「あら咲夜、何か用? ……いや、何か用かい? 妖怪だけに」
「霊夢が負けたそうです」
お嬢様は優雅なティータイムをお過ごしになっていた訳だけれども、私の言葉で盛大にむせた。
ちっちゃな背中を擦ると、恨みがましい視線が飛んでくる。
「詰まらない冗談はよしこさん。紅茶がもったいないじゃないのよ」
いやあなたのソレのほうがよっぽど――と喉まで出かかったが黙る。言えば命が無い。まだピッチピチの四万とんで十代、墓に入るには若すぎる。
とりあえず、申し訳ないですと言って茶を濁しておいた。
「ですが紛れもない事実ですわ。八雲紫共々、敗北しました」
「いったい誰に? あの二人を負かすんでしょ、中途半端な奴じゃないはずよ」
食いついてきた。
当然といえば当然だ。八雲紫には吸血鬼異変の際、霊夢には紅霧異変の際に、お嬢様は黒星を食らっている。
お嬢様はそびえ立つチョモランマ並みにプライドの高い方で、吸血鬼の威光を周囲に知らしめんとも思ってらっしゃるから、敗北というのは非常に堪え難いことであるようだ。
それでも、今まではあの二人に勝てる奴なんて居なかったからまだ良かった。みんなあいつらに負けるから、メンツが保たれた。けれども、勝つ奴が出てきちゃった。
やはり我慢できないものがあるのだろう。だって自分の立場が無くなるし。
「申し訳ありません、生憎、誰なのかまでは……。ただ、二人が最後に目撃されたのは竹林のようですわ」
「そう。あなたの言う竹林って、人里近くにあるやたら広い奴よね? あそこに著名な輩なんて居たかしら……」
「そういった者の噂を聞いたことは有りません。が、春雪異変まで西行寺が大して認識されていなかったのと同様、あそこにもヒッソリ実力者が隠れている可能性はあります」
「なるほど確かに。むしろ、そう考える方が自然かもね」
お嬢様はしきりに頷いていらっしゃるが、私が言ったのは適当な推測だ。そもそも目撃情報からして怪しい。何せ、この件に関する情報のソースは殆どが魔理沙。そして醤油は辛口。
第一、竹林には筍狩りや兎狩りで猟師が入っている。そんなところに強力な人外が居ようものなら、とっくに噂になっているはずだった。
とはいえ、メイドとしてお嬢様の機嫌を損ねるわけにも行かず。ああ、板ばさみって辛い。
「それと、その件に関して一つ奇妙なことがございまして」
「奇妙なこと?」
「ええ。二人は今博麗神社で意識不明となっていて、療養中だそうで」
「意識不明!? じゃあ、負けの中でもボロクソの負けってことね……。相手は相当の実力者だわ。幻想郷でも五指には入るわね、余裕で。でもどうしてそれが奇妙なの?」
「いえ、奇妙なことというのは、それじゃあ無いのです。二人が呟くうわごとなのですよ」
「うわごと?」
「ええ。鰤、鰤と」
うわごとで鰤。それだけで十分おかしいが、状況をもっとおかしくしている要素がある。
幻想郷に海が無い、ということだ。
ご存知の通り、鰤はスズキ目アジ科に分類される海水魚。北西太平洋に生息する回遊性の大型肉食魚のことだ。
海水魚とは読んで字のごとく海水で生きる魚のことであるから、海のない幻想郷にはそもそも居ようはずが無いわけで。
実際私も、ほとんど扱った覚えが無い。霊夢なんて、下手すりゃ見たことすら無いだろう。
だから奇妙なのだ。
「鰤、ね……ひょっとして、相手は海の妖怪なのかしら」
「海の妖怪、ですか。お言葉ですが、幻想郷に海は有りませんよ?」
「でも塩は手に入るじゃない。かなり自由に。あれだけの供給、岩塩だけじゃ実現できないわよ。どこかに海が隠されてるんだわ……そして竹林がそうなのよ」
