(1)
「パチュリーさまー。人里の半人半獣が訪ねてきてます」
けだるそうな動作で少女は本に栞を挿み、声をかけてきた小悪魔を振り返ります。
その図書館の主の何倍もの高さの本棚が立ち並び、物理法則を無視した広さの中にただ本だけが整然と鎮座しています。その中に書見机と椅子はわずか二揃いのみ。その片方、八重咲きのくちなしが模られた椅子がパチュリーの定位置です。
「いかがいたしますか?」
「面倒だけど、もうここまで来ているなら仕方ないわね。紅茶を振舞ってあげなさい」
本棚の陰から来訪者。小悪魔がちょっとびっくりした様子です。やがて紅茶の用意のために部屋を後にしました。パチュリーは慧音に隣の椅子を勧めて言いました。
「まったく。門番は何をしているのかしら」
「眠ってたよ。満面の笑みで」
「笑う門には福が来るそうね。あなたは福なのかしら?」
「その場では物事の善し悪しは分からないものだ。過ぎ去って行ったものを振り返る時初めて本質が見える」
小悪魔が戻ってきて二人の前にカップを置き紅茶を注ぎいれます。幻想郷の水ではカルキを飛ばす必要がないので紅茶の準備もわりとすぐできます。
「それじゃあ遅すぎるから本があるのよ。先に振り返っておいて、進む時はただ前だけを見るの」
静かに言ってティーカップに手を伸ばし、
「小悪魔、これは何かしら?」
何だか不自然に赤いです。スカーレット。鮮やか過ぎて飲み物に見えません。
「えーと、確か西洋茜と柚子のフレーバーティー、だったと思います」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。なんでお客様にこんなものを出すの?」
声の調子に変わりはないように思える。しかし小悪魔はそこに主人の怒りを感じ取って、しっぽを丸め、頭の羽根が垂れます。
「今回のはレミリア様にも不興でして、大分余っていて……すいません」
咲夜さんの数少ない趣味の一つのオリジナル紅茶。時として人間が飲むには刺激的過ぎるものができあがるので、その多くを最初に味わうのはレミリアになります。いままでは、味に難はつけるが珍しいしせっかく咲夜が作ったからといって飲んでいました。そのレミリアが飲めないとは一体どんな味なのか、というか飲んで大丈夫なのかと考えるパチュリー。色は綺麗なのに。
「何だ。意外といけるじゃないか」
「え、本当に?」
恐る恐るパチュリーも口をつけ、そして、噴き出した。けほけほ、と軽くむせています。
青い服にできた紅い染みも気にせず、慧音が笑います。立ち去っていいものかと悩んでいた小悪魔も笑ってしまいます。
「やっぱり人の飲み物じゃないわ」
「私の方が人間なんだがな」
小悪魔が大急ぎで部屋を立ち去ります。こんなときにもつい普段の癖で音を立てないようそっと扉をしめてしますます。
「それで、あなたは私に何を求めているの?」
「私が寺子屋をやっているのを知っているだろう。そこでな」
1度言葉を切って、例の紅茶をおいしそうに飲んでから言いました。
「私の代わりに先生をやらないか」
「いやよ」
喘息が出るかもしれない、面倒くさい、他に適任がいる、またフランのところに巫女が向かおうとしたら止めないと。理由はたくさん思いつきました。けれど、本当はきっとここにいたいから。魔理沙が来たとき、ここにいたいから。そんな自分の気持ちを見つめつつ、紅茶に映りこんだ自分の顔を覘きます。
「もちろん全部やってくれってわけじゃないんだ」
小悪魔が帰ってきて慧音の服を拭きはじめました。界面活性剤というラベルがつけられた瓶を持っています。外の世界の洗剤です。どこで手に入れたのでしょうか。
「数学か科学、どっちかでいいんだ。魔理沙もやってくれてるから」
「やるわ!!!」
思ったよりも大きな声が出たことに、パチュリー自身、驚きました。そしてパチュリーのカップに手を伸ばしていた慧音は、危うく紅茶を零すところでした。
(2)
久しぶりの外出。とりあえず、迷わないように方位磁針。遭難したときのために非常食。休憩時のために本を何冊か。読み掛けのグリモワールと、授業のために数学の本をいくつか。時計も必要なはず。それから妖怪避けに聖水とお札を。ああ、日傘もいるわね。雨に備えて普通の傘も・・・。あと何が必要だろうかと考えるパチュリー。
「そんなに大荷物を持ってどこへいくつもりなんですか?」
学術書の整理にひと段落ついたのか、小悪魔が戻ってきて言いました。ゆらゆらとしっぽが揺れています。
「寺子屋への道を確認にいくのよ」
さも当然かのように言い放ちます。荷物をリュックにまとめ終えて小悪魔を振り返りました。
「魔界へ行くわけじゃないんですから。そんな大荷物どうするんですか」
「外出なんて何十年ぶりか分からないわ。だから何が起こるかも分からないじゃない。備えあれば憂いなしよ」
「つい数週間前に天人を懲らしめにいったじゃないですか。それに人里なんて一時間もあれば着きますよ」
試しに背負ってみて無謀さを悟ったようです。
「むきゅー。 確かにちょっと多すぎたみたいね」
