霊夢が虫になるそうだ。
霊夢がこの夏の暑い盛りに虫になってしまう理由について魔理沙はよく知らない。紫に聞いたら今年の夏は例年になく暑いからだという答えが返ってきたけれど、その答えに魔理沙は納得しなかったしこれからも納得しないだろう。霊夢は虫になるのだ。きらきらと七色に光る虫になるそうだ。
「ほら、これが先々代の博麗の巫女虫、ゲンソウハクレイヒカリよ」
なかなかその話を信じない魔理沙に、霊夢は金庫の中にしまっていて今まで紫以外の誰にも見せていなかったという標本を魔理沙に見せた。ゲンソウハクレイヒカリ、という気の抜けたような名前のシールが貼りついたシャーレの中には、干からびた虫が一匹、入っていた。よく見ると右の触覚がもげている。ゾウムシとカゲロウとカナブンを足して三で割ったような形と、カナブンより大きく、カブトムシより小さい、微妙な大きさの虫。それは何てことない、茶色の虫だった。
これが先々代の巫女様だと言われても魔理沙はなかなか納得しなかった。紫の話によると、これが生きているうちはキラキラと七色に光ってそれはもう大変に美しいそうだ。先代のゲンソウハクレイヒカリの標本はおととしの春にカビが生えたので廃棄したと言っていたが、きっとまだどこかに保管してあるんだろうと魔理沙はぼんやり思った。さらに初代の博麗の巫女は空飛ぶマンボウになって上昇気流に乗り、今もたまに幻想郷の空に戻ってくることがあると、今度は紫がややふざけたような口調で言った。魔理沙は信じた。魔理沙は今まで何度も空を飛びながらフンフンと魚語でわけのわからない歌を歌っているマンボウを目撃したことがあったのだ。それを初めて見たときは撃ち落として刺身にしてやろうかと思ったが、マンボウは産卵期らしく下腹のあたりがぽっこり膨れていたので躊躇した。そのうちにマンボウは西の空へと飛んでいってしまったのだった。
博麗の巫女は最期は必ず虫になる、という話は何故か魔理沙以外の大概の人妖は知っているらしかった。もちろん霊夢もその話は知っていて、巫女として博麗の名を継ぐことになったときから覚悟はしていたと寂しそうに笑って魔理沙に言った。魔理沙はそんなこと知らなかった。霊夢が虫? それは博麗の巫女に選ばれる人間の正体は必ず虫であるということだろうか。それとも巫女としての力と引き換えに虫になるということだろうか。それも紫に聞いたけど、紫にもわからないそうだ。
今日も魔理沙は霊夢のところに行った。霊夢が「あら、いらっしゃい」と言うと、頭に生えた触角がちょいちょいと動いた。もう霊夢の身体は三十パーセントぐらい虫になっているらしく、最近は魔理沙が夕ご飯をねだっても本人は砂糖水しか飲まない。
魔理沙がどんな味がするのかわからないご飯を書き込むと、縁側に座っている霊夢が「そろそろね」と独り言のように言った。
「何がだぜ」
「明日、私は虫になるらしいわ」
「嘘だぜ」
「嘘じゃないのよ」
「嘘だったら」
「嘘じゃないったら」
「なぁ霊夢」
「ダメよ」
「何も言ってないぜ」
「どうせアンタのことだから、私が虫にならないような魔法でも作ってるんでしょ?」
「何で知ってるんだぜ」
「最近来るのが遅かったじゃない」
「遅かったかだぜ?」
「いつもは私がお風呂に入る前には来てたじゃない」
「そうだったかぜ」
「虫より記憶力が悪いってどういうことよ」
「霊夢は虫じゃないぜ」
「もう半分は虫よ」
「虫じゃない。私の友達だぜ」
「虫なのに?」
「じゃあ、虫でもだ」
「無理ね」
「何で」
「あなたは台所にいるゴキブリに友達がいるの?」
「これから作るんだぜ」
「リグルじゃあるまいし」
「弟子入りするぜ」
「やめてよ気持ち悪い」
「気持ち悪くても霊夢と一緒にいたいんだぜ」
「もう、魔理沙なんて知らない」
霊夢は寂しそうに頬を膨らませた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今日が霊夢の人間としての最後の日らしい。
