Coolier - 新生・東方創想話

あの星に願ったなら

2010/06/20 12:28:29
最終更新
サイズ
54.67KB
ページ数
1
閲覧数
1152
評価数
1/16
POINT
800
Rate
9.71

分類タグ


この作品は、作品集107『囲われた虹』の続きとなっています。

( URL http://coolier.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1270360619&log=107 )

読んでおくと伝わりやすいものがあるんじゃないかなーと思いますが、よくあるような話なのであんまり問題はないかもしれません。

前作の内容を要約すると
フランちゃんが寂しがってるよ ウ フ  フ

こんな感じです。
では、本編を一ミリでもお楽しみいただければ幸いです。

















とっくに沈んでしまった日。
昼間に差し込んでいた白く暖かい光はもう無かった。
夜の闇と孤独に支配された家の中に一人、忘れ去られたように私は縮こまっていた。
外は真っ暗で何も見えないが、強い風のおかげでずっとガタガタと窓は揺れている。
何も見えない事はランプをつければ解決する。
だが、この暗い中のランプなどせいぜい数メートルしか照らせない。
それに、いつ止むのかも知れない外からの音はどうしようもなく、たまらなく怖かった。

早く、早く寝てしまおう。そうすれば風のことなど私には関係が無くなる。
そう布団に引きこもって考えれば考えるほどに忌々しくも目は冴えていってしまう。
息をするのが苦しくなるほどに、私は怯えていた。


がち。がち、がちがちがちがち。


続々と暴虐的なまでに押し寄せてくる恐怖に、自分でも判らないうちから歯は鳴っていた。
その恐怖は、寒さからか。暗さからか。
…それとも、孤独からか。

かすかに頭を下に下げる。
何を見ているわけでも無いが、恐怖から目をそらしたかった。
恐怖を受け止めきるには、私の身体も精神もまだまだ未熟すぎた。
だが、白痴めいた頭を抱える姿勢でもまだ、私はただ恐怖を感受するしかなかった。
自分ごと世界を塗りつぶすような漆黒は、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。


「うぅ…っぅ…っひっく……っぁ…ぁあぅ…」


いつしか目からは涙が溢れて、まるで意味も無い言葉を口が呟く。
頭の足りていない子供のようだと思って、それでも口にせずにはいられなかった。
恐怖を真正面から受けていたら、どこか壊れてしまいそうだった。
何とかして気を紛らわすことで、他に助けを求めることで、手段は何でも良かったが、この恐怖から救い出して欲しかった。
孤独は、寒さよりも、暗闇よりも、ずっと恐ろしかった。
体の震えは止まらない。
まるで、人形めいて揺すられるままに。






ガチャン!




ガラスがけたけましい音を立てて割れた。
何かがぶつかったのだろうか。
折れてしまった木か。それとも飛んできた石なのか。…それとも、もっと恐ろしいものが腕を振り上げて入ってきたのか。
見ることなど、恐ろしくて考えられない。
ともかく、窓から一刻も早く遠ざかりたくて、私は腕と脚4本で獣が跳ねるように飛びのいた。










◇ ◇ ◇














ドスン。







「痛っ…」




――――あぁ。
夢を見て寝ぼけてにベッドから転げ落ちて目を覚ますとは、なんとも間抜けた話だ。
しかも聞く話ならまだしも、今起こってる実話だし。
薄ぼんやりとした視界の端には、さっきまで私が寝ていたベッドと、隣にある机、それと天井がある。
知れず、溜息をこぼし、苦笑する。
実家を出てから随分とたったが、まだ脳は鮮明に覚えているものだと。
あの頃は、まだ寒い日だったっけ。
季節が移り変わるごとに思うが、寒いときは暑くなってほしい。逆も言うまでもない。私だけと言わず、人は皆無い物ねだりだ。
まぁ、普通の人が出来ないことを求める私が言っては世話がないのだけれど。

実家を家出する形で飛び出してこの森に引っ越したが、当初は怖いなんてもんじゃなかった。
風が吹くたびに何かを囁くように木の葉が揺れた。
雨が降るたびに何かがいるような物音を屋根が奏でた。
雲が出るたびに空気は湿り、首筋を何かが撫でるような霧を生み出した。
夜が来るたびに、一人で震えるしかなかった。



「私も、案外女々しいんだなぁ。まだ夢に見るなんて」


知り合いの巫女なんかにはもう少し大人しくしろなんてよく言われるものだ。
その度に性に合わんと跳ね除けているのだが、自分でも気づかない無意識下はどうもそうではなかったらしい。

今じゃこの森は私の庭のようなものだ。
どこにどんな草やキノコが生えているかも知っているし、どんな妖怪がどの辺にいるかも大体は判る。
私がそれなりに強い事もあって、襲い掛かってくるものなど稀だ。
別に王様を気取るつもりなんてないけれど、位置づけとしては結構上のほうではないのかと思う。
…おぉ、ソコは王女ではないのか?私よ。
前言撤回だ。女らしさは足りていないらしい。




外から数羽の鳥の鳴き声が聞こえる。
予想外の起こされ方をしたが、早起きは三文の得とも言う。
一時間ほど普段より早く起きてしまったが、動き始めるのもいいかもしれない。


「うーーーんっ」


ぐぐーっと寝転んだまま目をつぶって背伸びをした。
寝ていた間に多少固まった筋肉が伸びて気持ち良い。
さて、さっさと朝食でも作って食べて、パチュリーの図書館でも行ってくるかと考えながら目を開く。


―――と。目を開けて最初に見えたものは嫌な予感しかしなかった。


目に映ったのは、机から落ちようとしてくる鉄製の実験器具。
あんな端っこに置いておくんじゃなかったと後悔する。
おわっ、と声を漏らすが、止まるわけはない。
ぐらりと揺らいだ後、私の顔に影を落とすように落下してきた。
性能はよく知っている。
毎日ほど触れている愛用の実験器具だ。
その重量と質感は、どう考えても痛くないわけがなかった。

コースで当たり所を、速度で衝撃を目測で想像する。
…うん。完璧だ。すごく痛そう。


あぁ、何かと痛いことが続く朝だ。
数瞬の後に訪れる痛みに諦めて、瞼を閉じた。
がぃん、と金属が衝撃を受けて反響する音と痛みに、意識は一瞬遠のいて、その後に覚醒する。



さて、ここからが私。
多少のトラブルはあったものの、霧雨魔理沙の一日の始まりである。




消毒して、おでこにガーゼでも貼っておくか。そう思いながら、身体を起こした。




◇ ◇ ◇





「まぁ、こんなもんでいいか」

食卓に白米を盛った茶碗と、目玉焼きとベーコンを乗せた皿。
ついでに昨日作った残りのスープを入れたマグカップを並べてから、私はさも満足げに席についた。
朝は軽めに、と言うが私はそうは思わない。
朝ほど気だるいものも無いというのに、活力をつけるのを放棄してどうしようというのだ?
活力も無く、味気ない冷たさを持った一日など私はまっぴらゴメンだ。

「いただきます」

手を合わせて、私は箸を持った。


もぐもぐと口を動かしながら、今日は何の本を借りてくるかと考える。
パチュリーは図書館で読めと言うが、そんなものは不可能だ。
魔法にはそれこそ数えられないぐらいの種類がある。
火をおこすもの、水を呼ぶもの、光を生むものとかだ。
種類によっても分けられるし、その魔法の強さによっても別の魔法として扱われる。
霖之助に見せてもらった外の世界の書物にもこんな説明があった。
メラとメラゾーマなんかがこの強さによって違う魔法に当たるらしい。
込める魔力が違えば当然魔法の強さや効果範囲も違う。
強い魔力を持った者がが使えばメラをメラゾーマと勘違いするなんて事も有りうるのだとか。
もっとも、コレは外の世界のげーむとかマンガとやらの魔法で、実際に使える人はもう多く残ってはいないらしいが。

まぁ、アイツの知識など当てにはならない。
私が修理してもらおうか持っていった物の用途を《対象を動かない平面に固定する》なんて言って、ついでにこんな危ないものを持つんじゃないなんて言ってきたのだ。
呆然とする私をよそにいそいそと店の奥に仕舞い込もうとしたのを見て、ようやく我に返り取り返したので特に被害は無かったが。