小悪魔に窘められるのがちょっと癪ですが仕方ないので本は一冊だけ、日傘と方位磁針を持って出かけることにしました。門番が幸せそうな顔で眠っていたのでロイヤルフレアでお仕置きを考えましたが寝言を聞いてやめました。咲夜さん、そこはだめですー。咲夜さん落ち着いてー。らめー。聞かなかったことにして進みます。久しぶりに見た空は曇り。日傘も傘も必要ない天気。前回の外出では太陽が眩しくてしばらく辛かったのでパチュリーにはいい天気です。優しく淡い光が心地よくて、辺りの光景が真新しくて。どこからか聞こえてくる歌に耳を傾けつつ霧の湖を越えてゆきます。右手に香霖堂が見えてきたら人里はもうすぐだと慧音は言っていました。なかなか見えてこない古道具屋にちょっと焦りを覚えつつ、きょろきょろあたりを見回しつつ飛び続けます。歌声はもうほとんど聞こえません。むきゅー、と呟いてみても何も反応はありませんでした。気付けば林の中。木漏れ日に抱かれて、しばらく休憩。本を開けばいつでもそこに別世界が広がっています。今日の世界はめくるめく数字の迷宮。美しい数式は魔法に通じる。錬金術が化学に直結するように。意識の外、意味から解放された地は魔力の源泉。自由に水路を作ってこの世界への道を築きます。実益を兼ねた冷たい遊び。
「珍しいな。こんなところに図書館がいるぜ」
「珍しいわね。こんなところにまで本を返しに来るなんて」
読書に没頭していたパチュリーを林の中に引き戻した普通な魔法使い。その手には「Quaestiones naturales」、「Al kitabu l mijisti」どちらもパチュリーのところから姿を消した本です。
「いや、貸し出し延長手続きに来たんだ」
「残念だったわね。延長分を差し引いても延滞中よ」
「じゃあ1度返してもう1度借りたことにしよう」
いつのまにやら雲が晴れています。太陽を背にした魔理沙は眩しくてあまり見ていられません。図書館の中の人工光に慣れた眼には自然の恵みが明るすぎるのです。それでも書名はしっかりと確認しているあたりは流石動かない大図書館といったところでしょうか。
「で、パチュリーはなんでこんなところにいるんだ?」
太陽のせいか、はたまた魔理沙のせいか、ちょっとくらくらしました。けど気にしないことにして答えます。
「寺子屋を見学にきたのよ」
(3)
「昨日おもしろいものが手に入ったから、今日の授業は天文学だぜ」
教卓に一風変わったものが置かれています。象に支えられた板。その周りを囲む5つのリング。天球儀のようです。中心が球でないとは珍しいです。興味津々といった様子で見つめる生徒達、そしてパチュリー。
「この真ん中の板が地球だ。象に支えられているのは作った人が象好きだったからだぜ」
そーなのかー。地球は丸いから地球なんじゃないんですか?あたいなみにさいきょーなぞうね。けろけろ。
授業が個性的なら生徒も個性的。夜雀、氷精、化け猫に闇の妖怪、蛙。人間は先生のみ。人里でやる意味はあるんでしょうか。
「橙は物知りだな。確かに外では地球は丸いぜ。でも幻想郷の住人で月から地球を見たことがあるのなんて永遠亭の宇宙人くらいだ。だから幻想郷が丸いとは限らないぜ」
でも紫さまが丸いって言ってましたよ。けろけろ。まりさはつきにいったことあるっていってなかった?それでも地球は回ってる~♪
「ロケットの側面にしか窓がなかったから下は見えなかった。着いてからは月人をあたしの魔法でやっつけるのに忙しくて見る余裕なかったんだ」
月人は食べていい人類?ろけっとってなんだ?月ってどんなところですか?月の狂気が眼に沁みるー♪
そのまま月での冒険へと話は曲芸飛行。どんどんそれていきます。咲夜から聞いたのとあまりにも違いすぎる話を楽しそうに語る魔理沙を見ているうちに、パチュリーも楽しくなってきました。やがて、魔理沙が月征服のお土産に月の酒を手に入れて帰るところで話が戻りだします。
「ちなみに、幻想の月と表の月がつながるのは満月だけなんだぜ。だからあたしも満月の夜に月を出て三日月の夜に帰って来たんだ」
けろけろ。それって何日ぐらいなのかー?そういえば紫さまもそう言ってましたー。
「三日月はその名の通り、新月から3日目の月。で、満月は新月から大体15日目の月だ。満月の日には回る地球から見た月と板の地球から見た月が重なるんだぜ」
えーと、15-3は・・・⑨?けろけろ、十二です。偲ぶ幻~時をふる~♪
「で、この天球儀だと月はこれ。月自体の明かりは月人の都市光だけで後は太陽の光を受けて輝いてる」
なんとか不時着した授業はその後はわりと順調に進みました。
「ざっとこんなもんだぜ。どうだった、あたしの授業は?」
「最初と最後以外は全然授業になってなかった気がするわ」
生徒達が帰ったあとの寺子屋。がらんとして、さっきより少し広く感じられます。
「これはどこで手に入れたの?大分精巧に出来てるわね」
夕日に照らされた天球儀をさして言いました。
「香霜堂で買ったんだぜ」
「あなたがものを買うなんて。死ぬまで借りてくの間違いじゃないの?」
「失礼な。授業に使うからって言って慧音にお金出してもらったんだ」
「なら慧音のものじゃない」
「いいんだよ。そういう約束でやってるんだからな」
やっぱりもので釣られたのか、と呆れる反面パチュリーは感心してもいた。魔理沙が何か言うたび反応してくる生徒達。何匹もが同時にしゃべるのでわりと教室は騒がしい。その言葉の弾幕の合間を縫って話を進める。私にもできるだろうかと、パチュリーはちょっと心配になりました。
