Coolier - 新生・東方創想話

全て許される日 その六

2010/07/25 19:56:37
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作品集:97「全て許される日 その一」
作品集:98「全て許される日 その二」
作品集:99「全て許される日 その三」
作品集:108「全て許される日 その四」
作品集:120「全て許される日 その五」の続きです。


11.芋

 軒下に吊るした干し芋を一つもいで熱い茶を淹れた。
 秋と冬の境目は短いが、雪が降るまでは少し間が開くものだ。蓑も編み、しし肉も干した。雪への備えは萃香が段取るだろう。年の瀬に備えるにはまだいささか急ぎ過ぎであるから、だだ茶をすするだけの日があってもいい。
 魔理沙が再び訪ねてきたのはそんなある日であった。あの宴の晩から、すでに二十日が経っていた。
「土産だ。この前渡しそびれたからな」
 魔女はどさりと風呂敷包みを放り投げ、私の隣に腰を下ろした。
「ふん。お茶は勝手に自分で淹れなよ」
 元から承知していると言わんばかりに、魔理沙は手馴れた様子で縁側から土間へと上がって、囲炉裏の茶釜を傾けて戻ってきた。炒ったばかりの茶はよい香りを出す。その湯気はもう白い。冬はもう肌のそばまで近づいてきている。
「懐かしいな。私がこの郷を出た前の日も、こんな風に縁側で茶をすすったっけな」
「あんたはいつでもここにいたじゃあない」
「そうだっけな」
「だから、やっぱりいたさ」
 宴会で喧嘩別れしてから顔を合わせていなかったので。沈黙が重いのはどうしようもない。私はまだこのどこに出しても恥ずかしいいい加減な出戻りの老いぼれを許してはいないし――しかし何より、何より最もこの私をいらつかせ許しがたく思わせるのは、相も変わらず霧雨魔理沙は悪びれもせず、振り返りもせず、ずっとずっと自由というそのことだった。
「約束、破っちまいやがって。この性悪魔法使いが」
「まぁ人生長いこと生きたんだ。そういうこともあるだろう」
「私たちは、約束したろう。あれはいくつだったかね。二十歳かそこらの小娘の頃」
「若かった」
 人として死のうと、二人だけで秘密の約束を交わした。家族も身寄りもいない、ただの人間の私たち二人。なぜ死を拒まずに迎え入れようと決めたのか、もうその動機すら思い出すことさえ出来ないが、私たちは確かに誓ったのであった。
「あんたの気持ちはそんな程度だったんだね」
「何とでもいいな。そのまま枯れていくお前を見ているより、マシさ」
 人として生き、人として死ぬ。それが一体どれほどの価値をもっているのか、愚かなのか、賢いのか、私にはもはや判別すらつかぬ。けれども古びた誓いが、私にはいまだに輝かしいものとして映っていることは、確かなのだった。
 私は立ち上がり、干し芋をもう一つもいでくれてやった。食い意地がはっているだけあって歯は丈夫なままのようだ。食べっぷりは若い頃のまま、ひどく威勢がいいものだった。
「芋のお返しというわけじゃあないが。まずはあの晩渡せなかったら土産を御覧じろ」
 言われるがまま土産の風呂敷をほどいて中をあらためた。紐で十字に束ねられた写真は、全てで幾葉あるだろう。百や二百はきかぬとおぼしき厚みであった。
 一枚一枚を繰りながら、私はあと十年若ければ涙に暮れていただろうと思った。
「ちゃんと行ってきたぞ」
「そうね」
 束からほどかれた一枚一枚に、切り取られた世界が息をしていた。
「霊夢、お前が私に頼んだ通り、世界を見て戻ってきたぞ」
「ええ」
「お前の分まで、自由を謳歌してきたぞ」
「色んなところにいったのねえ」
「とっても楽しかったぞ。腹の立つこともあったがな」
「これは?」
「それはピラミッドだ。昔栄えた、砂漠の国の王の墓だ」
「これは町?」
