キャッキャと広場で子供たちが駆け回る。
人里の中央に位置するそこは近場に寺小屋があることもあって、昼ごろには子供たちの遊び場となっていた。
そんな広場の隅で、泣きべそをかいている少女が膝を抱え、木造の長椅子に一人っきり。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、嗚咽をこぼしては何度も何度も目を擦るように涙を拭った。
そんな少女を見かねたのか、空の方から一塊の雲が緩々と降下してきた。
その雲の固まりは、よくよく見れば人の顔をしており、厳つい顔をした古き良き親父といった姿だ。
顔だけの体で少女を覗き込むようにふよふよと漂うその表情は、眉をひそめて少女の身を案じているのが見て取れる。
心配はしているが、しかし彼は困ったように顎鬚を撫でてはきょろきょろと辺りを見回すのみ。
それもそのはず、彼の言葉は入道使いにしか解らぬし、彼の相棒でもある少女は今現在、里の商店街で買い物の真っ最中。
言葉を伝えられず、かといって泣きはらす少女にどう接すればいいのかが解らず、困ったように後頭部を掻いた彼の心情はいかなものか。
彼自身、自分が子供受けしない外見であることは理解しているし、時には顔を見ただけで泣かれたことすらあるほどで、自分が何かをすればまた泣かれるのではないかと不安でもあるのだ。
しかし、だからといって泣きはらす少女を放っておくのは、彼の性分が許さないわけで。
そんな風に困っていると、泣いていた少女が彼に気がついたのか面を上げた。
マズイッと、彼は反射的にそう思った。何しろ、厳つい厳ついと言われ、親しい家族とも言うべき人々からも「間近で見ると怖い」などと有難くないお言葉を頂くほどだ。
非常に情けない話ではあるが、絶対に泣かれるという自信があった。覗き込んでいたせいで少女の至近距離に、自分の子供受けしない顔があったのも理由のひとつではあるが。
しばしの硬直と、そして沈黙。
辺りの子供たちの遊ぶ声にフィルターでもかかったかのように遠く聞こえ、彼に汗を掻く機能があったのならば今頃は滝のように流していたに違いない。
しかし、彼の危惧していた事態は一向に訪れず、少女は未だぐずってはいるが彼から目を離そうとはしなかった。
「……雲?」
不思議そうに、少女が言葉をこぼす。
怖がる様子がないのを見て、彼はホッと安堵したように息を零したが、その心情を知らない少女は不思議そうに首をかしげていた。
そんな少女の頭を、雲で出来た掌がさわさわと撫でる。
壊れ物を扱うように、それでいて慰めるように、優しい手つきは不思議と少女の心に彼の気持ちが伝わっているかのようだった。
「慰めてくれるの?」
言葉はなく、親父顔の入道は静かに頷くのみ。
けれども、少女にはそれで十分だったのだろう。
瞳に溜めていた涙をごしごしと拭い、花のような笑顔を浮かべて、彼を見上げた。
「ありがとう、雲のおじちゃん」
それは、彼が子供からあまり聞かない言葉であった。
顔を見せれば怖がられ、ひどい時は泣かれ、自然と子供たちを泣かせまいと遠慮がちになっていたこともある。
だから、そういったお礼の言葉をあまり向けられたことのない彼は、少し視線をはずして頬をぽりぽりと掻いた。
それは初対面の少女からしてみても照れているということが丸わかりで、少女はたまらずクスクスと苦笑してしまう。
かわいいなんて少女が思ったのは、果たしてその仕草がよほど魅力的だったのか、あるいは少女の感性がずれているのか。
「おじちゃん、お名前は?」
少女の問いに、さて困ったぞといった風に、彼は顎鬚を撫でる。
前述のとおり、彼の言葉は入道使いにしかわからぬのだ。
その肝心の相棒の入道使いは、今頃は八百屋のオヤジと値引き合戦を繰り広げていることだろう。
さて、どうしたものかと思案していると、妙案を思いついた彼は手のひらをポンッとたたく。
そばに落ちていた木の枝を器用に摘み、地面にカリカリと引っかくように文字を書く。
年端も行かぬ少女にもわかるように平仮名で「うんざん」と、少々大きめの文字で。
「うんざん?」
コクコクと、彼―――雲山は頷いた。
これ幸いとコミュニケーションの手段を手に入れた雲山は、再び木の枝で地面に文字を書き、一体どうしたのかと問いかけてみる。
それで、少女は今の自分の現状を思い出したのか、再び目の端に涙を浮かべ始めた。
オロオロと雲山が右往左往する姿は、彼の相棒が見れば可笑しさのあまりに大笑いするに違いない。
少女はというと今にも泣き出しそうだったが、雲山が慰めてくれたおかげもあってかギリギリで踏みとどまっている。
「今日ね、お母さんのお誕生日なの。でも、でも……プレゼントをどこかに落としちゃって……」
「探したけど見つからないの」と、少女は今にも泣いてしまいそうな声でそう言葉にした。
