屋上から見える空は、薄いコバルトブルーの色彩にオレンジを混ぜた奇妙な色で、途切れ途切れの絹みたいな雲間から、沈んでいく太陽が小さく見えた。
フェンスに寄り掛かって缶コーヒーを飲みながら、宇佐見蓮子はそう云えば、と思い出していた。今日の降水確率は三十パーセント。天気は晴れ。突然の雨にお気をつけ下さい。頭の中で連呼する。
お気をつけ下さい、ねぇ。
ず、と一口、コーヒーを啜る。
現在の天気予報の的中率は八十パーセントだ。毎回それくらいの確率で当たる。でも、それは意味がない。天気予報は百パーセントの的中率なのだ、本来は。何故なら、天気なんてとっくに管理が出来ている。
世界中は水不足になることもなく、安寧とした生活が送れるのだ。
けれどしかし、それを良しとしない人たちもいる訳だ。
天気予報は外れることもある。そう云う世界を生きてきた人達は、そう云うことのまま、偶に外れるように設定をしたのだ。自然みたいだから、って。不自然に自然みたいにして、良い迷惑だと思う。
天気予報が当たるのなら、的中率百パーセントの方が良いに決まってる。
そうであったなら、こうして折り畳みの傘を持参する必要もなくなる。足元に置いた黒い肩掛け鞄を叩く。
いっその事、空なんて全面スクリーンであって、私達が暮らしているのが、箱庭の中であるとするならば、それはそれで面白いだろう、と蓮子は薄っすらと、けれど誰にも気がつかれないような笑みを浮かべる。
だけどそれは――
「それはそれで詰まんないわよねぇ」
ぽつり、と小さく息を吐く。
両手に持った缶コーヒーの温度はだんだんと低下していく。握り締めたそれを一気に飲み干した。缶コーヒー特有の苦い味。渋い味、とでも云うか。こんなものばかり飲んでいてどうするんだよ、と思い。いいや、と思い返した。
こんなのだからこそ、私は好んで飲むのだ。
缶の表面に描かれたオジサンの顔が何だかいやらしく見えたので、それを階段横の自販機横のゴミ箱に投げ捨てた。カコン、と良い音が鳴った。
真っ赤な自販機が、賑やかな声を上げる。誰が自販機に喋る機能なんて与えたのだろうか。
太陽が沈んでいく。
地平線の向こうに隠れるように沈んでいく。
もしも、もしも本当にこの世界が箱庭なら、自分はどうするのだろうか。
やはり、今と変わりなく、秘封倶楽部をやっているのだろうか。
いや、もしかしたら、してないのかも知れない。箱庭の中なら全てがあって、だからきっと不思議なものなどないと辺りを見回すんだろう。夜空の月や星は、人工的に作られたものだったら、正確に時間を測ることも簡単だ。だって星の位置が変わらないんだから。コンピュータに制御された世界。
正確なのだから。
それならば、相棒ことマエリベリー・ハーン――通称メリー――はどうしてるんだろう。
箱庭の中だとしても、メリーはきっと遠くに行ってしまう。
メリーは境界が見えてしまうから。
抜け道を見つけて、霧霞のように消えてしまうことだろう。そこが、不安であり、また羨ましく思う。
ああ――ずるいなぁ。
そんなことを思って、蓮子は空を仰いだ。
沈み消えてく太陽。
浮かび上がる星。
昇ってくる月。
夜が近い。
そろそろ行かなくちゃ、と蓮子はフェンスから身体を離した。ぎしり、と背中に鈍痛が走る。気にはしない。鞄を引っ掴み、それを肩から提げる。中の折り畳み傘が、ごそりと音をたてた。
そのままの勢いで階段を駆け下りる。
小さな一抹の不安。
どこかへ行ってしまう、マエリベリー・ハーン。ふるりと首を振った。そんなはずはないだろう、と思った。それでも、何故だかそれは消えることがなかった。
そして、その通りとなった。
結局メリーは現れることはなくて、ぼうっとした待ち惚けを食らう羽目になったのだ。
空想の庭園。箱庭。反転する世界。落ちていく。細い針金。回る視界。空。綺麗。デジタル。回る人。スクリーン。誰もいない。誰かいる。近い空。遠い雲。ここは無人。無尽。誰か?
