夏。
燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、木々たちが嬉しそうに、その身を揺らす季節。
そんな幻想郷の中で、魔法の森はその光を拒み、陰鬱な雰囲気を頑なに固持していた。
「ふんふんふーん♪」
そんな中、魔法の森の瘴気をものともせず、陽気に歩を進めるのは、霧雨魔理沙。
幻想郷において、キノコに関して彼女の右に出るものはいないという。(出たいと思う者もいないという)
彼女はキノコ採集に勤しんでいた。
「ふふふ。籠ん中がいっぱいだぜ」
今日はまだまだ収穫がありそうだ。
そんな予感を胸に、軽い足取りで前に進む。
「ふんふーん。――っとぉ?」
不意に、森の中を歩いていたはずの魔理沙の目の前が開けた。
「な、なんだこりゃあ……?」
魔理沙の目の前に現れたもの。それは――――
~夏色のサンクチュアリ~
「香霖、大変だ! すぐに来てくれ!」
ばん、と豪快に扉を開け放った魔理沙に視線を向けたのは、森近霖之助。香霖堂の店主である。
読書を中断させられた霖之助は、面倒くさそうに口を開いた。
「……魔理沙、頼むから扉は静かに開けてくれ。埃が舞ってしょうがない。恨みがあるってわけでもないだろうに」
「恨みならあるぜ。指を挟まれたことがある。あれは痛かった」
「それは自業自得だろう」
「挟んだ方が悪い。私は被害者だ」
「……そうだね」
何を言っても無駄だ、と霖之助は早々に諦めた。
「それで、一体何が大変だって言うんだい?」
「おお、そうだ。すっかり忘れてた」
「……本当に大変なのか?」
「大変なんだよ。森の中に得体の知れないものが現れた。一体何なのかさっぱりわからん。ちょっと一緒に来てくれ」
「得体の知れないもの? それは生き物かい?」
「いや、そうじゃない。なんていうか、うまく言えないけど、道具だ。道具がたくさんある。それも一つ一つがかなり大きい。異変の匂いはしないし、道具なら香霖に聞いた方がいいと思って来たんだ」
「ふむ……」
さて、どうするか。
この暑い中、わざわざ外に出るなんて愚かな行為は極力避けたい。熱中症にでもなったら事だ。しかし、得体の知れない道具というものは捨てがたい。魔法の森に普通の人間は寄り付かないし、異変の匂いもしないということは妖怪の仕業でもないだろう。そうなると、外の世界から何かが流れ着いたという可能性が出てくる。得体の知れないものイコール幻想郷にないもの。その確率は高い。
……行ってみる価値はあるか。
霖之助はそう考えた。
「わかった、行ってみよう。その場所に案内してくれ」
「そうこなくっちゃな」
そうして、魔理沙と霖之助は魔法の森に向かった。
魔理沙が構える森の中の住居から、さらに奥深く、日の光さえまともに届かない区域。
魔理沙と霖之助は、ぐしょぐしょと、生い茂る草を踏み、先へと進んだ。
鬱蒼とした、道とも言えない道が続く。
元来、あまり外に出ない霖之助にとっては少々つらい行軍だった。
「魔理沙、もうだいぶ歩いたと思うんだが。女の子の足にはそろそろきついんじゃないかい?」
「だらしないな、香霖。もうバテたのか?」
「僕は君の心配をしている」
「なかなか面白い冗談だな。笑っちゃいそうだぜ。香霖の膝を見習ってな」
「馬鹿な」
ちら、と膝を確認する霖之助を見て、魔理沙はけたけたと楽しそうに笑った。
やられた――
霖之助はそう思った。
「強がるなって。まあ、もうすぐだ」
「そう願うよ」
そんな、いつものやりとりをしていると、急に目の前が、ふっと明るくなった。
「来たな、これだ。着いたぜ」
「これは……」
霖之助は目を剥いた。