(4)
「とりあえず、最初の授業だから自己紹介をお願いするわ。まずは私から。名前はパチュリー・ノーレッジ、魔法使い、リーマン予想を証明する程度の数学力よ」
教室の後ろから、慧音と魔理沙が見ている。是非とも成功させて魔理沙と共通の話題を作らなくてはと自らを鼓舞するパチュリー。女性教師の結婚相手第一位は同職、教員らしいです。
「まずはそこのひやひやした妖精から」
「あたいチルノ、てんさい。ついに九々をマスターしたんだから!」
いろんな意味で一番心配なところから聞きました。悪いニュースを良いニュース、どっちを先に聞くかと言われたら前者を選ぶタイプみたいです。
「じゃあ次はあたしー。ルーミア。闇の妖怪。暗算が得意な程度の算数力」
こちらはまだ期待できそうです。
「私はミスティア。ミスティア・ローレライ。泣く子も黙る夜雀の怪。100まで数えられる程度の能力」
思わぬところに問題が。多くの鳥にとって、2以上はたくさんという感覚、という話がどこかの本に書いてあったと思い出しました。このくらい考えておくべきだったと後悔しています。
さて、隣の蛙はそもそも話せるのかからして分かりません。魔理沙の授業ではずっとけろけろしてたような。
「島本です。モリアオガエルで、完全∧無矛盾な体を創造する程度の能力です」
「八雲橙だよ。紫様の式の式。三途の川の川幅を求める程度の能力」
最後の二人はどうして寺子屋に来てるのか、というレベルです。島本、いえ島本さんに至ってはパチュリーより出来るかもしれません。つぶらな瞳でパチュリーを見つめる様に嘘を吐いている兆候は見受けられません。両生類独特の肌を太陽が七色に彩っています。もう片方も素直そうな顔をして、しっぽをゆさゆさと揺らしています。整った毛並みが野生のものとは違う理性を演出しています。もっとも、本当は八雲性は彼女には与えられていません。ちょっと背伸びして主人の性を名乗っているのですが。理解度の異なる生徒達に同時に教えるという作業がますますパチュリーの不安をあおります。
「さて、まずは簡単なところからいきましょうか」
チョークを手に、黒板へ向かいます。実際に触るのは初めて。話に聞いていたより書きづらいな、と思いました。
”A、B、C、三匹の妖精がいます。一人は正直者、二人が嘘吐きです。
A「Bは正直者」B「Cは嘘吐き」C「Aは嘘吐き」
正直者は誰でしょう?”
「これが算数なのかー?」
「算数じゃないけど数学よ。そこな妖精、答えは分かる?」
「え?どうでもいいとおもうー」
「先生が来てくれてるんだから真面目に考えなよ」と、チルノに抱きつきながら橙が言う。日の光が強い時期、ひやひやしたチルノは普段以上に人気者だ。
「条件がなければそれでも正解よ。一人ずつ正直者だった場合を仮定していくと、誰が正直者でも成り立つから。でも条件で正直者は一人に限定されているからそれだけだとだめで・・・」
パチュリーの解説を聞いているのかいないのか、チルノはやっぱりあたいはさいきょーねっ、と喜んでいます。島本さんがぴょんと跳ねてチルノの羽根の上に乗ります。
「予想通りー♪。私こうゆうの得意かも」
「藍しゃまと同じ問題やったことあるー」
夜雀にも理解できているようです。論理も駄目だったら本当に八方塞でした。
「じゃあ次ー」
”門が二つあり、それぞれ門番が一人ずついます。
片方の門は魔界へ続き、その門番は嘘しか言いません。
片方の門は地獄へ続き、その門番は嘘を言えません。
どちらも「はい」、「いいえ」で答えられる質問にしか答えてくれません。
巫女さんが手っ取り早く魔界へ行きたがっています。
一回の質問で魔界への道を知る方法を考えなさい。”
「長いー。こんな長い文章を読むくらいなら歌でも歌ってた方が楽しいじゃない」
「おもしろそうなのかー」
「なんかたのしそう。あたいまかいいってみたい」
これで長いとなるとどうしよう・・・。と、再び悩みだすパチュリーさん。頭の中を数式がくるくる。でもそもそも数字が無理そう。島本さんの鳴き声が妙に頭に残ります。くるくる、けろけろ。
「むきゅー。じゃあもうちょっと簡潔な問題にするわ」
そんなこんなでミスティアの関心を引くため初歩的な問題しか出せませんでした。先へ進まないと化け猫が退屈してしまいます。島本さんはよく分かりません。
「パチュリーさまー。そろそろ休まれたほうがよろしいかと」
「もうちょっと・・・むきゅー」
日の光の無い図書館の中では時間の感覚が希薄になります。館の主が夜型なのも相まって、生活習慣の乱れた魔女は久しぶりに昼間一日中活動しました。疲れているのですが、次の授業が心配でなかなか眠る気がしません。そうしているうちに、どんどん思考が靄に包まれていきます。眠った方が効率良く考えられると自分でも分かっているのですが。
「紅茶のおかわりを頂戴」
思考の末、とりあえず眠気覚ましに紅茶を、という答えにまたも行き着きます。
そうしているうちに気付いたらパチュリーはベッドの中にいました。毎日咲夜さんに整えられるふかふかのベッド。紫色のステンドガラスが嵌められた窓。パチュリーの寝室です。いつのまにか眠ってしまっていたようです。明日はまた寺子屋にいかないと。でも今日の魔理沙の授業も聞きに行かないと。と、また悩みだします。慧音が来てから一日が早くなったわ、と呟きました。
