アリス=マーガトロイドはお手製の人形に針を刺した所で、おもむろに手を止め顔を上げた。うららかな日差しが差し込む春の窓辺でのことだった。薄黄色の日差しに照らしだされた彼女自慢の人形は服が僅かに裂けている。それを繕おうとした時、表の玄関をノックする音が聞こえたのだ。アリスは一瞬ためらったが、すぐに針と人形とをサイドテーブルに置いた。階下からノックの音が再び聞こえ、彼女の名を呼ぶ声が廊下を震わせる。小さくため息を吐き、スカートに散った糸くずをはらいのけて立ち上がる。彼女がさっと手をかざすと、ジリッという断末魔を残してスタンドの明かりが消え、部屋の中から白い光が消えた。アリスは左右をサッと見回し、改めて着衣に付いたほこりを払うと階段へ向かい、階下へ降りていく。
魔法の森に立つマーガトロイド宅は二階建てのこぢんまりとさっぱりとした建物で、家主の性格が良く見て取れる。百フィートを越える背の高いシラビソやモミに囲まれ、独特の障気に満たされた森の一角、若干開けて陽の光が当たる所にその家は建っている。白い外装と赤い屋根にヘンゼルとグレーテルを見る人もいるそうだが、家主はまだうら若い女で、禍々しい濃紫のローブやねじれた杖をついているわけではない。赤地に白いフリルのヘッドドレスがよく調和する控えめで薄いプラチナブロンドを肩より短く切りそろえ、ライトブルーのワンピースを清楚に着こなす我々のアリス=マーガトロイドは、目下そのショートヘアを揺らしながら良く掃除された階段を降りているところだ。
三度ノッカーが声を上げ家主を呼んだ。アリスは足を速めて階段を下り、玄関へ向かう。トトトと軽い音を上げ床板がアリスの足を跳ね返す。そしてドアの向こうから声が掛かった時、アリスは玄関に辿り着いた。声の主を知っているからか、誰何することなくドアを開ける。チェーンを外し、ドアノブの下にあるカギを二度回す。がちゃりと音がしてロックが外れると、ドアノブを握って回す。
ドアが開いたら、まずは挨拶をするものだ。
「いらっしゃい、パチュリー。」
「こんにちは、アリス。」
パチュリー=ノーレッジは切りそろえられた紫色の前髪を揺らした。
「おじゃまだったかしら。」
「ええ、とっても。」
アリスは口を尖らせていった。パチュリーは暫くアリスの顔を見上げていたが、やがてふっと笑い出す。つられてアリスも顔をくずした。暫くころころと笑いあっていたが、やがてアリスが中へ身を引きパチュリーを招き入れた。パチュリーが一礼して中へはいるとドアが閉ざされる。
No sugar, please.
