ふぅ~、と一息、僕は腰を叩きながら顔をあげる。
む、しまった。
ちょっと年寄りくさい動きだったか。
まぁ、幸いにして周りには誰も居ない。
いつもはサボっている死神も今日は真面目に働いているらしい。
雨でも降らないといいけどね。
「もっとも、その程度で雨は降りはしないが」
僕は今、無縁塚に来ている。
いわゆる商品の仕入れだ。
最近は幻想入りしてくる物も多く、僕としては有り難いので、こうして度々足を運ぶようになった。
まぁ、相変わらず用途が不明な物は多い。
例えばこれ、ヘッドホン。
用途は音を聞く為の物だが……残念ながら何も聞こえてこない。
果たして、どのように使う道具なのか。
あまり東風谷早苗にお世話になりたくはないのだが……それもしょうがないだろう。
そのうち彼女が商売に目覚めない事を祈るばかりだ。
今は信仰に目が向いているからいいものの、守矢神社が商売に走れば恐ろしいのではないか。
何かそんな予感がする。
お祈り済みのコンピュータからお祈り済みの携帯電話。
更にはお祈り済みの有り難い玉を7つ買い集めると願いが叶うやら。
まるで霊感商法だ。
しかし、早苗ならやってのけそうなので怖い。
「そうなれば廃業だな」
やれやれと僕こと森近霖之助は首を振る。
と、その首を振ったお陰で一枚の紙切れを見つけた。
どうやら外の世界の新聞らしい。
なにやら地球温暖化が進行していると書いてあるが、詳しい事は雨に濡れてしまっているらしく読み解く事が出来ない。
「地球温暖化か」
地球が温暖化している。
つまり、気温が高くなっているという事だ。
温度はそのまま、音度とも言い換えられ、転じて、振動を表している。
温度が高ければ高い程、物の振幅は大きい事とだ。
それは活動が活発であると言い表す事が出来る。
空気や魔法がより良い環境で動く世界だ。
なるほど、外の世界はやはり住み易いらしい。
寒くなれば、身体は縮こまり、動き辛いが、温かいのは遠慮なく動く事ができる。
ますますもって、羨ましい限りだ。
「だが、幻想郷は幻想郷だ」
幻想郷の夏は暑く、冬は寒い。
夏には妖精達が活発に動き、冬はレティやチルノ達が活発に動く。
春にはリリーホワイトがいて、秋には豊穣の神がいる。
それを変動と捉えるか、雅と捉えるかは人と妖怪次第。
まぁ、幻想郷に住む住人達がどちらを選ぶかは明白ではあるが。
「今は秋かな」
空を見上げれば、入道雲があった夏はもう終わりに近い。
遠くの空に、まだまだその雲は見えるけれども、沈む夕日を受けてオレンジ色に光っていた。
夏が終わるのは寂しい感じではあるが……秋は秋で楽しみがある。
それに、僕達には長い長い一生がある。
何度でも夏が来るのだ。
悲観する事は、何も、無い。
「ふむ、これは教科書? かな」
僕は本を拾い上げる。
表紙には数学という文字が辛うじて読み取れた。
パラパラちと捲ろうとするが、やはり雨に濡れてしまっていて、ほとんどのページが張り付いている。
まぁ、読み取れるページはあるし、面白そうな話も載っていたので一応は持って帰るとしよう。
「ふむ。こんな物でいいか」
リアカーの中はゴチャゴチャとした物でいっぱいになっていた。
手当たり次第に入れていったので、混沌としている。
あとで整理するのは大変そうだが……まぁ、それはそれで楽しみである。
さて、日が落ちてしまう前に帰るとしよう。
~☆~
しまった。
これは、また、どうしようもない位にまいった。
「ぬぅ!」
と、気合いをいれてリアカーを引っ張るが、どうしてもぬかるみから抜け出せない。
どうやら先日降った雨が原因で、道の脇にタイヤとジャストフィットするぬかるみが出来ていたらしい。
僕が歩く分には何も問題ないし、行きはリアカーが軽かったので問題なかった。
しかし、荷物を乗せた帰りには見事にはまってしまい、抜け出せなくなってしまった。
「しまった、というより、はまった、だな。いやそんなに上手くもない」
呟いてみても相手してくれる者はいない。
はぁ~、と大きくため息をつく。
さて、何か板状の物を探すか……それとも荷物を降ろして軽くするかだが……
どちらの方が効率がいいだろうか?
板状の物とは、文字通り『板』が良い。
タイヤにかませてやれば、滑る事なくぬかるみを脱出できるだろう。
しかし、そんな都合の良い板など転がっているものだろうか?
それを探している暇があるのならば、リアカーの荷物を降ろし軽くした方が早く脱出できるのではないか。
「さて、どうしたものか……」
「困ったもんだね~」
「あぁ。あまり時間を浪費したくない。時は金なりとも言うしね」
「時間=金だとすると、お金=時間になるよ。お金は時間で買えるの?」
「それは労働時間という意味だ。労働力と時間を提供する代わりにお金を貰うのさ」
「ふ~ん……労働時間+お金=時間。時は金と労働力なり。休まず働け、馬車馬の如く働け、種馬の様に働け、一般人など働き蟻と同義」
「それは言いすぎだ。暴論だよ。お金中心で物事を考えるからそんな馬鹿な考えに至る。お金など、その効果を失えば、ただの紙と塊にすぎない」
「硬貨が効果を失えば、ただの高価だった硬化した物」
「はっはっは、うまいじゃないかって誰だ!?」
「遅いよ霖ちゃん」
いつの間にか誰かが僕と会話していて、思わず飛びのいた。
そこには、はっはっは、と腰に手を当て、上機嫌に笑う鬼。
二本の突き出た角には可愛らしくリボンが結われており、鎖がジャラリと音を立てる。
そして腰には紫色の瓢箪。
地底から戻って来た鬼、伊吹萃香がそこにいた。
「びっくりするじゃないか。突然に現れないでくれよ」
彼女は身体を霧状にする事が出来るらしく、幻想郷全体を自分で満たす事が可能らしい。
以前はそうして、人々を宴会へと誘っていたらしく、それはそれで迷惑な鬼だ。
やはりどこかで吸血鬼とも同種なのだろうか。
紅魔館の主、レミリア・スカーレットも紅い霧を発して迷惑をかけたし。
それに鬼は人を攫い、吸血鬼は人の血を吸う。
鬼はなぜ人を攫うのか。
それは、鬼がそういうモノだからである。