皆、博麗神社に集まっては酒を飲んだりオイオイ泣いて霊夢に抱きついたり今まで一度も入れなかった賽銭を入れたりしている。早苗なんか呑めない酒を飲みまくって境内の隅に四度も嘔吐したけれど涙は枯れないらしかった。萃香ですら不味そうに酒が入った瓢箪を続けざまに煽ってし、アリスなんか別れがつらいからという理由で最期の面会にすら来ない。一度、神奈子がなにやらわめき散らしながらオンバシラで神社を全壊させようとしたけれどその場で諏訪子に取り押さえられた。お空は霊夢が死ぬなら幻想郷を滅亡させるとわめいて核爆発を起こしかけたので紫に全力でボコボコにされた。お空は泣いていたのだけれど紫も泣いていた。レミリアはずっと霊夢の側に座り込んで一言も発しない。咲夜はと言うと、沈んだ顔で縁側に座り込み、主と同じように一言も発しない。
一方、霊夢はと言うと落ち着いたものだった。続々と最期の別れを告げに来る人々にねんごろに日ごろの礼を述べて、泣き出す人妖の肩を抱いて「大丈夫、大丈夫」となだめたりしている。
一体、何が大丈夫なんだ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜が来た。
もうみんな帰ってしまって、それでも意地悪く居残り続けた魔理沙だけが縁側で霊夢と二人きりになっていた。魔理沙も早苗と同じようにガッパガッパ酒を呷り続けていたけど、不思議なぐらいに酔いは回ってこなかった。その頃、霊夢はもう既に内臓が人間のものではなくなっていたらしくて、お酒もご飯も三ヶ月ほど前から口にしていなかった。酒の代わりにすする砂糖水が旨いとこの間言っていたが、それがどこまで本当かはわからない。大体、ゲンソウハクレイヒカリが本当に、例えば樹液とか動物の血とか腐肉とか、そういう虫っぽいものを食べるかは知らないのだ。
「ね、弾幕勝負、しましょう」
月が天の真上に登るころ、霊夢がぽつりと言った。「お、おう」と魔理沙が返事をすると、霊夢はちょっと寂しそうに笑った。日ごろの霊夢は手ごわかったけれど、もう目の前の存在は霊夢じゃなかった。それは虫であって、どうしても博麗神社の障子から漏れ出る光に吸い寄せられてしまって勝負にならなくて、魔理沙はそれが悔しくて気持ち悪くて霊夢をボコボコにした。最期に霊夢に華を持たせてやろうなんて思考はどこにもなかった。巫女服の袖がちぎれてスカートが破けても霊夢から血は出なかった。何だか不気味な緑色の体液が白い肌にちょっと滲んでそれで終わりだった。
霊夢が地面に墜落するように降りてきた。
霊夢は悔しそうに言った。
「もうダメね。アンタにも勝てなくなっちゃった」
「そんなこと言うなよ。また勝てばいいじゃないか」
「また?」
霊夢は可笑しそうに言った。生理的な嫌悪を催すような、自分を諦め切った顔だった。
「また、はないのよ」
「あるさ」
「ないの」
「あるったら」
「ないったら。ほら、見て」
霊夢はボロボロになった服を持ち上げてお腹をちょっと覗かせた。確かにそこはすべすべとプラスチックか何かのような感じになっていて、七色に光り輝いてもうおへそなんかどこにもなくて、ただ漠然と七色に光り輝いていた。それは皮肉にも、魔理沙が今まで見てきた光景の中で一番綺麗な色だった。
「私は虫になるのよ」
「ならないでほしいぜ」
「なるのよ。このおかげで生まれてからこの方、人間らしくは生きられなかった」
「霊夢は人間だぜ」
「私ってほら、あらゆるものに対して執着が無いでしょう? あれは私が虫だったからなのよ」
「霊夢は人間だったぜ」
「空を飛べるのも私が虫だからなの」
「霊夢は、絶対に人間だぜ」
「だから何か欲しいと思うことも、人を好きになることも、あんまりうまく出来なかった」
「やめろよ、もう。怒っちゃうぜ」
「魔理沙の友達もうまくできてたかわからないわ。どうだった?」
「友達以上恋人以上だったぜ」
「虫なのに?」
「霊夢だからだぜ」
「それでももう私は半分以上虫になっちゃってるの。虫が弾幕勝負をするなんて法はね、幻想郷にもないのよ」
「作ればいいんだぜ」
「作れないの」