マエリベリー・ハーン――メリー――は奇妙な浮遊感と共に目を覚ました。実際には浮遊なんてしてなくて、ただ高層ビルの屋上のど真ん中に寝転がっていただけなのだが。
眼を擦りながら、メリーは上体を起こす。そこで、違和感を感じた。いつも着ている服装に変化はない。違和感を感じたのはそこではない。
音がしないのだ。
高層ビルがある、と云うことは、ここは少なくともそれなりに都会のはずだ。そうでなくとも人はいるし、車も通る。
それなのに音がしない。
車の音も、人が囁く声も、何の音もしないのだ。
メリーは立ち上がる。風さえも吹かない。フェンスの方へ歩いていく。そこからなら、街を全て見渡せるはずだ、と思っての行動だった。
かしゃん、とフェンスが鳴る。その隙間に指を突っ込むようにして掴んで、メリーは街をぐるりと見渡した。
高層ビルが林のように並んでいた。ビルの壁面に巨大なスクリーンが幾つも設置されていて、そこでは誰だか分からない禿頭の上質なスーツを着込んだ男が、両手を広げてくるくると上下左右に回ってた。次々と移り変わる。でぶの女。スマートな男性。しかめっ面の老人。可愛い女の子。スタイルの良い女。
皆一様に回っている。くるくると、くるくる、と。
下の方を見ると、道路があった。けれど、そこには何にも走ってなかった。路肩に止められた車。道の真ん中の白線が、寂しげに揺れているように見える。。
ぼんやりと眺めながら、メリーは空を仰いだ。
空は、薄いコバルトブルーの色彩にオレンジを混ぜた奇妙な色で、途切れ途切れの絹みたいな雲間から、沈んでいく太陽が小さく見えた。けれど、そこにも違和感があった。
ざらりとした妙な感覚。
しばらく空を眺めていて、メリーは、ああ、と納得した。
そこに、あったのはヴァーチャル映像だった。時々、ノイズが走るようにして、消えかかる青空。ぱらり、と何の脈絡もなく注ぎ、止む雨。
地平線に沈もうとしている太陽は、スクリーンの下部に消えていく。自然の太陽よりも、眼に痛くない不自然な輝き。けれど、そこで停滞していた。沈むことが止まったままで、ノイズで乱れる。
覆われている。街が、スクリーンで囲われてる。
メリーは、またか、と小さくため息。ここは夢なのかしら?
そうだろう、と思う。少なくとも自分は。確かに昨日は布団に横になった、と云うことは覚えている。現実のような夢。
息を吸い込む。綺麗な空気。綺麗過ぎる空気が肺腑を満たして、それを、思い切り吐き出す。
考えてても仕方がない。
いや、本当に仕方がないのだ。どこだか分からない場所。誰もいない屋上。ここはどこ?
分からないなら歩くしかないではないか。
メリーは階段に向かい、その途中に佇んでいた壊れた自販機に挨拶をした。自販機はテンプレなセリフで律儀に『イラッシャ……セ……イカガデ……』と途切れ途切れに云った。
メリーは無視して階段の錆びた手摺を握った。感触に吃驚して、手を払って、今度は手摺を使わずに歩き始めた。後ろの方で、自販機が何事かを罅割れた声で云っていたが無視した。
やけに響く足音、カツン、カツンとメリーは降りて行く。その途中で、ビルの高さを思い出し憂鬱になった。せめてエレベーターとか動いてたらいいな、と思った。
夢の中だからってそう都合が良いはずもなく、メリーはため息混じりに地道に階段を降りて行くのだった。ただ、不思議と疲れなかった。階段に衝撃を吸収されているような感覚。
ああ、夢だ、と改めて再認識した。こんなもの、メリーの住む所にはないのだから。
階段を降りながら、誰かとすれ違うことはなかった。本当に、誰もいないのかしら。
ビルの入り口に立って、左右の確認。
車はなし。通行人もなし。自転車もなし。目の前に引かれた横断歩道は意味をなしていない。
メリーはこのまま道路に大の字で寝転がりたい気分だった。そのまま眠ってしまえば、夢からは覚める、だろう。多分。
けれど、今はそれ以上にこの世界を歩いてみたいとも思うのだ。どうせ夢。いつか覚めるのなら、楽しむのもありではないだろうか、と昔の自分では考えもしなかったことを思ってみる。