吸血鬼はなぜ血を吸うのか。
それも、吸血鬼がそういうモノだから。
そこに理由はなく、そこには人間の恐怖しかない。
「いや、向こうから歩いてきたんだけどね~。霖ちゃんは腕を組んでうんうん言ってるから気付かなかったんだよ」
「嘘だ」
「鬼は嘘をつかないよ。知ってるでしょ?」
あぁ、そうだった。
鬼は嘘つかない。
嘘をつく必要がない。
鬼は真っ直ぐに誠実だ。
誠実に人を攫い、誠実に鬼をこなす。
だから、嘘をつかない。
「そうだ、そうだった。すまない、謝るよ」
「おや、以外に素直だね。気持ち悪い」
「失礼な」
「鬼は嘘をつかない」
「はぁ~……分かった。僕の心の裏は簡単さ。助けてくれないか?」
鬼の怪力は皆知っている。
一撃で妖怪の山を吹き飛ばせる程度の力。
そんな彼女なら、このリアカーを引っ張る位、なんでもないはずだ。
「鬼に助けを求めるとは……幻想郷も変わったねぇ~」
「変わったのは、君達じゃないか?」
「そう?」
あぁ、と僕は頷く。
昔は恐怖の対象でしかなかった鬼。
だからこそ地底に押し遣られていたのだが……人を攫わないうちに随分と丸くなった気がする。
少なくとも、畏怖は感じない。
あの八雲の大妖の方がよっぽど畏怖を感じる。
胡散臭さ故の畏怖だけど。
「ふ~ん。まいっか。だけど条件があるよ」
「条件?」
「ただより怖いモノは無し、さ」
「ただ>恐怖か。逆説にすると、恐怖はただより怖くない」
「あははは! それだと鬼の畏怖もあったもんじゃないね~。さぁ、どうする霖ちゃん? ここで困ったままか、」
ニヤリと萃香が笑う。
「、それとも私に一杯奢るか」
鬼に酒を奢るのか……
これは難問だ。
鬼と天狗とは呑み比べをしてはいけない。
これは幻想郷でも常識だ。
果たして、僕の持ち合わせが持ってくれるかどうか……
「あぁ、そんなに難しく考える必要はない。1杯でいいよ、お猪口1杯で」
「いっぱい、じゃないだろうね」
「クドい。鬼は嘘をつかないよ」
「ふむ。それじゃ、お願いできるか。助けれくれ、リアカーが動かないんだ」
「おやすい御用さ」
萃香はひょいと僕を抱えた。
いわゆるお姫様抱っこ。
いやいやいや、運んで欲しいのは僕じゃなくてリアカーなのだが。
そう反論しようとした所で、僕の身体はリアカーへと乗せられた。
「はい、しっかり捕まっててね~」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「たっきゅうど~♪」
「にゃお~ん、って違う、ぬかるみから出してくれるだけでいい!」
ガッコン、という感じでリアカーが跳ねる様にぬかるみを突破する。
しかし、萃香は止まらずにそのまま走り出した。
遠慮なく走るものだから、リアカーが跳ねまくり、かなり危ない。
決めた。
金輪際、鬼には助けを求めない。
それが今日という日の教訓だ。
~☆~
ガタガタと揺れるリアカーの上からでも、竹林沿いの灯りが見えてきた。
まだ日が落ちて間もないせいか、いつもは明るく見える赤提灯も、今はなんだか薄い気がする。
もっとも、揺られすぎた僕の目が狂っている可能性もあるにはある。
「因果を越えてぇ~♪ 魔を断つ剣ぃ~♪ 無垢なる刃、ミスティア・ローレラーイ♪」
店主、ミスティア・ローレライのいつもの妙な歌が聞こえてきた。
何だか今にも巨大な機械仕掛けの神々でも召喚して、超巨大ロボバトルでも始めそうな勢いの歌詞だ。
ここで萃香はようやくブレーキをかけた。
ズザザザザザザザっと音をならして萃香の靴と地面がこすれる音。
そして、最後にガコンという音と共に、僕の身体が浮かび上がった。
「うわぁ!?」
どうやら最後の最後に大きな石に乗り上げたらしい。
リアカーが跳ね上がり、僕と幾つかの荷物が空中に投げ出される。
「ほいっと」
他の荷物は無視して、僕の身体を萃香が受け止めてくれた。
お姫様抱っこで。
本日二度目のお姫様抱っこなので、何とも言い切れない気分になる。
「……ありがとう」
「どう致しまして」
萃香はそのまま僕をおろす訳でもなく、長机の方へ運んでいった。
「あ~いむ、ろっくんろーる! 世界は愛で溢れているのであ~る」
「いぇ~す、死んでしまうロボ~」
どうやら、屋台の方ではすでにルーミアが出来上がっていて、ミスティアと一緒にロックを語っていた。
ていうか、まだ逢魔が時だというのに、もう酔っ払っているのか。
いったい何時から呑んでいるのだ、ルーミアは。
まぁ、常時酔っ払っている萃香といえど、さすがにあそこに加わる気はないらしい。
そんな訳で長机だ。
大きな傘に赤い提灯、木で作られたテーブルと椅子は僕のお気に入りではあるのだけれど、萃香に抱えられてじゃ、それも何だか違って見えてくる。
「いらっしゃい。お姫様と王子様」
萃香が椅子に降ろしてくれたところで長机担当のアルバイト店員、蓬莱山輝夜が屋台側からやってきた。
僕と萃香の前にそれぞれ付け出しであるホウレン草のおひたしを出してくれる。
「どっちがお姫様で、どっちが王子様だ?」
「分かってるくせに~」
なんて言いながら輝夜は僕の額をコツンと叩く。
ご機嫌なのか、僕をからかっているのか、判断に困る。
「お姫様は目の前にいるじゃないか、ねぇ霖ちゃん」
「僕の目の前にはアルバイトのお姉さんしかいないよ。ねぇ、輝夜さん」
「残念、あなたの目の前にいるのは将来のお嫁さんです」
どんな冗談だ、まったく。
萃香は気に入った様でケラケラと笑っている。
「嘘よ嘘。お姫様抱っこなんかされるナヨナヨした男なんて結婚してあげない」
「なよ竹のかぐや姫様には、僕は似合わないよ」
「どっちもなよなよでお似合いじゃん」
萃香の合いの手に、僕と輝夜は視線を合わせる。
竹取の翁に輝夜は『なよ竹のかぐや姫』と名前を与えられた。
なよ竹とは、細くスラリとした、という意味がある。
あの時代に彼女がモテたという史実。
よっぽど色気を使ったんじゃないか、と思えるが……まぁ、輝夜の顔を見た者は少なかったし、噂に踊らされたんだろう。
まったく、男とは単純なものだ。