(5)
日が短くなってきました。自分達の時間が長くなり妖怪が浮かれています。春夏秋冬いつでも読書に勤しむパチュリーが、秋だというのに空の下にいます。草花の露の煌きに島本さんの肌を重ねつつ、寺子屋への道を飛んでいます。幻想郷の住人は秋に布団の暖かさから離れる戦いとは無縁です。朝が辛いなら昼に起きればいいのです。自然に逆らわず、ただゆっくりとした生活。そんなわけでパチュリーもゆったりと、雲と共に流れるかのような速度で空に漂います。初めは風でページがめくれるので外では本が読めず退屈だとぼやいていました。けれど最近は木々にぶつからず、風も少ない高度でゆく術を覚えたようで、その手には小さめな本があります。
寺子屋では今日も賑やかな声が躍っています。ミスティアの変な歌詞の歌が、チルノの底なしに明るい笑いが、ルーミアの何を考えるのか分からない声が、島本さんのカエルらしい可愛らしい鳴き声が、橙の連れて来た仔猫の緊張感のない声が、寺子屋を飾り立てます。
「ふふ、きいてきいて、あたいはついにほーてーしきをやっつけてやったんだからー」
周りの空気が冷やされて机が濡れていますが気にしないことにしましょう。いつものことです。
「あ、パチュリー先生。今日はゆっくりなのかー」
口元に紅い液体がついていますが気にしないことにしましょう。いつものことです。
「えへへ、やっと猫が懐いてくれたの。これから私も式神使いになるの」
猫に引っ掻かれたような傷が痛々しいですが気にしないことにしましょう。いつものことです。
おしゃべりもパチュリーが教壇に上がれば止まります、しばらくの間をおいて。
「えーと、前回は確か方程式とか虫食い小町算とかの話だったかしら」
言いながら橙に紙を渡します。学力が高すぎる橙には特別に問題を出されます。
「せんせー。生成関数ってなにー?・・・っと書いてあるー。ごめんなさい」
島本さんはチルノの頭の上に乗っています。パチュリーが難しいことを言うとチルノに噛み砕いて説明してくれます。今日も上質な紅茶のような色の瞳が素敵です。
「じゃあ方程式をやっつけたチルノに問題」
黒板に字を書くのも手慣れた様子。
「かんたんよ。いこーして3でわって、えっくすイコール2!」
「違うって、二乗ってあるからそんなに簡単じゃないのよ」
最近ちゃんと数を数えられるようになったミスティアです。屋台に100円以上のメニューが生まれました。
「じゃあミスティア代わりにやってみて」
そういった後、パチュリーはちょっとふらつきました。
「大丈夫なのかー?」
「ええ、ちょっと立ち眩んだだけで・・・」
と、いいながら倒れてしまいました。パチュリーの瞼の裏で、闇が輝き、小さく回ります。あっという間に意識は谷底に吸い込まれていきました。
「永琳がただの過労だって言ってたからそうなんだろう。悪かったな」
自分の部屋。自分のベット。自分の使い魔。見飽きた風景の中。
「吸血鬼の奴がお前が起きるまでずっと側にいたよ。お前がパチェを連れ出したせいだって、私に酷く怒っていた」
その中で、唯一異なる存在、パチュリーを外へ引っ張り出した慧音がひたすら頭を下げていました。
「初めは河童に頼んだんだが忙しいからと一蹴されて、次に山の巫女に頼んでもう学校なんていきたくないと断られて」
いつも通りがとても寂しく感じて
「だからお前が引き受けてくれた時は凄く嬉しかったよ。ありがとう。そして」
彼女らしくもなく状況もよく分からないまま、口を開きました。
「そこまでよ。まだ授業は中途半端なまま、やっと算数から数学になろうって時じゃない。感謝するのはまだ早いわ」
頭を下げたままなので慧音の表情が伺えません。
「お前に見舞いに行くために吸血鬼と約束した。もうお前を寺子屋にはいかせない、と」
その言葉を理解する暇も無く、再びパチュリーはベッドの中に倒れこみました。
そういえば、前に倒れたときは魔理沙が駆け寄ってくれたような気がする。さすが自称幻想郷最速。なんて思いつつ、自分の体の疲労に驚くのでした。
(6)
お気に入りの書見机で、今日も読書。普通の紅茶に息を吹きかけて少し冷ましつつ口に運びます。小悪魔を呼んで門番への伝言を伝え、ページをめくります。静寂に洗われた自分だけの図書館。これまではそれだけで満足できていました。でも今は、寺子屋が恋しくなります。あの喧騒を懐かしく思うことがあります。本を読み進めながらも、その世界に没頭しながらも、時々思い起こします。
「すいません。ちょっと伝えるのが遅くて門番と弾幕ごっこを始めてました」
だからもう一度作ることにしました。咲夜に頼んで図書館の隣に教室を作ってもらいました。今日は寺子屋紅魔館支部、最初の授業です。生徒達が門番にいじめられてないかと考え、慧音がついているから大丈夫だろうと思い、次に今日が満月だと思い出し、門番が心配になりました。
「小悪魔。そろそろ、咲夜に頼んでおいた西洋茜と柚子の紅茶の準備をお願い」
新しい教室はこれまでとほとんど同じ作り。違いがあるとすれば窓が無い点でしょうか。
これまでと同じメンバーを迎えて、前回の続き。でもその前に、
「今日は新入生の紹介から。永遠に紅い幼き月。私の親友よ」
「パチュリーさまー。人里の半人半獣が訪ねてきてます」
