調子に乗ったチルノはそのうち氷に躓いて桶の中で盛大に水飛沫と小さく溶けかけた氷の粒を巻き散らして派手に転倒。大妖精は大いに慌てて、紫は更に大きく笑って、霊夢は大いに呆れて。そんなこんなで、体力を消耗しきってしまったらしいチルノは桶の中で寝こけ始め、大妖精もそれを追うように桶に背を預けてうつらうつらと船を漕いでいる。
ギラギラを輝いていたお日様は西の方へと傾き、少しずつ風が出てくる。傍にキンキンに冷えた氷水と氷精と氷塊があるので、縁側に吹く風は冷たくて心地よいものになっていた。
「……なんだか、疲れたわ」
「そりゃあんだけ笑えばね」
隣でぐったりと横向きに体を倒す紫に、霊夢はひっそりと笑みを零す。笑って疲れるなんて、きっと紫にとっては貴重な体験に違いない。
帽子を取り去って、ぽむぷむと頭に触れる。そうしたら、紫の紫紺色の瞳がこっちをじっと見上げて来た。
「な、なによ……」
「いいえ?」
紫は「ふふっ」と小さく頬を綻ばせて、ころっと膝上に頭を預けてきた。お腹の方に体を向けて、しなやかで長い四肢を折りたたんで、太腿にすりすりと頬を軽く擦り付けて。そうして、上目遣いで見上げて来る。
大型なネコ科の動物が甘えてきているような、そんな仕草。
不覚にも、可愛いなんて思ってしまった。
「……猫じゃないんだから」
ほっぺたを軽くつねってやると、桜色の唇から不満そうな唸り声。でも端っこに笑いを引っ掛けたような唸り声で、霊夢もくすくすと笑い出す。
抓るのをやめて、そっと頬に指先を滑らす。
汗でしっとりとした滑らかな肌の感触は、思いのほか気持ちよかった。
「暑くないの?」
「これくらいの気温なら平気よ?」
「でも汗掻いてるじゃない」
霊夢はそう言いながら、少し湿った紫の前髪を掻き上げる。
その額に思わず唇を寄せたくなって、でもぐっと堪えた。
……のに。
「少し笑い過ぎたわ」
紫がそう苦笑しながら、ゆったりと腕を伸ばして来る。
細くて形の整った指が頬を撫ぜて、おいでおいでと誘ってくる。
「……」
黙って、その指をしかめっ面で迎える。
眉間に力を入れて存外に拵えた霊夢のしかめっ面に、紫は微笑んだままで上目遣い。紫の眼差しは何処か悪戯っ子のように、微かに波打っていた。
「……おいで?」
――そんな顔してないで、素直においで?
短い一言には、ちょっと癪に障る意味合いが音になっていない場所に潜まされていて。
眉間に一層皺を寄せて、ますますしかめっ面を作る。
そうでもしないと、この暑さとか、柔らかな手の平から伝わる熱とか、優しく頬の上を滑る感触とか。ゆっくりゆっくり揺れる水面(みなも)みたいな穏やかな深い瞳とかに、理性なんかアイスみたいに溶けていきそうだからで。
「おいで?」
誘う声、ひとつ。
悪戯っ子のような眼差しはいつの間にか消えていて。ただ穏やかにゆっくりと、呼ぶ声ひとつ。
ゆら、ゆら。
そんな風にゆっくりと揺れる、深い深い紫色の波間に移る姿がひとつ。
「……猫じゃないんだから」
それから。
つたないくちづけ、ひとつ。
「ふふ……甘くて、しょっぱい……」
「……アイスの味でしょ」
自分の唇を舐めて、紫が楽しげに笑う。意識してやっちゃいないんだろうけど、やっぱり艶やかなその仕草。
慣れない事をした照れとか恥ずかしさに、ぶっきら棒に視線を逸らしながら素っ気無く言う。