自分は宇佐見蓮子と云う人間に会って、変わったのだろうか。変わったのだろう。だからこの場所で眠るよりも、土産話を持って帰ってやろうか、と云う気分になれるのだ。
横断歩道を敢えて無視をして、道路の真ん中を渡る。
空からは太陽の光はない。沈みかけの夕日が、世界を照らしているだけだ。
何もない。
沢山あるのに、ないと思える。
そんな風景。
ビルの陰を歩く。
空からはノイズの音。
静寂。
余りにも静か。
静。
人も、蟻一匹さえもいそうにない。
ぱらぱらと散る雨。
見上げるスクリーンの男。くるくる回る。
沢山のビルの側面。
スクリーン。
移り変わる人。
回る回る。
沢山の割れた窓。
皹の入った道路。
誰もいない。
歩いても変わらない景色。
いや、実際は変わっているのだろう。けれど、ここは余りに無味で、何の感慨さえも思い浮かばない。
時折、止められている車を眼にするが、中には誰も乗っていない。まるで蒸発でもしてしまったかのように消えてしまっていた。
もしかしたら、そのまま残されているだけなのかもしれない。
訳の分からない世界。
でも、それだから、楽しめるのだろうか。
そんな中で、ふと、メリーは視界の端に小さな動くものを捉えた。それは一瞬だけ見えて、ビルの谷間に消えていった。
その後姿に、メリーは見覚えがあった。あり過ぎて困るくらいにはあった。
だから、メリーは駆け出した。駆け出して、ビルの角を曲がって、その直ぐ脇、ビルとビルの隙間に公園が見える。こじんまりとした公園。植木の中で、造花が揺れている。恐らく植え込みの木々も作り物。
入り口に掛けられた公園の名前は、掠れていて読めない。関係ない。
メリーは公園の入り口で、ぐるりと視線を巡らせた。
真ん中の噴水。
その向こうにあるベンチに座る人影。小さな身体をちょこんと座らせて、ぼんやりと噴水を眺めていた。それはよく見知った少女に似ていた。似すぎていた。あいつを少し小さくしたら、きっとこうなるんだろうな、とメリーは思った。
帽子を被ってなくて、黒い髪も剥き出しで、子供っぽいあどけない顔立ちは、宇佐見蓮子そのものだった。メリーは一歩公園へと踏み出した。
今まで、こう云った夢の中で他人が登場したことは少ない。あったとしても、それは誰かではなくて、何か、なのだ。だから、こう云う風な、話が通じそうな相手、と云うのは新鮮だった。
メリーは噴水の前に立ち、水に透けるその顔を眺めた。よく見れば、その噴水の水も映像だった。
明るくて活発な彼女に似合わず、その表情には呆然としたものしかなかった。薄っすらとしたカーテンの向こう側に見えるのは、楽しそうな表情ではない。ただ、茫漠とした感じ。或いは疲れた感じ?
メリーは一歩踏み出す。彼女はメリーを見ていない。
一歩距離が縮む。だのに距離は縮んだ気がしない。
ようやく蓮子(仮)はメリーに気がつき、目を見開いた。メリーは気にせず、一歩距離を詰める。
もうすぐそこだ。手が届く距離。そこで、二人はじっと見詰め合っていた。
メリーが、恐る恐る、と云った風に口を開く。
「え、と、こんにちは?」
普遍的な挨拶。この状況に、全く似つかわしくない。けれどもそれが良かったのだろうか。蓮子(仮)はその言葉に、目をまん丸にして、ぱちくりと瞬かせて、
「こんにちは」
と、云う。
メリーは顔を綻ばせた。
「隣、いいかしら?」
「……どうぞ」
蓮子(仮)は戸惑うようにして、けれど、オーケーを出してくれた。そう云うことなので、メリーはそのベンチに腰を下ろした。隣で蓮子(仮)が身じろぎする。
そのままの状態で空を眺めた。変わらない、沈みかけの夕日。来ない夜。混ざり合った奇妙な色。変な感じ。おかしい色合い。
ぼうっと眺めていると、蓮子(仮)の方から話しかけてきた。
「お姉さん、誰?」
「私?」
「うん」
「マエリベリー・ハーンって云うの」
「それ、名前?」
「ええ」
「そう」
それだけ云うと、蓮子(仮)は黙り込んで、ベンチの背中に体重を預けた。ぐうっと背筋を伸ばして、ビルのスクリーンを眺め始めた。今は若い男女が互いに抱き合い、回ってる。囁き合ってるみたいにも見える。
