私は一人夜の暗い森の中を歩いていた。
種族柄夜目は利くので特に歩くことに不自由は無い。とはいえ、この襲い来る空腹感はどうすることも出来ない。
もう幾度目になるか判らない腹の虫が鳴った。
「……お腹空いた」
私は妖怪ではあるけれど、帰る家が無いわけではない。問題はその本来帰るべき家を飛び出して来た事にある。つまりは家出。そんなことをした手前、いまさらのこのこと家へと引き返す気にもならなかった。
また腹の虫が食料を求めて泣き喚く。
「……今日はこのままご飯無しかな……?」
トボトボと歩きながら呟く。
そこでふと前方に灯りが見えた。何か食べるものでもあるかもしれない。
灯りを目指して歩を進める。
「あら、いらっしゃい。まだ開店前だけど」
灯りの源は小さな屋台車だった。その屋台車の前に椅子とテーブルを並べながら、着物姿の妖怪がひとり私の姿に気づいて笑いかけた。
「えと、こんばんは」
「こんばんは、あなたは私の店に来るのは始めてね。私はミスティア・ローレライよ」
「私はフランドール」
「よろしく、フランドール。で、悪いんだけどちょっと手伝ってくれない?」
そう言って、ミスティアは私の回答も待たずに椅子とテーブルの設置を手伝わせる。だから私は彼女に言われるまま開店の準備を手伝った。
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
一通り準備を終え、カウンター席に座った私にミスティアは言った。
それから私の目の前に串に刺された茶色く焼けたよくわからないものを差し出した。
「手伝ってくれた御礼だよ。遠慮なく食べて」
「あ、うんありがとう」
得体の知れないそれをおずおずと受け取る。
「私の店の看板料理だよ。フランドールはヤツメウナギは初めて?」
ミスティアの質問に私は頷く。と、その時私のお腹が激しく自己主張した。
「食べてみなよ」
ミスティアの言葉と空腹に耐えられず、初めて食べるヤツメウナギに齧り付いた。
「おいしい……」
「そうでしょう。好きなだけ食べていいよ」
その味に思わず口にした言葉にミスティアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
その後、ヤツメウナギを口に運びながら私はミスティアの仕事ぶりを眺めていた。
妖怪達やそれに混じって訪れる人間達の注文を、料理をしながらひとりで捌く姿には感嘆の息が洩れた。
「ミスティアって凄いね。あれだけのお客さんの対応をひとりでしちゃうんだから」
「そう言われると照れるね」
妖怪も人間も一緒になっての喧騒を背後に聞きながらそう言うと、ミスティアは恥ずかしそうにちょっとだけ頬を赤く染めた。
「それで、フランドールは帰らなくてもいいの? 住む所が無いわけではないでしょう」
訪れていた客も全員いなくなり、片付けをしながらミスティアは未だカウンターの席に座る私にそう言葉をかけた。
「帰りたくない……」
ポツリと洩らした一言に、ミスティアは困ったといった表情をして顎に手を当て思案する。
それから、私に一つの提案を持ち掛けた。
「だったら、ここでしばらく働いてみる?」
「お待たせしました!」
注文の品をお客さんのテーブルへ運ぶ。
「こっちの注文頼むよ」
「はーい、少々お待ちください」
別のテーブルにいるお客さんに返事をしてそちらへ向かう。
くるくると忙しくテーブルと厨房を行き来する。
「大分慣れてきたわねフランドール」
「うん、ミスティアの指導のおかげだね」
注文と配膳が一段落ついたところでミスティアがヤツメウナギを捌きながら口を開いた。
カウンターに寄り掛かりながら、私はテーブル席で陽気に騒ぐ人妖を眺める。
このミスティアの店で働き始めて今日で一週間になる。働き始めた頃は歩く度に足を引っ掛けてよくよろけていたが、今ではミスティアとお揃いの着物にも慣れよろけるような事も無くなった。
ミスティアと笑いながら雑談を交わし合う。忙しくも楽しい日々だと私は感じている。
「やあ、熱燗とヤツメ二つお願い」
「いらっしゃい。わかりました」
また一人訪れたお客さんに笑顔を向けて、私は再び配膳へと戻ることにした。
「フランドールはこうして私のお店で働いてみて楽しい?」
営業時間を終え、カウンターとテーブルを拭いているとミスティアが一週間ぶりの質問を口にした。
