世界は思っていたよりも、ずうっと早く動く。
毎日同じことを繰り返していたと思ったら、気づけば全く違う生活を送っている。
ただぼんやりと過ごして来ただけなのに。ただぼんやりと、過ごしたいだけなのに。
0、ブレイクマインド
「そんな中で私は幸せを願っただけなんだよ、お姉ちゃん」
まるで化け物でも見たかのようにつっ立ってるだけのお姉ちゃん。
「そりゃ驚くか。驚くね。だってこいつが私を見て、気味悪いとか関わりたくないとか思ってたんだもん。うざくって、つい殺しちゃった」
そう言って、手に持ってたものを床にほっぽる。
死体。
名前も種族も思い出せないくらいに弱かった妖怪の死体。
お姉ちゃんは動かない。
「あ、もしかして、こっち?」
私の人差し指の先には、私の黒い第三の目。
その目はまるで死んだみたいに黒くて、まるで死んだみたいに動かない。
そりゃそうか。まるでとかそういう話しじゃないもんね。
「第三の目も死んでるのよ。さっき殺したの」
心読めなければもうさっきみたいな思いしなくて済むしね。悟り妖怪だって、嫌われることもなくなる。
お姉ちゃんは両手で顔を覆って、多分悲しんでいるだろうけど、心が読めない私にはもう分からないや。
でもいいんだ。これで何があっても、一人のんびりと過ごせるんだから。
。 。 。
世界は思ってたよりも、ずうっと早く動く。
今日も一人で、地上へちょいとお散歩。
あ、いつも私に攻撃してくる妖怪の群れだ。森でみつけた、いつもの奴ら。
あいつら見ても考えてることが伝わってこない……。
何て素敵なことなんだ!
あいつらを見ても、ちっとも悲しくならないなんて。
気づけば辺り一面血の海で。独りぼっち。
「まただ」
昨日と一緒。
無意識のうちに殺してる。
私も傷を沢山負って、自身からも、こんなに血がでてるってのに全然苦しくない。
ちゃんと痛いんだよ?
なのに、辛くない。
どうしてかな。沢山の命が死んだのに、ちっとも悲しくない。私の嫌いな奴らが死んだのに、ちっとも嬉しくない。素敵な事だとは思うけれど、正直どうでもいい。
家に帰る途中、血みたいに真っ赤な橋の上で橋姫に声をかけられた。
「こいし……それは」
少し驚いたようだけど、すぐにいつもの顔に戻って。
「貴女も堕ちたのね」
と、短く言った後に黙り込んでしまった。
「どうしたの、何があったの? ねぇ」
パルスィの近くによって、どこまでも深くて暗い緑色の目を見つめる。
髪が金色なのは、妖になってから染めたのかは分からないけど、あんまりにも服装と目と髪の色がちぐはぐだから、少しおかしい。
あれ。
全然面白くも何とも無い。
「ねぇパルスィ、今私笑ってる?」
パルスィは眉を寄せて爪を噛み、ばつの悪そうに橋の脇から水面を見る。
どこまでも澄み切った水面は、地底の暗さを少し反射して、ちょいとばっかり暗い。
濁り水とはまた別の純粋に暗いその水は、私の表情を今にも消えてしまいそうなくらい鮮明に写していた。
「笑って、無いんだね」
。 。 。
世界は思っていたよりも、ずうっと早く動く。
ただのんびり過ごしたかっただけなのに。
第三の目を殺してからというもの、私は毎日殺した。
いつも気づけば悲しいという感情も、嬉しいという感情も無い。無意識内に殺しているのだ。
そんな私を、お姉ちゃんは避けるようになった。そんなこと、心なんて読めなくてもわかった。
どちらかというと、どう接すればいいか困っていると言ったところかな。
でも世界ってのは早く動くもので、次第にお姉ちゃんとの仲は、第三の目を殺した直後よりは大分良くなっていた。
「大体こいし、何で第三の目を」
こうして、並んで一緒にご飯を食べる程には。
つい最近までお姉ちゃん部屋からでて来なかったしね。
「だからね、私は私の幸せを願っただけなんだって」
今日のご飯は川魚。味噌をつけて焼いたものだ。
「そうですか」