その映像も変わる。
今度はでぶのおじさんのアップだ。
蓮子(仮)は目を反らした。
そこに、私はさり気なく話しかけた。蓮子(仮)は苦々しい表情をしていた。
「ねぇ」
「うん?」
「あなたは?」
「名前?」
「うん」
「宇佐見蓮子。決してうさみみじゃないわ」
うさみみと呼ばれたことに何か嫌な思い出でもあるのだろうか。それを云う時だけは、心なしか必死そうな表情だった。もしかしたら、表情だけなのかもしれないけれど。
「――ああ、やっぱり」
「何が?」
「何でもない」
「そう」
よ、っと蓮子は膝を抱える。ベンチの上で膝を抱えて、ぼんやりと空を眺めた。空は変わらない。相変わらず、薄いコバルトブルーの色彩にオレンジを混ぜた奇妙な色。沈みかけの夕日は、時折ぶれて見える。
空虚、なのだろうか。よく分からない。
他に、人はいないのだろうか。
いないのだろうな、とメリーは何となく思った。だから、ぽつり、と小さく口に出していた。
「――他に人はいないのかしたら?」
蓮子は反応して、メリーを見る。そうして、口を開いた。
「いないよ。皆コンピュータの中に引っ込んじゃったもの」
「どゆこと?」
「ほら、身体って、あるだけで不便じゃん。皆コンピュータの中で永遠に生きたかったのよ。飽きたら削除」
「ああ――そう」
「コンピュータの中ならどこへだって行ける。でも、肉体があったらどこにも行けないじゃない。こんな所なんだし」
辺りを見渡すように、視線を巡らせる。
風さえ吹かない。
いや、風は吹いてる。極々僅かだけれど。
気にならない程度。いや、壊れたよう。空から散る雨もまた壊れたように、ぱらぱらと散る。散っては止む。ビルの谷間。
端に映るスクリーン。スクリーンに囲われた街。
「なら、あなたはどうしてここにいるの?」
皆がそうなら右に倣えで一緒にしてればいいのにね。
「だってさ――」
応えた答えは、確かにこの少女が蓮子だと云うことを再認識させられた。
真っ直ぐに天井のスクリーンを見つめて、その先に映る何かを見つめて、遠くを見るように、近くを見るように、果てを眺めるように、どこかを夢見るように、思いを巡らせるように、世界を俯瞰するように、触れるように、願うように、蓮子は答えた。
「感じたいもの」
「えっち?」
「違うわよ。そこの風とか臭いとか、自然の風って云うの? 感じたいのそして――そこの不思議なものとか見てみたいから、触りたいから」
「――――」
「だから」
そう云って、蓮子は顔を伏せた。じっと映像の噴水を眺める。不自然な風が、気がつかないくらいの力で頬を撫でる。ぱらりと散った雨が肌に落ちる。
ああ――どこで会ったって変わらないのね。まぁ、夢の中だから、当たり前なのかもしれないけれど。
だけど――すん、と鼻を鳴らす。空気が、自然な風。だからこそ、不自然な風。壊れたみたい。機械的な風。スクリーンで閉じられた世界に吹く。覆われた街。ノイズ混じりの雨。スクリーンの女がにやりと笑った。
「ねぇ」
「何?」
「どうやって、そうするの?」
蓮子は答えない。答えずに、空を仰いだ。ノイズ。ざ、ざ、と灰色の砂嵐が走る。
遠くに鳴る。谷間で風が震えた。けれど、音はない。
世界は停滞したまま。静かに沈んでいく感じ。
溺れてく。
窒息する魚。
雨。ざらつくリフレイン。
落ちていく。留まったまま。
「――――さぁね」
たっぷりと時間を掛けて、蓮子はそう云った。云って、空を見て、ビルを見た。壁面で踊る女の子。楽しそうにきらきらと。くるくる回る。
足元を見て、何もなくて、投げる石が欲しくて、でもそれが出来なくて。駆け出したくて、でも出来なくて。出来たのは、ただ見上げることだけ。
高くて近い空。
壊れたテレビの砂嵐。
残留する空気。
錆びついた臭い。
「そう」
「でもさ――」
蓮子は小さく息を吐く。思い切り仰け反るようにして、空を見る。重力に引かれて、髪の毛が垂れ下がる。メリーも真似るようにしてそうする。