ただのカメラだというのに、全く大げさな話だ。よくコレを持って山の天狗が飛んでいるじゃないか。
変わった能力も中々困りものだ。


皿の上の残りを掻き込み、ごちそうさまでした。と合掌。
がちゃがちゃと音を鳴らして食器を片付ける。
食事を取ったらもう家の中には用は無いので玄関近くまで足を進めた。
玄関には飛ぶための相棒が立てかけてある。
私と変わらないぐらいの背丈を持ったそいつに跨って、いつだろうとどこへでも私は飛んで行くのだ。
なんたって、魔法使いだからな。
戸口の棚の上の帽子と相棒を持って、ドアの外へ出る。
霧雨魔法店、本日休業だ。
…そういや昨日も一昨日もだったな。
まぁ、生計を立てるには苦労はしてない。店を多少さぼっても食ってくぐらいはできるさ。
そう思い直して目線を空へ向ける。
中々快晴だ。雲は少量しか見当たらない。
上り始めた日は、軽い熱を感じる程度には私を照らしていた。



「さぁて、行くとするか」

相棒に跨り、地面を強く蹴る。
重力が私を縛るのをやめ、さながら羽の生えた生き物のようにふわりと体が中空へ浮く。
周りの木々よりもずっと高くまで上昇する。
そのまま、怖いくらいの速度まで加速し、風を切る音を聞きながら更に加速。
さながら流星のように、紅魔館へ空を突っ切って行った。


空を飛んでいる間、ごうごうと、夢の中の風に似た音が耳に残っていた。






◇ ◇ ◇






外は、日が上ってしばらくといった所だろうか。
495年前からあまり変わらない身体を起こして、一つあくびをした。
少し涙が出てきて、視界がぼやけた。
涙を手でぬぐって視界を鮮明にする。
映ったものは、やはりずっと変わらないこの部屋だった。
当然だ。昨日はこの部屋で寝たのだから。
一昨日もその前もずっとずっとこの部屋にしかいないのだから。
目覚める度に変わらない日々には、何もない。

かりかりと頭を掻いて、寝癖が付いていることに気づく。
いつもと変わらないような場所に変わらないような寝癖がついていた。

手を伸ばして手鏡と櫛を取った。
両方とも慣れ親しんだ重さと形状だ。
いつもと変わらない場所から私は二つを手にした。

鏡に映ったのは、何時もと同じ。
吸血鬼らしく大きな犬歯が口の端から覗く私の顔だ。
姉によく似た真紅色の目。
肩口まである髪を、横にくくっている髪型。
歪な羽根も昔からあまり変わっていない。
昔から、自分の姿形があまり好きになれない。
少しぐらい成長してくれてもいいのに、何も変われない自分が嫌いだ。

 

 私にも取り巻く周りにも、変化なんて無い。




―――いや、そういえば。
私にもふたつだけ、変わったできごとならあった。



ひとつは、あんまり思い出したくないこと。
咲夜とケンカしてしまった。
ケンカと呼べるのかどうかはよく分からないけれど、ともかく私は咲夜を叩いてしまった。
ケンカ、なのかなぁ。私が癇癪を起こして横着しただけかもしれない。
あれから、咲夜はここに来てくれない。
他のメイドがここに食事とかを運びに来てくれている。
咲夜のことを聞くと、「メイド長が、申し訳ありませんでしたと伝えてくれと仰っていましたよ」と言われた。
なんで咲夜が謝るんだろう。
悪いのは全部私なのに。
あんなに悲しい顔をさせてしまったのは私のせいなのに。
謝りたいのはこっちのほうなのに。
多分怒っているんだろうな。
そうじゃなきゃ来てくれないなんてこと、ないだろうし。


もうひとつは、とても楽しかったこと。
一週間ほど前、変わった体験があった。
この部屋の扉が開いて、私は外に出ることが出来たのだ。


外側はこの部屋と違っていろんなものが沢山あった。
本でしか見たことが無い木や、聞いたことしか無かった館の近くの湖。
館のてっぺんには大きな時計があった。館は大きな庭とか、門とかがあった。
遠目には山だって見えたし、山の上には空が見えた。

そして、人間が私の前に現れた。
人間は、白黒の格好をしていて、なんだか絵本の中に出てくる魔法使いみたいだった。
私があなたはだれかと聞くと、

「私か?博麗霊夢。巫女だぜ」

なんて、フフンと鼻を鳴らして自信混じりで言ってきた。
なんだか冴えない冗談に対して、私は苦笑交じりに自分の名前『フランドール』を教えて、巫女は無理があるわ。なんて言った。
人間はけたけた笑って、

「悪い悪い、霧雨魔理沙。魔法使いだ」

なんて返してきた。
初めて見る外の人間は嘘つきで、なんだかとても面白い人に見えた。


それからは、よく覚えていない。
一緒に遊んでと私が言ったら、魔理沙さんは弾幕ごっこをしてくれた。
星型の弾幕がどんどん出てきて私に迫った。
必死に避けながら私も弾幕を放った。
レーヴァティンや、分身なんかも色々使った気がする。
けれど、魔理沙さんは全部ヒョイヒョイとかわしてしまって、予想もできないような速さで動いては弾幕をばらまいた。
私はどんどん追い込まれていって、スペルを発動させてもあんまり状況は変わらなかった。
止めと言わんばかりに、特大の魔力で放たれた魔砲は、私は完膚なきまでに敗北させた。



あぁ、外は楽しかったなぁ。
自由に外に出られるようになりたいなぁ。

…わかってる。そんなの無理。
夢は、叶わないから夢なんだ。
絵本とは違う。魔法使いさんは私を助けてなんてくれない。

どうせ、わたしにとってはあのひとときなんて夢なんだ。
遠い遠い、憧れるのも笑われるような距離にある夢。
暗い地下室の中で見えた夢、誰かが気まぐれに見せた私には不釣合なほど煌いた夢だ。
間違っても、私に手に入る物なんかじゃない。
壊れているらしい私には、絶対に届かない。

そう思うしかない。それがたまらなくもどかしくて、私はシーツを頭から被った。
ねぇ、魔法使いさん。ねぇ、魔理沙さん。
私をここから連れ出して。




どうしても、いいよと言ってくれることが想像できないのが悲しい。
くやしくて、くやしくて、シーツをぎゅっと握りしめて、私はふて寝を決め込んだ。


「謝るのはこっちなのに…咲夜」

だから、ここに来て。とは言えなかった。
だって、魔理沙さんだって、咲夜だって。
あの人達に届くなんて、そんなのは私にとっての叶うはずが無い夢物語だから。









◇ ◇ ◇






「邪魔するぜー!」

勢い良く扉を開け放ち、私は図書館に入った。
ここを見つけたのは少し前のことだが、中々の蔵書量だ。
魔法の研究と言っても自分ひとりでは限界がある。
普通はそれを解決するために師や文献の力を借りて、先代が積み重ねてきた知識を継承する。
そうして継承した知識を身につけた上で、力ある魔法使いが先代の続きを後世に残してゆく。
そうした積み重ねこそが魔法なのだ。
そんなわけで、ここの本を頼りにしてここまで来たというわけだ。

そんな私にじとーっとした目線を送るのは図書館の主。パチュリー・ノーレッジだ。

「あら、また来たのね。もう少し静かに扉を開けてもらえると嬉しいのだけれど」
「悪い悪い、それはそうとまた本を見せてくれ」
「別に構わないわ。好きなの勝手に見ていって……」

と、そこでパチュリーが私の顔を見て口ごもる。
何だ?と疑問が湧き出たが、私の顔に貼ってあるガーゼの事だろうなとすぐに分かった。
半ば本気で心配しているのか、目を細めて私のおでこに注目している。

「あぁ、これか?なんでもないぜ。」
「何でもないって、何したらそんな所にケガなんて」
「ちょっとな。床に寝転んでたところに実験器具が落ちてきたんだ」

なし崩すように笑いながら私が言った。
パチュリーは一瞬固まり、呆れた目線をこちらに向けてきた。


「…何してるのよ、本当に」
「自分でも馬鹿だなって思うぜ」
「はぁ…笑いながら言っても説得力無いわよ。まったく…」

パチュリーはきびすを返し、小悪魔を呼びつけた。
多少小悪魔は治癒魔法が使えるらしく、パチュリーの喘息が起こった時なんかも小悪魔が対処しているらしい。
他にも身の回りのことを総括して小悪魔が受け持っているため、小悪魔が居なくなったらどうやって生活するのか疑問に思えるレベルだ。
……主従関係逆転してないか?
パチュリーがいなくなっても小悪魔は何とかするだろうが、逆は無理なように思える。


「はいはい、なんですかパチュリー様」
「魔理沙の怪我を診てやって頂戴。出来れば治癒も」
「かしこまりましたよー」
ぱたぱたと駆けつけてきた小悪魔に、パチュリーが命令した。
私よりも背が高い小悪魔は、とことこと私に近寄った後膝を少し曲げて私の怪我を覗き込むようにして見た。
ふむふむ、とかひとりでなにか納得した様子で呟くと、私に目線を合わせて話しかける。