今まで森の中を歩いていたはずが、急に別の場所に出たのだ。現れたと言ってもいい。
霖之助が見たものは、ところどころ崩れかけている木のベンチ、天井からぶら下がった椅子、階段と坂が一体になっている物体、誰かが忘れていった、泥にまみれたボール、正方形の砂場、そして、それら全てをオレンジ色に染める、優しい夕焼けだった。
かー、と烏が鳴く。
「さあ、入ろうぜ」
「あ、ああ……」
一歩、霖之助が足を踏み入れる。
その瞬間、霖之助の頭に数々の情報が流れ込んでくる。
道具の名称、用途がわかる程度の能力を持つ霖之助の力が発揮された。
「――――」
霖之助は理解した。
(そうか、これは――)
魔理沙は、目の前の不思議にわくわくしながら、霖之助に言う。
「よし、香霖。さっそく調べてくれ」
「いや、魔理沙。もうわかったよ」
霖之助の言葉に、魔理沙は眉を上げた。
「なんだって? どういうことだ?」
「入った瞬間にわかった。この場所そのものが一つの道具なんだ。外の世界の、子どもの遊び場さ。公園と言うらしい」
「それが、なんで幻想郷に?」
「それは……」
霖之助は言葉に窮した。
忘れられてしまったのだろう。
子どもの頃の楽しかった思い出を。友達と遊んだ、あの頃の記憶を、忘れてしまったのだ。
しかし、外の世界の人間全員が全員忘れてしまったとは考えにくい。これは、恐らく一人の人間の『あの頃』だ。日々の生に忙殺されて、輝いていた頃を忘れてしまったゆえに起こった、悲しい幻想入り。
霖之助は、そのことを言えずに、ただ黙っていた。
「……そうか」
魔理沙はそれでなんとなくわかってしまったらしい。
それでも魔理沙は歯を見せ、にか、と笑ってみせた。
「それなら、わたしたちで遊んじゃおうぜ! せっかく流れてきたんだ、使わなきゃもったいないだろ!」
「お、おい魔理沙」
「はやくはやく!」
魔理沙は霖之助の手を引き、ぐいぐい先へと進もうとする。
霖之助は無邪気に自分を引っ張る魔理沙の手が、気のせいか、一回り小さく感じた。
「……いや、気のせいではない!」
「香霖?」
「魔理沙、なんだか小さくなってないか?」
「失礼なやつだな。乙女にそういうこと言うやつがあるか」
「……あ、いや、そういう意味じゃない。こう、全体的にだ」
「んー?」
くるくると回りながら自分のことを見る魔理沙。回っても背中は見られないだろうに。
「そうかあ?」
「自分ではわからないのか」
どういうことだ? なぜ魔理沙の体が小さくなっているんだ?
思考する霖之助の顔に魔理沙の手が伸びる。
「なぁにむずかしい顔してるんだよ。あはは!」
むにー、と魔理沙は霖之助の頬を引っ張る。
「ひたた、頬を引っ張るな」
「へへへ」
(体が小さくなっただけじゃない。精神も幼くなっている。これは、まるで子どもだ。異変ではないのか? それにしては霊夢が動く気配がないが……)
そこで霖之助は、はっとした。
「……子ども?」
――外の世界の、子どもの遊び場さ――
自分の言った言葉を思い出す。
「そうか……。ここは『子ども』の遊び場か」
「香霖?」
魔理沙が心配そうに霖之助を見つめる。
「……いや、なんでもないよ。さあ行こう」
「うん!」
満面の笑みを浮かべる魔理沙を見て、霖之助は「たまにはいいだろう」と苦笑をしながら、魔理沙に手を引かれていった。
自分に子どもがいたら、こんな気持ちなんだろうか、なんて考えながら。
「なあ香霖、これなんだ!」
「ブランコ。その椅子の部分に座って、前後に体重移動をして遊ぶ道具だ。立ちながらでもいい」
たたた。
「じゃあこれは!」
「すべり台。そこの階段から登って、その坂を座りながら下って遊ぶ道具だ。速さを競って遊んでもいい」
