実は私、紅美鈴は死にました
えぇ、さぞかし驚かれることでしょう。けれど生まれ生まれ生まれ、死に死に死に逝くことは、この世界では日常茶飯事なのです
私は、死にました
原因、まぁそれがまた私らしいと言えばらしいんですが
ちょっとお昼寝していたら、妹様にきゅっとしてドーンって殺られちゃったんです
いやもう痛みも何も感じる暇はありませんでしたね。まさに一撃必殺の能力です
粉々になり過ぎて、妹様が自首するまでの間、私が何処かに行って仕事をサボっていると思われたほどでしたよ
心外です、シエスタこそすれ、サボタージュはしたことがなかったというのに
しかし妹様が泣きながら自分が美鈴を壊したと言ってくれたときは少しウルっときましたね
彼女も、日々成長しているのでしょう。この先能力を使いこなせる日が来ても、傍にいることができないのは残念で仕方なりません
そのあとはいつぞやの異変を起こした小鬼が力を貸してくれて、粉々となった私を全て萃めてくれました。萃まった、といっても私を構成していたものなので、白いボールのような形で原型を留めていませんでしたが
ともかく、その白いボールをお嬢様は一息で焼き尽くしてくれました。いえ、決して扱いが雑なのではありません、死んだ部下を必ず自分が殺したという形にするための彼女なりな流儀なのです。部下の生死にはすべて自分に責任があると、それが彼女の信念なのです
このようにカリスマ溢れる主人に仕えられて、私はとても誇りに思えました
そして、葬式という名の宴会が一通り終わるとお嬢様はメイド長である十六夜咲夜に命令をだしました
「新しい門番を探してきなさい」と
当然ですよね、さすがに門番がいないと困りますもんね
図書館なんて、24時間365日鼠が入り込むに違いありません
メイド長は、咲夜さんは一瞬だけ目を伏すと、その命令を実行するために動き出しました
私は彼女が好きでした
彼女も私が好きでした
……多分
少なくとも嫌われてはいなかったと思います
彼女は、自分の感情を知られることを嫌っていましたから
まるでナイフのようで、その内に秘めるものに近づけば切り刻み、遠退けば投擲してくるような、つまりは自分に関わるなと言ってくる人間でした
それでも好きになっちゃったんです、彼女に近づきたいと思うようになりました
話しかければ切られ、見つめていれば刺され、想っているといつのまにか私の身体はナイフだらけになってましたよ。ついでに寝ていると大抵瀕死状態での起床となりました
それでもめげずに接して、漸く少しだけ心を開いてくれたかも……そう思えた時期だったんですけどね
死んだのは仕方ありませんが、彼女のことだけは心残りです
後悔はいくつもあります
せめて二人きりの時は“咲夜”と呼んでみたかった。疲れているときは、よしよしと頭を撫でて休ませてやりたかった……とか
一応私の方が長生きしていましたから、年上ぶりたかったんでしょうかね
そんな私の後悔は兎も角、
咲夜さんはいつもと変わらない表情、だけどどことなく面倒くさそうな顔で出掛けて行きました
ただでさえメイド長としての仕事があるのに、とか考えているのかもしれません
いつも迷惑をかけてきましたが、こんな顔をされると死んだとはいえ心が痛みます
しばらく飛び続け、当てもないようだった咲夜さんでしたが、いつのまにか迷いの竹林に辿り着いていました
ふむ、彼女はいったい誰を門番に勧誘するのでしょうか。野兎でしたら、私は自分の価値の低さに怨霊へ変わってしまいそうです
……流石に野兎はありませんでした
咲夜さんは迷うことなく竹林の主が住まう永遠亭に向かうと、入り口で掃き掃除をしていた髪の長い妖怪兎の前に降り立ちました
怪訝そうな表情を浮かべた兎に、咲夜さんは優雅に一礼します
こんにちは、今日も相変わらずのようですね、ところであなた門番という役職に興味ありませんか、と
え、いや、いくらなんでもそれは唐突すぎて意味わかりませんよ!?