「いま失礼な事を考えたでしょう」
「いや、別に」
「まったく香霖堂は素直にならないわね。はい、ご注文を伺います。筍ご飯と何でしょう?」
「筍ご飯――と、何か1品程もらえるかい?」
輝夜に先に言われてしまったので注文のテンポが狂ってしまった。
「はい、よろこんで♪ 萃香は?」
「ん~とね、今日一番高いお酒をお猪口一杯。あとは普通に美味しいお酒を一升瓶で頂戴。食べ物は適当でいいや。適当に頂戴」
「はい、よろこんで」
輝夜は屋台へと引っ込む。
僕はその間にホウレン草のおひたしを一口。
うん、ホウレン草の歯応えと醤油の濃い味がマッチしていて美味しい。
「あ、これは美味しい」
どうやら萃香も気に入った様子。
二口目を笑顔で頬張っていく。
「はい、おまたせ。香霖堂には竹酒ね。それから萃香には、十四代、龍泉、大極上諸白、純米大吟醸っていうお酒。八雲紫の秘蔵品よ」
「おぉぉ!」
なんだか萃香は感動した様に目の前におかれたお猪口を見つめる。
そんなに珍しいお酒なのだろうか。
僕はこっそりと輝夜に聞いてみる。
「あれ、高いのかい?」
「えぇ。やばい位」
輝夜が真剣に応えてくれる。
なるほど、ヤバイらしい。
はぁ……今日はあんまり呑めないな~。
それにしても、どうやって八雲紫からその酒を巻き上げたのだろうか。
それを考えただけでも、目の前のお姫様が黒くみえてしょうがない。
「はい、筍ご飯。それから筍とじゃがいもにんじんたまねぎの煮物。あと、ししとうを焼いたもの」
「……料理名はないのかい?」
やたら長ったらしく材料名と利調理方法を説明されても、なんだか味気ない。
「じゃぁ……『輝夜特製突撃隣の筍ご飯』と『輝夜特製スペシャル煮物ルナティック風』と『輝夜特製ししとう焼き、当たり付きバラエティパック』よ」
「ごめん」
「許してあげる」
許してもらえた。
「萃香には、筍ご飯と野菜と魚の天ぷらね」
「おぉ~、美味しそうだ。いいな~、料理上手って」
「萃香は作らないの?」
「食べるの専門だからね~。人間は料理しないし」
まぁ、妖怪達がグルメに人間を食べる姿は想像できない。
あ、でも吸血鬼は血液型に拘っていたか。
A型のRH-がいいとか何とか。
まろみが違うらしい。
グルメだな。
「はい、香霖堂」
輝夜が竹酒を注いでくれる。
お返しに僕も輝夜のグラスに竹酒を注いだ。
「何に乾杯するんだ?」
「もちろん輝夜の料理だね」
まぁ、悪くはない。
僕達はちょっとだけグラスを持ち上げ、お互いにぶつけるフリだけをする。
そして、くいっと一杯。
うん、美味い。
いつ呑んでもやっぱり竹酒は美味しいな。
口の中に辛みが広がったあとに、仄かに感じる甘み。
「くあ~っ♪」
と、隣で萃香が感嘆の声をあげた。
どうやら十四代とやらは相当に美味いらしい。
あの萃香が唸るぐらいだからね。
こればっかりは一口頂戴とも言えない。
値段の高さを抜きにしても、鬼からお酒をもらうのはちょっとだけ恐ろしい感じがするしね。
そんな事を考えながらも、僕はじゃがいもの煮物を頬張ってから、筍ご飯を食べる。
少し濃い目の味付けをされたじゃがいもは美味いし、筍ご飯のコリコリとした歯応えは申し分ない。
「美味しい~。いいお嫁さんになれるよ、輝夜」
「ほんと? 里の男性からは引く手数多なのよ」
そういう事は言わない方が良いと思うのだがねぇ~。
あぁ、そうか。
里の人間の前ではオシトヤカな女性を演じてるんだったか。
「君が千手観音だったら応えられるのにな」
「妬いてるの?」
「妬いてないよ」
「ふふ。大丈夫よ、手は塞がっちゃっても、たったひとつの私の身体は空いてるわ」
……下品だなぁ。
本当にお姫様なんだろうか、この少女は。
「あはははは! なんだ霖ちゃんと輝夜ってそういう関係だったの? はやく言ってよ~」
輝夜の冗談を真に受けたのか、萃香がゲラゲラと笑いながら僕の背中をバシバシと叩く。
申し訳ないのだが、かなり痛い。
これ、力加減を間違えてたら今頃僕は死んでいるんだろうな。
恐ろしい。
「じゃぁさ、二人の子供は私にくれよ」
「なんでだ」
思わずツッコんでしまった。
「私が立派な鬼に育ててやる」
僕と輝夜の子供が鬼子か。
まぁ、それも不思議じゃない。
何せ半人半妖と宇宙人だ。
何が生まれてもおかしくはないな。
「ちょっとちょっと、否定しなさいよ香霖堂」
「ん? あぁ、そうだった」
このままでは僕と輝夜が結婚したなどと噂が発生しかねない。
火の無い所に煙はたたない、というが、根も葉もない噂、という言葉もある。
根源はきっちりと断っておかないと、既成事実にもなりかねない。
「そうよ。私と香霖堂の子供は萃香になんか預けません」
「そっちの否定か……萃香、これは輝夜の冗談だ。真に受けないでくれよ」
知ってる知ってる、と萃香はご機嫌で天ぷらを食べている。
「なんだ、そっちも冗談か」
「霖ちゃんは女に騙されるタイプだね。気をつけなよ」
「あはは、そうね。男は友達の様な恋人を探しているけど、女は奴隷の様な恋人を探しているんだから」
うわぁ、と僕は思わず苦虫を噛み潰す。
道理で世の中には、『尻に敷かれる』なんて言葉がある訳だ。
「こわいこわい。僕は一生、一人身でいい」
「あら、大丈夫よ香霖堂」
輝夜が僕の頭を撫でる。
「私がず~っと寄り添っててあげる」
「重くて耐え切れないよ」
「失礼ね。私は軽いわ」
「尻軽かい。僕以外の男にも寄り添うつもりだろう」
まぁ、と輝夜は僕の頭から手をどける。
それから、失礼ね、とあっかんべーをした。
なんだ、輝夜にも子供っぽいところもあるんだな。
そう思って、僕は竹酒を一杯、くいっと呑み干した。
~☆~
「霖ちゃんの、ちょっといいとこ見てみたい! あそっれ、ダイブダイブダイブダイブダイブダイブダイブダイブ!」
「ひゃっはー!」
あぁ、誤解が無い様にお願いする。
あそこで大暴れしてるのは、僕の眼鏡を奪って『霖ちゃんごっこ』をしている伊吹萃香なので間違えないで欲しい。
僕は眼鏡を失ったぼやけた世界で輝夜と会話を楽しんでいる。
