Coolier - 新生・東方創想話

紅白の蝶

2010/07/11 20:27:21
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 黒に染まった『空』の下――魔法使いは箒に跨って飛んでいた。
 
 
 
 彼女が跨る箒の後部には本が大量に詰め込まれた袋がぶら下がっており、箒のふらつきがその重量を物語っている。そのふらつき具合は――大した風も吹かないこの『空』で時折大きくバランスを崩している、と言えば分かりやすいだろう。
 しかし、口の悪い知人には『黒白』や『白黒』とそのままな形容をされる服に身を包んだ彼女――霧雨魔理沙は、バランスを崩すたびに黒い帽子を抑え「よっとっと」などと呟きながらも楽しそうに箒を操っている。
 そんな彼女の姿は昼間であれば太陽の下で目立ち、夜であれば月と星の光に照らされるのだが……今はそのどちらでもない。真っ黒な『空』を飛ぶ彼女を、鬼達が騒ぐ繁華街の光が下から照らしている。
 
 
 
 そう、ここは太陽の光も届かない世界――地底。
 過去、能力や性分から忌み嫌われた妖怪が集められ、追いやられた世界。地上との交流は皆無で陽の光も届かず、まるで何かを忘れようとするかのように鬼達が終始宴会を開き、巻き込まれた他の妖怪も飲んで歌って騒いで、そして心の中に鬱積するソレを見ないようにして過ごす地下世界――だったのも今は昔。
 嫌われ者の集う地底の中でも一番の嫌われ者である『覚り』妖怪――そのペットが起こしたとある異変。正確に言うならばその異変の元凶は地上に居たのだが、幻想郷の『抑止力』であり重い腰を上げた巫女がそんなことを知っているはずもなく、結果的に彼女は陽の光も届かない地下世界に穴を開けることになる。
 
 その穴を通り抜けた者の中に、魔理沙の姿もあった。
 
 結局のところその異変は“滞りなく”解決したのだが、思わぬ副産物として「地上と地下の交流」が再開されることになった。
 もちろん過去の遺恨というのもあるにはあったが、それは人間にとっては記憶するどころではない遥か先祖の時代の話であり、長い生を謳歌する妖怪にとっても遥か昔の話。過去にどのようなことがあろうと、目の前で自分達に興味津々な人妖の姿を見れば鬱積したものも段々と消えていく。
 もちろん全てが全て、最初から万々歳という訳には行かなかったが……地上・地底の住人のノリの良さも相まって二つの世界の交流は深まっていった。
 件の異変の主犯の保護者であり地下世界一の嫌われ者、『覚り』妖怪――古明地さとりとその妹がペットと共に住まう、普段であれば動物以外は殆ど誰も近寄らない地霊殿ですら、今では地上世界からの観光ツアーの目玉スポットとして人気を博している。
 ちなみに……魔理沙が今、箒にぶら下げている本はその地霊殿から“借り”てきたものである。
 
 
 
 
 
 箒で空を飛び地下と地上を繋ぐ縦穴を目指しながら、魔理沙は本を借りてきた時のことを思い出す。
 心を読めるさとりにわざわざ近付きたがるような妖怪は“今までは”そうそう居なかった。そのため地霊殿に集まるのは“心を読んでもらうメリットのある”動物――人語を操ることのできない存在ばかりだった。
 心を読むことで人々に嫌われ、心を読むことで動物に慕われ、それでも知能をつけた動物からは時として離れられる――そんな世界で心を閉ざした妹と共に、さとりは何を考えていたのだろうか。
 しかしそんな地霊殿も今や観光スポット。いつものじっとりとした目つきを当社比120%ぐらいにしながらも、興味津々に第三の目を覗いたりつっついたり不埒な想像を読ませたりする観光客達を、さとりはにこやかな笑顔でトラウマを穿り返しながら迎え入れていた。そんな彼女の妹は無意識の力で観光客にいろいろと悪戯を繰り返している。
 さとりを慕うペットの中でも手の空いている者は、今や何かしらの芸を覚えて餌やお捻りをもらうことに執念を燃やしている。嫌われ者の楽園でも弱肉強食(?)の理はしっかりと生きているのだ。
 そんな訳で魔理沙は、観光客に紛れて堂々と正面玄関から侵入を果たし、引率兼護衛や見張りのペットの目を掻い潜って観光コースを外れ、警戒中のペットを平和的にやり過ごし、書斎で書物を漁り持ち込んだ袋にごっそりと詰め込んで家主の許可無く本を借りていったのだ――泥棒ではない、決して。
「しっかし、せっかくツアーの日程に合わせて忍び込んだってのに、さすが覚りは抜け目がない、三つ目的な意味で」
 観光客でごった返す地霊殿なら忍び込み易いという打算があったとしても、泥棒ではない。
 とはいえさすがに彼女も初犯ではない。地霊殿側も警戒を強めるのは当然のこと。だからこそ彼女はツアーの日程を密かに入手し、それを使って日取りを決めたのだが……書斎を出た直後にさとりとばったり、というのがつい数分前の出来事だった。
 魔理沙の道理がどうあれ、もちろんさとりが良い顔をするはずもなく。
「まったく、“死ぬまで”借りるだけじゃないか。あんなに目くじら立てなくてもいいと思うんだぜ」
 誰も聞く者も見る者も居ないが、可愛らしく頬を膨らませて魔理沙はそんな不穏当なことを呟く。
 もちろん読心術を持つさとりに対して、「借りただけだ」という言い訳も可愛らしい誤魔化しも通じるはずがなく――魔理沙は結局、追求と叱責をのらりくらりとかわして逃げてきた。その際の物凄いジト目と不穏な言葉には、見ないフリと聴こえないフリを決め込んで。
 そうやって回想していて、ふと魔理沙は気になることを思い出した。
「……そういえばさとりのやつ、なんか言ってたな。なんだったっけ」
 下手をすれば地霊殿のペットを呼ばれ逃げ道を失う状況で人の話を悠長に聞いて記憶に留めていられる余裕があるはずもなく適当に聞き流してきたのだが、縦穴に近付くごとに何故か魔理沙はその言葉が気にかかりだしてきた。
 それは彼女がさとりの脇の窓から無理矢理箒で飛び出し脱出を図る直前、まるで忠告のようにさとりが言った言葉。
 