「これぐらいなら大丈夫ですねー。けど魔理沙さん。結構痛かったでしょうコレ」
「あぁ。寝ぼけてたのに目が覚めるくらいには痛かったぜ」
「あははー。それは痛かったですね、今治しちゃいますからちょっと動かないでくださいねー」

言い終わると、小悪魔は目を閉じる。
片手を私の方へと向けて呪文の詠唱を始めた。

質量と形を持たない魔力が小悪魔の周りに現出する。
蛍の燐光に似たその光は、しかし蛍のソレよりもずっと力強く存在を表すように輝いていた。
ぽつぽつと、聞こえないほどの呪文が小悪魔の口から漏れる。
呪文は魔力に命令を与え、魔力は命令に従って私を包み込んだ。
光が私を包んでいたのは数秒ほど。
しかしその数秒で、私が額に感じていた張り付くような違和感は無かったように消え去っていた。

「すまないな、えーと…」
「小悪魔で結構ですよ。名前は契約主にしか教えられませんので」
「そうか。ありがとな、小悪魔」
「ええ、何かあったらまたいつでも呼んでくださいね」

ケガはしない方がいいですけどね。
そんな事を言い残して、小悪魔は仕事に戻っていった。
少し頼りなさげに、ふらふらと空中を飛んで帰っていく小悪魔。
その後ろ姿を見ていたが、頭に生えている羽は全く動いていない。
――背中の羽はせわしなく動いているのに。おかしくないか。ソレ。


……あの羽根の意味はなんだろうか。
赤い髪に隠れるでもなく、十分に目を引いて目立っているものがなんの意味も無いということはあるまい。

もしかして、魔力をあそこから発生させていたり?
いや、実は飾り物でしたーとか?
いやいや、実は羽じゃありませんでしたーとか?

そんな事を2秒ほど考えて、止めた。
なんの意味もなく暑い中だろうが、寒い中だろうが、腋を出しっ放しにしとく知り合いの事を思い出したからだ。
知り合い曰く、アイデンティティーらしいから。
きっと、彼女の頭のアレもそうなのだろう。








 












◇  ◇  ◇





―――かつ、かつ、かつ、かつ。
廊下には自分の足音だけが響いている。
妖精メイドたちは他の場所に見回りやら掃除やらに行かせているのでこの辺りにはいない。
結果、この辺の見回りやら掃除やらは私一人でこなす必要がある。
まぁ、妖精メイドたちがいて助かる事も多いが基本的には妖精だ。
私のペースに付いてこれなかったりすることも多いから、妖精は妖精と仕事をさせていた方が効率が良い。
問題は、妖精同士で放ったらかしにしとくと遊び始めたり、いつの間にか知らない妖精が二人ぐらい混じってたりすることだが。


――――かつ、かつ、かつ、かつ。
うん、あらかたこの辺りの掃除はやり終えた。
この辺に残っている塵、ゴミ、ホコリなし。
パーフェクト。我ながら瀟洒ですわ。



馬鹿っぽいなぁ、自分。
と思いながら、メイド長の十六夜咲夜はモップを横に立てかけた。



頭の中で、残りの仕事を思い出す。
たしかあの部屋のカーテンが汚れていたっけ。
その隣の部屋のベッドのシーツが破れていたとかいう話も聞いていた。
その向かいの部屋の絨毯にシミがついていたんだっけ?
―――あぁ、仕事は結構山積みですわ。


けど、そろそろそういう事をやっていられる時間ではないか。
懐中時計を見てみる。
時刻は10時半。
もう少ししたら昼食を作り始めなければならない。
お嬢様は最近活動時間をシフトしている。
なんでも、面白い人間たちがいるから、そっちに活動時間をちょっとだけ合わせるんだそうだ。
私も一応人間なのだけどな。
お嬢様にはそうカウントされてないみたいだ。
昔からいじわるなお方だからなぁ。



全く、姉妹でああも違うものだろうか。
妹様は本当に良い子なのになぁ。
まぁ、なかなか情緒不安定な処もあるから一概にはそうとも言いきれないか。
ふと廊下の窓ガラスにうっすらと映った自分の顔を眺める。
流石にもう残っていないか。
先日叩かれたときはちょっとした痣になってしまっていたのだが。


あの時、美鈴が心配してくれて。
気功で私の痣を直してくれて。
その後お嬢様が何があったのか話せって言ってきたんだった。
そこまでの経緯を説明すると、お嬢様は意味ありげに笑ってみせた。
その笑みが何を意味していたのかは判らない。
私が十六夜咲夜になってからずっとこの御方に仕えてはいるが、意味不明な気まぐれが多いってことぐらいしか判らない。
運命を操れるとかなんとか、能力の規格も私なんかとは比べ物にならないし。
ともかく、お嬢様は笑った後、私に命令した。
『少しの間、フランの部屋には近づかないように』と。
本当に、よく判らない。
普段はものすごく妹様の事を気にかけていると思うのだが。



食事にケチを付けることも結構多いし。
やれ、あの子は朝に起きる癖に朝に弱かったから食事は軽めにしておけだの。
人間の血液はB型を使えだの。
注文されるのが嫌なわけではない。
それほど気にかけているのなら、もう少し扱いを考えても良いのではないだろうかと言うことだ。
何も幽閉までしなくても、とは思う。
十六夜咲夜になる前と、十六夜咲夜になった後を合わせて見てきた生き物の中で、まどろっこしい言い方をやめるならば出会った中で一番良く分からない御方だ。
あれだけ気にかけていれば、寂しがり屋な妹様の性格ぐらい判っていそうなものだが。


しかし、意図は違うかもしれないけれど、私もしばらく会いに行くべきではないと思っていた。
深く事情に立ち入って、妹様を怒らせてしまったのは確かだろうし。
のこのこともう一度行ってしまってはダメだと、なにかきっかけがあるまでは近づくべきでないと、そう感じた。











本当に、不憫な子だと思う。
あの部屋でずっと一人ぼっちにされてしまって、寂しくないわけがないのだ。
私だって、あの子ぐらいの時は。
…いや、あの子ぐらいの『外見』の時は、結構泣き虫だった覚えがある。
今まで接していた限り、あの子はまだ外見相応の精神年齢のようだし。
まだまだ幼いあの子は寂しいと感じるだろうと思う。
押し付けがましいようだし、私がどうにかする問題ではないかもしれない。



――――それでも、何とかしてあげないと。
今は会うことはできない。
今は抱きしめてあげる事もできない。
それでも、それでもあんなのは。
あんなのは悲しすぎるではないか。


何とかしてあげることはできないだろうか。
私があの子にしてあげられること、ないだろうか。












『…咲夜ー。咲夜ー』


あぁ、お嬢様のお呼びがかかった。
また何かとんでもない事でも命令されるのだろうか。


懐中時計を取り出し、能力を使う。
窓の外、風になびいていた木々の木の葉が動きを止める。
そのもう少し遠くに見えていた妖精メイド達が凍りついたように動作を停止する。
立てかけてあった時計すら針を止め、世界からは色が失せて灰色になった。
身の回りのすべてのものは効力を失い、死んだようになる。
動くのは私だけになり、私はお嬢様のもとへ歩き始めた。



未来のことは分からない。
分からないけれど、それでも、それでも赦されるのなら。
あの子に、なにか救いがあれば良いと思う。
乾いた笑いでなく、あの子が心から笑えるようになって欲しいと、かつかつと歩みを進めつつ願っていた。


















  ◇  ◇  ◇


「小悪魔って紅茶淹れるのも上手いんだな」
「あははー、恐縮です。魔理沙さん」
「なぁ、パチュリーを切り捨てて私と契約しないか?」
「…何言い出すのかしらこの白黒は」

本を探すのは一段落ついたので、私は休憩がてらパチュリーと雑談をしていた。

「私も何かと契約するかな、便利そうだ」
「貴女に契約なんかされたら、相手は過労死するわね」
「それお前が言うのか?なぁ、小悪魔。毎日こき使われてるのにな」
「そうでもないですよ魔理沙さん。ちゃんと休みも貰っていますし魔力の供給も定期的にして頂いているので十分です。」
「なんだ、案外ちゃんとしてるんだな」
「…私をなんだと思ってるのよ。血も涙もないみたいに言わないでくれるかしら」