「私はまた霊夢と弾幕勝負がしたいぜ。もっとご飯食べたり、一緒に空飛んだりしたいんだぜ」
「もう出来ないのよ。もうそんな機会はないの」
「あ、あるって、あるって言ってくれ、う、うう」
「ごめん、ごめんね、もうないのよ。魔理沙とはもう、弾幕勝負も、う、うう、で、出来ないのよ」
霊夢は隠さず泣いていた。もう半分以上、人間じゃなくて虫になっているのに、霊夢は涙を流していた。涙を流す機能はたぶん、人間の一番重要な機能だから、最後まで残ったんだろう。二人はその場で抱き合って、オイオイ泣いた。霊夢はもうやわらかくなかった。何か電柱にでも抱きついているような感じがした。霊夢は皮膚すらもう変質が始まっていて、あと半時もすれば堅い殻に覆われてしまうのだろう。
そして、明日の朝頃、霊夢は完全に虫になってしまう。
「嫌だ」
霊夢は虫になるのだ。魔理沙の一番の友達でなくて、虫になってしまうのだ。
「嫌だ嫌だ」
霊夢は虫になるのだ。もう泣くことも笑うこともない虫になってしまう。
「絶対に嫌だ」
霊夢は虫になるのだ。もう本当に今夜、霊夢は人間に別れを告げてしまうのだ。
「私は絶対に嫌だ!」
魔理沙が霊夢の堅い肩に顔を埋めて泣いていると、不意に霊夢が魔理沙の耳元にささやいた。
「……そんなに、嫌?」
不安そうに聞いてきた霊夢に、魔理沙は憮然と答えた。
「ぐずっ、当たり前だぜ」
「本当に?」
「本当だぜ」
「そう。それならまだ一つ手があるわ」
霊夢の突然の言葉に、魔理沙はびっくりして霊夢を見た。
霊夢は涙で真っ赤になった目で、しかし、決然と笑って見せた。
「私は”空を飛ぶ程度の能力”を持ってるの」
「そんなことは知ってるぜ」
「つまり、私は本来的に、すべてのものから自由ってことよ、虫だけに、無視できるってことね」
「それも知ってるぜ」
「つまり私は空を飛び続ければ、私自身が虫になることを無視できるかもしれない。ゲンソウハクレイヒカリっていう虫にならないで済むかもしれないのよ」
最初、魔理沙は霊夢の言っていることがわからなかった、ついに頭まで虫になったのかと思ったが違った。霊夢の目は確かに、何かの意思の下に光っていた。
「空を飛ぶって、いつまで」
「わからないわ。巫女は必ずバッタとかザトウムシだとかゲンゴロウとかになると聞かされてたし、それから完全に逃げられるかもわからないの。けれど、可能性がゼロじゃないのよ。ずーっとずーっと空を飛び続ければ、可能性が一パーセントでも生まれるかもしれない」
ぼけっと霊夢の顔を見つめると、霊夢の頬に流れた涙の跡が七色に光り始めた。それと同時に背中に半透明の羽が背中に生えて、まるで背伸びするかのようにパーッと伸び始めた。完全に虫になる時が近いらしい。
「じゃあなんで今までそうしなかったんだよ」
「だって最後ぐらい魔理沙や紫や他の皆と一緒にいたいじゃない」
「そんなこと気にするほうがおかしいんだぜ、ばか霊夢」
魔理沙がぐっと霊夢を抱き寄せると、ちょっとスイカのような青臭い虫の香りに混じって確かに霊夢の匂いがした。
霊夢は「決まりね」と一個と言うと、懐から一枚のお札を取り出して魔理沙の額に貼り付けた。
「なんだよこれ」
「通信用の御札。たぶん、数週間、いやもっと長い間地上には降りてこられないだろうから、預けておくわ」
「わかった。何かあったらいつでも呼んでくれ」
「わかったわ。じゃあ、魔理沙。そろそろ」
「わかった。ずっと帰りを待ってるぜ。ずっと、ずっとだからな!」
魔理沙が言うと、霊夢はにっこり笑った。
それが最後だったらしい。霊夢はトン、と地面を蹴ると、今までに見たことのないようなスピードで夜空に舞い上がっていった。
七色に輝く霊夢の体が、夜空に花火のように打ちあがって行く。
その七色の光が夜空の黒に吸い込まれる直前で、止まった。そしてゆっくりと旋回し出した。
魔理沙はその光景をずっと見ていた。
そして、生まれて初めて、自分を生み出した何者かに祈った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
