「た、たたた大変です、お嬢様!!」
とある紅魔館の昼下がり。白い外周テラスに備え付けられた日傘つきテーブルでレミリアが
外の自然の景色を楽しみながら、一人優雅に午後の紅茶を嗜んでいた所を。
そんな落ち着いた雰囲気を台無しにするように、館の中から慌しい足音がしてきたと思うと、
紅魔館の誇るパーフェクトメイド長──、十六夜咲夜が。普段の冷静さはどこにいったのか
ノックもなしにテラスへのドアを開けると何かを抱えたまま、こちらへと一目散に駆け寄ってきた。
「落ち着きなさい。咲夜。貴女らしくもない。完全で瀟洒な従者の名が泣くわよ。
何が起こったというの」
「い、いいから見てください! め、美鈴が! 美鈴がですね!!」
明らかに動揺したメイド長が自分の胸に抱えていた物を両手でこちらに差し出す。
「美鈴がちっちゃくなっちゃったんです!!」
・
・
・
────────────────────────────────────────────────
「──で?」
「で、じゃないですよ!? 何でそんな落ち着いていられるんですか!?
ほらちゃんと見てください、肌だってぷにっぷにのすべっすべで、本当に子供なんですよ!?」
こちらに差し出されたままきょとんとしていた3~4歳ぐらいの子供が、咲夜につんつんと頬を指で触られ、
やー、などといってむずがる。……ああ。よく見れば確かにあの門番の顔に似ているわ。
合うサイズがなかったのか、妖精メイド用の超SSサイズのメイド服(それでも余り気味)
なんか着せているから、いきなり見せられても最初は誰だかわからなかったわよ。
「いや、ぷにぷにのすべすべなら私もそうだし……。なんか言い方だけ聞いてると、
比較されて負けたような気がしてくるんだけど」
「細かいことはどうだっていいんです。重要なことじゃない。
お嬢様はこの子が可愛くないんですか!?」
再び、はい、と差し出された無垢な子供の目がこっちを見る。むう……。
確かに愛らしいし別段嫌いというわけではないが、もう相手が美鈴だとわかってはいるし
夜魔の女王、誇り高き吸血鬼の威厳をこちらから曲げる程ではないわよ。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、両脇を抱えられていた子供がぎゅっと目を瞑り
咲夜の方へ戻ろうとする。
涙目になった子供をそっと抱えると、咲夜は優しく頭を撫でた。
「咲夜おねーちゃん……。あの人、怖い……」
「平気、平気。怖くないわよ。あの方はね、ちょっと傲岸不遜で遠慮がなくて我侭で
全力でハンマー投げのように人を振り回す方だけど。その心の奥底はとっても
家族思いで暖かい、優しい方なんだから」
罵倒なんだか褒め言葉なんだか、紙一重すぎるわよ。咲夜。
─────────────────────────────────────────────
少し時間は流れて。
さっきまで自分が飲んでいた紅茶しかなかったテーブルの上には、山盛りのお菓子が積まれ
自分と反対側に座った咲夜の膝上では美鈴(小)が大きなドーナッツを頬張っていた。
たまに、食べかすなどを咲夜がナプキンで拭ってやっているが、美鈴(小)も咲夜には懐いているらしく
口元を拭う布の動きにも、安心してされるがままになっている。
……なんか、ねえ。主である私がちょっとないがしろになってるような気がするんだけど。
まあ、今回は咲夜の母性ど真ん中ストレートにストライクが入ってしまったのだろう。そう思っておこう。
「……それで。なんでこうなったか原因は不明。その子──美鈴は私達のことも覚えていない、と」
「…はい。私が見つけたときは一人で門の所で泣いていたもので。その時にはもう。
身に着けていた衣服──というより、くるまっていた衣服で彼女だということはすぐわかったのですが」
すまなそうな声で咲夜が応じる。
勿論、その時に自分の名前、場所、主人の名。改めて全部教えて、もう一度状況を知るべく聞いてみたのだが
帰って来るのはぐずる声ばかり。唯一覚えているのは──紅美鈴、という自分の名前のみ。
仕方がないので、自分は味方だ、と安心させ、抱き上げ館の中に連れ帰り、服を着せ替え──そして現在に
至るというわけだ。
「じゃあ、一応私の名前、咲夜の名前とかは知っているわけね」
「はい。子供の記憶力なので確かとは申せませんが……」
咲夜のトーンが下がったことに気づいたのか、それまでドーナツを食べることに夢中だった美鈴(小)が
その手を止め、テーブルに頬杖を突くこちらを上目遣いで見上げる。
「……レミリアお姉ちゃん?」
「イマイチ萌えないわね……」
「ありえない! それはありえない! それは例えお嬢様が相手でもぶっちゃけありえない!
今のだけで悶死するかと思ったぐらいなのに!?」
「いやね、咲夜。アナタは妹に憧れとか幻想とか持ってるんでしょうけど、実の妹を持つ身としてはね……。
妹はマスコットじゃないのよ。懐いていれば可愛いと簡単に思うでしょうけど、ちゃんとした一人の個人だもの。
生意気な事は言うし、言うことは聞かないし、こっち側の全くの善意を跳ね除けられることも多々ある。
世の妹を持っている人間に聞いて御覧なさい。3割は俺の妹に手を出したら殺す、というでしょうけど7割は
熨斗(のし)つけてやるから持っていけ、と言うわよ。実際に持ってかれそうになったら慌てて止めるでしょうけど」
事はそう簡単でもないのだ。まあ、今の美鈴が愛らしくないのか!と言われれば
また別の感想を返すことになるとは思うのだけれど。
それにこの子、妙に人見知りする割には気を許した相手にはとことん気を許してみたり。
気が弱そうに見えて、笑うときはぱあっと明るくなるような笑顔とか──思い返せば
まさに美鈴そのもので、咲夜はともかく自分にはイマイチそういう純粋な愛玩対象には
ならないっていうのが本音と言えば本音。
そんなやり取りを主従でしている間に、また新しい足音が物凄い勢いで館の中から近づいてくる。
──ドオォォン……。
そして轟音。
「お姉様! めーりんがちっちゃくなっちゃったって本当!?」
「……フラン。館の中は走るな、飛ぶなといつも言っているでしょう。それにドアは開けるものであって
壊す物ではないと前に教えた筈よ?」
「そんなことどうでもいいわ! わっ、本当だ! ちっちゃいめーりんだ! 可愛いーーー!!」
どうでもいいとか言われたよ。これだから。咲夜もそこはたしなめるところでしょう。
一緒に、ぷにぷにーとか可愛いーとか、ああもう。なんなのよう。
・
・
・
「えええ──!? めーりん、記憶がなくなっちゃったの!?」
「……はい、フランドール様。実は」
「や、やだよ! そんなのやだ! めーりんがいなくなっちゃうなんてやだ!」
いささか落ち着いた所で切り出された話に、案の定フランが爆発した。
……無理もない。面等見のいい美鈴には何かとよく懐いていたフランだ。それが自分のこともわからないとなれば──
感情の混乱は当たり前だろう。ましてやこの妹だ。
「落ち着きなさい、フラン」
「何で!? 何でお姉様はそんな平気なの!? めーりんが私達のこと覚えてないんだよ!?
私のことだって、いつもみたいに名前で呼んでくれないし……!
お姉様はめーりんが、私達の知ってるめーりんが、消えちゃってもいいっていうの!?