「とんでもない数の人が住む街だ。家の多くは透明なガラスでできてる。面白いだろ? 冗談みたいだぞ」
 人の暮らす街並みの何と多様で摩訶不思議なことか。無数の未知は私の老いた心の臓には負担が強すぎたようで、胸の痛みに私は思わず左手をあてがったが、脈には動悸もなく、ただ私の心模様が動揺しているのだと気づき――その自覚は屈辱をともなった。しかし私の手は写真を繰るのをやめようとはせなんだ。世界はあまりにも多様で、魔理沙はそのあらかたを収めて戻ってきたのではないかと思えたが、彼女は金色の髪を大げさに振り乱し否定した。未知は永遠なのだと。
 やがて私は、ただ一色に染め上げられただけの一枚に手を止めた。それが何であるか、教えられるまでもなく私は知っていた。
「これが海」
「そう、それが海だ」
 手のひら大の四角い青は、想像よりも深い色合いで、空のように軽くはなく――いや、まるで重さのある溶けた空のようであった。魔理沙は海がいかに広いかを話し始めたが、私にはとんと見当のつかない言葉でばかりで説明するものだから、全く要領が得ない。だが尺や貫では到底測りきれるものではないと言われると、なるほどと頷く他ない。
 私は海の話を欲した。せがまれるまま、魔理沙は次々と語った。魔理沙は私が望むがままに語り、自らの体験を交えて世界を映す鏡となった。霧雨魔理沙は義務を果たしている。私が飲ませたあの日の交換条件を、いま果たそうとしている。
「戻ってこい。そして外の世界の話を聞かせろ。霊夢はあのときそう言ったよな」
「泥棒のとんずらを許してはまずかろうさ」
「借りてるだけだって言っているだろう? ほうら、いまだって返している。私は嘘はつかないんだよ。借りてた本だってちゃんと返したさ」
「それを、当たり前のことというんじゃあなかったかしらね。ああ、いま思い出しても大変だったんだ、結界をあんだけ無茶苦茶にたわませて、引き戻すんだからね。結界に魂の形を覚えさせたから、戻ってくる時もすぐだったろう。理不尽なものさ。一度入れば出られない。出ていくのはとんでもない力を要する。まるで谷だね。ここは谷底よ」
 私はいつか自らがねだった頼みの言葉を、恥として思い出していた。今この時より何十という星霜を巻き戻したあの頃の私は、若く、絶望のさばき方さえ知らなかった。その青さは生臭くさえある。
「馬鹿なことを頼んだ。戻ってきてくれ、だなんてな。私は、あの時は信じてたのさ。いつか自分も、博麗から自由になれると。ただの人として、自由になれるのだと。外への憧れがあれば、制約も呪縛も全て振りほどけると信じた」
「別に今からでも遅くはないだろう。無敵の博麗殿だろう」
「茶化すでないよ」
 絶望にはまともに相対してはならないということを、私は髪が白むに従って気づきを得ていった。絶望は友とすればよい。手を握り、懐にかき抱いてやれば苦しむことなど露程もないのである。博麗の巫女は、決して自由になることはないのだと、とっくの昔に諦めてさえいれば、それで全ては丸く収まっていたというのに。
 私は写真を繰ったが、そっと寄り添った絶望がために、胸の高鳴りはもう響くことはなく、動揺することなくただ見ることが出来るようになった。
「そんな目をさせるために、私は戻ってきたわけじゃあないぜ」
 言い捨てて、魔理沙は吹きさらした寒風に身を震わせた。今日は晴れ間もさし、こんなにもぬくいというのに。この程度の寒さに押し負けるとは、無為に年を取ったものだ――いや、無為に年を取ったのは私の方で、いつかきっと寒さを覚えることすらないくらいに全てを冷ましてしまうだろう。それが老いであるのなら。
「寒い寒い。ここの冬は変わらんね」
「ええ、何も変わらない。つまらないところさね」
「結局、跡継ぎも子も取らなかったのか。博麗の神社は誰が継ぐんだ?」
「誰も継ぎはしない。私の代で終わりさ」