 
「――には近付かない方が良いでしょう。特に、今の貴女のような『人間』は」
 
 
 そう、それは“誰それには近付かない方が良い”という警告。しかし――
「誰それ、って誰だったかな……」
――その対象が誰なのかを彼女は思い出せなかった。
それはさとりの言葉を話半分に聞いていたということもあるが、ただの『人間』でありながらこれまで様々な妖怪達と渡り合ってきたという、経験と自負の方が大きかった。多少の危険であればどんと来いむしろウェルカム、それはこの幻想郷で生きるコツである。
 ただやはり、気になるものは気になる。特にあと少しで思い出せそうなもやもやの状態であると。
「うーん、と……」
 とりあえず彼女は思い当たった妖怪から口に出し、ピンと来る名前が無いかを確かめてみることにした。
 もう少し正確に言うと、“目に付いた”名前から片っ端に挙げていった。
「えーと、勇儀――じゃないよな。絡み酒でもしてきそうだが、宴会だったら大歓迎だぜ」
 丁度彼女の眼下で起こっている宴会騒ぎ、その中心で額から伸びる角を振り回すようにして暴れる酔っ払いの鬼の名を口に出してみるが、しっくり来ない。確かに鬼というのは『人間』を攫う存在ではあるが、今の幻想郷であれば攫われたところで駆けつけ三十杯をやらされる程度だ――それは時として命に関わるが、急性アルコール中毒的な意味で。
 と、いうことで『鬼』を除外。考え事のために若干緩めた速度で飛翔し続けながら、彼女は顎に手を当てて考える。
「空……いや、違うな。むしろあっちの方が危険そうだ」
 そんな考え事をしながらの飛翔中に衝突寸前の危ないところをすれ違った地獄烏の名前を口に出すが、あわや空中衝突という状況なのに本人は何が起こったかも分かっていないぽやんとした様子で飛び続けているようなので、やはり魔理沙は彼女を除外する。
 この地獄烏、核の力という物騒な物を手に入れ、さらには前の異変の主犯格と言っていい存在だったのだが――今では地霊殿の湯沸かし器その他として重宝されている。むしろ利用されている。そして本人はそれを気にしていない、どころか喜んでいる。
 そんな地獄烏に気をつけるより地獄烏に気をつけさせた方がいいんじゃないか、と飼い主に対して要らぬお節介を心の中で焼きながら、彼女はなおも飛び続ける。
 喧騒は遠ざかり、地上の光はまだ見えない暗黒の『空』。
「ヤマメにキスメ……いや、確かにどっちも怖い能力持ちだがさ。やっぱり考えられん」
 “天井”からぶらさがっている“疫病を振りまく”土蜘蛛と、そんな彼女の隣で桶に入ったままぶらさがっている“人の頭に落下する”釣瓶落としの名を口にするが、やはりしっくり来ない。
 土蜘蛛の方はこの地下世界のアイドル的存在だからというのもあるが、そんな彼女と良く行動を共にしている釣瓶落としの方は、やってることはいろいろと恐ろしいがその可愛らしい外見と人の頭に落っこちてきた後、地面から見上げるようにして瞳を潤ませ謝罪する姿が人気であり、魔理沙もついつい彼女の所業を許し頭を撫でたくなってしまう――お返しに一発マスタースパークを掠らせる程度に放ってから。
「うーむ…………」
 そうして一通り目に付いた妖怪の名前を呟き、それでもしっくり来ないと悩みながら飛び続けていた所為で、既に彼女の目の前には地下と地上とを結ぶ縦穴が映っていた。ぼーっとしていた意識を引き締め機首をぐいっと上げて、彼女は縦穴を一気に飛びぬけようと箒の出力を――
「――うぉっと!?」
 上げる直前で、ちらりと目の端に入ったその影に思わずフルブレーキをかけていた。
 本の詰まった袋が大きく揺れ、急制動とその衝撃とで箒が激しく上下する。あわや振り落とされそうになるのを両手と両足で箒を抱え込むようにして回避しつつ、彼女は何とか空中で体勢を立て直す。
「は……ふぅ……」
 数秒後、何とか揺れの収まった箒の上で彼女は溜め息を吐き、額を流れる冷や汗を拭った。
 そうしてその冷や汗の原因となった人影へと視線を移す。
 縦穴の底――小さな川が流れ木の橋がかかったその場所、欄干にもたれかかるようにして誰かが本を読んでいた。かなり難しい文字で描かれたその黒い本の内容も彼女は気にかかったが、それよりも重要なのがその本を読んでいる妖怪。
 どこかの民俗衣装的な服に身を包み、金髪の間から細長い耳が見え隠れする彼女の名を、魔理沙は呟いた。
「パルスィ……水橋パルスィ」
 しっくりと来た。
 