へべれけ一気呑み大会には加わってないので、注意して欲しい。
「あ、そうだ。今日、面白い物を拾ったんだ」
「面白い物? 東風谷早苗の名誉とか」
「彼女は名誉を落としてしまったのか……」
さぁ? と嘯く輝夜を他所に僕はリアカーを探る。
今日拾った本は一冊のみ。
だから、ぼやけた世界でも見つかるはずだ……よし、あった。
一応とばかりに埃を払う。
それを持って僕は輝夜の元へと戻る。
「これさ」
「公園に捨てられたエロ本みたいね」
「? なんだいそれは」
「月での話よ、気にしないで。どれどれ」
僕は彼女に数学の本を渡した。
雨で固まっており、開くページは限られている。
あとは輝夜が読み取ってくれるはずだ。
「これね。世界は数字で出来ている」
「うむ」
輝夜は僕の考えを読み取ってくれるので助かる。
まぁ、時々は見当違いな読みをしてくるのはワザとなのかご愛嬌なのか。
判断は……保留としておこう。
「え~っと、1=理性、2=女、3=男。ふ~ん」
これはピタゴラスが言った言葉らしい。
まとめると以下の様になる。
1=理性
2=女
3=男
4=正義
5=結婚
6=恋愛
7=幸福
8=愛
10=神聖の数
と、言えるらしい。
「9は書いてないのかい?」
「ピタゴラスさんが忘れちゃったんだって」
抜けているだけに、9=間抜け、かな。
「9=ばか、でいいじゃない」
「それは言いすぎじゃないか?」
僕にはとてもできないが、輝夜は先人を平気で貶める。
まぁ、先人といいつつ、彼女の方が年上だったりするし、しょうがない。
もしかしたら、輝夜には全員が年下に見えるのだろうか。
だとすれば、僕の扱いにも納得が……やっぱりいかない。
「へ~、足したり引いたりしても当てはまるんだって。2(女)+3(男)=5(結婚)だってさ」
なるほど、うまく作ってあるらしい。
「2(女)×3(男)=6(恋愛)っていうのもいけるね。面白いな」
「私達には程遠い理論ね。恋愛に理性を足すと幸福になって、恋愛から理性を引くと結婚しちゃうんだ。あははは!」
なぜそこで笑う。
以外に恐ろしい事実だというのに。
まったく、このお姫様は恐ろしい。
やはり男から理性を引くと女になるっていうのは、言わない方がいいな。
「そういえば、どうして10が神聖な数なんだい?」
「え~っとね。最初の数(1)+最初の偶数(2)+最初の奇数(3)+最初の平方数(4)=10。だから、10は神聖な数だって」
「なるほど」
「あら、納得しちゃうんだ」
どうやら輝夜は納得がいかないらしい。
まぁ、どう感じるかは人それぞれだ。
それを否定する権利は神様だって持っていない。
「なになに~」
と、ここで萃香が戻ってきた。
あれだけ呑んでいるというのに、ちっともふらつく様子がない。
やはり鬼という種族は恐ろしいな。
「へ~。女(2)+女(2)……女が二人で正義(4)だね。どうだい輝夜、私と一緒に悪をやっつけない?」
「あら、いいわね。じゃ、手始めに香霖堂からやっつけましょう」
「おいおい、僕のどこが悪だというんだ?」
少なくとも、僕は輝夜より正義だと言い切れる自信はある。
「乙女心をもてあそんだ罪よ」
「はっはー! そいつは悪だぜ~」
萃香が手のひらを差し出すと、小さな萃香がそこに現れた。
合計4人、と数えるべきか4匹と数えるべきか、まぁ、そんなのはどうでもいい。
小さい萃香は僕に飛び移ると、僕の髪を引っ張ったり、頬を引っ張ったりと色々としかけてくる。
「いててててて!」
「女が4人で愛だよ。これで悪人は改心しましたとさ」
「まいったまいった……降参するから、もう止めてくれ」
これにて一件落着、と萃香は小さな自分を掻き消した。
それと同時に、僕の眼鏡も返してくれる。
良かった、少し心配していたがヒビは入っていない。
「それで、子作りは順調なの?」
一息入れようと、グラスの竹酒を呑もうとしたが思わず吹き出してしまった。
「げほっげほっ! あぁ、しまった、すまない輝夜」
「もぅ、汚いんだから」
輝夜が布巾で拭いてくれる。
はぁ~、まったく。
鬼の冗談は下品だ。
まぁ、鬼という存在は昔話で語られるとおり、人間に対しての悪と恐怖。
それが上品な会話をする方がおかしいか。
「ふふ、やっぱり夫婦みたいな二人だ」
僕と輝夜のやり取りを見て、萃香はにこやかにそう言う。
なんだ、普通に笑顔も浮かべる事が出来るのか。
他人の幸せを祝う事も出来る鬼。
本当に、幻想郷の鬼は丸くなったらしい
あぁ……もしかすると……。
萃香は、家族が欲しいのかもしれない。
そう勘違いした様な意見が思い浮かぶが、僕は黙っておく。
これは言わない方がいい。
その代わりの質問を、僕は彼女にぶつけた。
「そう言えば、萃香。君はあの伊吹童子なのかい? それとも酒呑童子の娘なのかい?」
彼女の伊吹という名前。
鬼である限り、あの伝説と何か関連があるだろう。
伊吹山の鬼。
酒呑童子の末裔。
さて、彼女はいったい何者なのか。
「はっはっは。これだから霖ちゃんはダメなんだよ」
くくく、と笑いながら萃香は僕へ流し目を送る。
「女の過去を詮索するとは……男の風上にも置けないね。霖ちゃんも男だったら、でっかい器で包んであげなきゃ」
「……はぁ~、そいつはすまない」
僕がため息混じりで謝ると、萃香はぶっぶ~と嬉しそうに両手をクロスさせた。
「減点1。輝夜、十四代おかわり!」
「はい、よろこんで」
応えた輝夜は屋台からいそいそと酒瓶を持ってきた。
萃香の差し出すお猪口にとくとくっと注ぐ。
あぁ、あれも僕の奢りになるんだろうなぁ……
「ふふ。香霖堂、そのうち私の罪も包み込んでね」
「はぁ~……まったく。色気の感じさせない告白だな。僕はもうお腹いっぱいさ」
まったく。
彼女の罪を背負える男は幻想郷にはいないよ。
まぁ、これはこれで森近霖之助と蓬莱山輝夜らしいといえばらしいのだが。
む、しまった。
ちょっと年寄りくさい動きだったか。
まぁ、幸いにして周りには誰も居ない。
いつもはサボっている死神も今日は真面目に働いているらしい。
雨でも降らないといいけどね。