お嬢様のおっしゃった事を吟味する。
なるほど、理にかなっているように思える。鰤だから海の妖怪と決め付けるのは短絡的な気もするけれど、竹林に海が隠されているという理屈は頷ける。何せあそこは阿呆みたいに広いし、人を迷わせる人為的な力が働いている気がする。海を隠すなら竹林の中。
お嬢様が立ち上がった。不敵な笑み。嫌な予感しかしない。
「よし咲夜。一緒にその妖怪を叩き潰しに行くわよ。弔い合戦・兼・名誉挽回のチャンス、逃す手は無いわ」
私の危惧は当たった。正直、当たって欲しくはなかった。
主や自分をことさら悪く言う気は無いけれど、私たち二人では厳しい。相手は霊夢や八雲紫を倒すレベル。対するこっちは、あの二人に勝ったことが無いという始末。
客観的に見て、私たちが勝つ可能性はたいして望めない。
「ですが、相手は霊夢と八雲紫のコンビをケチョンケチョンにしました。私たちだけでは流石に厳しいのでは?」
一応その危惧を伝えたが、不敵な笑みは崩れない。
「いいえ咲夜。そうじゃないわ。いい? 二人はきっと、初見殺しをされたのよ」
「初見殺し、ですか」
「そう。何せ相手は海の妖怪でしょ、あの二人にとっても、その攻撃は未知数だったに違いないわ。だからそれをモロに受けてしまった。敵本人の強い弱いは関係無かったのよ」
「はあ……」
楽観的な考えだとは思うが、諌めたところで聞く人でもない。だいたい、お嬢様が一回言いはじめたら、方向転換などまず無理、さしずめロケットみたいなものだ。あとはそれに従うか、軌道を必死こいて修正させるかの二択ゲーム。
降りる? 無理。
まあ、やるとしても所詮が弾幕ごっこ、相手も命までは取るまい。――そう思わなきゃやってられない。
「じゃあ行くわよ咲夜。目標は竹林内部。目的は、そこに居る奴をぶっ飛ばすことよ!」
主からの下命。私はひざまずいて応じる。
「御意のパパに」
無論、ちょっとしたジョークを加えるのも忘れずに。
私の気遣いは、最高レベルに冷めた目で迎えられた。はて?
「逃がすんじゃないわよ! 何としてもここで仕留めるの!」
「奥に通しちゃだめ! 丁重にお帰り願って!」
小隊長格らしい雑魚の声が四方八方からする。
ここに来るまでの経緯は、かくかくしかじか四角いキューブな訳だが、結論から言おう。海は見つかっていない。
あれこれ蹴散らして竹林に入ったが、磯の香りのかけらもしない。代わりにいかにも怪しい日本建築が見つかったから、(お嬢様の)腹いせとして(私は止めたがお嬢様が強引に)突撃をかけた。
あっさり包囲された。
警備の多さは外からでも窺えたのに、誰かさんが無茶するからだ。口が裂けても言わないが。
「ふむ、妖怪兎ね。海との繋がりは有るかしら……ああ、因幡の白兎?」
ただまあ、こいつらは数ばかりで質に欠ける。ウチのメイドも大概だが、アレよりも弱い。囲まれたからといって、特にどうということもない。
現に今、お嬢様が放った大型弾を避けそこねて、結構な人数が吹き飛んだし。
私も十本ほどナイフを投げておいた。メイドの土産だ。殺さないけど。
「くっそ、前の二人組といい、化け物か!?」
「くじけないの、姫さま方の準備が整うまでの辛抱よ! 時間を稼ぐの!」
面倒なのは数。今吹き飛ばして作った穴も、あっさり増員で埋まった。こんな風に倒しても倒してもウジャウジャ涌いてくる。兎って繁殖力強いらしいもんなあ……。
脱出しようにも、屋内、それも廊下では難しい。幅は広いけれど、究極的には前後に行くしかない。
「弱いくせにキリが無いわね、不夜城レッドでも一発かまして殲滅しようかしら」
「ああ、それはちょっとお止めになったほうが良いかと」