紫は小さく笑って「違うわよ?」と呟きながら、上体を少し起こして伸び上がった。霊夢の唇をペロッと舐め上げて、至近距離で囁く。
「貴女の涙と同じ味」
「……バカじゃないの」
酷いわね。と、微笑む紫。
目の前には、ゆらゆらと穏やかにたゆたう紫色の深い深い水面。
湖なんかじゃ有り得ない深くて、大きな、何処までも深くて遠くて、見えないソコ。透き通っていて、吸いこまれそうで。なのに底に何があるのか分からなくて。
こういうのを、なんていうんだったか。
「霊夢の涙は、少ししょっぱくて……でも、とても甘くて美味しいのよ?」
「そんなの、知らないわよ」
ゆらり、ゆらり。
深い紫が揺れる。
(……吸い込まれそう)
夏の香り。
口の中に残る、甘さとしょっぱさ。
紫の匂い。
夜を告げる風。
唇に、まだ残ってる柔らかな感触。
ゆらりと、紫色の水面に、優しく流れる波。
「それはそうでしょうね」
――きっと私しか知らないもの。
近い近い距離で悪戯に囁かれて、霊夢は頬に朱を散らす。
耳にくすぐったくて心地良い紫の声と、吸いこまそうな深い色合いの瞳。
「んなの……アンタだけ知ってればいいのよ……」
小さく呟いた声は、恥ずかしさにどこか弱々しい。
綻ぶ紫の唇が、また何か余計なことを発する前に、そっと塞ぐ。
ゆらゆらと揺れる波間を漂うみたいに、拙い口付け一つ。
紫の唇は、甘くてしょっぱくて。
だから不意に、さっき探していた答えを見つけた。
「……しょっぱくて、あまい」
「アイスの味じゃない?」
今度はさっきとは逆に、互いに言葉を交換する。
楽しげにくすくすと笑う紫の顔が憎たらしくて、それ以上に愛しくて。
「違う」
――海の味がする。
近い近い、唇が触れあう場所にいる紫にしか聞こえない小さな声で紡ぐ。
深くて、深過ぎて。底の見えない瞳が、ゆらゆらと穏やかに波打った。そんな綺麗な海を見たら、そんな優しげで温かな海を見たら。吸い込まれて、何処までも潜って行って、溺れてしまうのも悪くないような気がした。
けれど紫は、水面でふわふわと漂っていてというように、ただ抱き締めて微笑んだ。
「……うそつき」
二人で畳の上で抱き合いながら横になる。
紫の胸に拗ねたように顔を埋めながら、背中に手を回す。
「あら、何故かしら?」
宥めるように頭を撫でる紫の手を捕まえて、その手を握った。
目の前にはやっぱり、何処までも深くて広い、『愛しさ』を色にしたみたいな紫の瞳。
「幻想郷にだって、海があるじゃない」
顔半分胸に埋めたまま、もごもごと呟くと、紫は何度か瞬きを繰り返して。
ただ穏やかな海みたいに笑った。
「その海はどんな味がするの?」
分かってるクセに。
そう思いながらも、霊夢は紫の瞼に唇を寄せながら告げた。
「しょっぱくて、あまいわよ」
海なんて見た事もないけれど。
でも、きっとそうだから。
ゆらゆらたゆたう水面(みなも)に、つたないくちづけ、ひとつ。
夏の夕闇にゆらりゆらりと揺れる穏やかな波間に、戯れるように、キスひとつ。
紫の涙は、海みたいな味。
END
大チルも良いものだ
紫様は困った時のお助けキャラであり幻想郷の海であり霊夢の嫁でありそして可愛いのである、これは自明の理
……特に頭。茹で上がるような愛って奴で。いやこれは万年か。
ゆかれいちゅっちゅっ【秋】
とかも期待してます。
>『だれいむ』異常
「以上」かと。
ゆかれいむはやっぱいいなぁ