幻想郷。人里では、人々がいつもと変わらぬ日常を謳歌し、活気に満ちた声で溢れていた。
少し注意深く観察すると、寺子屋では頭突きの音が小気味良く響き、山の巫女が布教に勤しむ姿がある。
更に遠くへ眼をやれば、竹林では不死の少女たちが仲良く殺し合い、容姿の幼い兎耳を追い回す、これもまた兎の耳をした少女が見受けられる。
妖怪の山では河童の工房が謎の爆発を起こし、哨戒天狗を慌てさせ、ブン屋が色めき立つ。
そんないつも通りの幻想郷。
そして、いつも通りの紅魔館。
「美鈴、貴様はクビだ!出て行けぇぇい!」
「ひいぃ、お、お嬢様、平に、平にご容赦をぉ!」
昼下がりの談話室、そこにレミリアの怒声が響き渡る。
椅子に立ち、テーブルに片足をドスンと下ろし声を張り上げたレミリアに、横で本を読んでいるパチュリーは迷惑顔だ。
美鈴は地に伏し深く頭を下げ、何とかその怒りを静めてもらおうと必死だったが、レミリアはまったく取り合おうともせず、怒りに任せて怒鳴りつける。
果たして、美鈴はこのまま職を失い、家を失い路頭に迷う運命なのか。
「………あの、お嬢様方。いったい何をなさっているのですか」
そう思われたとき、横から挟まれた咲夜の声にレミリアと美鈴はぎょっとして振り向く。
先ほどまでの修羅場から一転、目を剥き凝視してくる四つの瞳に咲夜はたじろいだ。
「さ、咲夜さん…」
「いつかからそこに…」
いったい何なのよと、咲夜は訳が分からない。仕事中になにやら聞こえてくるとやって来てみればこの有様。
一部始終見ていたであろうにパチュリーに視線を移す。
そこでようやく、我関せずとばかりに本を読むパチュリーは吐息を一つ、ゆっくりと本を閉じ顔を上げた。
「あなたが、『このあらいを作ったのは誰だあっ!!』って叫んだ時からよ。レミィ」
パチュリーは、心底呆れた様に言った。
―――――
「それで、いったい何故その様な事を」
汚れたテーブルを拭きながらレミリアに訊ねる。
レミリアと美鈴はおとなしく椅子に座りなおし、恥ずかしげに縮こまっていた。
生憎、今その仕草を可愛らしいと思うほど、余分な仕事を増やされた咲夜は妄信的ではない。
「いやその、何でといわれても、アレが原因としか言えないのだけれどね」
レミリアはばつが悪そうにテーブルの中央に置かれた物を指で指す。
「あれ、ですか。……げっ」
直径にして人の背丈ほどの大きさのテーブル。
視界に入っていなかった、レミリアにアレ呼ばわりされた物を初めて見とめた咲夜は思わず呻く。
テーブルの中央に陣取るそれは、咲夜も知っている。
外の世界では割合知名度がある、ギネスにすら認められた強烈な臭いを発する発酵食品。
天頂部がガスにより膨らんだ円筒形の缶詰。
幻想郷ではあまり馴染みのない言語で書かれたラベル。
そこには間違いなく、『シュールストレミング』と書かれてあった。
―――――
紅魔館の食糧倉庫。一室の規模としては紅魔館の中でも有数の広さを誇る。
住人は当然として、百を超える妖精メイドたちの胃袋を賄うには当然の広さだ。
倉庫は地下にあって、温度湿度をパチュリーの魔法で常に低く一定に保たれている
先日の夜分、レミリアと美鈴はそこにいた。
「美鈴、何か目ぼしいものは見つかった?」
ないですね~と返す美鈴はレミリアの傍になく、見渡せばレミリアとは反対側の食糧の棚を漁っていた。
「早いとこ撤収しないと咲夜に気取られるわ。急げよ」
「了解。しっかし、見事に生の食材ばかりで加工品がない」
現在、かつては美鈴が取り仕切っていたこの倉庫の管理も、咲夜がメイド長に就任した折引き継いだ。
レミリアのあるところに咲夜あり。ここは咲夜のテリトリーであり、彼女の出現率は他の場所と比べて高く、レミリアは一層気が急いていた。
なんでかあいつは私が独りで何かしようとしてもそこにいるんだよな。
呻くレミリアに、愛ですよ。愛、と笑みを浮かべて返す美鈴。
レミリアも、よせやいと朱に染まった頬をかいた。
「しかたない。美鈴、何か適当に作りなさい」
「え~、こんな時間に火を起こしたら咲夜さんにばれちゃいますよ」
「私の秘蔵の一品を分けてやるんだ。それくらいのリスクは背負いなさいよ」
レミリアと美鈴。二人が何故一緒に食糧倉庫にいるかというと、ただ単に偶然である。
レミリアは予てより隠し持っていた高級酒を今日いよいよ楽しもうかと肴を求めて忍び込み、美鈴は勤務開けで小腹が空いたからだ。本来の夕食はすでに済ませたのだが、今日は門番隊に稽古をつけたためにいつもより空腹だった。
美鈴は事情が事情であるために、咲夜も黙認とまでは行かなくとも一言二言で済ましてくれる。
ただレミリアについてはそうもいかない。
咲夜に見つかれば、当主たるものが盗み食いなど、云々。優に一刻は超える説教が待っているだろうことは予想に難くない。
美鈴は咲夜に手ほどきした張本人。彼女ほどではなくとも同じだろう。
長い付き合いである美鈴に誤魔化しは効かないだろうと懐柔を試み、しかし割とあっさり同調した。
この辺りの柔軟性は、咲夜にはまだない。
「それもそうですね。じゃ、適当に何か作って持ってきますよ」
美鈴の了解を受けて、レミリアは倉庫を後にする。久しぶりに中華かしらと、美鈴が作る酒の肴に思いを馳せ扉に手をかけようとした瞬間、
「さてさて、いったい何を作ろうかな~。……げっ」
奇妙な呻き声に思わず振り返った。
―――――
「で、こいつを見つけて、どう処分しようかと集まって…」
「賞味期限が切れてましたから、腹に収めるのはちょっと。というか開けたくありません」
「でも、そのうち二人がどんな味なんだろうって言い出したのよ」
「そしていつの間にやら料理漫画ごっこに至る、と」
なんでそうなるんですかと呆れる咲夜。しまらない笑顔で誤魔化そうとするレミリアたちをギロリと睨みつける。
