「今日もいい天気ね~」
魔界への入口を守る門番、サラが陽気に空を眺める。
地上に神社の近くにある魔界への通り道。この通り道を知っている人は全くと言っていい程いないので、門番と言っても基本的に暇である。一日中ひなたぼっこが実際のところの業務内容だ。
魔界人なのに地上にいる時間の方が長いなあ……
サラはそんな事を考えながら岩に腰を下ろした。
ふと、近くの岩影になにかが落ちているのが目に入った。
「ん?」
なんだろうと思い、サラは覗いてみる。
「今日もいい天気ね~」
「……神綺様、ここは魔界です」
神綺がのんびりと伸びをしながら言うと、横に立つ夢子が冷静に指摘する。
この魔界は魔界神である神綺が「暗いと寂しいじゃない」と言った為、魔界という名前の割には空が明るい。
しかし、天気というものは無く、明るさも常に一定である。
「今度は天気が変わるようにしましょうかしらね?」
「いくら魔界神といえども、軽々しく魔界をいじるのは止めてください」
「あら、怒られちゃったわ」
神綺が楽しそうに笑い、夢子はため息をつく。
「神綺様」
突然聞こえた声にも神綺は驚くことなく笑顔で反応する。
「あら、サラちゃん。どうしたの?」
何かを抱えたサラが素早く飛んできた。
「魔界の入口に倒れていたのですが……」
そう言ってサラは抱えていたものを前に差し出す。
それはまだ幼い金髪の小さな少女だった。すやすやと眠っている。
「魔界人、ではないですよね……?」
「そうね。普通の人間みたい」
「もしかしたら魔界人かもと思い連れて来たのですが……」
すると、少女は目を開けて辺りを見る。そして声を上げて泣きはじめる。
「あっ!よしよし」
サラは少女を揺らしてあやすが泣き止まない。
神綺は手を伸ばすとサラから少女を受け取り、腕の中で優しく揺らす。すると少女は泣き止み再びすやすやと眠りにつく。
「いい子ね」
「神綺様、あやし方が上手ですね……」
サラが関心している。
「当然じゃない。貴方達全員の面倒をみたのは誰だと思ってるの?」
「そう言われればそうでした……」
サラは恥ずかしそうに頭を掻く。
「みんな可愛かったのにすっかり大きくなっちゃって……。夢子ちゃんなんか、しんきさまーって」
「神綺様!」
夢子が顔を赤くして怒鳴るが、神綺は気にする様子も無い。
「短剣投げれるようになる為に、大根投げて鍛えてたものね。駄目よ?食べ物は大切にしないと」「なっ……何で知ってるんですか!?」
夢子は顔を真っ赤にしている。
「お母さんはなんでも知ってるわよ~」
神綺は少女を抱えて楽しそうに微笑んだ。
サラはそれを見て小さく笑っていた。
「サラ……」
「はっはい!」
夢子の気迫に怯えながらサラ返事をする。
「この事は誰にも言うんじゃないわよ……?」
「は……はい……」
サラが今まで見たもので、今の夢子が一番怖かった。
「という訳でこの子を育てることにしたわ」
夕食の席で神綺はいきなりそんなことを口にした。
「神綺様!また思い付きでそんな事を!」
夢子が夕食を運びながら困ったように言う。
夕食は大きなテーブルを囲んで食べる。神綺から時計周りにルイズ、サラ、マイ、ユキ、そして今は配膳の為、席を立っている夢子という風に座っている。
「神綺様!そいつ人間なの?」
「……」
ユキとマイ、と言うよりはユキが質問をする。
「そうみたいね。でも良いんじゃないかしら?別に私達と何か変わる訳でもないでしょ?」
「神綺様。そういう問題では……」
夢子の言葉を遮って神綺は抱き抱えていた少女を夢子の目の前に差し出す。
「ならこんなか弱い少女を外に放置しろって言うの?私は夢子ちゃんをそんな残酷な子に育てた覚えは無いわよ……」
神綺は少女を抱えたまま泣く真似をする。
「……分かりましたよ。」
夢子は大きくため息をつくと渋々頷く。
「さすが夢子ちゃん。ついでにお夕飯お願い~」
「ただいまお持ちします……」
夢子は残りの夕食を持ってくる為に奥へ消えた。
「ところで神綺様。この子の名前は決めたんですか?」
ルイズが神綺の膝の上の少女を撫でながら問いかける。
「考えたんだけど、……アリスなんてどうかしら?」
「アリス……良い名前ですね」
ルイズが微笑む。
「そう?ならこの子はアリスちゃん。みんな、よろしくね」
神綺は膝の上の少女、アリスをお辞儀をさせるようにちょっと動かす。
「お待たせしました」
