「えー、お姉ちゃん今日も駄目だったの。今日で5日目だよ」
あははーと笑いながら小馬鹿にしたような口調で話すこいし。
さとりは、口を尖らせて答える。
「もう、ほっといて頂戴。私に似合う男なんて中々居ないのよ」
「またまたー、そうやってすぐ周りのせいにする」
「もういい!どーせ私に彼氏はできませんもの」
「はいはい。なら、賭けは私の勝ちね」
「うー……」
さとりは、非常に後悔していた。
それは、5日前の宴会での話。
こいしが、今日の男の人はこうだったなどと言ってくるのに耐えかね、
酔った勢いも相まって、「一週間で恋人を作る」と盛大に宣言をしてしまったのだ。
さらには、「出来なかったら一週間家事を全て自分でやる」と
なかなかきつい(普段は空と燐に全てやらせている)罰ゲームまで自分で言ってしまった。
これで恋人が出来なければ、家事をしなければならぬばかりか、
地霊殿の主としての面目も完全につぶれてしまう。
さとりは、ここまでの4日間ずっと言ってきた台詞を繰り返す。
「とにかく!明日は恋人見つけるから」
「はいはい、その明日が来るといいね」
それじゃ、と言って自分の部屋へと行こうとするこいし。
さとりは、こいしの背中へと叫ぶ。
「この男たらしー!」
こいしは、振り向いてにこりと笑うと、ドアを閉めた。
「さとり様ー。やっぱり無理ですって土下座しましょうよ」
空が、心配そうな声でさとりへと話しかける。
「いーや、やると言ったからにはやるわ」
「無理ですよう」
「なんで無理だと思うの?」
「さとり様は、そりゃ可愛いとは思いますけど、さすがに好き、とまでは思われないかと」
「どういうこと?」
「ですから、その、ちょっと体型がおさなあいたたたたた!
やめて! 『小指を箪笥の角にぶつけた時』のトラウマを蘇らせないでくださーい!」
「だ、誰が貧乳ロリよ! そんなことをいうのはこの口か!」
さとりが、空の口に指を突っ込んで引っ張り上げる。
空が、涙ながらに訴える。
「や、やめへふらふぁああああい!」
「騒がしいですねー。さとり様、また八つ当たりですか?」
突然現れた燐が、笑いながら言った。
さとりは、空を地面へと降ろし、燐へと命令する。
「燐、おかえりなさい。早速だけど仕事よ、この鴉を焼き鳥にしてきて頂戴」
「びえーん!」
「さとり様も大人げないですよう。ほらほら、空もそこまで泣かない」
「ふん、事もあろうに地霊殿の主を幼児体型扱いするこいつに躾をしてたのよ」
「でも、事実ですよね」
さとりの顔が、真っ赤に染まる。
「あああああどいつもこいつもおおおお!」
「いたたた! ごめんなさいさとり様! 謝るので『口の中に口内炎が5つ出来た時』のトラウマを止めてください!」
「でも、確かに少し子供っぽいのは事実なのよね……」
燐へのトラウマの喚起を止めて、さとりはぼそりと呟く。
この5日間、さとりも何もせずに居たわけではない。
むしろ、積極的に里の男たちへ声を掛けていたのだ。
例えば、こんな感じ。
「お兄さん、少し時間ある?」
「あれ、君もしかて迷子の子かな?それなら向こうの寺子屋に行けば……」
「そこのお兄さん、私とちょっとお付き合いしない?」
「こらこら、あまり大人をからかうなよ」
このように、そもそも恋愛の対象にすらさとりはなれないのであった。
「ですからね、さとり様。人には向き不向きがあってですね……」
燐が諭すように言う。
「じゃあ、こいしはどうなのよ。私に似てあいつもなかなか幼児体型よ!」
「自分が幼児体型なのは認めるのですか。
そうですね、確かにこいし様はなんであんな男性経験豊富なのでしょうね」
地霊殿では、さとりが決めたルールによって晩御飯はみんなで食べることになっている。
その団欒のときに、こいしは大体毎日のように、自分が今日経験したことについて話す。
そして、一週間に一度ほど、さとりは自分の出会った男性について話す。
「今日のお兄さんはすごかったよ。私を強く抱きしめたかと思うと、『愛してるよ』って」
と、こんな感じに頬を染めながら話すこいしを、さとりが箸を投げつけて止めるのが、
地霊殿の晩御飯でのお決まりの光景なのである。