「先代はお前を育てたじゃないか」
「呪ってるよ」
 魔理沙は驚かなかった。茶の最後の一滴までを飲んで、ふうんと鼻を鳴らした。
「そうかね。それでどうなる?」
「終わればいい」
「博麗の話じゃあない。ここは、幻想郷は一体どうなるんだ?」
「滅びればよいさ」
「霊夢、本当にそれでいいのか」
「魔理沙、結局貴方も、皆と同じことを言うのだね」
 次代の巫女を定めようという、妖怪どもとの会合は既に百度を優に超え、その都度毎度毎度お馴染みのご高説が繰り返されてきた。曰く幻想郷の安寧を求め、曰く博麗の義務として、曰く実力行使を已む無しとするのならば。
「で、毎度毎度、妖怪と喧嘩してきたってわけか?」
「誰一人私を負かすことは出来なんだね。大半のやつらも、私が死んだら適当に誰かが次を継ぐだろうと諦め顔さ。それでいい」
「で、ほんとに何とかなるのか?」
「知らん」
 この考えを始めるとどうにも愉快になってしまう、私は麓に届くのではないかというくらいに大声で笑い声をあげた。魔理沙は喝采を手伝うこともなく、干し芋を勝手にもう一つもいでは食っている。
「私が死ねば、八雲紫がどうにか細工しようとするだろう。それが間に合わなければ滅びる。なに、絶対というわけじゃあない」
「紫にできるのか、本当に」
「さあてな。何十年ぶりに帰ってきて、約束を反故にしたあとは説教かい? あんたも忙しいね」
「霊夢、お前はそれでいいのか。幻想郷がどうこうじゃあない。復讐のために死んで、それで」
「もうよい。私は生きた。ただの生贄でしかない人生だったとしても。他の誰かを跡継ぎや身代わりで縛り付ける気にもならなければ、郷のために永遠に礎石を続けるつもりもない」
 人一人がくたばって滅びる郷であれば滅びればよいのだ。私の身代わりにこの檻に縛り付けるための子を産むつもりもなければ、誰かを引き取り教え導くのも御免だった。それがために幾度八雲紫とやりあったであろうか、もはや見当もつかない。危機を覚えてどこぞの妖怪どもが引きずって連れてきた子を、どれほど里に返しただろう。幻想郷が全てを受け入れるというのなら、滅びも甘んじて受けるべきなのだ。
 私は彼女のしわくちゃの顔を真っ直ぐ見ながら言った。
「どうして今頃になって帰ってきた、魔理沙」
「おっと。つれないじゃあないか。私のことを一日千秋の思いで待ってたと思ってたんだが」
「待ってたさ、ずっと待っとった。ああ、けどもうよいのだよ。この写真を見ても何も感じない。ただ綺麗な絵が描いてあるだけだという気しかせん。千秋が一日とかわらぬのだよ、ここは。何も変わらない。何も変わることがない。私も何一つ変わることがないまま、前にも進まず後ろにも退かず、こんなにも老いた。もう私はどこにも行けないのだよ」
「嘘つくなよ」
「ついてないね」
「そうかい。ええい、偏屈になっちまって、まあ、ええ? 博麗霊夢はそんなにとんちきなやつだったかな」
「あいにく、こんな狭いところに縛り付けられちゃあ曲がりもするさね」
「まるで盆栽だな」
「もしくは、ただ干からびていくこの芋と同じだ」
「老いたな」
「うん。私はすっかり疲れた」
「何者にも縛られない。あまねくものから浮き上がり、孤高で、どこまでも飛べる。霊夢はそんな女だったろう。それすら忘れてしまったのなら、お前はもう、博麗霊夢ではないよ」
 魔理沙の口調は私をなじるでもなく、叱るでもたしなめるでもなく、静かで潤っていた。その響きは何かの確信をもってるものにしか言えない言葉だったが、私はタネをすでに明かしてもらっていたことを思い出した。 
「そうか。だからあんたは帰ってきたあの夜に、永遠に生きろなどと、言ったんだね」
「違うね。生きよう、といったのさ。付き合ってやるよ」
「それでどうなる? 私はどうすればいい?」