「もっとも、その程度で雨は降りはしないが」
僕は今、無縁塚に来ている。
いわゆる商品の仕入れだ。
最近は幻想入りしてくる物も多く、僕としては有り難いので、こうして度々足を運ぶようになった。
まぁ、相変わらず用途が不明な物は多い。
例えばこれ、ヘッドホン。
用途は音を聞く為の物だが……残念ながら何も聞こえてこない。
果たして、どのように使う道具なのか。
あまり東風谷早苗にお世話になりたくはないのだが……それもしょうがないだろう。
そのうち彼女が商売に目覚めない事を祈るばかりだ。
今は信仰に目が向いているからいいものの、守矢神社が商売に走れば恐ろしいのではないか。
何かそんな予感がする。
お祈り済みのコンピュータからお祈り済みの携帯電話。
更にはお祈り済みの有り難い玉を7つ買い集めると願いが叶うやら。
まるで霊感商法だ。
しかし、早苗ならやってのけそうなので怖い。
「そうなれば廃業だな」
やれやれと僕こと森近霖之助は首を振る。
と、その首を振ったお陰で一枚の紙切れを見つけた。
どうやら外の世界の新聞らしい。
なにやら地球温暖化が進行していると書いてあるが、詳しい事は雨に濡れてしまっているらしく読み解く事が出来ない。
「地球温暖化か」
地球が温暖化している。
つまり、気温が高くなっているという事だ。
温度はそのまま、音度とも言い換えられ、転じて、振動を表している。
温度が高ければ高い程、物の振幅は大きい事とだ。
それは活動が活発であると言い表す事が出来る。
空気や魔法がより良い環境で動く世界だ。
なるほど、外の世界はやはり住み易いらしい。
寒くなれば、身体は縮こまり、動き辛いが、温かいのは遠慮なく動く事ができる。
ますますもって、羨ましい限りだ。
「だが、幻想郷は幻想郷だ」
幻想郷の夏は暑く、冬は寒い。
夏には妖精達が活発に動き、冬はレティやチルノ達が活発に動く。
春にはリリーホワイトがいて、秋には豊穣の神がいる。
それを変動と捉えるか、雅と捉えるかは人と妖怪次第。
まぁ、幻想郷に住む住人達がどちらを選ぶかは明白ではあるが。
「今は秋かな」
空を見上げれば、入道雲があった夏はもう終わりに近い。
遠くの空に、まだまだその雲は見えるけれども、沈む夕日を受けてオレンジ色に光っていた。
夏が終わるのは寂しい感じではあるが……秋は秋で楽しみがある。
それに、僕達には長い長い一生がある。
何度でも夏が来るのだ。
悲観する事は、何も、無い。
「ふむ、これは教科書? かな」
僕は本を拾い上げる。
表紙には数学という文字が辛うじて読み取れた。
パラパラちと捲ろうとするが、やはり雨に濡れてしまっていて、ほとんどのページが張り付いている。
まぁ、読み取れるページはあるし、面白そうな話も載っていたので一応は持って帰るとしよう。
「ふむ。こんな物でいいか」
リアカーの中はゴチャゴチャとした物でいっぱいになっていた。
手当たり次第に入れていったので、混沌としている。
あとで整理するのは大変そうだが……まぁ、それはそれで楽しみである。
さて、日が落ちてしまう前に帰るとしよう。
~☆~
しまった。
これは、また、どうしようもない位にまいった。
「ぬぅ!」
と、気合いをいれてリアカーを引っ張るが、どうしてもぬかるみから抜け出せない。
どうやら先日降った雨が原因で、道の脇にタイヤとジャストフィットするぬかるみが出来ていたらしい。
僕が歩く分には何も問題ないし、行きはリアカーが軽かったので問題なかった。
しかし、荷物を乗せた帰りには見事にはまってしまい、抜け出せなくなってしまった。
「しまった、というより、はまった、だな。いやそんなに上手くもない」
呟いてみても相手してくれる者はいない。
はぁ~、と大きくため息をつく。
さて、何か板状の物を探すか……それとも荷物を降ろして軽くするかだが……
どちらの方が効率がいいだろうか?
板状の物とは、文字通り『板』が良い。
タイヤにかませてやれば、滑る事なくぬかるみを脱出できるだろう。
しかし、そんな都合の良い板など転がっているものだろうか?
それを探している暇があるのならば、リアカーの荷物を降ろし軽くした方が早く脱出できるのではないか。
「さて、どうしたものか……」
「困ったもんだね~」
「あぁ。あまり時間を浪費したくない。時は金なりとも言うしね」
「時間=金だとすると、お金=時間になるよ。お金は時間で買えるの?」
「それは労働時間という意味だ。労働力と時間を提供する代わりにお金を貰うのさ」
「ふ~ん……労働時間+お金=時間。時は金と労働力なり。休まず働け、馬車馬の如く働け、種馬の様に働け、一般人など働き蟻と同義」
「それは言いすぎだ。暴論だよ。お金中心で物事を考えるからそんな馬鹿な考えに至る。お金など、その効果を失えば、ただの紙と塊にすぎない」
「硬貨が効果を失えば、ただの高価だった硬化した物」
「はっはっは、うまいじゃないかって誰だ!?」
「遅いよ霖ちゃん」
いつの間にか誰かが僕と会話していて、思わず飛びのいた。
そこには、はっはっは、と腰に手を当て、上機嫌に笑う鬼。
二本の突き出た角には可愛らしくリボンが結われており、鎖がジャラリと音を立てる。
そして腰には紫色の瓢箪。
地底から戻って来た鬼、伊吹萃香がそこにいた。
「びっくりするじゃないか。突然に現れないでくれよ」
彼女は身体を霧状にする事が出来るらしく、幻想郷全体を自分で満たす事が可能らしい。
以前はそうして、人々を宴会へと誘っていたらしく、それはそれで迷惑な鬼だ。
やはりどこかで吸血鬼とも同種なのだろうか。
紅魔館の主、レミリア・スカーレットも紅い霧を発して迷惑をかけたし。
それに鬼は人を攫い、吸血鬼は人の血を吸う。
鬼はなぜ人を攫うのか。
それは、鬼がそういうモノだからである。
吸血鬼はなぜ血を吸うのか。
それも、吸血鬼がそういうモノだから。
そこに理由はなく、そこには人間の恐怖しかない。
「いや、向こうから歩いてきたんだけどね~。霖ちゃんは腕を組んでうんうん言ってるから気付かなかったんだよ」
「嘘だ」
