注意
ネタバレになってしまうので詳しくは書けませんが、このSSには鬱表現がふんだんに盛り込まれています。
そういうものが苦手な方はお戻りください。
よろしければどうぞ。
天の川は美しい。
織姫も輝き、彦星も輝き、私はここだと主張している。
しかし、届かない。
輝きは届いても、その手は相手に届かない。
私は彦星なのだろうか。
霊夢は、夜空を見ながらそう思った。
今日は、七夕。
境内のはずれに目をやる。
そこでは、アリスが短冊を笹にかけていた。
その顔は暗く、表情は伺えない。
そうだ、今日はアリスに話があるんだ。
私は今日から、彦星になる。
「かけてきたわ」
アリスは、霊夢の隣に腰かけた。
古くなっている縁側の木材が、アリスを受け止めてギシリと呻く。
置いてあった湯呑を取り、中身を飲むアリス。
横目でそれを見ながら、霊夢は「そう」とだけ答えた。
なんて書いたの?
そんなことは聞いてやらない。
そんなことを聞くのは野暮だと思っている。
私は、アリスの短冊だけは読まない。
それっきり無言。
静寂は痛く、どうしても相手が気になってしまう。
だが、見ない。見るわけにいかない。
本心でどれだけ触れ合いたがってたとしても。
「……霊夢」
ついに、アリスから切り出した。
霊夢は、チラリと左へ目を流す。
顔は見ない。
夜風になびく金の髪だけが視界に入った。
「あなた、なにか言うことはないの?」
アリスの声は重い。
私の心に傷を残すのには十分に、重く鋭い。
私はそれを受けるだけ。
「私は、あなたに呼ばれてきたのだけれど」
「そうね」
アリスの声色に熱い感情が乗り始める。
普段は絶対に見ることができないだろう、彼女の怒り。
怒っている理由なんてわかっている。
全て、悪いのは私だ。
「私は、一緒に天の川を見ようと思っただけよ」
「何が……なにが思っただけよっ!!」
アリスは荒々しく立ち上がった。
激昂を隠しもせずに吐き出す。
「何か、何か言ったらどうなの!?」
「…………」
一言一言が、私の心に傷を残す。
それが治らないように。
それが治ったりしないように。
私はそれだけを考える。
「これ以上、私に期待させないで!断るなら断ってよっ!!」
そのつもりだ。
今日はそのために呼んだんだ。
「……」
「お願い、もう一度だけ言うから、答えて……」
アリスの方を見る。
アリスは、泣いていた。
堪えようとしているのは、顔を見ればわかる。
泣かないように泣かないようにと顔を歪めているせいで、一層哀しく見えた。
「霊夢……好き。あなたが好き」
そこに居るのは、ただ女の子だった。
泣いている、女の子。
私の大好きな、女の子。
「…………」
さぁ、断りなさい。
断るのよ。早く。早く!
「…………」
アリスの顔は、段々とくしゃくしゃになっていく。
涙の量は増える一方で、眉間にしわがより、美人が台無しだった。
「また、だんまりなの?」
ちがう。
今日は、答える。ちゃんと断るから待って。
声が出ないの。それだけなの。
「答えてくれないの?」
声帯は震えない。
肺は空気を取り込まない。
脳は信号を送らない。
頭だけの決意では、拒絶の言葉は絞り出せなかった。
「……ッいい加減にして!!」
アリスのどなり声が、脳に響いた。
いつしか霊夢の顔は、少しずつ俯いてきている。
「いつまで私を生殺しにする気なの!?いつもいつもあなたから呼ぶ癖に、私に返事はくれやしない!!」
罪悪感が顔を出した。
顔はますます俯き、いつの間にか真下を向いている。
私はただ、顔が見たいだけだ。
声を聞きたいだけなんだ。
耐えろ。堪えろ。泣いたらばれてしまう。
こちらの気持ちがばれてはいけないのに。
「あなたは私に何がして欲しいの!?呼ぶだけ呼んで、私が一人右往左往してるの見て楽しい!!?」
「―――っちが……!」
思わず顔をあげて、アリスをまともに見てしまった。
哀しそうで、怒ってそうで、憎んでそうで、物欲しそうな顔だった。
その顔を見た瞬間、霊夢の息はまた止まった。
声が、でない。
「希望を持たせないでっ……もしかしてと思わせないでぇ……もういや、いやなの、もうげんかいなの」
今度はアリスが俯く番だった。
雫が地面に落ちるのを、見ることしかできない。
アリスの肩は、震えていた。
苦しい。見たくない。悲しませたくない。
抱きつきたい。私も好きと吐き出したい。
それだけなのに。
たったそれだけのことで、彼女の笑顔が見れるだろうに。
わたしは、なんで、こんなことしてるんだろう。
うなずけばいいんだ。
だきしめればいいんだ。
あいせばいいんだ。
わたしも、だきしめられたいし、あいされたいんだから。
霊夢の右足が一歩前に出る。
自分の足音が、やけに大きい。
アリスまでは、後3歩。それで手は届くだろう。
左足も動き出す。
近づける。そうだ、近づける。
私が近づくんだ。
私からアリスに近づくんだ……!
