紅い魔の館
うす暗い地下室
重厚な扉を叩く音
私は気だるげに顔を上げる
私の瞳が彼女を映し
私の胸奥は抉られる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
所々に裂けた薄紅色のドレスが見える。
おそらく治癒しきれない傷が、多数。
彼女からは血の香りが漂う。
部屋の隅で蹲る私を認め、
彼女は瞳に強い光を湛えながら、泰然とした足取りで私に近づく。
そして、優雅とさえ思える仕草で、静かに私の前に立つ。
けれど私は何も言わない。
それを言葉にしたところでどうなるだろう。
言ったところで傷が治癒するわけでもない。
むしろ、私の言葉を疎ましく思うんだろう?
誇りがすべてであるあなたには。
「………………は………………った。」
「……」
「……が……に……」
「……」
「フラ……る……か?」
「……え?」
「だから、ちゃんと聞いているのか?」
「……聞いてるよ」
うろ覚えのまま、お姉さまの話を統合すると、私達を襲った奴等はパチュリー達が来ると同時に撤退していったらしい。けれど、私にとっては今更だった。
上で何があったかなんて最早どうでもいいことだった。
これからどうするのか。
今の私にとって重要なのはそれだけだった。
もっとも聞くまでもなく、お姉さまと再会した瞬間に理解はしていた。
おそらく、お姉さまはあいつを殺しに行くだろう。
あいつもきっと、もう一度お姉さまを殺しに来る。
(そして、お姉さまは殺される)
あいつは強くて、抜け目がなかった。
そう思わせるだけの、力と殺気と意志があった。
私は手の中にある4本の銀のナイフを握り潰す。全てをひと呼吸のうちに破壊すると、一息ついて立ちあがり、お姉さまと共に地下室の外へと出て行った。窓の外を見ると間もなく夜が明けるのが見て取れた。朝焼けの中、光の差し込まないうす暗い馴染みのこの館が、幻想郷での唯一の安息地だった。それがいつまで続くのかは分からないが。
手当てを受け、血を拭い、体を洗い、着替えて再び地下のベッドに横になる。
その私の手には、なれない自分以外の温度があった。
それは酷く私を落ち着かせなくさせる。
誰かと一緒に寝た記憶のない私には、意識のない時に誰かが側にいるという事に抵抗があったし、それがお姉さまなら尚更だった。だから、あいつが私のベッドに来た時は、すぐに体を押しのけて降りようとした。けれど、無理やり腕をひかれて体がもう一度ベッドに戻される。それならばとあいつをベッドから追い出そうとしたが、あいつは絶対動こうとしなかった。忌々しかったが、これ以上は面倒になり私はベッドの隅で丸くなった。
たまに分からなくなる。お姉さまの心も、自分の心も。
分かるのは、お姉さまといるととてもめんどくさい。
考えたくないのに、考えている。
何が見えているのか。
何が聴こえているのか。
何が嫌いなのか。
何が好きか、はどうでもいい
過去の一度も好かれようなんて思ったことはない。
それくらいに、私はお姉さまを嫌っている。
規則正しい呼吸が隣から聞こえ、私は視線をお姉さまに向ける。いつもの、意地悪い顔の姉は影を潜め、傷だらけの手で静かに私の手を取っている。一方の私の手の傷はほとんどが塞がりかけていた。
あいつらが――あいつが先に攻撃してきたのはお姉さまではなく私だった。何の能力か、避ける暇もなく銀のナイフが四肢を貫いていた。微かな痺れとともに身動きが一瞬とれなくなり、続けざま、正確に心臓を狙って投擲されたナイフを認めた瞬間、私は地下室に転送されそのまま閉じ込められていた。
暫くして、私を迎えに来たあいつの第一声は――抑揚のない、無表情なままの第一声は「怪我の具合はどうだ?」だった。
私が黙っていると、確かめるように肩に触れてきた。
まったく、腹立たしかった。
殺してやりたくなるくらいに。
こんな手、もう振り払ってしまおうか。
