幻想郷は燃えていた。
川という川はすべて干上がり、大地は悉くひび割れて裂け、草木は一本も残らず、あらゆる生命体はその灼熱に耐えきれずに全て死滅してしまった―――無論、物の喩えである。
しかし、この夏の幻想郷は例年以上に暑かった。
いや、暑いなどと言う生易しいものでは無かった。日中の気温は連日35℃以上をマークしており、そのあまりの暑さにチルノが溶けきってしまったことも一度や二度ではない。
そして今まで熱中症になど掛かったことの無い妖怪たちが暑さ対策など知っているはずもなく、幻想郷中で次々と熱中症で倒れる者が続出していった。
「暑い…」
博麗神社の境内にせっせと桶と柄杓で水を撒いている少女が一人。もちろんこの神社の巫女である博麗霊夢その人である。
「暑い……」
霊夢はうわ言のようにその言葉を呟きながら、けだるさたっぷりに桶から水を掬って石畳へと撒いてく。しかし灼熱の日光に曝され、もはや焼け石と化した石畳に水が当たったところで、水はジュワという音を立てて一気に蒸発していくだけだった。
そして水は一気に蒸気に変わり、特有の蒸れた匂いと石に籠った熱気を拡散させる。
「暑い…何でこんなに暑いのかしら…」
額の汗の拭う。袖の無い巫女服はもうたっぷりと汗を吸い、重くなっていた。
こうなったらと思い、霊夢は桶に残っていた水を頭から被った。
冷たい井戸水が一気に体を濡らす。火照りきった体にはそれが堪らなく心地よかった。
額に張り付いた髪をかき上げ、水を更に吸い込んだ巫女服の上と袖の部分を脱ぎ捨てる。上半身は胸に巻いた濡れたサラシ一つになってしまったが、誰も居ない上に自分の敷地内だ、服を脱いだ所でどうということは無かった。
「おーい霊夢!なんか涼しい事無いかぁ?」
ふと、上の方からそんな声が聞こえた。
空を見やると、箒に跨った霧雨魔理沙が気だるげに自分を見下ろしている。
「涼しくできるなら、とっくにやってるわ。そんな所に居ないで、早く降りて来なさいよ」
そう言うと、魔理沙は肩をすくめながら箒の高度を下げて石畳の上に降り立った。
下からではよく見えなかったが、今日の魔理沙は珍しくいつもの白黒の格好では無かった。
白黒のエプロンっぽいワンピースは夏らしい白いキャミソールになっていて、私よりも涼しそうだった。帽子もあの大きい物ではなく、一回り位小さい白い帽子だ。柔らかい金髪が輝いて見える。
「そんな邪険にしなくてもいいじゃないか。しかし、今日の霊夢は随分と薄着だな。それに何でずぶ濡れなんだ?」
「見てわからない?あんまりにも暑いから水浴びしたのよ。なんならアンタも浴びる?涼しくなるわよ?」
「遠慮する。借り物の服までダメにしたら、アリスに怒られる」
「まで?」
「いや…実は服がもう全部汗と煤汚れでダメになっててな、仕方なくアリスにこの服を借りてるんだ。服は全部洗濯したんだが…なんかこの格好落ち着かなくて…」
「ふーん。とりあえず、私は着替えるから。家に上がりなさいよ。冷たいお茶でも出すわ」
霊夢が踵を返す。魔理沙も箒を担いで後に続いた。
石畳の上を歩くたびにベシャベシャと湿った音がする。やっぱり水浴びなんかしなければ良かったと今更のように軽く後悔した。
とりあえず早く着替えよう。そう思いながら霊夢と魔理沙は灼熱の炎天下から神社に向かった。
「それで?結局、魔理沙は何しに来たワケ?」
濡れた服から新しい巫女服に着替えた霊夢が湯呑みに入れた麦茶を一気に喉に入れる。井戸水で冷やしておいた冷たい麦茶は美味しい以上に熱くなっていた体に効いた。
「何をしにって言われてもな…家にいても暑くて蒸し焼きになるだけだから、霊夢の所に避難してきたってのが正解かな?」
麦茶を一口飲んで快活に魔理沙が答えた。縁側に腰かけ、桶に張った水に足先を突っ込んでる。少しバツの悪そうなその笑顔がとても魔理沙らしいな、と霊夢は思った。
そしてうまく言葉にできないが、なぜか少しだけその事が気になった。
「要はただ暇つぶしに来ただけなのね、呆れた。アリスの所にでも居ればよかったじゃない。服を貸してくれたんでしょ。そのまま居れば何でもしてくれたんじゃないの?」
「いや…そうなんだが…なんか他人の家って落ち着かなくてさ…」
珍しく魔理沙の歯切れが悪い。なぜだろうか。