ふむっと、納得したように息を零しながら、雲山は顎鬚を撫でて考える。
探しものなら、彼と同じように命蓮寺に暮らすナズーリンの得意分野だ。
しかし、彼女は本日出掛けており、どこで何をしているのか皆目見当もつかない。
そもそもナズーリンに事情を話そうにも、彼の相棒は今頃八百屋のオヤジと値引きをかけて拳で語り合ってる頃合だろうから、意志の疎通が少々難しい。
となるとである。
「わ!?」
雲山は少女を抱えると、自分の頭に載せる。
見た目の厳つさとは正反対に、雲らしい柔らかさとモフモフとしたさわり心地が、少女の手のひらに伝わった。
おっさんの頭に少女が乗っているという珍妙な光景に、道行く人が見れば目を白黒させること間違いあるまい。
「一緒に探してくれるの?」
コクリと、少女を振り落とさぬように雲山は頷いた。
結局、彼に出来ることといえばこれくらいだ。
頭が固く、不器用で、時代遅れだと自覚する彼なりの答えであった。
泣きそうだった少女も、今は嬉しそうに微笑んでいる。
それだけ、雲山の言葉が嬉しかったのか、綿菓子のようにふわふわな彼の頭をさわさわと撫でた。
「それじゃあ、お願いね」
少女の言葉に、「まかせろ」とでも言わんばかりの表情をする雲山。
きっと彼に体があったのなら、胸を張ってふんぞり返るような体勢だったに違いない。
そんな彼がおかしくて、少女はくすくすと笑った。
今ここに、入道のおっさんと人間の少女という、奇妙なコンビが里を歩き回ることが決定した瞬間だった。
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道中での落し物を探すのはまず、その足跡をたどることが基本中の基本だ。
そんな基本に逆らうことなく、少女の指示に従ってプレゼントを買ったお店の前まで移動した二人は、近辺をきょろきょろと探し始める。
少女が落としたものは袋に包まれており、大きさは大体スイカぐらいのものだという。
少女を頭に乗せたまま、雲山はキョロキョロと辺りを見回すが、それらしきものは見えてこない。
入道が頭に少女を乗せたまま探し物をする姿は珍妙なもので、やはり行き交う人々がちらちらと二人の様子を盗み見ている。
雲山はその視線に気がついてはいたが、あえて無視を決め込む。今やるべきことは、何よりもまず少女の落し物を探すことなのだから。
「ないね」
落胆したような声。
それだけで、雲山からは見えない少女の表情が伺えるというものだろう。
結局その場所では見つけられず、少女の指示に従って彼女の足取りを追うようにスイスイと進む。
通りを抜けて裏道を行き、駄菓子屋に寄ったりもすれば、時には寺小屋に寄り道もしたようだった。
そうやって、一箇所につき気が済むまで目的のものを探し、そして見つからないことに落胆する。
そんなことをどれくらい繰り返しただろう。
とうとう、二人は最初の広場まで戻ってきてしまったのだ。
これは、困った。と、雲山はムムムと厳つい顔を顰めさせた。
なるべく隅々まで探し、移動中も見落としのないほどに徹底して探したはずだが、それでも見つからないとなると雲山にはお手上げだった。
考えられる可能性としては、少女がまだ忘れている場所があるのか、あるいは誰かが拾ってしまったのか。
前者ならまだいいが、後者であったならそれこそ雲山に出来ることはなくなってしまう。
そうなった場合、本格的にナズーリンに頼み込むしか術がないのだが、肝心の彼の相棒は今頃八百屋のオヤジと河川敷で友情を芽生えさせている頃合だろう。
時刻はすっかりと夕暮れ時。
空は段々と夕暮れの色に染まっていこうとしており、あれほど騒がしかった子供たちの声もずいぶんと少ない。
途方にくれ、どうしたものかと雲山がため息をついた時。
「おーい、ようやく見つけたぁ~」
そんな、間延びした聞き覚えのある声が耳に届いた。
少女と雲山がそちらに振り向けば、見覚えのある特徴的な紫のお化け傘を片手にぶんぶんと大きく手を振る少女の姿。
雲山の記憶が正しければ確か、多々良小傘という名前だったか。
雲山の信奉する聖白蓮を驚かそうと寺に訪れ、彼を見た瞬間気絶して心に傷を負わせた唐傘お化けの少女である。
「あ、小傘おねえちゃん!?」
「あはは、ごめんねぇ。追いかけてたんだけど途中で知り合いの巫女に捕まっちゃってさぁ。これ、落としたでしょ?」
そう少女の言葉に答えながら小傘が差し出したのは、少女がなくした物と同じ特徴の包みだった。
雲山が少女をおろし、彼女はあわてた様子で小傘から包みを受け取る。
それは間違いなく少女が探していたものに間違いがないようで、「よかったぁ」とホッとしたようにその場にへたり込んでしまった。
そんな彼女の様子に安堵した様子で、雲山は彼女の頭を撫でる。