「なんでしょうか、話術なのでしょうか。それとも人気の差なのか……。
いや、さとり様が不人気と言ってるわけではないのですよ」
さとりの恐ろしい視線を感じて、慌てて燐がフォローを入れる。
さとりは、少し考えて、燐へと伝えた。
「燐、明日私が男を口説きに行ってる間に、こいしの様子を見てきなさい」
そう言うと、さとりは「もう寝る」と言って自分の寝室へと入っていった。
燐は、やれやれと首を振った後、空を引っ張って寝室へと入った。
「はあ……やっぱり無理……」
次の日の昼間、さとりは通算12回目の失敗と共にため息を吐いた。
ちなみに、相手の台詞は「俺、男にしか興味無いから」だった。
心を読む能力は、なんとなくずるい気がして使っていなかったのだが、
使わなかったことを今回ばかりは後悔するさとりなのであった。
「まさか同性愛者とは、ついてないわね」
そう呟いた瞬間、さとりにあるアイデアが閃いた。
「そうだ!こいしとの賭けは『恋人を作る』こと。
それならば――」
「相手が女の子でもいいじゃない!」
その考えをおかしいと思えるだけの思考能力は、
今の古明地さとりには残っていなかった。
「こいし様、こんなところで何をやってるのかな」
さとりの命令でこいしを追っていった燐は、首を傾げた。
てっきり人里まで歩いていくかと思いきや、
こいしは、人里とはまったく逆の方向へと歩いていき、
切り立った崖へと着くと、そこにあった大き目の石へと座った。
そして、無表情で崖の下を眺め始めた。
燐は、そこから500mほど離れた茂みの中からこいしを観察することにした。
「これって、もしかして自殺か何かなの?」
どうしようか、と燐は迷った。
今までの話は全て嘘で、実は毎日自殺を考えるためにここに来ていて、
しかし、やはり踏ん切りが付かずに毎日帰ってきている、ということだろうか。
いや、あるいは、と燐は首を振る。
人目に付かない様なところで男の人と会うという可能性もあるはずだ。
何か、理由があって、こんな辺鄙な場所で会うのかもしれない。
とにかく、こいし様が動くまで待ってみよう。
燐は、そう決意した。
「よし、あの子に決めた」
さとりは、そう言って小さくガッツポーズをした。
彼女の目線の先には、買い物を終えて帰る魂魄妖夢の姿があった。
剣士という頼もしさも、一人で歩いているときの凛々しい姿も、
恋人としての条件は十分満たしているから、というのが、
彼女が妖夢を選んだ理由であった。
さとりは、一つ大きな深呼吸をすると、妖夢の元へと歩いていった。
「魂魄妖夢さん、こんにちは」
「え、あ、はいこんにちは」
「私は、地底に住む覚妖怪の古明地さとりと申します」
「私は、西行寺家に使える庭師の魂魄妖夢です、よろしくお願いします。
さとり妖怪の方が、何の用事でしょうか」
「少し、恥ずかしいのですけれども、あなたの凛々しい姿を見て、
なんというか、私、恋に落ちてしまったようなのです」
さとりの言葉を聞いて、顔を赤らめる妖夢。
さとりは、このまま押せばいけると思い話し続けた。
「ですから、妖夢さん。私とお付き合いしていただけませんか?」
そう言って、妖夢の手を握るさとり。
その瞬間、妖夢ははっとした顔になって、
さとりへと自ら帯びていた刀を突き立てた。
「え――」
さとりは、地面へと倒れこんだ。
2時間ほど経っただろうか、崖の上に一組の男女が現れた。
男性のほうはみすぼらしい身なりをしていたが、女性のほうは綺麗な服を着ていた。
こいしは、まるで待っていた人が着たかのように、体を乗り出してその男女を眺めていた。
多分、彼女の能力によって気付かれないようにしているのだろう、と燐は分析した。
彼らは、20分ほど話し込んでいたかと思うと、急に晴れやかな笑顔になって崖のほうを見据えた。
そして、しっかりとお互いの手を握り合うと、崖の下の青い世界へと身を投げた。
こいしは、彼が飛び込んでいく姿を、黙って見守っていた。
燐は、居ても立っても居られなくなり、こいしの元へと駆け寄った。
「あ、燐。何やって……」
「こいし様!なんで止めなかったのですか?
