私の鼻腔がまるでゆっくりと口の中で溶かしたマシュマロのような香りで満たされた時、それが目覚めの合図なのだな、と適当に理解して私は目を開いた。
目を開くとそこは輝くような一面の花畑であった。
名前は知らないが、春の木漏れ日のようにきらきらと輝きを放つ花達がアンセムのコーラスを歌っていた。
そうか、ここが世界の終わりなのだな、と私ははっきりと理解した。
私は、とりあえず大きく伸びをするとひょいと勢いをつけて立ち上がった。
「そう、その通りよ。ここが世界の終わり」
目の前の突如現れたと見えるさとり姉さんが私をじっと見つめて言った。
姉さんの目には、大げささとか傲慢さとかそういうような態度は全く見えず、世界の真実を小学生の子供に教えるような先生のような保護欲に満ち溢れた目で私を見ていた。
ふむ、と私は空を見上げた。太陽の横に月が昇っていて、空はまるで地獄の釜のように真っ赤だった。
適当に心では理解していても、頭での理解って難しいなあ、と私は思った。
でも、まあ世界の終わりってこんなものではないかなあ、という気もする。
なんとなく空に向かって手を振ると、太陽はぴかぴかと輝き返し、月はきらきらと煌き返した。
このサービス精神の良さ、家のペット達にも見習わせたいなあ、とかそんなことをぼんやりと思い、そして、ふと疑問に思ったことを姉さんに聞いてみた。
「ねえ姉さん、私のペット達はどうなったのかしら」
「ここには居ないわ」
なるほど、まあ確かに世界の終わりにはペット達も来れないよなあ、と私はため息を付いた。
うーん、私が居なくてあいつらちゃんとご飯食べれてるのかしら。ちょっと心配。
喉が渇いたので太陽の光を手ですくって、一気に飲み干した。真夏の暑い空気の味がした。
私は、手をぱっぱと振って光の残滓を回りにばら撒いてから、姉さんに聞いてみた。
「で、ここが世界の終わりなのは多分姉さんの言うとおりなのだと思うけど、これから私達は一体何をするのかしら」
「ここで、終わりをただ見つめてれば良いの。私達に必要なのは、待つこと」
姉は、さっきと全く表情を変えずに言った。世界の終わりって意外とのんびりって感じだな、と思った。
地上に居た天気予報士って名乗る人種は、雲の流れとか空の色とかで天気を予測するような仕事をしていると聞いたけど、
それに習って言えば私達は終末予報士なのかしら、しかし終末予報ってなんだろ。
「今回の終末は結構あぶねーです。できるだけ机の下に逃げましょう」とか予報するのかしら。
そんなこんなの雑事をぼーっと考えてるうちに、空の色がだんだん赤から青といった色彩に変わってきた。
それにあわせて、太陽は東に、月は西のほうに少しづつ移動していった。
「今回の終わりは、なかなか派手のようね。こいし、貴方の日ごろの行いが良いからだと思うわ」
「神様は見ていますよって人間の親がよく言うのはそういうことだったのね」
ふむ、世界の全てはどこかで繋がってるってことなのかしら。なかなか世の中上手くできてるのね。
やっぱ、日ごろの行いがいいと全体的に得するというかそんな感じ。多分私の予想では、悪い子が見る世界の終末はもっと黒くていやーな感じじゃないでしょうか。
経ち続けてるのも疲れたので、花のじゅうたんの上にごろりと寝転がって変わっていく空を眺めることにした。
どんどん太陽も月もお互いに離れていって、空はどんどん黒くなっていった。
墨汁を零したみたいに黒くなっていくなーと眺めていたら、空の下の私達の周りの空気まで黒く染まり始めた。
なんとなく面白かったので眺め続けていたら、ついに私の視界が全部真っ黒になってしまった。
「ねえお姉ちゃん。視界真っ暗なんだけどそっちは大丈夫ー?」
「こ、こいし。どこにいるの?ねえ、そこにいるの?大丈夫かしら?怪我してない?」