酷い! お姉様の冷血漢! 人でなし!! 薄情者!!」
「…………。私だって何も考えていないわけじゃないわ。戻す手は、ある」
色々な物を飲み込んで、まずは激昂したフランに水を差す。
「問題は、行き着く所──『どうしてこうなったのか』という事に尽きるわけよね。咲夜?」
「……はい。確証はありませんが、おそらく記憶の喪失はこの姿に引きずられての事だとは思います。
心と肉体は密接な関係を持ちますから。まずは原因を究明し、この子が元にもどる方法を考えてあげないと……」
「じゃあ、その元凶をやっつけて、この子が大きくなれば、まためーりんが戻ってくるのね!」
「…ええ。でもフラン。あなたは一つ大きな勘違いをしているわ。咲夜の言葉を信じるなら──いえ。
実際この目で見たのだから周りくどいことはやめましょう。この子もまた『美鈴』なのよ」
「────」
咲夜の膝の上の美鈴(小)が不安そうな顔で見回す。話の中身はわからなくとも、その雰囲気を感じ取ったのだろう。
「美鈴はいなくなったわけじゃないわ。ただ、今は姿形を変えているだけ。そしてこの姿の美鈴は、私達と
皆初対面なのよ。私のことは咲夜が名前を教えていたけど──あなたの名前を呼ばなかったのは
この子があなたの名前を知らなかったから。私は、初対面の人にはどうするって教えていたかしら?」
「……挨拶」
「そうよ。ならばそうしなさい」
今度はフランドールが色々なものを飲み込む番だった。目の辺りを袖で一回ぐしっと拭うと近寄り
咲夜の膝に抱かれた美鈴(小)に目を合わせる。
「……初め、まして。フランドール・スカーレットです」
「…ほん、めいりんです」
「…………」
「…………」
「あの、あのね、めーり──」
「……フランドール、お姉ちゃん?」
その時。私は自分の妹がどんな表情をしていたのか。上手く形容し辛い。
泣いたような、笑ったような、嬉しいような、寂しいような。そんな全ての感情がごちゃ混ぜになった顔。
「……違うの?」
「う、ううん! それでいいの!! も、もう一度言ってくれる?」
「フランドールお姉ちゃん」
「────────っ」
「わ、わわっ」
抱擁。でもそれは、ただ何かを壊すだけだった彼女の今までとは違い、優しく、慈しむように
雛鳥を守ろうとするように、包み込む。
「──大丈夫。めーりんは、私がきっと元に戻してあげる。
あ、で、でも今のめーりんが嫌いってわけじゃないよ!! 今のめーりんも大好きだよ!」
「うんっ」
お守役を取られてしまった咲夜が、これでよろしかったのですね、というように目配せを送ってくる。
それを、あえて気が付かないフリを通していると──全てを承知した完全で瀟洒なメイド長は
それで話を切り替えてくれた。
「では今後についてですが。原因を探り解明を目指すと共に、この子は紅魔館がその総力を
持って力の限り保護する、ということでよろしいですか?」
「……。なんかその子、元が美鈴だし、放っておいても別に大丈夫そうな気はするけどねぇ。
裏山に放したら放したで、勝手に虎とか熊とか手なづけてお山の大将になってそうな気もす」
「──本気ですか、お嬢様!? まさか、こんないたいけな子を冷たい外へ放り出そうと!?」
「見損なったわ、お姉様!!」
「き、気がするだけよ! 勿論、美鈴は紅魔館が面倒を見るに決まってるじゃない!?」
もともとそんな気はないが、万一拒否などしよう日には『お世話になりましたっ!』と
即座に0.1秒で書き上げられた辞表を顔面に叩きつけて出て行きそうな咲夜と、
すわ御家騒動の時か、と意気込むフランドールの剣幕に、会話を楽しむ余地すらなかった。
なんだこの結束力。
「そうと決まれば、早急にこの子の部屋を用意してあげなくてはいけませんね──あら?」
それまでの会話の中でも静かだった美鈴(小)が眠そうな声を出して目の辺りを擦る。
「あぅ……(ごしごし)」
「めーりん? どうしたの?」
「お腹がいっぱいになったところで、難しい話が続いたから眠くなっちゃったんですね。
では、私は急いで新しい部屋の支度をして参ります。お嬢様、申し訳ありませんがしばらく
この子のことをお願いできますか?」
「へ? え?」
「あ、待ってよ咲夜! 私も行くー!」
先ほど盛大にブチ抜かれ、随分と風通しのよくなった扉から館の中へ、咲夜に続いてフランドールが駆けて行く。
……前言撤回。咲夜のヤツ、どこが瀟洒だ。浮つきまくりじゃないの。大体、美鈴の部屋が残ってるんだから
新しい部屋も何もそこを使えばいいのだ。
勝手にとはいえ世話を任された手前、放っておくのもなんだったので一人取り残された美鈴(小)の肩に手を回し、
後ろからこちらにそっと抱き寄せてやる。
本当にどいつもこいつも。しっちゃかめっちゃかで。
楽しそうでなによりじゃあないか。
────ただ、レミリアには一つ懸念がある。
それは、つい先ほど見えた運命の片鱗。
これがどういう結末を迎えるにせよ、それは──自分にとって、まず愉快な結果にはならないだろう、という事。
ふと、美鈴(小)の見上げる目と目が合う。どうも自分は多分に険しい顔をしていたらしい。
不安そうな彼女の頭に手を乗せると苦笑交じりに、くしゃくしゃとかき回してやる。
最初嫌がる素振りは見せたが、どうもそういう頭を撫でてもらう行為自体は嫌いではないようだ。
「大丈夫よ。あなたは何も悪くないのだから」
分水嶺はおそらくさっきの咲夜の問い。それで運命の大筋は定まってしまった。
多大な労力をかければ今からの干渉もできるかもしれないが、そんなものは今更だ。
さあ、迎えるのは逃れられぬ運命。ならば、これから自分はどうするのか。
──決まっている。そうと分かればその運命を楽しんで楽しみ抜いて、一番いい席で踊ってやるのだ。
・
・
・
────────────────────────────────────────────────
「状況を整理いたします。あれから美鈴がこのような仕儀になった原因を推測し
彼女に危害を加えることができる程の実力と、幼児化という奇天烈な現象を可能にする人物というのを
考慮するならば──大きく分けて3つの可能性──犯人像が考えられます。
一人は、八雲 紫。
一人は、八意 永琳。
一人は、八坂 神奈子。
どれも通称八八八(BABAA)連合の一角ですわ」
──八八八連合。どいつもこいつも年齢の桁を数えるのが厄介な程の連中の癖に
年に相応しい常識を遠い彼方に置き忘れてきた迷惑極まりない輩の総称である。
「……まず、筆頭で怪しいのは八雲紫ですが、ご存知の通り神出鬼没。その居場所を確認することも
並の者では難しく、手がかりを掴めないのが現状です。次に八意永琳ですが──彼女の場合、可能性は全員の中で
一番低いと言っていいでしょう。
まず直接美鈴と接点がないというのが第一のネックで、また状態異常を起こすには薬を使うという点が
ハードルを上げています。まさかに美鈴が望んで実験台になったとは考えられず、逆にわざわざ美鈴を実験台に
指名せずとも、向こうには便利なモル……弟子のウサギ共がいることが理由です。
とはいえ、自称天才の奴らに行動規範を求めること自体が無意味なので、線が完全に捨て切れたわけではありません。
最後に八坂神奈子ですが──昨日、守矢神社を強襲し、留守を預かっていた風祝に『根気よく』『懇切丁寧に』
『心からの気持ち』で情報協力を願った所、
(「ごめんなさいごめんなさい最近神奈子様も諏訪子様もどっかいってロクに帰って来ないんです
本当です私は何も知りませんいやナイフもロードローラーもURYYYYもどれもお好みじゃないですから
そういうのいらないからマジ勘弁して下さいそれ以上いけない!」)
──との事で、大した情報は得られませんでした。尚、逆恨みの件に関しては「十六夜咲夜、この件には命を張る」と
キッチリ伝え置きましたので、どうぞご心配なきよう。
隠れて何かを画策しているようなのではありますが、その細部までは探ることはできませんでした。
美鈴が偶然それを気づくなり目撃し、口封じ──という可能性も考えられなくはありません。
相手が神族だけに単純な予想をしかねます」
「ご苦労だったわ。咲夜。つまり一番怪しい八雲紫は所在不明。八意永琳は所在もわかっているが線は薄いし
証拠も無い。八坂神奈子も劣らず怪しいが、こちらも所在不明──と。まさに八方塞りね。どうしたものかしら」
「……地味ではありますが、根気よくその足跡の痕跡を辿るしかないかと。一刻も早く美鈴を戻してやりたいのは
やまやまなのですが」
「その美鈴だけど。どうやら館の者達に、凄い人気なそうじゃない」
そうなのだった。
美鈴が幼児化し、外の勤務から外れる──そう話が広まった時には血相を変えた外勤の警備隊の面々が
あろうことかレミリアの部屋にまで乗り込んできたのは、実に意外な出来事だった。
それだけ美鈴は普段からあの連中共にまで信頼され、慕われているということなのだろうか。
美鈴(小)も、小さくなっても美鈴そのままらしく、じっとしているのができない性質で
