び発せられた時お空はそれが知己であることに気がついた。
「そ、その怨霊、ま、待って! 捕まえて!」
赤褐色の三つ編みを揺らしながら駆けるお燐。
その先には灰色の人魂が猛然と人妖の波を突っ切る。
化け猫と霊魂を中心に波紋の様に広がるざわめき。
怨霊が人波を泳ぎ切りようやく逃走に一縷の望みが生じてきた途端、
飛び込んできたのは鈍色をした制御棒。
怨霊がいきなりの事で戸惑う間に制御棒に乗り上がったチルノがひょいと捕まえてしまう。
ぜいぜいと息を切らせながらようやく怨霊に追いつくお燐。
「お燐、どうしたの。そんなに慌てて」
「いやあ、今日は祭りだろう。折角の祭りだからちょっとは遊ばないと思ってたら、
この怨霊逃げ出したのさ」
バツが悪そうに苦笑するお燐にチルノは怨霊を渡す。
怨霊は打ち上げられた魚のように灰色の身体を振り回し遁走を図るが、
お燐の火車に入れられるとぐったりと静かになった。
「おや君がお空の新しい友達のチルノかい? 私は火焔猫燐よ。
いやあ、お空にも地上の友達が出来てお姉さん嬉しいよ。
単純な娘だけど悪い奴じゃないから仲良くしてね」
「失礼な奴だなあ……」
お空が僅かな抗議を試みるがお燐はどこ吹く風。
「それじゃあ、私はここいらでお邪魔するよ。
ご主人様に怒られるのは怖いからね。ばいばい」
そう言うと来た時と同じように駆けて去っていくお燐。
「ねえお空、さっきの怨霊はなんで逃げてきたの?」
先程の騒乱の原因たる怨霊の逃走を聞くチルノ。
かつてチルノは霊界の白玉楼へと赴き、その広大な白砂の上に亡霊達が
暢気に漂うのを見た事があり、何やら先程の怨霊の必死さがそぐわぬような気がした。
「ああ、きっと灼熱地獄から抜けだしてきたんだよ。
あそこには生前悪行三昧の連中が引き連れられて、過去の罪悪を清めるのさ」
チルノは何か遠大な問題に生き詰まったような気がした。
それは四方から迫りくる大壁を想起させ戸惑う迷い人の気持ちだった。
チルノがこの事に理解を得られなかったのも無理からぬ事ではない。
妖精とは詰まるところ自然が結実した結果であり、自然そのものである。
如何に強大な力を持つ大妖もそれを消し去ることは難く、
故に妖精は独自の死生観を有していた。
「でもなんでそんなに怨霊を苦しめるの。
死んだら朽ちさせて、そのままでいいじゃない」
「それじゃあ来世が無くなっちゃうよ。
骸は土に帰っても、霊魂は土に帰らずさ迷うだけだから。
だから魂は己の罪を清算しなければいけないんだ」
「だったら怨霊のままでいいじゃないか。
怨霊のまま生きることは駄目なの」
チルノはこの問答でお空の悪辣さを覗いみたような気がした。
泣き喚く罪人に苛烈な鞭を浴びせる拷問吏の獰悪に恐ろしくなる。
又、お空もチルノに疑惑がもたげた。
なんだか慈しみを知らぬ乱暴者と共にしている気分がする。
問答は二人の沈黙で途絶えた。
それから二人は祭りを練り歩いたが不躾な逡巡が間に割って入り、
陽気な祭り囃子も二人には聞こえなかった。
あの祭りの日、妙によそよそしい別れをして以来二人は合うことはなかった。
それまでは二人は何を過ごすにも一緒で、共にあったというのに奇怪なしこりが
二人を阻んでいるようであった。
チルノはそのしこりが何に由来するのか理解できずに、霧の湖の畔で独りで過ごしていた。
時折、陽気な妖精や精霊達が賑やかに通り過ぎたが、チルノは喧しく思うだけであった。
「あたい達はなにも喧嘩してない。決して仲が悪くなったじゃないんだ」
