Coolier - 新生・東方創想話

ゆかれいちゅっちゅっ【夏】

2010/09/17 18:45:59
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「あづぃ……」

 博麗神社の縁側で寝転んだ紅白の巫女は、ダレ過ぎて溶けそうになりながら呟いた。
 カラカラに乾いた地面から昇り上がる熱気と、ギラギラサマーなお日様からの熱線。風もなくて涼なんてまともに取れないという、まさに真夏日。暑いばっかりで、多量の汗が体中から流れ出て行く。傍らに置いた麦茶も汗を掻いて、瞬く間に温くなって行ってしまう。水分補給にと口に含むが、そのあまりの温さに霊夢は眉間を顰めた。

「あづぃ~ぃ」

 団扇で自身を仰ぐ気力も、水風呂に入る気力も、川へと遊びにいく気もない霊夢は、ただ「暑い」「あっつい」と呟くばかり。
 そよ風さえ吹いてこない縁側でただ寝ころんでダルそうにする。ダルさマックスのこの霊夢は、まさに『だれいむ』以外の何者でもなかった。

「そんなに暑いのなら、もっと涼しい場所に行ったら?」
「……うっさいっての」

 ふと届いた声に驚くことなく、やっぱりダルそうに返す霊夢。
 ゴロリと寝返りを打って体勢を変えて、緩みそうになった頬を隠しながら。

 言わない。
 アンタが来るのを待ってたなんて、言ってやらない。

 視線を動かす。
 ギラギラと輝く真夏の太陽の下。
 キラキラと、何処か静寂に光る金細工みたいな長い髪を持った妖怪が、そこにいた。









さまーしーそると味




       





「なんでそんなバカでかい桶を持ってるのよ?」

 霊夢はいつものことながら唐突に、でも珍しく歩いてきたらしい妖怪に上体を緩慢に起こしながら問う。
 思わず目を細めたのは、日陰になった縁側から見上げた太陽が眩しかったからだ。別に、そんなギラギラ輝くお日様より、その灼熱の陽光に照らされながらもキラキラと夜の光を纏って光る柔らかな金色の髪とかが眩しかったからじゃない。ましてや、纏め上げた髪の合間から見えるなんとなく涼しげな真っ白な項とか、そこに零れる後れ毛とかがちょっと目に毒だとかそんな事思ってない。違う。ほんとに違う。違うったら違うってば。ほんとにほんとぉーに違うってば!
 真夏だというのに長袖の厚手そうで、おまけにフリルたっぷりの導師服っぽい格好をした妖怪、紫は、まるで酒樽のようにバカでかい桶を抱えていた。そして珍しい事に隣には蜻蛉のように透き通った、まるでガラス細工のような精巧な作りの翅を生やした大妖精までいる。
 大妖精は紫の服を指先でちょんと摘まんで、何処か不安そうにバカでかい桶を見詰めていた。

「あぁ、これはね」

 霊夢に桶を指差されて、紫が回答しようとした瞬間、

「あ゛ー、バカっていふなぁ~」

 バカでかい桶の中から『だれいむ』異常にダルそうで、本当に今にも溶けてしまいそうな気の抜けた声が聞こえた。

「ゆがりぃ~あ゛づひーぃ~」
「はいはい」

 紫はくすりと小さく笑みを零すと、軒下の日陰に入ってきて霊夢の傍らの地べたに桶を下ろす。
 中には溶けかけの氷精が大量の氷が浮かぶ水の中にうだーっと浸かっていた。呼吸するのも辛いのか、はひはひと熱に浮かされたように呼気を乱して、半開きの目で真っ赤な顔をしている。

「バカ妖精?」
「ヴーぁー。だがらぁ~、カバっていうな~」

 誰も一見温和そうでその実獰猛で意外に恐い動物の事なんかいってやしないが、霊夢は完全無視しながら「なんでコイツが?」という視線を紫に投げた。
 紫は隙間からマルキュウ、じゃなくてチルノより一回り小さいくらいの大きな氷塊を取り出しながら、

「ちょっとその辺で溶けかけていたから」

 拾って来たの。なんて軽く答えた。
 霊夢は大妖精が一緒にいる事から、恐らく通りすがったところに助けを求められたんだろうと予測する。大妖精が紫の服をまだちょこんと掴んでいるのを認めて、なんとなくその手をやんわりと外したくなったけれど、流石に大人気無さ過ぎると思ってやめておくことにした。……なんていうのは大妖精にもチルノにも、ましてや紫にも内緒である。
 大妖精は不安げ顔で紫を見上げて、それから「あー」とか「うー」とか「ぅぁぁ~」とかコッチまで気の抜けてくる声を出して氷水に浸かっているチルノを見詰めた。