けだるそうな動作で少女は本に栞を挿み、声をかけてきた小悪魔を振り返ります。
その図書館の主の何倍もの高さの本棚が立ち並び、物理法則を無視した広さの中にただ本だけが整然と鎮座しています。その中に書見机と椅子はわずか二揃いのみ。その片方、八重咲きのくちなしが模られた椅子がパチュリーの定位置です。
「いかがいたしますか?」
「面倒だけど、もうここまで来ているなら仕方ないわね。紅茶を振舞ってあげなさい」
本棚の陰から来訪者。小悪魔がちょっとびっくりした様子です。やがて紅茶の用意のために部屋を後にしました。パチュリーは慧音に隣の椅子を勧めて言いました。
「まったく。門番は何をしているのかしら」
「眠ってたよ。満面の笑みで」
「笑う門には福が来るそうね。あなたは福なのかしら?」
「その場では物事の善し悪しは分からないものだ。過ぎ去って行ったものを振り返る時初めて本質が見える」
小悪魔が戻ってきて二人の前にカップを置き紅茶を注ぎいれます。幻想郷の水ではカルキを飛ばす必要がないので紅茶の準備もわりとすぐできます。
「それじゃあ遅すぎるから本があるのよ。先に振り返っておいて、進む時はただ前だけを見るの」
静かに言ってティーカップに手を伸ばし、
「小悪魔、これは何かしら?」
何だか不自然に赤いです。スカーレット。鮮やか過ぎて飲み物に見えません。
「えーと、確か西洋茜と柚子のフレーバーティー、だったと思います」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。なんでお客様にこんなものを出すの?」
声の調子に変わりはないように思える。しかし小悪魔はそこに主人の怒りを感じ取って、しっぽを丸め、頭の羽根が垂れます。
「今回のはレミリア様にも不興でして、大分余っていて……すいません」
咲夜さんの数少ない趣味の一つのオリジナル紅茶。時として人間が飲むには刺激的過ぎるものができあがるので、その多くを最初に味わうのはレミリアになります。いままでは、味に難はつけるが珍しいしせっかく咲夜が作ったからといって飲んでいました。そのレミリアが飲めないとは一体どんな味なのか、というか飲んで大丈夫なのかと考えるパチュリー。色は綺麗なのに。
「何だ。意外といけるじゃないか」
「え、本当に?」
恐る恐るパチュリーも口をつけ、そして、噴き出した。けほけほ、と軽くむせています。
青い服にできた紅い染みも気にせず、慧音が笑います。立ち去っていいものかと悩んでいた小悪魔も笑ってしまいます。
「やっぱり人の飲み物じゃないわ」
「私の方が人間なんだがな」
小悪魔が大急ぎで部屋を立ち去ります。こんなときにもつい普段の癖で音を立てないようそっと扉をしめてしますます。
「それで、あなたは私に何を求めているの?」
「私が寺子屋をやっているのを知っているだろう。そこでな」
1度言葉を切って、例の紅茶をおいしそうに飲んでから言いました。
「私の代わりに先生をやらないか」
「いやよ」
喘息が出るかもしれない、面倒くさい、他に適任がいる、またフランのところに巫女が向かおうとしたら止めないと。理由はたくさん思いつきました。けれど、本当はきっとここにいたいから。魔理沙が来たとき、ここにいたいから。そんな自分の気持ちを見つめつつ、紅茶に映りこんだ自分の顔を覘きます。
「もちろん全部やってくれってわけじゃないんだ」
小悪魔が帰ってきて慧音の服を拭きはじめました。界面活性剤というラベルがつけられた瓶を持っています。外の世界の洗剤です。どこで手に入れたのでしょうか。
「数学か科学、どっちかでいいんだ。魔理沙もやってくれてるから」
「やるわ!!!」
思ったよりも大きな声が出たことに、パチュリー自身、驚きました。そしてパチュリーのカップに手を伸ばしていた慧音は、危うく紅茶を零すところでした。
(2)
久しぶりの外出。とりあえず、迷わないように方位磁針。遭難したときのために非常食。休憩時のために本を何冊か。読み掛けのグリモワールと、授業のために数学の本をいくつか。時計も必要なはず。それから妖怪避けに聖水とお札を。ああ、日傘もいるわね。雨に備えて普通の傘も・・・。あと何が必要だろうかと考えるパチュリー。
「そんなに大荷物を持ってどこへいくつもりなんですか?」
学術書の整理にひと段落ついたのか、小悪魔が戻ってきて言いました。ゆらゆらとしっぽが揺れています。
「寺子屋への道を確認にいくのよ」
さも当然かのように言い放ちます。荷物をリュックにまとめ終えて小悪魔を振り返りました。
「魔界へ行くわけじゃないんですから。そんな大荷物どうするんですか」
「外出なんて何十年ぶりか分からないわ。だから何が起こるかも分からないじゃない。備えあれば憂いなしよ」
「つい数週間前に天人を懲らしめにいったじゃないですか。それに人里なんて一時間もあれば着きますよ」
試しに背負ってみて無謀さを悟ったようです。
「むきゅー。 確かにちょっと多すぎたみたいね」