彼らの会話を聞いていたら、彼らがああする事だってわかったはずです」
「だって、彼らの目的は、死なないと達成されないから」
こいしは、なんでもないことのように言った。
「ここに来る人は、身分の違いや家庭の事情で、
結婚を許されないものが来る場所。いわゆる、入水自殺の名所というわけ。
私はある日恋のせいで死を選ぶ人が、どういうものか気になり始めたの。何故かはわからないけど。
最初は、好奇心からだったけど、なんだか悲しくなり始めて。どうにかして、彼らの意思をこの世に残せないかなって。
どうすればいいか迷ったのだけど、男の人の方の言葉だけは、残してあげたくて。
だから、皆の前でわたしの経験のように話した」
「……」
燐は、改めてこいしの異常さを思い知らされた。
かける言葉が見つからない。というか、彼女の拙い言葉では、彼女の行動理念がよくわからない。
だが、少しずつ彼女は「心」を取り戻し始めているのだけはわかった。
魔法使いや、巫女達と出会うまでは彼女は、そもそも他人に何の興味も抱いていなかったに違いないからだ。
こいしは、少しずつ正しい心を思い出しつつある。たとえ、他人の死を通してでも。
その事実が嬉しくて燐は、こいしをそっと抱きしめた。
そして、小さく呟いた。
「家に、帰りましょう」
こいしは、笑顔で頷いた。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
さとりが意識を取り戻すと、妖夢は全身全霊といった感じで土下座をしていた。
お腹の刺し傷には包帯が巻いてあった。多分彼女が手当てをしてくれたのだろう。
さとりは、優しく諭すように言った。
「このぐらいの傷、ペットの世話で慣れてるわ。
それよりも、どういうことだか説明してくれるかしら?
あなたが、私を刺そうとする意思が読み取れなかったから」
妖夢は、苦しげな顔で語り出す。
「それが、一度人里で、男の人に襲われそうになったのです。
その時の男の人が、私をひどく褒めて誘い込んで、そしてから急に態度が一変しまして、
それで、私は必死に相手を退けようとしましたが、相手の力が強くて、
そして、あまりに混乱していたのでしょう。私は、その男の人を突き刺してしまったのです」
「つまり、それがトラウマになっているというわけね。それで、無意識のうちに私を刺した、と」
やれやれ、全く今日の私の男運は皮肉にも最高、ということかしら。
さとりは、妖夢の顔をじっと眺めた。
そこには、さっきまでの凛々しさは無くなっていたが、
しゅんとした表情は、さとりの母性本能をくすぐるには十分だった。
「わかったわ、貴方のトラウマを、私が取り除いてあげる。
だから、ずっと一緒に居ましょう?ねえ、いいでしょう?」
「いやです。これ以上貴方を傷つけるなんて……」
「結構よ、さっきと言ったとおり傷には慣れてるわ」
「けれど……」
「けれどは無いわ。私が貴方を好きなの。それでいいでしょう?」
そう言って、さとりは妖夢の手が震えた。
妖夢の手が、彼女の意思に反して小刻みに振るえ出す。
「怖がらないで。私の目を見て。私は、貴方に害は加えないわ」
10分ほど手を握りしめていると、妖夢の震えが治まった。
