冬も終わり、春がまた巡って来る。
鈴はヤマメの言ったように冬を越す事が出来た。
覚悟はしていたが、あれからの鈴の世話はお燐と交代とは言えかなりの負担になった。
食事は口へ運んでやり、トイレも自分ではほぼ出来なくなったのでヤマメに書いて貰っていた方法で何とかさせる。
見た目は痩せてしまって、可愛いとは誰もきっと言いはしないだろう。
それでも鈴は生きる意志を見せ、前と変わらず私に懐いて来た。
私も生きる意志がある限りはと、鈴を看る事を決してやめなかった。
随分と春の気配が強くなった頃、お空がお燐と一緒に鈴の様子を見に来た。
お空は静かに鈴を撫でている。鈴もそう悪い気分では無いようだ。
そう言えばお空が地霊殿に戻って来ていると言う事は、旧灼熱地獄の番も交代の時期だっただろうか。
心を読むと、どうやら時間が出来たので春恒例の宴会に行く途中だったらしい。
「あら、お空宴会に行くの」
「はい、いつもの皆で」
「丁度春ですしね、お燐も行って来なさい」
「え、でも」
鈴の世話をしないと、と言う顔をしている。
「良いから、ここのところ鈴の調子も崩れていないし、たまには行ってらっしゃい」
お燐はうーん、と唸ったが観念したように口を開いた。
「分かりました、一、二刻で戻りますから。あと、さとり様も今のうちに寝ておいて下さいね」
「そうですね、そうしましょうか」
「はいはい、それじゃベッドにどうぞ」
と無理矢理お燐にベッドまで押し込まれてしまった。
「じゃあ、お休みなさいさとり様」
「はい、お休みなさい、ああ、窓とカーテンは開け放しにしておいて構いませんよ」
時折入って来る春の風が心地良い。
「分かりました、それじゃちょいと行って来ます」
日頃の疲れのせいか、お燐たちが出て行った後すぐに眠ってしまった。
・・・
何かの音がする。ああ、鈴が咳をしているのか、起きて様子を見なければ。起きて。
だが、思うように体は起き上がらなかった。疲れているのだろうか。
結局起きる事は出来ず、また意識が無くなって行った。
夕方から夜に差し掛かった頃にようやく目が覚めた。
飛び起きて鈴を見る。
鈴に呼びかけてみても返事が無い。
体を揺すってみたがぴくりともしない。
確認してみると、やはり息をしていなかった。
体を触ってみるとまだ暖かいので、恐らくついさっきまで生きてはいたのだろう。
「あ、ああ、あぁ」
覚悟はしていたつもりだった。
「ごめんなさい、私が・・・」
あの時起きていれば。そう言葉にしたいが、嗚咽で言えなかった。
やるべき事もせずにただ眠っていただけなのだ。鈴が苦しんでいる時に私はのうのうと寝ていた。
その事実が私の心を責める。
・・・
暫く泣いて、漸く嗚咽も止んだ。
丁度お燐が戻って来たようで私の部屋をノックする。
「・・・どうぞ」
そう、お燐にも伝えなければいけない。
「さとり様、鈴のシーツそろそろ交換しましょう」
お燐はそう言って新しいシーツを持って来ているようだった。
「・・・良いの」
「え?」
「ごめんなさい、お燐。シーツはもう良いの」
シーツを替えてあげても、この子はもう喜ぶ事なんて無い。
「ごめんなさい、鈴」
せめて、お燐がシーツを替えるくらいまでは生きていれたかも知れない。
そう思うとますます自分が情けなくなり、また涙がこぼれる。
お燐は私が泣いているのを見てその意味を理解したようだった。
理解した途端、へたっとその場に座り込んでしまう。
「お燐!?」
お空も一緒に帰って来ていたらしく、お燐の姿を見て部屋に入って来た。
「ああ、お空、すまないけど、ちょいと肩貸して貰えないかな」
「え、う、うん」
お燐はお空の肩を借りて私の隣まで歩いて来た。
「さとり様、鈴を葬ってあげます」
いいえ、私にやらせてと言いたかったが、不思議と声にならない。
そんな気力まで失せてしまったのか、そんな資格は私には無いとためらっているのか。