「それこそ何で私の家に来たのよ?わざわざ落ち着かない所に来てもしょうがないでしょ?」
「いや…うーん…なんて説明したらいいのか…何というか、霊夢の所は別と言うか……むしろ家より落ち着くと言うか…」
「よくわかんないわ」
「そうだな…私にもよく分かんないぜ。とにかく霊夢の所は落ち着くし、居心地がいい。それだけだぜ」
魔理沙は少し笑ってそれだけ言うと、水差しから麦茶を湯呑みへ注いで、また一口飲んだ。
同時に水に浸かった足をバタつかせ、滴を庭へ飛ばして遊んでいる。まるで小さな男の子の遊ぶ仕草だ。
しかし、そんな魔理沙がなんだか見ていて面白くもあり、可愛くもあった。
霊夢は湯呑みの飲み口を傾けた。しかし、先程一気に飲んでしまった為に湯呑みには麦茶は入っていなかった。
「あ、魔理沙。その麦茶取ってくれる?」
「ん?ああ。はい」
「ありがと」
魔理沙から水差しを受け取り麦茶を湯呑みへ注ぐ。水差しの中の麦茶はまだ冷たかった。
麦茶を一口飲みこむ。今度はさっきと違って、炒った麦の香ばしい味がした。美味しい。
霊夢が湯呑みを卓袱台に置いて一息つく。少し小腹が空いた気がした。何か軽い食べ物はあったかと自身の記憶を巡ると、昨日早苗から西瓜を貰っていた事を思い出した。
「そういえば、昨日早苗から西瓜を貰ったけど、よければ食べる?」
「スイカか!いいな!是非いただくぜ」
「じゃあ、ちょっと取って来るから待ってて」
「ちゃんと塩も持ってきてくれよ」
「はいはい。ちゃんと持ってくるわよ」
霊夢が息をついて居間から立ち上がると台所の床下収納へと向かった。床下に取り付けた開閉用の取っ手を力を入れて引っ張る。そのひんやりとした収納スペースの中には、小玉ながらもよく熟れた西瓜が玉葱と一緒にどっかりと鎮座していた。
早速、水で軽く洗った後に半分切り分ける。もう半分は夜にでも取って置こうと保存用の結界を掛けて収納に戻した。
残った半分を8つに切り分ける。それらを皿に移して塩の壜と一緒に盆に載せて魔理沙の居る居間へと戻った。
「魔理沙、お待たせ…ってあら?」
「Zzz…Zzz…」
西瓜を切り終わって霊夢が居間へと戻ってみると、魔理沙は既に居間で寝転がって昼寝していた。
咄嗟に起こそうとも思ったが、無理やり起こすというのも何だか気が引けるので、仕方なく霊夢は切った西瓜にも結界を施し、地下収納へとしまった。
西瓜は後で魔理沙が起きた時にでも食べればいい。
霊夢はそう軽く考え、魔理沙が起きるまで何をしようかと考えを変えた。
何か時間を潰せる物は無いだろうか。そう思い辺りを見渡すと、そこには射名丸文の書いた新聞が置いてあった。暇つぶしには丁度いいので、とりあえず手にとって読むことにした。
座椅子に腰かける。不意に魔理沙の顔がこっちを向いた。起きたのかとも思ったが、寝返りを打っただけらしく、顔は寝顔のままだ。
しかし畳とはいえ、床に寝ている魔理沙の寝顔は若干寝苦しそうな表情だった。
そのままにして置くのは流石に少し気が引けて、霊夢は何か枕の代わりになるような物を探したが、枕になりそうな物は生憎何も無かった。
仕方なく霊夢は伸ばした足の腿の部分に魔理沙の頭を乗せることにした。所謂、膝枕である。
魔理沙を起さないようにそっと頭を持ち上げて、自分の腿へと乗せる。起こさないように扱うのは意外と緊張と慎重さが必要なのだと、霊夢はこの時知った。
魔理沙の頭を軽く撫でる。柔らかくて綺麗な金髪だ。自分の黒い髪とは大違いだ。
手櫛で少し髪を梳いてあげると、魔理沙は気持ちよさそうな寝顔になっていた。
その後しばらく新聞を読んでいた霊夢だったが、やがて魔理沙の睡魔が伝染したのか、霊夢の瞼が段々と重力に逆らえ無くなっていき、手は新聞を持っていられなくなってぶらんと下がり、そこから5分もせずに霊夢も深い眠りの闇に落ちて行った。
ひぐらしの鳴き声で霊夢は目が覚めた。いつの間にか自分も寝てしまっていたらしい。
座椅子にもたれかかった体にはいつの間にかタオルケットが掛けられていた。この家には無い物だ。
「おっ、起きたか」
声のした方を見ると、寝る前に自分が眺めていた新聞を魔理沙も眺めていた。
しかし魔理沙の姿は寝る前まで見ていたキャミソール姿ではなく、いつもの白黒の服だった。
「おはよう。まだスイカを食べてないんだが?」