黙り込んで下を向いたまま箸を進めるお姉ちゃん。
お姉ちゃんは何か真剣な話をするとき、いつもこうして下を向いて間をとる。
私はそれを気づかないふりしながら待つ。
「パルスィから」
お姉ちゃんが箸を置いた。
「こいしは心が無くなってしまったと聞いたのですが」
「心が無くなったというよりは、感情が無くなったって感じかな。心はあるよ。思考はしてるし」
「そうですか。残念です。こいしの笑顔は可愛いかったのですが」
今の無表情な私を、お姉ちゃんどう思ってるんだろう。
「そんなこと言われても、もう笑えないし泣けないし、怒れないんだよ」
いい加減私は感情がなくなったということを理解していたし、それがどういうことかも分かってはいた。
お姉ちゃんの目から、ちろりと涙が落ちる。
「お姉ちゃんごめんね」
ただなんとなくつぶやいた。ごめんねって。きっとお姉ちゃんは悲しんでいるんだけど、それは分からないからせめて悲しませてごめんねって。
「いえ、私は放任主義ですので。こいしはこいしらしく強く生きてくれればそれで満足ですよ」
私らしく生きるってどういうことだろう。
私らしいって何かな。
部屋に戻って、それがどういうことかをじっくり考える。
笑わなきゃ。
そう思った。
鏡の前に立って、無理矢理笑顔を作ってみる。
ちっともニッコリしないから、手で無理矢理顔を引っ張ってみる。
手を離して、顔に力を込めて保とうとするけど、すぐに戻ってしまう。
何日も何日も、鏡の前で練習した。笑顔を必死に作った。
お姉ちゃんに笑った顔を見て欲しくて。
。 。 。
「あらこいし、随分気味悪くなったものね」
ある日地上から帰ってくるとき、また橋姫に声をかけられた。
「それはどういう意味?」
「そういうの何て言うか知ってる?」
「どういうの?」
「仮面」
「ああそういう」
ことか。と言いかけて口を閉じる。
だってそうだよね。
「気味悪くはなってないでしょう。笑顔が素敵って言って欲しいな」
「今はその心から笑ってない笑顔以外の表情出来ないんじゃなくて?」
まぁそれはそうなんだけど。
「基本的に、笑ってる奴らは妬み対象だけど、そんな乾いた笑みは妬ましくもなんともないわ」
瞬間、無意識のうちにパルスィの首を掴んでいて、バンって橋にたたき付けていて。さらには手に力を込めて頭を吹き飛ばそうとしていた。
私は相変わらずにっこりと笑っている。
パルスィは不敵に笑っている。何がおかしいのだろう。今まさに自分が死にそうになっているのに。
「やめちゃうのかしら?」
グッと手に力をまた込める。
この首を吹き飛ばすつもりだったのに、いつもなら何も気にすることなく無意識の内にやっていたのに。
なのに相手を意識したとたんに出来なくなる。今までやってきたことを考えるとそれが悔しくて一生懸命力を込めるのだけれど、思い留まってしまう。
ふと、パルスィの手が私の頬を撫でた。
「貴女に出来るわけないじゃない。貴女は優しいんだもの。たとえこっち側に堕ちてきたとしても、私みたいに大切なものまで見失ってはだめよ。貴女の足場がどんなに不安定でも、好きにやりなさいといいながら、キチンと足元を照らしてくれる人がいるでしょう」
パルスィが何か言っている。難しいすぎて、私にはよく分からない。
一瞬橋の隙間から見えた水面の私は、笑っていないように見えた。
でもきっとそれは、水面がゆらゆら揺れてそう写っただけだと思う。
だってその波がおさまるころには、何が楽しいという訳では無いけれど、笑っていたんだから。
「覚めちゃった」
私はパルスィから立ち上がって、橋を背に歩き始める。
後ろから、パルスィの声が聞こえてきた。
「意識することを、忘れないで。無意識に没頭しすぎてはだめ。力の代わりに、取り返すことなんて叶わない物を失うわ。貴女の一番大事な物を失ってしまうわよ」
後から聞いた話なのだが、私はこれに、こう答えたらしい。