私と兎が同じ台詞を同じタイミングで咲夜さんにつっこみました
三食ただで立っていればいい仕事なんですけど、と咲夜さんは付け足しましたが、ちょっと酷い門番の解説です。三食が意味なく抜かされることもありましたし、最近なんて珍客繁来で以外と忙しかったですよ?
兎も怪しすぎる勧誘に、直ぐ様断りの言葉を述べています
私には既に仕えるべき人がいる、他の仕事をしている暇などない云々
普通の返答ですね、というか当たり前ですよね
それは咲夜さんも考えていたことらしく、じゃあ代わりに筍でも貰っていこうかしらと笑いました
その笑顔は、触れたら身も心も真っ二つにされそうな危うさがありました
怖い、咲夜さん怖い
またもや私と兎の気持ちが同調します。相手が波長を操る程度の能力だからとか、そんな理由抜きで気持ちが一致しました
兎が震えて涙目になりながら筍の山を咲夜さんに渡すと、彼女は始めと同じように優雅な一礼をすると飛び去っていきました。どうやらそこまで本気に兎を勧誘するつもりはなかったようです
どうも今日の食材を手に入れたのを喜んでいる辺り、勧誘よりそっちの方が本題だったのかもしれません
筍を片手に、咲夜さんは再び飛んでいます
ここ最近伸びてきた銀色の前髪が目元を隠し、彼女の表情を窺い知ることができません
器用で瀟洒なことに定評な彼女ですが、長年彼女を観察してきた私からしてみれば、咲夜さんはこと感情表現に関しては不器用のように見えます
だから何を考えているのか判らなくても、彼女の中にぐるぐるとたくさんの感情が渦巻いていることは判りました。本当に何も考えていないときとの差ぐらいはもう判別できますから
いろいろと溜め込んだのなら、どこかでそれをだしてあげなくちゃいけないと思ってたんですけど……
しかし彼女は、そんな死んだ私の思いを知ることもなくふらふらと飛び続けます
しかも勧誘する相手は冥界の庭師や鈴蘭の毒人形、嫉妬の橋姫、はては意思疏通もまともにできない入道です。ちなみに入道と話せる法衣の少女には目も向けませんでした。
うーん咲夜さん、本気で門番を探す気があるのでしょうか?
どことなく、自暴自棄に動き回っているように見えます。少なくとも、いつもの瀟洒な咲夜さんではありません
そうこうしているうちに日は沈み、我らが主の活動時間となりました
咲夜さんはお嬢様の食事を作るため、門番の勧誘を打ちきり紅魔館へと帰還します
そしていつも通り、いつ作り終えたのかわからない出来立ての豪勢な料理を手に、彼女はお嬢様のもとへ向かいます
扉を開けると、そこにはお嬢様が優雅に座ってこちらを見つめていました。その何もかも見通したような瞳には、私といたときにはない優しさが含まれているような気がします
別に僻んじゃいません、それほどまでに咲夜さんのことをお嬢様は大切に想っているのです。自分が主でありながら、運命を操作する能力を持ちながら、お嬢様は咲夜さんの人生に一度たりとも強制を強いたことがありませんし
吸血鬼は長命です、咲夜さんはお嬢様がいる限り安泰でしょう。絶対にお嬢様が死ぬまで付き添ってくれるでしょうから
「ふむ、その様子じゃ新しい門番は雇えなかったようだね」
血のように赤い、恐らく実際に血液が含まれているワインを口にしてお嬢様は予備動作なしに話かけてきました
まさに図星なのですが、さすがの咲夜さんはポーカーフェイスのまま何のことでしょうかと答えます
そんな咲夜さんの顔をちらと窺ったお嬢様は、何のことだっけなと返しました
あああ、この気まずい沈黙は私の苦手な雰囲気です。語らずとも語る……直線的なやり取りではなく、歪曲して捻れ曲がった変則的な、とりあえず単純な私には理解できないやり取り
なぜ皆はもっと、こう、拳で熱く語るような肉体言語を使わないのでしょうか
「そんなにあいつのことを気に入っていたのかい?」
私にとって複雑怪奇だった空間に投げ込まれた、お嬢様の単純明快な一言