「鬼は嘘をつかないよ。知ってるでしょ?」
あぁ、そうだった。
鬼は嘘つかない。
嘘をつく必要がない。
鬼は真っ直ぐに誠実だ。
誠実に人を攫い、誠実に鬼をこなす。
だから、嘘をつかない。
「そうだ、そうだった。すまない、謝るよ」
「おや、以外に素直だね。気持ち悪い」
「失礼な」
「鬼は嘘をつかない」
「はぁ~……分かった。僕の心の裏は簡単さ。助けてくれないか?」
鬼の怪力は皆知っている。
一撃で妖怪の山を吹き飛ばせる程度の力。
そんな彼女なら、このリアカーを引っ張る位、なんでもないはずだ。
「鬼に助けを求めるとは……幻想郷も変わったねぇ~」
「変わったのは、君達じゃないか?」
「そう?」
あぁ、と僕は頷く。
昔は恐怖の対象でしかなかった鬼。
だからこそ地底に押し遣られていたのだが……人を攫わないうちに随分と丸くなった気がする。
少なくとも、畏怖は感じない。
あの八雲の大妖の方がよっぽど畏怖を感じる。
胡散臭さ故の畏怖だけど。
「ふ~ん。まいっか。だけど条件があるよ」
「条件?」
「ただより怖いモノは無し、さ」
「ただ>恐怖か。逆説にすると、恐怖はただより怖くない」
「あははは! それだと鬼の畏怖もあったもんじゃないね~。さぁ、どうする霖ちゃん? ここで困ったままか、」
ニヤリと萃香が笑う。
「、それとも私に一杯奢るか」
鬼に酒を奢るのか……
これは難問だ。
鬼と天狗とは呑み比べをしてはいけない。
これは幻想郷でも常識だ。
果たして、僕の持ち合わせが持ってくれるかどうか……
「あぁ、そんなに難しく考える必要はない。1杯でいいよ、お猪口1杯で」
「いっぱい、じゃないだろうね」
「クドい。鬼は嘘をつかないよ」
「ふむ。それじゃ、お願いできるか。助けれくれ、リアカーが動かないんだ」
「おやすい御用さ」
萃香はひょいと僕を抱えた。
いわゆるお姫様抱っこ。
いやいやいや、運んで欲しいのは僕じゃなくてリアカーなのだが。
そう反論しようとした所で、僕の身体はリアカーへと乗せられた。
「はい、しっかり捕まっててね~」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「たっきゅうど~♪」
「にゃお~ん、って違う、ぬかるみから出してくれるだけでいい!」
ガッコン、という感じでリアカーが跳ねる様にぬかるみを突破する。
しかし、萃香は止まらずにそのまま走り出した。
遠慮なく走るものだから、リアカーが跳ねまくり、かなり危ない。
決めた。
金輪際、鬼には助けを求めない。
それが今日という日の教訓だ。
~☆~
ガタガタと揺れるリアカーの上からでも、竹林沿いの灯りが見えてきた。
まだ日が落ちて間もないせいか、いつもは明るく見える赤提灯も、今はなんだか薄い気がする。
もっとも、揺られすぎた僕の目が狂っている可能性もあるにはある。
「因果を越えてぇ~♪ 魔を断つ剣ぃ~♪ 無垢なる刃、ミスティア・ローレラーイ♪」
店主、ミスティア・ローレライのいつもの妙な歌が聞こえてきた。
何だか今にも巨大な機械仕掛けの神々でも召喚して、超巨大ロボバトルでも始めそうな勢いの歌詞だ。
ここで萃香はようやくブレーキをかけた。
ズザザザザザザザっと音をならして萃香の靴と地面がこすれる音。
そして、最後にガコンという音と共に、僕の身体が浮かび上がった。
「うわぁ!?」
どうやら最後の最後に大きな石に乗り上げたらしい。
リアカーが跳ね上がり、僕と幾つかの荷物が空中に投げ出される。
「ほいっと」
他の荷物は無視して、僕の身体を萃香が受け止めてくれた。
お姫様抱っこで。
本日二度目のお姫様抱っこなので、何とも言い切れない気分になる。
「……ありがとう」
「どう致しまして」
萃香はそのまま僕をおろす訳でもなく、長机の方へ運んでいった。
「あ~いむ、ろっくんろーる! 世界は愛で溢れているのであ~る」
「いぇ~す、死んでしまうロボ~」
どうやら、屋台の方ではすでにルーミアが出来上がっていて、ミスティアと一緒にロックを語っていた。
ていうか、まだ逢魔が時だというのに、もう酔っ払っているのか。
いったい何時から呑んでいるのだ、ルーミアは。
まぁ、常時酔っ払っている萃香といえど、さすがにあそこに加わる気はないらしい。
そんな訳で長机だ。
大きな傘に赤い提灯、木で作られたテーブルと椅子は僕のお気に入りではあるのだけれど、萃香に抱えられてじゃ、それも何だか違って見えてくる。
「いらっしゃい。お姫様と王子様」
萃香が椅子に降ろしてくれたところで長机担当のアルバイト店員、蓬莱山輝夜が屋台側からやってきた。
僕と萃香の前にそれぞれ付け出しであるホウレン草のおひたしを出してくれる。
「どっちがお姫様で、どっちが王子様だ?」
「分かってるくせに~」
なんて言いながら輝夜は僕の額をコツンと叩く。
ご機嫌なのか、僕をからかっているのか、判断に困る。
「お姫様は目の前にいるじゃないか、ねぇ霖ちゃん」
「僕の目の前にはアルバイトのお姉さんしかいないよ。ねぇ、輝夜さん」
「残念、あなたの目の前にいるのは将来のお嫁さんです」
どんな冗談だ、まったく。
萃香は気に入った様でケラケラと笑っている。
「嘘よ嘘。お姫様抱っこなんかされるナヨナヨした男なんて結婚してあげない」
「なよ竹のかぐや姫様には、僕は似合わないよ」
「どっちもなよなよでお似合いじゃん」
萃香の合いの手に、僕と輝夜は視線を合わせる。
竹取の翁に輝夜は『なよ竹のかぐや姫』と名前を与えられた。
なよ竹とは、細くスラリとした、という意味がある。
あの時代に彼女がモテたという史実。
よっぽど色気を使ったんじゃないか、と思えるが……まぁ、輝夜の顔を見た者は少なかったし、噂に踊らされたんだろう。
まったく、男とは単純なものだ。
「いま失礼な事を考えたでしょう」
「いや、別に」
「まったく香霖堂は素直にならないわね。はい、ご注文を伺います。筍ご飯と何でしょう?」
「筍ご飯――と、何か1品程もらえるかい?」
輝夜に先に言われてしまったので注文のテンポが狂ってしまった。