 
「パルスィには近付かない方が良いでしょう。特に、今の貴女のような『人間』は」
 
 
 さとりが警告した対象は水橋パルスィ――『橋姫』だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「――と、いう訳なんだぜ」
 椅子の上に行儀悪く胡坐をかいて自分が訪問した理由を話し終えた魔理沙は、目の前のテーブルに置かれた湯飲みを取り上げ、少し温くなった中身を一気に飲み干した。自分の足で歩いてきた訳ではないが、箒を操って飛ぶのもこれが意外と疲れるものなのだ。
 やり遂げた――そんな顔をしている魔理沙の反対側で、行儀良く椅子に腰掛けながらも客人に向けるには相応しくないしかめっ面をしているのはパルスィ。しかしその表情も当然だろう。
「いきなり人ん家に押しかけてきてお茶をねだってこっちが用意している間にあちこち物色してまわった挙句の言葉がそれ? あんたどんだけ失礼なのよ、その無神経さが妬ましい。生き易そうね」
 流れるように罵倒まで言い切った。慣れたものである。
 橋の近くに建てられたパルスィの住居の戸を魔理沙が叩いたのは、パルスィが帰宅してからすぐのこと。魔理沙にとっても突然の訪問なのでもちろん連絡を取っているはずもなく、渋い顔をするパルスィを半ば強引に押し切って上がりこんだのが少し前の話。それからお茶を要求、パルスィが用意しているその間に辺りを物色し、お茶を持ってきたパルスィの顔が渋い顔からしかめっ面に昇格したところで魔理沙が話し始めたのが地霊殿からここまでのこと。もちろんさとりからの『警告』についても話している――誰だってしかめっ面になるだろう。
 しかし魔理沙はけらけらと笑って湯飲みをずいと差し出す。
「と言いながらお茶を出すパルスィだった。文句言いながらもてなす辺り、霊夢に似てるぜ。あとお代わり」
「知るか、その無遠慮さも妬ましい」
 そう悪態を吐きながらも、パルスィは言われた通りに急須から茶を湯飲みに注ぐ。こぽこぽと音が立ち、湯気を立てる緑色の液体が湯飲みを満たす。そうしてその湯飲みをパルスィは無遠慮に魔理沙の方へと戻した。
 おうサンキュー、などと軽く礼を言う魔理沙に対しては何も答えず、自分用の湯呑みからこれまた少し温くなったお茶を一口飲んで、パルスィは問いかける。
「それで、そんな警告を受けたのに私の家までおしかけてきたのはなんで? 喉が渇いたから、って訳ではなさそうね」
「それはもちろん、腹が減ったからだ……嘘だから睨むなって」
 魔理沙にとっては軽いジョークだったが、さすがにその緑眼で睨みつけられるのは心臓に悪かった。軽く手を振って謝罪する。
 どう見ても謝罪しているようには見えない彼女に、パルスィは目を閉じて小さく溜め息を吐いた。
「まったく……時代が時代とはいえ、忌み嫌われた妖怪の住処にたった一人で乗り込んでくる人間なんて、正気の沙汰とは思えない」
「これでも武器は持ってきてるんだぜ」
 褒められた訳でもないのに嬉しそうに笑いながら、魔理沙は懐から八卦炉を取り出す。
 その気になればこの家を丸ごとふっ飛ばしてもお釣りがきそうな代物だということはパルスィも良く知っていたが、そんな物騒な武器を片手で弄んでいる魔理沙を見てもさしたる感慨もわかないようで、本日二度目の溜め息を吐いただけだった。
「そういえばそうだったわね……ほんと、人間の方からのこのこと乗り込んでくるなんて、皮肉というかなんというか」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず――それって結局、スリルを楽しみたいだけかもしれないけどな」
「……あんた、馬鹿でしょ? その能天気さが妬ましい」
「ほんとに口癖なんだなそれ……しかし能天気とは、霊夢にも言われたような気がするぜ」
 非難がましいパルスィの言葉に、魔理沙は肩をすくめてみせる。
 彼女とて何も知らないお子様ではない。一昔前の人間と妖怪の関係がどうだったか、知らない訳でもない。ましてやこの地下は、地上で忌み嫌われた存在が押し込められた最後の楽園。地上の人間が観光ツアーを組むどころか、こうして人間が尋ねてくることだって有り得なかったはずだ。
 そして全てが全て、変わった訳ではないことも知っている。つい先程彼女が空を飛んでいた時に妖怪から向けられた視線の中に、決して好意的ではないものが混じっていたことも彼女は理解している。どれだけ時代が変わろうと――人や妖怪は、そう簡単には変われない。
「それで……そんなお馬鹿な魔法使いさんは、どんな『虎児』を得たくて『虎穴』に入りこんできたのかしら? 貴女もあの観光客みたいに物珍しいものでも探しているのかしら?」
 らしくないことをついつい考えて表情が曇る魔理沙に対して、パルスィはどこか妖しげな微笑みを浮かべて問いかけてきた。声もどこか楽しげ――というよりも嬉しげに聴こえた。
 柄にもないことばかり考えていてもしょうがない――魔理沙は本題を切り出した。
「パルスィ……さっき、橋のところで本を読んでたよな? あの本、見せてくれないか」
「あら、あんな本をどうして見たいの?」
「質問を質問で返すと零点だって教わらなかったのか?」
「残念、ここでは私の方が先生よ、主導権的な意味で」
 むぐ、と魔理沙は言葉に詰まる。
 確かに彼女は客人であるし、また“本を貸してもらいたい”側である。当然ながら主導権はパルスィの側にある。
 これで問題の本がすぐ近くにあれば、それを強引に「死ぬまで借りるぜ」とお持ち帰りすることもできるのだが、目に届く範囲にその本は見当たらず、また先ほどの短い時間での物色でも見つからなかった。
 ならば弾幕ごっこによる勝利を口実に無理矢理借りていくという手もある――が、今日の魔理沙は何となくそれがしたくなかった。そうすると残されるのは交渉しかないが、ブレインよりもパワーを身上とする彼女にそれはいささか荷が重い。
 結果、残っているのは“正直に話してお願いする”という、これまた彼女らしくない結論だけだった。
 どうも今日はやりにくいなぁ……そんなことを考えながら彼女は話す。もちろんある程度ぼかして。
「自分の知らない魔導書を見かけたら、なんとしてでも読みたいって思うのは魔法使いとして当然だぜ。だから“少しの間”でいいから貸してくれないかな?」
「そう、魔導書ねぇ…………」
 その言葉にパルスィはどこか納得した様子で頷いていた。少なくとも魔理沙の提案を嫌がっている様子は見受けられない。
 どこか引っ掛かる物言いだったが、これなら簡単に借りられるかな――そんなことを考えつつお茶を啜る魔理沙、だがさすがにそこまで甘くはなかったようだ。パルスィはさらに深く掘り下げようとしてくる。
「それで、どうして貴女は本を借りたいの?」
「む、だから私の知らない魔導書があったら見たいと思うのは――」
「そうね、その理屈は当然だわ。だけど貴女は単なる知識欲で動いているようには見えない。何か“確固たる目標”があって知識を得ようと頑張っている。私にはそう見えるわ……目標があるなんて妬ましい、貴女は一体何を――いえ、“誰を”目指しているのかしら?」
 どきり、と魔理沙の心臓が跳ね上がった。それは隠そうとしていた核心をつかれた人間の反射的な行為。
 しかしそれを顔に出すことはせず、魔理沙は笑ってはぐらかす。
「さすがにそれは企業秘密だぜ」
「個人でしょうに」
「これでも代表取締役だぜ。ついでに社員兼小間使い兼魔法使いでもあるが」
 自慢しているが単に自分独りだけの会社(?)なだけである。パルスィも妬ましきれない(?)のか、どこか腑に落ちない様子で聞いてくる。
「それって企業と言えるのかしら」
「幻想郷きっての大企業だぜ」
「それは比較の問題だと思うわ、あと比較してもそれはおかしいと思う……でも社長だったらお給料も高そうね、妬ましい」
「あぁ、うん……そうだな……」
「悲しそうな顔でお茶飲まないでよ、妬むんじゃなくて謝りたくなるから」
 業績がどんなものかは納得できたわ、という言葉を飲み込んでパルスィもお茶を啜る。
 不況など何処吹く風の霧雨魔法店だったが、好況もまた何処吹く風なのが玉に瑕。道楽に近いから仕方ないといえば仕方ないが。
 しかしパルスィの興味は幾分逸れたようである――魔理沙が負った幾分かの心の傷を代償として。その代わり、同じ道を逆戻りしているが。
「でも良いわねぇ、手の届かない誰かを目標にして、そこに手を届かせるためにありとあらゆる努力をして一直線に突き進む――パワーを信条とする貴女らしいわ」
「だーかーらー、“誰か”を目標にしているなんて私は言ってないぜ?」
「事実でしょう?」
「…………分からずやなところも霊夢みたいだ」