私がぽかんとしたのは言うまでもありません
咲夜さんも、デザートとして持ち込んでいたドラゴンフルーツ(何故それだったのでしょう、果汁が血のようだからでしょうか)の皮を剥きかけたまま固まっています。よく見ると、指にナイフの刃が食い込んで剣先に向かって血が流れ、玉をつくり、それが重力に負けるたび、机に赤い花火が彩られていきます
そんなにも、咲夜さんが動揺している
ただでさえお嬢様の発言に驚いていましたが、これが決定打となって私の顎は外れんばかりでした
だって、嫌われていないと自負していたけれど、気に入られていたとまでは考えていませんでした
必死でしたから、生きていることに
紅魔館に雇われるまでは、食料の確保と敵への警戒のためにまともな睡眠もとったことがなかったですね。生きていることに必死でしがみつく毎日では、他人なんてすべて敵に等しかった
それを、そんな運命を変えてくれたのがお嬢様です
そりゃ、さすがに門番という立場ですからお屋敷で寝泊まりすることはありませんでしたが、充分な食料と寝床を与えてくれました。お嬢様は強力な吸血鬼ですから、襲いに来る敵など年に何回もあるかといった程度でした。あまりにも敵襲がないものですから、私は騙されているのではないかと何度か疑ったこともありましたね
それでも私にとって初めての家
それが、紅魔館
そして漸く暮らしに慣れてきた頃に、咲夜さんと出会ったんでしたっけ
やっぱり妖怪の質などそう簡単に変わるものでもなく、というより他人とあまり関わったことがなかった私にとって人間のメイドなど未知の存在に等しかったのですね
でも、お嬢様が私にしてくれたことを咲夜さんにも与えようとしていることは分かりましたから、私も最大限の努力をしました
それが前述の、ようはナイフ尽くしの毎日だったわけですが
私が昔の思い出に耽っている間も、現実の咲夜さんは押し黙ったままです
普段の無言ならば、こう怒りのオーラや嘆いていることの代弁として使われていました
しかし、今の咲夜さんの無言は肯定であることを否定したい……そう思わせるものがあります。でもそれは肯定以外の何者でもなく、加えて咲夜さんが泣きたがっているのではないかと邪推まで浮かんでしまいます
邪推の用途が間違っている?いやまぁ死んだ身ですし細かいことはいいじゃないですか
「まぁいいわ、あなたのペースで構わないけれど、早めに門番は見つけておきなさい」
お嬢様の言葉を退出許可ととった咲夜さんが、静かに食器を片付けて部屋から出ていってしまいました
咲夜さんが去っていった扉の先を見つめたあと、お嬢様はふと“こちら”に向けて満月のように円く、血よりも濃い紅色の瞳を動かしました。私はもう死んでいるんですけど、たとえ本当は私のことを見ていないとしても、私を見ていると錯覚せざるを得ない、強烈な眼光に心臓がどきりと鳴ったように思えます
「気持ちはわかるが、あの子のことを考えているのなら早めに成仏して転生してあげなさい」
咲夜さんが珍しく拭き残した赤い花火、少し乾いて机にこびりつきそうになっていた彼女の血を指で優しくなぞりながら、お嬢様は静かに言葉を口にしました。
……それは まぎれもなく 私へ向けたメッセージ
指についた咲夜さんの血をわずかに舌で舐めとり、お嬢様は“こちら”への視線を外します
あの一言だけが伝えるべきことなのだと、今は髪に隠れ見えなくなった瞳が物語っているように思えました
私も、もうこれ以上ここにいる理由もありません。彼女が見えなくとも、感じなくとも、私は今までの数え切れない感謝の意をこめて深くお辞儀をした、つもりで、扉の向こうへ去った咲夜さんのもとへいくことにしました
赤い、紅い、長い、永い廊下を進む
これが紅美鈴として見る最後の紅魔館だったから、私は咲夜さんを探しつつ周囲の景色もひとつ足りとて逃さないようにしました