寸直しして貰ったメイド服に、ちょこんとヘッドドレスを頭にのっけ、咲夜や内勤の者達の後について
掃除や片付けの手伝いなどをしようとしている様は、それまで余り接点のなかった内勤のメイド達の心まで鷲掴みにした。
やーん、可愛いー。プリンいるー?ババロア食べるー?などとおやつで釣ろうとする妖精メイド達のケツを
何度蹴り飛ばしたことか、咲夜にとっては思い出すのも難しい。
「最近はよくフランドール様と一緒にいるようですよ」
「……大丈夫なの? あの子、遊びの加減が解らずに、弾みで『壊し』ちゃったりしないかしら」
「ええ。心配はありませんわ。いざと言う時のために私が常に影から見守っておりますから。
それに遊び……とは厳密にはまたちょっと違うようで」
……平然と職務放棄し、背後霊宣言するメイド長。いいのか。それで。
まあ今はいいんだけどさ……。
・
・
・
小さい美鈴がようやく館の人間にも少しづつ慣れてきた頃──お昼の食事を取ってしばらくした後
秘密の「探検」と称して紅魔館の中を回る2人組の姿が、日課のようによく見かけられるようになった。
「──それで、あっちの階段を登ると時計台。こっちの廊下を向こうに行くと、この前お姉様たちと会った
テラスに行くんだよ。逆に階段を下りるとキッチンに繋がる廊下とエントランスホールに行く道があるの」
勿論小さくなった美鈴と、その自分より幼い手を引いたフランドールの姿だ。
タダでさえ広い紅魔館である。自分の何倍もある天井や、広間にしか見えない未使用の部屋、行き交うメイド達。
たまに『ねえねえ、お姉さん達と遊ぶ? 大丈夫よ、少しぐらいサボってたって──ひぃぃっメイド長!?』などと
奇声を上げて意味不明に目の前で消失する輩もいたが、2度目から先は面白いアトラクションみたいな物である。
それに、手を引いて先導するフランドールは館の中を流石に熟知しており、当主の妹ということもあって
どこもフリーパスそのもの。入れない所というものもない。
滅多に館の者が踏み入ることが出来ないという、深い森のように本棚が連なる図書館でさえ簡単に訪れることが可能で、
そこの主である魔女や優しそうな司書風の従者からクッキーと紅茶の歓待を受けることもできた。
まるで迷宮のお城のようなその作りは、子供になった美鈴の目には輝いて見えた。
「すごい!! このおやしき、ぜんぶおぼえてるの!?」
「そりゃ自分のお家だもの! でも、前からめーりんのお家でもあるんだよ。
あのエントランスを抜けてね、外に出ると広ーい綺麗な庭があって、その向こうに大きな正門があるの。
……どう? 何か思い出した?」
「…………ごめんなさい。それは、まだ」
記憶を失ってしまったらしい、ということはもう理解していたが、子供になってしまった美鈴自身
それ以上、どうすることができるわけでもない。
しょんぼりしてしまった美鈴を気遣うように大きく手を振ってみせるフラン。
「あ、いいのいいの! めーりんはめーりんだもの! …うん、お姉様の言うとおりだよね。
大丈夫大丈夫。時間はたっぷりあるんだし。今のめーりんだって私は大好きなんだから。
そうだ、さっき咲夜がキッチンでおやつ作ってたの。一緒に食べようよ」
「うんっ」
だからこそ。
そう言って手を引いてくれるフランの手が、幼い美鈴にとっては何よりも心強かった。
「……あ、あのね、フランドールお姉ちゃん」
「ん? どうしたの?」
「私もフランドールお姉ちゃんが大好きっ」
「へへ……えへへへ……」
・
・
・
「この前はフランドール様が、私の目を盗んだつもりで2人分のおやつを持ち出すと、
あの子と同じ部屋で仲良く食べていましたわ」
「……それは、それは」
「それを受け取ったあの子が、自分のおやつを半分フランドール様に差しあげて。
フランドール様も御自分の分を、半分交換して分け合って。
あんな楽しそうなフランドール様、初めて見ましたわ。まるで──あ」
そこで、己が失言しかけていたことに気づいたのだろう。慌てて謝る咲夜。
「──申し訳ありません、お嬢様」
「いいのよ。そんなことで謝らないで頂戴」
「…はい」
まるで──『姉妹のよう』。
そう続く筈だったのだろう。……わかっている。
フランドールとおやつを分け合ったのはいつ以来だろうか。もう思い出すこともできない。
胸の中に一抹の寂しさがよぎる。が、それを耐える術は当主としての、この500年の中で身に着けてきていた。
全ては夢。全ては一瞬の幻。
それに──何事にも終わりは来る。変化は訪れる。
私はそれを知っている。
知っているのだ。
・
・
・
──────────────────────────────────────
そして、その終わりは────唐突に訪れた。
「いたっ」
あれから、ロクな手がかりも解決法も得られないまま異変の開始から二週間が経とうとした頃。
美鈴が洩らしたその一言。
最初は小さくなっても芯の強い彼女のことだ。
自分の身体に異変が起きたとしても、周りに迷惑をかけまいと我慢していたのであろう。
それはいつ頃から身体に表れていたのだろうか。
一度堰が切れた時には──もう美鈴は誰の目にもわかるぐらい真っ青な顔だった。
「いたい……からだが、いたいよ……」
「めーりん!? しっかりして、めーりん! どうして、こんなになるまで黙ってたの!?」
「みんなに、しんぱい、かけるとおもって……」
「ば────馬鹿ッ!! めーりんの馬鹿ッ!! それじゃダメなの!!
我慢するのはエライかもしれないけど、立派かもしれないけど──それじゃ誰も気づいてくれないんだから!
一人で黙ってるだけじゃ、誰も痛がってることすら分かってくれやしないんだから……!!」
「ご、ごめんなさい……」
「──ううん。こっちこそごめん……偉そうに怒鳴ったりして。
安心して。平気。きっと平気。絶対になんとかしてあげるから────」
真っ先に異変に気づいたフランドールが、文字通り狂乱する勢いで部屋へと連れ帰る。
それを追いかけるように知った咲夜が瞬時に準備を整え、美鈴の部屋はあっという間に集中治療室と化した。
知らせをききつけ、即座にレミリアも、パチュリーも図書館から自前の薬をかき集めて駆けつける。
容態は秒を追うように悪化。その夜には面会謝絶の札がドアにかかった。
・
・
・
────────────────────────────────────────────
屈みこんで、持ち込んだ薬を投与していたパチュリーが離れる。
ベッドの上には最早、言葉を返すだけの力もなく身体を襲う痛みに苦しむ美鈴の姿。
その顔が僅かではあるが、薬によってか幾分柔らかくなった気もする。
「パチェ、どうなの!? めーりんは、めーりんは大丈夫だよね!?」
「落ち着いて、妹様。さっき、私の持つ中で最高の霊薬を与えたわ」
「良かった、それじゃ、このまま……」
「──でも、隠さずに言うと状況は厳しいわ。効き目が出ているとは思えない」
「そんな!? だって、美鈴さっきまであんなに痛がってたのに──今は落ち着いて来てるじゃない!?」
「今投与したのは痛み止めと軽い睡眠薬よ。根本的な解決にはなっていない」
「じゃ、じゃあもっと効果のある薬を──」
「言ったでしょう。私の持てる中での『最高』の霊薬を与えたと。例え他の魔法使い──魔理沙やアリスの所に
薬を捜し求めても、断言できる。これ以上の物はないわ」
それは人の及ばぬ膨大な知識と錬金の経験に裏打ちされた魔女の言葉。
だが、そこにある唇を噛む顔は自負とは程遠い。それがわかるだけに──フランドールもそれ以上の追求はできず
下を向く。
パチュリーはそれから一度図書館に戻る旨を伝え、部屋を辞した。
後には、レミリア、フラン、咲夜、そして──幼い美鈴の4人だけが残される。
部屋に掛けられた時計の針の音だけが命のカウントダウンのように無機質に響く。
重たい沈黙が部屋に漂う。
もし。魔女でも及ばぬこの状況を打破し。美鈴を治療し、助けることが出来る所があるとするならば──
「────永遠亭」
この世の万病を治し、あらゆる薬を作ると言う稀代の薬師──八意永琳がいる場所。
誰かがつぶやいたその言葉に、全員が反応する。最初に口を開いたのは咲夜だった。
「……ですが、危険です。まだこれが完全に八意永琳の仕業ではないと決まったわけではない。
むしろ、これが本当のワナでこちらから美鈴を連れていくのが真の狙い──そういうことも考えられます。
もしそうなら──向かった先には何が待ち構えていてもおかしくありません」
それは誰にも共通する疑いだった。ただ単に咲夜が口火を切っただけで、全員の胸に
僅かとはいえその思いがあったのは確かなことだろう。
だが──それを打ち破ったのは、やはりフランドールだった。
「……でも、他に方法はないんでしょう。
このまま、何もしないでめーりんがいなくなっちゃうなんて、絶対にやだ。やだよ。
めーりん、私のこと大好きっていってくれた。私もめーりんのことが大好き。みんなもそうでしょ?
ねえ、そうでしょう、咲夜、お姉様!? だったら行こうよ!