あからさまにむすっとしてパチュリーが私に目線を向ける。
普段から気だるそうな目が細くなり、物凄く目付きが悪くなっている。
どろりと、粘りつくような視線が痛い。



「悪かった。悪かったよパチュリー」

たまらず、謝罪した。
誰だって怒ると怖いからなぁとか考える。
前に霊夢の料理をつまみ食いしたときは酷かった。
普段なら弾幕ごっこするところを構わず掴みかかって来たからな。
二人とも身体は大きいとわけではないけど、私は霊夢よりは身体が小さいのでそういう勝負になると絶対に負ける。
あの時は額に痣どころで済まなかった。
私の抵抗など綿を払うようにかき消してきやがった。
恐ろしい。何もらってももうつまみ食いはしたくないと思った。

そんな事を考えてる私をよそにパチュリーは、

「別にいいわよ、気にしてない」
なんて言ってきて、目線を私から外した。
嘘つけ。雰囲気がそう言ってるぞ。
私も嘘つきで通ってるから人の事は言えないが。



「では私はあちらで本の整理をしていますので。ごゆっくり」
「あぁ、紅茶ありがとうな。小悪魔」
小悪魔は私ににこりと笑みを見せると

「そういや、レミリアは今起きてるのか?」
「起きてるんじゃないかしら。貴女達二人がお気に入りみたいでね。面白い人間がいるから早く起きるようにするとか言ってたわ」
「へぇ。悪い気はしないな」
「あんまり関わってもロクな事ないわよ。結構長い間友人やってるけど意味がわからない行動の方が多いわ…」

―――あぁ。ソレはよくわかる。
自分勝手な都合云々とかそういう事を全部吹き飛ばして、博麗の巫女を動かすような騒ぎを起こす輩などあんまりいたもんじゃない。
けど、私がどんな奴がいるのかと嬉々と駆けつけたときは驚いたな。
伝説に出てくるような魔獣とか、そういう異形のものを想像していたんだが、待っていたのは普通の子供にしか見えない吸血鬼だったから。
まぁ、見た目通りではない強さを持ってはいたが。
スペルカードルールが無ければ私は嬲り殺されてでもいただろうか。
霊夢はそういうのなしでもなんとかしそうだな。うん。

「ひどい言い草だな、友人じゃないのか?」

多少笑いながら私がそう言う。

「まぁ、親しき仲にも礼儀ありとは言うけどね。良いのよ、別に。ちょっとおかしな友人には、ちょっとおかしな態度を取るぐらいでちょうど良いのよ」
「違いないな。私も考えてみればそんな感じだった」




―――おかしな奴、か。
あぁ、そういえばちょっと前に乗り込んだときにそんな奴の妹がいたじゃないか。
私と霊夢が事変を解決してちょっと後。
私が図書館に来るつもりで紅魔館に来たとき、見慣れない子が空に浮かんでいた。


「そういや、フランはどうしてるんだ?前に一回見たきり一度も見ていないけど」
「…妹様ね。妹様もこの館の中にいるわよ。多分起きてるんじゃないかしら」
「そうか。どこにいるんだ?」
「地下室にいるはずよ。」
「……地下室だぁ?」

地下室なんて、なんだってそんな所に。
いや、それよりもこの館地下室なんてあったのか。
始めて乗り込んだときに探検がてら一通り館は見て回ったと思ったが知らなかった。隠してあるのだろうか。
吸血鬼だから日光が嫌いで地下室に篭っているのか?
いや、それはないはずだ。現にレミリアは普通に生活している。日光が苦手と言っても、そこまでではないだろう。
…分からん。聞いてみよう。

「なんでそんなとこに。そんな必要ないだろう?」
「……そうか。貴女、そういえば知らなかったのね」
「いや、何がさ」
「必要はあるわ。いえ、無いのかもしれない。私には決めかねるわ。けれど、レミリアにとっては十分にフランが地下室にいる必要があるみたい」
「……?」

ますます判らない。
地下室にいる必要がある?どういう事だ。
いや、違う。その後が一番おかしい。
レミリアにとって必要がある?意味がわからない。
自分にとって日光が苦手だからとか。
コレはないだろうけど地下が好きだからとか。そういう理由じゃないのか?

困惑する私をよそに、パチュリーは言葉を続けた。


「妹様はね、ちょっとおかしいって事になってるの」
「…はぁ?」

いや、おかしいって、そりゃあ。


「レミリアだってまともじゃないだろう。騒ぎを起こすし、それでもアイツに本気で迷惑してるとかそういう訳じゃない―――」
「違う。そういう意味じゃないわ。魔理沙」

私の言葉を遮り、パチュリーが否定した。
その目線は間違いなく私を捉えていて、いつもの気だるそうな気配など微塵もない。
知りあって少ししかたっていないが、これは今まで見たことない顔で、真剣で、深刻な話なのだと言うことがわかった。
真剣な話には真剣な態度で答えねばなるまい。
私はパチュリーに向き直り、目を見ながら話を聞くことにした。


「妹様がおかしいっていうのはね、そういった意味じゃない。気が狂っているとまでは行かないけれど、情緒不安定なの。いつ癇癪を起こすのか判らない。だからレミリアはあの子を地下室に入れているの。端的に言うならば幽閉ね」
「情緒不安定で癇癪持ち…?いや、だからってそんな」


そんな事をするまでのものだろうか。
ちゃんと会話も成立していたし、深刻な腫れ物に触るような接し方をするのはどうかと思う。



「ええ、言いたいことは判るわ。たったそれだけでそんな事をするのはおかしいって、そうやって言いたいんでしょう?」
「…あぁ。幾ら何でもそれは大袈裟すぎるだろ」
「そうね。普通ならそう思うわ。けれど、あの子の力は悠長にそんな事を言ってられない」
「いや、言っちゃ悪いがそんなに強くはないだろう?私に負けていたじゃないか。霊夢みたく異常に強いならともかく、レミリアやお前が二人がかりとかならばなんとでも…」
「そりゃ弾幕ごっこならね。けれど貴女、あの子の能力を忘れてるでしょう」


――――あ。
ようやく、合点がいった。
私には割と正常に見えたが、あの子はたまに手をつけられなくなるらしい。
子供がたまに暴れるだけならなんとでもなるだろう。
一人の吸血鬼が暴れてもなんとでもなるだろう。


けれど、あの子はいわゆる普通ではない。
姉と同じくして、規格外。
『全てを破壊する程度の能力』を持っているのだった。

確かに、ソレは軽視出来る問題ではない。
紅魔館が全部吹き飛ぶぐらいの話ではないかもしれない。
下手したら幻想郷が無くなりそうだ。
…けど、そんなの納得が行かない。
そんなの可哀相だろ。
だいたい。


「そんな事言い始めたら、レミリアだってそうじゃないか。本気で能力を使って暴れ始めたらただじゃ済まないだろ。フランだけそんな扱いして良い訳がない」
「レミィは暴れないわよ。誰だって暴れれば危ないに決まってるわ」

馬鹿げた言い訳だって自分でも思ってる。
こんなの、ただの屁理屈だ。

「じゃあ、フランだって変わらないぜ。それに私が会話した限りではそんなにおかしいように見えなかった」
「…私だってそう思うわ。けれど、昔は酷かったらしいの。」
「…昔?昔って、どれぐらいだよ」
「今年で495年になると聞いているわ」


―――何?
もやもやとした違和感が確信に変わり、私は声を荒らげて言った。

「ちょ、ちょっと待て!495年!?馬鹿げてる!!」
「…そうね。随分と異常な執着よ」
「495年…おい、じゃあフランはずっと…」

ずっと、一人ぼっちでいるっていうのか?


フランに出会った日のことを思い返す。
そうだ。あの日私は紅魔館の上空にいるあの子を見つけて近づいていった。
あの子は、紅魔館を、湖を、山を、空を、そして私を。
取り巻く全てを『物珍しげに』見回していた。

まるで、全て初めて見るかのように。



私を視界に入れたとき。
私に名前を聞いたとき。
私に弾幕ごっこを申込んだとき。

私が見たあの子の表情はどこか晴れることなく、笑顔というには曇り、あまりに欠落していた。








あの子はずっと独りだったっていうなら。
楽しいことも、辛いことも、喜んだ時も、悲しんだ時も、全部全部全部全部。
―――全部、地下室の暗い部屋の中で自分の中に押し込めてきたっていうのか。



「なんだよ、ソレ」
ふざけるなよ。
吐き捨てるように私は言う。
嫌になるほど単純な私は、我慢ができないようだ。
けど、それでいいと思った。
こんな事を容認して見過ごすなんて、私にはできないだろうから。


そうと決まれば、早速準備だ。
スペルカードは今少量しか持ち歩いていない。
実戦に有効なものをある程度厳選して持ち歩いているからだ。
しかし、本気で戦う時ならば厳選などしている意味はない。
手数が少ないということは、チェスで例えれば最初から駒の数が少ないということ。
使わなかろうが、選択肢が多いに越したことはない。