「よく言うわ。呼んだ時には魔理沙の方が寝てたじゃないの」
「いや…待ってる間に眠くなっちゃってさ…」
「まったく…人の家に来て勝手に昼寝する客が普通いる?」
「普通かどうかは分からないが、ここに一人いるぞ?」
「…もういいわ。じゃあ、西瓜出してくるわね」
「おお、持ってきたら縁側に来てくれ。膝枕のお礼に見せたい物があるんだ。」
「見せたいもの?なに?」
「それは後でのお楽しみだぜ、見たかったら早くスイカを取ってきてくれよ」
「はいはい…」
まったく…我儘なんだから…
霊夢は肩をすくめながら体を起して立ち上がった。寝たままで伸びきっていた少し痺れた足にも血が通い始める。二三歩足踏みすると痺れは完全にとれた。
台所へ向かい、床下収納を開ける。昼間よりも一段ひんやりした感じ。西瓜の皿を取り出す。結界を張っていた事が幸いして、西瓜は瑞々しいままだ。
鮮度保護用の結界を解く。西瓜の皿を再びお盆に載せて縁側へと向かった。
縁側に着くと魔理沙は庭の方で何やらごそごそと何かをセットしていた。
霊夢も縁側に西瓜の盆を置き、庭へと降りる。
「魔理沙ぁ、西瓜持ってきたわよ」
「おお、何度も悪いな。」
「で?見せたいものって?」
「これさ」
魔理沙は手に持った袋から様々な色紙の張り付いた細い棒を一本取り出して霊夢に渡した。
魔理沙自身も紙の色こそ違うが、同じような棒をもう一本袋から取り出す。
「これは?」
「これは花火っていう物さ。火をつけると色々な色の火が出るんだ。香霖がくれた。」
「色んな色の火?火って赤色だけでしょ?」
「いいから見てなって」
言うや否や、魔理沙は持ってきた蝋燭に火を灯すと、蝋燭の火を棒の先端に当てた。
すると棒の先端から勢いよく燃えたかと思うと、淡い緑色の光が棒から噴き出ていた。
その光のあまりの美しさに霊夢は一瞬、我を忘れてその光に魅入られてしまった。
「…綺麗。」
「だろ?ほら、霊夢もやってみな。棒の先に火を点けるだけでいいんだ。」
言われたとおりに、蝋燭の炎を棒に点けてみる。
すると、こちらの棒も勢いよく燃え、美しい澄んだ蒼い炎が現れた。
魔理沙の方の棒は緑色の炎が今度は濃厚な紫色に変っていた。
霊夢には一体どうやってこんな色の炎が出たり、色が途中で変わったりしているのかは全く分からなかったが、それでもこの花火という物がとても美しく素晴らしい物だと言う事だけはわかった。
その間にも霊夢の花火の色が青から黄色に変わった。
霊夢はなんとなくその黄色の炎が魔理沙の髪みたいだな、となんとなく思った。
「ん?私の顔に何か付いてるか?」
いきなり魔理沙が声を掛けてきた。
違う。私の方が魔理沙の顔をいつの間にか、じっと見ていたんだ。
何となく恥ずかしくなった。とりあえず何か言って誤魔化したい。
「何でもないわ。でもホントに綺麗よね。コレ」
「喜んでもらえて何よりだぜ。一回戻って来た甲斐があった」
「これの為に戻ってきたの?てっきり西瓜食べたさに戻って来たのかと思ったわ」
「…お前なぁ…私がそんなに食い意地張ってると思ってるのか?」
「違うの?」
「……もういいよ」
「冗談よ。花火ありがとう。嬉しいわ」
「どういたしまして」
そこまで言い終わると、二人の花火は今までの勢いが嘘のように弱くなり、あっという間に消えてしまった。
「あ…消えちゃった」
「大丈夫だぜ、まだいっぱい持って来てる」
魔理沙が袋を掲げる。しかし霊夢は首を横に振った。
「花火は後でいいから、先に西瓜食べましょ?ぬるくなっちゃうわ」
「そうだな、花火は後でも出来るからな。スイカは冷たい方がいい」
「ほら、やっぱり西瓜食べたいんじゃない。」
「い、いいだろ別に!さぁぬるくならない内に早く食べようぜ」
「ふふふ…はいはい」
そう二人はそう言い合いながら、縁側へと向かった。
原作風味の、いつもなんとなく一緒にいる雰囲気がとても良かったです。
仲良しな二人がかわいいです。
日陰に撒くと温度差による気流が出来て効果的なのぜ。
>熱今まで中症になど→今まで熱中症になど
「博麗神社」ですよ。
和ませて頂きました。
「Zzz...」は次の地の文で説明もあるので削っても良い気がします。
"?"や"!"の後はスペースを開けた方が区切れが見やすくなりますぜ。