部屋に通されると、パチュリーはぐるりと見回した。リビングルームの中央にぶら下がった明かりが薄クリーム色の壁紙に映え、暖かな色彩溢れる生活空間を演出している。部屋の中央に据えられたテーブルや椅子の趣味もかわいらしくて良いものだが、窓際に据えられたサイドボードには布製の人形がずらりとならび、そこだけはなんとでもなく凄まじい。パチュリーの視線がアリスのそれと絡んだ所で家主が口を開いた。
「それで、何のご用かしら?」
「これよ。」
パチュリーは手に提げたバスケットを目線の高さに掲げていった。
「たまにはお昼でも一緒しない?」
アリスはバスケットを一瞥して笑った。
「構わないわよ。座ってまってて頂戴。紅茶で良いかしら。」
「Un cafè, s'il vous plaît ?(コーヒーが良いわ)」
「As you like.(お気に召すまま)」
アリスはいったん廊下へ出ると向こうのキッチンへと歩いていき、パチュリーはバスケットをテーブルにおいて椅子に腰掛ける。息を一つ吐くと首を回して窓の外を見た。
すっくと立ち上がる木々の間を縫う木洩れ日の薄明かりが、磨かれたガラスを通り魔法の光に散らされて消える。長方形の窓枠を通して見える均整のとれた森の木々がゆらゆらと揺らめく。
「コーヒーをお持ちしましたわ、
「ありがとう」
パチュリーが振り向くと、戻ってきたアリスが盆からコースターとカップを二つずつテーブルの上に移す。オレンジと薄い赤で彩るコースターに置かれた、飾り気はないが質素で清潔な白いコーヒーカップから湯気がゆらりと立ち上がり明かりの中に行き場を失ってうろつく。アリスは澄まし顔で盆に載せた白いシュガーポットをさして言う。
「砂糖はいかが致しましょうか。」
「結構よ。」
パチュリーが姿勢を正して答えると、今度は隣に置いてあった小さなクリーマーをさして言う。
「ではミルクはいかが。」
「それも結構。」
「じゃ、置いときますのでお好きなようになさって。」
「どうもありがとう。」
アリスがシュガーポットとクリーマーをテーブルのはしに置いた。どちらとも無くクスクスと笑いながら、アリスは盆を下げパチュリーはバスケットにかけてあったナプキンを払う。すると中にあった色とりどりのサンドウィッチが披露される。
「うわぁ、綺麗。それにとっても美味しそう。」
パンは勿論、トマト・ベーコン・チーズ・レタス・ハムに始まりペッパーソースやサワークリームに至るまで紅魔館特製のものばかり。輝く白いパンに挟まれた食材の色が鮮やかに映え食欲をそそった。
「これ、あなたが作ったの? それともあの子?」
「私です。あれにはまだ無理よ。」
「そ。じゃ、早速頂きましょうか。」
「どうぞ、召し上がれ。」
アリスはとり皿をパチュリーに渡し、胸の前で指を組んでからサンドウィッチに手を伸ばす。最初に選んだのはトマト・レタス・チーズをはさみ胡椒をかけただけの野菜サンドだ。小さく口を開け、サンドウィッチの端を口に含むと上品にかみ切って咀嚼する。シャリシャリと生野菜の食感が心地よく、紅魔印のゴーダチーズがとろけてブラックペッパーの刺激を包み込む。
「すっごく美味しいわ!」
アリスは微笑んで、自分の喉が上下してサンドウィッチが落ちていく一部始終をじっと見守っていたパチュリーに言った。ほっとした様子で自分もサンドウィッチに手を伸ばすパチュリーを見て、クスクスと笑い出すと、パチュリーはちょっと顔を赤らめて答えた。
「心配なのよ。久し振りに他人に食べて貰うものだから。」
「ごめんなさい。でもほんとに美味しいわよ、これ。」
「ありがとう。」
ほっとした様子のパチュリーが手に取ったのはカリカリベーコンとレタス・トマトを挟んでマヨネーズと胡椒で味付けしたサンドウィッチ。しかし口を開けてくわえようとした所で手が止まり、アリスを振り返り口ごもる。アリスは微笑んで聞いた。
「何かしら?」