夢子が運んできた夕食が次々と配膳されていく。
「夢子ちゃ~ん。私のハンバーグがみんなのの半分くらいの大きさしか無いんだけど~……」
神綺が口を尖らせながら言う。
「気のせいです」
夢子は怒った口調で返してきた。
「ママ~」
「アリスちゃん、どうしたの?」
「はい、これママの絵!」
「まあ上手。アリスちゃん、ありがとう」
神綺はアリスに抱き着いてほお擦りする。
「夢子ちゃーん!アリスちゃんが私の似顔絵を書いてくれたわ。私の部屋に貼っておいて~」
「分かりました……」
夢子が掃除の手を止め、神綺からアリスの書いた絵を受け取ると、神綺の部屋に向かう。
「ねぇ、アリスちゃん」
「なに?」
「ママの事、好き?」
「うん!大好き!」
アリスは眩しいくらいの笑顔で言う。
「きゃー!私もよー!」
神綺のほお擦りがさっきよりも強くなる。
「神綺様、貼ってきま……」
戻ってきた夢子がその場に固まる。
「あら夢子ちゃん。ご苦労様。」
「神綺様……一応、魔界神なのですからもう少し威厳を……」
「ねぇ、夢子ちゃん」
「無視ですか……はい、何でしょう?」
夢子は大きなため息をつく。
「私の事、好き?」
「なっ!……えっ?ちょっ……し、ししし神綺様!急にな、何を言い出すんですか!」
夢子は顔を真っ赤にして言った。
「ママとして好きかって事だったんだけどね~」
「あっ……そ……そうですよね……」
「それで、私の事好きかしら?」
神綺はアリスの頬を触りながら問い掛ける。アリスは神綺の膝の上で大人しくしている。
「それは……す……す、すすす…………すきで……」
「すきで?」
「……す……す………………うわああああああああああ!!!!!」
夢子は顔を真っ赤にしながら走り去ってしまった。
「ゆめこどーしたの?」
アリスが神綺の顔を見上げる。
「夢子ちゃんはね、恥ずかしかったのよ。可愛いわね」
「うん。かわいー」
その日の夕食
「夢子ちゃ~ん。私のサラダがみんなの3倍くらいあるんだけど~……」
「気のせいです……。あと、残さないで下さいよ」
「夢子ちゃん、怒ってる?」
「怒ってません」
それからしばらくして。
「アリスちゃん。今日もお勉強?」
「うん。やっぱり魔法は難しいわ……」
「あら、アリスちゃんは人間にしては凄い方よ」
神綺は微笑む。
「ママ、ありがとう……」
「どういたしまして。それにしても、その本も随分埋まってきたわね」
神綺はアリスの手元の本に目を落とす。
この本は、アリスが開発した魔法を書き綴っている魔法書だ。そのページは、半分以上が埋まってきている。
「うん。絶対に全部埋めてみせるわ」
「半分埋めただけでもたいしたものよ。やっぱりアリスちゃんは私の自慢の子供ね」
その言葉にアリスは顔を曇らせる。
「でも……、私はママの本当の子供じゃ……」
「何言ってるの。血が繋がってなくてもアリスちゃんはちっちゃい時から愛情たっぷり注いで育てた私の子供よ」
「神綺様のアリスへの溺愛っぷりは凄かったのよ」
神綺の横で掃除をしていた夢子が言う。
「あら。私は他のみんなもあのくらい大事に育てたわよ~?夢子ちゃんは覚えてないの?」
「……覚えて無いです」
「ついこの間まで一緒に寝てたのにね~」
神綺は夢子の頭をそっと触る。
「そ、そんなに最近じゃないですよ!」
いつものように夢子の顔は真っ赤だ。アリスが見ている中だと夢子はいつも顔を赤くしている気がする。
全て神綺のせいでだが。
「ほら、覚えてるじゃない」
「うう……」
夢子は小さくため息をつく。
「ママ、あんまり夢子姉さんを……」
「これが私の愛なんだけどね~」
「神綺様の愛はくすぐったいんです……」
そう言うと夢子は、掃除に戻って行った。
「さて、じゃあ私ももう少し頑張ってみるわ」
「うん。程々にね」
またその日の夕食
「夢子ちゃ~ん、私の分のご飯は?」
「心が綺麗なら見えますよ」
「魔界神なんて心綺麗な感じしないでしょ~?」
「なら、諦めて下さい」
「夢子ちゃん怒ってるよね?」
「怒ってません」
「やっぱり怒ってるよ~……」
「怒ってません」
今日も私は自分の部屋で独り黙々と魔法の勉強をしていた。
ただ、今日は外がいつもより騒がしい気がした。
部屋を出てその辺にいた魔界人を捕まえる。
「どうかしたの?」
「なにやら人間が攻め込んで来たみたいです……」
人間が魔界に?