 呆れたぜ、という風を装って苦笑いしながら顔を背ける。しかし実際は“これ以上喋るとボロを出しそうだから”というのが正しい。
 そもそも自分がそういう努力をしていることだって隠しておきたいのだが、それ以上に“自分が誰を目標にしているか”は絶対に隠し通したい。外見は豪快な彼女の繊細な内面である。
 そんな心を知ってか知らずか、パルスィは続ける……まるで歌うように。
「どうしても手を届かせたい相手――どう頑張っても、努力しても、絶対に敵わない相手。文字通りに世界に愛され、孤高の中で飛びまわる蝶々。その美しさを真似ることができず、捕まえようにもひらりひらり……そんな彼女と一緒に飛び回りたいから、美しく空を飛ぶ術を貴女は――」
「月も星も見えないのに詩人なんだな」
 微妙なセンスのポエムにいろいろと過去を思い出してしまいそうになって、魔理沙は話を遮る。そんな態度にも特に思うところはないのか、パルスィはあっけらかんと言い切った。
「心の目で見るのよ、心の目で」
「……それ霊夢にも言われた気がするんだけど、馬鹿にしてるのか? “どうせあんたには分かりっこないじゃない”的に馬鹿にしてるのか?」
「自覚はあるみたいね」
 これまたあっけらかんと放たれた言葉にむー、と頬を膨らませる。時に前触れなく見せるこういう仕草が彼女の内面を良く表しているが、その仕草を見た人間がそれを指摘することは滅多にない。指摘すれば顔を真っ赤にして反論されるだろうから。中にはその顔も好きだという物好きもいるが。
 パルスィはそんな物好きではないので指摘はしない。
「“お前はどうしてそんなに強いんだ?” “なんであんなに弾幕を避けられるんだ?” そんな疑問への答えは“心の目で見ているからよ”……そりゃ馬鹿にされてると思ってもしょうがないわね、」
「そうだよな……答えになってないというか答える気がないというか」
「それに怒って弾幕ごっこを仕掛けても、やっぱりあの娘に手は届かない。ひょいひょいと弾幕を避けられて、ひょいひょいと弾幕を放たれる。気づいた頃には地面に仰向けになって彼女を見上げている」
「見てきたみたいに物を言うんだな」
「毎度毎度のことだからと諦めたいんだけど、傷一つない涼しそうな顔をして手を差し伸べてくる彼女を見ると、やっぱり諦められなくなる。そこで“もう一戦勝負だ”と言ってみるけれど、“面倒くさい、お茶でも飲みましょう”と言われてお流れ。食い下がってみても“お饅頭があるわよ”と何処吹く風で、いつの間にか自分も縁側に座って彼女を横目で見ながら饅頭を頬張っている」
「…………詩人だからってそこまで話を膨らませられるのは才能か?」
 自らの言葉に陶酔しているように喋り続けるその言葉をそれ以上聞きたくなくて、魔理沙は話に割り込んだ。だがパルスィは、気分を害した風もなく、本当に見てきたことを語るように淡々と言い放つ。
「だって事実でしょう?」
 そしてその言葉もまた真実だった。
 確かに魔理沙はそういった体験をしていた、昨日もその通りの流れになった。“彼女”と弾幕ごっこを行って、いつものように負けて、いつものように悔しがって、いつものようにお茶を飲む……もはや完成したといってもいいその流れは不本意ながら一部の人妖の間でも噂になっているから、地下までその話が流れてきても不思議ではないと、心の中でそう思う、言いきかせる。
 だが心の一部で、何かが違和感を報せている。それがどこから来るのかは分からないが、魔理沙は確かにそれを感じている。
 そんな彼女に構うことなく、パルスィは笑いながらなおも続ける。
「“彼女”は何でもないように飛び続ける……“自分”がふらふらと宙に浮かんでいる頃にはまるで呼吸をするかのように空を飛び、苦労して思い描いた虚像を形にしようとしている頃には情け容赦なくしかし美しい弾幕を放ち、傷だらけの辛勝を重ねる頃には無傷で大妖怪と渡り合っている――そんな蝶々を、貴女は追い続け、追い求めている」
 陶酔の度合いが明らかに深まっている。その目はどこも見ていないようでしっかりと魔理沙を見つめている。歌うように詩を口ずさんでいるようで、淡々と事実を突きつけている。
 ここまで来ると魔理沙も“何がおかしいのか”を実感し始めていた。彼女はこの感覚を、前にも――正確にはつい先程にも――味わっている。
 それは“心を読まれる感触”。自分が考えたこと、感じたこと、奥深くに隠した感情までを読み取る『覚り』妖怪と対峙した時に感じた本能的な不快感と同種のそれ。
 そう、パルスィは――
「世界に愛され、孤高の強さを美しさに変えた蝶々、貴女が追い求める彼女の名は――博麗霊夢」
「……っ!」
 ――“魔理沙が誰を追い求めているか知っている”。
「なんで……私が霊夢を追い求めているだなんて、思うんだ?」
 相手の出方を探るために――魔理沙はパルスィの方へ顔を向けた。
 表情は変わっていない。世の全てを妬み、見る者に不快感を与えるような薄い笑み。だが緑色の瞳は、先程までより明らかに輝いている――爛々と。
 吸い込まれそうなその瞳をぐっと睨みつける魔理沙に対して動じる様子もなく、パルスィは答える。
「貴女、私の家に来てから霊夢、霊夢と煩いじゃない。あれだけ連呼されればどんな鈍感でも朴念仁でも気づくわよ、あぁ熱々で妬ましい」
「そ、そういえば確かに……って」
 そう言われて思い返してみれば、魔理沙は確かにパルスィとの会話の中で霊夢の名前を良く出していた。少し洞察力が深ければそれだけで察することもできるだろう。
 だが、魔理沙が驚いたのは決してパルスィの洞察力の深さに感嘆したからでも自らの不甲斐なさに愕然としたからでもない――“おかしいのだ、自分が霊夢の名前をここまで連呼しているということが”。
 魔理沙にとって親友とも言える霊夢の名前が会話で出てくるのは珍しいことではない。しかしそういう意味ではライバルに近い人形遣いや図書館の魔女だって条件は同じである。事実、普段の彼女の会話で出てくる名前は霊夢だけではない。
 つまり魔理沙は、“妬みを糧とする”パルスィとの会話の中で自分が追い求めている――“妬んでいる”相手の名前を数回も出したことになる。
 そこまで考えれば馬鹿でも気づく。
「まさか……お前、私に何かしたのか? これはお前の能力なのか?」
 その問いかけにパルスィは口角を吊り上げて嗤う。
「そうね、確かに私は貴女に“何か”をしたわ。でも、それが分かったところでどうするの? 貴女にとって重要なのは“私が何のためにそれをしたのか”じゃないの?」
「“何のために”って、お前に何かされる覚えは…………」
 いろいろと覚えはあるので口ごもる魔理沙。前科何犯か数えるのも面倒くさい彼女にとってそれは自業自得だったが、パルスィはその沈黙をどう解釈したのか、ますます口角を吊り上げる。出来映えの悪い怪談に登場する妖怪のように。
「そう、貴女と私……『水橋パルスィ』と『霧雨魔理沙』の間柄であれば、私が何かをする必要はないわ。でもね――『妖怪』と『人間』なら、どうかしら?」
 その言葉に、嫌な感触を魔理沙は覚えた。
「妖怪と人間……って――」
「…………私とあの忌々しいさとりには共通点がある、って知ってたかしら?」
「はぁ?」
 突然話を変えたパルスィについていけず、魔理沙は呆けた声を出す。
 しかしその転換に何か嫌な空気を感じ取った彼女は、気取られないように懐へと手を伸ばす。
 気づいていないのか、パルスィは問いかけにも答えずただ淡々と続ける――いつのまにか、笑いが消えていた。
「あの『覚り』妖怪は他者の心を読み、時として本人すら忘れ去るほどに深く深く埋葬されたトラウマを引きずり出して具現化し、それを糧とする妖怪。貴女も経験したでしょう?」
「あ、あぁ」
 先の異変においてさとりと弾幕ごっこを繰り広げた彼女にはその言葉が良く理解できた。
 あの弾幕ごっこの際、魔理沙がパートナーとして選んだ妖怪が過去に魔理沙に放った弾幕の中で、魔理沙自身も知らず苦手意識を持っていた弾幕を『覚り』は読み取り、形にした。
だが、それのどこがパルスィと似ているのだろうか?
 その答えを、パルスィは口にする。
「私もね、似たような能力なのよ。読み、操り、具現化し、糧とする……でも私が関われるのは“妬み”の感情だけ。そういう意味ではさとりの足元にも及ばないわ」
 でも、とパルスィは続ける。
「その代わりに妬みに関してはさとり以上に掘り下げられるようになっている。『覚り』が広く浅くというなら、『橋姫』は狭く深く――だからね、ある特定の状況において私はさとり以上に力を発揮できるのよ……そういえば、魔理沙――」
 パルスィが再び笑う。だがそれは恐れの中にも美しさを感じさせる妖艶な微笑みではない。
 人を食ったような、獲物を前にしたような――ニタリとした微笑み。
 そして彼女は決定的な言葉を打ち放った。
 