「しょ、しょうがないじゃない!食べたことないんだもの」
レミリアはあわてて弁明する。そうですよと美鈴も言うが、咲夜にはそれで何故二人がごっこ遊びに行き着くのかが分からない。
いやそんな事よりと、レミリアは明らかに誤魔化している様子で仕切りなおそうとする。
「問題は、こいつをどう捨てるかよ」
「普通に中身を捨てて、空き缶は香霖堂にでも引き取ってもらえばよろしいのでは?」
「正気!?お前もこれがどんなものであるか、知らないわけではないでしょう」
ええ、凄くきつい臭気があるとか、とあくまでも平静を保つ咲夜にレミリアは得心が行った。
どうも温度差を感じると思えば、咲夜は無知ゆえの蛮勇であったかと得心が行った。
ならば教えてあげましょうとレミリア。
シュールストレミング。決して蓋を開けてはならぬ暗黒の深淵。
かつて、呪われた都は海底に沈み、醜悪な太古の神々は深き眠りに就いた。
曰く、鎮魂し難き缶詰を呼び覚ますなかれ。
ニシンは、太陽が若かった頃から深遠の淵で時を待っているに過ぎないのだ。
人智の及ばぬ臭気の影に、狂人は踊り、殺戮を繰り返す。
邪悪に満ちた蓋が浮かび上がる時、<旧支配者>が目を覚ます。
その時が、必ずやってくる―――。
重々しく語るレミリアに、ひぃ、と声を上げて美鈴は戦慄する。パチュリーは割りとどうでもいい。
無論、それは食べ物の話ですかと言う咲夜の声はレミリアには届かなかった。
「仮にこんなものそのまま捨ててみなさい。捨てた先、もし誰かがこれを手にとってしまえばどうなるか。考えただけでも恐ろしい」
いったいどうなるというのか。
よもやクトゥルフ的な何かが外宇宙からやってくるわけではあるまい。
見た目何の変哲もない缶である。幻想郷の保存容器といえば陶器か、或いはガラス瓶がその全てで、缶詰の存在自体は知られているが、幻想郷内では生産されていないため直接手に取った事のない者も多い。希少性のある物とあっては、誰かの手に渡る可能性は無きにしも非ずだが、開封してもあの臭いだ、恐らくは腐っているとそのまま思い捨てるだけであろう。
「まぁ、廃品を無分別に捨てるのはどうかと思いますし、それはよろしいのですが」
咲夜としても、そこだけは納得できた。
冗談はともかく、とレミリアは咳払いをする。咲夜が乗ってこないために飽きたらしい。
「そんな訳で、私たちは困ってるのさ」
「それでしたら…、パチュリー様、お願いできませんか?」
出来れば臭いものには触れたくない。そういうことならばと咲夜は聞いてみるが、レミリアは、できるものならそうしたかったわと頭を振る。
「もちろん私も、最初パチェに『焼き払え!』ってお願いしたんだけど…」
そしてパチュリーに視線を向ける。彼女はそしらぬ顔で本を読み、ちらりと視線を返してきたかと思えば、
「い、や、よ。魔法使いを焼却炉扱いしないでちょうだい」
彼女には、魔法使いとして譲れない一線があるらしい。微妙に不機嫌そうに返す。
「これだよ」
それを受けて、では僭越ながら私めがと咲夜はナイフを取り出し、暴挙を阻止すべくレミリアと美鈴の二人掛りで羽交い絞めにされた。
咲夜の凶行を阻止することに成功した二人は肩で息をして椅子にどっと腰を下ろす。
レミリアは缶詰を引き寄せ手の中で弄び、一つどうしても分からないことがあると言う。
「そも、何でこんなものが紅魔館にあるんだ。幻想郷に来る前に倉庫に溜め込んだ物はもうないはずでしょう?」
「ですよね~。私が倉庫を管理していたときにはありませんでしたよ?」
幻想郷に移住する際、レミリアたちは館ごと移り住んで着た。
当時、現地での継続的な食糧確保に確実性が持てるまではと、美鈴が主導して飲料水代わりの麦酒や缶詰等の保存食を倉庫に大量に確保していた。
しかし、思いのほかそれが容易であったために、備蓄は必要ないだろうと食事に出されたり、酒の肴にと順調に消費されていった。
倉庫内からそれらが消えていくのを、そのまま外との繋がりの消滅のようにも感じ、感傷的になりながら眺めていたのを美鈴はよく覚えている。
そのためシュールストレミングの缶詰などなかったと断言できる。
だから余計に分からないと美鈴はレミリアと一緒に首をかしげる。
「あ、それ私です」
しかしあっさりと判明した。犯人は意外なところにいた、咲夜だ。
スッと手を挙げ白状する彼女に、え、なんで?と戸惑う。いったい幻想郷のどこで手に入れたというのか。
聞けば、なんと移住前に大量に食糧を求めた時、レミリアに珍しいものを食べてもらおうと、美鈴の業者への注文表の中に一文こっそりと付け足したものだという。能力を使ってまで。
そして何故倉庫にあったかというと、いずれ機会が訪れるのを待ちながら隠し持っていて、倉庫の管理を任された折に、そちらへ保管場所を移したとのこと。
いつか、ニシンは紅茶の茶請けに、お汁は紅茶に垂らしてさし上げましょうと思っておりましたの、と咲夜。
「でもそのうち、賞味期限が過ぎてしまって。まさか、見つけられるとは思いませんでしたわ」
最初缶詰を見たときに呻いたのは、単純に見つけられたことに対してだったようだ。
レミリアはそんなもん出すなよと咲夜をねめつけるが、サービス精神旺盛な従者は取り合わない。
「はぁ…もういいさ、今はこれの処分を考えましょう」
見つけてよかったとレミリアは心底安堵した。食事としてならいざ知らず、こんなものを優雅なティータイムに出されるのを回避できたのも行幸だが、何より、臭い咲夜を傍に置かずに済んだ。
さてどうしましょうと、改めて缶詰を皆で囲もうとして、不意に咲夜がレミリアに訊ねる。
「ところでお嬢様、食糧倉庫に忍び込んだ件についてですが―」
少し、お話ししませんか?