「そう……。ありがとう」
部屋に戻り、窓を開ける。
街の方から爆音が聞こえてきた。
私以外の人間が。
気に入らない……。
私の居場所に入ってくるなんて……。
部屋の隅に置いていた2体の人形を掴むと魔法を唱える。
すると、人形は自我を持ったように動き出す。
「ママの所までは行かせない!」
アリスは窓から飛び出し街へと飛んで行った。
「……ぐすん……」
街の中心にアリスは倒れていた。
右腕で顔を隠し、声を押し殺して泣いていた。
結果的にアリスは、負けた。
黒ずくめの魔法使いを止めに行ったのだが、あまりの強さに歯が立たなかった。
二体の人形もぐったりと倒れて、動かない。
負けた……。
外の人間に……。
アリスにとっては初めて見た、自分以外の人間。
魔界人と変わる所があるわけでもなかったが、圧倒的な強さだった。
魔法使いというのは、修行を続ければ独立した種族となるのだが、彼女はまだ人間だった。しかし、それでも勝つことが出来なかった。
「アリス、大丈夫?」
右腕を避けるとサラとルイズの顔が見えた。二人とも傷を負っている。
「サラ姉さん、ルイズ姉さん……」
サラが差し延べる手をとってアリスは立ち上がる。
「ここまでの力を持つとはね……全く、なんて人間なの……。」
サラが頭を摩りながら呟く。
「姉さん!あいつママの所に向かってるよ!」
「やっぱりそれが目的よね……。ユキ、マイ……止められるかしら?」
ルイズは不安そうに呟く。
「マイ姉、とりあえず行ってみよう。他の魔界人達も負傷者の治療してるし、ユキとマイが怪我してたらさ……」
「そうね……。アリス、大丈夫?」
「うん」
三人で頷くと飛び上がり、マイとユキがいる方へと向かった。
「マイ!マイ!しっかりして!」
三人が目的地に到着すると、ユキが倒れたマイを揺すっていた。
「……あんな事言ったのに……まだ私の心配するの……?」
マイは目を閉じたまま、小さい声でぼそぼそと言った。
「当たり前じゃない!それより大丈夫?どこが痛いの?」
「見せてみて」
サラが近付いてきたので、初めて三人に気付いたようだ。
「……大丈夫、死にはしないわ。少し休みなさい。それより……」
サラはユキの腕を握る。
「痛い痛い痛い!サラ、離して!」
「やっぱり……。貴方の方が酷い怪我じゃない。どうしてその傷で立ってられるのよ?」
「だって……マイが心配だったから……」
「ユキ……」
マイは目を開き、ユキの方を見る。
「マイ、この貸しは大きいわね。これからはユキにもっと優しくしてあげなさいよ」
ルイズがしゃがんでマイの顔を覗き込む。
「…………分かってるわ」
アリスはユキに駆け寄る。
「ユキ姉さん、大丈夫?」
「実を言うと、あんまり大丈夫じゃないんだけど……。」
ユキは小さく笑い、目を閉じるとすやすやと眠ってしまった。
「ユキはね……」
突然、マイが口を開く。
「あの人間が来た時、攻撃を自分に集中させて私を守ってくれたのよ……」
マイもそう言うと目を閉じ、眠ってしまった。
「……ユキは無茶苦茶だけど、凄く優しいのよね」
「でももう少し自分を大切にして欲しいものよ……それより」
サラはアリスの方を向く。
「人間はここも突破したみたいだし、そろそろ神綺様の所に着いてしまうわね……」
「……アリス」
「何?ルイズ姉さん」
ルイズはアリスの肩に軽く手を乗せる。
「私達はここで二人を見てるから、貴方は……神綺様を見てきて。」
「夢子姉がいるから大丈夫だとは思うんだけど……」
確かに夢子はかなりの強さだ。人間に簡単に負けたりはしないだろう。
「うん、分かった」
アリスはサラ達に背を向ける。
「それじゃあ、行ってきます。」
飛び立つアリスの背中をルイズは見ていた。
「アリス、初めて自分以外の人間が魔界に来たから凄く機嫌が悪い」
「不安なのよね……。初めて見た自分以外の人間に、自分の居場所をとられるんじゃないかって……」
「アリスはまだ数える程しか生きてないもの。悩みも多いわね」
二人が話している間に、アリスの背中は見えなくなった。
「夢子姉さん!大丈夫!?」