左足が地面に着く。
そしてその瞬間。何かに足を掴まれた。
驚いて足元を見たら、そこには切れた空間。
中から覗く無数の瞳。
そこから這い出た白い手。
霊夢は目を見開いた。
霊夢の動きは止まる。
アリスの顔はゆっくりと持ち上がった。
「結局……来てくれないのね……」
アリスは、泣き顔を隠すように後ろを向く。
そして、そのまま飛び上がった。
「―――さよなら」
「あっ……」
霊夢はつい声をあげ、天へと腕を伸ばした。
しかし、すでにアリスは届かない位置に居て。
霊夢は、天の川の煌めきに消えるアリスを、ただ見ていることしかできなかった。
霊夢はその場に立ち尽くす。
堪えていた感情をあふれさせながら。
霊夢の涙が落ちた場所に、一本の切れ目が入った。
その切れ目はぱっくりと割れる。
中には、やはり暗闇と無数の目。
その切れ目から、赤い唇が浮かび上がってきた。
口紅でも塗ってあるのだろう。恐ろしい深紅の唇。
口はひとりでに喋り出した。
【断らなきゃ駄目だと言ったでしょう】
「……」
霊夢は両手の拳を握りしめる。
ぎりぎりという皮膚の突っ張る音が、微かに、確かに鳴った。
【あなたたちは確かに好き合っている。でも、あなたは受けてはならない】
唇はただただ規則的に動いている。
無駄な動きは一切なく、まるで機械のようだった。
【その理由は何故?答えてみなさい】
唇の言葉に促され、霊夢は口を開く。
涙を流しているというのに、声色は変わっていない。
いつもの、博麗霊夢の声色だった。
「……博麗の巫女が妖怪側に傾いてはいけない。巫女は人間から失望され、増長した妖怪は人間を食らう」
霊夢の声色は確かに変わってはいなかった。
しかし、抑揚が無い。
先ほどまでアリスに対しての喋り方とは、まるで違っていた。
「巫女を妖怪側へ堕落させた者としてアリスは人間に目の敵にされ、恐らく処刑される。それとは関係なしに妖怪は人間を食らう。そして―――」
【―――幻想郷のバランスは、崩れる】
唇はニヤリと笑ってから言った。
【失望されたあなたが何を訴えても、もう人間は聞き届けない。そして、いくらあなたでも、幻想郷の妖怪複数が相手では勝てはしない】
霊夢は、心に蓋をした。
今日はちょっと溢れすぎた。落ちつけなくてはならない。
さっきつけられた傷はそのままに、大事に大切に心にしまう。
霊夢の涙は止まり、表情が消え、ただの巫女になった。
巫女という存在になった。
【あなたに恋愛は許されない。必要以上の親交も許されない。わかるわね?】
「……ええ」
【だから、断りなさい。次会ったときでいいから、必ず彼女を振りなさい。それがあなたの巫女としての役目】
「……わかってるわ」
【わかっていないから言ってるのよ】
「……」
霊夢は言い返せなかった。
アリスを前にしては、霊夢の【仮面】もはがされる。
心の蓋は、中からあふれ出す感情で押し流される。
愛しい。愛しい。愛しい。愛しい。
ただそれだけが、溢れ出る。
受け入れたい欲望に駆られてしまう。
彼女と笑っていたい。そう、願ってしまう。
それは叶わないから。
叶わないと知ってしまったから。
私はアリスを拒絶しなければならない。
アリスには、生きていて欲しいから。
【博麗霊夢。明日、彼女に会いに行きなさい。そして、決着をつけるのよ】
「…………」
そして、その言葉を最後に、唇は地面に消え去った。
異空間は閉じ、そこは元通りの地面になる。
足の戒めも解かれ、霊夢は一人になった。
一人になった。
霊夢は母屋へと向かった。
途中、七夕の短冊が目に入る。
アリスが書いた一枚だけの短冊。
霊夢は不本意にも、書かれていることを見てしまった。
霊夢の足は一瞬止まり、次の瞬間には走っていた。
母屋の寝室に駆け込み、すでに敷いてあった布団にもぐりこむ。
頭から布団をかぶって、顔面を枕に押し付けた。
そして、
「……っぐ、ふ……うぇ、えぇぇ、ひっ、ひっぐ……」
声を殺して、泣いた。
愛する人の望みが、自分の望みと同じで泣いた。
彼女と私が両想いだと、確認できて泣いた。
こんなにも辛い。苦しい。痛い。
吐き気がする。叶うなら全て吐き出したい。
叶うなら、彼女と二人で逃げ出したい。
どこか遠くへ逃げてしまいたい。
誰も知らぬ遠い異国で、アリスと笑って過ごしたい。
でも、駄目なんだ。
私は博麗の巫女。
私無しでは、この世界は生きられない。
そうなんでしょう?