そんな文句を口ずさんでも言葉は濃霧の白に沈んでいくだけである。
陰鬱に縁どられた気分で数日過ごしたある日。
霧の湖近くの森を気ままに散歩していたチルノは腐臭を嗅いだ。
鼻孔の奥でツンと刺激する匂いは彼女の面を暗くうつ向かせる。
見えない糸で無理やり顔を向かされる不愉快さを感じながら腐臭の元凶を眼に捉えた。
葉を落とし剥げた木々が卒塔婆のように立ち並び、その中でも一際大きな木の根に寄りかかる死体。
獣共が食い散らかしたのか、臓腑があちこちに飛び散り、
節くれだつ茶褐色の木の根に赤黒い斑点をぽつぽつと描いている。
無数の蛆が全身をくまなく覆い、男女、老若、判然がつかない。
辛うじて粗末な着物からそれが男であることが伺える。
そして惨めな亡骸を掻き消すように辺りを漂う亡霊。
無貌である筈の白面に怨恨の表情を張り付かせ、鬼哭啾啾と泣き叫ぶ。
その光景はかつての祭りの出来事の再演を見せつけられているようである。
しばしチルノは呆然と見やっていたが、カラカラと音を立てて闖入者が入り込んできた。
鉛色をした掛布の下で、車輪が狂ったように回り続ける。
一般的なそれより一層大きな火車を押しながら、お燐が亡霊の側にやって来た。
チルノは急に恐ろしくなり、老樹の影に隠れ、事態を覗き見る。
「やあやあ、お前さん。死んでしまったのかい。
そのなりを見れば大層恨みつらみが積もっているようだ。
でも死んでしまったものは仕方がない。生きた者に嘆きをぶつけても仕様がない。
それより、あの世で暮らしてみないかい?
あの世は良いとこ一度はおいで。あの世は良いとこ一度はおいで」
お燐は調子をつけながら亡霊に喋りかける。
その不思議な調子に誘われるようにふわりふわりとお燐に近寄る。
チルノはそれを見て詐欺師が無垢な者をかどかわし、奴隷商人に売りつける光景を想起した。
そう思うと憤懣が全身に満ち、知らず歯を強く食いしばる。
チルノは忽然と身を現わした。
声もなく氷塊を無数に放つ。
放たれた氷は乾いた音を立て、木々や地面に突き刺さる。
その一つがお燐の右肩を後ろから貫く。
いきなりの奇襲にお燐は碌に受身も取れずに転がりまわる。
顔面を土塊で汚しながら、なんとか立ち上がり襲撃者を捉えようとする。
そこにはチルノが激しい怒りに身体を震わせるのが見えた。
驚愕に一瞬目眩がするが、己の怪我を顧みて即座に逃走を始める。
チルノは去っていくお燐を追わずにただ立ち呆けていた。
ようやくチルノが自分の行為の愚かしさに気づいた頃に後悔が押し寄せた。
お燐はもういない。あるのは凶刃によって流れた鮮血だけだ。
亡霊は騒ぎに便乗してどこかへと消えた。
チルノは確信した。友情は潰えた。
復讐者となったお燐の輩がチルノに向かってくるだろう。
もしかしたらその中にはお空がいるのかもしれない。
屍となった自分の魂を旧地獄へと連れていくのだろうか。
チルノは呆然とそう考えた。
お燐の襲撃を聞きつけたお空は直ぐ様、手当を受けている地霊殿へと駆けつけた。
寝台に沈むお燐。その顔色は蒼白であり、肩には包帯が巻かれていた。
時折、激痛に苦悶の表情を浮かべ、額には玉のような汗を浮かべる。
お空は縋りつくようにお燐に抱きつき嘆いた。
己が親友を襲った凶行に心痛めるお空へあったが、
お燐の言葉が驚愕を余儀なくさせた。
曰く、襲撃者はチルノであると。
お空はお燐に掴みかからんするのを必死で堪えながらも何度も確認をした。
見間違えではないか、聞き間違えではないか。