「……あぁ、アリス?無事だったのね……。良かった……。」
「私より夢子姉さんが無事じゃないわよ!」
アリスは魔界の最深部に向かっていたが、その途中で傷だらけで倒れる夢子を見つけた。
夢子の傷は、ユキやマイのものより酷く、息も切れ切れだった。
「大丈夫よ……私はメイドだもの……」
「理由になってないわよ!」
その時、頭上高くをあの魔法使いが飛んで行った。魔界の入り口の方へとだ。
「あいつ……帰っていく……」
「アリス、お願い……神綺様を……」
「……分かった。夢子姉さん、動かないでね」
アリスは立ち上がると、魔界最深部へと向かった。
「ママ!」
「あいたたたたた……。アリスちゃん、無事だったのね……。良かったわ……」
神綺は話し方こそ元気だが、体は傷だらけだ。
アリスはこんなに疲れ果てている母親を初めて見た。
「ママ、動かないで!今誰か呼んで来るから!」
「大丈夫よ~。アリスちゃんの顔を見たから元気百倍」
そう言って笑うが、口の端から血が流れている。
「ママ……お願い……じっとしてて……」
自分の為に母親が無理をしているのを見るのはとても辛かった。
「……分かったわ。ごめんね、アリスちゃん」
「神綺、様……ご無事ですか……?」
アリスが振り向くと、傷だらけの夢子が足を引きずりながら歩いている。
「夢子姉さん!動いちゃ駄目よ!」
「…………大丈夫よ……」
夢子は小さく呟くと、神綺の前に立ち、それから頭を下げた。
「申し訳ありません……大きな事を言っておきながら、人間に負けて神綺様にこんな傷を……」
そこまで言うと、足に限界がきたのか、そのまま神綺の上に倒れてしまう。
「すみません……今、立ち上がり……」
「もういいのよ……お疲れ様、夢子ちゃん……」
神綺は自分の上に倒れている夢子をそっと抱きしめる。
「ごめんなさい……」
「謝らないで。夢子ちゃんは悪くないから」
夢子は神綺の胸で声を上げて泣きはじめた。神綺は夢子の頭を撫でる。
「アリスちゃん……他のみんなは無事?」
「うん……ユキ姉さんが一番酷くやられてるけど、死にはしないって……」
「そう……アリスちゃん、悪いんだけどサラちゃん連れて来てもらってもいいかしら?夢子ちゃん、このままじゃ危ないわ」
夢子は聞こえないようで、まだ泣いている。
「分かったわ……」
アリスは、夢子の涙は見てはいけないもののような気がして、早くここから立ち去りたかった。
夢子姉さんは、私以上にママを守りたいと思っている……。
アリスは当然の事を改めて実感した。
「これはマイよりも酷い……。夢子姉、かなり無茶したわね……」
「無茶……なんて……」
夢子はそう言うが、サラが傷に触れた時、苦痛に顔をしかめる。
「私は大丈夫だから神綺様を……」
「いいの。夢子ちゃんを先に看て」
「サラ」
「サラちゃん。いいから」
「サラ!」
「夢子ちゃん」
神綺は珍しく真面目な声を出す。夢子はそれに怯え、体を竦める。
「……ありふれたセリフだけど、今私は夢子ちゃんが憎くて怒ってるんじゃないの。夢子ちゃんが心配でたまらないの……分かって……」
「ご……ごめんなさい……」
夢子は怯えながら謝る。
「分かればいいの」
神綺の喋り方はいつもと同じものに戻っていた。
「でも、怪我が治ったらおしりぺんぺんね」
「本当にごめんなさい……止めて下さい……」
夢子は大人しくサラの治療を受ける。
「アリスちゃんもごめんね。こんな事だったら私がさっさと行くべきだったわね……」
「そんな……ママは悪くないよ!悪いのはあの魔法使い!」
アリスは声を荒げる。
「私の不注意が元々の原因なのよ……」
「それでも、こんなにみんなを傷付けて良い訳無い!」
アリスはそう言うと飛び去ってしまった。
「アリスちゃん……」
神綺は小さく呟いた。
私はあいつを許さない。
絶対に。
アリスは自分の部屋に戻り、机に向かっていた。
机の上に置いてある本に、いつもの何倍もの速さで魔法を書き込んでいく。
アリスはこの本を持って、明日地上に出るつもりだった。
あの魔法使いに復讐する為だ。
明日ならサラ姉さんも忙しいだろうし門番はいないだろう。