だれかそうだと言って。
でなければ、今にでも飛び出して逃げてしまう。
「ア、リスゥ」
呻き声が届くわけもない。
この想いが叶うわけもない。
霊夢の叫びは、誰にも聞かれること無く、闇へと吸い込まれた。
~~~~~~~~~~
次の日のことだった。
霊夢は、アリスの家の前に立っていた。
もう、二時間も前から立っている。
決心がつかずに、霊夢は立っている。
昨日の今日だ、拒絶されたらどうしよう。
いつもどっちつかずな態度の癖に、アリスに拒絶されることが恐ろしい。
怖くて怖くて、膝がガクガクと震えだす。
違う。
何をやっているんだ。
今日私は何をしに来た?
アリスを拒絶しに来たんだ。
これが、アリスのためなんだ。
これが、アリスのためなんだ。
これが、アリスのためなんだ。
最近唱える魔法の言葉。
心の免罪符。
これで私は巫女になれる。
足の震えはようやく止まり、霊夢はドアをノックした。
「―――アリス、私よ。大事な話があってきたの」
返事は無い。
アリスにはよくあることだった。
研究や人形作成を行っているときは、集中しすぎて音が耳に入らないのだ。
霊夢は遠慮なしに、ドアノブを回す。
案の定、ドアにカギはかかっていなかった。
霊夢はするりと入り込む。
先ほど固めた決意は固く、足は淀みなく前へと進む。
しかしそれも、アリスに会ってからどれくらい持つかは疑問だった。
アリスは、霊夢の決意を簡単に打ち砕く。
霊夢は研究室を開いた。
居ない。ということは寝室だろうか。
霊夢は研究室の扉を閉め、隣のドアノブを握った。
簡単に開き、霊夢は寝室を除く。
なぜかアンモニアの匂いが漂ってきて、悪臭が霊夢の鼻をついた。
アリスは宙に浮いていた。
「…………」
アリスは、手足をだらんと垂らし、浮いていた。
上を見ると、首には縄が括られている。
その縄は天井の梁に固定されていて、アリスを吊っていた。
「…………え?」
霊夢はアリスに近づく。
垂れ下がった白い手に触れた時、まるでマネキンのようだった。
霊夢が以前触らせてもらったマネキン人形。
感触も、冷たさも、それに酷似していた。
何度か手を上下させ、アリスの滑らかな肌を撫でる。
どこも、冷たい。
「……アリス??」
アリスの正面に立った時、くしゃりという音が聞こえた。
下を見ると、何かを踏んでいる。
足をどけると、紙に書かれた大きな文字が霊夢の目に飛び込んできた。
『もう待てない。もういやだ。この苦しみが続くなら、さようなら』
「ア……リス?ねぇ、起きてよ」
霊夢はアリスを揺さぶった。
しかしアリスは応えない。
「ねぇ、うそでしょ?わたしね、あなたがしんぱいなのよ?」
霊夢は懇願するかのようにアリスの足を揺らす。
左右に振れる凍えた足。
「アリス、今日はだいじな話が、ね?起きて?おきて?アリスったら」
霊夢は笑っていた。
心のどこかに輝いている、何かにすがりついている。
まるで線香花火の光。
もう手遅れだと考えている頭と、認めない心。
「ほら、アリス笑ってよ!わたしもわらってるでしょ?ほら、ねぇ」
アリスの表情は、薄ぼんやりとしか見えない。
それでも、笑顔で無いことは確かだった。
「アリス、実はね、私、わたし、あなたのこと好きなんだよ?だいすきなの」
霊夢はいつの間にか泣いていた。
涙腺はとうに現実を受け止め、悲しみを体から吐き出している。
もう、あとは心だけだった。
「アリスすき、だいすき。だからわらってよ、ねぇ……わらって…………わらって」
壊れた人形のように何度も何度も笑ってと呟く。
アリスの両足に抱きつきながら、霊夢は言い続けた。
「アリス、わらって……すき…………だいすきだから、わら、って、おねが、が、あ、ああ、ぁぁああ、あー、ああぁーーー、あぁあァ、ァあぁァアア、ああぁァアあぁぁあアァァぁぁぁァァぁぁああああああああああああああああああああああああああああっああああああああああああああああああああ」
霊夢は、全て吐き出して、泣いた。
今まで押し殺した分、全てを流しきった。
霊夢は泣き続け、泣き続け、声が枯れ、涙も尽きた。
そして、もう何も出なくなった時、霊夢はその場に倒れた。
~~~~~~~~~~