あまり、中に入ることのなかった場所だけれど、紛れもなく私がいてもいい家だったから
はじめて、他人を想えることができるようになった、大切な場所だったから
結果、忘れてしまおうと
過程で覚えることは無駄じゃないはず
咲夜さんをみつけたのは、満月が照らす庭先でした
私の門番の次に任された仕事である花畑の管理をしていた、その庭先に咲夜さんはいました
顔は俯いていて、表情はやっぱりわかりません。それでも、彼女は泣いているようにしか見えない、私が泣かせてしまっているようにしか見えない
私は、もう私でしかなくて、身体なんてとっくに霧散してしまっているけれど、彼女を抱きしめたかった。別れを言わずに死んでしまったことを詫びたかった、私はあなたのことが大好きだったと叫びたかった、だけどあなたは私のために悲しいなんて感情を抱かなくてもいいと伝えたかった
それでも、私はもうどうしようもなく死んでいて
それでも、足掻きたくて今の今までこの状態だった
それを、先程のお嬢様の発言で漸く思い出したんだから、ほんと最期まで修行不足な私だ
咲夜さんは、ひたすら無言で足元の花を見つめている。自覚したから、私はもうここには永くいられない。お嬢様が言ったとおり、早めに成仏して転生を待つことが彼女にも私にも最良の結果だ。だから、これが最期の最後だった
咲夜さん、咲夜さん
今までありがとう、
ふしだらになりがちな私の生活を心配してくれて、
やってくる黒白の魔法使いにやられてしまう度に見舞いに来てくれて、
……私のことを好きでいてくれて、
伝えたい気持ち、最後の気持ち、これっきりだと私は私でしかなかったけれど彼女へ思いっきり抱きついて、その耳元にささやいた
実は私、あなたのことが好きだったんですよ
えぇ、さぞかし驚かれることでしょう。けれど生まれ生まれ生まれ、死に死に死に逝くことは、この世界では日常茶飯事なのです
私は、死にました
原因、まぁそれがまた私らしいと言えばらしいんですが
ちょっとお昼寝していたら、妹様にきゅっとしてドーンって殺られちゃったんです
いやもう痛みも何も感じる暇はありませんでしたね。まさに一撃必殺の能力です
粉々になり過ぎて、妹様が自首するまでの間、私が何処かに行って仕事をサボっていると思われたほどでしたよ
心外です、シエスタこそすれ、サボタージュはしたことがなかったというのに
しかし妹様が泣きながら自分が美鈴を壊したと言ってくれたときは少しウルっときましたね
彼女も、日々成長しているのでしょう。この先能力を使いこなせる日が来ても、傍にいることができないのは残念で仕方なりません
そのあとはいつぞやの異変を起こした小鬼が力を貸してくれて、粉々となった私を全て萃めてくれました。萃まった、といっても私を構成していたものなので、白いボールのような形で原型を留めていませんでしたが
ともかく、その白いボールをお嬢様は一息で焼き尽くしてくれました。いえ、決して扱いが雑なのではありません、死んだ部下を必ず自分が殺したという形にするための彼女なりな流儀なのです。部下の生死にはすべて自分に責任があると、それが彼女の信念なのです
このようにカリスマ溢れる主人に仕えられて、私はとても誇りに思えました
そして、葬式という名の宴会が一通り終わるとお嬢様はメイド長である十六夜咲夜に命令をだしました
「新しい門番を探してきなさい」と
当然ですよね、さすがに門番がいないと困りますもんね
図書館なんて、24時間365日鼠が入り込むに違いありません
メイド長は、咲夜さんは一瞬だけ目を伏すと、その命令を実行するために動き出しました
私は彼女が好きでした
彼女も私が好きでした
……多分
少なくとも嫌われてはいなかったと思います
彼女は、自分の感情を知られることを嫌っていましたから
まるでナイフのようで、その内に秘めるものに近づけば切り刻み、遠退けば投擲してくるような、つまりは自分に関わるなと言ってくる人間でした