「結界をどうにかしよう。霊夢がいなくても何とかなるようにとか、誰でも容易く扱えるようにとか、色々あるだろう。蓬莱の薬を飲めば、何とでもなる。お前はずっとこの結界のことを調べ上げてきたのだろう、なあ、あと百年あればどうにでもなるんじゃないのか? 百年かけたらきっとできるさ。そして、私と一緒に外に遊びにいこう。霊夢、世界は広いんだ。私にそれを教えてくれたのはお前なんだぞ。一緒に生きて、そして一緒に探そう。そして一緒に外に出よう。霊夢」
 私の呪いへの感度がいかほどばかりか、魔理沙には推し量ることさえ出来ないだろう。だからこんな軽率なことを言うのだと思うと、怒りを過ぎ去り悲しくさえあった。
 働いた勘は、微動だにせぬまましっくりと収まった。
「霧雨魔理沙。それが条件だったのだね。私に永遠を生きるよう仕向けることが紫との取引材料だったわけ」
「霊夢」
「あの紫が他人を幻想郷から出すために簡単に境界を歪めるなんておかしいと思ったのよ。そう、そういうことか。お前も私をただの石ころとしか見てなかったわけだ。なるほど都合がいいものな」
 生への渇望を呼び起こすために、外界への憧れを釣り餌とする。じたばたと生贄が足掻いている間は事もなし、百年二百年時がかかればそれもよし、成功したのなら万々歳。なるほど、中々うまい具合に出来た算式だ。
 霧雨魔理沙は言い訳をせなんだ。立ち上がり、帽子を深々とかぶり直すとそのまま箒に腰掛けた。悪巧みが暴かれれば潔く、というその態度までが私の癇癪をほじくる。
「これだけは言わせろ。霊夢、私はあんたに憧れてるんだ。お前は忘れちまってるんだよ、自分が何だって出来るってことを。こんな箱庭が、よるべの全てでよいのか?」
「帰りな。私はもう疲れた。もう枯れたのだよ。今はもう、死を待つだけでいい。魔理沙、帰ってきてくれてうれしいよ。けど、もう会いたくはない。あんたはもう人間じゃあない、あんたはもう、妖怪の類いさ」
 黒い魔女が屋根の上に消えていくのを待って、私は写真の束をもう一度十字にくくりなおすと、母屋の外の蔵を開け、その一番奥、たくさんある中でも特に目に触れない行李の一つに押し込んだ。行李をくくる紐には今日のことを忘れないよう、芋、と書いた封印を貼った。母屋に戻るとき、私は庭の中央を眺め、そして思った。ああ、この枯れ葉が舞い散る猫の額が、博麗霊夢の千年なのだ。そしていつか墓穴ともなるだろう、と。





12.魔女が発つのは満月の夜に限るといったから

 遺す言葉はないかと聞いたが、彼女は何もないと笑うだけであった。
 千年の旅路を行くにしては軽装である。けれどそれが良いらしい。
 彼女に言葉がないのなら見送る者にこそ沈黙がいるだろう、だが葬送は一人というのは肯んじることが出来ない。私は彼女の頬に口づけをし、窓をあけた。外は真空のような冷気であった。月光は氷の結晶のようですらあった。しかし無慈悲と呼ぶにはあまりに柔らかい輝き。
 冬の夜とはこんなにも孤独をありありと映しだすものだったのだろうか。私はもはやとうに失われてしまった冬の思い出を手探りしようと思ったが、そんないとまも許されないまま、運命の歯車は回転を始め、友を境の向こうへと永遠に連れ去ってしまった。月光がさらさらと梢の狭間からさしこんで、ゆるやかに変貌を遂げる魂を照らす。
 にわかにかき曇り、満月の明かりがさえぎられてしまう頃、全ては終焉を迎え、目の前に一粒の結晶が残された。私は目の前で起こった全てのことを心に置き留め、そしてきびすを返した。
 手向けはいらぬ。夢もない。乞うなら慈悲を、去りし彼女に。





13.世界

 総出の配達だったが存外に時間がかかった。昨晩からの嘘のような豪雪のためである。昼間に一刻だけ差した気まぐれのような晴れ間を天の助けと腰を上げ、ゆかりのある者に狙いを定めて配りに配ったが、やおら目を覚ました冬将軍の息吹も相まって、ようやく全てを撒き終えたのは日もとうに沈んでからであった。