「あはははは! そっか! そりゃいいな!」
魔理沙は無邪気に笑う。楽しくて仕方がないとばかりに。
前を走る魔理沙が、くるっ、と霖之助のほうを向き、言った。
「なあ香霖!」
「なんだい?」
「こんな楽しいこと、独り占めしてたらダメだよな!」
「――――」
そういえば、魔理沙は小さな頃から素直にものを言えなかったな。
そんなことを霖之助は思い出す。
「ああ、みんなも呼んでおいで」
「――! そうだよな、呼んできてやったほうがいいよな! こんな楽しいこと教えてやるわたしってやさしいなー」
素直に、みんなと遊びたいって言えばいいものを。
そんなことを、口には出さずに、霖之助はただ魔理沙を見て微笑んでいた。
「あはは! 霊夢、こっちこっち!」
「はいはい、今いくって」
「ちょっと待ってよー!」
「アリス遅いぞー!」
みんなを引き連れて戻ってきた魔理沙は、その狭い公園を縦横無尽に駆け回っていた。
「あはははは――――あれ?」
何かに気づいたように、魔理沙はきょろきょろと辺りを見回す。
「早苗どこいった?」
「あれー? 一緒にきたのにね」
「あそこ」
咲夜が離れた砂場を指さした。
「あいつ一人でなにやってんだ?」
ととと、と魔理沙は砂場まで走り、一人遊ぶ早苗に声をかけた。
「早苗ー、なに作ってんだ?」
幼い頃の早苗は引っ込み思案な子だったのか、四人の輪に入れずに、一人砂場で遊んでいた。
急に話しかけられたことに戸惑いながらも、早苗は答える。
「も、守矢神社っ」
「うまっ! 何それ!?」
早苗が作った守矢神社には、しっかりと鳥居やら参道やら本堂などが備わっていて、その完成度は奇跡の域に到達していた。
お山ー、という答えを予想していた魔理沙は、素直にその芸術を褒めた。
「すごいな早苗は! よし、早苗もこっちにきて一緒に遊ぼうぜ!」
「え、あ……うん!」
ぱあ、と早苗の表情が明るくなる。遊びに誘われて嬉しくない子どもなどいないのだ。
そんな早苗の顔に満足した魔理沙は、大声で提案をした。
「よーし! みんなで靴飛ばししようぜ! 霊夢、アリス、咲夜、早苗、全員あっち集合ー!」
魔理沙はブランコを指差した。
青い鉄筋の塗装は剥げ、あちこちから赤茶色の錆が見え隠れしている。鎖の部分もギイギイと音を鳴らしているし、椅子もすっかり色褪せている。
そんなブランコが、今再び使われることによって、輝き始めた。
遠くから見守る霖之助には、そんな風に見えた。
「ブランコに乗って、靴を一番遠くに飛ばしたやつが勝ちな!」
「靴を飛ばして何が楽しいのよ」
子どもらしくない不満の声を上げるのは霊夢。
「まあまあ、そう言わずに」
そんな霊夢をなだめるのは咲夜。
「ふん、あんたにはまけないわよ」
妙なところで張り合うのがアリス。
そして言われるがままに、いそいそとブランコに向かうのが早苗。
幼いながらも、それぞれの色を見せる五人を、霖之助は崩れかけたベンチから微笑みながら見守っていた。
そして、霖之助は五人を見守りながら考える。
なぜ自分は肉体的、精神的影響を受けないのだろうか、と。
自分は半妖だから、人間ではないから影響を受けないのだろうと最初は考えていた霖之助だが、そうではないことに気付く。その理屈で言ったら種族として魔法使いであるアリスもそのはずなのだ。
そして先ほどから感じている不思議な感覚。
それは、まるで親が自分の子どもの遊びを心配しながらも暖かく見つめているような、そんな感覚だった。
(もしかして、影響は受けているのか?)
ふと、そんなことを霖之助は思った。
ベンチ。腰を下ろして休むための道具。
霖之助の能力が告げていた。
霖之助は考える。
休む? 誰が?