さとりは、妖夢の様子を確認すると、笑顔で妖夢の手を引いた。
「さあ、行きましょう。私の家族を紹介するわ」
「ねえ、燐。私、お姉ちゃんに謝るよ」
「え、どういうことですか?」
急に話し出したこいしに、慌てて聞き返す燐。
こいしは、申し訳なさそうに言った。
「だって、まるで男の人からモテモテみたいな感じで話してて、
それが、お姉ちゃんの負担になってたみたいだから」
「そうですね、そうすればさとり様も納得してくれるかと」
「うん、だよね。……あ、お姉ちゃんが帰ってきたみたい」
玄関の呼び鈴が鳴って、さとりが家の中へと入ってきた。
「ただいま、皆」
「お姉ちゃん、あのね……あれ、そちらの方は?」
こいしは、さとりの後ろから入ってきた人物を見て、
きょとんとした表情になった。
さとりは、誇らしげな顔で紹介した。
「こちらは、庭師の魂魄妖夢さん、わたしの恋人よ」
「へえ、おめでとうございます……って、女の方なんですか?」
燐が、驚いて言った。
「わあ、さとり様おめでとー。たしか私のおもちゃ箱の中に指輪があった筈だから持って来るね!」
空が、嬉しそうに言った。
「恋人同士だって言うならば、キスの一つや二つ、簡単よね?」
こいしが、挑発するように言った。
さとりは、にこりと笑って答える。
「ええ、もちろんよ」
「え、そんな……無理で」
そう言いかけた妖夢の口を、さとりの唇が塞いだ。
しん、とした空気が流れる。
さとりが、唇を離した瞬間、
地霊殿中に、さとりの「家族」達の祝いの声が響いた。
あははーと笑いながら小馬鹿にしたような口調で話すこいし。
さとりは、口を尖らせて答える。
「もう、ほっといて頂戴。私に似合う男なんて中々居ないのよ」
「またまたー、そうやってすぐ周りのせいにする」
「もういい!どーせ私に彼氏はできませんもの」
「はいはい。なら、賭けは私の勝ちね」
「うー……」
さとりは、非常に後悔していた。
それは、5日前の宴会での話。
こいしが、今日の男の人はこうだったなどと言ってくるのに耐えかね、
酔った勢いも相まって、「一週間で恋人を作る」と盛大に宣言をしてしまったのだ。
さらには、「出来なかったら一週間家事を全て自分でやる」と
なかなかきつい(普段は空と燐に全てやらせている)罰ゲームまで自分で言ってしまった。
これで恋人が出来なければ、家事をしなければならぬばかりか、
地霊殿の主としての面目も完全につぶれてしまう。
さとりは、ここまでの4日間ずっと言ってきた台詞を繰り返す。
「とにかく!明日は恋人見つけるから」
「はいはい、その明日が来るといいね」
それじゃ、と言って自分の部屋へと行こうとするこいし。
さとりは、こいしの背中へと叫ぶ。
「この男たらしー!」
こいしは、振り向いてにこりと笑うと、ドアを閉めた。
「さとり様ー。やっぱり無理ですって土下座しましょうよ」
空が、心配そうな声でさとりへと話しかける。
「いーや、やると言ったからにはやるわ」
「無理ですよう」
「なんで無理だと思うの?」
「さとり様は、そりゃ可愛いとは思いますけど、さすがに好き、とまでは思われないかと」
「どういうこと?」
「ですから、その、ちょっと体型がおさなあいたたたたた!