「―――で、見つかった?」
日本家屋の室内で、その少女は言った。
受け答えするのは、九本の尾を持つ妖狐。
「およそ九名。これから絞ります」
「早くしてよ?神社を空にし続けるのはまずい」
「わかっております。急いで作業を進めますので、今しばらくお待ちください」
妖狐はそう言うと、深々と頭を下げた。
妖狐の主である少女の声は、あの唇から発せられた声と同じだった。
少女の妖しい、深紅の唇が動く。
「あなたの働きには期待しているわ」
クスリと笑う少女の唇。
妖狐はもう一度頭を下げると、首だけで、自身の背後を振りかえった。
そこには布団が敷かれていて、博麗霊夢が寝かされていた。
満面の笑みを浮かべつつ何かをブツブツとつぶやいているが、周囲には聞こえない程度の音量だった。
「……それで、〝先代〟の行方はどうするんですか?」
妖狐は、霊夢の方を見ながら尋ねた。
少女は感情の乗っていない声で、さも当然といった口調で返す。
「先代の功績は計り知れないわ。数々の異変を解決してきた彼女の名は、まだまだ利用価値がある」
「と言うと?」
「隠居して、巫女の育成に入ったとでも言いましょうか」
「隠居の理由は?」
「博麗の巫女の隠居の理由は、今までも統一してあるわ」
「……結婚ですか」
妖狐は、少し気の毒になった。
聞くところによると、先代は愛する者に先立たれたショックでこうなったとか。
それを隠す口実が、よりによって『結婚』とは、まったく意地の悪いものだと思った。
「よりによって結婚ですか」
その想いを少しだけ言葉に乗せ、妖狐は同じセリフを繰り返す。
少女の表情は変わらない。
きっと、何も感じて居ないのだろう。
結局、巫女は駒なのだ。
「この子は、私の再三の忠告を無視し、妖怪に心奪われた。いつかこうなることは、予想ができていたわ」
「いつかは壊れてたと?」
「むしろ、死んでいたかもしれない」
少女も霊夢を見る。
そして、くすりと微笑んだ。
「むしろ、これが最善なくらいよ。こうして〝結婚〟出来たんだし」
そう言って、霊夢の頬を撫ぜた。
妖狐は霊夢の安らかな笑顔を見てから、口に耳を近づける。
妖怪の鋭い聴覚は、霊夢の呟きを正確に聞きとった。
「―――アリス――うふふ―――わらって――アリス――――」
なるほど、ソコがあなたの居場所か。
妖狐は、『結婚』という言葉の相応しさを知り、妙に納得した。
しかし、直後に再び気の毒になった。
そこでしか、結ばれることができなかったのか。
「ほら、早くしなさい。人間はせっかちなのよ」
「……はい、すぐに」
妖狐はもう一度霊夢を見て、襖から出て行った。
残された少女は、霊夢を見る。
そして、頬を撫ぜながら言った。
「お疲れ様、博麗霊夢」
霊夢は笑顔のまま呟き続ける。
ぽそりぽそりと、同じ言葉を。
「アリス―――わらって――わたしもわらうよ――――アリス――――――だいすき――」
~~~~~~~~~~
無人の博麗神社。
母屋には、敷きっぱなしの布団があった。
干されっぱなしの巫女服が合った。
そして、飾られたままの短冊があった。
笹の葉に吊るされた短冊は一つ。
それは、風になびかれくるくる回る。
そこには一言、こう書いてあった。
『霊夢と、死ぬまでいっしょに、笑っていられますように』
終
ネタバレになってしまうので詳しくは書けませんが、このSSには鬱表現がふんだんに盛り込まれています。
そういうものが苦手な方はお戻りください。
よろしければどうぞ。
天の川は美しい。
織姫も輝き、彦星も輝き、私はここだと主張している。
しかし、届かない。
輝きは届いても、その手は相手に届かない。
私は彦星なのだろうか。
霊夢は、夜空を見ながらそう思った。
今日は、七夕。
境内のはずれに目をやる。
そこでは、アリスが短冊を笹にかけていた。
その顔は暗く、表情は伺えない。
そうだ、今日はアリスに話があるんだ。
私は今日から、彦星になる。
「かけてきたわ」
アリスは、霊夢の隣に腰かけた。
古くなっている縁側の木材が、アリスを受け止めてギシリと呻く。
置いてあった湯呑を取り、中身を飲むアリス。
横目でそれを見ながら、霊夢は「そう」とだけ答えた。
なんて書いたの?