「チルノちゃん、だいじょうぶ?」
「ぅ~」

 チルノは半開きの目で大妖精を見上げて、大丈夫なのかダメなのか、どっちとも判別の付かない曖昧な顔でパシャパシャと氷水を指先で跳ねさせた。
 紫はそんなチルノに取り出した大きな氷塊を抱えさせる。バカでかい桶の中にすっぽり収まったチルノが、ずしっとした氷塊の重さで氷水の中に沈んだ。

「これでも抱えて、暫くは大人しくしていなさい」
「ぅあ~?」

 先程よりは若干心地良さそうな声を出して、氷塊を抱き締めて氷水にどっぷり浸かるチルノ。
 紫はまだ心配そうにしている大妖精の頭をくしゃりと軽く撫でる。多分、氷を触っていたから冷たくなっていたのだろう。紫の手の感触とか優しげな撫で方は見るからに気持ちよさそうで。元々の柔和な顔付きをしている大妖精は、その顔はくすぐったそうに綻ばせた。

「……あんたさ、人の頭とか撫でるの好きでしょ?」
「ん?」

 別に聞かせるつもりも、聞いてほしくも無かったけれど。思わず漏れてしまった不機嫌そうな声に紫が霊夢の方へと振り向いた。声は聞こえたらしいが、小さく零した言葉までは聞き取れなかったらしく「なに?」と小首を傾げる。
 霊夢は聞こえていなかった事に少しだけ安心して、でもどことなく聞いてほしかったかもしれないとか思っているちっぽけな気持ちも見つけて。ただ「なんでもない」と少し不機嫌気味に顔を背けた。

「暑いから不機嫌なの?」
「……そんなトコよ」

 蝉がみんみん煩くて。流れる汗は肌に煩わしくて。紫の態度はちょっと気に食わない。
 こんなにあっつくても、なんとなくアンタ来るとか思ったから。
 だから、こんなにあっつくても待っててやったのに。

(別に……待っててとか言われたわけじゃないし、約束とかしたわけじゃないし……あたしが勝手に、来るかもって思っただけだけど……)

 霊夢は他人に分かるか分からないか程度に頬をふくらませて、紫から少し顔を背ける。
 ツーンとした態度を取っていると隣に紫が腰掛ける気配。
 なんとなく笑っているように感じて。悔しかったから視線も顔も向けないで、そのままの態度を取り続けた。

「暑いから不機嫌なの?」
「……」

 また同じ問い。でも今度は、言外に「ほんとうに?」という意地悪な含みを伴った言葉だった。
 何も言わないでソッポを向いたままにしていると、分かるか分からない程度に膨らましていた頬を指先でツンツンと突かれた。
 冷えた指先のひんやりした感触に、思わずその手を取って火照った頬に擦りつけたくなったけれど、危ないところで思い留まる。
 頬を膨らますのはやめて、不機嫌を示唆する態度を『口を尖らす』なんてものに切り替えると、くすくすと喉の奥で笑う声が聞こえた。

「理由は暑いだけ?」
「うっさい」

 頬をふにふにと指の腹で押して来る紫の手を、ぺしっと払い落しながら言う。くすくすと楽しそうに笑う声は、それでもまだ微かに聞こえた。
 梅雨のある時から、こうして紫は不機嫌な理由を聞いてくる事が多くなった気がする。
 からかってくるのだって、ちょっと意地悪なのだって、そんなのいつも通りだから、そんな気がしているだけかもしれないけれど。

(ってか、さっきの絶対に聞こえてたでしょ)

 いっつもいつでも胡散臭い笑みを浮かべて、知らないフリや聞こえてないフリとか、そういうのが得意な、

(なんていうんだっけ? ぽーかーへい……なんとかだっけ?)

 そんな妖怪だから。その妖しげな笑みの下に、一体どれくらい多くの事を隠しているのが分かったものじゃない。

「ぅー。だいちゃぁーん……」
「チルノちゃん、ちょっとは楽になってきた?」

 霊夢と紫の遣り取りを「相変わらず仲良いなぁ」なんて柔和な顔で微笑ましく見守っていた大妖精。でも、先程よりは少し元気を取り戻したチルノに呼ばれ、大きな桶の中を覗き込みながら声に答える。
 半分くらいから七割程度まで開かれたチルノのアイスブルーの瞳に、柔らかく微笑む大妖精の顔が映っていた。

「ぉー」

 チルノは大妖精の言葉に、腕をぎこちなく少しだけ上げる。
 紫から渡された大きな氷塊を抱えながら、口を大きく開けてもぎもぎと齧りついている姿に、大妖精は安堵したように笑みを零した。