―――――
パチュリーは既に再び本を開き読書に没頭していたが、手を付けようとした紅茶に、先ほどのレミリアと美鈴の三文芝居のせいで立ったらしい埃が僅かに浮いていたことを見て眉をしかめた。
咲夜の説教はパチュリーが紅茶を求め、そのため彼女が場を離れたことで終わった。
ひどい目にあったとレミリアはぐったりしてテーブルの端に顎を載せ、目の前のシュールストレミングの缶詰を、お前のせいなのよと指で弾く。
咲夜から新しい紅茶を受け取り一口喉を湿らせるパチュリー。ゴールデンルールに沿って淹れられた紅茶の上品な味に薄く微笑み、その缶詰だけど、と口を開く。
「魔理沙にでもあげましょう」
お前は鬼か。一同、普段物静かな動かない大図書館の容赦のない提案に戦慄した。
魔理沙の正々堂々とした正面からの押し入り強盗はいつものことだと諦めていたが、前回、お気に入りの本を奪われたらしいパチュリーは少々ご立腹であった。
そのため、お灸をすえる意味でシュールストレミングの缶詰を魔理沙に与えようという話らしい。
美鈴は大いに賛同し、レミリアは魔理沙を思い、黙祷した。彼女の死は避けられない運命にあるようだった。
「何といいますか、人間の魔理沙ではお腹を壊してしまうかもしれません」
魔理沙とは親しい咲夜であるため、多少の説得を試みるが、
「まぁ、大丈夫でしょう。どうせ食べる前に捨ててしまうわ」
そんな咲夜の心配を他所に、パチュリーの中では既に規定路線のようで、しれっと意見を受け流す。
うひゃぁ!!臭っせぇ!何だよ、腐ってるじゃないか!
きっと魔理沙はそう言ってマスタースパークで焼き払うだろう。
何も知らない者があの強烈な臭いに箸をつける訳がない。そう踏んでいるパチュリーは、だからこそ躊躇いもなく魔理沙にやろうと言えたのだ。
今回は、魔理沙をこの臭いで懲らしめるだけ。
パチュリーに説き伏せられる形で、最終的に、まぁそれくらいならと咲夜は頷いてしまった。
そしてそのままとんとん拍子で話に進み、缶詰は魔理沙に譲渡されることが本決定した。
じゃ、かいさーんとレミリアが先ず席を立ち、美鈴とパチュリーもそれぞれ場を後にする。
一人残された咲夜と一つの缶詰。
「お嬢様にお出ししたかったなぁ……」
咲夜はまだ少し、レミリアにこれを供することに未練があった。
―――――
数日後、よく晴れた霧の湖の上空には高速で紅魔館の方向へ飛来する、白と黒のコントラストが映える魔法使いの姿があった。
「フーン、フーフーフーフーフーン、フーフーフーフー……っと、見えてきたな。さて、今日も元気だ開幕一閃……あれ?」
いつものようにミニ八卦炉を懐から取り出そうとしたところで、紅魔館の門の様子がいつもと違うことに気付く。
別段、門が壊滅的に破壊されているわけではない。門は魔理沙の知るそのままの姿であったし、門の前には門番隊の妖精がいる。
唯一違ったのが、美鈴がいないことだ。別に魔理沙の襲来に合わせて門の前に立っている訳ではないので、昼間にいないこともある。
ただ魔理沙は、紅魔館に来たときにはいつも、そこに美鈴がいたのでそれを知らない。
どうしたのだろうと、ゆっくり門の前に降り立つ。
「あんたか、いらっしゃい」
降下してきた魔理沙を気のない風に眺めていたが、そのまま歩いて寄ってきたところで、役職には相応しい、妖精としてはやや仰々しい格好をした門番がようやく口を開く。
「いらっしゃいって、まぁ、いらっしゃったけど…何かあったのか?美鈴がいないみたいだが…」
気安げに話しをする魔理沙は、彼女との会話は初めてではない。
彼女は門番隊に所属する美鈴の部下の一人で、異変で初めて美鈴と対峙した時、彼女の後ろで横列に並び美鈴と連携して攻撃してきた者だ。
極めて高いレベルで統率の取れた妖精というものがいることに驚き、それが印象的だった。
「別に、何もねーわよ。単に他の仕事で出払ってるだけ」
そのまま、入るんでしょ?と門を開けようと背を向ける妖精に魔理沙は肩透かしを食らったような気分だ。
「おいおい、侵入者を招きいれていいのかよ」
「あたしらだけで勝てる訳ねーもん。それに、いつものことじゃん」
魔理沙はそれもそうだなと頷き、門を開いて道を譲る門番妖精に礼を言う。
「んっ、サンキューな。……門番妖精A」
「名前も覚えてねーのかよ」
失礼な奴だなと半眼になる。
「ははっ、悪かったよ……キャサリン」
「掠ってもねーわ」
もともと顔を合わせる機会が多かった、というより魔理沙が襲来のたびに撃墜する妖精。そういえば名前を知らなかったと思い出す。
「悪い悪い。次までには覚えておくから。で、なんて名前?」
門番妖精はため息を一つ。もういいわと開かれた門を指でさす。
そのまま魔理沙は門を潜り、やがて館の中へと消えていった。
暫し門の前から魔理沙の様子を眺めていたが、それを確認するとすぐさま詰め所の中に入る。
「CP、CP、こちらフェアリー・ワン。贖罪の山羊は野に放たれた。繰り返す、贖罪の山羊は野に放たれた」
―――――
「CP了解。以後は通常業務にて待機」
詰め所からの連絡を受けて美鈴。
今彼女は先日と同じ談話室に陣取り、門番隊に指示を出たあとは腕を組み、神妙な面持ちで座っている。隣には咲夜がいた。
「あの、美鈴?」
「コマンダー・ベルです」
コマンダー・ベルと咲夜が言い直すと、美鈴は何ですかと笑顔で返す。
「何でこんなことしてるの?普通に案内すればいいじゃない」
「ああ、そのことですか…」
お嬢様も何かやる気出してるし、と咲夜は自分には図りかねる遠大な何かがあるのかと一瞬考えてしまう。
美鈴はもったいぶって一拍置く。
「楽しいからです」
そんな自分が恥ずかしかった。どうせそんなこったろうと思ったよ。咲夜は深々と嘆息した。
「まぁまぁ、最近は何もありませんでしたし、こういう事は楽しんでやらないと」
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、ですよと美鈴は破顔一笑する。
咲夜としては仕事が滞るためにやめて欲しいことしきりだが、レミリアも楽しんでいるなら仕方ないと自分を納得させる。