そんなことは聞いてやらない。
そんなことを聞くのは野暮だと思っている。
私は、アリスの短冊だけは読まない。
それっきり無言。
静寂は痛く、どうしても相手が気になってしまう。
だが、見ない。見るわけにいかない。
本心でどれだけ触れ合いたがってたとしても。
「……霊夢」
ついに、アリスから切り出した。
霊夢は、チラリと左へ目を流す。
顔は見ない。
夜風になびく金の髪だけが視界に入った。
「あなた、なにか言うことはないの?」
アリスの声は重い。
私の心に傷を残すのには十分に、重く鋭い。
私はそれを受けるだけ。
「私は、あなたに呼ばれてきたのだけれど」
「そうね」
アリスの声色に熱い感情が乗り始める。
普段は絶対に見ることができないだろう、彼女の怒り。
怒っている理由なんてわかっている。
全て、悪いのは私だ。
「私は、一緒に天の川を見ようと思っただけよ」
「何が……なにが思っただけよっ!!」
アリスは荒々しく立ち上がった。
激昂を隠しもせずに吐き出す。
「何か、何か言ったらどうなの!?」
「…………」
一言一言が、私の心に傷を残す。
それが治らないように。
それが治ったりしないように。
私はそれだけを考える。
「これ以上、私に期待させないで!断るなら断ってよっ!!」
そのつもりだ。
今日はそのために呼んだんだ。
「……」
「お願い、もう一度だけ言うから、答えて……」
アリスの方を見る。
アリスは、泣いていた。
堪えようとしているのは、顔を見ればわかる。
泣かないように泣かないようにと顔を歪めているせいで、一層哀しく見えた。
「霊夢……好き。あなたが好き」
そこに居るのは、ただ女の子だった。
泣いている、女の子。
私の大好きな、女の子。
「…………」
さぁ、断りなさい。
断るのよ。早く。早く!
「…………」
アリスの顔は、段々とくしゃくしゃになっていく。
涙の量は増える一方で、眉間にしわがより、美人が台無しだった。
「また、だんまりなの?」
ちがう。
今日は、答える。ちゃんと断るから待って。
声が出ないの。それだけなの。
「答えてくれないの?」
声帯は震えない。
肺は空気を取り込まない。
脳は信号を送らない。
頭だけの決意では、拒絶の言葉は絞り出せなかった。
「……ッいい加減にして!!」
アリスのどなり声が、脳に響いた。
いつしか霊夢の顔は、少しずつ俯いてきている。
「いつまで私を生殺しにする気なの!?いつもいつもあなたから呼ぶ癖に、私に返事はくれやしない!!」
罪悪感が顔を出した。
顔はますます俯き、いつの間にか真下を向いている。
私はただ、顔が見たいだけだ。
声を聞きたいだけなんだ。
耐えろ。堪えろ。泣いたらばれてしまう。
こちらの気持ちがばれてはいけないのに。
「あなたは私に何がして欲しいの!?呼ぶだけ呼んで、私が一人右往左往してるの見て楽しい!!?」
「―――っちが……!」
思わず顔をあげて、アリスをまともに見てしまった。
哀しそうで、怒ってそうで、憎んでそうで、物欲しそうな顔だった。
その顔を見た瞬間、霊夢の息はまた止まった。
声が、でない。
「希望を持たせないでっ……もしかしてと思わせないでぇ……もういや、いやなの、もうげんかいなの」
今度はアリスが俯く番だった。
雫が地面に落ちるのを、見ることしかできない。
アリスの肩は、震えていた。
苦しい。見たくない。悲しませたくない。
抱きつきたい。私も好きと吐き出したい。
それだけなのに。
たったそれだけのことで、彼女の笑顔が見れるだろうに。
わたしは、なんで、こんなことしてるんだろう。
うなずけばいいんだ。
だきしめればいいんだ。
あいせばいいんだ。
わたしも、だきしめられたいし、あいされたいんだから。
霊夢の右足が一歩前に出る。
自分の足音が、やけに大きい。
アリスまでは、後3歩。それで手は届くだろう。
左足も動き出す。
近づける。そうだ、近づける。
私が近づくんだ。
私からアリスに近づくんだ……!