その為にはもっと力が必要だ。
出来る限りの魔法を書き綴る。
今度は負けない。
ママや夢子姉さん、ユキ姉さん、マイ姉さん、ルイズ姉さん、サラ姉さん、そして魔界のみんなの無念を晴らすんだ。
そう誓い、書き続けるが、自分で考えた魔法だけでは限界がある。残り数ページという所で手が止まり、疲労感からそのまま眠りについてしまう。
「アリスちゃん、ご飯よ」
しばらくして、神綺がアリスの部屋に入る。当の部屋の主、アリスは机に突っ伏して寝息を立てていた。
「あら……起こすのも悪いわね……」
神綺はアリスを抱き抱えるとベッドに運ぶ。
「今日は疲れたわよね……ゆっくり休んで」
そう呟いて部屋から出ようとすると、机の上の本が目に入った。
近付いて覗き込む。
「……アリスちゃん……そうよね、貴方は負けず嫌いだものね……だからこういうの嫌かもしれないけど……」
神綺は机に置いてあったペンを手に取る。
「神綺様。アリスは……」
「寝ちゃってたわ。疲れてたのね」
神綺は夢子に笑いかける。
夢子は魔界人の中でも、優秀な部類に入るので、サラに治療された後はすぐに動けるようになった。
「今日はふたりきりですね……」
ユキとマイは傷が酷く、サラとルイズはその二人の看病をしている。
「私も看病をした方が良いような気がしますが……」
「そしたら私が独りじゃない。魔界神は寂しいと死んじゃうのよ」
「分かりましたよ……」
そう言うと夢子は机に食事を並べる。二人だと机が広く感じる。
「あら。今日はハンバーグなの?」
「はい……私の謝罪と反省を込めて……」
「そんなもの込めたらおいしくなさそうじゃない。夢子ちゃんの愛を込めて欲しいわ」
「すみません……」
夢子は静かに頭を下げる。
「もう、そんなに反省しなくていいって。体は大丈夫なんでしょ?」
「あ、はい……もうすっかり大丈夫です」
「大丈夫なのね。なら夢子ちゃん、ご飯の前に……」
神綺は夢子の前へ立つ。
「おしりぺんぺん……しましょうね……」
「え?し、神綺様!?」
「さっき言ったでしょ?夢子ちゃんは自分を大切にしないから、これからは大切にするように……ね?」
神綺の笑顔は怖かった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!これからは自分を大切にしますから!止めてください!」
「だ~め」
「神綺様!怒ってます!?」
「怒ってないわよ」
「やっぱり怒ってますよ~!」
「怒ってないわよ」
「い、いやああああ!」
「さて、このぐらいにしておいてあげる」
「ごめんなさぃ……」
夢子は泣きながらおしりを抑え、床に倒れている。
「反省したならよろしい。さ、ご飯にしましょう」
神綺は嬉しそうに席に着く。夢子も遅れて隣に座る。
「夢子ちゃんは疲れてるから、私が食べさせてあげる。ほら、あーん」
「ちょっ!し、神綺様!」
「あら?口移しの方が良い?」
「なっ!……いや、そういう問題じゃなくてですね……」
顔を赤くして夢子は抗議するが、神綺は気にする様子も無い。
「いいから。食べないとまたおしり叩いちゃうわよ」
「……止めてくださいぃ……」
「なら、あーん」
「……あーん」
神綺がハンバーグを夢子の口に運ぶ。
「……おいしいです」
「そりゃあ、私の可愛い夢子ちゃんが作ったんですもの」
神綺の笑顔に夢子は顔を赤くして立ち上がる。
「褒めても何も出ませんよ!」
「あら?どこ行くの?」
「ハンバーグがまだ残ってるから持ってきます……」
そう言って夢子は部屋を出ていった。
「褒めれば出るじゃない。さすが我が娘」
神綺は独りで微笑み、その後真顔になる。そして、ここにいない娘へ言葉を贈る。
「……アリスちゃん。貴方の可能性は無限よ。まだ若いもの……」
ハンバーグを口に運ぶ。
「だから、やりたいことをやりなさい」
夢子の作ったハンバーグの味に神綺は笑顔になる。
朝、目を開ける。
見慣れた天井が目に入る。
あれ?寝ちゃってた……。
昨日は机に向かってて……。
今はベッドで寝てる。
ママか夢子姉さんが運んでくれたのかな……?
そうだ!寝てる場合じゃない!