霊夢あたりに加勢でも求めようか。
…いや、フランの能力は危ない。
幻想郷の危機管理に対しては真面目な奴だから、むしろ私を止めようとするかもしれん。
パスだ。私が単独でやるしかなさそうだな。

私は立ち上がり、箒を持って出口へと向かう。


「何をしようというのかしら。魔理沙」

―――決まってる。


「レミリアをぶちのめして、フランを自由にしてやるんだよ」


聞かなくても判っていたようだ。
パチュリーは驚いた風もなくただ大きく息をついた。




「それでも…いえ、言っても貴女は聞かないでしょうね」
パチュリーが目を閉じて諦めたようにそう言った。



「判っているでしょうね。レミィが黙っていないわ」
「そんな事判ってる。何とかしてみせるさ」
「無鉄砲ね。レミィがスペルカードルールを守るかも不確かでしょう」
「…幻想郷のルールを破る事は―――」
「本当に無いって言い切れる?495年もこんなことを飽きずに続けてるの。生半可な執着ではないわ。何をしてもおかしくはないと思うけれど。アイツの数少ない友人からの意見よ。」

そうか、そんな問題もあったか。
レミリアがスペルカードルールを守らないとしたら、私はものの10秒ほどで殺されるだろう。
私の魔法が風だとしたら、レミリアが殺しにかかったときはさしずめ嵐と言ったところだろうか。
荒れ狂う暴風にかき消されて、ズタボロのゴミクズにされて終わり。
そうなってしまったら私に何もできはしないだろう。

それでも。

「無いって信じてみるよ。賭けをしてみる。…紅魔館に乗り込んできた時も、死ぬかもしれないって思ってたんだぜ。その時となにも変わらない。ただ、二回目なだけだ。怖くなんて無いさ」
「嘘ね。強がりはやめなさい。魔理沙」
「強がりなんかじゃないさ。私は、本当に」
「強がりよ。強情ね」

嘆息し、パチュリーは言った。

 「まぁ、貴女が強情じゃなければそもそもこんな事言い出さないでしょうし、その事はもういいわ。それで、レミィと戦うのね。レミィがルールを守ったとして、貴女が勝ったとする。それで?フランは貴女を受け入れるのかしら」
「…それは」
「そこすら不確かでしょう?貴女の話していること、もしもの話だらけじゃない。希薄な可能性に全てを賭けるのもいいかもしれない。けれど、一般的にそういうのを命知らずって言うのよ」


…わかってる。
いや、よく分からない。
自分でもここまで意固地になるのが何故かよく分からないが、それはともかくとして。


「私は、貴女の事をそれなりに友人だと思っている。だから忠告しておくわ。止めておきなさい。貴女が妹様の何を思っての行動かは知らないわ。けれど、本当に他所の一魔法使いが勝手に背負い込める話なのかしら」

「判ってる」

口はもはや勝手に動いている気がする。
だが、構うものか。意志には違っていない。


「お前の言う通りだよパチュリー。私は命知らずだし、ただのそこいらにいる魔法使いだ。
けどな、私は自分のやりたい事をやるために魔法使いになったんだ。
そのためなら、家を追い出されても構わないと思ったからそうしてきた。だから、今度も同じだ。それだけなんだよ。
―――たまたま、そんな能力を持って生まれたからって、そんなのかわいそうだ。
独りなんか、誰だって嫌だろう。だから、助けたい。
ただの自分勝手で、自分の都合で言っているんだ。
けど、やりたい事のためなら身体ぐらい張ってみせるぜ」

世の中にはたくさんの出来事がある。
そりゃ確かに楽しいことばかりじゃないさ。
つらいことだってあるし無意味で無駄な事の方が多いかもしれない。
けど、それを知らずに生きてるだなんて。あんまりに空虚すぎる。

ただ、知らせてあげたいんだ。
大部分がつらくても、たとえ無駄であっても。
それでも一緒に誰かと過ごしていた楽しい時間は、悩み事を全部全部消し飛ばしてやるぐらい。
それぐらい価値があることなんだって。



「そう」

―――なら、止めない。

パチュリーはそう言って、本で顔を隠すように読書を再開した。
ソレを見届けて私は箒に乗る。
空いていた天窓を目指して一直線。
外に出て熱気を受けながら、準備をするために家へと向かった。

自分でもおかしいなって思うくらい、勇気は体中に漲っていた。





















残されたパチュリーは、すくっと立ち上がると、多少声を張り上げて言った。
「出てきなさい。レミィ」

本棚の裏から一匹のコウモリが現れた。
次は、カーテンの影から。

一匹がニ匹へ。二匹が、三匹へ。
四匹、五匹、十匹、二十匹三十五十七十八十…

「上出来。迫真の演技だったわ。パチェ」
―――声が響く。
辺りから次々とコウモリが現れて集まり、一つの人形をとった。

「これで段取りは完璧。さっすが、私の友人ね」
「えぇ、頼りにしてもらってありがとう。次からはやらせないでね」

口の端っこを吊り上げて言ったレミリアに、同じく不敵な笑みを浮かべたパチュリーが返した。

「それにしても貴女、運命を操るって聞いたときはなんて便利な能力だと思ったモノだけど、制約がひどいわよね」
「まぁねぇ。運命を全てねじ曲げて変えられるなら、何にも不自由がなくなるわ。うまい話が無いのは世の常ね。」

目を伏せながら、レミリアがそう言った。

「運命に流れを持たせるのが私の能力。ただ、流れなど大きな流れの前では押し返されるだけよ。良い例としては私が霊夢に勝てなかったことね。一応能力は使っていたけれど、負けを押し返せるほどじゃなかったわ」
「そう。なら霊夢は元々あんなレベルに強くて、魔理沙は元々命知らずってことね」
「全くそのとおりね。けれど、私の思惑に沿って動くには命知らずでないと出来ないわ」
「何時から考えていたのかしら?さっき魔理沙のことを無鉄砲と言ったけれど、貴女もどうだかね」
「褒め言葉として受け取っておこうかしら。そうね、結構前から考えていたわ。更に言うなら霧を出したのもコレの為に出したのよ。」

へぇ、と感心したふうにパチュリーの口から息が漏れた。
目の前の吸血鬼は、昔から訳が分からない。
思いつきで何かを始めた結果、私に始末をさせるのがほとんどだ。
どこぞから人間を拾ってきた時などどうしようかと思った。
本人曰く『気に入ったから拾った』らしいが私に持ってこないで欲しかった。
まぁ、美鈴と小悪魔に家事なんだのを出来るようにしてもらって事なきを得たのだが。
その人間は今日も元気にメイドをやっている。よくもまぁ、こんなヤツの下で働いているものだ。
友人をやっている私も私だが。


「何か物凄く失礼なこと考えてるわね。パチェ?」
「いえいえ、とんでもないわ。自分に素直になって考えているだけよ。貴女は素直な魔理沙が気に入っているのでしょう?」
「…言うわね。パチェ。ま、その通りよ。魔理沙が無鉄砲でなければ、霧を出した意味なんて無かったわ」


「そう。魔理沙が来てくれたから、ようやく私の運命操作に合点がいったわ。」
レミリアは、遠くを見つめてそう言った。


「私は少しフランに嫌われすぎた。仕方が無かったことだけれどね。けれど、もうフランが地下にいる必要はないわ。だから私は霧を出して、フランを連れ出せるだけの者を呼び込んだ。この世界であの子と渡り合えるだけ強く、心があの子を導けるだけに強い人間を私は探していた」
「それが、魔理沙だった?」
「そう。魔理沙はそういった意味では完璧だわ。弾幕ごっこは言わずもがな。精神面もそうね。無謀で愚直で、真っ直ぐに強い心を持ってなければ紅魔館に乗り込んでなんてこれない。運命のピースは、ようやくはまってくれた」
「随分まどろっこしい事をするのね。」
「いいのよ、これぐらい面倒を踏んでいたほうが。だって、その方が面白いじゃない?」

嬉しそうにこっちを見て言うレミリアを見て、呆れた。



「全く…妹様の為じゃなかったのかしら?ちゃっかり自分も楽しんでるじゃない。無謀な人間、変わり種の吸血鬼。私にはマシな知り合いはいないのかしらね?」
「あら、そう言いながらこの館に住んでるのは変わり者を好いてくれているからかしら?」
「口はずいぶん達者ね…昔っから何も変わってないわ。ホントに、なんで貴女の妹はあんなに可愛い気があるのか知りたいものだわ」
「運命は、悪戯をするもの。何が起こってもおかしくはないわ」