何とかの一つ覚えみたいに飛んで来る自機狙いを、チョンチョン避けながら返答する。
お嬢様も適当にクナイをばらまいて相殺していく。オマケで魔力弾を撃って反撃。
「何故?」
「連中のさっきの台詞ですよ。前の二人組というのは、霊夢と八雲紫のことでしょう。おそらく、ここで二人は敗北したのです」
「にしちゃ敵が随分弱いわ」
「本命は別に居るはずです。姫と呼ばれたのがソレでしょう。そいつの戦闘準備が整うまで時間を稼ぐのが、この包囲隊の仕事かと」
さらに言えば、こいつらは予備人員のはずだ。おそらく主力はあの二人が叩き潰したのだろう。
でなきゃ、まともな組織がこんなに弱いはずがない。こいつらの動作は、丸きり非戦闘員のソレだ。
「なるほど確かに。さすが咲夜ね。じゃあ本命に備えて温存しときましょう」
「にしても、海の姫を相手するわけね……さしずめここは、竜宮城」
「ですわね」
お嬢様はニヤリと笑った。
この笑みを私は知っている。最高にロクでもないこと考えてる時の顔だ。
「ここが竜宮なら、ぜひとも玉手箱とやらを手に入れるわよ。そしてパチェに渡すの――フハハ、私のプリン食べた怨み、思い知るがいいわッ!」
それ見たか。
「――そんな理由でここに喧嘩を? 昔から地上人の愚かさ加減は重々承知してたつもりだけど、これは記録更新レベルね」
兎どもとは違う、どこか達観した声。
場が静まり返る。視線が一箇所に向けられる。私によく似た銀髪。すぐさま悟った。ボスのお出ましであると。
こいつが霊夢達を倒したのか?
「む、この私に向かって愚か者呼ばわり? 度胸のあるやつが居るものね。死にたいのかしら」
「あっ、私ちょっと死んでみたいかも。まあ、あなたじゃ一生無理そうだけどね、私たちを殺すのは」
さっきのとは別の声。烏の濡れ羽色な黒髪。
ボスクラスは二人居たわけだ。予想外だ。これは少し面倒なことになるかもしれない。
二人は悠々と近づいて来る。私たちなど脅威ではないと言わんばかりに。兎の包囲網がそこだけパックリ割れて、道となった。奴らが畏怖されているという証拠だ。
「自己紹介してあげるわ。私は蓬莱山輝夜」
「八意永琳」
黒髪は鷹揚に言い、銀髪は端的につぶやいた。
余裕しゃくしゃくなその態度が気に入らないのだろうか、お嬢様の声音に苛立ちが混ざる。
「わざわざどうも。でも何? 一体どういう風の吹き回しかしらね」
「ああ、簡単なことよ。冥土の土産ってやつ?」
輝夜というのは随分と人を馬鹿にした奴だなあと思った。
お嬢様とは馬が合うまい。決して。
さて私の方だ。主人を馬鹿にされたわけだが、特にどうとも思っていない。この程度で怒るほど青くない。そういう役割は、イメージ的に妖夢が適任だろう。
だが、私に向けられた宣戦布告は別だ。悪魔の狗と罵られる身でも、それを蹴るほどには腑抜けていない。
「メイドに向かって冥土の土産とは、洒落てらっしゃいますね。売られた喧嘩は高く買います。平成メイド合戦ぽんぽこですわ」
そう言い、毅然として二人を見据えた。
勝負の前の空気は、ひんやりと張り詰めている。まるで冬のような冷たさ。
「――いやね? 咲夜は拾ったときからコレだからね? 私の責任じゃないのよ?」
「あなたも部下で苦労してるわけね……同情するわ」
何だろう、戦いの直前だと言うのに、この弛んだ空気。けしからん。
「ありがとう。まあ、諦めたわよ。今に始まったことじゃ無し……。ああ、私はレミリア、で、コレは咲夜。恨みは無いけど、ちょっと負けてもらう」
「姫、ここは私が相手しますので、お下がりを」