「パルスィは中途半端なところで留まったから、そんなに弱いんだね」
。 。 。
世界は思っていたよりも、ずうっと早く動く。
どうやら地霊殿で一悶着あったらしく、そのときお姉ちゃんを倒したっていう人間に興味があって、勝負を挑んでみたらみごとに負けてしまった。強いなぁ、人間。
「どうしたのですその格好! こいし!」
ボロボロのまま地霊殿に帰ると、久々にお姉ちゃんがすごい速度で飛んで来て、心配されてしまった。
最近そういやこんなになったことなかったしね。
「別にー。人間に弾幕ごっこで負けただけだよ」
「そうですか……」
弾幕ごっこという言葉を聞いて本当に安心したようで、全身からふわっと力を抜くお姉ちゃん。
地底はお空の起こした騒ぎによって、劇的に変わった。地上との交流が増えた。まだ仲が良いというと嘘になるくらいなのだけれど。
少なくとも今お燐もお空も地上に遊びに行っている程度には。
「地上とのいざこざ無くなって良かったね、お姉ちゃん」
「そうですね。でも管理職の私としては悩みもありまして」
「ふーん」
「遊覧船の一味が地底に閉じ込められてたでしょう」
少し考えて、すぐに思い出した。
「あぁ、星輦船だっけ。ぬえとかだよね」
「彼女達、この騒ぎに便乗して、地上へと脱走してしまいまして、消息不明なのですよ」
「何か問題あるの?」
「一応罪人扱いになっているので」
あの人達がねぇ。つい思ってしまうほど良識を持った人達ばかりなのに。
「お姉ちゃん」
「何です?」
「世界ってのはね、思っていたよりも、ずうっと早く動くんだよ。誰もがその中で幸せを願っているんだよ」
きっとぬえ達も、幸せを願った結果の行動なんだ。私と同じように。
「いえ、脱走されるのは、別に大した問題じゃないんです。むしろこれを期に地獄の管理に人手が足りないことを全面アピールして、仕事楽にしようと思ってるので」
根が真面目なダメ妖怪はよく見るけれど、根がダメな真面目妖怪ってお姉ちゃんくらいじゃないかなって最近思う。
「じゃあ何が」
「多分、彼女達、存外に潜れる方々だと思うので、これだけでは終わらないと思うんです。特に船長さんはそういうたまじゃ無いんですよ。ストッパーである毘沙門代理も共に賛同するような内容だとしたら恐らく……」
一瞬、どこか別の次元に封印されていると聞いた僧侶を想像したけれど、別の次元になんて行けるわけがないと考え直す。
でもまぁ、私には関係ないか。
「分かりませんよ。何たって毘沙門の代理がいますから。別次元に行く方法を持ってるかもしれません」
私は驚いて目を見開く。
「お姉ちゃん、今」
私の心を読んだの? と聞こうとしてやめる。だって私の心なんて、もうこれっぽっちも残っていないのだから。
お姉ちゃんも少し遅れて気がついたようで、一瞬驚いた顔をした。すぐにいつもの、良く言えば思慮深そうな顔に戻って考え出す。
「心は相変わらず読めませんでした」
「顔に書いてあった?」
「いえ、なんとなく、分かったというか」
こんな感覚は、長い間お姉ちゃんと一緒にいて初めてだった。
「これが、姉妹ということですかね。今更ですが」
お姉ちゃんが、横髪をくしゃっとして、何か悲しそうな顔をする。
「どうしたの、お姉ちゃん」
心なんてちっとも分からないけれど、何となく悲しんでいるという訳ではないみたいだった。
悲しいというよりは、何と言うか。
「私はお姉さんなのに、可愛い妹を信じることを、いつの間にか忘れてしまっていたのですね」
あぁそうだ、そうだ。たしか。
「悔やしい?」
そうそう。こんな言葉。
「そうですね、悔しいです」
「ふーん」
残念ながら共感出来ることはこの先無いけれど、お姉ちゃんが何を言っているかは、大体分かった。
「世界の動きは早いからねぇ。でもこうして、早く動いて何もかもが壊れては創られていく中で長い間過ごして来た姉妹なら、変わらないこともあるってこと?」