「楽しいよ、今まで出来なかった経験もたくさん出来るし、ミスティアのことも気に入ってるよ」
働き始めたときは何も言えなかったけど、今は素直に感想を言えた。
「ありがとう。でも、もうそろそろフランドールも帰らなきゃならないんじゃないかな」
そう言ったミスティアの口調には、少しだけ寂しげな響きが混じっていた。
「久しぶりね、フラン」
唐突に響いたのは一週間ぶりの聞きなれた声。
「お姉様」
振り返るとやっぱりそこに立っていたのは私のお姉様、レミリア・スカーレットだった。
そして、私の家出の原因でもある。
「お邪魔するわよ、ミスティア」
ミスティアの返事も待たず、お姉様はカウンター席に腰を下ろす。
ミスティアもミスティアでどうぞ、とか言いながらヤツメウナギを焼いてお姉様に出している。
むう、こんな奴にそんなことする必要なんてないのに。
「それで、お姉様は此処に何の用で来たわけ?」
この店を訪れてから一時間、一向に口を開こうとしないお姉様に痺れを切らした私はお姉様を睨み付ける。その視線を受け、お姉様は意を決したように私へと視線を向けると口を開いた。
「あなたがこの一週間此処で働いていたことは美鈴の報告で知っていたわ」
私が家出して紅魔館から何のアクションも無いのはおかしいと思ってはいたが、どうやら私に気付かれない程度に美鈴が監視に付いていたらしい。
「……悪かったわ」
普段のお姉様なら絶対言わないような台詞に私は面食らい、言ってやりたい事は多かったはずなのに少しの間言葉を失った。
それからお姉様は私に深々と頭を下げた。それと一緒に羽も萎れた様に下がる。
「ごめんなさい、フラン」
お姉様の後ろで咲夜が頷いている。恐らくは彼女がお姉様に何か吹き込んだのだろう。プラチナブロンドの髪に白いものが混じり始めた、と時折愚痴を零していた完璧で瀟洒な従者は、私の視線に気付いて少しだけ微笑んで見せた。
その笑みを見て、私は深く大きく溜息を吐いた。
「……わかった、もういいわ」
私の言葉にお姉様はパッと顔を上げる。その目には若干涙が滲んでいた。
「あんなこともうしないって約束してくれたら許してあげる」
「ええ、約束するわ」
真剣な顔でお姉様は私を正面から見据える。
「ん、じゃあ許してあげる。ほら、食べて食べて。ミスティアのヤツメウナギは最高なんだから」
それを見てから、私は頷いて出されてから一度も手の付けられなかったヤツメウナギを薦める。
「フランも一緒に食べましょう」
「え、私はお店の手伝いがあるし」
「こっちは気にしないでいいよ。せっかく仲直りしたんだから一緒に食べればいいじゃない」
「う、ミスティアがそう言うなら……」
引き下がった私の前に、新しく焼き直されたヤツメウナギが置かれた。
「ねえ、お姉様はなんであんなことしたの?」
ヤツメウナギに齧り付いて、隣で一緒にヤツメウナギに齧り付いているお姉様に尋ねた。
「フ、愚問ね。それはあなたが可愛いからよ」
私の疑問にお姉様は即答する。可愛いと言われて悪い気はしない。
照れた顔が見られたくなくてお姉様から顔を背けると、少し離れたテーブル席で咲夜といつの間にか来ていたのか美鈴が一緒に座っていた。
あのテーブル席だけ桃色の空間が広がっているように見えるのは、美鈴がまた咲夜に殺し文句の一つでも言ったのかもしれない。あの二人は放っておくと人前でも構わずイチャつき始めるから目の毒にしかならない。
「それで、フラン。お詫び、というわけではないのだけれどこれを作ってみたの」
お姉様の言葉に顔をそちらへ向けると、お姉様は自身のポケットを探る。
そこから取り出したのは二つの小さなストラップだった。体のあちこちが歪に歪んだ私とお姉様のぬいぐるみが付いている。はっきり言って不細工だった。
「酷い出来ね。……でも、ありがとう」
私は不細工なお姉様を受け取る。
「気に入ってもらえたのならよかったわ」
安心したように笑みを浮かべて、お姉様はまたヤツメウナギに齧り付いた。
「美味しいわね」
「そうでしょう、もっと食べて!」
「あなたが焼いたわけじゃないでしょう」
二人で笑い合う。たかが一週間。妖怪にとってそんなもの瞬きをするに等しい時間のはずなのに、こんな風に笑い合ったのもずいぶん昔のように感じてしまう。
私達の目の前にヤツメウナギが置かれる。
「頼んでいないわよ?」