「あの……見つめられていると食べにくいのだけれど……」
「気にしないで頂戴。」
アリスは微笑みを崩さずに答えた。パチュリーは顔を赤らめて逡巡したが、アリスの悪戯っぽい目線におされて、意を決したように目を瞑りパンをくわえかみ切った。パチュリーの顎が上下するたびに、ベーコン・レタス・トマトがマヨネーズの酸味と混じり合いそこへ胡椒のアクセントがピリリと利いた絶妙な味覚を提供しているのだが、アリスの目線が舌を麻痺させていた。パチュリーは目を瞑ったままもそもそと咀嚼しやがて飲み込む。すると待っていたようにアリスが聞いた。
「お味はいかがかしら?」
「……おいしいです。」
パチュリーがうつむくとアリスは左手を口元で丸めクスクスと笑った。
「かーわいい。」
「……ぁ、からかわないでよ。」
パチュリーが顔を上げるが、一面紅く染めぬかれ目尻にきらりと光るものがある。アリスはそれを楽しそうに眺めながら二口目のフレッシュトマトをかじることにした。パチュリーも、まだばつが悪そうにしていたが、やがて食事に戻る。しばらくの間二人の顎と喉が交互に動き、黙々とサンドウィッチを消化してゆく。
アリスの二番手は生ハムとゴルゴンゾーラにワインヴィネガーを篩い、レタスで挟んだ、強めの香りと酸味が口腔を刺激するイタリアンサンド。
パチュリーはベーコンとベイクドポテトにサワークリームとキュウリ添えたアメリカンサンド。
時々ふと目が合うと、パチュリーはつと視線をそらしてしまう。その挙動を楽しみなら、アリスは三つ目のサンドウィッチ――チョリソーとマッシュドポテト――に手を伸ばす。
三十分ばかりもそうしていた二人だったが、やがてバスケットは空になるころ、アリスはすっかり満たされていた。パチュリーお手製のサンドウィッチを心ゆくまで堪能しつくし、食後のエスプレッソを楽しんでいる傍らで、当のパチュリーは茹で上がった顔をうつむかせていた。そんな様子をデザート代わりにくつくつと笑うアリスであったがやがて笑い止め、しかし笑顔を崩さずに声をかける。パチュリーが一瞬びくりと跳ねたのが更にアリスを微笑ませた。
「ごめんなさい、パチュリー。でも貴方が可愛いからしょうがないのよ。」
パチュリーは暫くうつむいたまま黙りだったが、やがてぼそぼそと何かを呟いた。アリスはにやりと口元をゆがめながら追撃する。
「うん? ごめんなさい、なにかしら、良く聞こえないわ。」
うつむかせた視線の先テーブルの下で指をくんだりほどいたりしていたパチュリーだが、おもむろに顔を上げうるんだ瞳越しにアリスを睨め付ける。
「よ、よくもそんな恥ずかしいことを、平気で言えるわね。破廉恥だわ!」
アリスは諒解した。紫色の瞳を精一杯の涙で潤ませこちらをにらみ返す、色白の肌一杯に羞恥の紅葉を散らし小刻みに震えているパチュリーの、これがイデアかと。
「あら、でも可愛いのはしょうがないわよねぇ……」
さらに追撃してみようかという、その時だった。
「きゃん!」
突然、誰かの甲高い悲鳴が響く。何やらキッチンの方が騒がしい。
「今のは。」
「どうやら人形たちが侵入者を迎撃したようね。キッチンの窓からだわ。」
「なんて物騒なのかしら。」
「それは侵入者が? それともうちのセキュリティ?」
「どっちもよ。」
二人はテーブルから離れることもなく暢気に会話を続けていたが、人形たちに運ばれてきた侵入者の姿を見て唖然とする。
「……どういうことなの。」
「えへ。パチュリー様が心配だったもので、つい。」
現れたのはなんとパチュリーの使い魔である小悪魔だった。少々ボロボロになっていたが。
「なんて物騒なのかしら。」
ジト目を向けてくるアリスと視線を合わせないようにしながら、とりあえずパチュリーは小悪魔の手当てをする。
しかしすぐさま次の騒ぎがやって来た。
「私の友人を誑かすとは、やってくれるじゃない。」