危険なんかどうだっていい! 私達がめーりんを助けに行くんだ!!」
──それは。
たった5歳しか違わぬ妹の。狂気といわれ、隔離を余儀なくされ、
たった一人の世界しか与えられなかったその妹の。
鼻水で、涙でべとべとになって、支離滅裂にもなりかけたその言葉に。
自分以外の誰もが気づかぬかもしれないその言葉に。どれだけの変化が篭められていたのか。
だから、その決意を聞いたのであれば尚更。自分の答えなどとうに決まりきっていた。
「……ええ。その通りよ、フラン。美鈴は私達、紅魔館の大切な家族。
ならば『私達』で助けに行きましょう。
構わないわ。数がいるなら蹴散らすまで。罠があるなら食い破るまで。
駄々をこねるなら言うことを聞かせるまでよ。
何か言うことは──咲夜?」
「御座いません。強いて言うなら──お供させて頂きます。その先陣を」
方針は決まった。
まだ浅い眠りの中でも、苦痛に身をよじる美鈴をそっと大きな掛け布で包み、咲夜が抱える。
「ついてきてくれるわね──フラン?」
「当たり前よ。そんなの言うまでもないわ。私だって──外に出る」
自分と、顔を拭いたフランドールが先頭を並んで進み、すぐ後ろに美鈴を抱いた咲夜がつく。
長い廊下を抜け、煌々たる上方のシャンデリアに照らされたエントランスホールへと差し掛かったその時──
「────待って」
その声が掛かる。見れば。その入り口の大扉の前には図書館に戻っていたはずのパチュリーと、なにやら
はちきれる程一杯に詰め込んだリュックを背負った小悪魔の姿。
「……パチェ、あなた」
「こうなるんじゃないかと思ってたわ。私には何も言わずに行こうとするなんて。水臭いんじゃない?
大丈夫、小悪魔のリュックには喘息の薬を山ほど入れてあるわ。今夜は強制的に調子がいいわよ」
正直、元々の戦闘派ではないパチュリーには、今夜は辛い道行になる。ましてや重い喘息の持病もちだ。
でも、その好意をどうして断れようか。久方ぶりに決意に満ちた、親友の顔を前に断ることなどできようか。
何と答えるか知らずうちに迷い、うまく言葉を探し──辛うじてたった一言をつむぎだす。
「……ありがとう」
「いいわ、いい言よ。レミィ。これで『すまない』とでも言おうものなら大激怒の所よ。
美鈴が私達の家族というならば、これも私の戦い。ならば私が出るのは道理だわ。
咲夜、美鈴のことは小悪魔に任せて頂戴。貴女だって戦闘に参加するのでしょう?」
「──はい」
危なげない手つきで掛け布に包まれた美鈴を受け取る小悪魔。
一人の幼い姫君のために立ち上がった、この5人の騎士は正に万夫不当。今や恐れるものは何もない。
さあ、これで戦闘準備は完全に整った。
後は自分が外へと繋がるこの扉を開くだけ。
「では、行きましょう────」
・
・
・
息を呑んだ。
扉を開けたその向こう、静謐な夜が広がるその前庭には────内勤、外勤、勤番、非番問わず、
紅魔館に勤めるメイド達が整然と列をなして待っていた。その数──実に300人になろうか。
最前列にはいつぞや部屋に乗り込んできた警備隊の面々も見える。
一片の私語もなく。乱れもなく。全員がその正装を纏い、こちらを見つめている。
「──あなたたち」
咲夜が思わず言葉を詰まらせる。次いで、おそらくその仕掛け人であろうパチュリーの方を見る。
「私はちゃんと説明したわよ。どういう状況でこういう風になっているのか。
もし、私達と共に行くのならば身の安全はおろか、命の保障すらできないと。『誰も残らなかった』わ」
肩を竦めてそんな事を言うパチュリーの言葉も耳には入らない。
こみ上げて来る物がある。彼女らの強烈なまでの心意気に自分は何を返せばいいのか。
感謝か? 違う。未だ小悪魔の腕の中で苦しむ、一人の幼子のために集まった勇壮の士達は
そんなものなど求めてなどはいない。
待っているのだ。自分の下知を。自分のたった一言の号令を。
ならば、それに応えよう。紅魔館当主、レミリア・スカーレットとして。
「出陣じゃあああ!!」
──ォォオオオオオオオオッッ!!
静寂が支配していた深夜の湖畔に、大気を震わす程の鬨の声が響き渡った。
・
・
・
──────────────────────────────────────
その日。300と5人は夜を止める────
「……何よー。こんな夜遅くに何の騒ぎぃ……?」
「あ、姫様──ご就寝中の所、起こしてしまいましたか。申し訳ありません。
どこからかの敵襲のようです。一応、どうやら月の民からではなさそうなのですが……。
偵察隊は先ほど出発させました。──うどんげ、うどんげ、聞こえる? 状況は?」
『──確認しました! 敵は「妖精」! 妖精メイドです! その数……さ、三百ぅ!?
先頭にいるのは……うわあ、あの永夜の時の鬼のメイド長じゃないのよ!?
こ、こうなったらアンタだけでも私の狂気で────って、この人最初ッから目が紅いよっ!?
攻撃きかない!ききにくい! 助けて、師匠──! シッショー!?』
ザー、ザー、ザー、ザー……
「……全滅かしらね」
「そのようです……」
やがて。
……ダダダ、ダダダダダ、ダアアアアン!!
物凄い勢いで家屋を走破する複数の音。そして文字通り轟音と共に自分達のいる部屋の障子が
力任せに左右に吹っ飛ばされ、そのまま残骸と化した。擦過の余りに立ち昇ったその煙の向こうに現れたのは──
「やっぱり貴女か、吸血鬼の」
「──八意永琳。例えイヤだと言おうが、眠いと言おうが、何があっても診てもらうわよ──この子を」
──────────────────────────────────────
「──────成長痛ね」
『はあ!?』
真夜中の突然の闖入者共に対しては、親切すぎると言っていい程の検診の後──八意永琳が下した
断定的な結論に、フランドールを除くその場にいた全員の声が唱和した。
「そちらの妹さんにも解るように言うと、これから身体が成長しようという時に起こる、関節やその周りの
部分に痛みが走る現象よ。どんな万能の霊薬も効き目がないわけだわ。だって厳密には病気じゃないもの」
「……それにしては、痛みの症状が強すぎるのではないですか?」
咲夜のもっともな問いに、弟子がどこかで伸びているために自分で検診の道具をしまいながら永琳が律儀に返す。
「その速度が急激すぎるのよ。成長と言うよりは何らかの力で押さえつけられていた状態が
タイムリミットで元に戻ろうとしている感じかしら。子供の身体では肉体的にもキツい物があったかもしれない。
その点、そちらのマスク・ド・喘息さんの取った処置はそれなりに適切な部類だったわね」
「人をプロレスラーの名前みたいにカシュー言わないでくれるカシュー」
喘息患者ご用達の小型ボンベを口に当て、病人にも負けず劣らずの青息吐息になりながらも、
視線は一歩も退かずに応対するパチュリー。傍から見れば壮絶な絵ではあるが、様になっているのが流石である。
「……今更だけど。八意永琳。貴女が今回の犯人、ではない──その認識で間違いないのね?」
「ええ。吸血鬼の御当主さん。私の姫様の名前と名誉にかけてもいいわ。私は一切の行動も協力もしていない。
第一、私から見ればほとんどの者は赤ん坊みたいなものよ。今更、手間をかけてそんなことをするぐらいなら
まだ『生える』薬でも研究していた方が建設的だわ」
それこそくだらない、というようにハン、と笑う永琳。生えるってナニを生やそうというのか。いや、聞かないけど。
「それじゃ本当の犯人は──いえ、さっき気になることを言ったわね。『元に戻る』と。それは──」
「言葉の通りよ。この子は、成長──いや、本来の姿に戻りつつあるの。よく見て御覧なさい」
『────あ』
医務室のベッドに寝かされた美鈴。呼吸もいささか落ち着いたその身体は、今はいつの間にか7歳ぐらいの
容姿になっていた。
「下手に夜を止めていたから、解らなかったかしら?」
「本当に──それじゃ」
「安心していいわ。彼女は急速に元に戻りつつ──治りつつある。
この分でいけば、明日の午後ぐらいには元通りの姿になるでしょう。元の記憶もその頃には回復すると思うわ」
「……よかっ、たあああ…………!」
張り詰めていた気が抜けたのかフランドールが安堵の声と共に、床にぺたりと座り込む。
それを咎める気はなかった。おそらく誰よりも美鈴の事を心配していたのは、他でもないフランドールだったのだろうから。
・
・
・
「──さて。これで一件落着、という所かしら?」
それまで、口を挟むことなく事態の推移を見守っていた輝夜が、部屋の雰囲気を切り替えるように
穏やかな顔でぽんぽんと手を鳴らす。