「仲直りの記念に私からのサービスです。あ、ついでに歌なんてどうですか?」
返事も待たずにミスティアは歌い出す。
歌声と共に視界がだんだんと暗くなっていく。鳥目になるミスティアの歌の効果だ。
歌が終わるまでの間、視界の一部を残して他は全て闇で覆われる。
隣に座るお姉様の顔が見えなくなる。けれど、それで良かった、と思う。
今の私の顔なんて見られたく無かったから。きっと、今の私はものすごくだらしない顔をしている。
「ねえ、フラン」
「……なに、お姉様」
「帰って来てくれるかしら?」
「……しょうがないから帰ってあげるわ」
それに対してのお姉様の返答は無かった。
ただ、二人でヤツメウナギを食べる。
テーブルの上で重ねられた手を、振り払うことは私はしなかった。
喧騒は無く、ミスティアのデスボイスだけが響き渡っていた。
この状況でデスメタルってどうなのよ……。
夜が明ける頃、私はミスティアにお礼と別れを告げてお姉様と一緒に家路に着いた。紅魔館へ。
妙に血色の良い咲夜と、少しやつれた表情をした美鈴を連れて。
「お姉様の馬鹿! こんなことしないって言っていたのにまたこれ!? お姉様なんて大嫌いッ!」
お姉様の手から奪い返したそれを、確認して再びお姉様の顔に叩きつけて私は大きく叫ぶ。
それは私の部屋の箪笥の中にしまっていた両サイドに紐の付いた白のパンツ。
あろうことかお姉様は私の箪笥からパンツを盗み出し、それを頭から被るという行為に及んでいた。ククク、とかカリスマチックに笑いながら。
折りしもこの状況は二週間前、私が紅魔館を飛び出した時とまったく同じ状況だった。
自室に駆け戻った私はそのままベッドに倒れこみ、苛立ちを枕にぶつけて拳を打ち込む。打ち込む度にボスボスと間抜けな音がする。そんなことをしても埃が散らないのは完璧なまでに掃除の行き届いている証拠だろう。
控えめに扉を叩く音が響いた。私は枕を頭から被ってその音を無視する。どうせ無視したところで入ってくるのだから。
「フランドールお嬢様」
「……入室の許可も無しに入ってくるなんて従者失格よ」
「申し訳ありません。いないものと思っておりました。以後気をつけますわ」
扉を開ける音も歩く足音すらなく私の隣に立った咲夜は、悪びれた様子も無く言う。
そんな従者の態度に一瞥をくれてやる。
けれどもこの従者にはたいした効果は無かった。
「で、何の用な訳」
「はい、こちらをお届けに」
そう言った咲夜の手の中に現れたのは白い箱だった。
私がそれを受け取ったことを確認すると、咲夜は何か含みを帯びた笑みを浮かべてその場から消え去った。
箱の中身は、ちょうど良い焼き加減のヤツメウナギが二枚。それと、メッセージカードが一枚添えられていた。
二つ折りに畳まれたそれを開いてみる。その内容に思わず笑みが零れた。
『お姉さんと仲良くね。また何時でも遊びにおいで。ミスティア』
メッセージカードを読み終え、それをベッドの枕元に置く。替わりにそこに置かれていたストラップを手に取る。ストラップを腰に着け、ヤツメウナギの入っている箱を脇に抱えて地下室の扉を開いた。
とりあえず、まずはあの馬鹿姉を力一杯ぶん殴りに行こう。それだけを先に心に決めて一歩踏み出す。
そこで一度だけ腰に着けたストラップに視線を落とす。そこには不細工な出来のお姉様が揺れている。それを確認してから私は地下室の扉をそっと閉めた。
END
途中までいい話だと思ってたのになんでデスメタルなんだよww
めーりんと咲夜さん鳥目になったところで絶対声を出すの我慢しながら手探りプレイしてるww
フランちゃんの女将姿だと……駄目だ、俺の妄想力を持ってしても想像できない! これは実物を見なければ!
あと、フランちゃんの紐パン姿。
夜雀庵
ある人は言った。
「最高のギャグ小説とは、99%のシリアスと1%のギャグである」
と。
重ねられた手を…でしんみりきたとこで、みすちーのデスボイスで一気に吹き出したwww
美咲レミフラってことは、パチュこあで図書館ちゅっちゅですね!フォーゥ!!
妹様の女将姿を具現化できる絵師様はいらっしゃいませんか!?
さくめー何してんのw
外界の経験がほぼゼロなフランちゃんの社会見学的な話が素敵でした。
ミスティアとフランとは珍しい組み合わせですが、
違和感なくほのぼのとしたお話になっていますね~。
良いお話、ご馳走様です。