蓮子は手を伸ばす。掴めそうな空。
映像の、空。
「行けるんじゃない? もしかしたら」
やっぱり、その言動に変わりはなくて、そのままで見たまんまで、だから、メリーはそう応えた。。
「だったらいいわね」
夢の中。
ふわふわと浮いている感じで、答える。
メリーはゆったりとした動作で立ち上がる。
振り向いて、手を振って、
「じゃ、またいつか」
と云った。
蓮子は小さく手を振った。身体の前でひらひらと振って、視線をメリーから外し、大きく手を振った。それを眺めて、メリーは歩き出した。
隣を擦れ違うように歩いていったのは、紫色の服を着た金髪の女の子。メリーより少しだけ背が低くて、白い帽子を被っている。
メリーは少しだけ、口元に笑みを浮かべた。
揺れる視界。
ビルの谷間に口が開いた。
いや、開いていた。
そこに、身体が落ちていく。
するりと、嵌るようにして滑り落ちていく。
落ちる前に、ちらりと見えた。
二人が話し合って、どこかを指差して、どこかを思い浮かべて、どこかへ走り出すのが。
ああ――変わらないなぁ。
暗転。
意識が白くなって、ぐるんと反転する。
さよなら。
誰かの呼び声。
ぱら、と風が吹く。雨を乗せて。吹き飛んでいけばいいのに。ノイズの空に落ちる風。薄っすらと、狭い世界。だからこそ、遠くに行きたかった。ほら見て。小さな星空。綺麗ね、と微笑んだ。まどろみ。
「メリー! メリーったら!」
呼びかける声。
薄っすらと目蓋を開くと、そこには見知った顔。黒い髪の毛。帽子はない。照明が目に痛い。ここは、私の部屋? ぼんやり考えながら、メリーはようやく目を開けた。
「れんこ?」
胡乱な感じに云う。それに対して、蓮子は腰に手を当てて、やれやれと肩を竦めながら額に手を当て、応える。
「全くどうしたのよ、メリーが遅刻するなんて、寝坊なんて」
「あ、え? あ!」
がばっと起き上がって、辺りを見渡し、枕元に時計を見つけて、それを見てメリーは叫び声を上げた。もう時間は夕暮れを過ぎて、夜に差し掛かっていた。
布団を蹴飛ばして、ベッドから飛び出す。
「ご、ごめん蓮子。待たせた?」
「べっつにー、一時間くらい」
きゃー、と叫ぶ。蓮子は笑う。笑いながら、不安げに目を惑わせる。メリーは気がつき、どうしたの、と聞く。蓮子は、何でもない、と首を振る。
じっと、メリーが見つめていると、蓮子は勘弁したように、苦笑い。
「ちょっとね、不安だった」
ベッドの脇に座って、背中を預ける。
「でもさ、メリーはいたし、どこにも行ってなかった」
沈黙。
照明の明かりが眩しい。
窓の外はもう星が瞬いていて、時間はきちんと動いていて。
だからこれは現実で。
おかしくて。
笑えない。そんな訳なくて。
天井。手を伸ばせば届く。
「ねぇ、蓮子」
「何?」
「夢を見たの」
「夢?」
「そう、あなたそっくりの子が出てくる夢」
「へぇ」
でさ、とメリーは続ける。
「聞いて欲しいの。あなたに判断して欲しいの。これは、夢?」
「話してごらんよ。聞いてあげる」
あ、と、メリーが口を押さえる。蓮子はどうしたの、と聞く。メリーは視線を宙に彷徨わせて、照明を見つめるようにして云った。
「一つ聞きたいんだけど、いいかしら?」
「さて、何かしら?」
「もしも、箱庭みたいな中だったら、あなたはどうするの?」
「それは世界が?」
「ええ」
「んー」
口元に手を当てて、じっと俯いて考える。そこまで真剣な質問でもないと云うのに、蓮子は真剣に考えている。しばらくして、顔を上げて蓮子は云う。
「多分、裏技を探すね。どっかへ行きたくて、どこへでも行きたくて」
くすり、とメリーは笑う。
だろうなぁ、と思ったからだ。
どこかへ行きたいんだろうなぁ、と。
閉じられているからどこかへ行きたいんだろう、と。
あー、と息を吸う。
「それじゃあ、聞いて頂戴な。私の今日の夢。そしたら、一緒にどこかへ行きましょう」
なんて云って、蓮子が頷いたのを見ながら、話し始めた。
自分の中で夢を繰り返すようにして、目を瞑って、語る。
[了]
でも2人でならどこまでも行けるね