左足が地面に着く。
そしてその瞬間。何かに足を掴まれた。
驚いて足元を見たら、そこには切れた空間。
中から覗く無数の瞳。
そこから這い出た白い手。
霊夢は目を見開いた。
霊夢の動きは止まる。
アリスの顔はゆっくりと持ち上がった。
「結局……来てくれないのね……」
アリスは、泣き顔を隠すように後ろを向く。
そして、そのまま飛び上がった。
「―――さよなら」
「あっ……」
霊夢はつい声をあげ、天へと腕を伸ばした。
しかし、すでにアリスは届かない位置に居て。
霊夢は、天の川の煌めきに消えるアリスを、ただ見ていることしかできなかった。
霊夢はその場に立ち尽くす。
堪えていた感情をあふれさせながら。
霊夢の涙が落ちた場所に、一本の切れ目が入った。
その切れ目はぱっくりと割れる。
中には、やはり暗闇と無数の目。
その切れ目から、赤い唇が浮かび上がってきた。
口紅でも塗ってあるのだろう。恐ろしい深紅の唇。
口はひとりでに喋り出した。
【断らなきゃ駄目だと言ったでしょう】
「……」
霊夢は両手の拳を握りしめる。
ぎりぎりという皮膚の突っ張る音が、微かに、確かに鳴った。
【あなたたちは確かに好き合っている。でも、あなたは受けてはならない】
唇はただただ規則的に動いている。
無駄な動きは一切なく、まるで機械のようだった。
【その理由は何故?答えてみなさい】
唇の言葉に促され、霊夢は口を開く。
涙を流しているというのに、声色は変わっていない。
いつもの、博麗霊夢の声色だった。
「……博麗の巫女が妖怪側に傾いてはいけない。巫女は人間から失望され、増長した妖怪は人間を食らう」
霊夢の声色は確かに変わってはいなかった。
しかし、抑揚が無い。
先ほどまでアリスに対しての喋り方とは、まるで違っていた。
「巫女を妖怪側へ堕落させた者としてアリスは人間に目の敵にされ、恐らく処刑される。それとは関係なしに妖怪は人間を食らう。そして―――」
【―――幻想郷のバランスは、崩れる】
唇はニヤリと笑ってから言った。
【失望されたあなたが何を訴えても、もう人間は聞き届けない。そして、いくらあなたでも、幻想郷の妖怪複数が相手では勝てはしない】
霊夢は、心に蓋をした。
今日はちょっと溢れすぎた。落ちつけなくてはならない。
さっきつけられた傷はそのままに、大事に大切に心にしまう。
霊夢の涙は止まり、表情が消え、ただの巫女になった。
巫女という存在になった。
【あなたに恋愛は許されない。必要以上の親交も許されない。わかるわね?】
「……ええ」
【だから、断りなさい。次会ったときでいいから、必ず彼女を振りなさい。それがあなたの巫女としての役目】
「……わかってるわ」
【わかっていないから言ってるのよ】
「……」
霊夢は言い返せなかった。
アリスを前にしては、霊夢の【仮面】もはがされる。
心の蓋は、中からあふれ出す感情で押し流される。
愛しい。愛しい。愛しい。愛しい。
ただそれだけが、溢れ出る。
受け入れたい欲望に駆られてしまう。
彼女と笑っていたい。そう、願ってしまう。
それは叶わないから。
叶わないと知ってしまったから。
私はアリスを拒絶しなければならない。
アリスには、生きていて欲しいから。
【博麗霊夢。明日、彼女に会いに行きなさい。そして、決着をつけるのよ】
「…………」
そして、その言葉を最後に、唇は地面に消え去った。
異空間は閉じ、そこは元通りの地面になる。
足の戒めも解かれ、霊夢は一人になった。
一人になった。
霊夢は母屋へと向かった。
途中、七夕の短冊が目に入る。
アリスが書いた一枚だけの短冊。
霊夢は不本意にも、書かれていることを見てしまった。
霊夢の足は一瞬止まり、次の瞬間には走っていた。
母屋の寝室に駆け込み、すでに敷いてあった布団にもぐりこむ。
頭から布団をかぶって、顔面を枕に押し付けた。
そして、
「……っぐ、ふ……うぇ、えぇぇ、ひっ、ひっぐ……」
声を殺して、泣いた。
愛する人の望みが、自分の望みと同じで泣いた。
彼女と私が両想いだと、確認できて泣いた。
こんなにも辛い。苦しい。痛い。
吐き気がする。叶うなら全て吐き出したい。
叶うなら、彼女と二人で逃げ出したい。
どこか遠くへ逃げてしまいたい。
誰も知らぬ遠い異国で、アリスと笑って過ごしたい。
でも、駄目なんだ。
私は博麗の巫女。
私無しでは、この世界は生きられない。
そうなんでしょう?