そんなことを考えていたら、隣で身じろぐ気配がした。視線を上げるとお姉さまと目があった。なんだ起きていたのかと、私は今度こそ手を離そうと腕を引く。しかし、思いの外しっかりと握られていて外れない。
眉をひそめるが、あいつは手を握ったまま、無言で私の瞳を見つめてくる。
不意に心臓が不規則な鼓動を始めた。酷く居心地が悪くて、すごく嫌な気分だった。
「なに?」
隠すのも面倒で気分そのままに、おざなりに声を出す。
「いや……なに。大丈夫だよ」
不快な元凶は少し困ったように首をかしげて笑っている。
「何が?」
「だから、あいつは私が必ず殺してやるってこと」
本当に腹立たしい。傷だらけで偉そうに。おまけに自分はお前を理解しているんだとでも言いたげな口調が私の癇に障り、繋がれた手を振りほどいて、私はお姉さまを睨みつける。
「なんだ、そんな怖い顔をして。怪我はもう痛くないんだろ? それとも、そんなにあいつが怖かった?」
「怖かった?」というその言葉に思わず上半身を起こして見据えると、意地の悪い笑みを零すいつものお姉さまがいた。その表情からからかわれているのは分かった。しかしそれが、あながち間違いではなかったことが、さらに私の不機嫌を誘った。
「私より、弱いくせに」
私が吐き捨てるように言うと、お姉さまはわざとらしく肩を竦めて見せた。
「確かにお前とは何度もやり合ってきたけど、お前の中では勝ち負けなんてものがあったのか?」
「あったね。私の記憶が正しければ、お姉さまは全戦全敗になっているけど?」
挑発的に言うが、お姉さまは怒るでもなく小さく笑っていただけだった。この姉はいつもそうだ。やたらとプライドが高いくせに、それにがんじがらめに囚われているふうではない。融通がきかないくせに、変に大らかなところがある。そんな矛盾した気質を備えている。だから、いつもわからなくなるんだ。
「ひどいな。私の中では全戦全引き分けなんだが。第一、私はお前相手にはいつも本気をだしていないだけだよ」
「出せばいいじゃないか。所詮はお遊びでしょう? 体だって暫くすれば再生する」
「姉とはそういうものなんだよ」
お前にはわからないだろうな。などと、また人の神経を逆なでする物言いをする。
「何それ。意味わかんない」
「妹が本気を出さないのに、出せるわけがないだろう」
「……お姉さまが本気じゃないからでしょう?」
私がそう言うと、楽しそうにお姉さまは笑う。
数百年一緒にいてもわからない。何がそんなにおかしいというのか。
何時――間際にでもあいつが来るかもしれないのに。
なんで、笑っていられるの。
「どうした? 急に黙り込んで。」
先程からのやり取りが私の心を刺々しくしていた。これ以上は何も言いたくなかった。今日だけは喧嘩なんかしたくなかった。私は視線を合わせないままに、答えを投げ返した。
「別に。妹になんてなるんじゃなかったと思って」
「なっ! ……私、だって――もうちょっと可愛げのある妹が欲しかったさ……」
「は? なにそれ」
「……なんだよ」
「……」
「……」
「妹だったら――」
「何?」
「お姉さまが私の妹だったら、殴ってるところだよ」
「なんだと?」
「いっつも私にしてるじゃん。やりたい放題。私の意思なんてお構いなしでさ。勝手に決めて勝手に動いて、私には何もするなと押さえつけて。それが、姉だって言うんだったら私は姉になりたかった」
「今更そんなこと言ってもしょうがないだろ。私の方が先に生まれたんだから」