霊夢は一時的にいなくなった。そしてもうずっと、幻想郷の空をキラキラと七色に輝きながら旋回し続けている。
魔理沙が霊夢のことを話すと、紫はすべて納得した顔で頷いて、次の巫女は探さずに結界の管理を全部自分が引き受けることを約束した。
早苗もアリスも萃香も神奈子も諏訪子もお空もレミリアも咲夜も、皆が皆、魔理沙の額に貼りついた御札越しに霊夢を励ました。
「霊夢さん、頑張って! 虫になんかなっちゃダメですよ! 帰ってきたらまた一緒にお酒を飲みましょう!」
「霊夢、ずっと待ってるからね! あと、あなたの体、七色に光ってとっても綺麗よ!」
「霊夢、私は霊夢が帰ってくるまで禁酒するからな! 手が震え出す前に早く帰ってきてくれよ!」
「霊夢、今度ウチの神社にお前ん所の分社を建てるんだ! とっとと見に来いよ! 急げ!」
「霊夢、頑張って! たとえ虫になってもカラスになっても守矢神社は霊夢の味方なんだからさ!」
「霊夢、地霊殿の皆も応援してるよ! 私鳥頭だけど霊夢のこと忘れてないよ!」
「霊夢、霊夢霊夢霊夢! ずーっとあなたの軌道を見てるわ! とっても素敵な軌道よ! 帰ってきて、必ずよ!」
「霊夢! がんばって! 紅魔館、いや幻想郷はあなたの帰りをずーっとずーっと待ってるわ!」
そんなこんなで皆がめいめい、思うことを魔理沙の額の御札に向かって呟き続ける。時たま、ゼイゼイと壊れたような呼吸音が聞こえるだけで、返事なんか一度も返ってこなかった。けれども、皆祈るような気持ちで霊夢を励まし続けた。
夏が過ぎて、秋が来た。もう三週間ぐらい経った。
幻想郷の人妖たちは来る日も来る日も固唾を呑んで空を見上げ、虹色の軌道を見つめながら霊夢の帰還を待ち続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なぁ霊夢」
ある晩、魔理沙は自分の家の一室で額の御札に向かって話しかけた。
「お前さ、昔私に言ったよな? 『なるようにしかならない』ってさ」
魔理沙はキノコを煎じていた。八卦炉の光が熱い。これはとっておきの魔法だった。もしかしたら、帰ってきた霊夢ですら撃墜できるかもしれない、強力な魔法の触媒だった。
「でもさ、お前あのとき、言ったよな? 『可能性がゼロじゃない』って」
数百種類のキノコが煎じられ、煮詰められ、挙句の果てにこげて炭化してブスブス黒い煙を上げる。
「お前がそんな諦めの悪いことを言うのは初めてだぜ」
キノコのエキスは黒く固まって炭になり、ウコンとも蚊取り線香ともつかないような独特の臭気が鼻をついた。
「何も欲しがらないくせに、何にも興味がないくせに、人間だけは辞めたくないんだな、お前は」
キノコエキスの灰を乳鉢でゴリゴリゴリンチョと磨り潰す。
「どうしてだぜ?」
ゴリゴリゴリンチョ。
「……私がいるから、だとかだと、いいなぁ」
炭を完全に磨り潰すと、黒い粉が出来た。
「なぁ霊夢」
魔理沙はそれを一摘み摘んで、八卦炉の炎に向かって投げつけた。
途端にボン、という音がして、魔理沙の五感すべてが圧殺された。ゴバァ、という音と共に今まで集めた本やらガラクタやらが弾け飛び、霧雨道具店を一瞬で崩壊させ、魔法の森に巨大なクレーターを生じさせた。
直径数百メートルの地面を抉り取ったグラウンドゼロの中心、そこだけ残った瓦礫の山。その上に座り込んだ魔理沙は、全身からプスプスと黒い煙を上げながら呟いた。
「早く……会いたいぜ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一ヶ月経った。
霊夢が帰ってきたという。
魔理沙は超スピードであらかた辺りのものを衝撃波で吹き飛ばしながら博麗神社に急いだ。博麗神社に降り立つと、そこには紫や藍がいて、見覚えのある小柄な身体に縋ってオイオイ泣いていた。
「れい、む」
魔理沙が言うと、紫と藍ははっと顔を上げてこちらを見た。「ねぇ魔理沙、見て! 霊夢が帰ってきたのよ!」紫がそう言いながら、少し身体をどけて魔理沙に霊夢が見えるようにした。