だれかそうだと言って。
でなければ、今にでも飛び出して逃げてしまう。
「ア、リスゥ」
呻き声が届くわけもない。
この想いが叶うわけもない。
霊夢の叫びは、誰にも聞かれること無く、闇へと吸い込まれた。
~~~~~~~~~~
次の日のことだった。
霊夢は、アリスの家の前に立っていた。
もう、二時間も前から立っている。
決心がつかずに、霊夢は立っている。
昨日の今日だ、拒絶されたらどうしよう。
いつもどっちつかずな態度の癖に、アリスに拒絶されることが恐ろしい。
怖くて怖くて、膝がガクガクと震えだす。
違う。
何をやっているんだ。
今日私は何をしに来た?
アリスを拒絶しに来たんだ。
これが、アリスのためなんだ。
これが、アリスのためなんだ。
これが、アリスのためなんだ。
最近唱える魔法の言葉。
心の免罪符。
これで私は巫女になれる。
足の震えはようやく止まり、霊夢はドアをノックした。
「―――アリス、私よ。大事な話があってきたの」
返事は無い。
アリスにはよくあることだった。
研究や人形作成を行っているときは、集中しすぎて音が耳に入らないのだ。
霊夢は遠慮なしに、ドアノブを回す。
案の定、ドアにカギはかかっていなかった。
霊夢はするりと入り込む。
先ほど固めた決意は固く、足は淀みなく前へと進む。
しかしそれも、アリスに会ってからどれくらい持つかは疑問だった。
アリスは、霊夢の決意を簡単に打ち砕く。
霊夢は研究室を開いた。
居ない。ということは寝室だろうか。
霊夢は研究室の扉を閉め、隣のドアノブを握った。
簡単に開き、霊夢は寝室を除く。
なぜかアンモニアの匂いが漂ってきて、悪臭が霊夢の鼻をついた。
アリスは宙に浮いていた。
「…………」
アリスは、手足をだらんと垂らし、浮いていた。
上を見ると、首には縄が括られている。
その縄は天井の梁に固定されていて、アリスを吊っていた。
「…………え?」
霊夢はアリスに近づく。
垂れ下がった白い手に触れた時、まるでマネキンのようだった。
霊夢が以前触らせてもらったマネキン人形。
感触も、冷たさも、それに酷似していた。
何度か手を上下させ、アリスの滑らかな肌を撫でる。
どこも、冷たい。
「……アリス??」
アリスの正面に立った時、くしゃりという音が聞こえた。
下を見ると、何かを踏んでいる。
足をどけると、紙に書かれた大きな文字が霊夢の目に飛び込んできた。
『もう待てない。もういやだ。この苦しみが続くなら、さようなら』
「ア……リス?ねぇ、起きてよ」
霊夢はアリスを揺さぶった。
しかしアリスは応えない。
「ねぇ、うそでしょ?わたしね、あなたがしんぱいなのよ?」
霊夢は懇願するかのようにアリスの足を揺らす。
左右に振れる凍えた足。
「アリス、今日はだいじな話が、ね?起きて?おきて?アリスったら」
霊夢は笑っていた。
心のどこかに輝いている、何かにすがりついている。
まるで線香花火の光。
もう手遅れだと考えている頭と、認めない心。
「ほら、アリス笑ってよ!わたしもわらってるでしょ?ほら、ねぇ」
アリスの表情は、薄ぼんやりとしか見えない。
それでも、笑顔で無いことは確かだった。
「アリス、実はね、私、わたし、あなたのこと好きなんだよ?だいすきなの」
霊夢はいつの間にか泣いていた。
涙腺はとうに現実を受け止め、悲しみを体から吐き出している。
もう、あとは心だけだった。
「アリスすき、だいすき。だからわらってよ、ねぇ……わらって…………わらって」
壊れた人形のように何度も何度も笑ってと呟く。
アリスの両足に抱きつきながら、霊夢は言い続けた。
「アリス、わらって……すき…………だいすきだから、わら、って、おねが、が、あ、ああ、ぁぁああ、あー、ああぁーーー、あぁあァ、ァあぁァアア、ああぁァアあぁぁあアァァぁぁぁァァぁぁああああああああああああああああああああああああああああっああああああああああああああああああああ」
霊夢は、全て吐き出して、泣いた。
今まで押し殺した分、全てを流しきった。
霊夢は泣き続け、泣き続け、声が枯れ、涙も尽きた。
そして、もう何も出なくなった時、霊夢はその場に倒れた。
~~~~~~~~~~
「―――で、見つかった?」
日本家屋の室内で、その少女は言った。
受け答えするのは、九本の尾を持つ妖狐。
「およそ九名。これから絞ります」
「早くしてよ?神社を空にし続けるのはまずい」
「わかっております。急いで作業を進めますので、今しばらくお待ちください」