 
「貴女にはあの題名も書かれていない白い本が――どんな本に見えたのかしら?」
 
 
 
 
 
 ガタリ――魔理沙が腰掛けていた椅子が倒れる。
 腰掛けていたはずの魔理沙は素早く立ち上がると同時に懐から取り出した八卦炉をパルスィに向けていた。そのあまりの勢いに椅子が倒れたのだ。机の上の湯飲みも倒れ、黒い帽子が残っていた茶で濡れる。
 照準は既に合わされている。後は魔理沙が覚悟を決めるだけで妖怪すら恐れる威力を誇るマスタースパークが放たれる。射線上に居れば大妖怪といえど無傷では済まされない。室内で撃つということは付随被害とそれに伴う自分への被害を免れないが、今の魔理沙にそれを気にしている余裕はない。
 一方のパルスィは……動じずに、既に冷めてしまった自分のお茶を啜り、言う。
「さとりが“トラウマ”を、人の思いを具現化するように、私は人の“妬み”を具現化させる。若さを妬むものであればあの本は若返りか不老不死の秘術書、禁断の秘術を求める者は錬金術とかそこら辺ね。そして貴女には“手の届かない対象へ手を届かせるための魔導書”に見えた。それだけのことよ」
「つまり、最初から私は――」
 ぎりりと歯を食いしばり八卦炉を握りしめる魔理沙。しかしパルスィは彼女の問いには答えずに淡々と言葉を続ける。何の感情も無い、ただの説明口調で。
「生きようとする気持ちというのは、つまるところ生者への“妬み”。周りでのうのうと生きている他者を妬み、まだ死にたくないと考えるからこそ人間は本能的に死を恐れる。その妬みを私が“取り除いて”あげたら――どうなるかしら?」
「ぇ…………ぅ、あれ?」
 意味も脈絡もなさそうなその言葉に魔理沙が訝しんだ直後――彼女の膝がくたりと折れた。
 パルスィは動いていないのに、何もしていないのに、魔理沙の膝から力が抜けて地面につく。何とかテーブルに手をついて体を起こそうとする彼女の手から八卦炉が離れ、テーブルの上を転がった。
「な……な…………ん、で……」
 懸命に力を入れて立ち上がろうとするのに、どれだけ足に力を込めても言うことを聞いてくれない。ならばと腕の力で体を持ち上げようにも、その腕からすら力が抜けていく。動かなければいけないと頭が警告しているのに、体がそれに従ってくれない。体全体からかき集めた力を何とか腕に込めて、顎をテーブルに乗せるようにして体を支えるのが精一杯だった。
 と――そんな魔理沙の頬に、身を乗り出したパルスィが手で触れた。妖怪としては標準的な冷たい手が優しく撫で回す。
「本当に美味しそうね……貴女の嫉妬心」
「っ……!?」
 しかしパルスィの微笑みは手つきとはかけ離れた捕食者の笑み。背筋が凍り、その存外に優しい手から逃れようとするが、今は体が倒れないようにするので精一杯だった。もぞもぞと身悶えることしかできなかった。
 抵抗できないのをいいことに感触を思う存分楽しみながら、パルスィは話す。
「さとりの警告には従うべきだった。人間との交流が長年途絶え、“人間の妬み”を手に入れられなくなった『橋姫』。なのにいきなりその人間が目の前にぞろぞろと現れて、それなのに手が出せない。そんな中で一人で飛び回っている人間を見つけたら、どう思うか」
 長年断絶していた地上と地下との交流。
 しかしそれは突如復活し、地上の人間が頻繁に地下を訪れるようになる……しっかりとした警護付きで。
 長年口にするどころか目にすることも叶わなかったご馳走が、手を出せないところを通り過ぎていく。そんな状況でのこのこと現れたのは――葱を背負った鴨、
妖怪とも渡り合えると過信して、たった一人で箒を駆る魔法使い。
「だ、から……わ……た、しを……」
 全てを理解して戦慄する魔理沙の言葉に、しかしパルスィは首を横に振る。
「でもそれだけじゃないわ。貴女は地下に降りてきた人間の中でも、上質の妬みを持っていた。どこまでも深く、ねっとりと、どろどろと熱くて――それでいて美しい、“とても人間らしい”妬み。昔、私がまだ人間の妬みを食らえていた時にも、これだけの妬みを口にしたことはなかった」
 その言葉が信頼できることを示すように、パルスィの手はどこまでも優しかった。だんだんと霞む視界の中でも彼女の笑みはとても恐ろしいものに見えるのに、自分の頬をただ撫でる彼女の手が魔理沙の恐怖を和らげる。
 だがそれだけではない。
「誰かを追い求めて努力することを美談にするのにそれの原因である妬み、嫉妬は汚い感情とする人間は多いでしょうね。そもそも嫉妬というのは人間の原動力なのに――でも私は違うわ、貴女の妬みを美しいと、美味しそうだと思っている。だから貴方をここに誘い入れた。私は貴女の妬みが欲しい」
 今まで親しい友人にも相談しなかったこと、自分の弱みだと考えていたソレを、パルスィは「美しい」と言ってくれた――評価してくれた。心の中を読まれてトラウマを穿り返され笑われでもしたなら拒絶もできたのに、これではまるで正反対……だから彼女はこの危機的状況においても、穏やかな心を保つことができる。
 最後にこんな気持ちになれるのなら、食われるのも悪くないかもしれない――パルスィの能力の所為かそんなことまで考え始めた自分の心に、魔理沙は大して驚くこともしなかった。
「だから……食べさせてちょうだい」
 パルスィの手がそっと頬から離れ、魔理沙の後頭部に回る。そのまま抱き寄せるようにして、徐々に徐々に顔が近付いていく。
 抵抗どころかもはや声を上げることすらできずに――魔理沙はゆっくりと目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「これで後に残ったのは私の帽子だけ、とかだったらホラーなんだがな」
「それはホラーじゃなくて驕った人間へ警告するための教訓話よ。裸でベッドに横たわる貴女の横で煙草を吸う私、でも良かったんだけど」
「……勘弁してくれ」