そのように問うてもその度に帰ってくる言葉は同じであった。
遂には逃げ出すように地霊殿を飛び出すお空。
漆黒の羽をはためかせ、地上へと飛翔する。
触れるものをなぎ倒す勢いで風穴を抜け出し、蒼穹の下へと躍り出た。
お空はチルノを求めた。
こたびの出来事は決してチルノは関わりが無いと。
真偽を確認するために奔走するのであり、決して他意は無いのだとお空は自身に念を押した。
チルノは果たしてどこにいるのか、お空は片っ端から知る所へと赴いた。
それは森であり、山々であり、人里であり、荒野であり、田畑であり……。
いずれもがチルノがお空を案内した所であり、そこに一つずつ訪れる度に
友誼がひび割れ、破片が剥落する音を聞いた。
霧の湖。白い濃霧を衣のように纏った湖の畔にチルノは独り佇んでいた。
お空が近くに降り立つと、殊更驚く様子もなく振り返った。
チルノとお空、二人は対峙する。
「チルノ、お燐を襲ったのはあなたなの?」
「うん、あたいがやった」
「何故? 何故!? なんで私の友達を傷つけたの」
「傷つける気は無かったんだ。ただ止めたかったんだ。
あの子が亡霊を旧地獄へ連れて行くことが。
あたいはただ止めたかっただけなんだ」
「分からない、分からないよチルノ。
あなたの言いたい事も、やりたい事も。
何一つ理解が出来ないよ」
「それはあたいもだよ、お空。
どうして地底の薄暗がりで怨霊達を攻め立てるの。
そこまでしてまで来世に生きることが必要なの?
あたいもお空が分からないよ」
「チルノ、私達は友達の癖して互いの事が分からないんだ。
まるで白痴のように相手の事が分からないんだ。
それでも私はあなたが許せない。
お燐を傷つけたあなたが憎い。
チルノが悪気が無いことは知っている。
それでも許せないんだ」
「そんな……。お燐には本当に悪いことをしたと思っているよ。
許してほしいなんて虫の良いことは言わない。
お燐に嫌われてもいい。それだけのことをあたいはしたんだから。
それでもお空には嫌われたくないんだ」
「五月蝿い! チルノなんて嫌いだ。
お燐を傷つけたようにいつかは私を傷つけるんだ。
チルノなんか友達なんかじゃない!」
「馬鹿! なんでそんな事を言うんだ。
私達は友達だって言った筈じゃないか」
「それじゃあ何故裏切った。
何故私達の友情を裏切った?どうして私達は判り合えない!」
吐き捨て、お空は高く舞い上がる。
制御棒が鈍く光り、戦火を予兆させた。
「チルノなんて大嫌いだ!」
「お空の大馬鹿野郎!」
かくして火蓋は切って落とされる。
言葉を知らぬ幼子ががむしゃらに手を振り上げるように。
お空の制御棒から無数の火球が吐き出される。
肉焦がし、骨溶かすには十全な熱量を有するそれらは
うねりを上げてチルノに殺到する。
チルノは急転回し、錐揉みしながら狙撃を辛くも避けきる。
しかしチルノの後方で炸裂が起こり、背を焦がし耳朶を震わせる。
爆発の勢いそのままに、湖面に叩き付けられるのを渾身の力で阻止する。
その隙をお空は許さない。
既に制御棒はチルノに差し向けられており、次弾が猛烈な勢いで発射される。
湖面を撫ぜるように地獄の火炎は突き進み、湖水を瞬時に蒸発させ、
白波が飛び跳ねる。
もはや回避は不可能である事を悟ったチルノは即座に自らの眼前に
分厚い氷の壁を作り上げる。
炎と氷が激突した。
巨獣の咆哮めいた轟音を響かせ、霧が立ち込める。
辺りには飛散した氷塊が落ちる水音だけ。