「はい、よろこんで♪ 萃香は?」
「ん~とね、今日一番高いお酒をお猪口一杯。あとは普通に美味しいお酒を一升瓶で頂戴。食べ物は適当でいいや。適当に頂戴」
「はい、よろこんで」
輝夜は屋台へと引っ込む。
僕はその間にホウレン草のおひたしを一口。
うん、ホウレン草の歯応えと醤油の濃い味がマッチしていて美味しい。
「あ、これは美味しい」
どうやら萃香も気に入った様子。
二口目を笑顔で頬張っていく。
「はい、おまたせ。香霖堂には竹酒ね。それから萃香には、十四代、龍泉、大極上諸白、純米大吟醸っていうお酒。八雲紫の秘蔵品よ」
「おぉぉ!」
なんだか萃香は感動した様に目の前におかれたお猪口を見つめる。
そんなに珍しいお酒なのだろうか。
僕はこっそりと輝夜に聞いてみる。
「あれ、高いのかい?」
「えぇ。やばい位」
輝夜が真剣に応えてくれる。
なるほど、ヤバイらしい。
はぁ……今日はあんまり呑めないな~。
それにしても、どうやって八雲紫からその酒を巻き上げたのだろうか。
それを考えただけでも、目の前のお姫様が黒くみえてしょうがない。
「はい、筍ご飯。それから筍とじゃがいもにんじんたまねぎの煮物。あと、ししとうを焼いたもの」
「……料理名はないのかい?」
やたら長ったらしく材料名と利調理方法を説明されても、なんだか味気ない。
「じゃぁ……『輝夜特製突撃隣の筍ご飯』と『輝夜特製スペシャル煮物ルナティック風』と『輝夜特製ししとう焼き、当たり付きバラエティパック』よ」
「ごめん」
「許してあげる」
許してもらえた。
「萃香には、筍ご飯と野菜と魚の天ぷらね」
「おぉ~、美味しそうだ。いいな~、料理上手って」
「萃香は作らないの?」
「食べるの専門だからね~。人間は料理しないし」
まぁ、妖怪達がグルメに人間を食べる姿は想像できない。
あ、でも吸血鬼は血液型に拘っていたか。
A型のRH-がいいとか何とか。
まろみが違うらしい。
グルメだな。
「はい、香霖堂」
輝夜が竹酒を注いでくれる。
お返しに僕も輝夜のグラスに竹酒を注いだ。
「何に乾杯するんだ?」
「もちろん輝夜の料理だね」
まぁ、悪くはない。
僕達はちょっとだけグラスを持ち上げ、お互いにぶつけるフリだけをする。
そして、くいっと一杯。
うん、美味い。
いつ呑んでもやっぱり竹酒は美味しいな。
口の中に辛みが広がったあとに、仄かに感じる甘み。
「くあ~っ♪」
と、隣で萃香が感嘆の声をあげた。
どうやら十四代とやらは相当に美味いらしい。
あの萃香が唸るぐらいだからね。
こればっかりは一口頂戴とも言えない。
値段の高さを抜きにしても、鬼からお酒をもらうのはちょっとだけ恐ろしい感じがするしね。
そんな事を考えながらも、僕はじゃがいもの煮物を頬張ってから、筍ご飯を食べる。
少し濃い目の味付けをされたじゃがいもは美味いし、筍ご飯のコリコリとした歯応えは申し分ない。
「美味しい~。いいお嫁さんになれるよ、輝夜」
「ほんと? 里の男性からは引く手数多なのよ」
そういう事は言わない方が良いと思うのだがねぇ~。
あぁ、そうか。
里の人間の前ではオシトヤカな女性を演じてるんだったか。
「君が千手観音だったら応えられるのにな」
「妬いてるの?」
「妬いてないよ」
「ふふ。大丈夫よ、手は塞がっちゃっても、たったひとつの私の身体は空いてるわ」
……下品だなぁ。
本当にお姫様なんだろうか、この少女は。
「あはははは! なんだ霖ちゃんと輝夜ってそういう関係だったの? はやく言ってよ~」
輝夜の冗談を真に受けたのか、萃香がゲラゲラと笑いながら僕の背中をバシバシと叩く。
申し訳ないのだが、かなり痛い。
これ、力加減を間違えてたら今頃僕は死んでいるんだろうな。
恐ろしい。
「じゃぁさ、二人の子供は私にくれよ」
「なんでだ」
思わずツッコんでしまった。
「私が立派な鬼に育ててやる」
僕と輝夜の子供が鬼子か。
まぁ、それも不思議じゃない。
何せ半人半妖と宇宙人だ。
何が生まれてもおかしくはないな。
「ちょっとちょっと、否定しなさいよ香霖堂」
「ん? あぁ、そうだった」
このままでは僕と輝夜が結婚したなどと噂が発生しかねない。
火の無い所に煙はたたない、というが、根も葉もない噂、という言葉もある。
根源はきっちりと断っておかないと、既成事実にもなりかねない。
「そうよ。私と香霖堂の子供は萃香になんか預けません」
「そっちの否定か……萃香、これは輝夜の冗談だ。真に受けないでくれよ」
知ってる知ってる、と萃香はご機嫌で天ぷらを食べている。
「なんだ、そっちも冗談か」
「霖ちゃんは女に騙されるタイプだね。気をつけなよ」
「あはは、そうね。男は友達の様な恋人を探しているけど、女は奴隷の様な恋人を探しているんだから」
うわぁ、と僕は思わず苦虫を噛み潰す。
道理で世の中には、『尻に敷かれる』なんて言葉がある訳だ。
「こわいこわい。僕は一生、一人身でいい」
「あら、大丈夫よ香霖堂」
輝夜が僕の頭を撫でる。
「私がず~っと寄り添っててあげる」
「重くて耐え切れないよ」
「失礼ね。私は軽いわ」
「尻軽かい。僕以外の男にも寄り添うつもりだろう」
まぁ、と輝夜は僕の頭から手をどける。
それから、失礼ね、とあっかんべーをした。
なんだ、輝夜にも子供っぽいところもあるんだな。
そう思って、僕は竹酒を一杯、くいっと呑み干した。
~☆~
「霖ちゃんの、ちょっといいとこ見てみたい! あそっれ、ダイブダイブダイブダイブダイブダイブダイブダイブ!」
「ひゃっはー!」
あぁ、誤解が無い様にお願いする。
あそこで大暴れしてるのは、僕の眼鏡を奪って『霖ちゃんごっこ』をしている伊吹萃香なので間違えないで欲しい。
僕は眼鏡を失ったぼやけた世界で輝夜と会話を楽しんでいる。
へべれけ一気呑み大会には加わってないので、注意して欲しい。
「あ、そうだ。今日、面白い物を拾ったんだ」
「面白い物? 東風谷早苗の名誉とか」
「彼女は名誉を落としてしまったのか……」
さぁ? と嘯く輝夜を他所に僕はリアカーを探る。
今日拾った本は一冊のみ。