そこにいたのは、手にサメみたいなヒレが生えた霊夢だった。
「霊夢」
「久しぶりね、魔理沙。なんとか虫にならずに済んだわ。変わりにちょっとだけクジラになっちゃったけど」
「う、うああ、れい、む」
「馬鹿ね、また泣くんだからこの子は。あんなに熱心に応援されたら、か、帰ってこないわけに、い、いかないじゃないのよ、う、うう」
「霊夢、霊夢……!」
「魔理沙、あぁ魔理沙……!」
霊夢と魔理沙はがっちりと抱擁し、人目はばからずにオイオイ泣いた。今度は少しビニールみたいな感触だった。
涙と鼻水塗れの顔をお互いにメチョメチョ密着させて泣いていると、紫と藍は泣き笑いしながらそっとしておいてくれた。
ピューッと、霊夢の頭に開いた穴から潮が噴き出てきて二人を濡らしたけれど、構いやしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
霊夢は結果的に虫にならなかったけど、変わりに身体の五十パーセントぐらいがマッコウクジラになっていた。なんでも、霊夢がもう精も根も尽き果てかけたとき、初代の巫女マンボウが現れて、自分の身体を刺身にして食べさせてくれたのだという。それが原因で変化途中の霊夢の体に遺伝子的変化が生じ、海洋生物であるマッコウクジラになったというわけだ。
もっと生きなさい。身体の半分を自分で刺身にしながらマンボウは言ったそうだ。あなたは虫でありながら、本当に多くの仲間を持った、そして今、虫として終わる自分の存在に疑問を持ち、運命を変えようと、仲間の下に帰ろうと、生まれてはじめての努力をしている、成長しましたね、博麗霊夢、そんなあなたには、私を食べる資格がある、さぁ食べなさい、赤身でも中トロでもなめろうでも、好きに食するといいわ……。
霊夢は食べた。初代の博麗の巫女の身体を飛びながら食べて命を繋ぎ、飲まず眠らずの一ヶ月を耐え切った。ただでさえ身体が薄い巫女マンボウは身体の右半分を綺麗に無くしても生きていて、少し泳ぎづらそうにしてはいたが元気だったそうだ。これからどこへ行くの? と霊夢が訊くと、巫女マンボウはヒレをパタパタとさせながら、西へ、とだけ言ったそうだ。無くした右半身を庇うようにして西の空へ消えてゆく初代様の姿は思わず濡れるほどカッコよかったと霊夢が言うと、紫は絶句しながらも頷いていた。かつて共に幻想郷を築いた無二の親友。魚となってもその心意気を失わなかった友の粋な計らいに、紫はただただ涙を流すばかりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔理沙と靈夢は今、縁側に座ってイカの燻製を肴に酒を飲んでいた。
やっぱり霊夢はマッコウクジラらしく、最近は砂糖水ではなくイカが美味しいんだとか。虫にならなくても霊夢の身体には様々な変化が起きていたが、どうやら遺伝子的に安定した今では、もう完全に虫になることも、完全にマッコウクジラになってしまうこともなくなったんだそうだ。霊夢は相変わらず、人間でも虫でも鯨でもない、よくわからない生物として生きることになった。
なぁに、心配は要らない。慣れているんだ、よくわからない生物として生きるのには。霊夢は人間でありながら、虫みたいに何にも興味がなくて、マンボウみたいに愛嬌があって、マッコウクジラみたいにかっこいい生き物なんだから。
あ、そうそう、この間、霊夢は風呂に入っていても十分ぐらいは息継ぎなしで潜っていられると喜んでいたんだっけ。魔理沙は後で一緒に風呂に入って確かめてみようと心に決めていたけれど、まだ実現してはいない。
コロコロ……とどこかから虫の声が聞こえる。鈴虫かコオロギか、それまでは魔理沙にはわからない。
「やっぱり、虫はなるんじゃなくて聴くほうに限るわよねぇ」
霊夢はやけに嬉しそうにしていながら、ヒレになった掌で器用にお猪口を傾けている。その横顔が可愛くて可愛くて、魔理沙は思わずほぅ、とため息をついた。
よし、決めた。この話を切り出すには今しかないだろう。
「なぁ霊夢」
「何よ魔理沙」
「……結婚しよう」
「嫌よ。何言ってるの」