レミリアは狭い歩幅で私の方に近づき、通り過ぎた。
声のトーンを若干落とし、


「それに、面白いだけじゃこんなことしないわ。私は、フランのためにこんな面倒を踏んだ。愛するたった一人の妹だもの、面倒ぐらいいくらでもしてあげるわ」

なんて、意外なことを言ってきた。
…良いところあるじゃないの。案外。
495年間。
言葉にすればたったこれだけのものだけれど、実際に過ごすとなれば気のとおくなるものだ。
寂しがり屋のあの子がずっと求め続けた救いは、姉の助けによって叶うのだ。
周りの光景が変わっていけば気も紛れただろう。
自分以外がいれば苦しみなど掻き消えただろう。
あの子にはそのどちらも無かったのだ。

変わらない部屋の中、たった一人で耐え続けた意味は、ようやく見えようとしている。



「魔理沙が来るまでまだ時間がありそうね。お茶を用意してくれないかしら、パチェ」

目の前の友人も同じように苦悩していたのだろうか。
明るく振舞っている裏で、考えぬいて異変を起こしたのだろうか。
屈託しきってねじ曲がりきったスカーレットの関係は、互いが互いを求めあってなお、ねじ曲がったのだろうか。



「パチェ。ほら、早くお茶」
レミリアは何時の間にやら椅子に座って、あしをぶらぶらと動かしながらそうせかした。
その振る舞いからは暗い部分など全く見えず、どこか嬉しそうだった。


まぁ、いずれにせよ私が考えることではなさそうだ。
友人の願い事は聞いた。
あの白黒魔法使いの運命を都合の良いように流れやすくするから、私にそれをしっかり流せと。
私にやれることはもうすでにやりきった。

そう。
後は全部貴女次第ね。魔理沙。



暗い暗い部屋の中、止ってしまった一人の吸血鬼の時間。
周りを取り巻く部屋は冷徹に彼女を包むばかりだった。
彼女に、未だ朝は来ていない。だが、明けない夜は無い。
じきに、夜明けは来るのだ。
夜の寂しさなど吹き飛ばすように。
部屋の冷たさなどかき消すように。
貴方の魔法で、あの子を救ってあげなさい。魔理沙。






さて、今私にできることは友人に紅茶を振る舞うことらしい。
出来る使用人にお願いするとしようかしら。

















◇  ◇  ◇


スペルカードを厳選して作戦を立てていたら随分と時間が経ってしまった。
辺りは既に漆黒に塗りつぶされている。
昼間は緑色だった木々の色は黒色に。
暑いぐらいだった風は気味が悪いくらいに生ぬるくなっていた。

そうした世界に線を走らせるように光が一筋。
今夜は満月。
月光が世界に穴をあけるように、雲ひとつ無い空から降り注いでいた。


じき、日付が変わるだろうか。
日付が変われば空は白み、そして青くなってゆく。
月光は日光にかき消され、辺りには温もりが満ちてゆく。
木々は恐ろしい漆黒より、生き生きとした緑色へと変貌する。

フランを救けに行こう。
私一人でできるかは判らない。
だが、できるようにしようと、勝算を大きくするために作戦は必死で考えた。
あの子に幻想郷を好きなだけ見せてやろう。
頭の中で何度も反芻した作戦をもう一度思い返す。


―――よし。

覚悟を決めて、箒で空へと舞い上がる。
生ぬるい空気の流れが私の身体をなめまわした。
空から見る魔法の森は不気味で、森そのものが泣いているよう。
果ての無い闇は全てを包み込んでいる。

目の前の景色はふと、今日の朝の夢を思い出させる。
そして、フランが置かれている環境を連想させた。
あの子のいる世界が、夢のなかのむかしの私とかぶって仕方が無かった。
意地になってここまでしたのは、そのせいなのかもしれない。
誰だって孤独は嫌だ。あの子を一人にさせてやりたくない。
そう思ったのは、おそらく自分をあの子に重ねて見ていたからだと思った。




暗い夜を抜けてゆく。
一心に速さのみを求め、魔力を精一杯込める。
魔法の森を駆ける。
空を駆ける私に一辺たりとも迷う心は存在していない。
あの子の元へ。フランの元へ。

―――森を抜けてしばらくすると、目によろしくないほど毒々しい赤色の館、紅魔館が見えてきた。

やるべき事はあらん限りの魔力であの子の元へ駆けつけることだ。
例え邪魔が入ろうとも全身全霊をかけて振り払いあの子を自由にしてあげることだ。


昼間とはまるで違って見える。
石造りの巨大な門。見上げるほどの巨大な時計塔。
これらと本館、分館からなる紅魔館は夜の闇を帯びることで限りなく禍々しいものに見えた。


おとぎ話の中みたいだぜ。こんなにソレらしく恐ろしい建物。

軽口を頭の中で叩く。
幸いと休憩中なのか、勤務時間外なのか、門番は居ない。
それを確認すると直ぐに紅魔館の入り口を開けて中へと入っていった。







館の内部は、視界を確認するために苦労するほど薄暗かった。
照明として所々に蝋燭が燭台に刺し立てられているが、人間である私の目が周囲を確認するには少々不十分すぎた。
「―――。」
魔力はあまり消耗したくは無かったが仕方がない。
視界が無いのなら勝利を掴むことなど不可能だろう。
都合の良い術式を刻み込まれた記憶の中から探し、唱える。
照明として明かり用の星を自分の周りに散りばめた。
星はぼうっと辺りを白黄色に照らす。
蝋燭の赤色と入り交じった色で、私の近くの物は光でその輪郭を浮かび上げた。

ガラスがはめ込まれた窓。窓に覆いかぶせるように取り付けてあるカーテン。
空間を広げてあるらしい、やたら高い天井。
そして、視界の中心を貫くように真紅の絨毯が敷いてあった。


目線で絨毯の先を追う。
確か、この先には以前に咲夜と戦った長い廊下のような、ホールのような場所があったハズだ。
そう思い、広場がある場所を見据えた。



―――キィ、キィ。


廊下の終りで広場の入口へと続く絨毯の途中には、一匹のコウモリがパタパタと羽根をせわしく動かし、
その場にとどまるように浮いていた。

赤いような黒いような色。
突き抜けるように一箇所が尖った羽根。
…間違いない。レミリアの分体のコウモリだ。


――――キィ。


誘うようにひと声鳴く。
そうして、身を翻すと広場へと向かって飛んでいった。





…レミリアが呼んでいると言うわけか。
運命とやらで私の行動も見えていたのだろうか。
今日の昼に私がここに訪れて、図書館を訪問する。
数えて32列目の棚を探し、49列目を探し、84列目、120列目、探した末に本を見つける。
本を見つけた後にパチュリーと会話をし、フランの事を知る。
そして、私が夜に来て、私が奴に誘われて。
……勝負をして。
その勝敗まで、レミリアは既に見えているのだろうか。




…駄目だ。
イメージを払拭するように頭を左右に振る。
アイツに見えていようが、見えていまいが、私には見えないことに変わりはない。
見えない、分からないことに何時までもうだうだとしていても結論などでない。
結論が出るとしたら戦った末。
決着がすべてを教えてくれるだろう。


見ると、コウモリは先のホールへと入っていくところだった。


そのコウモリの背中を見据える。
覚悟を決め、もう一度箒に跨った。
私はコウモリの影を追い、広間へと急いだ。






広間の中は、過多だと思えるほどに燭台が並んでいた。
だが、燭台のうち火が灯っているのは半数も無い。
せいぜい四分の一程度の灯火は不気味に広間を照らしあげる。
だが、広間にある大窓からは月光が取り入れられているため廊下よりずっと明るかった。
このぐらいならば、照明は必要があるまいと思い纏わせていた星を消す。
星の光が消えたことで視界の彩りが変わった。
うすら青いような月の光がラインを引くように降り注ぐ。
下からは赤橙色の光が昇ってくる。
その対比は、見たことが無いほどに幻想的なものだった。


下を見て気づく。
大窓から注がれている月光には一つだけ影が落とされていた。
少し小さめの、そう。
少女ぐらいの大きさの人型の影が地面にぼんやりと浮かび上がっている。


上を見上げる。
大窓の近くに影を落とした主を見つけた。
吸血鬼レミリア・スカーレットは、中空より薄ら笑いを浮かべながら私を睨めつけていた。
睨み返してやる。
私から見えるレミリアは月光をバックに、黒い影に縁どられたように見える。
夜の王、吸血鬼だと確信出来るほどの威圧感がそこには有った。