 最後の一羽が戻ったのを確かめて、私も束の間の羽休めを終えて斎場へ向かった。雪もそうだが風も強く、力をありったけ向けなければ方向すら容易に狂う。博麗神社に辿りついたときには濡れ鼠もかくやと言うほどに濡れそぼってしまっていた。
 神社の境内にはともし火がいくつも焚かれ、踏み固められた雪の上にはござが敷かれ、種族を問わぬ様々な者たちが寒さもいとわず思い思いに酒を呑んでいる。いくつかかまくらもあり、弔い方もそれぞれといったところだ。私は真上からその様子を一枚写真に収めてから社務所へと向かった。戸の向こうでは村の人間に郷の妖怪が入り乱れながら、振舞酒と煮炊きに追われ騒然となっていた。
「お、ようやく到着かね」
 私の肩をポンと叩いたのは伊吹萃香であった。中身はまだまだたんまり残っているであろう瓢箪を傾けながら、一活笑う。
「ご苦労だったね」
「ひどい雪です。冬の妖精たちは一体何を考えているやら」
「さてね、これがやつらのやり方なんだろうよ。さて、湯浴みはこっちだよ」
 母屋の中ではバタバタと人の流れが耐えない。実際、死とは実務である。ただ悼むのは疎遠の者ばかりであって、身近であった者、縁のある者は皆慌しく支度や始末を整えなくてはならない。が、それこそが胸の痛みを緩める処方となっているのかもしれない。
「着物は後で適当に置いておくから好きにあしらっておくれや」
「痛み入ります」
「そいつも囲炉裏に干しておこう。どうしても窮屈だったら生乾きで堪忍ってところだね」
 ごゆるりと、と言い残して鬼は角がつっかえないように戸を出て行った。私は水を吸ってすっかり重くなった服を脱いで湯を浴びた。湯はいつでも誰でも入れるように沸かし通しなのだろう。雪を押してやってくる弔問客のために、今夜は朝までこちらにも火の番がいるに違いない。私は格言よろしく体を温めるとすぐに出た。木綿の着物に足袋、どてら。わずかに丈が足りなかったが、生乾きよりはましだと思った。
 私は母屋の廊下を渡り、厨へと向かった。せわしなく動きまわる女衆の中に伊吹萃香の姿がないということは、もう飲み方に回ったのだろう。私はあくせく働く姿の中に里に住まう上白沢慧音の姿を見つけた。寺子屋の教師は律儀に喪服の出で立ちであった。着の身着のままの者ばかりが多いので、喪服姿のほうが目立つ。私を見つけて、彼女は忙しなくおにぎりを握りながら笑った。
「やあ。湯浴みはもうよいのかな」
「ええ。ご苦労様です。もうひっきりなしでしょう」
「うん、大したことない。腕が鳴るというものだ」
 袖をまくりながら、彼女は頬のしわを寄せた。
「そちらこそこんな雪の中、郷中に知らせを撒いて、大変だったろう」
「いやぁ、なに。訃告を届けるのもジャーナリストの大事な責務ですからね。こうみえて責任感は強いんですよ。プロですから、当然です。まぁもっと褒めてくださっても構いませんが」
「もうちょっと早く知らせてくれればこんなに慌てずに済んだんだけれど」
「あやややや。手厳しい」
 その場にいる皆がどっと吹き出し、束の間、厨は活気に満ちた。
「さて、遅れてきましたが何か手伝うことがあれば」
「いや構わんよ。村の者も大勢手伝ってくれている。人では足りているさ。外ばかりでなく居間にも大勢いる、挨拶に行ってくればいい」
 むしろこれ以上人がいたら邪魔なんだと言わんばかりに手を振られてはもうにべもない。お言葉に甘える格好で、私はどてらをぐっと引き寄せて居間に向かった。寒さの苦手な者は居間に逃げ込んでいるらしい、人と妖でごった返して足の踏み場もない。喪主森近霖之助は、一番奥まったところで猪口をなめていた。
「この度は」
「ああ、ご勘弁願いたい。なに、僕は付き合いが長いってだけでふんぞり返っているだけのただの置物さ。丁寧な挨拶を承るほど働いてもいない、気楽にしてもらう方が僕も故人も大変助かる」