「いやいや永琳、今回ばかりは下がってなさい。私が相手するわ。この二人、面白そうだし」
「今回ばかりはって、大体いつもでしょうに……ああ、皆シェルターに篭りなさい。巻き添えを喰らいたくないのなら」
永琳の言葉で、兎達はバタバタと駆け出した。シェルターとやらに向かうのだろう。
「……利用はしないのね?」
意外に思って尋ねた。永琳は見るからに切れ者、作戦のために犠牲を厭わないタイプなのだが。
「ほいほい使い捨て出来ない理由が有るの。兎達は姫や私の部下じゃない。借りてるようなものなのよ……ウドンゲやてゐが巫女にやられてなければ、もう少し楽なのだけど」
なるほど、よく分からないけれど、色々と大変らしい。
従者は辛いよ。
「永琳、世間話終わった?」
「ええ。いつでもどうぞ、見ておりますから」
「何。あんたたち、二対一でやるつもり? ありがたいけど、後悔するわよ」
「させてみせて?」
「ふん……命名決闘法に基づいて宣言する。私のスペルカードは八枚」
「同じく。私は六枚ですわ」
「一枚よ」
耳を疑った。
一枚。確かに、命名決闘法のルール上、スペルカードは何枚でも構わない。
が、何事にも相場は存在する。一枚というのは流石に少なすぎる。やる気が無いとしか思えない。
「あんた、ふざけてる?」
現に、お嬢様などは半ば切れかけだ。
その不機嫌は後で私に来る。勘弁していただきたい。
「あら、私は大いに真面目よ。侵入者には常に一枚でお帰り願ってるわ」
「巫女と胡散臭いのも?」
「ああ、こないだ来たわね。ええ、彼女らにも一枚で帰ってもらったわ」
お嬢様の目の色が変わった。
あの二人と同じ条件で戦える。これで勝てば、まさに汚名返上が叶うのだ。渡りに船である。
「分かった。いいでしょう、その一枚、全力でかかってきなさい!」
「無論よ」
一枚だけという事実から考えて、輝夜のカードは恐らく、時間無制限とボム無効が付いて来るだろう。時間稼ぎは不可能。霊夢達を倒したことから考えて、超のつく高威力のはずだ。
長期戦はこちらにとって一方的な不利。ここはさっさと勝負を決めてしまうに限る。開幕ソウルスカルプチュアがいいか。
身構える。――さあ、平成メイド合戦ぽんぽこの始まりだ。
「……ねえ? 貴女達は私の宣言枚数が不満かもしれないけど、これは全く妥当なのよ。いや、別に貴女達を過小評価しているのではないわ。ただ、この一枚があれば他のカードなんて全く必要無いというだけの話。なぜなら、今から私が放つ一撃は、この上もなく圧倒的・まさに強力無比だから」
始まり、のはずなのだが。
私の足は凍りついたかのように動かない。
突如として輝夜が放ちはじめた威圧感。舐めてかかっていた。やはりこいつは、幻想郷最強クラスを二人倒している!
「貴女達にこれから見せるのは、生命の流れの正に縮図。太古に貴女達の祖先が生まれたこの地球、その母なる海の厳しくも優しい営みを、弾幕へとコンバートしたもの。その前に貴女達は一切の抵抗叶わず敗れ去ることになる。何故って? だって、海の中は最早一つの世界だもの。いかに強いにしたって、世界そのものと闘って勝てる奴が居ると思う? 無理よ、居るはずがないわ。そうよ、何人たりとも海を持ち上げることは出来ない。海を消すことは出来ない。海を制することは出来ない。まして海に打ち勝つだなんて、絶対に、出来るわけがない! 貴女達は既に、引き返すことのできない袋小路に入っている! 出来ることといえば、寛容にして狭量・慈仁にして残酷たる海への畏怖を、その身に確と刻み込むことよッ!」
高く掲げられる、輝夜のスペルカード。
何故かは知らない。けれど、アレを撃たせてはいけない気がする!