お空の周囲の霧が薄くなり、ようやく見渡せるようになった突如、
視界の切れ端から鋭く踏み込んでくるチルノ。
勢いそのままにお空の顔面に振り下ろされる両腕。
その指の先には獣の爪牙の如き氷。妖怪といえど膾に切るは容易い。
決死の一撃を躱し、チルノを制御棒で槍のように突きあげるお空。
胸を突かれ吹き飛ばされるチルノは、しかし両腕はお空に向けられたまま。
都合十本の氷の爪から白煙が漂った瞬間、稲妻の速さで氷塊はお空へと飛来する。
咄嗟に制御棒で自身を庇うが、数本が肩や脇腹を掠めていく。
絶叫を堪え、眼前の敵を睨みつける。
そこには同じくお空を睨みつけるチルノがいた。
チルノの唇からは幾筋の赤が白い喉元までを垂れている。
右手には華美な装飾が施された一枚の札、スペルカード。
右腕を天に掲げ、宣言を行う。
「アイシクルフォール」
湖のそこかしこで泡立ち始め、陰鬱な妖気が凝集する。
渦巻く冷気を核に、大樹の幹程の太さを備えた巨大な氷柱が形成される。
その数、十。そのいずれもが禍々しさを湛えて白く輝く。
氷獣の牙は荒ぶりを抑えて、自らの主に傅く。
「行け」
短く命じ、指揮者の如く掲げた腕を振り下ろす。
途端、鋭い切っ先を妖しく輝かせ、お空目指して突き進む。
「舐めるなぁ!」
お空の右手にもスペルカード。
魔法陣よろしくいくつもの「caution」の文字がお空を取り巻く。
文字は高速で回転し、厚みを増し、制御棒の先端へと収束。
軋む制御棒を抑えつけ、荒ぶる猛火を御す。
「十凶星!」
炎獣の顎が迎え討たんとする。数は奇しくも同数。
氷獣と炎獣が激突。
轟音が湖を震わせ、飛沫が周囲の森へと投げかける。
氷柱と火球は互いに喰らいつき息絶えた。
残るは氷の破片と熱の残滓である。
砕けた氷片は舞い上がり、幾重にも重ねた夜空の帳のように輝く。
「パーフェクトフリーズ」
突然の宣言に驚愕するお空。
声の方向に振り向けば、薄煙の向こうに、左手にもカードを持つチルノ。
チルノの宣言にお空が対処するよりも尚早く、漂う無数の氷霧が刃物の光を見せる。
羽虫程の小ささであった氷達が集まり、結合し礫の形状をとるや否や
瞬く間に四方八方からお空へ襲いかかる。
お空は迫りくる礫に臆することも、退くこともなく、前へと駆ける。
その果てにはチルノ。
飛来する礫に身を削られ血霞を吹き散らせながらも、
瞳には燃え盛る闘志を宿し、前へと駆ける。
「ガアアアッ!」
咆哮を上げ決死の突貫をするお空の気迫に慄いたのか、チルノの回避が遅れる。
突き出した制御棒を辛くも避けながらも、右腕を万力のような力で掴まれる。
チルノが振り解こうとする間もなくお空は渾身の力を込めてチルノを投げ飛ばす。
飛び石のようにチルノは湖面を二度、三度、叩き付けられながら、ようやく止まる。
視界が暗転し意識が明滅しながらもチルノが眼前を見据えれば、先より加速して
突撃をするお空の黒影が飛び込んでくる。
「ハッ!」
短く息を切ると、手を湖面に翳す。
途端、チルノの前方の湖面に氷柱が先を天に向け出現した。
しかも氷柱は蛇腹よろしく次々と連続して現れお空へと向かう。
迫る氷蛇の顎を、急転回し上空高く逃げることで回避するお空。
天地にお空とチルノ。
距離が開き攻防が途絶えることで、それは必殺の一撃のためへと移行した。
一陣の木枯らしが鳴き、決着を予感させる。
湖水を荒立たせ、凍てつく風が吹きすさぶ。
水面の波紋は緩やかにやがて激しく広がり続ける。
一際飛沫をあげて湖中より現れる氷の剣。