子どもはノンストップだ。休むことなんて許されない。このベンチで休むのは――
「――大人、か」
それも、誰かの親としての。
(――僕は今、あの子たちの親となっているのか)
むず痒いような、気恥ずかしいような気持ちになる。それでいて、少し誇らしいような――
「はしゃぐのはいいが、あまり危ないことはするものではないよ!」
「あーうるさいうるさい。わかってるって!」
親の心子知らず。
そんなことを思う自分に、くすりと笑う霖之助であった。
「へやぁ!」
ぽすん、と早苗の靴が地面に落ちる。
「あう、あんまり飛ばない……」
「だめだな早苗は。靴飛ばしはパワーだ……ぜ!」
ブランコを思い切り漕ぎ、勢いよく魔理沙は靴を飛ばす。
ひゅー、と魔理沙の靴は早苗の靴のはるか先まで飛んでいった。
「わ、わ、すごいです!」
「へへ、だろ!」
にへ、と笑みを零す魔理沙。褒められたら嬉しいのだ。
そこにアリスの、上からものを言う声がかかる。
「ふふん、靴飛ばしがパワーだけだと思ったら大間違いよ」
「あん? じゃあ何だってんだよ」
アリスは勝ち誇ったように言う。
「頭脳よ!」
「……はあ?」
「靴を飛ばす位置、タイミング、速さ、高度――全ての要素を完璧に計算して、初めて靴飛ばしは完成するのよ!」
おー、と拍手を送る早苗に対し、魔理沙はあざ笑うかのような声も漏らした。
「はん、じゃあやってみろよ。靴飛ばしじゃそんなごちゃごちゃ考えてやるもんじゃないぜ」
「ふん、言ってなさい。そして――見てなさい!」
そう言うとアリスはブランコを、ぐん、と漕ぎ始めた。
勢いよくブランコを漕ぎながら、アリスは計算をする。
(風はない。ブランコ下方にかかる力を一番利用できる角度は……ここね。今の位置で足を振り上げる。足首はできる限り角度を無くし……今!)
タイミングを計り、アリスは渾身の力で足を振り上げた。(結局、力である)
「やぁ!」
アリスの放った靴は、ほぼ真上に飛び、ひゅー、ぽすん。という音を立て、アリスの『目の前』に着地した。
計算ができても、その通りに動かせるとは限らない。
「…………」
「…………」
沈黙。それを破ったのは魔理沙の笑い声。
「アッハハハハハハ! なんだ結局だめじゃないか!」
「う、うるさいうるさい! ほ、本気じゃなかったもん!」
「はい出たー、アリスの言い訳ー!」
「ま、魔理沙さん、やめようよぉ……」
二人の言い合いに、ただひたすら、おろおろする早苗だった。
「あー、いいのよいいのよ。あいつらいつもあんな感じだし」
そこに霊夢が子どもながら達観したようなことを言った。
「そ、そうなんですか」
「そ。だから放っておきなさい」
「いざとなったら私が止めますし」
どうやら咲夜はお姉さん的な位置にいるらしかった。
「よーしじゃあすべり台で勝負だ!」
「望むところよ!」
「すべり台はスピードだぜ!」
「何言ってんの、すべり台は頭脳よ!」
「お前こそ何言ってんだ!」
いつの間にか魔理沙とアリスはすべり台に移動していて、新たな争いを生み出していた。
「……あれがいつも通りなんですか?」
「あれがいつも通りなのよ」
「ほえー……」
ぎゃーぎゃーと言い争う二人を見て、早苗は冷や冷やとしながらも、どこか羨ましいと思って眺めていた。
「みんな! けいどろやろうぜ、けいどろ!」
「あ、はーい!」
「ふん、しょうがないわね」
「うえー、走るの?」
「何、子どもらしくないこと言ってるんですか」
「あんたもでしょ……」
魔理沙の提案に乗り気な早苗とアリスに対し、霊夢と咲夜は相変わらず子ども気ない会話を繰り広げていた。
「じゃあわたし、けいさつな!」
いち早く自分の役割を決定する魔理沙に、四人は――
「魔理沙さんはどろぼうじゃ……?」
「あんたどろぼうでしょ!」
「あんたはどろぼうじゃないの?」
「どろぼうの方がしっくりくると……」
――声をそろえて同じことを言った。
「な、なんでだよ! みんなひどいぜ」
ショックを受ける魔理沙に、四人が笑う。