それでも霊夢は真っ赤になり、つむじの辺りからピューッと潮を噴き出させた。面白い面白いと魔理沙が笑うと、霊夢はヒレになった手で魔理沙の頭をパカンと叩いた。スリッパで叩かれたような、気持ちのいい音だった。
「霊夢」
「潮噴くわよ」
「聞けよ」
「聞くわ」
「……戻ってきてくれて、ありがとうな」
「……何よ、今更ね。もうちょっと早く言ったらいいのに」
言いつつも、霊夢は照れくさそうだった。思わずえへへと顔を見合わせてから、魔理沙は「じゃあ代わりといっちゃ何だが」と呟いた。
「何よ」
「弾幕勝負しようかだぜ」
「乗った」
「よし、じゃあ決まりだ。驚け、今回の魔法は前に言ってた通り強力で……」
「ならば先手必勝! 喰らえ、『海符・タイダルウェイブ』!」
「うわ……ちょ、やめろって! こっちに向けて潮を噴くな潮を! 濡れる! やめろよこらぁ!」
博麗神社の縁側に、またあの喧騒が戻ってきていた。
了
と思いつつも、虫になるというアイディアと幻想的なイメージがベネだなぁ。
もう負けた、良いレイマリでした
あなたといい喚く氏といい、発想がななめうえなのにどうして最後まで書ききれるんだろうか。
そんな作風、私は好きですよ
でも良かったです。
物語の説得力ってハードウェアじゃなくて、やっぱソフトウェアなんだなと改めて認識した
にしてもゲソレイムの天敵になりそうな、新種のレイムだ
次は、ゲソレイムとマッコウレイムの深海アクションバトル物が読みたい
でも作中の雰囲気は暗いものとは思えず、最後まで楽しんで読めました。
いやしかしどこか腑に落ちないような不思議な物語だw
持ってけ100
初代様カッコイい。
面白い
いや、両方だろう
どうしても博麗神社の障子から漏れ出る光に吸い寄せられてしまって で噴いた
あとがきでさらにグラブドマイハート。
読みやすい
面白い
文章もしっかりしてる
感動した
でもやはりこの発想には疑問符しか思い浮かばないんだボブ
"感動"の前に謎の、を付けざるを得ないのが不思議です。
話しはおもしろいけど上記の理由でこの点数
これが常識にとらわれないという事なのか……
まるで冗談みたいな話なのに描かれ方がとってもうまかった!
こういう話、大好きです。
>>1
だぜがなければ魔理沙じゃないんだぜ。だぜナシ魔理沙なんて米抜き炒飯なんだぜ
>>6
先週ふと『鉄腕DASH!』観てたときに思いつきました。釜石市のマンボウは素早いですよ、泳ぐのが
>>10
喚く狂人さんは本当に凄い方です。あの方は私にも到底推し量れない想像力の持ち主です
>>12
ちなみにこの巫女クジラの名前は『ゲンソウハクレイノミコマッコウ』と言います。今考えました
>>22
異常じゃないですよ。本当にこの作中では霊夢は虫だったのです。人間が却って仮の姿みたいなもんです
>>29
初代の巫女様はおしとやかな女性、名前を忘れられた先代様はとんでもない暴力巫女だったような気がします
>>35
そこは泣くところです! ここを書いていたとき本当に具合悪くなってきて泣きそうになりましたよ。霊夢が不憫すぎて
>>36
今回のタイトルはいい思いつきだったと思います。私はタイトルにかなり迷うタイプなので今回即決できたのは珍しいです
>>42
ちなみに二代目の巫女様はフクロツチガキというキノコになってしまった、という設定でした
友情とレイマリに乾杯
一体、何がどうなってやがる。
どう考えても異様な事なのに当たり前のように思っている
霊夢たちの様子が何ともwww
ああ、そういえば、幻想郷にはこんな言葉が有りましたね
「幻想郷では、常識に捕らわれてはいけないのですね」
目が霞んでクリックする場所間違えただけなんだからね!
幸福な結末を迎えたカフカの『変身』
と言うのが第一の印象でした。
難しい題材を最後まで書き上げる、その確かな実力に敬意を表します。
ただ、やっぱり「だぜだぜ」言う魔理沙が馴染めないなあ。ここまで来たらシリアス一辺倒で押し切って欲しかった。我が侭な感想ですが。
潮吹き霊夢可愛い。
マジで