実際、それで部屋の空気が変わったのも事実だ。こういうところはやはりこいつも当主なのだな、と
妙に感心する。
「ええ。大体の所は。……最後に二つほど質問とその意見を聞きたい、八意永琳」
「ここまできたら同じことよ。何なりとどうぞ」
「ではまず一つ。先ほど『タイムリミット』と言ったのは、この犯人は、最初からこの短期間で元に戻す意思が
あったと考えていいのだろうか?」
「おそらくは、ね。心にも身体にもさほど影響の残らない期間に設定してたのではないかしら。それでもあなた達は
こうして血相変えて乗り込んできたわけだけど。この回復速度の度合いを考えればむしろ、それも予測の範疇と
いった節もあるわ」
「2つ目。医療の専門家の目から見て、この現象は外的な憑依の線はあるか? また今後再発の可能性は?」
「答えは『ノー』ね。単なる動物的な霊や呪いの類が原因であるならば、最初に与えたという霊薬の時点で
生半可な悪霊や雑念なんかは消え去っているわ。もしそれを越えるような強力な融合であった場合は、こうやって
時間切れで元に戻ることがありえない。どちらかというと構造的には、内部を無理矢理弄ったのを外からの力の枠組みで
強引に押さえていた、という感じじゃないかしら。それが時間がきたので、ボン。と。言ってみれば一回限りの
使い捨ての『術』ね。
だから再発に関しては余り心配しなくていいと思うわよ。身体の痛みに関しては──強めの鎮痛剤でも
出しておきましょうか。本来、子供には余り薬をつかいたくはないんだけど。まあ、元が彼女だし心配はないでしょう」
「……感謝する、参考になった」
頭の中で思考が組まれていく。
導き出される結論は──ロクでもないが、ある種の確信性を持った一つの答え。
「それで、これからどうするつもり? なんだったらこの子、明日までここで預かってもいいのだけれど」
「気持ちだけ有難く受け取ろう。だが、この子は私達の家族。ならばできる限り家族で看てやるのが筋というものでしょう。
それにもし元凶が、美鈴が元に戻る期間を知っていたというのであれば。逆にわかっていることがある。
犯人は──必ず自分の成果を確かめに現場へとやってくる。自分の力に余程の自信を持っているのなら、尚更」
「ああ、なるほど」
さて。これで大体の事はケリがついた。
聞くべきことは聞き、考えるべきことは定まった。後はそれを実行に移すだけ。
「……邪魔をしたな。この夜更けに大勢で押しかけた非礼は詫びよう、竹取の姫。月の薬師。
この礼は、後日必ず」
「いいわよ別に。そんなの面倒くさい。貴女の武勇伝一つでお釣りが来るわ」
「まあ、そうね。その点に関しては私も姫様に同意だわ」
「そういうわけにもいかないだろう。後で咲夜に何か見繕わせることにするよ。
──それではまた、いずれ」
それぞれ、礼を述べるとそろそろ部屋を辞することにする。
やや大きくなった美鈴は、帰路は咲夜がおぶって帰ることになった。
自分に続き全員が部屋を出て行こうとしたとき、その最後尾にいたパチュリーを永琳が呼び止める。
「こちらも一つだけいいかしら。そこのマスク・ド・喘息さん」
「だからその名前で呼ぶなと」
「私には大体わかるのだけど。あなたが最初に投与したという霊薬。──その価値を知る者が今回の事を知ったら
全員卒倒した挙句、口から魂を飛ばすのではないかしら?」
「……何を言うかと思えば。私はあの時、ただそれが必要と思ったから与えただけよ。
絶対に助けたい者を前に、薬を使うかどうかを天秤にかけて、万一手遅れになるような真似をするヤツは、
薬を作る匙をへし折るといいわ。
知識と同じよ。知識は実践されてこそ。薬は使うべき時に使われてこそ意味がある。そうでなければ宝石箱に
詰め込んだまま、開かずの金庫に放り込まれた鉱物と何ら変わりはない。
──今回の件で私が得た教訓はただ一つ。
今度新しい霊薬を作るときは、万病を癒す上に成長痛にも効く薬を作るわ。それだけよ」
え、あの薬そんな高いものだったの!? と驚くフランドールに
「それだけ御自分にとっても美鈴さんが大事な人だった、ということですよ。ご自分の喘息にも使わなかったのに。
パチュリー様は素直じゃない方ですからカシュー!?」
余計な事を口走った小悪魔がめでたく2代目マスク・ド・喘息を襲名する。
遊ぶのはいいけど、後で具合が悪くなっても知らないわよ。
隣を歩くフランドールはしきりに咲夜の背中の美鈴を気にしていたが、その目がふとこっちと合う。
共に何かを成し遂げた者達が持つ奇妙な充足感。僅かに、はにかむようなその笑みを見て
よくやった、と頭を撫でてやろうかと手を伸ばしかけ──結局やめた。
そんなことをしなくても。この子が、私の自慢の妹になったことは確かだったのだから。
「さあ! みんな帰るわよ! 私達の紅魔館へ!!」
──────────────────────────────────────────
「た、ただいま帰りましたぁ~……。あの暴風どもはどうなりましたか……?」
「遅かったじゃないの、うどんげ。あいつらならもう、散々やることだけやってとっくに帰った後よ」
「うう、面目ない。……って、され放題された割にはなんか嬉しそうですね、師匠。
何かいいことでもあったんですか?」
「そうね。2つほど。一つは私の薬学に対する姿勢を改めて確認することができたことと。
もう一つは──どうしようもなく無様な醜態を晒した弟子が、お詫びとしてこれからの実験に
快くたっぷりと協力してくれるということかしらね?」
「そ、そんなあ~~…………」
──────────────────────────────────────────
・
・
・
夜が明けて行く。
集まったメイド達も館に帰った後は解散し、今は全員通常業務に復帰している。
今回、影の功労者であったパチュリーは紅魔館にたどり着くと再び元祖マスク・ド・喘息を
襲名しなおし、そのまま小悪魔によって図書館にある自分の部屋へと運ばれていった。
毎度毎度のことなのでもう別段驚きもしないが、心の中で今夜のことについては改めて感謝の念を送っておく。
永遠亭で貰ってきた薬を服用させた美鈴は、容態も安定し、今は長い眠りに落ちている。
その看護はたっての希望で、フランドールが一人で受け持つことになった。
とはいえ、汗を拭いたりタオルを取り替えたり、といった軽いものだ。そう難しい作業ではない。
そういうわけで自分と咲夜は二人、部屋のすぐ外の廊下で警備と言う名の、何かあったときのための待機中である。
左右にドアを挟むようにして分かれた主従。壁に背中を預け、正面を見つめたまま呟く。
「犯人は割れたわね、咲夜」
「はい」
「ならば、私達が何をすべきかわかっているわね?」
「はっ、無論です」
・
・
・
そして時刻はぐるりとその短針を回転させ────朝を越え、昼を過ぎて、日が角度を変え始めた頃──
ついに、美鈴が元の成長した姿で目を覚ました。
途中、席を外していた咲夜やパチュリーなども知らせを受けて駆けつけてくる。
「ここ、は…………?」
「めーりん、めーりん!! 気が付いたの!? 私が誰だかわかる!?」
「フランドール…様、じゃないですか。どうしたんです、そんな顔をして……」
「──────。──ぇっ、うぇぇ、ぇぇっ……。──り、めーりぃん……うぇぇぇぇ……っ」
「ああ、ほら……泣かないで下さいよ、大丈夫、大丈夫ですから……」
「────美鈴!!」
「ああ、咲夜さん……。私…倒れちゃったんですかね。ごめんなさい、みんなに心配をおかけしてしまって……。
ってうわわっ、顔、顔、近いですよ!? 額と額って、そんな大袈裟なっ」
「熱は──今の所、もうないみたいね。こんなものが大袈裟だったら、昨日は驚天動地の類よ。
心配をかけたなどというレベルではなかったのだから。以後、そういう発言は今日は一切禁止します。
ここまできたら心配されて心配されて、され倒すがいいわ。フランドール様なんて、昨日の夜から
ずっとあなたの事を看ていてくれたのだから」
「そうだったんですか……。ごめ……ううん、ありがとうございます。フランドールお嬢様……」
「──ううん、ううん……」
「……で、あなたはあの輪の中に混ざりにいかなくていいの、レミィ」
「……そっくりそのままお返しするわ。素直じゃないわね、パチェ」
「私はただ妹様の邪魔をしたくないだけよ。今回、一番頑張ったのは妹様だもの。
今ぐらい美鈴を独占したって誰も文句は言わないわカシュー」
「………………。すっごく気が抜けるんだけど、それ」
「必要に迫られているだけよ。それよりあなたはどうなのよ、レミィ」
「私だって似たようなものよ。今ぐらいフランが、美鈴を独占したって……まあ、当分文句は言わないわ」