「――ああ、そうだね。お姉さまはそれを大義名分に好き勝手して一人満足していられる。私がどんな気持ちでいるかも知らないで。私は部屋の隅で震えているほど弱くもないし、大人しくもないのに。おまけに、傷付けられて笑っていられるほどお人好しでもない。あいつが先に私を狙ってきたのだって意味があるんじゃないの? あいつは馬鹿じゃない。戦いの最中も決して距離を詰めるようなことはしなかった。どういう種族かは知らないけれど、吸血鬼相手に接近戦を挑める奴なんてそうそういやしない。あいつは自分の身体能力を把握し、遠距離でも有効に攻撃できる自分の能力の特性を理解した上で仕掛けてきた。その能力だって見たのは、私は一度きり。むやみに見せつけるようなこともしなかった。お姉さまはあいつの能力を理解した? あいつに傷の一つでもくれてやったの?」
「仕方ない」と言うその一言が、私に一瞬我を忘れさせた。それは喉に引っかかっている、すべての言葉を吐き出させた。いつもだったら無理やり飲み下しているそれを、一気に押し上げるだけの威力をお姉さまの言葉は持っていた。けれど、言い切ったと思った後も喉のつかえはとれなかった。小骨ほどの何かが、喉の奥に引っかかり不快な気分を煽ってくれた。浅い呼吸を繰り返す自分の喉元を私は片手で軽く押さえた。
お姉さまはそんな私をじっと見ると、小さく一言返してくる。
「……いや」
「――なのに、引き際も心得ていた。パチュリー達が来たからあいつは退いた。むやみに命を投げ出すような、馬鹿な真似はしなかった」
そこまで言って、ようやく私は一息ついた。外の空気を吸って、吐いた。お姉さまは何も言わなかった。紅い瞳でただ私を見ているだけだった。理不尽なことを言っているつもりはない。なのに、私はその瞳から逃れるために、続けて口を開かざるを得なかった。責めているはずの私の方が、何故だかお姉さまに責められているみたいで、酷く居心地が悪かった。
「ねぇ、確かに私はお姉さまの妹で、それはそれでいいんだよ。けれど、今だけはそこから解放してくれてもいいんじゃない?」
「何が言いたい」
「私の好きにさせてよ」
「なに?」
「今度は私があいつと殺し合う。別にいいよね。実を言うと、お姉さまさえよければ、二人がかりであいつを殺ちゃっても構わないと私は思っているんだけど」
「……あいつはお前の時だって、たった一人で不意打ちもせず正面から挑んできただろう?」
「そう、そういうところはお姉さまとそっくりだったね。まぁ、他の奴らは屑ばかりだったし、私達を分断させるくらいにしか役に立たなかったっていうのが本当のところなんだろうけれど。でも、いいよ。そんなに嫌なら、お姉さまの意思とあいつの無謀な行動を尊重する。お姉さまは見ているだけでいいよ」
「……駄目だ」
「どうして? 私はこれでもかなり譲歩しているつもりだよ? お姉さまの『誇り』を尊重し、事前に承諾まで得ようとしている。誰かさんのように無理やりでも事後承諾でもなく――ああ、承諾すら求められなかったか」
私は自嘲気味に笑いお姉さまを見る。
「これで十分でしょう? お姉さまには何の不都合もないはずだよ」
お姉さまは相も変わらず無表情で私を見たままだったが、一時後にゆっくりと口を開いた。
「私は死ぬまでお前の姉で、それを放棄するつもりも譲るつもりもないよ。お前には悪いけれど。」
表情そのままに、感情の読みとれない静かな声音だった。
「それじゃあ答えになってないよ! 私は――」
叫んでしまいたかった。
姉になれないと言うのなら、せめてこんな時くらいは妹にしないでほしかった。
一人にされるくらいなら、一人で死んだ方がその何倍もましだった。
しかし、なお口を開こうとする私を遮るようにお姉さまは背を向けてしまった。
もっと責め立ててやりたかった。誰も私を束縛する権利はないと糾弾してやりたかった。
なのに、その向けた背の、治癒しきらないぼろぼろの羽を眼にしたとたんに、お姉さまを傷付けるはずの言葉はどこかへ行ってしまっていた。
仕方なく私はかろうじて最後に残った小さな棘だけをその背中に投げつける。
「お姉さまも一度は私の立場になればいいよ。どんな気分がするか、思い知ればいいのに」
返事はなかった。私もそれ以上は何も言う事ができなかった。