「という訳で咲夜さん…ではなくてミス・エッジ。贖罪の山羊は現在館内を想定通りに移動中。最後はミス・エッジがザ・ストーカーのいるヘッドクオーターまで誘導してください。オーバー?」
「お嬢様の部屋へ、ね」
踊る阿呆で何がわるいと、いつも悪乗りが過ぎる紅魔館。
果たして、外の世界にいたとき執拗に攻撃してきた教会のハンターや賞金稼ぎは、ここの内情を知ったら笑うだろうか。自分だったら泣くだろうと咲夜は思う。
「アイ コピー」
一人正気でいても疲れるだけだろうなと諦めて、咲夜は実に色気のある敬礼で了承し、そのまま談話室を後にした。
―――――
門のところで出鼻を挫かれた魔理沙は、そのまま館内をゆったりと歩く。時折見かける妖精メイドと挨拶を交わし、こうして紅魔館の廊下をゆっくり歩くのは珍しいことだなとぼんやり考える。
日が殆ど差し込まず、照明を蝋燭の明かりに頼った館内。魔法使いとしての様式を重視する彼女は、雰囲気のあるこの光景にことのほか上機嫌だった。
ただ、少し奇妙なことがあった。先ほどから魔理沙が通りかかると、妖精メイドがバケツの水をこぼしたり、角を曲がろうとすると、その先では道路工事が行われていたりする。
態々邪魔することもないと遠回りしていると、どんどん図書館から遠ざかる。もう箒で一直線に飛んでいくかと思案しかけた時、
「魔理沙」
不意に声を掛けられ振り返ると、そこには親しい友人である咲夜がいた。
「よう、お邪魔してるぜ」
本当に邪魔だわと悪態をつく咲夜に、魔理沙は気にした風もなく歩み寄る。身長差のある二人が並ぶと姉妹に見えなくもない。
「今日も図書館で本を借りさせてもらうぜ」
「それも死ぬまで、ね。でも今日は駄目。お嬢様がヘッドクオーター……じゃなくて部屋で貴方を待っているの。案内するわ」
レミリアが?と首をかしげる魔理沙だったが、咲夜はそれ以上特に説明もせず、来なさいと言ってさっさと先行してしまう。
訳が分からないが、とりあえず呼んでいるなら行ってみるかと後に続く。どうせ、何時でも図書館には行けるのだ。
―――――
「よく着たわね。さぁ、座って。咲夜、新しい紅茶を。魔理沙にもね」
かしこまりましたと一礼してそのまま咲夜は退室した。
初めてレミリアの部屋に足を踏み入れた魔理沙。レミリアの部屋は思いのほか質素だ。
何となく、ロココ調の内装に至る所に黄金で出来た細工が調度され、真っ赤なバラの敷き詰められた絨毯と、中央に天蓋付きのベッドが置かれている、そんな無茶な部屋をイメージしていたが、正解は天蓋付きのベッドだけであった。
「それじゃ遠慮なく。しかし、どういう風の吹き回しだ?今までこんなことなかったろ」
だから今日、急にここへ招き入れられる理由が分からない。いつの間にか置かれていた紅茶を口にして、その疑問を発する。
倣うように紅茶に口を付け、別に必要なかったものと言うレミリア。
「ただ、最近はフランが世話になっているし、たまには労ってやらないと我が家の鼎の軽重を問われる。それだけよ」
ふーんと気のない言葉で返し、そんなものかなと納得する魔理沙。
レミリアは微笑み、紅茶と一緒にテーブルに置かれたクッキーの皿を魔理沙の方へ押しやりながら会話を続ける。
「態々すまないわね。あの娘の相手、大変でしょう?」
「別に、図書館行く時ちらほら会うから、ついでしてやってるだけだぜ」
「それでも、ありがとう。あの娘に必要なのは家族以外の誰かと触れ合う機会だけ。自分を恐れない相手はあの娘にとって貴重なの。だから最近は、あなたを切欠に色々なことに興味を持ち始めたわ」
やっぱり過保護なだけではだめなのね、とレミリアは寂しげに笑う。
しばし二人の間に静かな時間が流れ、魔理沙はどう言ったらいいかとくすみのない眩しい金髪を指でかく。
「あー、まぁ、いいんじゃね?家族は家族、他人は他人で。他人にしかできないことがあるっていうなら、家族だってそうだろ」
慰めているのだろうか。魔理沙の意外な台詞に、レミリアは瞬き、次いで声を出して笑い出した。その姿に、らしくもないことを言うんじゃなかったと魔理沙は恥ずかしくなってしまう。
「ふっ、ふふっ、ごめんなさいね。別に馬鹿にした訳じゃないの。ただ、そうね。そうかもね」
真っ直ぐ見つめてきて頷くレミリアに、魔理沙は我知らず顔が赤くなってしまう。
誤魔化すようにクッキーを乱暴に掴み口へ放り込む。
しばし取りとめのない会話を続けていると、そういえばとレミリアは言った。
「パチェのところも、ある意味散々世話になっているようだけど、魔法の研究って楽しいのかしら?」
「それなりにな。今まであまり資料がなかったせいで手詰まりなところもあったけど、此処にくるようになって随分はかどってるから、その分一塩だぜ」
図書館様々だぜ。魔理沙が何気なく返した言葉に、レミリアの瞳が怪しく光る。
「まあね。あそこは外の世界で集めた珍しい本が大量に納められているもの」
「外では魔法とかそんなものが一切空想の産物になっちまったって早苗から聞いたけど?」
「その通りよ、だから絶対数は減っているし。でもその分、出るところには出るのよ」
そうなのかと興味深そうに耳を傾ける魔理沙。レミリアは魔理沙が外の世界に興味持つように会話を手繰る。
「確かに、魔法とかは殆どなくなっちゃったけど、その分科学の発展は凄まじいものがあるわ」
天狗より高く、速く飛べる飛翔体とかね。
レミリアは具体的に、魔法では当然のように行えることを科学で代用した例を挙げていく。
魔理沙は逐一それに頷いて、次第に身を乗り出す。
「外の世界かぁ…。香霖のところで外の物を結構見るけど…」
どんなところなんだろ。魔理沙の何気ない呟きに、いよいよレミリアは拳を握る。
「そうだわ!お礼って訳じゃないけど、前にうちで偶々、ホント偶然だけど、外の世界から持ち込んだ物が見つかったの。よかったらさし上げるわ。うん、それがいいわ!」
妙には早口でまくし立てるレミリアにいぶかしむ魔理沙。
それでも、貰えるものなら悪意以外は何でも貰えとばかりに気にしないことにした。
「まぁ、くれるっていうなら遠慮なく貰うけど。どこにあるんだ?」
「ここよ!」
何故か、初めから用意していたかのように足元から一つ取り出してくるレミリア。