「こんな面倒なことしなくても、境界操ってやれば済むんじゃない?」

 霊夢はチルノの様子を見ながらもっともな意見を口にする。
 でも紫は「うーん」と小さく唸って微苦笑するだけだった。

「暑いのは夏の良さでもあるし。氷の妖精が溶けるっていうのも風流でしょう?」
「チルノにしてみりゃ迷惑な話ね」

 ふんっと鼻を鳴らす霊夢に、紫はまた微苦笑を零した。
 でも霊夢はなんとなく、紫が誰かの肉体や精神に対してあまり能力を使いたがらないのを知っていた。勿論、のっぴきならない理由があったり、緊急事態は別だけれど。
 その理由はなんとなく分かるような気がしないでもないが、やっぱりハッキリとは分からない。

「ぅぁ゛~。やっぱりあついのはダメだぁぁ゛~」

 もぎもぎと氷塊に歯を立てながら、チルノはくぐもった声で言う。
 大妖精は「だから無理しないでって言ったのに」と苦笑を漏らしていた。

「なんでこんな事になったのよ?」
「その、私が見つけた時はもう溶けかけてて……」

 霊夢の問いに大妖精は首を振った。
 朝の内は一緒にいたけれど、用事があるといってチルノは一人出掛けてしまったらしい。でも帰りが遅くて心配になって探してみれば、日向で溶けかけたチルノを発見して、慌てて助けを求めたんだという。

「あんなに取り乱した貴女を見るなんて久しぶりだったから、少し驚いたわ」

 紫のちょっと意地の悪い言葉に大妖精の頬に朱が差す。恥ずかしそうに「うぅっ」と唸って俯き加減になった。
 会話の内容から「へるぷみーえーりん」とばかりに右往左往した大妖精と、騒ぎを聞きつけ「どうかしたの?」とスキマからヌッと現れた紫。そんなスキマ妖怪に、半泣き状態で「へるぷみーゆかりーん!」と必死に助けを求める大妖精の姿が容易に想像できた。

「や、八雲様にはご迷惑を……」
「こらぁ~ゆかり~。だいちゃんをいじめるなぁ~」

 チルノの気の抜けた声の、でも確かな批難に紫はゴメンなさいと軽く謝って、お詫びにと隙間から「すいかばー」なる棒付きの氷菓を取り出してチルノに、大妖精にはピンクと白の色合いが可愛らしいものを与えた。紫曰く「カリカリ君いちごミルク味」だそうだ。
 チルノは氷塊をもぎもぎと齧るのを一旦やめ、受け取ったすいかばーにバク付く。大妖精も遠慮がちながらも受け取って、チロチロと舐め始めた。

「はい、霊夢」
「ん?」

 それから、こっちには棒付きの水色をした長方形の氷菓。
 素直に受け取ってぺろりと舐めると、バニラような甘さと、微かな塩味が舌の上に転がった。

「……あまじょっぱい?」

 しょっぱさが甘さを引き立てて、甘さがしょっぱさを引き立てる。そんな絶妙な味の均衡を持つ冷たいお菓子。
 初めての味に、霊夢は首を僅かに傾げて氷菓を眺めていると、隣で紫が「期間限定品なのよ」と悪戯っぽく笑った。

「なんか不思議な味ね」

 ……おいしいけど。
 そう小さく付け足すと、紫の顔に満足げな笑みが浮かんだ。
 なんだか気恥しくなって紫から視線を外して、すいかばーを貪るチルノへと顔を向けた。

「んで、なんでアンタは溶けかけてたのよ?」
「ぅおー?」

 氷塊を抱えて、氷水に浸かって、奥歯でガリガリとすいかばーを齧るチルノは、こんな炎天下の元でもちょっと寒々しい。蒸発してなくなりかけていた氷の羽が、原形を取り戻して背中で大きくなりつつあるのが見えた。

「ゆーかにひわまりもうら約束してたから、とり行ったらとけた」
「……バカでしょ」

 あ、違う。バカだった。
 霊夢の至極正しい訂正に、チルノは「バカじゃないっ! さいきょーだ!」と声を張り上げた。
 ちなみに「ひわまり」は「ひまわり」のことである。どうでもいいけど、物凄い勢いでゲシュタルト崩壊しそうなので突っ込みをスルーしたわけだが、ぶっちゃけもうゲシュタルト崩壊真っ最中である。

「なぜ向日葵を?」
「大ちゃんにあげるんだよ! 大ちゃん花好きだから、ひわまりあげたらきっとよろこんでくれるもんね! でもこれは大ちゃんにナイショだからね!」
「……」