小悪魔に窘められるのがちょっと癪ですが仕方ないので本は一冊だけ、日傘と方位磁針を持って出かけることにしました。門番が幸せそうな顔で眠っていたのでロイヤルフレアでお仕置きを考えましたが寝言を聞いてやめました。咲夜さん、そこはだめですー。咲夜さん落ち着いてー。らめー。聞かなかったことにして進みます。久しぶりに見た空は曇り。日傘も傘も必要ない天気。前回の外出では太陽が眩しくてしばらく辛かったのでパチュリーにはいい天気です。優しく淡い光が心地よくて、辺りの光景が真新しくて。どこからか聞こえてくる歌に耳を傾けつつ霧の湖を越えてゆきます。右手に香霖堂が見えてきたら人里はもうすぐだと慧音は言っていました。なかなか見えてこない古道具屋にちょっと焦りを覚えつつ、きょろきょろあたりを見回しつつ飛び続けます。歌声はもうほとんど聞こえません。むきゅー、と呟いてみても何も反応はありませんでした。気付けば林の中。木漏れ日に抱かれて、しばらく休憩。本を開けばいつでもそこに別世界が広がっています。今日の世界はめくるめく数字の迷宮。美しい数式は魔法に通じる。錬金術が化学に直結するように。意識の外、意味から解放された地は魔力の源泉。自由に水路を作ってこの世界への道を築きます。実益を兼ねた冷たい遊び。
「珍しいな。こんなところに図書館がいるぜ」
「珍しいわね。こんなところにまで本を返しに来るなんて」
読書に没頭していたパチュリーを林の中に引き戻した普通な魔法使い。その手には「Quaestiones naturales」、「Al kitabu l mijisti」どちらもパチュリーのところから姿を消した本です。
「いや、貸し出し延長手続きに来たんだ」
「残念だったわね。延長分を差し引いても延滞中よ」
「じゃあ1度返してもう1度借りたことにしよう」
いつのまにやら雲が晴れています。太陽を背にした魔理沙は眩しくてあまり見ていられません。図書館の中の人工光に慣れた眼には自然の恵みが明るすぎるのです。それでも書名はしっかりと確認しているあたりは流石動かない大図書館といったところでしょうか。
「で、パチュリーはなんでこんなところにいるんだ?」
太陽のせいか、はたまた魔理沙のせいか、ちょっとくらくらしました。けど気にしないことにして答えます。
「寺子屋を見学にきたのよ」
(3)
「昨日おもしろいものが手に入ったから、今日の授業は天文学だぜ」
教卓に一風変わったものが置かれています。象に支えられた板。その周りを囲む5つのリング。天球儀のようです。中心が球でないとは珍しいです。興味津々といった様子で見つめる生徒達、そしてパチュリー。
「この真ん中の板が地球だ。象に支えられているのは作った人が象好きだったからだぜ」
そーなのかー。地球は丸いから地球なんじゃないんですか?あたいなみにさいきょーなぞうね。けろけろ。
授業が個性的なら生徒も個性的。夜雀、氷精、化け猫に闇の妖怪、蛙。人間は先生のみ。人里でやる意味はあるんでしょうか。
「橙は物知りだな。確かに外では地球は丸いぜ。でも幻想郷の住人で月から地球を見たことがあるのなんて永遠亭の宇宙人くらいだ。だから幻想郷が丸いとは限らないぜ」
でも紫さまが丸いって言ってましたよ。けろけろ。まりさはつきにいったことあるっていってなかった?それでも地球は回ってる~♪
「ロケットの側面にしか窓がなかったから下は見えなかった。着いてからは月人をあたしの魔法でやっつけるのに忙しくて見る余裕なかったんだ」
月人は食べていい人類?ろけっとってなんだ?月ってどんなところですか?月の狂気が眼に沁みるー♪
そのまま月での冒険へと話は曲芸飛行。どんどんそれていきます。咲夜から聞いたのとあまりにも違いすぎる話を楽しそうに語る魔理沙を見ているうちに、パチュリーも楽しくなってきました。やがて、魔理沙が月征服のお土産に月の酒を手に入れて帰るところで話が戻りだします。
「ちなみに、幻想の月と表の月がつながるのは満月だけなんだぜ。だからあたしも満月の夜に月を出て三日月の夜に帰って来たんだ」
けろけろ。それって何日ぐらいなのかー?そういえば紫さまもそう言ってましたー。
「三日月はその名の通り、新月から3日目の月。で、満月は新月から大体15日目の月だ。満月の日には回る地球から見た月と板の地球から見た月が重なるんだぜ」
えーと、15-3は・・・⑨?けろけろ、十二です。偲ぶ幻~時をふる~♪
「で、この天球儀だと月はこれ。月自体の明かりは月人の都市光だけで後は太陽の光を受けて輝いてる」
なんとか不時着した授業はその後はわりと順調に進みました。
「ざっとこんなもんだぜ。どうだった、あたしの授業は?」
「最初と最後以外は全然授業になってなかった気がするわ」
生徒達が帰ったあとの寺子屋。がらんとして、さっきより少し広く感じられます。
「これはどこで手に入れたの?大分精巧に出来てるわね」
夕日に照らされた天球儀をさして言いました。
「香霜堂で買ったんだぜ」
「あなたがものを買うなんて。死ぬまで借りてくの間違いじゃないの?」
「失礼な。授業に使うからって言って慧音にお金出してもらったんだ」
「なら慧音のものじゃない」
「いいんだよ。そういう約束でやってるんだからな」
やっぱりもので釣られたのか、と呆れる反面パチュリーは感心してもいた。魔理沙が何か言うたび反応してくる生徒達。何匹もが同時にしゃべるのでわりと教室は騒がしい。その言葉の弾幕の合間を縫って話を進める。私にもできるだろうかと、パチュリーはちょっと心配になりました。
(4)