これも運命を操る能力の一環なのか。便利なもんだと魔理沙はテーブルに置かれたそれを覗き込むようにして見る。
「魔法とは関係のない、ありふれた、それはもうどこでも手に入る缶詰の食べ物だけど、よかったら持っていって!」
決まった。ミッションオールクリアだとレミリアは改心の笑みを浮かべる。
だが魔理沙の表情は、硬い。
「おい……レミリア」
何かしら、と聞くレミリアはその様子に気付かない。
「コイツは……いったい何の冗談だ?」
「えっ?冗談って、だからお礼を――」
「そういうこと聞いてるんじゃねぇ!!!」
ダンッと、テーブルに両手を強く叩きつけ立ち上がる魔理沙。見上げる形となったレミリアだが、彼女の怒気を孕んだ瞳に呆然とする。
「私は、コイツを……知っている」
「えっ!?」
今度こそ驚く。なぜ外の世界でもごく一部でしか流通していない、というか誰も好き好んで食べたがるようなものではないシュールストレミングを魔理沙が知っているのか。
「あれはまだ、私が魔法使いになる前。香霖もうちの店で働いていた頃の話だ…」
―――――
その日、魔理沙は森近霖之助に珍しいものを手に入れたと聞かされて彼の元を訪れた。
彼はしばしば、外の世界から流れ着いたものを拾ってくる。行く行くはそれで店を構えたいとも言っていた。
「こーりん。珍しいものってなぁに?」
「ああ、これだ。缶詰は知っているね?今日偶々見つけたのだけれど、どうやら食べ物が入ったものらしい」
魔理沙に差し出されたそれは、本当に拾い物らしく至る所に小さく傷が出来ていた。
「うぇー。拾ったものなんてばっちぃじゃん」
がっかりした様に言う魔理沙に、霖之助は気にした風もなく笑いかける。
「そうかもしれないね。でも、調べた限りこれは今も完全に密閉されていて、しかもまだ本来食される期間にあるものらしい。魔理沙の言うことももっともだけど、どうせだからさ」
一緒にどうかと思ったのだけれど。霖之助の言葉にしばし逡巡を見せる魔理沙であったが、
「しょーがないわね。こーりんがどうしてもって言うなら、毒見くらいはしてあげる!」
素直でない魔理沙に笑みを翳らせることもなく、それじゃあ箸を持っておいでとの霖之助の言葉に魔理沙は駆け出した。
それでは、魔理沙が帰ってくる前に準備をしておかなくては。霖之助は、これも流れ着いた品である缶切を缶詰につきたて―――。
―――――
「私が戻って来た時には、香霖は倒れ伏し、部屋は異臭で満たされていた。原因は間違いなく、開封された缶詰にあった。そう、これとそっくり同じデザインのな」
霖之助はその後三日三晩、生死の境をさ迷った。きっと、半妖である彼でなければ命を落としていただろう。
そう語る中、当時の光景が浮かんできたのか魔理沙は辛そうだった。
「香霖は間違えたんだ。食べ物なんかじゃない。恐らく、こいつは外の世界の細菌兵器。毒ガスの類さ。がっかりだぜ、レミリア。私はあんたを………友達だと思ってた」
まさか、殺そうとしていたなんて。魔理沙の表情は一層歪められる。信頼する相手に背中から刺されるも同然の行為。
胸の内で様々な感情が渦巻き、抑えられない。どうしようもない魔理沙は部屋を飛び出そうとする。
「あの、魔理沙?これは正真正銘、食べ物よ。すっごい臭いけど」
「………………へ?」
―――――
「未だに信じられないぜ。こいつが食べ物?何かの冗談だろう」
テーブルに載せられた缶詰を箒の柄で突っつく魔理沙。相当腰が引けていた。
計画は失敗。図書館に場所を変えて皆を集め、魔理沙を交え改めてシュールストレミングの缶詰の処分を話し合う。
計画を聞いて魔理沙は、ひでぇ!としか言わない辺り、行いに自覚があるのだろう。
パチュリーはそんなものここへ持ってくるなと思ったが、彼女らには言っても意味がないことをよく理解しているために黙って本を開いている。
「そんなもの此処へ持ってこないでください」
小悪魔が代弁した。
誰のせいかは言わないが、大きなこぶをこさえた小悪魔は泣きながらパチュリーに抱きつく。
よしよしと背中を優しく叩かれながら、魔法でこぶを治療される主に忠実な使い魔にとって、それは名誉の負傷というべきだった。
「でもどうやって処分するんだ?このまま捨てる訳にはいかんのだろ」
かつての悲劇を繰り返さないよう、魔理沙はむしろ積極的に会話に参加する。
「ええ。初めはパチェのロイヤルフレアで蒸発させようとも考えたけれど…」
私の魔法をそんなことに使うなとパチュリーにえらく怒られたわ、とレミリア。
「小悪魔にはホイホイ魔法使ってやってるくせにねぇ……オブッ!」
「おお嫌だ。えこ贔屓とは、きたない、さすが魔法使いきたない……ブッファオッ!」
飛んできた本を律儀に顔で受け止めるレミリアと魔理沙。
「あの、紫さんに外の世界に捨ててきてもらうっていうのは駄目でしょうか?」
めーりーんと泣きまねをして抱きついてくる二人をあやしながら、もともとはあちらのもですしと美鈴が提案した。
「悪くない考えだけど、ではあのスキマをどうやって呼ぶつもり?」
レミリアが美鈴の胸の谷間から、彼女の提案の欠点を指摘する。
そこだけが唯一の問題である。あの神出鬼没の隙間妖怪。いて欲しいときにいてくれたことはついぞない。
「それでしたら、博麗神社に置いておけば。あの隙間妖怪のこと、すっ飛んで回収に来るでしょう。私も美鈴の提案を支持しますわ」
魔理沙を引っ剥がしながら咲夜も賛同する。
なるほどと、未だ美鈴の胸の感触を堪能しながらレミリアも頷く。
幻想郷の一管理者として、何より個人的な理由で博麗の巫女の傍にアレがあったとして、座してそれを見送るわけがない。
「いや、駄目だ。そいつを博麗神社に置いておけば、霊夢がどうするかは火を見るより明らかだ」
しかしここで、今度はそのまま咲夜に抱きつき、残念そうな顔をして離れる魔理沙が否を言う。
霊夢、コイツを預かって置いてくれないか?大丈夫!何の変哲もないただの缶詰だぜ。
はぁ?なんで私が……。
紫が取りにくるんだ。それまででいいから。なっ?
紫が?まぁ、そう言うことなら。
助かるぜ!そう言う訳だから、頼むぜ。開けるなよ、絶対に開けるなよ!?
はいはい、もう行きなさいよ。
食べ物、かしらね?