妖狐はそう言うと、深々と頭を下げた。
妖狐の主である少女の声は、あの唇から発せられた声と同じだった。
少女の妖しい、深紅の唇が動く。
「あなたの働きには期待しているわ」
クスリと笑う少女の唇。
妖狐はもう一度頭を下げると、首だけで、自身の背後を振りかえった。
そこには布団が敷かれていて、博麗霊夢が寝かされていた。
満面の笑みを浮かべつつ何かをブツブツとつぶやいているが、周囲には聞こえない程度の音量だった。
「……それで、〝先代〟の行方はどうするんですか?」
妖狐は、霊夢の方を見ながら尋ねた。
少女は感情の乗っていない声で、さも当然といった口調で返す。
「先代の功績は計り知れないわ。数々の異変を解決してきた彼女の名は、まだまだ利用価値がある」
「と言うと?」
「隠居して、巫女の育成に入ったとでも言いましょうか」
「隠居の理由は?」
「博麗の巫女の隠居の理由は、今までも統一してあるわ」
「……結婚ですか」
妖狐は、少し気の毒になった。
聞くところによると、先代は愛する者に先立たれたショックでこうなったとか。
それを隠す口実が、よりによって『結婚』とは、まったく意地の悪いものだと思った。
「よりによって結婚ですか」
その想いを少しだけ言葉に乗せ、妖狐は同じセリフを繰り返す。
少女の表情は変わらない。
きっと、何も感じて居ないのだろう。
結局、巫女は駒なのだ。
「この子は、私の再三の忠告を無視し、妖怪に心奪われた。いつかこうなることは、予想ができていたわ」
「いつかは壊れてたと?」
「むしろ、死んでいたかもしれない」
少女も霊夢を見る。
そして、くすりと微笑んだ。
「むしろ、これが最善なくらいよ。こうして〝結婚〟出来たんだし」
そう言って、霊夢の頬を撫ぜた。
妖狐は霊夢の安らかな笑顔を見てから、口に耳を近づける。
妖怪の鋭い聴覚は、霊夢の呟きを正確に聞きとった。
「―――アリス――うふふ―――わらって――アリス――――」
なるほど、ソコがあなたの居場所か。
妖狐は、『結婚』という言葉の相応しさを知り、妙に納得した。
しかし、直後に再び気の毒になった。
そこでしか、結ばれることができなかったのか。
「ほら、早くしなさい。人間はせっかちなのよ」
「……はい、すぐに」
妖狐はもう一度霊夢を見て、襖から出て行った。
残された少女は、霊夢を見る。
そして、頬を撫ぜながら言った。
「お疲れ様、博麗霊夢」
霊夢は笑顔のまま呟き続ける。
ぽそりぽそりと、同じ言葉を。
「アリス―――わらって――わたしもわらうよ――――アリス――――――だいすき――」
~~~~~~~~~~
無人の博麗神社。
母屋には、敷きっぱなしの布団があった。
干されっぱなしの巫女服が合った。
そして、飾られたままの短冊があった。
笹の葉に吊るされた短冊は一つ。
それは、風になびかれくるくる回る。
そこには一言、こう書いてあった。
『霊夢と、死ぬまでいっしょに、笑っていられますように』
終
大事な、大好きな人のために、胸を締め付けられ、心痛む霊夢。
こんなにも好きなのに届かない、大好きという気持ち。
決して交わることのない感情だと錯覚してしまったアリス。
夢の中だけでも二人は幸せであってほしいです。
個人的には別ルートでハッピーエンド作品もほしいところですね
さあ、あばずれいむノリ全開でハッピーエンドを書く作業に移るんだ! でないと私のsan値ががg
笑ってアリスと繰り返すあたり夢でもアリスは笑ってくれないんだろーなー
とか想像する私は間違いなく最低です。本当にありがとうございました。
コメントを打ち込む指が妙に重いんですよ。
「紫様大好きな俺の心にトラウマを刻み込むつもりかっ!」
とか言いたいんですよ? 本当はね。
でもなぁ、物語に惹き込まれたのも本当だからなぁ……
畜生、悔しいぜ。
これが最善だったと思いたい
一刻も早くハッピーエンドなお話を書いてくれる事を祈ります…
でもご都合主義だろうが何だろうがハッピーエンドが一番だと思います
しかしこの二人はこんな雰囲気でも納得してしまう……
結局はレイアリは良いものだ!これに限りますねww
色々と視野の広がる良い作品でした。ありがとうございます。
次回作では救いを期待してます
好きな人に振り向いてもらえなくて自殺、それも首吊りという実に人間らしいアリスが
印象に残りました。
現実はどうにせよ、最終的には「悲しんでる娘」は誰もいなくなったのでこれはこれでハッピーだとも思いました。