だから、ぼやけた世界でも見つかるはずだ……よし、あった。
一応とばかりに埃を払う。
それを持って僕は輝夜の元へと戻る。
「これさ」
「公園に捨てられたエロ本みたいね」
「? なんだいそれは」
「月での話よ、気にしないで。どれどれ」
僕は彼女に数学の本を渡した。
雨で固まっており、開くページは限られている。
あとは輝夜が読み取ってくれるはずだ。
「これね。世界は数字で出来ている」
「うむ」
輝夜は僕の考えを読み取ってくれるので助かる。
まぁ、時々は見当違いな読みをしてくるのはワザとなのかご愛嬌なのか。
判断は……保留としておこう。
「え~っと、1=理性、2=女、3=男。ふ~ん」
これはピタゴラスが言った言葉らしい。
まとめると以下の様になる。
1=理性
2=女
3=男
4=正義
5=結婚
6=恋愛
7=幸福
8=愛
10=神聖の数
と、言えるらしい。
「9は書いてないのかい?」
「ピタゴラスさんが忘れちゃったんだって」
抜けているだけに、9=間抜け、かな。
「9=ばか、でいいじゃない」
「それは言いすぎじゃないか?」
僕にはとてもできないが、輝夜は先人を平気で貶める。
まぁ、先人といいつつ、彼女の方が年上だったりするし、しょうがない。
もしかしたら、輝夜には全員が年下に見えるのだろうか。
だとすれば、僕の扱いにも納得が……やっぱりいかない。
「へ~、足したり引いたりしても当てはまるんだって。2(女)+3(男)=5(結婚)だってさ」
なるほど、うまく作ってあるらしい。
「2(女)×3(男)=6(恋愛)っていうのもいけるね。面白いな」
「私達には程遠い理論ね。恋愛に理性を足すと幸福になって、恋愛から理性を引くと結婚しちゃうんだ。あははは!」
なぜそこで笑う。
以外に恐ろしい事実だというのに。
まったく、このお姫様は恐ろしい。
やはり男から理性を引くと女になるっていうのは、言わない方がいいな。
「そういえば、どうして10が神聖な数なんだい?」
「え~っとね。最初の数(1)+最初の偶数(2)+最初の奇数(3)+最初の平方数(4)=10。だから、10は神聖な数だって」
「なるほど」
「あら、納得しちゃうんだ」
どうやら輝夜は納得がいかないらしい。
まぁ、どう感じるかは人それぞれだ。
それを否定する権利は神様だって持っていない。
「なになに~」
と、ここで萃香が戻ってきた。
あれだけ呑んでいるというのに、ちっともふらつく様子がない。
やはり鬼という種族は恐ろしいな。
「へ~。女(2)+女(2)……女が二人で正義(4)だね。どうだい輝夜、私と一緒に悪をやっつけない?」
「あら、いいわね。じゃ、手始めに香霖堂からやっつけましょう」
「おいおい、僕のどこが悪だというんだ?」
少なくとも、僕は輝夜より正義だと言い切れる自信はある。
「乙女心をもてあそんだ罪よ」
「はっはー! そいつは悪だぜ~」
萃香が手のひらを差し出すと、小さな萃香がそこに現れた。
合計4人、と数えるべきか4匹と数えるべきか、まぁ、そんなのはどうでもいい。
小さい萃香は僕に飛び移ると、僕の髪を引っ張ったり、頬を引っ張ったりと色々としかけてくる。
「いててててて!」
「女が4人で愛だよ。これで悪人は改心しましたとさ」
「まいったまいった……降参するから、もう止めてくれ」
これにて一件落着、と萃香は小さな自分を掻き消した。
それと同時に、僕の眼鏡も返してくれる。
良かった、少し心配していたがヒビは入っていない。
「それで、子作りは順調なの?」
一息入れようと、グラスの竹酒を呑もうとしたが思わず吹き出してしまった。
「げほっげほっ! あぁ、しまった、すまない輝夜」
「もぅ、汚いんだから」
輝夜が布巾で拭いてくれる。
はぁ~、まったく。
鬼の冗談は下品だ。
まぁ、鬼という存在は昔話で語られるとおり、人間に対しての悪と恐怖。
それが上品な会話をする方がおかしいか。
「ふふ、やっぱり夫婦みたいな二人だ」
僕と輝夜のやり取りを見て、萃香はにこやかにそう言う。
なんだ、普通に笑顔も浮かべる事が出来るのか。
他人の幸せを祝う事も出来る鬼。
本当に、幻想郷の鬼は丸くなったらしい
あぁ……もしかすると……。
萃香は、家族が欲しいのかもしれない。
そう勘違いした様な意見が思い浮かぶが、僕は黙っておく。
これは言わない方がいい。
その代わりの質問を、僕は彼女にぶつけた。
「そう言えば、萃香。君はあの伊吹童子なのかい? それとも酒呑童子の娘なのかい?」
彼女の伊吹という名前。
鬼である限り、あの伝説と何か関連があるだろう。
伊吹山の鬼。
酒呑童子の末裔。
さて、彼女はいったい何者なのか。
「はっはっは。これだから霖ちゃんはダメなんだよ」
くくく、と笑いながら萃香は僕へ流し目を送る。
「女の過去を詮索するとは……男の風上にも置けないね。霖ちゃんも男だったら、でっかい器で包んであげなきゃ」
「……はぁ~、そいつはすまない」
僕がため息混じりで謝ると、萃香はぶっぶ~と嬉しそうに両手をクロスさせた。
「減点1。輝夜、十四代おかわり!」
「はい、よろこんで」
応えた輝夜は屋台からいそいそと酒瓶を持ってきた。
萃香の差し出すお猪口にとくとくっと注ぐ。
あぁ、あれも僕の奢りになるんだろうなぁ……
「ふふ。香霖堂、そのうち私の罪も包み込んでね」
「はぁ~……まったく。色気の感じさせない告白だな。僕はもうお腹いっぱいさ」
まったく。
彼女の罪を背負える男は幻想郷にはいないよ。
まぁ、これはこれで森近霖之助と蓬莱山輝夜らしいといえばらしいのだが。
毎回楽しく読ませて頂いております。素晴らしい。
あ、あとどっかで泣いた赤鬼を探して読んできます~
作中での「以外」は「意外」な気がします。
>あ、でも吸血鬼は血液型に拘っていたか。
>A型のRH-がいいとか何とか。
>まろみが違うらしい。
Hellsingかよw
>「月での話よ、気にしないで
月の都も地上と変わらないw
アルバイト輝夜大好きです。次回作も期待してますね!
あいかわらずセンス全開の楽しい話でした。