 彼が差し出した猪口を受け取り一献空けた。程良い燗はまだまだ暖の足りない体には随分沁みた。やがて次々と昔なじみが顔を寄せてきては挨拶をしていくのだけれど、なんということか、この期に及んで自覚したのだけれど、どうもこういう社交を含む儀礼の場が、私は随分と苦手なようである。
「なに、得意なやつなどいないさ。皆見よう見真似でやっている。そもそもこの郷で誰かを悼む、誰かを見送るなどということ自体が稀なのさ。気を揉む必要はない。気楽に頼む。というわけで諸君、各々でやってくれないかな」
 こういう時の喪主の一言というのはなるほど力がある。解放された私にみかんと干し柿の入った籠をさし出しながら、森近霖之助は二杯目を注いだ。
「急でしたね」
「いや予感はあったみたいだ。彼女はもう死期を悟って帰ってきたのだよ。まるで猫だね。知っていたかい? 息を引き取ったのは帰郷の日からちょうどひと月だ。彼女らしからぬ行いだが、どうも最期は律儀であったようだね、全て自分で片付けてしまっていたよ」
「では看取ったのは」
「情けない話だが。気付いたときにはあの有様だったのさ」
 霧雨魔理沙の死が明らかになったのは、彼女が暮らした森の屋敷が一晩で忽然と姿を変えてしまったからであった。壁を這っていた蔦はその密度を何倍にも増し、二抱えはあるような巨大な根が入り口、窓、煙突など全ての出入口を塞ぎ、巨大な木のうろが屋敷そのものを押しつぶしてしまっていた。崩れた壁はわずかな風にもさらわれてしまうような粉末に砕かれ、鉄は錆び、本は虫に食われ胞子の巣と化していた。まるで千年も放り出されてしまったかのように全ては風化し、あるはずの亡骸さえもうそこには残されていなかったという。
「なぜ」
「さあ、僕には彼女の考えは分かりかねるが」
 私は空の猪口に注ごうとしたが、森近霖之助は手ずからとっくりで注いだ。
「いやもう気遣いは無用。ところで、訃告を届けてくれて痛み入る。やるならなるべく騒々しくというのが、魔理沙の遺書にあってね、どうも君に頼むくらいしか僕には思い浮かばなかったのだよ」
 そう言って懐から小さな箱を取り出した。ブリキのようだが、中身は空である。何の変哲もないように思えるが、古道具屋の店主は目利きするように眼鏡をずらしながら――命が尽きるとひとりでに開く箱――と呟いた。
「そう、つまりだ。この箱が開いたことが、魔理沙が死んだという知らせになったというわけだ。遺書が一枚、そしてご丁寧に自分で形見分けまでしてくれていてね。呆れるよ」
 職業病であるが、私は饒舌な森近霖之助が大変ありがたいと感じた。
「遺書には何と」
「三つの行だ。葬儀はよせ。酒盛りは大いに歓迎。あとはお好きに」
「全く彼女らしい話!」
 私は思わず吹き出してしまったが、今宵の集まりに笑いは不謹慎ではない。
「だからまあ、これはやはり葬儀ではない。ただの酒盛りさ。彼女の旅立ちを惜しんだ別れの宴というただそれだけさ。お好きにという話だ、何を気兼ねすることなく筆を起こしていいだろう」
「では、質問をいくつか」
「なんなりと」
「昔、霧雨魔理沙がこの郷を出て行く時に博麗霊夢ととある約束をしたという話を御存知ですか」
「人として死ぬことだろう」
 二人に近しい彼が知らぬわけがない、という私の推測は正鵠であったようだ。
「推測だが」
 森近霖之助は前置きしてから言った。
「人間である彼女たちは、老い、そして死ぬに早足だ。妖怪となる、またそれに類する何かに変容して長命を得る……そういったことを、自らに禁忌と定めたようだ。それは別段難しい理屈ではない。自らのまま死ぬことを、むしろ人でない者たちこそ体現しているのだからね」
「霧雨魔理沙は忠実であった、と」
「彼女は約束を果たしに戻ってきた、とも言えるのかもね」
「そしてそれを誰にも言わないというのも約束した」