魔理沙は、それを不快に感じてはいなかった。
「マスタースパーク!」
「アーティフルサクリファイス!」
びしゃあ。
「ぶふ!」
「きゃあ!」
弾幕勝負と銘打った水遊びは、魔理沙とアリスの相打ちにて勝負がついた。
そこらへんに転がっていた水鉄砲を魔理沙が見つけたので、これちょうどいいと魔理沙が声をかけたのだ。
「はい、ピチューン! アリス死んだー!」
「なんでよ! あんただって当たったじゃない!」
「わたしはバリヤー張ってたから大丈夫なんだよ! アリスの負けー! アリス死亡ー!」
「死んでない! それにバリヤーなんてずるい! わたしも張ってたもん!」
「うそだね! 張ってなかったね! 張ってたとしても、わたしのマスタースパークは突き破ってたね! アリスの負けー!」
「ま、負けてないもんっ」
どう見ても相打ちの勝負だったが、魔理沙は微塵も自分の勝利を疑っていなかった。
「死亡ー! アリス死亡ー!」
「し、死んでないも……うぇ……」
ぼろ、とアリスの目から涙が零れる。
「ぢんでないもんー!」
「げ……」
「あーあ、泣ーかしたー」
死んでないもん、と繰り返しながら泣くアリスに早苗はひたすら戸惑っていた。
「あうあう……さ、咲夜さんどうしたら」
「全く……しょうがないわね、あの子たちは」
ふう、と溜息を吐き、咲夜はアリスをなだめに行った。
「よしよし、大丈夫よ」
「ぢんでないもん……」
「はいはい、死んでないわよね。アリスは強いもんね」
「わたしだって強いぞ!」
「魔理沙は黙ってなさい」
「むぐ」
面倒になる、と考えた霊夢は魔理沙をぐい、と引っ張り、口を押さえた。
「ぢんでない……」
「だいじょーぶ。わかってるわよ」
咲夜はアリスを抱きしめ、背中をぽんぽん、と優しくたたいた。
「もう泣かないわね?」
「うん……」
「よし、えらい子えらい子。…………魔理沙も反省しなさいよ? あんまり言うとアリスに嫌われちゃうわよ」
「う……わ、わかったよぉ……」
「アリス。魔理沙のこと嫌いになっちゃった?」
ん? と優しく問いかける咲夜。
アリスは、ふるふる、と首を振った。
「ん。いい子ね」
咲夜は、よしよし、とアリスの頭を撫でた。
そして、ぴっ、と人差し指を魔理沙の鼻先に突き立てた。
「魔理沙、アリスは許してくれたんだから、ちゃんとごめんなさいするのよ。いい?」
「わかってるよぉ……」
しぶしぶ咲夜の言葉に従う魔理沙。
「……わ、悪かったよぉ。今回は引き分けでいいよぉ」
「うん……」
「ぷ、何それ謝ってるの?」
魔理沙の不器用な謝罪に霊夢が思わず噴き出した。
「う、うるさいな、謝ってるんだよ――――あ!」
魔理沙は何かを見つけたらしく、勢いよく走っていった。
「いいもんみーっけ!」
魔理沙が手にしたのは、少し太くて長い木の枝だった。
「これ勇者の剣な! みんなわたしについてこい!」
「あんた魔法使いでしょ」
「いーんだよ、今は勇者だ! 探検しようぜ!」
そして駆け出す子どもたち。
(やれやれ。子どもは疲れることを知らないな)
子守もまだまだ続きそうだ、と霖之助は軽くため息をついた。その優しげな表情のままで。
なんだかんだ言っても、霖之助も今の状況を楽しんでいた。
「みんなわたしにつづけー!」
魔理沙が駆け出して、アリスと早苗がそれに続き、遅れて霊夢と咲夜が付き合ってやるかと駆け出す。
「あはは! まだまだ遊ぶぞ、みんな!」
楽しい。
この時間がいつまでも続けばいいのに。
魔理沙はそう思った。
その時だった。
――ポロロン……♪
――と、終わりを告げる音が聞こえてきた。
優しくて、少し寂しいような鐘の音。
「あ……」
ビクッ、と肩を震わせる魔理沙。
来るとわかっていた、終わりを告げる音。
「な、なんだ!?」
「守矢神社がー!」
鐘の音が鳴り響く中、錆び付いたブランコが、埃だらけのすべり台が、崩れかけたベンチが、小さな守矢神社が、静かに、すぅっと消えていく。