やめて! 『小指を箪笥の角にぶつけた時』のトラウマを蘇らせないでくださーい!」
「だ、誰が貧乳ロリよ! そんなことをいうのはこの口か!」
さとりが、空の口に指を突っ込んで引っ張り上げる。
空が、涙ながらに訴える。
「や、やめへふらふぁああああい!」
「騒がしいですねー。さとり様、また八つ当たりですか?」
突然現れた燐が、笑いながら言った。
さとりは、空を地面へと降ろし、燐へと命令する。
「燐、おかえりなさい。早速だけど仕事よ、この鴉を焼き鳥にしてきて頂戴」
「びえーん!」
「さとり様も大人げないですよう。ほらほら、空もそこまで泣かない」
「ふん、事もあろうに地霊殿の主を幼児体型扱いするこいつに躾をしてたのよ」
「でも、事実ですよね」
さとりの顔が、真っ赤に染まる。
「あああああどいつもこいつもおおおお!」
「いたたた! ごめんなさいさとり様! 謝るので『口の中に口内炎が5つ出来た時』のトラウマを止めてください!」
「でも、確かに少し子供っぽいのは事実なのよね……」
燐へのトラウマの喚起を止めて、さとりはぼそりと呟く。
この5日間、さとりも何もせずに居たわけではない。
むしろ、積極的に里の男たちへ声を掛けていたのだ。
例えば、こんな感じ。
「お兄さん、少し時間ある?」
「あれ、君もしかて迷子の子かな?それなら向こうの寺子屋に行けば……」
「そこのお兄さん、私とちょっとお付き合いしない?」
「こらこら、あまり大人をからかうなよ」
このように、そもそも恋愛の対象にすらさとりはなれないのであった。
「ですからね、さとり様。人には向き不向きがあってですね……」
燐が諭すように言う。
「じゃあ、こいしはどうなのよ。私に似てあいつもなかなか幼児体型よ!」
「自分が幼児体型なのは認めるのですか。
そうですね、確かにこいし様はなんであんな男性経験豊富なのでしょうね」
地霊殿では、さとりが決めたルールによって晩御飯はみんなで食べることになっている。
その団欒のときに、こいしは大体毎日のように、自分が今日経験したことについて話す。
そして、一週間に一度ほど、さとりは自分の出会った男性について話す。
「今日のお兄さんはすごかったよ。私を強く抱きしめたかと思うと、『愛してるよ』って」
と、こんな感じに頬を染めながら話すこいしを、さとりが箸を投げつけて止めるのが、
地霊殿の晩御飯でのお決まりの光景なのである。
「なんでしょうか、話術なのでしょうか。それとも人気の差なのか……。
いや、さとり様が不人気と言ってるわけではないのですよ」
さとりの恐ろしい視線を感じて、慌てて燐がフォローを入れる。
さとりは、少し考えて、燐へと伝えた。
「燐、明日私が男を口説きに行ってる間に、こいしの様子を見てきなさい」
そう言うと、さとりは「もう寝る」と言って自分の寝室へと入っていった。
燐は、やれやれと首を振った後、空を引っ張って寝室へと入った。
「はあ……やっぱり無理……」
次の日の昼間、さとりは通算12回目の失敗と共にため息を吐いた。
ちなみに、相手の台詞は「俺、男にしか興味無いから」だった。
心を読む能力は、なんとなくずるい気がして使っていなかったのだが、
使わなかったことを今回ばかりは後悔するさとりなのであった。
「まさか同性愛者とは、ついてないわね」
そう呟いた瞬間、さとりにあるアイデアが閃いた。
「そうだ!こいしとの賭けは『恋人を作る』こと。
それならば――」
「相手が女の子でもいいじゃない!」
その考えをおかしいと思えるだけの思考能力は、
今の古明地さとりには残っていなかった。
「こいし様、こんなところで何をやってるのかな」
さとりの命令でこいしを追っていった燐は、首を傾げた。
てっきり人里まで歩いていくかと思いきや、
こいしは、人里とはまったく逆の方向へと歩いていき、
切り立った崖へと着くと、そこにあった大き目の石へと座った。
そして、無表情で崖の下を眺め始めた。
燐は、そこから500mほど離れた茂みの中からこいしを観察することにした。
「これって、もしかして自殺か何かなの?」
どうしようか、と燐は迷った。
今までの話は全て嘘で、実は毎日自殺を考えるためにここに来ていて、