それでも好きになっちゃったんです、彼女に近づきたいと思うようになりました
話しかければ切られ、見つめていれば刺され、想っているといつのまにか私の身体はナイフだらけになってましたよ。ついでに寝ていると大抵瀕死状態での起床となりました
それでもめげずに接して、漸く少しだけ心を開いてくれたかも……そう思えた時期だったんですけどね
死んだのは仕方ありませんが、彼女のことだけは心残りです
後悔はいくつもあります
せめて二人きりの時は“咲夜”と呼んでみたかった。疲れているときは、よしよしと頭を撫でて休ませてやりたかった……とか
一応私の方が長生きしていましたから、年上ぶりたかったんでしょうかね
そんな私の後悔は兎も角、
咲夜さんはいつもと変わらない表情、だけどどことなく面倒くさそうな顔で出掛けて行きました
ただでさえメイド長としての仕事があるのに、とか考えているのかもしれません
いつも迷惑をかけてきましたが、こんな顔をされると死んだとはいえ心が痛みます
しばらく飛び続け、当てもないようだった咲夜さんでしたが、いつのまにか迷いの竹林に辿り着いていました
ふむ、彼女はいったい誰を門番に勧誘するのでしょうか。野兎でしたら、私は自分の価値の低さに怨霊へ変わってしまいそうです
……流石に野兎はありませんでした
咲夜さんは迷うことなく竹林の主が住まう永遠亭に向かうと、入り口で掃き掃除をしていた髪の長い妖怪兎の前に降り立ちました
怪訝そうな表情を浮かべた兎に、咲夜さんは優雅に一礼します
こんにちは、今日も相変わらずのようですね、ところであなた門番という役職に興味ありませんか、と
え、いや、いくらなんでもそれは唐突すぎて意味わかりませんよ!?
私と兎が同じ台詞を同じタイミングで咲夜さんにつっこみました
三食ただで立っていればいい仕事なんですけど、と咲夜さんは付け足しましたが、ちょっと酷い門番の解説です。三食が意味なく抜かされることもありましたし、最近なんて珍客繁来で以外と忙しかったですよ?
兎も怪しすぎる勧誘に、直ぐ様断りの言葉を述べています
私には既に仕えるべき人がいる、他の仕事をしている暇などない云々
普通の返答ですね、というか当たり前ですよね
それは咲夜さんも考えていたことらしく、じゃあ代わりに筍でも貰っていこうかしらと笑いました
その笑顔は、触れたら身も心も真っ二つにされそうな危うさがありました
怖い、咲夜さん怖い
またもや私と兎の気持ちが同調します。相手が波長を操る程度の能力だからとか、そんな理由抜きで気持ちが一致しました
兎が震えて涙目になりながら筍の山を咲夜さんに渡すと、彼女は始めと同じように優雅な一礼をすると飛び去っていきました。どうやらそこまで本気に兎を勧誘するつもりはなかったようです
どうも今日の食材を手に入れたのを喜んでいる辺り、勧誘よりそっちの方が本題だったのかもしれません
筍を片手に、咲夜さんは再び飛んでいます
ここ最近伸びてきた銀色の前髪が目元を隠し、彼女の表情を窺い知ることができません
器用で瀟洒なことに定評な彼女ですが、長年彼女を観察してきた私からしてみれば、咲夜さんはこと感情表現に関しては不器用のように見えます
だから何を考えているのか判らなくても、彼女の中にぐるぐるとたくさんの感情が渦巻いていることは判りました。本当に何も考えていないときとの差ぐらいはもう判別できますから
いろいろと溜め込んだのなら、どこかでそれをだしてあげなくちゃいけないと思ってたんですけど……
しかし彼女は、そんな死んだ私の思いを知ることもなくふらふらと飛び続けます
しかも勧誘する相手は冥界の庭師や鈴蘭の毒人形、嫉妬の橋姫、はては意思疏通もまともにできない入道です。ちなみに入道と話せる法衣の少女には目も向けませんでした。
うーん咲夜さん、本気で門番を探す気があるのでしょうか?