「撃たせるものですかっ――『ルミネスリコシェ』ッ!!」
投擲されたナイフは、低威力ではあるが高速。
時間操作も相まって、見てからの回避はおよそ困難――それが牽制用スペルカード、ルミネスリコシェ。
霊力が集まっていく、輝夜のスペルカード。
彼女の右手に収まるそれを、ルミネスリコシェが貫いたなら、それで私たちは勝ちだ。
間に合うか否か。それは私もお嬢様も見切りかねるほどの微妙なライン。
「あら、いい一手……でも遅い。紙一重遅いわ。自然に屈しなさい――」
皮肉極まりないことだが運命は生憎と私たちに味方しない。埋めるべき距離のほうが、ナイフの弾速より長かった。
カードを宣言する輝夜の口が、まるでスローモーションさながらに見える。
その瞬間に私の脳裏を掠めた光景は、遠い日の祖父との思い出。彼が私にくれた忠告。
――Warned 'bout winter sea.
Huh? surely rough an' dangerous the wave there as you say. However, why's it that you especially say?
――cos they've occupied there.
"They"? Well, whom do you wanna talkin' about?
――Yellow tail. Badly strong they're. No exaggaration to say they ain't only a sym of a winter sea, also of very all life over the world.
「来るわよ咲夜ぁッ!」
ああ、祖父の言うとおりだった。
Yellow tailには気をつけなくてはいけなかったのだ。
この世の海を牛耳るのは、彼ら――。
「神宝! 鰤リアントドラゴンバレッタァアアッ!!」
そして輝夜から放たれる無数の魚類。
「冬の海は鰤の海っ……!」
そう、輝夜が放つソレは正に海の王者、支配者。寒海における絶望するほどに残酷な生存競争を生き延びてきた、猛者中の猛者。
舐めてかかれば死あるのみ――それが、鰤だ。
蓬莱山輝夜という奴は、自然が持つそんな破壊的一面を掌握し、こともあろうに弾幕という言語に落とし込んで表現しているのだ!
「何よこれっ……魚!? ええい、ふざけた弾幕を!」
混乱をきたしたお嬢様がヒステリックに叫ぶ。しかし私は知っている。これは断じてふざけた弾幕などではない。むしろ逆だ。
海と闘って勝てる奴などいない――輝夜の言うとおりだ。つまり彼女は、これ以上無いほど高難易度のスペルカードでもって、私達を駆逐せんとしているというわけだ。
博麗や八雲が敵わないはずだ。彼女らが強者たりうる最たる理由は、幻想郷の理が彼女らについているということ。結界の管理者・博麗、郷の管理者・八雲、彼女らは幻想郷における理を最もよく理解している。だからこそ、それは彼女らに微笑む。
だが冬の海は、鰤は、そんな物など笑いながら踏み潰してしまう。相性は最悪。あの二人で勝てる道理は無いわけだ。
「お嬢様、右へステップ、一拍置いて一メートル半ほど垂直跳躍!」
私達に迫る鰤鰤鰤鰤鰤ハマチ。
それらは密度も高く、同時に複数方向から弾を処理する必要が有る嫌な配置。挙げ句、スペルカードルールにおいては珍しい高速弾幕。取得難度は間違いなく最高クラス。
だが、決して回避不可能ではない。弾幕という形で表される以上、攻略法は必ず必要なのだ。
無数に飛び交う弾に隙間を見つけ、相手のライフゲージが切れるまでそこにしがみつけたなら、勝ちというわけだ。
左後方へのバックステップ。私が居たところを、左右から鰤が駆け抜けた。一秒どころか、その半分も余裕が無い。考えるより先に動かなくては被弾する。
いずれにせよ、長くは保たないだろう。
「咲夜! 援護してちょうだい!」