何度言おうとしても、その言葉が出なかったので、ついには諦めて代わりにこう言った。
「ええ、そうして頂戴」
「分かりました」
鈴は新しいシーツに包まれて、部屋を出て行く。
私は見送って、その後よろよろと椅子に腰掛けるのがやっとだった。
・・・
翌朝、お燐から鈴を埋めた事を聞いた。
私は椅子に座った状態で聞いている。昨日から眠れずそのまま。
「ご苦労様お燐。あなたも疲れたでしょうから、今日くらいゆっくりしなさい」
「はい、分かりました」
そう言ってお燐は出て行った。
お燐が出て行った後も、椅子に腰掛けてずっと目の前の壁を見て考え事をしていた。
出て来るのは建設的なものではなく後悔だけ。
あの時ああしていれば、と言う類のものばかりだった。
かと言って眠ってしまったら、鈴の死すら夢の中の話になってしまうのではないか、またあの悪夢を見るのではないかと考えてしまい眠れなかった。
・・・
翌日もこの調子で、部屋から出て来ない私を心配して、お燐が部屋に入って来た。
「さとり様、眠れないんでしたら、医者にでも一度かかった方が」
医者に掛かると言われてヤマメが言っていた事を思い出す。
「・・・まぁ、あんたの事だから大丈夫だと思うけど、何か有ったら『必ず』連絡するんだよ」
今その連絡が必要だと頭では理解していたが、感情が優先して自分がそれで助かってしまう事を拒否していた。
「良いのです、私はこのままで」
「でも」
一瞬でも医者にすがろうなどと考えた自分が浅ましく思えた。
「私は、何と恥知らずなんでしょうね」
「そ、そんな事あるわけ無いじゃないですか!さとり様が恥知らずって言う奴がいるなら、あたいがそうじゃないって事を分からせてやります!」
誰かが鈴の死の事でそう言ったと早とちりしたお燐は、その犯人を捜し出してとっちめてやると考えている。
「いいえ、お燐、そうでは無いのです」
お燐の考えを否定して、自分を恥知らずと思う理由を話した。
当時は感傷的で理由になどなっていなかったと思うが、何を言ったのかもよく覚えていない。
私の話を聞き終わったお燐は私の言った事を否定した。
「だって、仕方ないじゃないですか、ヤマメだって、あと少ししかもたないって」
「仕方ないで済む問題ではありません」
お燐は歯がゆいと言う表情をして更に否定する。
「さとり様が例え起きたとしても鈴は死んでいました」
「何故そう言えるのですか、実際にそうなってみなければ分からない事でしょう」
「いいえ、もう駄目だったんです。起きていても誰か呼びに行ったところで、間に合ったとも思えません」
「万が一が有ったかも知れません」
「万が一?さとり様はそんなに何でも出来る方だったんですか、医者の真似事でもされるつもりだったんですか」
その言葉は正しかった。正しいだけに、感情的になった私の心を抉る。
医者としての知識も経験も無く、他に術も持たない者が死に行く者を救えるだろうか。
頭では無理だと分かっている事も、感情が納得してくれない。
いつの間にかお燐を睨みつけ、これ以上私を否定するなと脅していた。
「黙りなさい、お燐」
だが、お燐もここで止まるような性格ではない。
「いいえ、さとり様はあの時も無力でしたし、今だってその無力さが分かっていない大馬鹿で」
それ以上先は言えなかった。
大馬鹿と言う言葉に激昂したのか、私はお燐を黙らせるために能力を発動していた。
相手のトラウマを強制的に増大し溢れさせ心を押し潰す、最も忌むべき能力。
お燐は倒れて動かなくなった。
我に返り急いで能力を解除して、お燐に駆け寄る。
息はしている、呼吸も規則正しい。
恐らく耐え切れずに気を失ったのが能力を遮断し、幸いしたのだろう。
呼びかけると、すぐに意識を取り戻した。
「大丈夫?」
と手を伸ばしたが、お燐はその手を振り払った。
「あ、あたい・・・ごめんなさい」