悲しいのと、悔しいのと、腹立たしいのと、嬉しいのと、それらが全て混ざったような混沌とした感情をどう言葉にすればいいか私にはわからなかった。
私はお姉さまと同じ様に背を向けて、目の前の無機質な白い壁をただ見つめた。
あいつが来たら、言葉通りにお姉さまは殺し合う。そんなところだけは容易に想像できる。逃げもせずに、誰の手だしも許さずに、自分が死ぬまで、あいつを殺すことだけを考えて。
そうしてまた、昔みたいに私は一人残される。
今度は不自由な暗い地下ではなく、自由で真っ暗な牢獄に。
そこは今までとは違いどこにでも行けるんだろう。
けれど自分の所には、誰も来ない。
どこにでも行けるけれど、行きたい所など何処にもなくなってしまう場所に自分は追いやられる。
(ひとり……)
いつだって、一人の時はあった。お姉さまが私を置いていくことなんてしょっちゅうで、
(ひとり、ひとり、ひとり……)
それを別段悲しいとは思わない。数百年間ほとんど一人でいた時間の方が長かったせいか、それが自分の在り方だと自分に言い聞かせ、飽きらめることができるくらいの年月を私はそこで過ごしてきた。退屈だとは思いながらも、無理に地下室から出てお互い不快な思いをするくらいなら、それなりの数の本と時々話をしてくれる相手がいれば私はそのままそこにいてもよかった。
(けれどもし、本当にたった『ひとり』になってしまったら?)
(私はこれから先どれくらいの年月を、この人無しで生きていかなければならないんだろう)
お姉さまが私の前からいなくなる瞬間を、その後の永遠にも感じられる時間を思い、私は身震いした。自分の体中の血が急速に凍えていくように感じられ、私は自分の毛布を胸元まで引き寄せた。
私は隣にある、鼓動し続けているお姉さまの心臓を見た。気付かれないように、それをそっと掌に触れさせると軽く握り締める。
でも、それだけだ。いつも壊せない。
壊れないのでもなく、壊したくないのでもない。
壊せない。
お姉さまは何の躊躇もなく、私を一人にしようとする。そうして、当たり前のように平気な顔をして笑う。私はそんな彼女が大っ嫌いだった。
なのに。こんなに嫌いなのに。
一人が怖くて、いつも私はこれを握り潰せないでいる。
私は暫く掌にあるお姉さまの心臓を見つめていた。
そうしている内に喉の奥から鉛のように重い、苦みを伴う何かがこみ上げてきて、私は何故だか思いきり泣き叫びたい衝動に駆られた。何故なのか、何のためになのかは分からない。けれど、何かを叫びたかった。子供みたいに、ただ、ひたすらに。何も考えず、感情のままに、声の限りに――きっと、死んでもそんなことはしないだろうけれど。
私は眼を閉じて牙を舌に突き立てる。流れ出た血と一緒に、私はその苦い衝動を飲み下した。それだけで、なんだかひどく疲れた気がした。私は掌にあるものを放り出し、体が命じるままにお姉さまに背を向け眼を伏せた。
その時、不意に体が後ろに引き寄せられ、強く抱きすくめられた。
驚いて身をこわばらせると、今まで聞いたことのない優しい声が耳元で聞こえてきた。
「大丈夫……フランは私が守ってあげるから」
その言葉に、私は反射的に息を詰まらせる。
喉を引き攣らせながら、気付いたら揶揄するような口調で問い返していた。
「へぇ、それはいつまで?」
「そう、だな……ずっと――私が死ぬまでは」
暫く間を置いた後の消え入りそうな声は、あまりに小さすぎて、それはまるで幻聴のように聞こえた。それに、僅かながら寂し気な音が宿っていたのもやはり幻なんだろうか。
けれど、私はその幻さえ消えてしまうのが怖くて、お姉さまの腕の中で身を竦ませることしかできなかった。
怖かった。
動いたら、触れたら――
その瞬間、きっとこの夢は覚めてしまうだろうから。
続きはあるんですか…?
血が繋がった家族ってのはこういうものですよね。