「おかしな話で、秘密などどこからだって漏れるのさ。見るからに口が軽い者ばかりじゃないか」
「貴方も含めて」
「全く」
 私はもう一献だけ頂いた。燗はぬるまっていた。
「もう一つ、他に約束をしたことがあるから戻ってきたという話は、御存知ありませんか?」
 森近霖之助は眉根をよせては、自らの知らずを露呈した。彼に聞くことは自尊心を傷つけるだろうか? しかし、さて、無粋さこそが記者の特権である。
「御存知ありませんか……じゃあ他の誰かとの約束なのでしょうか」
「その話は誰から聞いたんだね」
「情報源は明かせません」
「そうかね。ならその情報源以上の話のネタを僕は持っていない、と白状しておこうか。すまないね」
 降参だ、という風に彼は両手を開いた。
「いえ、こちらこそ無粋を。ところで先程のお話ですが、遺書の他にはあなたに何を残されたのでしょう」
「オフレコなら」
「はい」
「大したものじゃあない。昔あげたものが返ってきただけさ。ボロボロに使い古された、けれどよく手入れされた小さな焜炉だよ。冥利に尽きるというものだが、如何せん僕には使いこなせない。棚の奥で休ませるさ」
 例をいって外へ出た。約束通り、私はその話を書き留めることはやめた。さて、次は巫女である。
 雪はほとんどやんだと思えるくらいに小降りになっていた。月明かりさえのぞいている。境内のところどころで焚かれた火が、白い野に咲くしくらめんのようであった。私は車座の一つ一つを訪ねては、話を聞き――もはや気遣いなく書き留めた――写真を撮って回った。だがどの座にも博麗霊夢の姿はなかった。里へでも下りたのか? そう思った矢先、わずかに欠けた満月を浴びて、古びた鳥居の足元に彼女の背中を見つけた。
「失礼、博麗殿」
 呼びかけたが、博麗霊夢は私を見ずぐい呑を干した。かたわらの一升瓶は既に尽きかけている。だが彼女の横顔に酔いは見えない。顔色も真っ青に冷めきっている。私は彼女の体調を案じたが、老巫女はやはり答えず、鳥居に持たれて山向こうを見るだけだった。
 彼女はまるで誰かを待っているようであったが、待ち人は来たはずで、そして去ったのだ。ついひと月前、この鳥居をくぐって帰ってきた魔法使いはもうどこにもいないのである。雪はやんでいる。時折響く思い出話に誘われた笑い声も、そしてすすり泣きも、全ては雪が飲み込んでしまう。誰彼構うことなく皆、思い思いである。彼女もまた、誰に遮られることもなく一人でいたいのだろうか、私はただの邪魔者にすぎないのか――自問をしつつも、やはり私は問うことしか出来ない。
「鳥居の向こうに、何かあるのですか」
「鳥目の天狗には見えないのかい?」
 また無視されるだろう、と思ったが博麗霊夢はそれがひどく可笑しい問いだと馬鹿にするかのように引きつった笑いをあげた。腹を抱えながら、ぐい呑に酒を注ぐ。最後の一滴を聞し召し、巫女は瓶を石段に放った。瓶は砕けた。それがまた可笑しのだとばかりに巫女は笑い、やがて疲れ切ったように溜め息を吐いた。
「何があるというのです」
 巫女はぐい呑も草むらに放り、そして答えた。
「世界さ」
 私は彼女の視線につられて前を見た。鳥居の向こうは結界だ。手を伸ばしたところで意味のない夢まぼろしだ。
 巫女はそれを世界と詠んだ。私には図りかねる言葉で呼んだ。
 夢まぼろしは、まばゆいばかりの白銀に沈んでいる。



 つづく。
マジな話、ツール・ド・フランスのがあるからいまを生きてる。
ぴーおー
http://www.geocities.jp/psk3233/
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コメント



0.410簡易評価
7.100名前が無い程度の能力削除
こういう話を読んでも、よく判らんと昔は思ったものだが…

私を年をとったのかな