恐怖が幾分か和らいだのか、思わず私の手を振り払った事を謝られる。
「いいえ、力を暴走させてしまった私が悪いのです」
改めて自分のした事が恐ろしくなり、お燐から目を逸らして今日のところは出て行って下さいと言うのが精一杯だった。
もう今は何も考えたくない。
お燐は失礼しますと言うと、震える足で何とか立って部屋を出て行った。
・・・
眠りもせず部屋から一歩も出ないまま、ほぼ一週間が経っていた。
あれから暫くは誰も部屋に尋ねては来なかった。
このまま死ぬのも良いかも知れない、そう思っていたら部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
いつもの習慣で思わず返事をする。
入って来たのはお燐だった。
顔を見るとあの時から既に立ち直っているようだったので少し安心した。
「さとり様、とりあえず体を洗いましょう」
体を洗って、頭から水でも被ってすっきりすれば、少しは気分が変わるかも知れないと思っているようだった。
「良いわ」
とすぐに断ったが、お燐は私を持ち上げてそのまま部屋を出る。
「失礼します」
「ちょ、ちょっと」
脱衣所に着くと無理矢理衣服を脱がされ、そのまま風呂場に放り込まれた。
「はい、お背中流しますね」
私の意志などどうでも良いと言う扱いに堪り兼ねて止めようとする。
「いい加減に・・・」
しなさいと言おうとしたが、その先はお燐に取って替わられてしまった。
「いい加減にしなきゃいけないのはさとり様です。今のままじゃ誰のためにもならないって、もうとっくに気付いてるはずです」
頭では理解している。
今までペットの死には何度も遭っているが、その時その時で折り合いをつけて来たのだから。
お燐は黙ってしまった私の背中を洗っていた。
本当にこの程度の事でも気分と言うのは変わるもので、今までの事が頭の中で整理されて行く。
誰かに聞いて貰いたかったのか、断片的な言葉が出て来る。
「眠ったら忘れてしまうようで眠れなかった。忘れて行ってしまうのが怖くて、ずっとその事だけ考えていたわ」
「今もこうしていると、記憶も一緒に流れて、忘れてしまうんじゃないかって」
「忘れませんよ」
ふいにお燐が遮る。
「洗ったからって、後悔した事まで忘れますか?」
「忘れられるわけないでしょう」
思い出が消えても、後悔と言うものは消えない。それだけ後悔と言う感情は強い。
「では、消えないんです。後悔ってやつは心に深く染みついて、どんなに必死に洗い落とそうとしても駄目なんです。
そうやって後悔ってやつで、自分の中で、ここで、ずっと繋がっているんです」
心を指して鈴の記憶や、他の記憶も後悔と言う名でここにあるのだと言う。
「本当に?」
「ええ、心を読んで貰っても良いですよ」
自慢げに言っているが、納得するところはあった。
後悔の中に記憶を求める。
「だからそうして覚えていてあげて下さい、鈴の事」
「忘れない、後悔した事は」
今は後悔する事も辛いが、忘れないでいられるのならそれも悪くない。
泣いているのが聞こえたのか、お燐が私を引き寄せて抱きしめる。
泣くのもこれで最後と、私はそれに甘える事にした。
お風呂から出てすぐに眠りたかったが、お燐に食事は取って下さいと言われて食事を取る事にした。
たまたまお空が先に食事を取っていて、余りにも美味しそうに食べるので私もつい食べ過ぎてしまった。
自室に戻ると、そこからは泥のように眠った。
・・・
立ち直ったのは良いが、翌日からが大変だった。
一週間分以上の溜まった仕事、まずはそれを急ぎ片付けなければいけない。
春の時期だけにやらなければいけない事はたくさんある。
橋姫の水橋パルスィが訪ねて来たのはそんな忙しく仕事を片付けている時だった。
どこからか今回の騒ぎを聞きつけたらしい。