最初に出会ったときにそうしたように、優しく、無骨な雲の掌で。
「ありがとう、小傘おねえちゃん」
「いえいえ、どういたしまして」
その手に撫でられながら、少女は小傘にお礼を述べる。
どこか照れくさそうに笑いながら、小傘は「気にしなくていいんだよー」なんてのほほんと言葉続けた。
それから、少女は撫でてくれる雲のオヤジに振り向いた。
晴れやかな、子供らしい満面の笑顔で。
「ありがとう、うんざんのおじちゃん」
言葉がしゃべれたのなら「ウム」とでも聞こえそうな厳格さで、雲山は頷いた。
けれども、やはりどこか嬉しそうなのは見間違いなんかではないのだろう。
事実、その少女の言葉は、今までの疲れを吹き飛ばしてしまえるぐらいには、彼にとって嬉しいものだったのだから。
「うんざんのおじちゃん、小傘おねえちゃん、本当にありがとうございました。私、そろそろ帰らないと」
「あ、私が送るよ。もうそろそろ遅いし、この子の家は知ってるからね。……一度驚かしに行ったことあるしね。驚いてもらえなかったけど」
うんうんと、小傘はどこか懐かしむように頷いて……何かいやなことでも思い出したのか、がっくりと肩を落とした。
そんな彼女の様子に苦笑して顔を見合わせる少女と雲山。存外、この二人は気が合うのかもしれない。
やがて頭をぶんぶんと振り、嫌なことを頭の中から全部追い出した小傘は、「そういうことだから、まかせてよ」と胸を張る。
なんとも子供らしい仕草だと思ったが、雲山は指摘せずに苦笑するだけ。
「それにしても、意外だったな。ずっと怖い人だと思ってたけど、実は優しいんだね」
そんな彼に、その言葉を投げかけた小傘の内心はいかなものだったのか。
申し訳なさそうな表情と、けれども新しい発見をして嬉しいような、そんな複雑な表情。
その言葉がこそばゆくて、雲山は頬を書きながらプイッと視線をそらした。
そんな照れ隠しの様子がおかしくて、小傘と少女が二人して噴出すように笑う。
なんというか、恥ずかしい。恥ずかしいのだが……、これはこれで、悪くない気がした。
「それじゃ、今度そっちに驚かしに行ってあげるんだから!」
「バイバイ、うんざんのおじちゃん!」
二人の少女が手をつないで、大きく手を振りながら広場を後にする。
手を振り返しながら苦笑していた雲山も、二人の姿が見えなくなったところでふぅっと一息。
そろそろ、夕餉の時間だろうか。相棒を見つけて早く帰らねばと思っていると、「雲山」という声がタイミングよく耳に届いた。
振り向けば買い物籠を片手に、ところどころボロボロな雲山の相棒の尼僧、雲居一輪がそこに居る。
「探したじゃない。さ、姐さんが待ってるんだから、早く帰りましょう」
彼女の言葉に頷いて、いつものように小型化して一輪の肩口に停滞する。
そうやって帰路についていると、ふと、彼女は何かに気がついたように雲山に視線を向けた。
「ねぇ、雲山。随分と機嫌がよさそうだけど、何か良いことでもあったの?」
やはり、共にすごした時間が長い相棒であるからか、一輪は雲山の微妙な変化にすぐに気がついた。
一方、雲山は多くは語らない。ただ一言肯定の言葉を彼女に伝えただけ。
それだけで、二人には十分だったのだ。
「そう」と、一輪もどこか嬉しそうに頬を緩ませた。
それ以上は何も聞かず、一輪と雲山は命蓮寺に続く道を歩み進んでいく。
空は茜色に染まり、民家からは夕餉の匂いが食欲をそそらせた。
きっと今頃、誰もが帰りを待っていることだろう。
一輪と雲山には聖白蓮たち仲間が、そしてあの少女には、今日を誕生日を迎える母親が。
きっと今頃、少女とその母親は笑顔を浮かべているに違いないと、口には出さずにその光景を夢想して、雲山は満足げに微笑んだのだった。
▼
雲山は厳つい顔をした、入道のオヤジである。
頑固で融通が利かず、怒れば鬼のような形相の彼の顔は、非常に子供受けしづらい。
しかし、根は真っ直ぐなのか曲がったことは嫌いで、子供が泣いていれば放っておけない優しさを持っている。
地震、雷、火事、オヤジなんて言葉があるように怖がられがちな彼も、叱る時は叱り、褒める時は褒め、そして慰めるときは慰める。
頑固で、怖くて、厳つい顔をしていて、けれども泣いている子供を放っておけない優しさを持つ彼は、良くも悪くも、古き良き時代のオヤジなのである。
だんだんヒートアップしていく一輪さんがいいアクセントになってました。
それだけじゃなくて探した時間の流れも感じさせることにもなってて。
雲山のような旧き良き時代の親父は幻想入りしてしまったのでしょうか。
でも小傘の登場がちょっと唐突に感じました。
さして気にしなくてもいいところだとは思うのですが。
新鮮で楽しかったです
雲山メインというのが非常に新鮮でした。
ほのぼのとしたお話、ご馳走様でした。