「とりあえず、最初の授業だから自己紹介をお願いするわ。まずは私から。名前はパチュリー・ノーレッジ、魔法使い、リーマン予想を証明する程度の数学力よ」
教室の後ろから、慧音と魔理沙が見ている。是非とも成功させて魔理沙と共通の話題を作らなくてはと自らを鼓舞するパチュリー。女性教師の結婚相手第一位は同職、教員らしいです。
「まずはそこのひやひやした妖精から」
「あたいチルノ、てんさい。ついに九々をマスターしたんだから!」
いろんな意味で一番心配なところから聞きました。悪いニュースを良いニュース、どっちを先に聞くかと言われたら前者を選ぶタイプみたいです。
「じゃあ次はあたしー。ルーミア。闇の妖怪。暗算が得意な程度の算数力」
こちらはまだ期待できそうです。
「私はミスティア。ミスティア・ローレライ。泣く子も黙る夜雀の怪。100まで数えられる程度の能力」
思わぬところに問題が。多くの鳥にとって、2以上はたくさんという感覚、という話がどこかの本に書いてあったと思い出しました。このくらい考えておくべきだったと後悔しています。
さて、隣の蛙はそもそも話せるのかからして分かりません。魔理沙の授業ではずっとけろけろしてたような。
「島本です。モリアオガエルで、完全∧無矛盾な体を創造する程度の能力です」
「八雲橙だよ。紫様の式の式。三途の川の川幅を求める程度の能力」
最後の二人はどうして寺子屋に来てるのか、というレベルです。島本、いえ島本さんに至ってはパチュリーより出来るかもしれません。つぶらな瞳でパチュリーを見つめる様に嘘を吐いている兆候は見受けられません。両生類独特の肌を太陽が七色に彩っています。もう片方も素直そうな顔をして、しっぽをゆさゆさと揺らしています。整った毛並みが野生のものとは違う理性を演出しています。もっとも、本当は八雲性は彼女には与えられていません。ちょっと背伸びして主人の性を名乗っているのですが。理解度の異なる生徒達に同時に教えるという作業がますますパチュリーの不安をあおります。
「さて、まずは簡単なところからいきましょうか」
チョークを手に、黒板へ向かいます。実際に触るのは初めて。話に聞いていたより書きづらいな、と思いました。
”A、B、C、三匹の妖精がいます。一人は正直者、二人が嘘吐きです。
A「Bは正直者」B「Cは嘘吐き」C「Aは嘘吐き」
正直者は誰でしょう?”
「これが算数なのかー?」
「算数じゃないけど数学よ。そこな妖精、答えは分かる?」
「え?どうでもいいとおもうー」
「先生が来てくれてるんだから真面目に考えなよ」と、チルノに抱きつきながら橙が言う。日の光が強い時期、ひやひやしたチルノは普段以上に人気者だ。
「条件がなければそれでも正解よ。一人ずつ正直者だった場合を仮定していくと、誰が正直者でも成り立つから。でも条件で正直者は一人に限定されているからそれだけだとだめで・・・」
パチュリーの解説を聞いているのかいないのか、チルノはやっぱりあたいはさいきょーねっ、と喜んでいます。島本さんがぴょんと跳ねてチルノの羽根の上に乗ります。
「予想通りー♪。私こうゆうの得意かも」
「藍しゃまと同じ問題やったことあるー」
夜雀にも理解できているようです。論理も駄目だったら本当に八方塞でした。
「じゃあ次ー」
”門が二つあり、それぞれ門番が一人ずついます。
片方の門は魔界へ続き、その門番は嘘しか言いません。
片方の門は地獄へ続き、その門番は嘘を言えません。
どちらも「はい」、「いいえ」で答えられる質問にしか答えてくれません。
巫女さんが手っ取り早く魔界へ行きたがっています。
一回の質問で魔界への道を知る方法を考えなさい。”
「長いー。こんな長い文章を読むくらいなら歌でも歌ってた方が楽しいじゃない」
「おもしろそうなのかー」
「なんかたのしそう。あたいまかいいってみたい」
これで長いとなるとどうしよう・・・。と、再び悩みだすパチュリーさん。頭の中を数式がくるくる。でもそもそも数字が無理そう。島本さんの鳴き声が妙に頭に残ります。くるくる、けろけろ。
「むきゅー。じゃあもうちょっと簡潔な問題にするわ」
そんなこんなでミスティアの関心を引くため初歩的な問題しか出せませんでした。先へ進まないと化け猫が退屈してしまいます。島本さんはよく分かりません。
「パチュリーさまー。そろそろ休まれたほうがよろしいかと」
「もうちょっと・・・むきゅー」
日の光の無い図書館の中では時間の感覚が希薄になります。館の主が夜型なのも相まって、生活習慣の乱れた魔女は久しぶりに昼間一日中活動しました。疲れているのですが、次の授業が心配でなかなか眠る気がしません。そうしているうちに、どんどん思考が靄に包まれていきます。眠った方が効率良く考えられると自分でも分かっているのですが。
「紅茶のおかわりを頂戴」
思考の末、とりあえず眠気覚ましに紅茶を、という答えにまたも行き着きます。
そうしているうちに気付いたらパチュリーはベッドの中にいました。毎日咲夜さんに整えられるふかふかのベッド。紫色のステンドガラスが嵌められた窓。パチュリーの寝室です。いつのまにか眠ってしまっていたようです。明日はまた寺子屋にいかないと。でも今日の魔理沙の授業も聞きに行かないと。と、また悩みだします。慧音が来てから一日が早くなったわ、と呟きました。