彼女は珍しくドアを蹴り開けて、つかつかと私の前まで来るとパァンと良い音を立てて私を引っぱたいた。
何かしただろうかと不思議な顔をしていると、更に不機嫌になって一方的にまくし立て始めた。
このボケ!だのトウヘンボク!だの言われてますます分からないと言った顔をしているとこう言った。
「妹の事は愚痴を言いに来るのに、自分の事になるとだんまりってのは都合が良すぎるわ」
つまり今回の件で相談に行かなかったのが気に食わなかったらしい。
ふとおかしくなって吹き出したら、更にもう一発引っぱたかれた。
「まぁ、大丈夫そうだから今日は帰るわ、それと近い内に必ず顔出しなさいよ」
そう言うと腫れた手を振りながらまたドアを蹴って出て行ってしまった。
一緒にいたお燐も苦笑いしている。これがツンデレと言う奴だろうか。
それから、いつの間にかお燐がヤマメを呼んでいたようだ。
「医者泣かせだねぇ、古明地さんは」
笑いながら額に青筋を立てて、忠告を無視された事に相当腹を立てているようだった。
そこからは説教の嵐で、正座をさせられ一時間ほど絞られた。
こうして春は慌しく過ぎて行った。
そんな中でも、ふと胸に手を当ててみると、後悔した事が痛みと供に鮮明に思い出せる。
お燐はこうやって後悔と付き合って来たのだろうか。
・・・
ようやく秋が来てまた暇が出来るようになると、決心してお燐が埋めたと言う鈴の墓に向かった。
「遅れてしまいましたが、ようやくあなたのところへ来れました」
そう挨拶をして簡単に墓の周りを掃除する。
「私はあなたの前に立つ資格など無いのかも知れませんが」
せめて祈らせて下さい。
そう念じてお燐にいつか教えた「Be of good cheer」と言う台詞を心に浮かべる。
風が吹き、墓に掛けられた鈴が一度チリンと鳴り、それからまた静かになった。
「それでは、今度会うときがあればまた」
そう言って私は鈴の墓をあとにした。
-完-
鈴はヤマメの言ったように冬を越す事が出来た。
覚悟はしていたが、あれからの鈴の世話はお燐と交代とは言えかなりの負担になった。
食事は口へ運んでやり、トイレも自分ではほぼ出来なくなったのでヤマメに書いて貰っていた方法で何とかさせる。
見た目は痩せてしまって、可愛いとは誰もきっと言いはしないだろう。
それでも鈴は生きる意志を見せ、前と変わらず私に懐いて来た。
私も生きる意志がある限りはと、鈴を看る事を決してやめなかった。
随分と春の気配が強くなった頃、お空がお燐と一緒に鈴の様子を見に来た。
お空は静かに鈴を撫でている。鈴もそう悪い気分では無いようだ。
そう言えばお空が地霊殿に戻って来ていると言う事は、旧灼熱地獄の番も交代の時期だっただろうか。
心を読むと、どうやら時間が出来たので春恒例の宴会に行く途中だったらしい。
「あら、お空宴会に行くの」
「はい、いつもの皆で」
「丁度春ですしね、お燐も行って来なさい」
「え、でも」
鈴の世話をしないと、と言う顔をしている。
「良いから、ここのところ鈴の調子も崩れていないし、たまには行ってらっしゃい」
お燐はうーん、と唸ったが観念したように口を開いた。
「分かりました、一、二刻で戻りますから。あと、さとり様も今のうちに寝ておいて下さいね」
「そうですね、そうしましょうか」
「はいはい、それじゃベッドにどうぞ」
と無理矢理お燐にベッドまで押し込まれてしまった。
「じゃあ、お休みなさいさとり様」
「はい、お休みなさい、ああ、窓とカーテンは開け放しにしておいて構いませんよ」
時折入って来る春の風が心地良い。
「分かりました、それじゃちょいと行って来ます」
日頃の疲れのせいか、お燐たちが出て行った後すぐに眠ってしまった。
・・・
何かの音がする。ああ、鈴が咳をしているのか、起きて様子を見なければ。起きて。
だが、思うように体は起き上がらなかった。疲れているのだろうか。