 起こした椅子に行儀悪く胡坐をかき、赤く染まっていた顔をさらに真っ赤にして魔理沙はぷいと顔を背ける。そんな彼女をどこか満足したような笑みでテーブルの反対側からパルスィが見つめていた。
「それで、私の……その、『嫉妬』の味は美味しかったのか?」
 何となく気になって尋ねる魔理沙だったが、“食われた”際のことを思い出してつい口ごもってしまう。明らかにそれが分かっている様子で、楽しそうにパルスィは感想を口にした。
「えぇ、“貴女の”味はしっかりと堪能させてもらったわ」
「うぅぅ…………」
 どう聞いても別の意味にしか思えない――墓穴を掘ったと魔理沙は確信した。
 先ほどの行為を思い出して熱くなる顔、ふと気がつくと感触を思い出すように唇を撫でている指、それを見てニヤニヤと笑っているパルスィ。普段であれば躊躇無くマスタースパークをぶち込んでいるところだが、それをするだけの精神力が今の彼女にはなかった。
 体力の方も微妙だったのですぐに逃げ出すこともできず、かといってこのまま嫌な空気も耐えられない――慎重に言葉を選んで、魔理沙は会話を続けることにした。
「な、なぁパルスィ……私の嫉妬を食ったって言ってたけど、私の嫉妬はまだ消えてないようなんだ。どういうことだぜ?」
 パルスィは嫉妬を食ったと言った。しかしそれなら魔理沙の心の中にある霊夢への嫉妬心は消えているはずなのだが、そんな様子はない。
 不思議に思う彼女に対して、パルスィは呆れたように答える。
「何か勘違いしているみたいだけど、“私が嫉妬を食った”からといって、“貴女の嫉妬が消えてなくなる”訳ではないわ。そうね……言わば私は貴女の嫉妬から無尽蔵にエネルギーを取り出すことができるの、嫉妬の大ききや種類にもよるけど。そのエネルギーを取り出しても貴女の嫉妬自体がどうこうなる訳じゃないわ。本当なら嫉妬心を煽ってから取り出すのが有効なんだけど……貴女にはあまり必要なかったわね」
 もうお腹一杯だし、と気持ち膨れた腹を撫でながらパルスィは言う。罪悪感かお礼かはたまた親近感か、魔理沙が思っていた以上に丁寧に説明してくれた。
 ただし引っ掛かるところがある。
「嫉妬心を煽ってないって言うなら……なんで私はあんな風になったんだ?」
「ちょっとした催眠術よ……語弊があるわね、『暗示』よ『暗示』。覚りも似たようなことをやってるはず。別に橋姫特有の能力でもないし、ちょっと精神操作に長けた妖怪なら誰にだってできるわ」
「そんな簡単に暗示にかかるなんて……」
 思い当たる節ならいくらでもあるが、それでも納得できない様子の魔理沙に、パルスィは事も無げに言い放つ。
「そうね、いくら私でも何の素地もなしに暗示にかけるのは難しいわ。ただし、暗示にかけられる側の人間が私のことを殊更に意識していれば別だけど」
「意識? 別に私はお前なんか――って、まさか」
 ある意味で今回の件の全ての始まりであり、パルスィの存在を“意識させた”人物と、その人物からの『警告』を思い出しぽかんと口を開ける魔理沙。
 だってそれが本当なら笑い話にもなりはしないじゃないか――そう言いたげな彼女の思考を読んだように、パルスィは肯定する。
「そういうことよ」
「これじゃ『警告』になってないじゃないか……」
 本を“借りた”仕返しなんじゃないか……そんな確かめようのないことを考えて、魔理沙は諦めきった口調で苦々しく呟く。
「で、その暗示とやらで私は白い本に誘われた、ってことか」
「その本って……これのことかしら?」
 と、パルスィがどこからともなく本を取り出した――魔理沙が最初に彼女を見つけた時に持っていたその本を。白表紙どころか、ちゃんと名前も書かれた黒い魔導書だった。
 もうここまでくれば驚きもしない。魔理沙は疲れきった様子で答えを口にした。
「白い本がうんたらかんたら、ってのもただのハッタリ――いや、『暗示』だったってのか」
「そういうこと。ちなみにこれ、地霊殿から借りてきた本よ」
「なるほどね……………………ん?」
 その言葉に一度は納得したものの、たっぷりと間を空けてから魔理沙は首を傾げた。
 自分が興味を示すほどの本を地下世界で手に入れられる場所といえば、魔理沙もそこしか思いつかない。しかし問題はそこではない。これまでの流れから考えると、パルスィは魔理沙を誘い込むためにその本を“さとりから”借りたことになる。
 恐る恐るといった様子で、彼女は尋ねる。
「その本を借りた時から……私を誘い込むつもり、だったんだよな?」
 パルスィが自分のように泥棒に入ったのでもない限り、彼女はさとりと出会っているはずだ。
 そしてその時から、この計画を考えていたのなら――そんな魔理沙の嫌な予感を、パルスィはあっさりと肯定する。
「えぇ、その通りよ。正直に告げたら――心を読める『覚り』だから嘘をついても意味は無かったでしょうけど――笑って貸してくれたわ」
「ぁ、あの――あの三つ目の女狐め…………!」
 彼女は確信した――これは確実にさとりの『仕返し』だと。
 つまり最初から最後まで、魔理沙は罠にどっぷりと嵌っていたのだ――首どころか頭のてっぺんまで。
「そうなるとあの時、急に体から力が抜けたのも……」
「残念だけれどそちらは地霊殿絡みじゃないわ。薬売りがこっちまで出張るようになってきてね。試供品ということで一つもらったの」
 いっそあの本だけでも持って帰ってやれ――そんな意趣返しを読み取ったのか否か、いつのまにか本をどこかへとしまったパルスィの手の中に代わりに現れたのは、デフォルメされた竹と兎のマークが可愛らしい薬瓶。
 ひったくるようにしてそれを取り効能を見る――『個体差によって効果時間等の違いはありますが、数十分から数時間の範囲で脱力等の症状が現れます』。
 普通はそういう症状を抑えるものだろ――魔理沙のそんな常識的なツッコミは竹林の奥までは届かない。
「あぁもう……散々な目に遭ったぜ」