「へえ。ほーう。そっちの順番でいいのかしら」
「……なによ」
「なにかよカシュー」
「むう」
・
・
・
夕方もそろそろ終わろうか、という頃には美鈴はすっかり元気を取り戻していた。
「いや、大分寝ちゃったみたいで身体の調子も、いつもよりいい気分です。このまま勤務にいけと言われても
大丈夫ですよ」
「本当に人の気も知らないで……。あ、お嬢様──」
「すっかり元通り、かしら? 美鈴」
「はい、色々とご迷惑をおかけしました。ですが、もう紅美鈴、完全復活ですよ! ……正直、寝すぎると
返って落ち着かないというか。そろそろ起きてみたいんですが、そうすると咲夜さんが怖い顔するんですよぅ」
「もう少し寝せておこうかと思ったけど、本人がいうなら──まあいいかしらね。リハビリがてら
外の散歩につきあいなさい。服は咲夜がいつものをそこに用意してあるわ」
「さっすがお嬢様、話がわかるっ」
──────────────────────────────────────────
陽も落ちかけた前庭。一応の日傘を差した散歩ではあるが、それも半分は気分のようなものだ。
とはいえ、外はまだまだその明るさを残す。完全な夜の世界が来るにはもう少し時間がかかるだろう。
まだ昨日の疲れが残るパチェは見舞いの言葉を掛けた後、図書館へと帰っていった。というわけで、
散歩に向かった面子は美鈴を囲むようにして自分、咲夜、フランの計4人である。
いつものチャイナ服に身を通した美鈴が、外に出た途端、大きく伸びをする。
「──んーっ!! やっぱり外はいいなあ!!」
「その分なら、もう心配ないわね。ここまで回復しているとは思わなかったわ」
「そりゃ普段の鍛え方が鍛え方ですから。それに皆さんの看護のおかげです」
「それを解っているなら、私からはもう何も言うことはないわ。──お帰りなさい、美鈴」
「はい。ただいまです、お嬢様」
本当に僅かなやり取り。しかし、相手がそこに込められた物を理解していてくれるなら、それは千片の言に勝る。
私達はそれで十分だ。
「それで、美鈴がこれぐらい元気になったっていう事は────そろそろかしらね。咲夜」
「おそらくは」
「………………」
「へ?」
4人の中でただ一人、美鈴がハテナ声を上げる。無理もない。フランには一応昨夜当たりをつけて話してはあるが、
美鈴については元の姿に戻ってからまだ話す暇はなかったからな。まあ、必要なことには頭の回転の速いコレのことだ。
事態を飲み込んでくれるのに時間はかかるまい。
「『犯人は必ず自分の成果を確かめに、現場へとやってくる』──推理物の基礎ではあるが
なんのことはない。結局は自分がやったことを人に評価されているか知りたい、という願望の一つでしかないのさ。
さあ、種も仕掛けも割れた。後の残りは犯人の長解説、という所だろう。────出てくるがいい」
劇は既にクライマックス。演者は踊りを終え、エンドロールを待つばかり。
だが、そう簡単には幕は下りない。まだ劇作家の知らないアドリブのアンコールが控えているのだ。
「──そうね。そこまで言われては仕方がないわ」
前方、空間の次元が歪み、裂け目が出現する。そこから現れるのは──日傘と、紫を基調としたドレス。
これが全ての発端。この事件の元凶。
「────八雲、紫」
こちらの低い声を遮るように、その妖怪は扇子で口元を覆って薄く笑った。
・
・
・
──────────────────────────────────────────
「こんにちは。私からの『警句』は受け取っていただけたかしら?」
「……幻想郷の賢者サマは。いつから閻魔の真似事をするようになったのかしらね」
自分のあからさまな敵意をも、意に介さずに笑う紫。
「閻魔様とは関係ないわ。繰り返すけどこれは私なりの、ただの『警句』よ。どうも貴方達長命の種族は
忘れがちになってしまうものだから。
この機会に改めて言っておきましょう。この世の全ては────有限なのよ。
その形にはいつか必ず変化が訪れ、命あるものはその最後を迎える。それを知っているのと
気付こうとしないのでは、果てしなく遠い差があるわ」
「……そこで覚悟を決めていれば幸せになれるとでも? とんだ暴論だわ。お話にもなりはしない」
「貴方はまだ少しは理解しているのでしょうけどね。特に、そこの妹さんにはどうだったかしら」
「それこそ、だ。部外者のお前が言うことじゃあない。人の家のことは人の家に──」
「言い返すならそれこそ、よ。『教えてもいなかった』のでしょう。貴方は」
「────ッ」
言葉に詰まる。
その指摘は──間違いなく正しかったのだから。
「他者と触れ合うことがない者は、他者を認識することができない。
命を失う怖さを知らない者は、命の価値を認識することなどできない。
発端はそこ。自分以外の誰かを認め、それを大切にしようと思う気持ちが起きるからこそ
初めて、他人にも認められる『心』が生まれる。その過程をすっ飛ばして、いつか現れる筈という結果だけを
期待するというのは──何も知らない子に試験をさせてるのと同義よ。酷い話ではなくて?」
それは。確かに。
『なんでこんなものもわからないの』というのは、持てる者の考え方だ。
持たない者にとっては、そう言われる言葉は残酷な刃としか映らない。
だって──そもそも、その問題の意味がわからないのだから。
だが、そんな戸惑いとは別に傷つけられた心は血を流す。痛みを分かってもらおうと癇癪を起こす。
まだそこでその痛みを訴える声を理解してくれる者がいれば──双方は、その齟齬に気付くだろう。
だが、いなければ──全てを諦め、拒絶し、膝を抱えて丸くなるしかない。本当は皆に拒絶されることなど
心の底では望んでないと思うのならば、皮肉にも、尚更。
だからこそ、教える必要がある。教える必要があった。
その機会は十分にあった────本当にあったか?
……あったのだろう。そして、確かに自分も少なからず力を入れた筈だ。だからこそ、遅まきながらも
今やっとその『問題と痛み』を認識できている。ただ、それが495年という歳月の壁や、それで出来た
微妙な姉妹の距離感などで更に傷をつけないようとした結果、ひどく緩慢で、迂遠な物になってしまっていたということ。
結局の所は。飾った言葉を全部切って一言で言うなら──自分の力不足、ということだった。
「……つまりは、不甲斐ない私に代わって荒療治を、と」
「そこまで傲慢ではないわよ。いつも言ってるでしょう。私は面倒くさがりなのよ。
私は学ぶ機会と時間を与えただけ。そこから至るシチュエーションを作ったのは貴方達自身よ。
荒療治な方法だったのは認めるけどね」
そういってうさん臭く笑う紫。どこまでが本気なのかさっぱりわからない。
…だが。その荒療治が非常に効果的だったことは確かだった。
幼くなった『美鈴』という守る対象を得て、危険性はなかったとはいえその命を失うかもしれない事態に
直面し──あの子が得た感情というのは、自分が接していただけでは膨大な時間をかけねば得られなかったものだろう。
それは認めざるを得ない。
悔しいぐらいに。
「……確かに。今回得られた物については感謝をすべきかもしれないな、八雲紫」
「あら殊勝ねぇ。ふふ、といっても私の動機だって結局は自分の為のようなものよ。
貴方達が今のままでもし何かあって、誰かが欠けるような事があったとき──自暴自棄にでもなられて
大異変でも起こされたら、その後始末をつけにいくのはどうせ私やその時代の博麗だもの。
ほら、そんなの考えただけでも本当に面倒じゃない?」
そろそろ話も終わり、というように紫の背後の空に再び隙間の切れ目が開く。
ふわり、とその身体が宙へ浮いて行く。
「……結局、全てはお釈迦様の掌の中。こちらの考えているようなことは全部お見通しだった、というわけか。
本当に……今回は世話になったな」
「それが私の十八番ですから。そのぐらいの機微、感じ取れないようでは幻想郷の管理者など
やってられませんわ。
まあ、ぶっちゃけて言えば──もうちょっとだけ家族と仲良くしてあげなさい、ということよ。ふふふ。
では、そろそろ時間の方もなくなってきましたわ。それじゃ皆様、ごきげんよう──────」
「で、誰が帰っていいって言ったんだ?」
「へ?」
ドオオンと。思わず間の抜けた声を上げた先で、文字通り目の前の隙間が『爆散』する。
紫が振り返ってみれば、そこには今まで溜めに溜めていた物を今こそ解放するような笑みを
浮かべた吸血鬼と、片手をこちらに向けて突き出して同じように笑う吸血鬼の姉妹。
思わずその頬を冷や汗が一筋伝う。
「──おいおい。お前はどこにケンカを売ったと思っているんだ?