そして、それら全てを優しくオレンジに染める夕焼けも、その輝きをなくしていった。
あとに残ったのは、瘴気舞う薄暗い森と、静寂のみ。
「――え?」
それと同時に、魔理沙たちの体の大きさも元に戻った。
「え? なん……」
魔理沙は突然の事態の変化についていけず、ただ呆然としていた。
「え……ブランコは? ……すべり台は? ……ま、まだ私たちはバイバイしてないぜ? また明日って言ってないぜ?」
魔理沙の悲痛な声が響く。
「なんで……なんで全部なくなってんだよ!」
「魔理沙……」
「また明日、冒険の続きが始まるはずだったじゃないか! なあ霊夢! これから、『あの頃』の続きをするところだっただろう!?」
「魔理沙さん……」
「ちっくしょう……なんで、なんで消えちまうんだよぉ……」
「…………」
す、と霖之助は魔理沙に近寄り、優しく声をかけた。
「……魔理沙、わかっていただろう? あれは誰かの、忘れられた『あの頃』だ。幻想となった記憶なんだよ。それが今、ここからなくなったということは……思い出したんだ。誰かが、誰かの『あの頃』を思い出したんだ」
ふ、と何かを思いついたように霖之助は、ふるふる、と首を振った。
「――いや、そうじゃないかもな」
「香霖……?」
「『あの頃』自身が思い出したのだろう。自分は、誰の記憶なのかを。――君たちと一緒に遊ぶことによってね」
霖之助は続ける。
「ここにあった『あの頃』は、戻っていったんだ。自分があるべき場所へ。あるべき記憶へ。それによって誰かは思い出すだろう。小さく、幼かったころの楽しかった思い出を、あの場所を。…………それは、喜ぶべきことなんじゃないかな」
そう言って、霖之助は優しげな視線を魔理沙に投げかけた。
「そうだけど、そうだけどさぁ……!」
魔理沙の目元に涙が浮かぶ。
理屈はわかるが、感情は抑えきれない。そんな様子だった。
「魔理沙、あれは誰かの『あの頃』なんだ。君のものではない。君には君の『あの頃』が確かにあったはずだ。それを大事にすればいい」
ぽん、霖之助はと魔理沙の頭に手を置いた。
「う……うう……うわあああああああああ!」
夕焼けも届かない魔法の森に、魔理沙の泣き声が木霊した。
そこかしこから聞こえてくる蝉の声。
そんな蝉の声に辟易としながら、霖之助は読書に耽っていた。
もっとも、本の内容は頭に入ってはいなかったのだが。
(魔理沙は大丈夫だろうか)
楽しかった時間が終わるだけではなく、消失したのだ。ショックは大きい。立ち直れない彼女ではないはずだが、時間はかかるだろう。
そんなことを考えていると、前日同様、ばん、と豪快に扉が開け放たれた。
「よう香霖、遊びにきたぜ!」
「魔理沙?」
しばらくは魔理沙の声を聞くことはないと思っていた霖之助は、ことのほか元気な魔理沙を見て驚いた。
「ん? どうしたんだ香霖? 餅を詰まらせたじーさんみたいな顔をして」
「失礼な。そんなえぐい顔はしていない。そんなことより、どうしたんだはこちらのセリフだよ。僕はてっきりショックを受けて引きこもるものだとばかり思っていたから」
「ああ」
魔理沙は、少し寂しげな表情で、ぽつり、ぽつりと話し出した。
「そりゃあショックだったよ。……悲しかったよ。なんで楽しいことはいつまでも続かないんだって思った」
霖之助は次の言葉を待った。
「だけど……だけどさ、そうじゃないだろ? 楽しい時間には、必ず終わりが来るんだ。それはすごく悲しいけど、それでいいんだ。終わりがあるから、その一瞬を必死に走れるんだ。大切にできるんだ。――あの時、私は待っていた。鐘が鳴るのをな。鳴るな、鳴るな、って必死に祈りながら、鐘が鳴るのを待っていたんだ。……おかしいだろ、変なことを言ってるって自分でもわかってる。だけど、それが本当なんだ。あの時、鐘が鳴り終えて、寂しいけれど、私は笑ってバイバイしたかった。そこまでで一つの約束なんだ。それが『あの頃』の唯一のルールなんだ」
頬を掻きながら魔理沙は笑う。昨日の自分を思い出し、少し恥ずかしくなったような笑いだった。