しかし、やはり踏ん切りが付かずに毎日帰ってきている、ということだろうか。
いや、あるいは、と燐は首を振る。
人目に付かない様なところで男の人と会うという可能性もあるはずだ。
何か、理由があって、こんな辺鄙な場所で会うのかもしれない。
とにかく、こいし様が動くまで待ってみよう。
燐は、そう決意した。
「よし、あの子に決めた」
さとりは、そう言って小さくガッツポーズをした。
彼女の目線の先には、買い物を終えて帰る魂魄妖夢の姿があった。
剣士という頼もしさも、一人で歩いているときの凛々しい姿も、
恋人としての条件は十分満たしているから、というのが、
彼女が妖夢を選んだ理由であった。
さとりは、一つ大きな深呼吸をすると、妖夢の元へと歩いていった。
「魂魄妖夢さん、こんにちは」
「え、あ、はいこんにちは」
「私は、地底に住む覚妖怪の古明地さとりと申します」
「私は、西行寺家に使える庭師の魂魄妖夢です、よろしくお願いします。
さとり妖怪の方が、何の用事でしょうか」
「少し、恥ずかしいのですけれども、あなたの凛々しい姿を見て、
なんというか、私、恋に落ちてしまったようなのです」
さとりの言葉を聞いて、顔を赤らめる妖夢。
さとりは、このまま押せばいけると思い話し続けた。
「ですから、妖夢さん。私とお付き合いしていただけませんか?」
そう言って、妖夢の手を握るさとり。
その瞬間、妖夢ははっとした顔になって、
さとりへと自ら帯びていた刀を突き立てた。
「え――」
さとりは、地面へと倒れこんだ。
2時間ほど経っただろうか、崖の上に一組の男女が現れた。
男性のほうはみすぼらしい身なりをしていたが、女性のほうは綺麗な服を着ていた。
こいしは、まるで待っていた人が着たかのように、体を乗り出してその男女を眺めていた。
多分、彼女の能力によって気付かれないようにしているのだろう、と燐は分析した。
彼らは、20分ほど話し込んでいたかと思うと、急に晴れやかな笑顔になって崖のほうを見据えた。
そして、しっかりとお互いの手を握り合うと、崖の下の青い世界へと身を投げた。
こいしは、彼が飛び込んでいく姿を、黙って見守っていた。
燐は、居ても立っても居られなくなり、こいしの元へと駆け寄った。
「あ、燐。何やって……」
「こいし様!なんで止めなかったのですか?
彼らの会話を聞いていたら、彼らがああする事だってわかったはずです」
「だって、彼らの目的は、死なないと達成されないから」
こいしは、なんでもないことのように言った。
「ここに来る人は、身分の違いや家庭の事情で、
結婚を許されないものが来る場所。いわゆる、入水自殺の名所というわけ。
私はある日恋のせいで死を選ぶ人が、どういうものか気になり始めたの。何故かはわからないけど。
最初は、好奇心からだったけど、なんだか悲しくなり始めて。どうにかして、彼らの意思をこの世に残せないかなって。
どうすればいいか迷ったのだけど、男の人の方の言葉だけは、残してあげたくて。
だから、皆の前でわたしの経験のように話した」
「……」
燐は、改めてこいしの異常さを思い知らされた。
かける言葉が見つからない。というか、彼女の拙い言葉では、彼女の行動理念がよくわからない。
だが、少しずつ彼女は「心」を取り戻し始めているのだけはわかった。
魔法使いや、巫女達と出会うまでは彼女は、そもそも他人に何の興味も抱いていなかったに違いないからだ。
こいしは、少しずつ正しい心を思い出しつつある。たとえ、他人の死を通してでも。
その事実が嬉しくて燐は、こいしをそっと抱きしめた。
そして、小さく呟いた。
「家に、帰りましょう」
こいしは、笑顔で頷いた。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
さとりが意識を取り戻すと、妖夢は全身全霊といった感じで土下座をしていた。
お腹の刺し傷には包帯が巻いてあった。多分彼女が手当てをしてくれたのだろう。
さとりは、優しく諭すように言った。
「このぐらいの傷、ペットの世話で慣れてるわ。
それよりも、どういうことだか説明してくれるかしら?