「分かりましたッ、――なッ!?」
お嬢様に応えようとして、愕然とした。
時間が止まらない。
だが、そんなはずは無いのだ。よりによってこんなタイミングで、能力が使えなくなるなど。
もう一度。動かない。
「あら、何をしようとしたのかしら? まあ良いわ、無駄よ。言ったでしょう、私の鰤リアントドラゴンバレッタは、自然の摂理の体現だと! いかなる手段であっても介入できるわけがない!」
むちゃくちゃな理論だ。だが、現に時間は止まらない。さっきから能力を発動させているのに、うんともすんとも言わずに動き続けている。
まずい。時止めの能力があるから、私はどうにか戦えるのだ。無くなってしまえば、ナイフ使いの上手いタダの人間に成り下がる。
それでは、輝夜には――鰤には勝ちようも無い。
「ちょっと咲夜、何してッ……ええい、スピア・ザ・グングニル!」
援護は間に合わない。無理やりに放たれたお嬢様のカードは、迫る鰤を避けて不安定な姿勢であったがために、威力がオリジナルよりずっと落ちていた。
それでも十二分に速いのだが、見慣れている側からすれば一目瞭然だ。普段よりずっと鈍く、くすんだ紅の輝き。
輝夜はソレを余裕の笑みで眺め、カードを切った。
「サラマンダーシールド」
という名前をした、魚類の壁。
飛び交う鰤たちの一部が集まって、輝夜の盾となった。
普段ならばそんなものアッサリ貫くはずの神槍も、威力が減衰した状態では分が悪い。
一匹、二匹と貫いていくも――止められた。
「ええい、生臭いしグングニルは止めるし、最悪だわッ」
言いながらも、お嬢様は飛んでいる。止まろうものなら鰤のエジキだ。
「咲夜、何とかするのよ!」
「何とかって……ああ」
あれがあった。
懐に入れたスペルカード。その内の、ある一枚の存在を思い出す。
あれならば、鰤どもを止められるかもしれない。
輝夜をキッと睨みつける。彼女の余裕、あれを引き剥がしてみせる。
「何をするつもりなのか知らないけれど、無駄よ? あなたは完封されてるじゃない。さっさと鰤の前に屈するがいいわ」
「いいえ。まだまだこれからですわ――」
スペルカードを発動。霊力は周囲に影響を与える。
自然界を鰤に掌握されている以上、時は止まらない。だが、このカードなら状況を跳ね返せる。
簡単なこと。鰤が世界を支配するなら、こちらは鰤を支配すれば良い。
「なッ……止められた!?」
鰤だけ、完全に止まった。
それでも弾だ。当たれば被弾ということになるだろう。だが、止まっているものにわざわざ当たりに行くほど、私もお嬢様も馬鹿ではない。
「何をしたか知らないけど、上出来よ咲夜。褒美に見せ場を作ってあげるから、活かしなさい」
「ありがとうございます」
輝夜の顔は、驚愕に染まっていた。
余裕は消えている。作り忘れているのだろう。なるほど確かに、上出来だ。
お嬢様はカードを構えた。輝夜も慌ててカードを切る。だが遅い。
「野菜――スピア・ザ・ホワイトラディッシュ」
投擲されたソレは、神槍に似てはいるが、紅ではなく白。
お嬢様が何をしようとしているのか、私には分かる。紅魔館の食卓を握っているのは、この十六夜咲夜なのだ。
カードを切る。期待に応えるには、やはりコレしかあるまい。
「傷魂! ソウルスカルプチュア!!」
放たれる何十何百の斬撃は、止まった鰤とお嬢様の槍を巻き込み、切り裂いていく。
乱切りにし、アラを一口大に切り分け、熱湯を注ぎ霜降り。水に落として血液や汚れを取り除いたら、生姜とお嬢様の槍と一緒に鍋に入れ、酒・砂糖・味醂・醤油などを加えつつ煮込む。最後に盛り付けて針柚子を加えれば完成。
見るがいい蓬莱山輝夜。これが完璧で瀟洒な料理だ。
「さあ、召し上がれェ!」
「私の鰤リアントドラゴンバレッタで……鰤大根ですって……!?」
愕然としながら輝夜は皿を受け取り、お嬢様の神槍(調理済み)を恐る恐る口に運んだ。
元々驚愕で見開かれていた目が、さらに開かれる。