缶切りはないし……封魔針でいっか。
―――プシッ。
「紫が回収に来るのが先か、霊夢が受託品イーターになるのが先か。こいつはちと分の悪いチキンレースだぜ」
さすがにそれは、と美鈴は否定しようとするが、何故か博麗神社に頻繁に赴くレミリアと咲夜は納得顔だ。
「なんで霊夢さんが受託品イーターになるんですか?」
小悪魔の些細な疑問に、パチュリーはあなたは知らなくてもいいことよとだけ言う。
小悪魔には綺麗なままでいてもらいたい。それはパチュリーのささやかで、だが真摯な願いであった。
やはりこちらでどうにかするしかないかと再び思案する一同。
そういえばとレミリアは咲夜に紅茶を持ってくるように言いつける。
やはり一瞬で用意されたそれに口を付け、ふと思い付き魔理沙の方へ向き直った。
「そうだ。ねえ魔理沙、前に地底に行ったことがあったわよね?こいつを灼熱地獄に放り込んできてくれない?」
我ながら名案だと顔を輝かせ言うレミリア。
美鈴と咲夜もその手があったかと主の発想を称える。
それほどでもと照れながら頭をかくレミリアに魔理沙は一言。
「………やだ」
否の返事であった。
「なぜ!?貴方ならばひとっ飛びでしょう?すぐじゃないの」
「………嫌なもんは嫌だ」
何かにつけて果断速攻。こう見えて存外にお人好しのお節介焼きである魔理沙ならば、こういう場合進んで引き受けてくれてもおかしくはない。
しかし、常の彼女らしくない歯切れの悪い返事に殊の外レミリアは訳分からなかった。
「ええい、何を躊躇う。それでも幻想郷のエースオブエース。天狗にすら一目置かれる空戦魔導師霧雨魔理沙か!?」
「普通の魔法使いな。……いや、その」
魔理沙はモジモジと恥ずかしげに下を向く。
「ぶっちゃけ、怖いもん。マジで」
彼女のトラウマは、割と根が深かった。
その後、大丈夫。いきなり破裂したりとかないからと必死の説得が試みられたが、魔理沙は決して首を縦に振ることはなく、交渉は決裂した。
「もう一人、適任がいるぜ」
手詰まりかと皆がうなだれる中、多少の責任は感じないでもない魔理沙は言う。
誰だと首をかしげる一同に向かって、
「忘れたか?私と同じ人間で、外来品の扱いとなればアイツの右に出るものはいない」
魔理沙の勿体ぶった表現に、それでも全員が気付いた。そう、
「ちょいと前まで外の世界でブイブイ言わしてた、私たちにとって見れば外の世界のスペシャリスト―――」
皆は昂然と叫ぶ。
『―――女子校生っ!』
―――――
守矢神社の住人たちは、その日いつも通りの日常を過ごしていた。諏訪子はどこかへ遊びに出かけ、神奈子は河童と技術開発に忙しい。
早苗は家事を一通り済ませ、これから人里に布教へ向かうところだった。
そしていざ玄関を開けると、そこには魔理沙がいた。約束があったわけではない。急な来訪に驚き、どうしましたかと訊ねると、
「そうだ、紅魔館へ行こう」
両肩を掴まれて、有無を言わさぬ口調で告げられた。
約束なんて関係ねぇ。幻想郷では思い立ったが、それすなわち確定事項である。
早苗は未だ、外の世界の常識に捕らわれていた。
「わ~、おっきなお家ですね~」
結局、魔理沙に連れられて紅魔館への意外な初訪問となった。
初めて真近で見る屋敷はとても大きく、中央にそそり立つ時計台と、それに繋がった、回りを四角に取り囲む建物。周囲は背の高い壁に覆われ、湖畔にあって壁の一面が湖に接する横に長い紅魔館は敷地内に広い庭を有する。
一見、早苗には家というより砦のように思えたが、上空から見下ろした時、庭園が季節の花々で彩られているのを見て取れ、それが物騒な印象を上手く中和してくれた。
イングリッシュガーデンとはこういうものなのか、実際に見たことがないが、その様な印象を受けた。
「東風谷早苗様ですね。ようこそおいで下さいました」
門の前に降り立ち、上ばかり見上げていると、前から声を掛けられた。
魔理沙を出迎えた門番妖精だ。早苗に対しては、実に丁寧な対応をしている。
「ほ、本日はお招きいただぎっ……!」
噛んだ。慌てて返事をしようとして上手く口が回らなかった。
「何やってんだよ。普通でいいんだぜ。普通で」
早苗の初々しい様子に苦笑する魔理沙。
あんたも普通に大人しく来いよという門番妖精の言葉は丁重に無視する。
そのまま門を通され、魔理沙に先導される早苗。おのぼりさんよろしくキョロキョロと忙しなく周囲を見渡し、時折思い出したように門の方へ振り返り、目が合うとお辞儀してくる。
門番妖精には、幻想郷では滅多に見かけることのない、実に奥ゆかしい性格の早苗が新鮮だった。
「この気持ち………恋か」
春が訪れた。
―――――
紅魔館の大図書館。咲夜の能力により空間が拡張されたその場所は、外観からは想像できない広さを持つ。
その最奥、オーク材でできた歴史を感じさせる重厚なテーブルに両肘を突き、これもまた古風な椅子に深く腰をかけているレミリア。両脇にはそれぞれ美鈴と咲夜を従え不敵に笑っていた。
早苗を迎えるに当ってレミリアが、やっぱりカリスマを演出しないとねと言って態々場所を移したのだ。
パチュリーも離れたところで小悪魔を従え、やはり本に目を落としている。それでも一応は目の届く範囲にいるあたり、彼女も大概付き合いが良い。
魔理沙と一緒に図書館へ足を踏み入れた早苗は、ここでもまた図書館のあまりの規模に目を回していた。迷子にならないように魔理沙の袖をしっかり掴み歩き続けることしばし、ようやくレミリアたちの所へ辿り着いた。
「東風谷早苗、よく来てくれた」
「ほ、本日はお招ききただき――」
「いやそれもういいから」
緊張の面持ちで早苗が挨拶しようとすると、魔理沙に止められた。また失敗しないようにとの、魔理沙の優しさである。
レミリアはそのまま座るように促し、早苗が腰を下ろすのを認めると改めて口を開く。
「まぁ、楽になさい。今日は折り入って、貴方に頼みたいことがあって来て貰ったのよ。咲夜、皆に紅茶を。それと……例のものを」
一礼し、音もなく掻き消えた咲夜。次の瞬間には全員分の紅茶が用意され、そしてテーブルの中央にあのシュールストレミングの缶詰が現れた。
態々立たせていた美鈴と咲夜にも着席するように言い、レミリアが本題を切り出す。
「他でもない、貴方にはこの缶詰の処分をお願いした―――」
「いっ、いやーーーー!!!」
しかし言い終わる前に、何故か早苗は半狂乱になった。皆、すわ何事かと目を剥く。
椅子から転げ落ち、お願いですからそれをどこかにやって下さいと、魔理沙の陰に隠れながら涙目で懇願する。
「お、おい早苗、どうしたんだ?ただの缶詰だろ」
「そうよ、落ち着きなさい。お嬢様はなにも、貴方にこれを食べろと言ってる訳ではないわ」
「いーやーでーす!聞きたくありません見たくもありません!何であるんですか!ここ幻想郷でしょう!?おかしいですよ、レミリアさん!」
首を振り、魔理沙と咲夜の言葉にもジタバタと態度で拒絶する早苗はまるで子供のようだ。
あっけに取れらていたレミリアは、はっとして美鈴に目線をやる。それだけで意図を察した美鈴は素早く早苗に近づく。
「早苗さん!」
「へっ!?……はふぁ~」
美鈴に抱きしめられ、彼女の胸の中で早苗は恐慌状態を脱した。神奈子さま…と、暫し母に抱かれる子供のような気持ちで放心する。
分かる、分かるぞと頷くレミリア。魔理沙と咲夜はうらやましそうに早苗を見守った。
少し間を置き、改めて座りなおす。紅茶に口を付けほっと一息付いて、先ほどの醜態に早苗は頬を染めながら謝罪する。
「……すみません。取り乱しました」
「いえ、でもどうしたの?まさか貴方もこれに嫌な思い出があるとか…」
レミリアの言葉に早苗はコクリと頷く。
お前もかよ。一同は頭を抱え、早苗は俯きながらポツリポツリと語りだした。
―――――
まだ早苗も幼く、感受性の高い子供であったことがその悲劇を生んだ。
その日、夕食を終えた早苗はいつものように両親と共にテレビの前に座り、バラエティー番組を楽しんでいた。
さぁ、今日は世界一臭いというシュールストレミングを体験してみようと思います!