「だから……かな。中途半端なところで終わらせられて、精神も、ちょっと幼さが残ってて、なんだかいろんな気持ちがあふれちゃったんだ」
「そうだったのか」
「ああ。……そんなことを、ずっと考えてたんだ。そんでさ、思ったんだよ」
「何をだい?」
「他人の『あの頃』でここまで想うことができるんだぜ? それって、すごいことだよな。それとも、他の誰かの『あの頃』だったら、もっともっと楽しむことができたのかな」
ありもしない風景を幻視するように、魔理沙はぼんやりと、狭い虚空を見上げた。
そして俯き、ふるふる、と首を振った。
「…………ううん、違う。そうじゃない。やっぱり、私は私だけの『あの頃』を大事にしなくちゃいけないんだ。香霖も言ってただろ?」
「ああ」
「だけど、それだけじゃだめなんだ。思ったんだ。あの頃あの頃言ってて、今を蔑ろにしてたら、将来あの頃がなくなっちまう。だから――」
魔理沙は、一息置いてから、ぱ、と明るい笑顔を見せ、言った。
「――あの頃は良かったって言えるような過去を、今作るんだぜ!」
魔理沙は続ける。
「今、一生懸命に今を作って、それを繰り返して、振り返ってみたら『あの頃はよかった』だらけだ。それって最高だろ!」
そんなことを言う魔理沙の目は、よく見ると泣き腫らした跡がある。帰ったあとも相当泣いたのだろう。
しかし、今見せるこの笑顔は決して嘘なんかじゃない、本当の笑顔だった。未来のために過去を作る。そんな今を本気で楽しんでいる。そんな笑顔だった。
霖之助は、それを見て確信した。
魔理沙ならば、誰よりも幻想郷を楽しんでいる魔理沙ならば、きっと、誰よりも素晴らしい『あの頃』を作ることができるだろう、と。
――この笑顔の前に、小難しい理屈はいらない。
一言、一言だけでいい。
「ああ、間違いないさ」
霖之助は、それだけ言うと、再び読書に戻った。
いつもの仏頂面に、ちょっぴり笑顔が灯ったような、満足気な顔で。
そんな霖之助を見て、魔理沙は自分の相手をしろと喚き出す。霖之助はうるさそうに、面倒くさそうに、仕方なく相手をする。いつもの日常。
夏は、まだまだこれからだった――――
終わり
楽しかったあの頃を思いながら読んでいました。
夕方にスピーカーから鳴るチャイムで家に帰らなければならないから消えてしまったのか(私の頃はそんなのありませんでしたが)でも何で消えなければならないのか。
そう思っていたら「誰かが、誰かの『あの頃』を思い出したんだ」
自分がまさしく思っていたことを見透かされたようで背筋がぞくりとしました。
靴飛ばしで体育館の屋根に乗せてしまい5kmの道のりを裸足で歩いて帰ったのも今ではいい思い出。
毎日を一生懸命楽しんでたあの頃を思い出しました。
なんというか、こういう懐古的な感情が刺激される話は大好きです。
とっても感傷的な気分。
公園なんて何年近寄ってないかなぁ。
子供の頃は広く感じてたあの場所も、今見たら思いの外狭く感じるんだろうなぁ。
まだ若いつもりだけど懐かしいものは懐かしいですね。
楽しませてもらいました。
何時からバリアーを張れなくなってしまったんだろうか…
また葉月さんはこんな話を…すばらしいじゃないかまったくっ。
ふと十数年前を思い出しました。あの頃は、今みたいに難しいことなんか考えずに、純粋に毎日を楽しめていたっけなぁ…。
私は関西圏に住んでますが、「ケイドロ」ではなく「タンテイ」と呼んでいました。
高校や大学で色んな出身地の人がいると、呼び名やグループ分けの方法もいろいろあっておもしろいです。
(タンテイでは、皆で片足を出して円陣みたいなのをつくり、いろはにほへとちり「ぬ」、ぬをわかよ「た」、という風にひとりずつ指名し、「ぬ」と「た」でグループ分けしました。誰かわかる人いるかなぁ)
それはともかく。
すごくよかったです。どうもありがとうございました。
どうしても気になることがあって…。
「こんこんはづきー」ってなんですか!