二階からレミリアが優雅に階段を降りてくる。窓の鍵は閉まっていた筈なので、おそらく突き破ってきたのだろう。服にガラスの破片がついている。
「お嬢様あるところ私あり、ですわ。」
続けざまにトイレから咲夜が出てくる。いつの間に入ったのだろうか、能力の無駄使いである。
そして玄関の方を見ると、鍵が掛かっていたのを無理矢理こじ開けたらしく、ドアノブ付近がナイフでズタズタにされてしまっている。
アリスは冷ややかな目でパチュリーに視線を投げかけた。
「この損害についての賠償は?」
「……魔道書三冊。」
「許しましょう。」
途端に表情を柔らかくするアリス。魔法使いとはかくも現金なものだ。
そして身内の奇行により羞恥と損失を被ったパチュリーは文字通り頭を抱えるしかない。
そんなこんなで小悪魔たち三人も加え、改めてお茶会が再開された。
「さぁ、私は客よ。早くもてなすべきじゃないかしら?」
椅子に腰掛けて一息つくやいなやふんぞり返るレミリア。
「あなたには咲夜が用意してくれるでしょう。」
「あら、私もいちおうお客様なのよ?」
「やれやれ、しょうがないわねぇ。」
「アリス。」
立ち上がるアリスにパチュリーは申し訳なさそうな表情で呼びかける。アリスはそれに笑顔で返した。
「気にしないで。突然のお客には慣れてるから。」
「そうじゃなくて、私にもおかわりをお願い。」
「……かしこまりました、
てっきりねぎらってくれるものだと思っていたアリスは、自分の早とちりに少々顔を赤くする。
「それで、他のお嬢さん方はいかが致しましょうか?」
「じゃあ私はパチュリー様と同じくコーヒーで」
「私もコーヒーね」
「お嬢様にならってコーヒーをお願いするわ」
「全員コーヒーなのね。まぁこっちも用意する手間が省けるからありがたいけど、仲の良いこと」
アリスはいったんリビングを出ると、再びキッチンで人数分のコーヒーを用意し、盆に載せて戻ってきた。
慣れた手つきでそれぞれの前にカップを置いていく。
「砂糖とミルクはどうぞお好みで」
自分もカップを持って席につき、シュガーポットとクリーマーを示す。
まずパチュリーはどちらもスルーした。次に小悪魔が砂糖を一杯とミルクを少々。続いて咲夜が砂糖を二杯。そして最後にレミリアは砂糖三杯とミルクをたっぷりと入れた。
「お子様ね。」
「お子様。」
それを見ていたアリスとパチュリーは二人で口を揃えた。
「何か文句でも?」
「レミィ、それはもうコーヒーに非ずよ。」
「お好みでって言ったじゃない!?」
「甘いのがお好みなのね。可愛らしいお子様だこと。」
「くぅ、魔女どもめ。咲夜、小悪魔、何か言ってやってよ。」
「そうですね、お嬢様が子どもなのは当たり前ですわ。」
「今さらですよねぇ。」
「……味方はいなかった。」
レミリアはガックリと肩を落とした。その光景を全員が微笑まし気に見ていたが、パチュリーはふとアリスを呼ぶ。
「ねぇ、アリス、ちょっと。」
「ん?」
腕を引いて顔を近づけると、コショコショと耳打ち。話し終えたパチュリーはアリスと顔を合わせると、意地の悪い笑みを浮かべてウインクした。
(やっぱり可愛いわねぇ。)
内心で呟き、また胸が熱くなる。しかしそんな感情は露程も表に出さず、アリスは極めて平静にパチュリーとの会話に応じる。
「レミィったらホントお子様なのよ。こんなだから、実は本も読めないのよね。」
「あら、そうなの?」
「バカにするな! 本ぐらい読めるわッ。」
「ならこれを読んでみて。」
「ふんっ、いいだろう。貸してみギャーッ! 聖書!?」
『やっぱり読めないのね。』
「読めるか!!」
煙を上げる手をフーフーしながら盛大にツッコむ。そのあまりのキレの良さに咲夜と小悪魔は感嘆の拍手を送るが、当人はそれどころではない。
「いったいどういうつもりよッ」
憤慨するレミリアに、アリスとパチュリーは笑いながら視線で合図し、また口を揃えて答えた。
『コーヒーとジョークは、ブラックに限る。』