こいつがあの噂の。いったいどれくらいの臭さなんやろうな?
象が死にます。
死ぬんかい!それ食べ物ちゃうやろ!?
じゃ、よろしく。
しかもわしか!?わしに死ねって言うんかい!
貴方も死にます。
決まっとんのかいな!?
台本通りに進められるくだらない漫才に、両親と共に早苗は無邪気に笑っていた。
なんでわしがこないな…うお!くっさ!めっちゃ臭いやん!?
あかん!こらマジに死んでまうわ、誰か助けて!
そのオーバーなリアクションに、やはり両親は笑っていたが、早苗の表情は段々と凍り付いていく。
誰か、助けて~。くっさい、臭い取れへん。誰か~。
その芸人は臭い臭いと連呼し駆け回った。しかしあまりの臭いに誰も近づこうとはせず、彼は独りだった。
次第に弱弱しくなり壁に寄りかかる彼に、早苗は、ああこの人は独り寂しく死んじゃうんだなと恐怖し、そのまま見続けることが出来ず、部屋に逃げ帰り布団を被り震えた。
―――――
「分かってます、あれは演出なんだって。でも、どうしても忘れることが出来なくて…」
駄目ですよね。私、巫女失格です。そう儚く笑う早苗。
それはまったく関係ないだろうと全員が思ったが、空気を読んで黙っていた。
図書館はなんとも形容しがたい雰囲気に包まれ、何か面白いことを言えと目配せし合う。
「確かに貴方の言う通りかもしれないわ。それはアカン、缶だけに。なんちゃって!」
咲夜に罪はない。罪があるとすれば、それは彼女のジョークセンスに求められるだろう。
早苗はますます落ち込み、全員が、うわぁ…と微妙な表情を見せ、咲夜はいっそ殺してくれと思った。
「ま、まぁ、そういうことならしかたがない。別の手を考えないといけないわね!」
従者の献身に報いるべく、微妙な空気を払拭しようと努めて明るい声を出すレミリア。
そうですね!と、早苗を再び抱きしめながら必死に合いの手を入れる美鈴にも助けられ、次第に皆の調子は上向いていった。
しかし頼みの綱であったはずの早苗もトラウマ保持者でこの有様。事ここに至って打つ手がないことは明白だった。
「やっぱり紫ホイホイ作戦しかないのかしら」
だからそれマズいって、と魔理沙はあくまでも反対の姿勢を崩さない。
「なんですか?紫ホイホイって」
早苗は訊ね、先ほど浮上し、頓挫した作戦について話を聞くうち、ある一つの疑問を覚えた。
あの、と手を上げ視線を集めて口を開く。もしかしたら、皆が見落としいてるだけなのかもしれない。
「それなら、霊夢さんが食べちゃわないように見張っていればいいんじゃないですか?」
一瞬の空白。何か変なこと言っちゃったのと早苗がうろたえる中、ああ、と納得した。
早苗ならば無理もないと魔理沙は答える。
「早苗、それ、無理」
いっそ清々しいまでの否定。
「こちらの意図を気取られたら最後、出てこないでしょうね。結局持ち帰ることになるか、そのまま博麗神社に放置でもしたら、ダース単位で返品されるかも。ご丁寧に賞味期限切れのをかき集めてね」
あのスキマはそういう奴よ、とレミリアは忌々しげに吐き捨てる。
紫はいったいどういう風に思われているんだ。早苗はまだあまりよく知らない、感情を読めない怪しげな笑みを浮かべる隙間妖怪を思い浮かべ、恨み骨髄に徹すとばかりのレミリアの態度に、昔何かあったのかなと早苗は苦笑いするより他ない。
最終的に、やはりと言うべきか、紫ホイホイ作戦は構造的欠陥を克服することが出来ずにお流れとなった。
―――――
どれだけの時間そうしていただろうか。一つ提案が挙がる毎に誰かがそれを否定する。
そんなことを続けて既に紅茶は五杯目に突入。その度に一緒に持ってこさせたお茶請けに腹が膨れてきた。
始めはクッキー、次いでマカロン。五杯目と同時に出されたカヌレに、早苗はカロリーを気にするあまり手が止まるが、周りを見れば誰もそのようなことは気にせず口に放り込む。何故だか負けたような気がしてならなかった。
レミリアはカヌレをモッシャモッシャと食べながら、缶詰を睨み付ける。
もはや敵はなし、テーブルにふてぶてしく鎮座し、膨らんだ蓋が偉そうにふんぞり返っている様にも見える。「だれぞ、私を殺せる者はおらんのか」そう語っているようだった。
「やっぱり魔理沙どうよ、いらない?」
「いるわけないだろ!?」
いい加減解決の糸口すら掴めない展開にうんざりし、考え方が粗雑になってきた。
レミリアは誰かに押し付けて、それで終いにするつもりだ。魔理沙は彼女の意図を見抜き、必死で抵抗する。
「でもほら、魔法薬の材料に使えたりするかもしれなかったり?」
「そんなもんで作ったら死ぬわ!」
缶詰をテーブルから取り上げ、魔理沙にグイグイと押し付ける。
受け取ったら最後、絶対そのまま後始末までしなければならなくなる。そう思って断固として押し返す。
テーブルの上で、暫く拮抗した争いを続ける。そして渦中の缶詰は、
「ああもう、いいから受け取りなさい!」
業を煮やしたレミリアによって投げつけらた。
流石に落として破裂でもさせては堪らないと受け止める魔理沙。
それを見て、周囲は魔理沙から微妙に距離を取ろうと席をずらし、全部押し付けてしまえと逃げの態勢に入った。
それが分かる魔理沙は、引き受けてなるものかと、一定時間手にしていた者が責任を持つ、三秒ルールだと勝手に決めた法則を宣言して素早く別の者に投げつける。
「という訳で、美鈴パース!」
「ちょっ、こっちにほらないでよ!?咲夜さん、責任を持って処分してください!」