あなたが、私を刺そうとする意思が読み取れなかったから」
妖夢は、苦しげな顔で語り出す。
「それが、一度人里で、男の人に襲われそうになったのです。
その時の男の人が、私をひどく褒めて誘い込んで、そしてから急に態度が一変しまして、
それで、私は必死に相手を退けようとしましたが、相手の力が強くて、
そして、あまりに混乱していたのでしょう。私は、その男の人を突き刺してしまったのです」
「つまり、それがトラウマになっているというわけね。それで、無意識のうちに私を刺した、と」
やれやれ、全く今日の私の男運は皮肉にも最高、ということかしら。
さとりは、妖夢の顔をじっと眺めた。
そこには、さっきまでの凛々しさは無くなっていたが、
しゅんとした表情は、さとりの母性本能をくすぐるには十分だった。
「わかったわ、貴方のトラウマを、私が取り除いてあげる。
だから、ずっと一緒に居ましょう?ねえ、いいでしょう?」
「いやです。これ以上貴方を傷つけるなんて……」
「結構よ、さっきと言ったとおり傷には慣れてるわ」
「けれど……」
「けれどは無いわ。私が貴方を好きなの。それでいいでしょう?」
そう言って、さとりは妖夢の手が震えた。
妖夢の手が、彼女の意思に反して小刻みに振るえ出す。
「怖がらないで。私の目を見て。私は、貴方に害は加えないわ」
10分ほど手を握りしめていると、妖夢の震えが治まった。
さとりは、妖夢の様子を確認すると、笑顔で妖夢の手を引いた。
「さあ、行きましょう。私の家族を紹介するわ」
「ねえ、燐。私、お姉ちゃんに謝るよ」
「え、どういうことですか?」
急に話し出したこいしに、慌てて聞き返す燐。
こいしは、申し訳なさそうに言った。
「だって、まるで男の人からモテモテみたいな感じで話してて、
それが、お姉ちゃんの負担になってたみたいだから」
「そうですね、そうすればさとり様も納得してくれるかと」
「うん、だよね。……あ、お姉ちゃんが帰ってきたみたい」
玄関の呼び鈴が鳴って、さとりが家の中へと入ってきた。
「ただいま、皆」
「お姉ちゃん、あのね……あれ、そちらの方は?」
こいしは、さとりの後ろから入ってきた人物を見て、
きょとんとした表情になった。
さとりは、誇らしげな顔で紹介した。
「こちらは、庭師の魂魄妖夢さん、わたしの恋人よ」
「へえ、おめでとうございます……って、女の方なんですか?」
燐が、驚いて言った。
「わあ、さとり様おめでとー。たしか私のおもちゃ箱の中に指輪があった筈だから持って来るね!」
空が、嬉しそうに言った。
「恋人同士だって言うならば、キスの一つや二つ、簡単よね?」
こいしが、挑発するように言った。
さとりは、にこりと笑って答える。
「ええ、もちろんよ」
「え、そんな……無理で」
そう言いかけた妖夢の口を、さとりの唇が塞いだ。
しん、とした空気が流れる。
さとりが、唇を離した瞬間、
地霊殿中に、さとりの「家族」達の祝いの声が響いた。
新カプ開墾のフロンティアスピリットに敬意を表して。
さとりと妖夢、そしてこいしのその後についても読んでみたいですね。