誇り高き吸血鬼の姉妹と、稀代の魔女。そしてそれに仕える有能な従者達。無名の者に至るまで、
幼女のためには平気で命を捨てる猛者たちが集まった悪魔の館、紅魔館だぞ?
ピクニック気分でやってきて、散々遊んだ挙句『あー楽しかった、さあ帰ろ』ぐらいのノリでいられちゃ困るんだよ。
お前、タダで帰れると、思うなよ。ブチのめすぞ、ダメ妖怪」
「私の能力は『ありとあらゆるものの破壊』。それが物じゃなくても、私が知覚できるものなら
何だって破壊してみせる」
姉妹揃ってにいっと笑うその邪悪な笑みに、冗談ではなくヤバイと、紫が普段忘れていそうな本能が
役目を思い出したかのように必死で訴える。
言うなれば、遊んでいるうちに用意周到な罠に自ら飛び込んだような感覚。
「確かに今回は学ぶ事が多かったな。だが、こちらが一方的に教えてもらうだけでは不公平だろう。
どうだ、お前も一つ勉強していかないか。遊び半分で紅魔館に喧嘩を売るとどういう事になるかと
いうことを、だ。なに授業料の方は大幅に考えておいてやる」
「え、ええ。せっかくの申し出ですけど。残念ながらご遠慮しておきますわ。
じゃあ、これからウチに帰って藍の作った晩御飯を食べる用事がありますので、これで!!」
これ以上こんなとこにいられるか!と、
そう、すばやく新たに出現させた隙間に再び身を躍らせようとして──
「そうは行くか! ────霊夢!!」
「Yes,mam. My Client(依頼主)」
ゴォォォン…。と。
打楽器の低音のような響きと共に辺りが『何か』に張り巡らされ、
その余波にかき消される様に、出現させたばかりの隙間があっけなく消失する。
皮肉にも、それは紫にとっては馴染み深い能力──親しみ慣れた『結界』の感覚。
「はぁい、紫。久しぶり」
「な──えええええ? れ、霊夢!? どうしてあなたが、こんな所に!?」
疑問の声に答えるように、吸血鬼の姉妹の後ろから、ゆっくりと姿を現す誰もが御存知、紅白の巫女。
今度こそ完全に予想外の人物、予想外の出来事にパニックになる紫。
別段うろたえる紫には興味がないように、霊夢は気だるそうに御幣(お祓い棒)を肩にのせたまま相対すると
淡々と説明を始める。
「──先に効力を説明しておくけど。これはあらゆる『持続的な』霊力・妖力を中和する程度のものよ。
特にこの結界は前々から用意してた、悪さをするアンタのための八雲紫専用アレンジverって感じ。
普通の人間や妖怪も一緒に中に入っちゃうと効果が強すぎて、自分の身体を使う打撃系の物ぐらいしか
力を出せないのが難点と言えば難点だけど……。まあ、隙間やら術式やらを主にして戦うあんたには、
それでも致命的かしらね?」
「いやいやいや! それじゃ何で霊夢がここにいるかっていう答えになってないわよ!?
そもそも、いかな博麗の巫女と言えどもこんな大規模な施術、前々から準備でもしていないと、おいそれと
発動なんかできないハズ──!?」
「だからタネも仕掛けも割れているといったろう。お前が犯人だと既に分かっているのだから、
対策を講じないわけがないだろうに。この結界だって事前に咲夜に使いを出させ、霊夢に準備を頼んでいたに
決まっているじゃないか」
今更何を。というように大仰に頭を振るレミリア。
「──メインの二重大結界に、フィールド固定の博麗弾幕結界。おまけに魔浄閃結のカーテンまでつけといたわ。
久しぶりの本気の全力でやったから30分は持つと思うわよ。それより、咲夜──。約束の『例の物』は、
ちゃんと用意してあるんでしょうね?」
「勿論あちらに。塊で用意してありますわ」
「牛(ビィフ)!?」
「Exactly(その通りでございます)」
振り返ると同時に目を輝かせる巫女に、完璧な挙措で対応するメイド長。
「き、汚いわよ! 霊夢を餌付けで買収とか、余りに卑怯すぎるでしょう!?」
「貴方に言われる筋合いはないわ。それより、自分の心配した方がいいんじゃないの」
言われてはっとなる。結界に包まれ、力の出せない自分はほぼ無力化。
相手はただでさえ素の身体能力の高い吸血鬼。しかも姉妹で2人。
事ここに至っては勝ち目などはない。霊力も妖力も出せない自分では戦闘力など皆無。
更にどこかの隙を突いて逃げ出そうにも、既にあっちの野外テーブルで久方ぶりの肉を貪ってご満悦の霊夢による
追加サポート(お仕置き)ありという凶悪仕様。
──しばし逡巡した後、あっけなくプライドを捨てることにする。命には代えられない。
「わ、わかったわよ! 私が悪かった! 悪かったです! ごめんなさい!
今回のコレだって、ちょっとした悪戯心みたいなものだったのよ! ね、今から心を入れ替えて
真人間になるからどうか許して頂けないかしら!?」
「悪戯……? ねえ、おばさん。本当にそれでこんなことしたの?」
「おばっ……。あ、あのね。お嬢ちゃん。大人には建前と知的好奇心を程よく両立させたいと
思う時がね──」
「いい年した大人がそんなことしてて恥ずかしくないの!?」
「地味な指摘が心に痛い!!」
見事なカウンターを喰らいながらも最後の頼みの綱、レミリアになんとか顔を向ける。
どんな言葉が帰ってきてもおかしくはなかったのだが──紅魔館の当主はふっと笑うと、意外にも
優しい声が帰って来た。
「そうねぇ……。アンタがそこまで無様に言うのなら、特別に寛大な私は
今回アンタがやったプラスの部分に免じて許してあげてもいいのだけれど」
「ほ、本当!?」
「──でも、当の本人はどう言うかしら。
ほら。私って家族思いだから。家族の意思は尊重してあげないといけないわよね?
お前は運がいいぞ。何せ、滅多にお目にかかれん『本気』で怒った美鈴を見れるんだからな」
「え」
結界内の背後に感じる鬼気。一歩一歩、ゆっくりと。だがしっかりとした足取りが近づいてくる。
振り向いてみれば見える、己の肉体一つで武道を極めし長身の影。立ち昇るオーラは虹色。100%オワタの証。
「その昔、とある人は言いました──『漢なら拳一つで勝負せんかい』。
とてもいい言葉です」
「ひいいいっ」
──自分だけならまだ情状酌量の余地はあったかもしれない。が。
お嬢様を虚仮にし、咲夜さんやパチュリー様、館の人たちを巻き込んで心配させ──
あまつさえフランドール様を泣かせた罪は、万死に値する。
「ま、待て! 話せばわかる!」
「話さないのでわかりません♪」
この厄介極まりない迷惑妖怪を、存分にブチのめせる絶好のチャンスなのだ。
後の仕返しなど知ったことか。
今は、眼前の『敵』を討つのみ。
「レ、レミリア!? いやさ、レミリアさん!?
この人あなたの部下なんでしょう!? なんとかしてくださらないかしら!?」
「往生際が悪いわよ。八雲紫。そろそろ覚悟を決めるがいい。
色々あったが私は本当に寛大だからな。過分の授業料云々はコレで全部チャラにしておいてやるよ。
じゃあ、やれ。美鈴。遠慮はいらん、私が許すわ。フランもそれでいいわね?」
「ええ。やっちゃえ、めーりん!!」
「ああああん」
「イエッサー、お嬢様!! それでは皆さんを代表して紅美鈴、力の限り行かせて頂きます。
八雲紫さん。あなたに失敗があったとすれば。それは『貴様は紅魔館を舐めたッッ!』ということですよ。
ARE YOU READY?」
「OH MY GOD」
──ホゥォアッタァアアア!!