結局起きる事は出来ず、また意識が無くなって行った。
夕方から夜に差し掛かった頃にようやく目が覚めた。
飛び起きて鈴を見る。
鈴に呼びかけてみても返事が無い。
体を揺すってみたがぴくりともしない。
確認してみると、やはり息をしていなかった。
体を触ってみるとまだ暖かいので、恐らくついさっきまで生きてはいたのだろう。
「あ、ああ、あぁ」
覚悟はしていたつもりだった。
「ごめんなさい、私が・・・」
あの時起きていれば。そう言葉にしたいが、嗚咽で言えなかった。
やるべき事もせずにただ眠っていただけなのだ。鈴が苦しんでいる時に私はのうのうと寝ていた。
その事実が私の心を責める。
・・・
暫く泣いて、漸く嗚咽も止んだ。
丁度お燐が戻って来たようで私の部屋をノックする。
「・・・どうぞ」
そう、お燐にも伝えなければいけない。
「さとり様、鈴のシーツそろそろ交換しましょう」
お燐はそう言って新しいシーツを持って来ているようだった。
「・・・良いの」
「え?」
「ごめんなさい、お燐。シーツはもう良いの」
シーツを替えてあげても、この子はもう喜ぶ事なんて無い。
「ごめんなさい、鈴」
せめて、お燐がシーツを替えるくらいまでは生きていれたかも知れない。
そう思うとますます自分が情けなくなり、また涙がこぼれる。
お燐は私が泣いているのを見てその意味を理解したようだった。
理解した途端、へたっとその場に座り込んでしまう。
「お燐!?」
お空も一緒に帰って来ていたらしく、お燐の姿を見て部屋に入って来た。
「ああ、お空、すまないけど、ちょいと肩貸して貰えないかな」
「え、う、うん」
お燐はお空の肩を借りて私の隣まで歩いて来た。
「さとり様、鈴を葬ってあげます」
いいえ、私にやらせてと言いたかったが、不思議と声にならない。
そんな気力まで失せてしまったのか、そんな資格は私には無いとためらっているのか。
何度言おうとしても、その言葉が出なかったので、ついには諦めて代わりにこう言った。
「ええ、そうして頂戴」
「分かりました」
鈴は新しいシーツに包まれて、部屋を出て行く。
私は見送って、その後よろよろと椅子に腰掛けるのがやっとだった。
・・・
翌朝、お燐から鈴を埋めた事を聞いた。
私は椅子に座った状態で聞いている。昨日から眠れずそのまま。
「ご苦労様お燐。あなたも疲れたでしょうから、今日くらいゆっくりしなさい」
「はい、分かりました」
そう言ってお燐は出て行った。
お燐が出て行った後も、椅子に腰掛けてずっと目の前の壁を見て考え事をしていた。
出て来るのは建設的なものではなく後悔だけ。
あの時ああしていれば、と言う類のものばかりだった。
かと言って眠ってしまったら、鈴の死すら夢の中の話になってしまうのではないか、またあの悪夢を見るのではないかと考えてしまい眠れなかった。
・・・
翌日もこの調子で、部屋から出て来ない私を心配して、お燐が部屋に入って来た。
「さとり様、眠れないんでしたら、医者にでも一度かかった方が」
医者に掛かると言われてヤマメが言っていた事を思い出す。
「・・・まぁ、あんたの事だから大丈夫だと思うけど、何か有ったら『必ず』連絡するんだよ」
今その連絡が必要だと頭では理解していたが、感情が優先して自分がそれで助かってしまう事を拒否していた。
「良いのです、私はこのままで」
「でも」
一瞬でも医者にすがろうなどと考えた自分が浅ましく思えた。
「私は、何と恥知らずなんでしょうね」
「そ、そんな事あるわけ無いじゃないですか!さとり様が恥知らずって言う奴がいるなら、あたいがそうじゃないって事を分からせてやります!」
誰かが鈴の死の事でそう言ったと早とちりしたお燐は、その犯人を捜し出してとっちめてやると考えている。
「いいえ、お燐、そうでは無いのです」
お燐の考えを否定して、自分を恥知らずと思う理由を話した。