私は立ち上がると机の上の本を掴む。
そこで表紙に何か書いてあるのに気付いた。
表紙には綺麗な字で『Grimoire of Alice』と書かれていた。
見間違えるはずがない。ママの字だ。
「ママ……」
流れそうになる涙を堪える。
「……ママ、行ってきます」
私はまた窓から飛び出すと魔界の出口に向かって飛ぶ。
思った通り、サラ姉さんはいなかった。
そのまま進んで行くと、洞窟に入った。
初めて魔界の外に出る。
それは私に不安と興味を同時に与えた。
洞窟の出口が見える。
一度立ち止まり、深呼吸してから洞窟を出る。
眩しさに目を細める。
明るく青い空が目に入る。
ここが外の世界……。
私の中の不安は消え、感動を覚えたが、すぐに掻き消す。
私は本を……グリモワールを開き、魔法を唱える。
トランプの兵隊達が私の前に現れた。
「あの魔法使いをここまで誘導して」
私の命令を聞くと、トランプの兵隊達はさっさと走っていった。
再び深呼吸をする。
今度こそ勝つんだ。
グリモワールを閉じて前を見る。
あまり時間は経たずに魔法使いは現れた。
「貴方を倒すためにわざわざこっちまで出てきたの!」
自分が自信満々で話していたが、実際は怖くて仕方なかった。
さっきまではこんなこと無かったのに……。
私は海和を終わらせる。魔法使いが構える。
グリモワールの最初のページを開いて魔法を唱える。
炎が魔法使いを包み込む。
「うふふ、この程度?」
「そんな訳無いでしょ!」
グリモワールの魔法を読み上げながらページをめくっていく。
魔法使いはそれを何食わぬ顔で避けながら攻撃をしてくる。
魔法を唱えながらだと避けるのも精一杯で次第に息が乱れてくる。
それと同時に不安が私を襲う。
使っている魔法をグリモワールに書き込んだ記憶が新しいのだ。
今使っているのは昨日書き込んだ魔法だと覚えている。
このままだと全ての魔法を唱え終えてしまう。そうなったら私の負けだ。
「言う程大したことないわね」
「うるさい!」
そうは言っても、私が魔法を書き込んでいるのはこのページで最後だ。
最後の魔法も魔法使いは簡単に避ける。
もう全ての魔法を唱えた。
諦めと共にページをめくる。
そこには空白のページが広がっているはずだった。
しかし、そうではなかった。
次のページからも魔法が書き込まれていた。
そして、魔法の上に見馴れた文字でこう書かれていた。
『アリスちゃんなら出来るわよ♪頑張って☆』
ママ……。
全部分かってたんだ……。
目を擦り、前を向く。
ママ、ありがとう……。
「さあ、魔界人の意地を見せてあげる!」
綺麗な文字を読み上げて、魔法を唱える。
私の背中に六枚の黒い翼が現れる。
「あれ?それって……」
そう、今私の背中に現れたのはママの翼だ。
「さあ、今度こそ本当に覚悟しなさい!」
ママが書いてくれた魔法を唱えていく。私の魔法とは桁違いの強さだ。
それなのに魔法使いは避けていく。だけど余裕は無くなってきたみたいだ。
そして、とうとう最後のページになった。
「これで最後よ!」
「……終わらせないわ!」
魔法使いが私に向けてレーザーを撃ってきた。
私も魔法を唱える。
青空が広がっていた。
擦り傷だらけの体で、仰向けに寝ている。
結果を言ってしまうと、私は負けた。
ママの魔法を使っても、私の力じゃ勝てなかった。
でも、あの魔法使いに対する黒々とした感情は消え去っていた。
黒々とした感情だけは。
帰ったらママにお礼を言おう。
汚れをほろってグリモワールを持ち、立ち上がる。
洞窟に入り、魔界の入口を通る。
帰りもサラ姉さんはいなかった。
急ぐ理由も無いのでゆっくり飛んでいく。
下を見ると街は、いつもの活気が戻っていた。
けど、寄り道する気もしなかったので、まっすぐ家に向かう。
入り口からは入らず、出た時と同じように自分の部屋の窓から入る。
「あら、お帰り」
部屋に入ると、ママがベッドに座っていて、こちらに笑いかけていた。
朝、夢子ちゃんに起こされてから、眠い目を擦りながらパジャマのままアリスちゃんの部屋に向かう。
部屋に入るとアリスちゃんはもういなくて、机の上の本も消えていた。そして窓も開けっ放し。
「頑張ってね。アリスちゃん」
アリスちゃんの部屋を後にして廊下を歩いていると、サラちゃんに会った。
「サラちゃんおはよ~」
「……あっ、ああ。神綺様でしたか。おはようございます」
「何よ~。分かんなかったの~?」