アッタァ……
ッタァ……
・
・
・
────────────────────────────────────────────────
・
・
・
美鈴が全ての元凶のダメ妖怪・八雲紫を完膚なきまでに叩きのめしてからのち──。
あの混沌と混乱と、驚愕と狂騒の詰まった乱痴気騒ぎのような異変から1週間後。
すっかり日常を取り戻した紅魔館の中では、ゆっくりと廊下を歩く元に戻った美鈴と、その高い肩の上に
肩車されてご機嫌のフランドールの2人の姿があった。
「ねえ、聞いた? あのオバサン妖怪。あの後、全身打ち身でしばらく寝床から起き上がれずに
布団でウンウン唸ってたらしいんだって。よくやったわ、めーりん! すっごく痛快!」
「あはは。ちょっとやり過ぎちゃいましたかね」
「全然!! 気まぐれなんかでアレだけのことしてくれたんだもの。少しぐらい痛い目あったっていい気味だわ。
めーりんはあれから身体のほうとか、大丈夫なの?」
「ええ。本当にもう何ともありません。こうやってフランドール様をしっかり肩車できてるのが証拠です」
「そっかぁ……。うん。良かったね。やっぱりめーりんは元気な方が似合ってるもの。
もう、あの時の事を覚えてないっていうのはちょっと寂しいけど────」
「覚えてますよ」
「え?」
「だから、覚えてます。流石に倒れてから目が覚めるまでの間は覚えてませんけれど──。私が小さくなったこと、
あの時の皆さんのこと。『フランドールお姉ちゃん』のことも」
「へへ、…そっか……そっかぁ……」
そのまま、どちらも何も言わないままに足は館内を巡る。
言葉がなくてもいい瞬間、というのは存在するのだ。
────覚えている。気が付いたところは見知らぬ地。見知らぬ人の群れ。
危害を加えるような人こそいなかったが、右も左もわからぬ場所で一人ぼっちのところで、
ふわりと抱きしめてくれて「大丈夫」と言ってくれた時の、安心感と温もりは。
きっと。自分はこれから何があっても忘れることはないだろう。
足はめぐり、いつしか道案内をしてくれていた廊下を通り過ぎる。
「ああ──そういえば、なんですが。前にパチュリー様の補助を受けて地底に行ってた魔理沙が
面白い話をしていたのを聞きましたよ。なんでも地底にもこの紅魔館と同じように大きな館があって
そこにもやっぱり、同じように姉妹の妖怪がいるそうなんです。
お姉さんは優しい方で『さとり』といって相手の心がわかってしまう妖怪なんですけど、妹さんの方は
その能力では唯一その心が読めない人なんだそうです。それが原因になってしまったのか
どうも実際は姉妹仲良くしたいんだけど、その距離を掴みきれずに上手くいかないんだそうだ、とか」
「ふーん」
馬っ鹿だよねー。と。フランドールが続ける。
「そんなのさ。人の心がわからないのなんて当たり前じゃない。私なんてお姉様の考えてることが
わからないなんてことしょっちゅうよ。お説教ばかりして偉そうだし、口開けばケンカしちゃうしさ。
でもその子だって、きっと出来れば仲良くしたいって思ってるに決まってるじゃない。姉妹なんだから」
「──────」
「なんかその子、私とすっごく似てるみたい。ね、めーりん。私、その子と仲良くできるかな?」
「そうですね。前だったらお世辞で返してたかもしれませんが──今なら確信を持って言えます。
絶対に大丈夫です。きっと仲良くなれますよ」
「本当!?」
「私は、そういうウソは言いませんよ」
肩の上で七色の綺麗な翼が、喜びの色でパタパタと揺れるのがわかる。
「ね、めーりん! だったらすぐその地底に行ってみようよ! …あ、でも外行くならお姉様に言ってからじゃ
ないと……。そんなとこ紅魔館の当主の妹が潜っていかなくていい、とかきっと大反対されるよね……。
うーん、でも、強く言い続ければ案外押し通せそうな気もするし……」
想像してみる。周りには、厳しいように見せようとしているが、実は妹様にダダ甘なのがバレバレの
あのお嬢様のことだ。
突然のその積極的な提案を内心喜びながらも、咄嗟に条件反射で反対してしまい、意地の張り合いになって結局妹様の
癇癪が破裂することになり。一触即発という所で平身低頭する自分に免じて、ようやく折れるというポーズを取って。
その後も内緒で使い魔の蝙蝠をついて行かせようとするがあっさり妹様に見つかって本気で怒られ、
悄然と部屋に帰るも落ち着かずにうろうろして咲夜さんに窘められ、最後は図書館のパチュリー様の所に
水晶球貸して、と泣きついていくお嬢様の姿が目に浮かぶようだ。
「──────あ」
ふと気付いたことがある。もしかして。運命を見ると言うお嬢様は、最初からこの結末を知っていたのではないか。
妹様に対しては過保護にすぎるウチのお嬢様にとって、例えどんな形であれ妹様が自分の手から離れて行くというのは
それこそ寂しい限りで、決して愉快な物などではなかったに違いない。
その能力で強引に介入し、この運命を変えることだって出来たはずだ。
だが、そうはしなかった。そういう運命を知った上でも────妹様が成長し、変化することを望んだのだ。あの方は。
だとすれば。それは。本当に──
本当に。それはなんて素晴らしいことなんだろう。
……本当に。自分はこのお二人に仕えることができて、心から良かったと思う。
今のところ、その事に気付いているのは自分だけ──いや、ひょっとしたら咲夜さんも、かも。
もっとも、あの人の場合はどこで気付いたということさえこちらに気取らせたりはしないだろうけれど。
まあ、それは。大声で触れ回る類の物でもない筈だ。気付いた者だけがそっと、その胸の内にしまっておけばいい。
──大丈夫。そんな言葉がなくたって。わかって欲しい人には、ちゃんと最初からわかっているのだから。
「なによ。めーりん。さっきからくすくす忍び笑いなんかしちゃって」
「いえ。レミリアお嬢様は──本当にお優しい方だなあ、って思って」
「当ったり前よ! だって私の自慢のお姉様なんだから!!」
……嘘です。自分の脳内紫様はボコボコにされる所までも「計算通り!」とか言いつつ
ニヤリと笑っているので問題なし。作者様も後書きでフォローも入れて下さってますしね。
ただ異変の犯人が紫様なのは良いとして、その動機に若干説得力が足りないかなぁ、と。
犯人がほぼ特定されてしまうリスクはあっても、物語の前半で美鈴が橙なり藍なりに世間話のついでに
フランちゃんのここが心配、みたいなことをポロリと言ってしまうシーンなどがあると良かったかも。
あくまで個人的には、なんですけどね。
色々好き勝手なことを書いてしまいましたが、鉄の結束を誇る紅魔館ファミリーの絆、
確かに目に焼きつけましたよ。楽しく読ませて頂きました。
これすごく分かる!お嬢様とはいい酒が飲めそうだ。
動機が微妙だと思ったけどすでに書かれてるから置いといて。
フランはこの程度であっさり治るものなのかなぁ。
あとは紫好きとしては美鈴にあっさり負けてほしくはなかったけど
これも含めて紫の計算の内なんですね!
アマエキンシトナッテオリマース
温かい幻想郷だ。
でもそれを抜かしたら、本当に本当に素敵なレミリアで最高です。
良い話でした。
ちょっと紅魔館以外のキャラが不憫でならない
勝手に犯人扱いされて急襲された守矢だの永遠亭だの
早苗さん鈴仙は勿論、
永琳もパッチェさんの株上げるだしにされてるし
熨しを付けてくれてやると言われたら、じゃあ妹を下さいよと言いたくなりますがそんなこと言ったらこの紅魔館じゃ全面戦争に成りかねないw
一つ惜しいとこ入れるなら疑いをもつ人物を三人挙げといて二人しか使わないというのはどうなのかって事ですね。まぁキレイに八八八と続いた辺りは吹いたw
レミリアは間違いなく3割の方ですね
守屋家が画策しているという「何か」が投げっぱなしなのが少し気になりました
コメント欄を芸に使ってしまったので、こちらで改めて御礼を。
なんか意外にいい話という評価を頂いて本当に恐縮です。
でもコレ、いい話に見せかけたギャグ作品ですから…!お許しください……!
神奈ちゃんに関しては完全にダミーです。八八八って使いたかっただけともいう。
一応、最終パートでの地霊伝の話へと繋がる伏線にもなっていますけれど。
あと異様に紅魔館の人たちに永琳先生が優しいのは、半分は謎の咲夜さん補正。あとの半分は
話のテンポが悪くなるのでバッサリとカットしましたが、
──────────────────────────
「大体、こんな乱暴な押しかけ方して……私がヘソを曲げて診察拒否でも
したらどうするつもりだったのよ」
「んー……。そうねぇ。その時は、そこの姫様でも紅魔館に拉致して」
「そんなのますます逆効果じゃない」
「贅沢三昧の極みと酒池肉林の限りを尽くして連日盛大にもてなした挙句、
10kg太らせてから帰すとか」
「ヤメテ!」
「何それすごい。オラわくわくしてきたぞ」
「本当にヤメテ!」
──────────────────────────
とかいうやりとりがあったとかなんとか。
万一手遅れになるような真似をするヤツは、薬を作る匙をへし折るといいわ。
これがカリスマか…(;゚д゚)ゴクリ…