 最初から最後まで誰かの掌で踊らされる。普段であれば愚痴やマスタースパークの一つや二つ放ちたくなるが、今はそんな元気もない。むしろ早く家に帰って風呂に入って、そのまま泥のように眠って全てを忘れたい――そんな彼女らしからない考えが頭に浮かぶ。
「別にいいじゃない。人間が妖怪に襲われただけで、それに実害は無かったんだから」
 魔理沙の手から薬瓶を奪い返してこれまたどこかへとしまいつつ、パルスィはそんな呑気なことを言う。
 全く悪びれた様子もない呑気さが妬ましい、と言いたくなるほど今の魔理沙は疲れていた。
「精神的にきつかったんだぜ……なんというか、その――心を、舐め回された感じだった」
「それだけ貴女の嫉妬心が美味しかったのよ」
「褒められてる気がしない……」
「褒めてるわ」
 顔を上げた魔理沙に向けられたのは、人を食ったような笑みではなく真剣な表情。
 先程までの蛮行や態度とは違うその様子に、魔理沙は違う意味で引き込まれる。
「嫉妬心を毛嫌いする人間は多い。嫉妬心を抱く自分自身を嫌悪する人間も多いわ。でも貴女は違う、嫉妬心を糧にして前へ進もうと――紅白の蝶に手を届かせようと努力している。よっぽど『人間』らしいわ」
「……そうか?」
「そうでなければ私がここまでして貴女を誘い込もうなんてしないわ。せいぜい嫉妬心を煽って放置して楽しむだけよ」
 さらっと不穏なことを呟いているが、それならまだマシだったのかなんて思うほどに、魔理沙も嫌な気持ちは抱いていない。ただ急に気恥ずかしくなってきた。ようやく冷めたと思った顔の熱が戻ってくる。
 それを煽るようなことをパルスィも言うもんだからたまったものであない。
「本当に美味しかったわ、柔らかくて美味しくて美しくて可愛くて――」
「あーあーあー! 言うな言うな言うな! もう帰る!」
 まだ体力と気力が完全に戻った訳ではないが、これ以上ここに残っていれば逆に気力を奪われかねない。
 まだ休みたいと要求し続ける体に叱咤を入れて帽子を取って立ち上がろうとして、魔理沙は顔を顰めた。
「あちゃー……零したお茶でずぶ濡れだぜ。こりゃ厄介だ」
「あら、本当ね。そんなもの被って帰る訳にも行かないでしょう、私が洗っておいてあげるわ」
「本当か? それじゃ頼む、また来るから」
 経緯を考えれば当然パルスィの責任なのだが、早く帰りたいという気持ちと思いがけない提案ということもあって魔理沙はそこまで頭が回らなかったし、大事な帽子ではあるが替えが無い訳でもないのでありがたく甘えることにする。
 むしろその即答振りにパルスィの方がいささか驚いていたが、何かに思い至ったのか艶やかに微笑んで言った。
「なるほどね、また私に食われたいって――」
「じゃ、じゃぁな!」
 身の危険を感じ取ったのか帽子だけ残して魔理沙はすぐに出て行った。
 その後ろ姿を見送って呟かれた言葉は、彼女の耳には届かない。
「……冗談だったのに。まぁまた“食べたい”くらい美味しかったけれど」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そう、これが私の家にあの魔法使いの帽子があった理由よ。なんてことのない話よね。貴女もこれぐらいのおいたは見逃してくれるでしょう?」
 数日前に魔理沙が家を訪ねてきた理由、その後何が起こったか、そして何故パルスィが魔理沙の帽子を持っていたか――それを話し終わって、乾いた喉をお茶で湿らせる。
 その理由を尋ねたはずの目の前の人間は、答えるどころか相槌を打つこともできない。自分が聞いた以上のこと――何故こんなことになっているかの答えまで、パルスィは正直に話したのに。
「これで今の状況が理解できたでしょう? それにしても貴女は凄いわね、魔理沙のこともあったから薬の量も増やしたんだけど、それでもまだ抵抗できそう。あの魔法使いは努力と経験でそうなったみたいだけど、貴女は天性なのかしら? あの魔法使いが妬むのも良く分かるわ」
 湯飲みを脇の箪笥の上に置く。机に置かないのは、魔理沙の時のように零れたりしないように。もう片方の湯呑みも既に片付けてある。魔理沙の時は運が良かったが、悪くすれば目の前の美しい顔に傷を負わせてしまうかもしれない。
 この顔に傷は勿体無い――そんな想いを込めて、頬を撫でてやる。魔理沙の時とは違ってまだ意識を保った目できつく睨みつけられるが、抵抗はされない……できない、反論も同様。それをいいことにしてパルスィは一方的に言葉を投げ掛ける。
「でも、魔法使いといっても心を読むことはできなかったみたいね。芋虫が蝶々に憧れるのは良くある話だけど、蝶々が芋虫に憧れることだってあるのに――何でもできる人間に憧れて必死の努力を重ねる人間、必死の努力を重ねてもそれを表に出さないで頑張る人間――そんな彼女に憧れる“何でもできる人間”。特別なことができても“特別な存在だから”と納得される人間は、“努力している”と他者に認められる普通の人間を妬む、ほんとうに皮肉な話……“違う”って言いたそうな目ね、でも私には分かるわ」
 持つ者は持たざる者の気持ちが分からない、だが持たざる者も持つ者の気持ちは分からない。
 両者の気持ち――妬みを分かってやれるのは、心を読むことのできる『覚り』やその妬みを主食にしている『橋姫』だけ。
「あの魔法使いはいろんなところに顔を出している。どこかで帽子を落っことしてもおかしくないし、それを気に病んで落ち込んでいたり様子がおかしくなったりしてもおかしくない。もしかして単に弾幕ごっこで負けただけかもしれない。普通ならそう考える。彼女のことを知っている人間ならそう思う。でも彼女のことを“良く”知っている貴女は違った。貴女が本当に魔理沙のことを何とも思っていないのなら――」
 霧雨魔理沙とはまた違う『美しさ』『美味しさ』がある妬みを“食える”喜びを妖艶な笑みで最大限に表現して、パルスィは最後の一押しを放った。
 