「瑞々しく暖かな大根に、鰤のアラから出る特有の旨みと醤油の芳醇な香りが、余すところ無く染み込んでいる――! ハムッハフハフ! そしてこの鰤。さすがに氷見寒鰤、産卵期と南下に備え、小魚を捕食し続けた結果、丸々と脂が良く乗っている、堪えられないわ……! あの短時間だというのに、まるで一晩煮込んだかのような完成度。生姜と柚子が効いていて、生臭さが消えている! これは――永琳、米と酒を!」
「ここに」
「ああ、素晴らしいわ! やっぱり鰤大根にはコレが無くちゃ。炊きたてホヤホヤの白ご飯に旨い酒、至高だわ……!」
輝夜の箸が進む。私達を苦しめた弾幕が彼女の胃袋へと飲み込まれていった。
私達の勝ちだ。
*****
結局、輝夜は完食した。米も大盛り三杯ほども食べた。
「いやしかし、上手いもんねえ、あんな鰤大根初めて食べたわ」
「咲夜は図抜けて優秀なのよ」
異変解決といえば、ということで、酒など飲んでいる。宴会がわりだ。場所は博麗神社ではなく、ここ永遠亭だ。
まあ私と永琳は、それぞれの主の酌に徹するわけだが。
「うらやましい。うちの永琳も優秀は優秀なんだけど、料理はねえ」
「ダメなの?」
「ダメっていうか、冷し中華と題して、冷凍醤油ラーメン出して来るのよ?」
「アハハ、面白いじゃないの」
お嬢様は冗談と受け取ったらしい。笑っていた。
従者として感じるものの有った私は、永琳を見る。目を反らした。
……ああ、マジでやったんだな……。
「あ、それでレミリア、あなたの従者なんだけど」
「貸さないわよ」
「違う違う。どうやって鰤リアントドラゴンバレッタを止めたのかと思ってね」
「咲夜は時間を操るから、それじゃない?」
「いえ、違うと思うわ。鰤リアントドラゴンバレッタっていうのはね、海の王者である鰤を通じて、自然のルールを再現したものなのよ。一応弾幕ではあるから弾で相殺できるけど、それ以外の滅多な干渉は出来ないはず」
聞かれるだろうとは思っていた。鰤リアントドラゴンバレッタは輝夜にとって虎の子であるし、確かに最強クラスのカードだ。実際、時間は止まらなかったし、おかげで私達も敗れかけた。
それだけに、輝夜には不思議なのだろう。逆転の理由が。
「私も気になるわね、咲夜、説明して」
「はあ。面白くは無い答えになりますが、あれに対抗できるスペルカードがあったのです」
「鰤リアントドラゴンバレッタに? それもああいう形で?」
「ええ。こちらですわ」
例のカードを懐から引っ張り出し、輝夜に渡した。
お嬢様も横から覗き込む。
「ああ、咲夜たまに使うわねコレ。あんまり強くないけど、あんな使い方が出来るのね」
「これの名前は? 何ていうの?」
「それがミソなのです。このカードの名前はズバリ――
咲夜特製ストップ魚ッチ」
養殖物ェ...
姫はうどんげ達をイナダと呼ぶんですね解ります
妖夢なら「捌けぬものなどあんまり無い」って普通に対処しそうですね。
咲夜さんの親父ギャグに絶対突っ込まない、突っ込んではいけないんだ……
二段落ちの存在までは分かった。
はたしてそれが何であるか・・・思いを馳せた時点でこちらの敗北は決まっていた。
ちょうおもしろかったです。
二つの意味で腹にきたww
氷見の実家に帰りたくなった。
そそわは地獄だぜ!
なんか普通にサラマンダーシールドつかっとるけども。
ぷるっぷるっぷるっこぎ~♪
くやしいwwでもはねちゃうwwびったんびったんww
どこかに良いブリのアラはないでしょうか?
ここで笑うんだよ、と作品の中の空気が語ってくるんだけれど、
それが嫌味にならないで、素直に面白いと感じて笑ってしまうみたいな。
一見ただの一発ネタだけれども、
その実計算ずくで笑わせに来ている、これこそまさに一流のSS調理人の証と見たり
(鰤を捌く咲夜の姿とかけた高度なギャグ)
あとすごい久々にこの名前使います。
喚く狂人さんの作品はやはり面白かった。