「もしくは、進歩したのかもしれませんね」
「進歩というよりは三歩戻ってニ歩進むって感じだけどね」
少なくとも、私の心は無いのだから。
「ちょっと前ね、パルスィにあったの」
「パルスィですか。彼女も中々物好きですね」
「で、何だか諭されたみたい」
あれは、きっとパルスィなりの警告だよね。
「彼女、絶対嫉妬妖怪向いて無いですよね」
「嫉妬ってすごく乙女チックな気がするけど」
「パルスィが乙女だったら、それは中々面白い冗談ですね」
何がお姉ちゃんをそこまで奮い立たせるのか分からないけれど、さっきからパルスィのことを余り良く思っていないみたい。
「お姉ちゃんパルスィ嫌い?」
「いえ、良き友だと思います。良き理解者かどうかは置いといて」
「そのパルスィからね、大事なものがなんたらかんたらって言われたの」
あのとき私はこれに答えられなかった。
「私ね、気づいたの。お姉ちゃんが一番大事なものなんだと思う」
世界は思っていたよりもずうっと早く動く。
少なくとも一人の妖怪が心を捨てて、表情を捨てて、その後今度は笑顔を貼付けて、そしてもう分かり合えないと思っていた姉を感じることが出来る程度には。
だから、ね。
「お姉ちゃんだけは、ずっと変わらないでね。もしくは進歩だけして。もし戻ろうとしたら、私が無理矢理進めるから」
私はもうだめだから、せめてお姉ちゃんだけは進んでね。
「でも」
お姉ちゃんが髪をくしゃとしていたのをやめて、いそいそと整える。
「ここ最近私の周りで一番進歩したのは、こいしですよ」
その笑顔は、心のない私にとって眩し過ぎた。
「そうか、そうなんだ。私は独りじゃ無いんだ」
世界は思っていたよりもずうっと早く動く。そんな中で、私は幸せを願っただけなんだよ。
今お姉ちゃんは幸せなのかな。私は、幸せなのかな。
心が無い私には、まったくわからなかった。
そう考えると、寂しくて、胸の奥が痛くなった。
その理由を一人で考えて見ても、結局分からなかったのだけれど。
毎日同じことを繰り返していたと思ったら、気づけば全く違う生活を送っている。
ただぼんやりと過ごして来ただけなのに。ただぼんやりと、過ごしたいだけなのに。
0、ブレイクマインド
「そんな中で私は幸せを願っただけなんだよ、お姉ちゃん」
まるで化け物でも見たかのようにつっ立ってるだけのお姉ちゃん。
「そりゃ驚くか。驚くね。だってこいつが私を見て、気味悪いとか関わりたくないとか思ってたんだもん。うざくって、つい殺しちゃった」
そう言って、手に持ってたものを床にほっぽる。
死体。
名前も種族も思い出せないくらいに弱かった妖怪の死体。
お姉ちゃんは動かない。
「あ、もしかして、こっち?」
私の人差し指の先には、私の黒い第三の目。
その目はまるで死んだみたいに黒くて、まるで死んだみたいに動かない。
そりゃそうか。まるでとかそういう話しじゃないもんね。
「第三の目も死んでるのよ。さっき殺したの」
心読めなければもうさっきみたいな思いしなくて済むしね。悟り妖怪だって、嫌われることもなくなる。
お姉ちゃんは両手で顔を覆って、多分悲しんでいるだろうけど、心が読めない私にはもう分からないや。
でもいいんだ。これで何があっても、一人のんびりと過ごせるんだから。
。 。 。
世界は思ってたよりも、ずうっと早く動く。
今日も一人で、地上へちょいとお散歩。
あ、いつも私に攻撃してくる妖怪の群れだ。森でみつけた、いつもの奴ら。
あいつら見ても考えてることが伝わってこない……。
何て素敵なことなんだ!
あいつらを見ても、ちっとも悲しくならないなんて。
気づけば辺り一面血の海で。独りぼっち。
「まただ」
昨日と一緒。
無意識のうちに殺してる。
私も傷を沢山負って、自身からも、こんなに血がでてるってのに全然苦しくない。
ちゃんと痛いんだよ?