当時は感傷的で理由になどなっていなかったと思うが、何を言ったのかもよく覚えていない。
私の話を聞き終わったお燐は私の言った事を否定した。
「だって、仕方ないじゃないですか、ヤマメだって、あと少ししかもたないって」
「仕方ないで済む問題ではありません」
お燐は歯がゆいと言う表情をして更に否定する。
「さとり様が例え起きたとしても鈴は死んでいました」
「何故そう言えるのですか、実際にそうなってみなければ分からない事でしょう」
「いいえ、もう駄目だったんです。起きていても誰か呼びに行ったところで、間に合ったとも思えません」
「万が一が有ったかも知れません」
「万が一?さとり様はそんなに何でも出来る方だったんですか、医者の真似事でもされるつもりだったんですか」
その言葉は正しかった。正しいだけに、感情的になった私の心を抉る。
医者としての知識も経験も無く、他に術も持たない者が死に行く者を救えるだろうか。
頭では無理だと分かっている事も、感情が納得してくれない。
いつの間にかお燐を睨みつけ、これ以上私を否定するなと脅していた。
「黙りなさい、お燐」
だが、お燐もここで止まるような性格ではない。
「いいえ、さとり様はあの時も無力でしたし、今だってその無力さが分かっていない大馬鹿で」
それ以上先は言えなかった。
大馬鹿と言う言葉に激昂したのか、私はお燐を黙らせるために能力を発動していた。
相手のトラウマを強制的に増大し溢れさせ心を押し潰す、最も忌むべき能力。
お燐は倒れて動かなくなった。
我に返り急いで能力を解除して、お燐に駆け寄る。
息はしている、呼吸も規則正しい。
恐らく耐え切れずに気を失ったのが能力を遮断し、幸いしたのだろう。
呼びかけると、すぐに意識を取り戻した。
「大丈夫?」
と手を伸ばしたが、お燐はその手を振り払った。
「あ、あたい・・・ごめんなさい」
恐怖が幾分か和らいだのか、思わず私の手を振り払った事を謝られる。
「いいえ、力を暴走させてしまった私が悪いのです」
改めて自分のした事が恐ろしくなり、お燐から目を逸らして今日のところは出て行って下さいと言うのが精一杯だった。
もう今は何も考えたくない。
お燐は失礼しますと言うと、震える足で何とか立って部屋を出て行った。
・・・
眠りもせず部屋から一歩も出ないまま、ほぼ一週間が経っていた。
あれから暫くは誰も部屋に尋ねては来なかった。
このまま死ぬのも良いかも知れない、そう思っていたら部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
いつもの習慣で思わず返事をする。
入って来たのはお燐だった。
顔を見るとあの時から既に立ち直っているようだったので少し安心した。
「さとり様、とりあえず体を洗いましょう」
体を洗って、頭から水でも被ってすっきりすれば、少しは気分が変わるかも知れないと思っているようだった。
「良いわ」
とすぐに断ったが、お燐は私を持ち上げてそのまま部屋を出る。
「失礼します」
「ちょ、ちょっと」
脱衣所に着くと無理矢理衣服を脱がされ、そのまま風呂場に放り込まれた。
「はい、お背中流しますね」
私の意志などどうでも良いと言う扱いに堪り兼ねて止めようとする。
「いい加減に・・・」
しなさいと言おうとしたが、その先はお燐に取って替わられてしまった。
「いい加減にしなきゃいけないのはさとり様です。今のままじゃ誰のためにもならないって、もうとっくに気付いてるはずです」
頭では理解している。
今までペットの死には何度も遭っているが、その時その時で折り合いをつけて来たのだから。
お燐は黙ってしまった私の背中を洗っていた。
本当にこの程度の事でも気分と言うのは変わるもので、今までの事が頭の中で整理されて行く。
誰かに聞いて貰いたかったのか、断片的な言葉が出て来る。