王侯に頭を垂れる臣下の敬虔さで以て周囲の万物は凍結し動きを止め、湖へと落ちる。
万雷の拍手よろしく波音を背負い、チルノは剣を構える。
「ソードフリーザー」
壮絶な死を予感させ刃は煌く。
外套をはためかせ、制御棒を天に掲げるお空。
放射能マークがお空を覆うように浮かび上がり、やがてそれは黄色い繭のようにお空を包み込んだ。
蠕動し複雑な模様を描きつつ、やがて制御棒の先端へと収束する。
それは小さな火球であった。しかし凄まじい勢いで辺り全てを吸い込んでいく。
貪欲な悪魔の如く、食らった分巨大になる火球。
やがてそれは湖に大きな影を落とすほどになり、灼熱の太陽は完成する。
「サブタレイニアンサン」
全てを焼きつかさずにはいられぬ猛火は尚も拡大する。
両者に張り裂けんばかりの緊張が訪れる。
肌の内に流れる血流に興奮と明晰が交互に入り交じり、心臓の拍動がやけに五月蝿い。
極限まで感覚は拡張し、互いのそれが触れあう極限まで引き伸ばす。
そして微かな羽毛ほどの感覚を得た途端、二人は同時に大技を繰り出した。
チルノは天を穿つが如く剣の切っ先をお空へ向け駆け出し、
お空は地を喰らうが如く火球をチルノへと擲つ。
霧の湖を押し潰すかのように火球はその威容を進める。
湖面がその圧に耐え切れず、狂人の絶叫を上げながら蒸発していく。
チルノはその死せる太陽へと一目散に飛び込んだ。
進むにつれ、氷の羽はひび割れ、衣服の隅々から黒い不吉な煙が立ち上ってくる。
声なき咆哮を上げながら突き進み、全身が激甚の苦痛が駆け巡る。
それでも尚飛翔は止まらない。
この劫火にあって寸分の崩落を見せない氷の切っ先が、
屍蝋めいた白色の火球に触れたとき、天地は奇妙な音を耳にした。
怪鳥の卵が長い時を経て孵る間際の音にも似ており、
ならば湖を覆う沈鬱な森の木々の一本一本に与えた衝撃も雛の鳴き声であるとすれば合点がいった。
火球に切っ先が触れた瞬間に火球に悲痛な亀裂が走り
鉛色が覆ったかと思えば、爆散し辺り一面に氷片をぶちまける。
巨人の豪腕に似た爆風にチルノとお空は巻き込まれ、荒立つ波に飲み込まれた。
薄片となった氷が陽光を乱反射し、金剛石の輝きを放つ頃には
不気味な静寂が残り、時折風に煽らせて波音が響いた。
沈黙だけが終焉を告げていた。
湖の岸部、打ち寄せる波に為すがままにチルノとお空は
互いに寄りかかる。
二人満身創痍。拳を振り上げる気力すら無い。
それでも尚語らねばならぬ。真心を。
ポツリポツリと語り始める。
「ねえお空、あたい、お燐に謝りたい。
とても酷いことをしてごめんなさいと言いたい。
きっと直ぐには許してくれないと思う。
何度も何度も謝らないといけない。だってあたいはそんなに酷いことをしたんだもの。
それでね、お燐に謝り終えたら今度はお空に謝りたい。
大切な友達に酷いことをしてごめんなさいと言いたい。
いっぱい酷いことを言ってごめんなさいと言いたい。
引っぱたいてごめんなさいと言いたい。
いっぱいいっぱい謝って、あたいのしたこと全部謝ったら、
もう一度友達になってくださいって言いたいんだ。
やっぱりお空と友達になりたいから」
「お燐はきっと直ぐに許してくれるよ。結構単純な性格だから。
怖いなら私も一緒に謝ってあげるから。
その後は私もチルノに謝りたいの。
チルノの気持ちを考えずに酷いことを言ってしまったこと。
チルノに友達じゃないだなんて言ってしまったこと。
チルノにとても痛いことをしてしまったこと。
その全部を謝りたいんだ。本当に謝りたい。