なのに、辛くない。
どうしてかな。沢山の命が死んだのに、ちっとも悲しくない。私の嫌いな奴らが死んだのに、ちっとも嬉しくない。素敵な事だとは思うけれど、正直どうでもいい。
家に帰る途中、血みたいに真っ赤な橋の上で橋姫に声をかけられた。
「こいし……それは」
少し驚いたようだけど、すぐにいつもの顔に戻って。
「貴女も堕ちたのね」
と、短く言った後に黙り込んでしまった。
「どうしたの、何があったの? ねぇ」
パルスィの近くによって、どこまでも深くて暗い緑色の目を見つめる。
髪が金色なのは、妖になってから染めたのかは分からないけど、あんまりにも服装と目と髪の色がちぐはぐだから、少しおかしい。
あれ。
全然面白くも何とも無い。
「ねぇパルスィ、今私笑ってる?」
パルスィは眉を寄せて爪を噛み、ばつの悪そうに橋の脇から水面を見る。
どこまでも澄み切った水面は、地底の暗さを少し反射して、ちょいとばっかり暗い。
濁り水とはまた別の純粋に暗いその水は、私の表情を今にも消えてしまいそうなくらい鮮明に写していた。
「笑って、無いんだね」
。 。 。
世界は思っていたよりも、ずうっと早く動く。
ただのんびり過ごしたかっただけなのに。
第三の目を殺してからというもの、私は毎日殺した。
いつも気づけば悲しいという感情も、嬉しいという感情も無い。無意識内に殺しているのだ。
そんな私を、お姉ちゃんは避けるようになった。そんなこと、心なんて読めなくてもわかった。
どちらかというと、どう接すればいいか困っていると言ったところかな。
でも世界ってのは早く動くもので、次第にお姉ちゃんとの仲は、第三の目を殺した直後よりは大分良くなっていた。
「大体こいし、何で第三の目を」
こうして、並んで一緒にご飯を食べる程には。
つい最近までお姉ちゃん部屋からでて来なかったしね。
「だからね、私は私の幸せを願っただけなんだって」
今日のご飯は川魚。味噌をつけて焼いたものだ。
「そうですか」
黙り込んで下を向いたまま箸を進めるお姉ちゃん。
お姉ちゃんは何か真剣な話をするとき、いつもこうして下を向いて間をとる。
私はそれを気づかないふりしながら待つ。
「パルスィから」
お姉ちゃんが箸を置いた。
「こいしは心が無くなってしまったと聞いたのですが」
「心が無くなったというよりは、感情が無くなったって感じかな。心はあるよ。思考はしてるし」
「そうですか。残念です。こいしの笑顔は可愛いかったのですが」
今の無表情な私を、お姉ちゃんどう思ってるんだろう。
「そんなこと言われても、もう笑えないし泣けないし、怒れないんだよ」
いい加減私は感情がなくなったということを理解していたし、それがどういうことかも分かってはいた。
お姉ちゃんの目から、ちろりと涙が落ちる。
「お姉ちゃんごめんね」
ただなんとなくつぶやいた。ごめんねって。きっとお姉ちゃんは悲しんでいるんだけど、それは分からないからせめて悲しませてごめんねって。
「いえ、私は放任主義ですので。こいしはこいしらしく強く生きてくれればそれで満足ですよ」
私らしく生きるってどういうことだろう。
私らしいって何かな。
部屋に戻って、それがどういうことかをじっくり考える。
笑わなきゃ。
そう思った。
鏡の前に立って、無理矢理笑顔を作ってみる。
ちっともニッコリしないから、手で無理矢理顔を引っ張ってみる。
手を離して、顔に力を込めて保とうとするけど、すぐに戻ってしまう。
何日も何日も、鏡の前で練習した。笑顔を必死に作った。
お姉ちゃんに笑った顔を見て欲しくて。
。 。 。
「あらこいし、随分気味悪くなったものね」
ある日地上から帰ってくるとき、また橋姫に声をかけられた。
「それはどういう意味?」
「そういうの何て言うか知ってる?」
「どういうの?」
「仮面」
「ああそういう」
ことか。と言いかけて口を閉じる。
だってそうだよね。
「気味悪くはなってないでしょう。笑顔が素敵って言って欲しいな」
「今はその心から笑ってない笑顔以外の表情出来ないんじゃなくて?」
まぁそれはそうなんだけど。
「基本的に、笑ってる奴らは妬み対象だけど、そんな乾いた笑みは妬ましくもなんともないわ」