「こんばんは。魔理沙」
レミリアは睨めつける視線を私から外さないままそう言った。

何時もなら挨拶でも返すのだろうが、今回ばかりはそうも行かないなと思った。
沈黙を守り、正面から視線を返し続ける。

そんな私を見て、レミリアは目の気迫を抑えると鼻をフンと鳴らした。

「人の館に忍び込んだ挙句挨拶も返さない。無礼なものね」
薄ら笑いは崩さずに小馬鹿にしたように言われた。
…まぁ、最初に忍び込んだ時も多少の問答は有った。
会話するのもいいかもしれない。

内心に余裕が無いのを隠しつつ、私は口元をにぃっと笑わせて言った。
「あぁ、少しばかり泥棒まがいをしにきたんでな。挨拶する泥棒はいないだろ?」
「あらあら、それは大変ね。何を奪っていこうと言うのかしら?図書館の本なら貸出だから泥棒には入らないわよ?」

レミリアの顔に張り付いた笑みは失せない。
多分、全て分かった上で言ってるのだろうな。
なら、言ってやるか。


「ちょっと、お前の妹を泥棒しに来たんだ」
「へぇ。フランを?」

消えない笑い。
やはり運命で見えていたことなのだろうか。

「驚かないんだな。案外」
「貴方が無茶する人間なんてことは最初に会った時から判ってるわ。驚いていたらキリがない」
「そうかい、じゃあこっちも都合がいい」

懐から八卦炉を取り出す。
片手で持ち、正面に手を伸ばして目標にレミリアを捉えた。
そこでやっと、レミリアは浮かぶのを止めて地上にゆったりとした動きで降りてきた。
レミリアが近づくにつれて、威圧感が私を締め付ける。
だが、臆するわけには行かない。
平常を装ったまま。
それが、私に出来る精一杯だった。


「フランを自由にね。どうしてかしら?どうして貴女がそんなことを言い出したのかしら?」
「パチュリーからフランが閉じ込められてるって聞いてな。助けてやろうって思ったからだ」
「それは、いつの話?」
「今日の昼ごろだな。本を探してる時に知った」

そう言うと目の前の吸血鬼はさも愉快そうに笑った。
嘲笑の意はそこにはない様に見える。

「そう、真顔でそんな事言うなんて思った通り単純ね貴女。うちの魔法使いがあんなんだから魔法使いはみんなあんなのだと思ってたわ」
「ま、人も妖怪もいろいろいるさ。悪いけど今日はけらけら笑いながら話してる気分じゃないんだレミリア」

―――通してもらうぞ。
そう言って、魔力を込めようとした矢先。

「そう急いでも良いこと無いわよ?ちょっとばかり雑談に付き合いなさい」

と言って遮られた。
なんだか、自分ばかり気が張っていて相手は余裕みたいだな。
情けないが、自分が気圧されているのだと実感した。

「さて、フランを連れて行くのよね?あの子が地下室にいる理由を判っていないのかしら」
「いいや、パチュリーから聞いたぞ」
「じゃああの子が危ないって事判っているわよね?それでも連れて行くのかしら?」
「あぁ。そうだ。私にはフランがそこまで危ない奴だなんて思えない。フランは閉じ込められるべきじゃない。
…あんな、もの悲しげな雰囲気を纏わせたまま過ごさせるべきじゃないんだ」
「外へ連れ出す事があの子にとって幸せだと思うのね?それはあの子から聞いたことなのかしら?」

パチュリーに昼間言われたことをもう一度言われた。
ただ私の価値観を押し付けているだけかもしれないな。
けど、もう決めたことだから引き下がるわけには行かない。
私が見たあの子は、とても、寂しそうだったから。


「聞いてはいない。だけど、少なくともフランは私と遊ぶことを楽しんでいたように見えたぜ。
フランは自分の存在を知って欲しいんだろう。誰かに自分の目を見て話しかけて欲しいんだろう。
自分のことをもっと知って欲しくて、自分以外のことをもっと知りたかったんだ。
もっと、誰かに触れたかった。自分以外の誰かに、一緒にいて欲しかったんだよ。
―――きっと、レミリア。一番お前に一緒にいて欲しかったんだろうって思うぜ。」
「それは、どうして?」
「どれだけ否定しても、家族は恋しいものだからだ。フランにはお前しか肉親はいないじゃないか」

レミリアは、少しだけ表情を変えたように見えた。

「血縁だけでそうとは言いきれないわね。現にフランは私の事が大嫌いだと思うわ
…まぁ、今はそんな事関係ないわね。私がやらないから、貴女が変わりに、って事かしら」
「あぁ、そうだ。お前が手を差し伸べてやらないんなら別の誰かがやるしかないだろ。だから、私がやってやる。あの子は幸せに過ごすべきなんだよ。だから、私がそう導いてやる」

明確にやる事を全て伝えてやった。
何がおかしいのかレミリアは声をかみ殺して笑っている。
くっくっなんて声が私の耳まで届いてくる。
本当に、なにが面白いのだろうか。
妹を誘拐しに来た奴を目の前にしているんなら普通はそれどころじゃないと思うのだが。
もっと、こう、言った瞬間襲いかかってくるみたいな事を想像していた。

「…そう。どうあっても決心は変わらないようね。」

レミリアがこちらに向き直る。
爪も、牙も、全てが強者の証だった。
ここまでに感じていた威圧感が吹き飛ぶほどの重圧がのしかかる。
負けられない…!
頭で何度も何度も反芻して繰り返す。
その意思で身体の隅々から魔力をかき集める。
八卦炉にありったけの魔力をつぎ込み、蓄積させて臨戦態勢を一瞬にして作り上げた。
勝負は一瞬で決まるかもしれない。
爪で腕を切り落とされるか、喉元に牙を突き立てられるか。
緊張で、冷や汗が一筋だけつうっと胸元を流れた。

レミリアは何かを取り出して、握った。
なんだろうか。何にせよ油断はできない。

八卦炉を握る手によりいっそう力を込める。
魔力を込め、増幅して変換するこのマジックアイテムならば、或いはレミリアが本気になっても打ち倒すことは可能かもしれない。

何かを握った手をレミリアが上げる。

来る。
来る。来る。来るぞ。
対決の始まりが眼前に迫り、私の感覚全てに警報を鳴らした。
必死に考えた作戦を思い返す。
緊張で何パターンかは思い出せない。
…やるしかない。重圧や警報など、気迫で振り払え。
必死に自分を言い聞かせて感覚を戦いに向けて総動員させた。
腕は、少しだけ震えている。






私は必死に身構えていた。
レミリアは、


「ほら。地下室の鍵。あー、地下室の場所はそこの廊下を突き当たりまで行って、左に曲がれば後は道なりよ」

手に握っていた鍵を私に投げつけて。
予想もしていなかったような言葉で、あっさりと私の臨戦態勢をうち崩してしまった。


ぽーんと放物線を描いて鍵が飛んでくる。

「うわっ…とぉ!!」
いきなりの事だったので取り落としそうになる。
頭の中では疑問符がいくつもいくつも浮かんでくる。


「何慌ててるのよ?」
レミリアは何でもないようにそうやって平然と言い放つ。

「なっ…何ってお前な……何でこんなもの…!
あぁもう!こんな簡単に私に鍵なんか渡して良いのかよ!」
なんか腹がたって声を大きくして言ってやった。
緊張していた私が馬鹿みたいじゃないか。
殺されることまで覚悟してから忍び込んできたんだぞ。
それを。

「なぜダメなのかしら?フランを幸せにする覚悟があるのでしょう?じゃあ何も問題はないじゃない」
首をかしげ、本気で疑問に思っているように返してきた。
…そう言われると、何も言えない。
いや、確かに何も言えないし、その通りなのだが。
どこか腑に落ちない。
戸惑いはどうしても隠せなかった。

「ほら、早く行ってあげなさい。あの子、きっと喜ぶわ」
私を急かすレミリア。
その表情は曇りもなく、澄んでいるように真っ直ぐに嬉しそうだった。

もしかして、昼間からずっと踊らされてたのか。
目の前の吸血鬼をじとーっと見る。
…こいつ。今明らかに小馬鹿にして笑いやがった。

「…判ったよ。行ってくる」

もういいや。思惑にはまってやろう。
鍵を持って、言われたように廊下の方に進む。
つかつかと進んで行く途中でレミリアを通り過ぎた。
通り過ぎて、広間の終わりで廊下の始まりのあたりで、

「魔理沙」

そうやって呼び止められた。

くるり、と振り向く。

「私は、あの子に何もしてあげられなかった。与えたものといえば、嫌悪と、寂しさと、憎悪ぐらいのものよ。何処にも褒められたものなんて無い。だけど、あの子には幸せになって欲しいの。だから、あの子の姉として言うわ。」