 アタイのケーカクったらパーフェクトねっ! と、桶の中で胸を張るチルノ。直ぐそこにはその大妖精がいて、しかも嬉しそうに顔を赤らめているが、チルノだからしょうがない。
 ここは突っ込んだ方が優しさか、もしくは人間としてそれが当たり前の行為か。霊夢は一拍無言を保ってからチラりと紫を見る。でも紫はにこにこ笑って霊夢を見返すだけだった。無言で「突っ込みなさい」と言われているような気がしなくもない。でも「スルーしてあげてもいいのよ」と言われているような気もしなくもない。詰まるところ「好きにしなさい」という意味で、紫自身は突っ込む気はないということで。
 霊夢は考えるのが面倒になって「あっそう」と素っ気無く相槌を打つだけにした。でもそうしたら、そわそわする大妖精がなんとなく居た堪れないように見えてきて、隣の紫からはちょっと意地悪な視線を感じた。

「大ちゃん花好きだもんね!」
「う、うん」

 微笑みながら頷く大妖精に、アタイあつさなんかに負けない! と意気込むチルノ。気合いを入れた所為か、折角凍り始めた個所がまた溶け出して、大妖精は慌ててチルノを肩まで氷水の中へと浸からせた。
 二人の微笑ましい姿に、紫が小さく笑っている。

「じゃあ後で一緒に行きましょうか?」
「お~?」

 そんな紫が、チルノに提案した。その声がとても穏やかだったから、からかってないことは直ぐに分かって。チルノの声で掻き消されたが、霊夢はその裏で「へ?」という間抜けな声を出していた。

(……なによ、いきなり)

 霊夢はガリっとアイスを齧った。
 気紛れなのは知ってるけど。でも、せっかく来たのにまたどっか行っちゃうわけ?

「なんで紫が一緒に来るんだ?」
「だって、また溶けたりしたらいけないでしょう?」
「今度は問題無いよ! アタイさいきょーだから暑さなんかに負けないもん!」
「あらあら。蒸発しかけてたは何処の誰だったかしら?」
「それはっ……あ、あれは敵を油断させるためのこーめーなナワで、だからこれから大回転だよ!」
「孔明な縄で大回転って……」

 紫は扇子を広げて口元を隠してくすくすと笑う。変にツボに入って、そして後からじわじわ来る部類の可笑しさだったらしい。その内肩を震わしてくつくつという風に小さくだが、声を立てて笑い始めた。
 ギリギリまで我慢していたらしい大妖精も、笑い続ける紫につられて笑い始めた。

「あー、大ちゃんまでー! なんで笑うの!?」
「ご、ゴメンねチルノちゃっ……ふ、ふふっ……な、なんか、ふふっ……こ、孔明っていう人がね。グルグル回って縄でグルグル巻きになっちゃって、っ、ふふ……なんかそんな変なの想像しちゃって……」
「物凄いシュールね、それ」

 霊夢が氷菓をがじがじと齧りながら至極真面目な顔でそう口を挟んだ途端、傍らの紫が吹き出して「あはは」と声を上げた。

「ふ、くくっ……あは、あははっ……もっ、やめて、れい……もっ、ふふっ……おなか、いたっ」

 お腹を抱えて笑う紫に、霊夢も内心でつられて笑みを零していた。
 紫がこんな風に笑っているのは珍しいから。だから調子に乗って、顔は真面目のそのままに付け加える。

「だってシュールじゃない? もしかしたら物凄いゴツいオジサンで、回るって言っても……あー、ばれえだっけ? みたいに片足上げて爪先でくるくるって……」
「つまりこういうことか!?」

 そうしたら今度はチルノが、本当に真面目に、死ぬほど真面目な顔をして桶の中で立ち上がった。
 片足を、何故だか膝を九十度に曲げて外側に開いた――足の形だけ見るとカタカナの「ユ」の向きを変えたようにも見える――格好で、肩を水平にして肘は下に真っ直ぐに垂らして、手は指を真っ直ぐに伸ばしてきちっとしたパーの形で固定する。それはどっかでみたことがあるようなポーズのような気がしたけれど、きっと気のせいだ。別になんとかステップとかいう奇妙な踊りをする時のポーズになんか似ていない。きっと似ていない。
 チルノは肩を水平に固定したまま肘だけを上へ下へと、無駄にキリよくピシピシ上げ下げしながら、上げた片足は固定しつつもう片足で回った。桶の中にはたっぷりと水が張ってある為、ぴょんぴょんけんけんをするように回るのではなく、これがまた非常にスムーズにグルングルンと高速回転をやってのける。その間も腕の動作は変わらず、片足は固定である。もう、超異様で奇妙だった。
 これには流石に霊夢も吹き出して、その場にいるチルノ以外の全員が笑った。

「うぉおおおぉぉアタイさいきょー!」

 これが『孔明な縄の大回転 ~チルノさいきょーver.~』とかと後に呼ばれるようにはならなかった。


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