瞬間、無意識のうちにパルスィの首を掴んでいて、バンって橋にたたき付けていて。さらには手に力を込めて頭を吹き飛ばそうとしていた。
私は相変わらずにっこりと笑っている。
パルスィは不敵に笑っている。何がおかしいのだろう。今まさに自分が死にそうになっているのに。
「やめちゃうのかしら?」
グッと手に力をまた込める。
この首を吹き飛ばすつもりだったのに、いつもなら何も気にすることなく無意識の内にやっていたのに。
なのに相手を意識したとたんに出来なくなる。今までやってきたことを考えるとそれが悔しくて一生懸命力を込めるのだけれど、思い留まってしまう。
ふと、パルスィの手が私の頬を撫でた。
「貴女に出来るわけないじゃない。貴女は優しいんだもの。たとえこっち側に堕ちてきたとしても、私みたいに大切なものまで見失ってはだめよ。貴女の足場がどんなに不安定でも、好きにやりなさいといいながら、キチンと足元を照らしてくれる人がいるでしょう」
パルスィが何か言っている。難しいすぎて、私にはよく分からない。
一瞬橋の隙間から見えた水面の私は、笑っていないように見えた。
でもきっとそれは、水面がゆらゆら揺れてそう写っただけだと思う。
だってその波がおさまるころには、何が楽しいという訳では無いけれど、笑っていたんだから。
「覚めちゃった」
私はパルスィから立ち上がって、橋を背に歩き始める。
後ろから、パルスィの声が聞こえてきた。
「意識することを、忘れないで。無意識に没頭しすぎてはだめ。力の代わりに、取り返すことなんて叶わない物を失うわ。貴女の一番大事な物を失ってしまうわよ」
後から聞いた話なのだが、私はこれに、こう答えたらしい。
「パルスィは中途半端なところで留まったから、そんなに弱いんだね」
。 。 。
世界は思っていたよりも、ずうっと早く動く。
どうやら地霊殿で一悶着あったらしく、そのときお姉ちゃんを倒したっていう人間に興味があって、勝負を挑んでみたらみごとに負けてしまった。強いなぁ、人間。
「どうしたのですその格好! こいし!」
ボロボロのまま地霊殿に帰ると、久々にお姉ちゃんがすごい速度で飛んで来て、心配されてしまった。
最近そういやこんなになったことなかったしね。
「別にー。人間に弾幕ごっこで負けただけだよ」
「そうですか……」
弾幕ごっこという言葉を聞いて本当に安心したようで、全身からふわっと力を抜くお姉ちゃん。
地底はお空の起こした騒ぎによって、劇的に変わった。地上との交流が増えた。まだ仲が良いというと嘘になるくらいなのだけれど。
少なくとも今お燐もお空も地上に遊びに行っている程度には。
「地上とのいざこざ無くなって良かったね、お姉ちゃん」
「そうですね。でも管理職の私としては悩みもありまして」
「ふーん」
「遊覧船の一味が地底に閉じ込められてたでしょう」
少し考えて、すぐに思い出した。
「あぁ、星輦船だっけ。ぬえとかだよね」
「彼女達、この騒ぎに便乗して、地上へと脱走してしまいまして、消息不明なのですよ」
「何か問題あるの?」
「一応罪人扱いになっているので」
あの人達がねぇ。つい思ってしまうほど良識を持った人達ばかりなのに。
「お姉ちゃん」
「何です?」
「世界ってのはね、思っていたよりも、ずうっと早く動くんだよ。誰もがその中で幸せを願っているんだよ」
きっとぬえ達も、幸せを願った結果の行動なんだ。私と同じように。
「いえ、脱走されるのは、別に大した問題じゃないんです。むしろこれを期に地獄の管理に人手が足りないことを全面アピールして、仕事楽にしようと思ってるので」
根が真面目なダメ妖怪はよく見るけれど、根がダメな真面目妖怪ってお姉ちゃんくらいじゃないかなって最近思う。
「じゃあ何が」
「多分、彼女達、存外に潜れる方々だと思うので、これだけでは終わらないと思うんです。特に船長さんはそういうたまじゃ無いんですよ。ストッパーである毘沙門代理も共に賛同するような内容だとしたら恐らく……」
一瞬、どこか別の次元に封印されていると聞いた僧侶を想像したけれど、別の次元になんて行けるわけがないと考え直す。
でもまぁ、私には関係ないか。