それで許してくれたらやっぱり、チルノにこう言いたい。
もう一度友達になってください、と」
お空は目を逸らさずに続ける。
「ねえチルノ、私達は大きな失敗をしたと思うの。
それはどちらかが悪いんじゃなくて、どちらもただ間違えたんだ。
どうやって私達が振る舞えばいいのか。
それは傍から見れば滑稽で、本人達は痛いだけだもの。
だけど教えてくれる人は私達にはいない。
だから私達でそれを見つけなきゃいけない。
それはきっと大変なことだと思う。きっと何度も失敗すると思う。
その度に痛い思いをしなければならない。
もしかしたら今回みたいにまた喧嘩をするかもしれない」
「ねえお空、お空と別れたこの数日なんだか寂しかったよ。
妖精と雪遊びをしても、人間に悪戯をしてもどこかむなしいんだ。
霜柱を踏みしだいてもちっとも嬉しくないし、
森一面の樹氷を見ても全然綺麗だとも思わない。
感情の底が抜けて優しい事も嬉しい事も全部通り抜けてしまう。
お空は隣に居ないのにお空の輪郭だけがそこにあって、
でもあたいが笑いかけても笑ってはくれないんだ」
「それがきっと悲しいことなのかもしれない。
私達は手を握ろうとしても、どちらかが傷ついてしまう。
チルノがいなくなった後、ずっとずっと考え続けたの。
あなたの言ったこと、言いたいこと。
でもやっぱり分からない。嫌いじゃないの。分からないの。
亡者は地獄の奥底で囚われ、浄化されなければならない。
だってそれは祝福だから。次を生きるために必要なことだから。
だからこそチルノの言うことが分からない。
ううん、きっとそれだけじゃない。
これからずっと一緒にいる限り、私はチルノに失望し、チルノは私に失望する。
私達は分かれる方が幸せなのかもしれない。
たまに宴会で出会ったり、弾幕遊びをしたり、地霊殿でお茶を飲んだり。
チルノをこれ以上嫌いにならない為に、
これ以上仲良くならない方が良いのかもしれないと考えたりもした。
でもやっぱり嫌なの。
どれほど怖くても、どれほど辛くても、私はチルノと友達でありたいの」
抱き合うように二人は寄せあい、互いの鼓動を感じ取った。
自分には無い熱さを感じながら、滂沱と涙を流す。
「あたいも、あたいも、お空と友達で、いたいよ。
あたいが、お空の、言いたいこと、が分からなくなっても、
お空があたいの、言いたいことが分からなくなっても、
あたいは、お空の、友達に、なり、たいんだ。
だから、もう一度言うよ、お空、あたいと、友達、になってください」
「私も、言うよ。何度も、何度も、言うよ。
私たちが、離れない、ように、約束のように。
チルノ、私と、友達になってください」
霧が晴れ、陽光が差す。
強い光が抱き合い、泣き合う二人を暖めた。
二人の黒い影が細く、長く岸辺に投げつけられた。
なかなか面白かった、来月も期待
この二人は何時までも仲良く出来るんだろうなぁ、面白かったです。
チルノさんマジパネぇっス
誤字報告
>>よれより、あの世で暮らしてみないかい?
それより
>>詐欺師が無垢な者をかどわし
かどわかし
では?
あと、係累がどういう意味でつかわれているのかがよく解りません。
ご指摘ありがとうございます。
早速修正します。
係累の件ですが、知り合いや仲間のニュアンスで使用していましたが
調べてみると「妻子など面倒をみなければならない一族の者」という意味であり
相応しくないです。同じく修正します。勉強不足です……。
来月に期待
チルノがカワイイ。