「なんでそんな急に動揺してるのよ。さっきまでと全然キャラ違うじゃない」
「さ、さっきまではこいしが目の前にちゃんと居たから。だけど、今は怖い。瞬きした瞬間に貴方の声が聞こえなくなってるかと思うと怖い」
姉さんの声は、さっきまでとは本当に別人のようにがたがたと震えていた。
私は、直感と聴覚を頼りに姉が居ると思われる方向に思い切り手を伸ばした。
そして、姉さんの雨に濡れた子犬のように震える手を、狙い通りしっかりと掴んだ。
「こいしの手。暖かいわね」
姉さんは、ゆっくりとうわ言のように呟いた。
「手の温かい人は心は冷たいらしいけど」
私は、茶化すようにいうと姉さんは首をぶんぶんと振って(そんな感じがした)言った。
「そんなことないわ。たまにちょっと冷たい時もあったけど、こいしは私の大切な妹よ。誰にも負けないぐらい素敵な」
姉さんは、私の手を握り返して、自分の少し控えめな胸へと当てた。
久々に触れた姉さんの素肌は、まるで干したばかりのお布団のようにふんわりと暖かかった。
「ねえこいし、わかる? 私の心がすごくどきどきしてるの。私は、最後の最後であなたにやっと素直になれた」
「そんな、お姉ちゃんはずっと……」
「いいえ、私は心のどこかで貴方に壁を感じていた。自分と違って目を閉じたあなたに。本当に、本当にごめんなさい」
「うん、わかったわ。姉さんのこと、許してあげる」
私が、そういった瞬間。世界は、ぱりんと乾いた、それでいて小気味良い音を立てて砕け散った。
眩しい、明るい明るい真っ黒な闇がどんどんどんどん流れ出して世界を満たしていく。
「こいし、こいし! 私は貴方に会えて本当に良かった、こんな世界の終わりまで来ないと素直になれなかったけど、今なら貴方のこと――」
姉さんの声がぼんやりと遠くから聞こえる気がする。耳から聞いてるというよりは、心から血管を通って体全体に流れ込んでくる感じ。
この感じは、懐かしい。たしか、私が第3の目で人の心を聞いていたときの感覚だ。
姉さんの声が、愛が、私の心を一杯にしていく。
どうして気付いてやれなかったのだろう。最初から私の世界は姉さんの愛で一杯だったのだ。
それなのに私の第3の目は閉じてしまっていて、それに気付けなかった。だけど、今ならはっきりと感じ取れる。
姉さんの愛が、私の体を、心をゆっくりと撫でて、抱きしめて、包み込む。
守りたい。抱きしめたい。そんな感情が脳の中を甘い蜜で満たし、私の凍っていた心をゆっくりと溶かし始める。
そして――
世界は、終わった。
ふっと、一個の熱量がこの場から無くなってしまった気がした。
「ご臨終です」
医者が、沈痛な面持ちで告げる。
こいし様の死。
その現実は、確かに私の心を少しだけ重くしたが、それ以上に……。
こいし様の手を一週間握り続けて、ずっとこいし様の心にアクセスし続けたさとり様。
そして、臨終の時のこいし様の表情。それが、この姉妹の全てを物語っているような気がした。
さとりとこいしは、全く同じ表情――全ての存在への慈愛に満ちた表情でお互いに向かって微笑みかけていた。
かっこいい
こいつぁかっこいい
ただ、すごいなとは感じました。
世界の終わりは夢の中のような、そんな感じ。
こいしの世界の描写が素晴らしかったです。
悲しいけど、こいしにとっては幸せな最期だったのかも
心のどこかに響きました。
死なんて得てしてそういうものなのかも知れませんが
今の際に見ている夢の世界だとわかって読み返すと
怖いような切ないような感覚になります
世界が終わる直前の描写で
第三の目が開いて、さとりの意識を直で感じ取ったのかなと思いました
世界の終わりに来るまでお互い素直になれなかった。でも、最後に分かり合い笑い会えたのなら、それも幸せに感じれるのかな