よく晴れた夏、その日は気温もさることながら湿度が取り分け高く、その湿度は肌にまとわりつくだけでなく、生活の雑多な音にもまとわりつき、気だるい夏を余計に促していた。
そんな日であっても子供、特に5、6歳というのはエネルギーに満ちており、そのエネルギーを遊びで放出することに夢中である。
寺子屋での退屈な授業が終わり、休み時間に入ると子供達は外に飛び出し、時間を忘れて夏の日差しを浴びながら体を積極的に動かし汗をかいた。
そして寺子屋の教師を務める慧音に窓からすでに授業は始まっているぞ、と怒鳴られてから急いで遊び終え、その遊び疲れた体を休めるのは一応、“不本意にも”退屈な授業であった。
もちろん寺子屋に通う子供達全員が全員そういうわけでなく、中には休み時間を屋内で過ごす者達もいた。
今回の話はその内の一人の男の子、背は周りの他の男子より低く真面目、誰かに話かけようとすると口をもごもごさせ、相手と目があってやっと口が開ける子で周りからはサブと呼ばれていた。
この少年サブはその日の日直であった。
寺子屋での日直が行う主な仕事は朝の会、帰りの会の進行、花瓶の水代え、授業ごとに黒板消しを綺麗にする、日誌への記入、など一般的な学校の日直の仕事に加えて朝に鶏小屋のたまごの確認という仕事があった。
この鶏小屋の玉子の確認というのは朝、鶏が産んだ玉子を鶏自身が踏みつぶさない様に毎日確認してやり、取り除いて教師を務める慧音に玉子の有無を報告し渡すものであった。
さてこの玉子であるがこれは帰りの会に希望者を募り、その中からジャンケンで勝った者が持って帰られるのだが、この年頃というのはこういったことに手をやたらと挙げる子供が多く、「相子でしょ」と「さいしょはグー」が何回も続いてやっと一人になるのだ。
だからだろう少年サブは慧音に報告することなく小さな両手で卵を包み、自分の鞄に丁寧に仕舞い少し緊張した面持ちで朝の会の進行を務めたのだ。
退屈な授業
教室にはまとわりつく湿度、チョークの音、鉛筆が紙面に触れる音、それらが教室中に広がっており吸い込まれた様に静かだった。
だが先程も述べた通り“不本意にも”休んでしまう生徒、それも授業中でも騒ぐタイプの者が多くそこに含まれいただけであり、慧音は説明の途中で何度も振り返り不届き者がいないか確認するのであった。
そして注意された者は靄のかかった頭でよく分からない黒板をグリグリとノートに写すのであった。
その振り返りにて、慧音は少年サブが両手を出さないで授業を受けているのを何度も見かけたのだが、板書するときには片手ではあるがしっかり板書していたので気に止めることなく、意識はやはり不届き者に向かうのであった。
一方、少年サブであるが彼はこのとき卵を小さな手で包みながら授業を受けていたのだ。
放課後
少年サブは誰もいなくなった教室の窓際に立っていた。
彼は両手で卵を包み、じっとしていられなくなるとその気持ちを表すように卵を夏の太陽にかざし観察するのであった。
卵には黄身がある部分に濃い影が現れた、それは少年サブを喜ばし笑顔にした。
だが教室に慧音入って来た。
少年サブから笑顔が消えた。
何のために放課後の教室に入って来たか不明であるが、彼女は少年サブが玉子を持っているのを確認すると鋭い足取りで彼に近寄り、怒気を含んだ、だが静かな声で言った。
「どういうことなんだ」
少年サブは見つかったことに対して驚いたが、それ以上に慧音の声の性質に驚き、身を大きく震わせた。彼は一度もそんな慧音の声を、怒気を含んだ声を聞いたことがなかったのだ。
「どういうことなんだ」もう一度、慧音は尋ねた。
経験したことがある方は多いと思われるが、怒られているときの「どうして」「なんで」等の文句ほど答えにくく、繰り返され、不利な気持ちになるものはないだろう。
どうしてって?そりゃねぇ……正直に答えろと?どうせ怒られるというのに?
だが少年サブは返すべき言葉を持っていた、それが彼の行動の原因だから。
「だって」
「だってなんだ?」
「だって他のみんなが持って帰ると厚焼きたまごとかスクランブルエッグとかオムレツになっちゃうんだ」
「……そうだが?」
「鳥の卵は暖めるとひなが産まれるんでしょう、だったら!」
少年サブは慧音の目を見て、そう答えた。
この言葉を聞いて慧音は先程から抱えていた問題に加え更に問題を抱えることになった。
前者は簡単だ、盗みのようなことはしてはいけない、ということを伝えるだけだ。それに彼は真面目だ。
後者は面倒だ、面倒だがこれもしっかり伝えてやらないといけない、話は難しくないが、伝えるのが非常に躊躇してしまう、それも目を見て答えられたら。
少年サブの手には温もりを帯びているたまごがある。割れない、割ることしかできないたまごが。