「お嬢様、やっぱり食べてみませんか?」
「いらんわ!早苗、今こそトラウマを克服するべきじゃ時ないの!?ほらその、なんというか巫女的に!」
「嫌ですよ!って、近づけないでください!臭いです!」
「まだ開けとらんわ!ホレホレ、外の物よ、懐かしいでしょう!?」
「きゃー!きゃー!きゃー!」
順に順にと投げまわし、さながらパーティーゲームの様相を呈してきた。
何故か非常に盛り上がっている。やんややんやと、いい加減本を読む邪魔にしかならない連中にパチュリーの手は振るえ、頬が痙攣しだす。ページを捲る指が定まらず、ついには一枚破ってしまった。
横で震える小悪魔に、大丈夫よと明らかに大丈夫でない笑みで笑いかけ、懐からスペルカードを取り出す。
最初からこうしてやれば良かったと、缶詰ごと全員を焼き払うべくスペル宣言しようとした瞬間、
「うっるさーーーい!!!」
分厚い扉を蹴破って、フランドールが飛び込んできた。
フランドールの部屋は図書館と同じく地下にあるため、ここでの騒音が直接響いてきたのだ。
最初はまたレミリアが馬鹿をやっているのかと呆れていたのだが、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
やって来たフランドールは怒りで体から立ち上る妖気に美しい金髪をなびかせ、肩を怒らせる。
背中の羽は怒髪天を衝くと言わんばかりに吊り上げられていた。
「フラン!?あなたどうして!」
「お姉さま、図書館でうるさくしないでよ!」
「いや、これはその…缶詰が」
「缶詰ってなによ!?なんの関係があるっていうの!」
突然の妹の乱入にしどろもどろになるレミリア。
図書館に入りそのまま天井近くまで飛び上がり、姉たちの姿を視界に入れると羽ばたきを一つ、大地が震えるほど強烈に着地した。
うろたえる姉の姿に、フランドールは構わずに怒声を上げ、ずんずんと足音を立て歩いてくる。
「妹様っ!落ち着いてください!」
「そうですよ!私が抱っこしてさし上げますから。ねっ」
「そうだフラン、弾幕ごっこしようぜ!」
「新しい本はいかが!?とても面白いわよ!」
「フランドールさん!飴ちゃんいりませんか!?」
「はわ、はわわわわわ!」
これは不味いと皆立ち上がり、パチュリーさえもが率先してフランドールを宥めようとする。
それを、ステージを一面ごとにクリアしていく様に順々に押しのけて、一直線にレミリアに向かう。
「うっとおしいわよっ!私はあいつに用があるの、よ!」
読書中だったのだろうか、手に持っていた本をレミリアに投げつけ、レミリアは本日二度目の顔面捕球を披露する破目となった。
「へぼあっ!……ふぐ、いやでもね?これがあると……」
「あるとどうなるってのよ!? 」
「だから、ね?ヨグ=ソトースが、紫ホイホイで……」
「訳分かんないわよ!?」
「もう!だから、これをどう処分しようか話し合ってるの!邪魔しないでちょうだい!」
それでも尚、最悪の事態を想定しフランドールを落ち着かせようと必死に言葉を紡ぐレミリア。
しかしむべなるかな、もとより紅い眼を更に爛々と攻撃色に輝かせるフランドールには届かない。
ついにはレミリアも調子に合わせるかの様に声が高くなっていく。
「はぁ!?そんなに言うなら私が壊してあげましょうかっ!」
「ばっ、馬鹿!やめなさ――」
そして、破滅の鐘は鳴り響いた。
きゅっとしてドカーン。
「はいはいどちらさま、ってレミリアじゃない。それに、何。一家総出で何の御用?……はぁ!?妖精メイドに追い出されたから神社に泊めてほしいって、あんたら何したのよ?………うわっ、くっさ。何よあんたら、めちゃくちゃ臭いわよ!嫌に決まってるでしょ!?帰れ!にじり寄ってくんなーー!!!」
>こいつは外の世界の細菌兵器。毒ガスの類さ。
あながち間違いじゃない件w
頑張ってくだせえ!
めーれみウェルカム
①シュールストレミングを注文した咲夜
②缶詰を見つけた美鈴
③事態を荒立てたレミリア
④素直に焼却しなかったパチュリー
⑤缶詰を破壊したフラン
⑥無垢な小悪魔
絶妙なエセっぽさに泣いた
レミリアも咲夜も魔理沙も美鈴のおっぱいがすきなんですねw
いいぞ! もっとやれ!
なにはともあれ貴方のかくめーレミ最高です!そしてさりげにパチェこぁもいい。
もやしもんで初めて知ったけど、そこまでか…
ところで最後のキャラは霊夢……でいいんですかね?
彼女も災難だ……w
「魔理沙とは親しい咲夜であるため、多少は説得を試みが、」
臭いがつくと一週間は落ちないとまで言われるシュールストレミング、レミリア達が紅魔館に帰れるのはいつになるんでしょうw
キャラが立っていて秀逸。少しも飽きずに読めました。
私もその臭いは存じませんが、相当強烈な臭いみたいですね。
>リペアー様
紅魔館は幻想郷でも屈指のドタバタ劇が一番似合う勢力だと思ってます。
最後は霊夢です。少し分かりづらいので、一部修正いたしました。
>何故女子「校」生wAVじゃないんだからw
成年指定にも対応。準備は怠るべからずです。何の準備かは私も知りませんが。
>レミリア達が紅魔館に帰れるのはいつになるんでしょうw
余りの居心地のよさについ長いしてしまいます。霊夢に追い出されるまでです。
>キャラが立っていて秀逸。少しも飽きずに読めました。
そう思っていただけで嬉しいです。ノリの良さはこそ紅魔館の本領と思って書いております。