―――あの子を、よろしくね。
どこか懇願するように、レミリアはそう言った。

あぁ。そのつもりだ。
元からそうするつもりだったけど、コレでもっと強固な意志になった。


「任せろ。私は嘘つきだが、嘘のつきどころぐらいはわきまえてるから信用してくれていいぞ」

自分から閉じ込めておいて、勝手な奴だな。
そう思ったけれど、
レミリアにも、レミリアなりの事情があってこうしていたんだろう。
だから、文句をいうことも怒ることもやめておいた。
レミリアが、運命さえ幸せになるのを認めたなら、もう地下室にいる必要なんて無い。
幸せになることは、もう何者にも阻まれることはない。


だから、フラン。
今、行くから。待っていてくれよ。






















◇  ◇  ◇


…やっぱり、今日も何にも変わったことは無かった。
つまらない部屋の中で一人だけ置き去りにされて、忘れられちゃったみたいだ。

もう、食事もとってしまったし。
読んでない本もないし。
…なんにもやることが無い。
もう、寝てしまおうか。


そう思って、ばふっと仰向けにベッドに倒れ込んだ。






――――カツン。


…?
何か、落ちただろうか。


――――カツン。

違う。
部屋の外。階段から聞こえてくる。
誰か、こんな時間に用だろうか。


―――カツン、カツン、カツン。
足音が近づいてくる。
扉の前まで来たみたいだ。


――――ガチリ、ガチャ。
鍵を差し込んで、開けた。
誰だろう。
妖精メイドだろうか。食事を持ってきてもらった以外には来てもらったことが無いけど。
パチュリーだろうか。…ここ10年ぐらいこの部屋に来てない気がするけど。
咲夜だろうか。…ケンカの、仲直りは済んでないけど。
お姉さまだろうか。…一番、あり得ない。


一体誰だろうかって思っていると、扉が開け放たれて、その人の姿が見えた。
ぽかんとして、見つめる。
何で、この人がここにくるのだろうか。
…夢、なんだろうか。

「こんばんは。フラン」
黒い地に、白い飾りがついた大きな帽子。
同じように黒白の服が地味なのに、どこか目立ったように見える。
髪は金髪で、背丈と同じぐらい大きな箒を持っていて。
声も、一度だけ会った時に聞いた声と寸分違わず。
それは、間違いなく。


「外、出ないか。お前が一緒に来たいなら、…いや、違うな。私が、お前に来て欲しいんだ。一緒に来てくれ」
魔理沙さんだった。


「…どう…して…?」

なんで、こんな所に貴女が来ているの。
来て欲しいとは願った。
私を、連れ出して欲しかった。
その気持ちに一部の嘘も有りはしなかったけれど。
夢で終わるのだろうと。諦めていた。

「お前を、連れ出しに来たんだ。…もしかして、嫌だったかな」

近寄ってきて。
少し悲しげに微笑んでそうやって目の前の魔法使いさんは言う。
そんな事無い、そんな事はない。
その事を伝えたかったけれど、意識は熱を帯びて、口はうまく動いてくれない。
だから、精一杯首をぶんぶんと左右に振った。

「そうか、良かった」

―――じゃあ、一緒に行こう。
魔理沙さんは私に手を伸ばす。
手をつかもうとしても、熱を帯びた意識は、自分の手ですらうまく動かすことを許してくれなかった。


魔理沙さんは小さく、優しく息をつくと、もっと私に近づいてきた。
そうすると、私の頭に手をおいて、撫でてきた。
それが、どうしようもなく嬉しくて。

「…辛かったよな」

うまく、答えられない。
口は麻痺したみたいに動かなくて。
喉は、痙攣してるみたいにひきつってしまって。


―――だって。こんな事を私はどれほど待ちわびたんだろう。
ずっとずっと誰かに助けてもらいたいって願い続けて。
それだけを希望に明日を迎えていた。
いつしか、希望は目的に差し替えられて。
目的があることで、幾分も気が楽になった。
けれどそれは所詮気休めだって思っていた。
何も変わらないこの部屋の中で、一瞬のように何も変わらず、永遠みたいに長い時間をずっと過ごして行くんだって、心の何処かでは思ってた。
気が触れてて、とてつもなく危ない能力を持った私の所に来てくれる物好きなんているんだろうか。
考えるまでもなくいないってわかっていた。だから、あんまり考えないようにしていた。
確率は一を一億で割ってもまだ大きすぎる。
それぐらい奇跡めいたものだって思ってた。
けれど、奇跡だって判っていながら理想を捨てることを私は許さなかった。
理想はいつしか焼き付いて、頭にこびりついた。
こびりついたものに焦がれて、ずっと求めていたけれど、やっぱりそれは叶わないもので。
仕方ないから、我慢することだけ覚えて。
それだけをひとつ覚えて実行してきた。


けれど、目の前の魔法使いさんは、きっと、なにか魔法を使って、事も無げにその奇跡を、私の夢を叶えてしまったんだ。

じゃあ、違う。
言うべきことはどうして、なんて問いかけじゃない。
夢を叶えてくれたのなら。
私に魔法をかけてくれたのなら。


「あ、あの…ありがとう…魔理沙さん」

まず、お礼を言うべきだ。
それだけは、間違いはないと思う。


私の声を聞くと、魔理沙さんは、

「あぁ、良いさ。好きでやってるんだ。お礼を言われるようなことはしてないけど、言ってくれるなら嬉しいな」

って、満面の笑みを添えて言ってきた。



「ほら、行こう。今日の外は綺麗だぞ」
魔理沙さんが手を引いて、私を抱き寄せた。
他人に引かれるという初めての感覚に多少戸惑ったけれど。
すごく、嬉しかった。

私を、箒に乗せる。
後ろから抱きとめられることが、私の鼓動を速くした。


「…そうだ、フラン」

背丈が私より少し高いので、後ろの方から、頭の少し上から声は聞こえた。

「魔理沙さんなんて言わなくていい。魔理沙って呼んでくれ」

これから、友達だろ。友達に敬語なんて使わなくていいからな。
そう付け加えてくれた。


箒に乗せられて、体が浮く。
大きな地下の階段が続く道を進んで行く。
照明の蝋燭が次々と視界に入り、少しだけ眩しかった。

―――ドクン。


地下から、一階に出た。
廊下を貫いていく赤い絨毯が見えた。
その誘導に沿って進んで行く。
広間を抜け、紅魔館の入口のあたりまで行く。
一週間ほど前に見たものは、やっぱり大きかった。

―――ドクン、ドクン。

やけに速くなっていく鼓動が私の耳に届く。
鼓動が響く度に熱は心臓を経て送り出され、胴体、足、手、指、その細部、先端に到るまで全てに熱を送る。
それは、待ちわびる外への期待からか。
うん。きっとそうだ。










外へ出た。
弓なりに曲線を描いて空へと駆け上がる。
ふと。空が見えた。
その広さに、息を飲んだ。
散りばめられた星々は己の存在を認めさせようと必死に光り輝いていて。
星々を統べるように月が大きく存在していた。
月だけでなく、そのどれもが私にはとても大きく見えて、とても、綺麗だった。
長く地下にいたからなのか、よく分からないけれど。
ともかく、言葉で言い表すことができないくらい美しかった。


後ろから、ぎゅっと抱きしめられる。


後ろから伝わってくる温もり。
ぼんやりと幻想的な景色の中、それだけが確かなものだった。




「もう、一人なんかじゃないからな」

広い広い外の中で響くこの言葉も、きっと、嘘じゃないって信じられる。
―――ドクン、ドクン、ドクン。
鼓動は熱を送るのを止めない。
そのせいだけではないだろうけど。
目からは、熱いものが少しだけ零れ落ちた。
昔から泣き虫だったけれど。ずっと悲しいから泣いていた。
今泣いているのは、嬉しいからだって。
他でもなく、私が笑えていることがそう教えてくれた。








―――目の前に広がるのは何処にでもあるような土。
―――元気よく青々とした草。
―――吸い込まれてしまいそうな黒色の空。
―――眩しく輝いている星。
―――ガラス細工みたいに綺麗な銀色の月。

―――そして、白黒の魔法使いさん。


全部、与えてくれたのは、貴女だから。

「ありがとう。……魔理沙」

友達の、名前を呼ぶ声は。
相手にだけ届く大きさで、発せられた。
ここまで読んで下さり有難うございました。
平坦な謝辞しか書けない語彙力の無さが悔やまれます。
賽の目切り
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.710簡易評価
5.90コチドリ削除
なんと気持ちのいい連中だろう……
まさに、魔理沙は大変なものを盗んでいきました、ってやつですね。

495年の孤独はちょっとやそっとじゃ癒されないんでしょうけど、
魔理沙達が傍に居てくれれば、きっと大丈夫! そんな気持ちになれるお話でした。