どことなく、自暴自棄に動き回っているように見えます。少なくとも、いつもの瀟洒な咲夜さんではありません
そうこうしているうちに日は沈み、我らが主の活動時間となりました
咲夜さんはお嬢様の食事を作るため、門番の勧誘を打ちきり紅魔館へと帰還します
そしていつも通り、いつ作り終えたのかわからない出来立ての豪勢な料理を手に、彼女はお嬢様のもとへ向かいます
扉を開けると、そこにはお嬢様が優雅に座ってこちらを見つめていました。その何もかも見通したような瞳には、私といたときにはない優しさが含まれているような気がします
別に僻んじゃいません、それほどまでに咲夜さんのことをお嬢様は大切に想っているのです。自分が主でありながら、運命を操作する能力を持ちながら、お嬢様は咲夜さんの人生に一度たりとも強制を強いたことがありませんし
吸血鬼は長命です、咲夜さんはお嬢様がいる限り安泰でしょう。絶対にお嬢様が死ぬまで付き添ってくれるでしょうから
「ふむ、その様子じゃ新しい門番は雇えなかったようだね」
血のように赤い、恐らく実際に血液が含まれているワインを口にしてお嬢様は予備動作なしに話かけてきました
まさに図星なのですが、さすがの咲夜さんはポーカーフェイスのまま何のことでしょうかと答えます
そんな咲夜さんの顔をちらと窺ったお嬢様は、何のことだっけなと返しました
あああ、この気まずい沈黙は私の苦手な雰囲気です。語らずとも語る……直線的なやり取りではなく、歪曲して捻れ曲がった変則的な、とりあえず単純な私には理解できないやり取り
なぜ皆はもっと、こう、拳で熱く語るような肉体言語を使わないのでしょうか
「そんなにあいつのことを気に入っていたのかい?」
私にとって複雑怪奇だった空間に投げ込まれた、お嬢様の単純明快な一言
私がぽかんとしたのは言うまでもありません
咲夜さんも、デザートとして持ち込んでいたドラゴンフルーツ(何故それだったのでしょう、果汁が血のようだからでしょうか)の皮を剥きかけたまま固まっています。よく見ると、指にナイフの刃が食い込んで剣先に向かって血が流れ、玉をつくり、それが重力に負けるたび、机に赤い花火が彩られていきます
そんなにも、咲夜さんが動揺している
ただでさえお嬢様の発言に驚いていましたが、これが決定打となって私の顎は外れんばかりでした
だって、嫌われていないと自負していたけれど、気に入られていたとまでは考えていませんでした
必死でしたから、生きていることに
紅魔館に雇われるまでは、食料の確保と敵への警戒のためにまともな睡眠もとったことがなかったですね。生きていることに必死でしがみつく毎日では、他人なんてすべて敵に等しかった
それを、そんな運命を変えてくれたのがお嬢様です
そりゃ、さすがに門番という立場ですからお屋敷で寝泊まりすることはありませんでしたが、充分な食料と寝床を与えてくれました。お嬢様は強力な吸血鬼ですから、襲いに来る敵など年に何回もあるかといった程度でした。あまりにも敵襲がないものですから、私は騙されているのではないかと何度か疑ったこともありましたね
それでも私にとって初めての家
それが、紅魔館
そして漸く暮らしに慣れてきた頃に、咲夜さんと出会ったんでしたっけ
やっぱり妖怪の質などそう簡単に変わるものでもなく、というより他人とあまり関わったことがなかった私にとって人間のメイドなど未知の存在に等しかったのですね
でも、お嬢様が私にしてくれたことを咲夜さんにも与えようとしていることは分かりましたから、私も最大限の努力をしました
それが前述の、ようはナイフ尽くしの毎日だったわけですが
私が昔の思い出に耽っている間も、現実の咲夜さんは押し黙ったままです
普段の無言ならば、こう怒りのオーラや嘆いていることの代弁として使われていました