最初、つい読み流してしまいましたよwww
あ、それと、書き忘れましたが、魔理沙たちがすごく可愛かったです!
はい、ピチューン!ww
「また明日なー!!」「うん、また明日ー!!」
最後にこうやって別れる習慣はとてもいいものだと思います。
俺は明日お前と会うしお前は俺と明日会う
そんな単純な事を確認しあう事がどうしてこんなに暖かいんですかね?
面白かったです!
絵に描いたようなガキ大将っぷりには随分和ませて貰ったし、
他の皆様と同様、自分も子供の頃を思い出して懐かしい気分になれたしね。
……だかしかし、筋違いも甚だしいのは百も承知で言わせて貰います。
なんで紫様も誘わなかったんだよ!
彼女の幼子バージョンを拝めたら、俺の感動は天元突破していたというのにっ!!
こういう童心に返る的な話はいいなぁ。
それでも何故か、泣いてしまいました。なんでしょうねこの感じは。
改めて、そのことに気付かされました。
僕も一日一日を大事にしないとなあ…。
こんにちペー!
あの頃は遊ぶことが命をかけた仕事でしたからね。
あの熱意を、今、自分は何かに向けられているのでしょうか。
そんなことを考えてしまいます。
>5
昨日、近所のお祭りに行ってきました。
子どもの頃は、走っても走っても終わりのないような広い公園だったのに、
昨日歩いたら、すぐに公園の外に出てしまいました。
お祭りが安っぽく見えてしまったのは、安い浴衣を着ていたからだと思いたい。
そんな小さい自分がいます。
>勿忘草さん
ありがとうございました。
あの頃の当たり前が、今になってかけがえのない宝物だったということに気付きました。
月並みですけど、失わないとわからないんですね。
>20
あの頃はバリヤーも張れたし、時も止められた。(ちょっとタンマ)
最強だった自分は、どこにいってしまったのか。
>mthyさん
タンテイ……初めて聞きましたw
こっち(千葉)ではケイドロかドロケイでした。
これから、そんな遊びを再びできる日はくるのでしょうか。
>再コメさん
昼間投稿しましたものですからw
バリエーション豊かなこんばん葉月を考えていきたいと思ってます。(キリッ
>29
それはきっと『明日も会って今日と同じくらい最高な日にしようぜ、いや、今日よりもっと最高な日にしてみようぜ!』
という、子どもながらの、明日への約束だからじゃないかなと思います。
明日も全力で生きてやるぜ!みたいな宣言だったんじゃないでしょうか。
……なーんて、思ったりしてw
>コチドリさん
申し訳!orz
ただ、通常時の魔理沙は、紫を誘ったりはしないなーと思いまして。
幼ゆかりんは書きたかったけれど、書いたら不自然……!
いつか書きたいものですねー。
>32
ありがとうございましたー。
夏場は感傷的になりやすいですよね。
>34
懐かしいという感情は、美しくもあり、残酷でもある。
そして、どう彩るかは、自分次第。
そういうことなのでしょう。
>ワレモノ中尉さん
当たり前のことですけど、それが一番難しかったりするものですね。
いつも、今日が世界最後の一日と思って行動するといいと聞きました。
物語の映像が淡いセピア色で再生されてました。なぜでしょうね。こう、なにか、
自分の中にある過去の風景を省みさせるきっかけになる文章がどこかにあったん
でしょうね。
幻想少女達と「あの頃」が交差する、幸せな白昼夢のよう。
感性なんて必要ありません。
ただ、ちょっとだけ思い出せばいいだけなのです。
みんなにもきっとあるはず。あの頃の楽しかった思い出が。
それをそっとほどいてみて、感じたことを文章にする。
ただ、それだけです。
きっと、作家さんの数だけ『夏色のサンクチュアリ』は存在するのでしょう。
ありがとうございました。