「分かりませんよ。何たって毘沙門の代理がいますから。別次元に行く方法を持ってるかもしれません」
私は驚いて目を見開く。
「お姉ちゃん、今」
私の心を読んだの? と聞こうとしてやめる。だって私の心なんて、もうこれっぽっちも残っていないのだから。
お姉ちゃんも少し遅れて気がついたようで、一瞬驚いた顔をした。すぐにいつもの、良く言えば思慮深そうな顔に戻って考え出す。
「心は相変わらず読めませんでした」
「顔に書いてあった?」
「いえ、なんとなく、分かったというか」
こんな感覚は、長い間お姉ちゃんと一緒にいて初めてだった。
「これが、姉妹ということですかね。今更ですが」
お姉ちゃんが、横髪をくしゃっとして、何か悲しそうな顔をする。
「どうしたの、お姉ちゃん」
心なんてちっとも分からないけれど、何となく悲しんでいるという訳ではないみたいだった。
悲しいというよりは、何と言うか。
「私はお姉さんなのに、可愛い妹を信じることを、いつの間にか忘れてしまっていたのですね」
あぁそうだ、そうだ。たしか。
「悔やしい?」
そうそう。こんな言葉。
「そうですね、悔しいです」
「ふーん」
残念ながら共感出来ることはこの先無いけれど、お姉ちゃんが何を言っているかは、大体分かった。
「世界の動きは早いからねぇ。でもこうして、早く動いて何もかもが壊れては創られていく中で長い間過ごして来た姉妹なら、変わらないこともあるってこと?」
「もしくは、進歩したのかもしれませんね」
「進歩というよりは三歩戻ってニ歩進むって感じだけどね」
少なくとも、私の心は無いのだから。
「ちょっと前ね、パルスィにあったの」
「パルスィですか。彼女も中々物好きですね」
「で、何だか諭されたみたい」
あれは、きっとパルスィなりの警告だよね。
「彼女、絶対嫉妬妖怪向いて無いですよね」
「嫉妬ってすごく乙女チックな気がするけど」
「パルスィが乙女だったら、それは中々面白い冗談ですね」
何がお姉ちゃんをそこまで奮い立たせるのか分からないけれど、さっきからパルスィのことを余り良く思っていないみたい。
「お姉ちゃんパルスィ嫌い?」
「いえ、良き友だと思います。良き理解者かどうかは置いといて」
「そのパルスィからね、大事なものがなんたらかんたらって言われたの」
あのとき私はこれに答えられなかった。
「私ね、気づいたの。お姉ちゃんが一番大事なものなんだと思う」
世界は思っていたよりもずうっと早く動く。
少なくとも一人の妖怪が心を捨てて、表情を捨てて、その後今度は笑顔を貼付けて、そしてもう分かり合えないと思っていた姉を感じることが出来る程度には。
だから、ね。
「お姉ちゃんだけは、ずっと変わらないでね。もしくは進歩だけして。もし戻ろうとしたら、私が無理矢理進めるから」
私はもうだめだから、せめてお姉ちゃんだけは進んでね。
「でも」
お姉ちゃんが髪をくしゃとしていたのをやめて、いそいそと整える。
「ここ最近私の周りで一番進歩したのは、こいしですよ」
その笑顔は、心のない私にとって眩し過ぎた。
「そうか、そうなんだ。私は独りじゃ無いんだ」
世界は思っていたよりもずうっと早く動く。そんな中で、私は幸せを願っただけなんだよ。
今お姉ちゃんは幸せなのかな。私は、幸せなのかな。
心が無い私には、まったくわからなかった。
そう考えると、寂しくて、胸の奥が痛くなった。
その理由を一人で考えて見ても、結局分からなかったのだけれど。
>9様
こいしちゃんは本当に幸せになってもらいたいです。これは「0」ということで、まだ始まってすらいない物語ですからね。
需要も無いのに淡々と続きを書いていきたいと思っております。
>奇声を発する程度の能力様
こいしちゃんとさとりさんには幸せになってもらえるよう、私も努力して行くつもりです。
いい話をありがとうございました
>19様
あああありがとうございます!
地霊もう大好きです。テキストの設定とか、原作の会話とか、二次創作とか。地底物は本当に大好物すぎてやばいくらいです。とかいいつつも、私の地底はさとり様とこいしちゃんとパルスィくらいしか出て来ないんですけどね。あまり。
また暇があるようでしたら、いつか読んでやってください!