「その……サイドテールが無かったもので……申し訳ない」
私、サイドテールしか特徴ないのかしら……。
「なら夢子ちゃんにセットしてもらいましょ。それよりサラちゃん……みんなの様子は?」
「あっ、はい。ユキもマイも回復してきて、もう少しすれば自由に動き回れます。他の魔界人も犠牲者は出ていません」
「そう……良かった……。あとサラちゃん、今日はお仕事お休みでいいわよ。お疲れ様休業日」
「ですがまた人間が来るかも……」
サラちゃんは不安そうに言葉を濁す。
「流石に二日連続では来ないでしょ。それに、次来たら私だって大人しくしてないわよ。これ以上みんなを怪我させる訳にはいかないもの」
「神綺様……」
サラちゃんが感動したように私を見つめる。照れるなぁ……。
「私がいれば大丈夫!合言葉は、これで安心……」
「魔界神!」
「流石サラちゃん。ナイスなノリね。夢子ちゃんはこれやってくれないのよ……」
「やりませんよ」
背後から声がしたと思うと、後ろから襟首の辺りを掴まれた。
「神綺様!そんな格好でうろうろしないで下さい!」
「え~、このパジャマ可愛いでしょ?」
「パジャマのデザインじゃなくて、パジャマでうろうろしないで下さいって事ですよ!」
私の後ろの夢子ちゃんは私を引きずっていく。
「じゃ~ね~サラちゃん。良い休日を~」
私が手を振ると、振り返してくれる。いい子に育ったわぁ……。
「夢子ちゃんも今日はお休みでいいわよ~」
「私が休んだら誰が神綺様のお世話をするんですか!」
「それは、適当に他のメイドちゃん達に頼むわよ~」
「……そうですか……」
あらら、元気無くなっちゃった。夢子ちゃんは昔から分かりやすいわねぇ。
「でもやっぱり、私は夢子ちゃんにお世話してもらう方がいいわ」
「え?……わ、分かってます!休めって言われてもお世話をしますから!」
やっぱり分かりやすいわぁ。そこが可愛いんだけどね。
夢子ちゃんに髪をセットしてもらって、上機嫌で朝食を食べ終わった後、またアリスちゃんの部屋に行った。
開けっ放しの窓から、そよそよと風が入って来る。今日も魔界はいい天気。
アリスちゃんのベッドに腰掛ける。
そろそろ帰ってくる頃かしらね。
すると、ボロボロのアリスちゃんが窓から入ってきた。
「あら、お帰り」
私がいるとは思っていなくて、びっくりしているアリスちゃんに微笑みかける。
「ただいま……」
アリスちゃんは抱えていた本を私に向けた。
「ママ……これ……ありがとう」
「どういたしまして~。でもアリスちゃんこういうの嫌じゃなかった?」
「全然。凄く嬉しかったよ」
そう言ってもアリスちゃんの顔は晴れない。
「……アリスちゃん。こっちいらっしゃい」
ママは自分の膝をぽんぽんと軽く叩いて言う。
「え?……でも……」
そろそろママの膝の上に座るには重くなってると思う。
「いいから、早く早く」
ママに勝てるとも思わなかったので、大人しくママの膝の上に座る。
「懐かしいわね……アリスちゃん、昔はいっつも膝の上に座ってたわね」
「そうだったっけ?」
本当は覚えているけど、照れ臭かった。
「……残念だったわね」
「……うん」
ママは何もかもお見通しだ。
「でも、恨みとか憎いって感じは消えたみたいね」
「うん。純粋に力の差を見せられた……」
「悔しい?」
「……凄く」
ママは私の頭を静かに撫でる。
「……ママ、胸借りていい?」
「私の娘なんだから当然じゃない」
私はママの胸に顔を当てる。心臓の音がする。
溢れてくる涙を流す。ママは頭を撫でてくれる。
「悔し涙はどんどん流しなさい。それがアリスちゃんの強さになるから」
「うん……」
久しぶりに感じたママの温もりと香り。どちらも表すことの出来ない、ママだけのもの。
「……ママ……私もっと強くなる……あの魔法使いにも勝てるように……世界で一番強い魔法使いになる」
「その為に何をすべきか、それはアリスちゃんが見付けるのよ」
「うん……」
疲れた私の心に、ママの言葉は強く響いた。
何をすべきかは私が見付けるか……。
心地好いママの胸で、私はいつの間にか眠りについていた。
「行っちゃうのね……」
ママは寂しそうに私を見る。
昔は見上げていたママの顔も、今では見上げること無く見ることが出来る。
「うん。これは私自身で決めた事だから……」
「だったらママは何も言いません。好きなように好きな事を好き勝手するといいわ」
「神綺様、それは問題あります」