しかし、今の咲夜さんの無言は肯定であることを否定したい……そう思わせるものがあります。でもそれは肯定以外の何者でもなく、加えて咲夜さんが泣きたがっているのではないかと邪推まで浮かんでしまいます
邪推の用途が間違っている?いやまぁ死んだ身ですし細かいことはいいじゃないですか
「まぁいいわ、あなたのペースで構わないけれど、早めに門番は見つけておきなさい」
お嬢様の言葉を退出許可ととった咲夜さんが、静かに食器を片付けて部屋から出ていってしまいました
咲夜さんが去っていった扉の先を見つめたあと、お嬢様はふと“こちら”に向けて満月のように円く、血よりも濃い紅色の瞳を動かしました。私はもう死んでいるんですけど、たとえ本当は私のことを見ていないとしても、私を見ていると錯覚せざるを得ない、強烈な眼光に心臓がどきりと鳴ったように思えます
「気持ちはわかるが、あの子のことを考えているのなら早めに成仏して転生してあげなさい」
咲夜さんが珍しく拭き残した赤い花火、少し乾いて机にこびりつきそうになっていた彼女の血を指で優しくなぞりながら、お嬢様は静かに言葉を口にしました。
……それは まぎれもなく 私へ向けたメッセージ
指についた咲夜さんの血をわずかに舌で舐めとり、お嬢様は“こちら”への視線を外します
あの一言だけが伝えるべきことなのだと、今は髪に隠れ見えなくなった瞳が物語っているように思えました
私も、もうこれ以上ここにいる理由もありません。彼女が見えなくとも、感じなくとも、私は今までの数え切れない感謝の意をこめて深くお辞儀をした、つもりで、扉の向こうへ去った咲夜さんのもとへいくことにしました
赤い、紅い、長い、永い廊下を進む
これが紅美鈴として見る最後の紅魔館だったから、私は咲夜さんを探しつつ周囲の景色もひとつ足りとて逃さないようにしました
あまり、中に入ることのなかった場所だけれど、紛れもなく私がいてもいい家だったから
はじめて、他人を想えることができるようになった、大切な場所だったから
結果、忘れてしまおうと
過程で覚えることは無駄じゃないはず
咲夜さんをみつけたのは、満月が照らす庭先でした
私の門番の次に任された仕事である花畑の管理をしていた、その庭先に咲夜さんはいました
顔は俯いていて、表情はやっぱりわかりません。それでも、彼女は泣いているようにしか見えない、私が泣かせてしまっているようにしか見えない
私は、もう私でしかなくて、身体なんてとっくに霧散してしまっているけれど、彼女を抱きしめたかった。別れを言わずに死んでしまったことを詫びたかった、私はあなたのことが大好きだったと叫びたかった、だけどあなたは私のために悲しいなんて感情を抱かなくてもいいと伝えたかった
それでも、私はもうどうしようもなく死んでいて
それでも、足掻きたくて今の今までこの状態だった
それを、先程のお嬢様の発言で漸く思い出したんだから、ほんと最期まで修行不足な私だ
咲夜さんは、ひたすら無言で足元の花を見つめている。自覚したから、私はもうここには永くいられない。お嬢様が言ったとおり、早めに成仏して転生を待つことが彼女にも私にも最良の結果だ。だから、これが最期の最後だった
咲夜さん、咲夜さん
今までありがとう、
ふしだらになりがちな私の生活を心配してくれて、
やってくる黒白の魔法使いにやられてしまう度に見舞いに来てくれて、
……私のことを好きでいてくれて、
伝えたい気持ち、最後の気持ち、これっきりだと私は私でしかなかったけれど彼女へ思いっきり抱きついて、その耳元にささやいた
実は私、あなたのことが好きだったんですよ
そんな感じ
咲夜さんはこの後、新しい門番を見つけられるのか。
だったらいいな…(/_;)