 
 
 
 
「魔理沙の様子がおかしいことを知って、彼女の行動を調べて、そして私の家の前に干された帽子を見つけて――どうして貴女は血相を変えてこの家に飛び込んできたのかしら、博麗霊夢?」
「ふわぁぁ……今日もお腹一杯ね、良く眠れそう――ん?」
――廃線「ぶらり廃駅下車の旅」――
「ぎゃー! 大きくて長くて黒光りした鉄の塊が降ってきたぁ!?」
「貴女ね、霊夢を泣かせたのは」
「くっ、八雲紫! さすが賢者ね、巫女に手をだしたことを察知して制裁にでも――」
「グッジョブよ! もう巫女やってけない~、なんて泣いて縋ってくるもんだから、ご飯三倍行けたわ!」
「前言撤回、あんたほんとに賢者か。あと誤字じゃないのそれ」
「誤字ではありませんわ。でも感謝していることは本当よ。あの娘は、人間の癖に時々張り詰めすぎるから」
「…………」
「時々でいいから誰かがね、教えてあげないといけないのよ――貴女は巫女である前に人間だって。普通の女の子なんだって」
「……さすが賢者ね、その全て計画通りって感じが妬ましい」
「やだわぁ、ゆか☆りん照れちゃう」
「褒めてない褒めてない。でも感謝している癖に人の家に大穴開けるのね」
「当然よ。私的には感謝していても、公的には貴女は巫女に手を出したことになる」
「なるほどね……」
「そして何よりも、私だけが鳴かせていい存在に貴女は手を出した! それこそが貴女の罪よ!」
「やっぱり前言撤回! それと洒落にならないからそれは誤字にしといて!」
 
 
 
 
  
シリアスで行くと(前回の後書きで)言った(気がする)な、アレは嘘だ。
次こそはドシリアスに行けたらいいな。
でも最近、あまりにもシリアス過ぎる作品を読んだ所為で心の釣り合いが……
……これはつまり甘々を書けというお告げか!?(無理)
 
 
評価・コメントありがとうございます。
 
>>5
感想を見て「あれ? レイマリなんて書いたっけ?」と悩むこと十秒。
確かにレイマリですよねこれ……全く意識してなかった。
 
>>9
こういう頭脳派というか詐欺師的な口上に憧れ(?)ていたり。
 
>>15
肉体で追い詰めるより精神的に追い詰めるのが妖怪っぽい……でしょうかね。
まぁ適材適所ということで。
 
>>19
気づいてみたら相思相愛だったぜヒャハー
 
>>22
後書き無しだと妙に暗いままで終わりそうだから……ってこんな考えだから
ドシリアスなのが書けないんですよね、と猛省。
 
>>23
わwるwのwりwww
 
>>25
パルスィが可愛すぎてSS書くのが辛い(ただのスランプ)。
 
>>32
お味と食事の仕方についてはノーコメント(年齢制限的な意味で)。
えぇ、そっちは本物です……
 
>>33
『古明地さとり』もタグに入れておくべきだったかな、と今更ながらに。
……しかしどんだけ誤字が多いんだ。
 
>>34
ある意味一番の策士かもしれない……>さとり
 
>>35
人肉ばりぼりな妖怪よりこんなのが個人的には好みな妖怪タイプ。
 
>>37
そりゃ当然でしょう。とりあえず文才がある人と誤字脱字発見ができる人が妬ましい。
(単なる鍛錬不足)
 
>>40
私も大好きです。
 
>>43
そうであるなら幸いです。
 
>>44
『妖怪らしさ』を突き詰めて「心を食って魔理沙を廃人にして、帽子か何かで
釣った霊夢も同様に……」なんてネタが今まさに浮かびましたが、
幻想郷らしさとかそれ以前に私自身の心が保たないので封印。
 
>>52
ここでは書かれなかった『食事中』の行為に封印の原因が……(嘘)
……そういう“ドロドロしたところ”(?)が書けないんですよね、技量的に。
RYO
[email protected]
http://book.geocities.jp/kanadesimono/ryoseisakuzyo-iriguti.html
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コメント



0.2060簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
おお、パルイパルイ。
しれっとしたレイマリ、こちらもご馳走様でした。
9.100名前が無い程度の能力削除
淡々と語りつつも相手の心を掴み揺さぶるストーリーテラーみたいだ
ひさしぶりに格好いいパルスィが見れた
15.100名前が無い程度の能力削除
これぞ妖怪って感じのパルスィだったな。ゆかりん自重ww
19.100名前が無い程度の能力削除
相思相愛だぜヒャハー
22.100名前が無い程度の能力削除
んー、いいパルスィ。
なんだかんだで霊夢さんってば魔理沙のこと大好きですね!

そして後書きのノリで吹いたw
23.100名前が無い程度の能力削除
あwとwがwきwwwwwwww
25.100名前が無い程度の能力削除
パルスィかわいいよパルスィ
32.100名前が無い程度の能力削除
これは良いパルスィ。
死に物狂いで後を追う凡人を、だれもが届かない孤独の高みから見下ろしていた天賦の才を持つ者の「嫉妬」は、果たしてどれほどパルスィにとって上質なものだったのでしょうか?
とても面白かったです。
それとあとがきwww

>正面減から侵入を果たし
「正面玄関から」か「正面から」の誤字かと。
こちらは本物ですよね?w
33.無評価名前が無い程度の能力削除
さとりとパルスィが仕向けたからくりがおもしろかったです
そして何よりパルスィがかっこいい作品でした

誤字報告
勧化手板野→考えていたの
許て→許して
虎穴に入らずんば虎児を得ず→虎穴に入らずんば虎子を得ず(不入虎穴不得虎子[後漢書])
34.100名前が無い程度の能力削除
パルスィだけでなく少しだけ出てきたさとりも良い存在感を出してました。
面白かったです。
35.80名前が無い程度の能力削除
策士というか、妖怪なパルスィが魅力的。魔理沙もかわいい。
37.80名前が無い程度の能力削除
つまり嫉妬心を持たない人間なんて存在しないと。
まあ何はともあれ、いいライバル関係じゃないですか。
そしてパルスィマジ妖怪。
40.100名前が無い程度の能力削除
こんなパルシィは大好きだw
43.100名前が無い程度の能力削除
パルスィをこんなに上手く料理した話は初めて見たかも。

そして賢者タイムのゆかりんw
44.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁ
いかにも「妖怪」って感じの妖怪だけど、幻想郷らしさも失ってはいない

おいたが過ぎて痛い目みる魔理沙はかわいいなぁ
52.100名前が無い程度の能力削除
ひとまず百点を。

しかし、こんなパルスィがどうして忌み嫌われる妖怪として地下に居るんだろう。
立派に神様やってる気がするんだけどなぁ。
まぁ、地下の妖怪を描こうと思うとそういうところは難しそうだから仕方ないですけど。
少し、綺麗過ぎるパルスィが逆に違和感があったかもしれないです。
まぁ、面白い話ではあったので、点数は変わりませんが。
54.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙もパルスィも可愛いw
そしてあとがきwちょwおまww

面白かったです!
63.100サク_ウマ削除
やっぱり妖怪してる地底組は良いですね。好きです。