「眠ったら忘れてしまうようで眠れなかった。忘れて行ってしまうのが怖くて、ずっとその事だけ考えていたわ」
「今もこうしていると、記憶も一緒に流れて、忘れてしまうんじゃないかって」
「忘れませんよ」
ふいにお燐が遮る。
「洗ったからって、後悔した事まで忘れますか?」
「忘れられるわけないでしょう」
思い出が消えても、後悔と言うものは消えない。それだけ後悔と言う感情は強い。
「では、消えないんです。後悔ってやつは心に深く染みついて、どんなに必死に洗い落とそうとしても駄目なんです。
そうやって後悔ってやつで、自分の中で、ここで、ずっと繋がっているんです」
心を指して鈴の記憶や、他の記憶も後悔と言う名でここにあるのだと言う。
「本当に?」
「ええ、心を読んで貰っても良いですよ」
自慢げに言っているが、納得するところはあった。
後悔の中に記憶を求める。
「だからそうして覚えていてあげて下さい、鈴の事」
「忘れない、後悔した事は」
今は後悔する事も辛いが、忘れないでいられるのならそれも悪くない。
泣いているのが聞こえたのか、お燐が私を引き寄せて抱きしめる。
泣くのもこれで最後と、私はそれに甘える事にした。
お風呂から出てすぐに眠りたかったが、お燐に食事は取って下さいと言われて食事を取る事にした。
たまたまお空が先に食事を取っていて、余りにも美味しそうに食べるので私もつい食べ過ぎてしまった。
自室に戻ると、そこからは泥のように眠った。
・・・
立ち直ったのは良いが、翌日からが大変だった。
一週間分以上の溜まった仕事、まずはそれを急ぎ片付けなければいけない。
春の時期だけにやらなければいけない事はたくさんある。
橋姫の水橋パルスィが訪ねて来たのはそんな忙しく仕事を片付けている時だった。
どこからか今回の騒ぎを聞きつけたらしい。
彼女は珍しくドアを蹴り開けて、つかつかと私の前まで来るとパァンと良い音を立てて私を引っぱたいた。
何かしただろうかと不思議な顔をしていると、更に不機嫌になって一方的にまくし立て始めた。
このボケ!だのトウヘンボク!だの言われてますます分からないと言った顔をしているとこう言った。
「妹の事は愚痴を言いに来るのに、自分の事になるとだんまりってのは都合が良すぎるわ」
つまり今回の件で相談に行かなかったのが気に食わなかったらしい。
ふとおかしくなって吹き出したら、更にもう一発引っぱたかれた。
「まぁ、大丈夫そうだから今日は帰るわ、それと近い内に必ず顔出しなさいよ」
そう言うと腫れた手を振りながらまたドアを蹴って出て行ってしまった。
一緒にいたお燐も苦笑いしている。これがツンデレと言う奴だろうか。
それから、いつの間にかお燐がヤマメを呼んでいたようだ。
「医者泣かせだねぇ、古明地さんは」
笑いながら額に青筋を立てて、忠告を無視された事に相当腹を立てているようだった。
そこからは説教の嵐で、正座をさせられ一時間ほど絞られた。
こうして春は慌しく過ぎて行った。
そんな中でも、ふと胸に手を当ててみると、後悔した事が痛みと供に鮮明に思い出せる。
お燐はこうやって後悔と付き合って来たのだろうか。
・・・
ようやく秋が来てまた暇が出来るようになると、決心してお燐が埋めたと言う鈴の墓に向かった。
「遅れてしまいましたが、ようやくあなたのところへ来れました」
そう挨拶をして簡単に墓の周りを掃除する。
「私はあなたの前に立つ資格など無いのかも知れませんが」
せめて祈らせて下さい。
そう念じてお燐にいつか教えた「Be of good cheer」と言う台詞を心に浮かべる。
風が吹き、墓に掛けられた鈴が一度チリンと鳴り、それからまた静かになった。
「それでは、今度会うときがあればまた」
そう言って私は鈴の墓をあとにした。
-完-
8. >何だかんだ言わずにさようならと泣いて別れれば済む話ではあるんですけどね。