ママと夢子姉さんのやりとりに私はくすりと笑う。
しばらくこのやりとりも見れなくなる。そう思うとちょっと寂しい。
「外を見るのは良いことよ。色々なものを見て感じて、心を豊かにしてね」
「いつでも帰ってきていいからね。アリスなら顔パスで通れるから」
「ありがとう。ルイズ姉さん、サラ姉さん」
「まあ、アリスも立派な魔界人だし大丈夫だよ!」
「…………頑張って……」
「ユキ姉さん、マイ姉さんも……」
ユキ姉さんもマイ姉さんも昔は同じくらいの身長だったが、今は私の方が大きくなっている。
あれから私は、必死に魔法の勉強をした。
そして、ついに魔法使いへとなった。
魔界では外よりも成長が遅れるらしく、いつまでも小さなままなので魔法で成長を進ませた。
ちょうどあの魔法使いと同じ位だ。
「アリス、たまには帰ってきてね。でないと神綺様がノイローゼになってしまいので」
「何よ~大丈夫だからね。今の私は我が子の成長を喜ぶ気持ちでいっぱいよ」
ママは口を尖らせて言う。
私が外に住みたいと言っても、ママは反対しなかった。
それどころか賛成してくれて、外に家まで用意してくれた。
そして今日ついに魔界を出る。
外の世界に住む。
「それじゃ、そろそろ行くわね」
「うん。頑張ってね」
ママに一回抱き着いてから、魔界の出口へと向かう。
会えなくなる訳では無いのだが、やはり寂しい。
「じゃあね、ママ、姉さん達」
そのまま出口に進むと、いつの間にか洞窟についた。
ここから私は魔界人ではなく魔法使い、アリス・マーガトロイドとして生きるんだ。
マーガトロイドはママにつけてもらった。新しく魔法使いとして生きる為に。
「……頑張ろう」
小さく呟いてみた。
「行っちゃったわね……」
「そうですね」
「………………」
神綺は無言で夢子に近付く。
「神綺様。もう大丈夫ですよ」
その言葉で神綺は張り詰めた糸が切れるように夢子に抱き着き、大声で泣きはじめた。
「アリスちゃん!元気でね!絶対必ず帰ってきてね!」
涙で顔をびしょびしょにしながら神綺は叫んだ。
「やっぱり駄目だったじゃないですか」
「うえええん……アリスちゃ~ん……私の可愛いアリスちゃん……」
「神綺様、鼻水が……」
「我が子の旅立ちがこんなに辛いなんて……いつでも帰ってきてね……ママはいつでも待ってるわよ」
「神綺様、鼻水が……」
夢子の指摘を聞きもせず、指摘は夢子の服に顔をつける。
「神綺様……」
夢子はため息をつくが、うっすらと微笑んで神綺の頭を優しく撫でる。
「神綺様、私達がいますから」
そうですよ、そうそうと言葉が続く。
「でも私はアリスちゃんがいいの……」
一瞬で皆の笑顔が凍り付いた。
「なんて、冗談よ。みんながいれば……って、あれ?み、みんな……?」
サラはポキポキと腕を鳴らす。
ユキとマイは魔法を唱えはじめた。
ルイズは防止を深く被り直す。笑顔が怖い。
「あわわわ……み、みんな!落ち着いて!冗談よ!ゆ、夢子ちゃん!どうしよう!?」
「いくら魔界神といっても言って良い事と悪い事がありますよ」
そういう夢子の手には短剣が握られていた。
「ごめん!みんな大好きよ!だから止めてー!」
「大丈夫です。ちょっと反抗期に入っただけですから……」
「う?え?や、止めて……ごめん……ねえ、みんな?……アリスちゃん!助けて!」
その後、神綺は二つの事を学んだ。
一つ目は軽々しく冗談を言って人を傷付けちゃいけない事。
二つ目は……反抗期って怖いわぁ……
凍えるように寒い冬の夜。
吐く息が白い。
しかし、今日は寒さも吹き飛んだ。
空を飛んでいたら、あの魔法使いを見たのだ。
服装はあの時と違ったが間違いない。
もうすぐ魔法使いが来る。
今はただ、もう一回戦ってみたいと思っていた。
今の私ではあいつに勝てるのかを知りたかった。
でも、本気で戦って負けたら後が無いから本気は出さない。
黒い人影が見える。私は深呼吸をする。
その後、その魔法使い、霧雨魔理沙と共に異変を解決したりしたのだが……それはまた別の話。
>私は海和を終わらせる。
>ルイズは防止を深く被り直す。
作品は面白かったです。
アリスは家族と認められた後も異変の時まで、拾われ子としてずっと心のどこかに不安を抱えていたのかな、と思いました。
魔界にとっては散々な異変でしたが、結果的に家族の絆が強くなったのなら、それは良い事だったのかもしれませんね。
心温まるお話でした。
訂正しました。