(5)
日が短くなってきました。自分達の時間が長くなり妖怪が浮かれています。春夏秋冬いつでも読書に勤しむパチュリーが、秋だというのに空の下にいます。草花の露の煌きに島本さんの肌を重ねつつ、寺子屋への道を飛んでいます。幻想郷の住人は秋に布団の暖かさから離れる戦いとは無縁です。朝が辛いなら昼に起きればいいのです。自然に逆らわず、ただゆっくりとした生活。そんなわけでパチュリーもゆったりと、雲と共に流れるかのような速度で空に漂います。初めは風でページがめくれるので外では本が読めず退屈だとぼやいていました。けれど最近は木々にぶつからず、風も少ない高度でゆく術を覚えたようで、その手には小さめな本があります。
寺子屋では今日も賑やかな声が躍っています。ミスティアの変な歌詞の歌が、チルノの底なしに明るい笑いが、ルーミアの何を考えるのか分からない声が、島本さんのカエルらしい可愛らしい鳴き声が、橙の連れて来た仔猫の緊張感のない声が、寺子屋を飾り立てます。
「ふふ、きいてきいて、あたいはついにほーてーしきをやっつけてやったんだからー」
周りの空気が冷やされて机が濡れていますが気にしないことにしましょう。いつものことです。
「あ、パチュリー先生。今日はゆっくりなのかー」
口元に紅い液体がついていますが気にしないことにしましょう。いつものことです。
「えへへ、やっと猫が懐いてくれたの。これから私も式神使いになるの」
猫に引っ掻かれたような傷が痛々しいですが気にしないことにしましょう。いつものことです。
おしゃべりもパチュリーが教壇に上がれば止まります、しばらくの間をおいて。
「えーと、前回は確か方程式とか虫食い小町算とかの話だったかしら」
言いながら橙に紙を渡します。学力が高すぎる橙には特別に問題を出されます。
「せんせー。生成関数ってなにー?・・・っと書いてあるー。ごめんなさい」
島本さんはチルノの頭の上に乗っています。パチュリーが難しいことを言うとチルノに噛み砕いて説明してくれます。今日も上質な紅茶のような色の瞳が素敵です。
「じゃあ方程式をやっつけたチルノに問題」
黒板に字を書くのも手慣れた様子。
「かんたんよ。いこーして3でわって、えっくすイコール2!」
「違うって、二乗ってあるからそんなに簡単じゃないのよ」
最近ちゃんと数を数えられるようになったミスティアです。屋台に100円以上のメニューが生まれました。
「じゃあミスティア代わりにやってみて」
そういった後、パチュリーはちょっとふらつきました。
「大丈夫なのかー?」
「ええ、ちょっと立ち眩んだだけで・・・」
と、いいながら倒れてしまいました。パチュリーの瞼の裏で、闇が輝き、小さく回ります。あっという間に意識は谷底に吸い込まれていきました。
「永琳がただの過労だって言ってたからそうなんだろう。悪かったな」
自分の部屋。自分のベット。自分の使い魔。見飽きた風景の中。
「吸血鬼の奴がお前が起きるまでずっと側にいたよ。お前がパチェを連れ出したせいだって、私に酷く怒っていた」
その中で、唯一異なる存在、パチュリーを外へ引っ張り出した慧音がひたすら頭を下げていました。
「初めは河童に頼んだんだが忙しいからと一蹴されて、次に山の巫女に頼んでもう学校なんていきたくないと断られて」
いつも通りがとても寂しく感じて
「だからお前が引き受けてくれた時は凄く嬉しかったよ。ありがとう。そして」
彼女らしくもなく状況もよく分からないまま、口を開きました。
「そこまでよ。まだ授業は中途半端なまま、やっと算数から数学になろうって時じゃない。感謝するのはまだ早いわ」
頭を下げたままなので慧音の表情が伺えません。
「お前に見舞いに行くために吸血鬼と約束した。もうお前を寺子屋にはいかせない、と」
その言葉を理解する暇も無く、再びパチュリーはベッドの中に倒れこみました。
そういえば、前に倒れたときは魔理沙が駆け寄ってくれたような気がする。さすが自称幻想郷最速。なんて思いつつ、自分の体の疲労に驚くのでした。
(6)
お気に入りの書見机で、今日も読書。普通の紅茶に息を吹きかけて少し冷ましつつ口に運びます。小悪魔を呼んで門番への伝言を伝え、ページをめくります。静寂に洗われた自分だけの図書館。これまではそれだけで満足できていました。でも今は、寺子屋が恋しくなります。あの喧騒を懐かしく思うことがあります。本を読み進めながらも、その世界に没頭しながらも、時々思い起こします。
「すいません。ちょっと伝えるのが遅くて門番と弾幕ごっこを始めてました」
だからもう一度作ることにしました。咲夜に頼んで図書館の隣に教室を作ってもらいました。今日は寺子屋紅魔館支部、最初の授業です。生徒達が門番にいじめられてないかと考え、慧音がついているから大丈夫だろうと思い、次に今日が満月だと思い出し、門番が心配になりました。
「小悪魔。そろそろ、咲夜に頼んでおいた西洋茜と柚子の紅茶の準備をお願い」
新しい教室はこれまでとほとんど同じ作り。違いがあるとすれば窓が無い点でしょうか。
これまでと同じメンバーを迎えて、前回の続き。でもその前に、
「今日は新入生の紹介から。永遠に紅い幼き月。私の親友よ」
あの島本さんですよね?
パチュリーはつっけんどんに見えても、
実は教えたがりなのかもしれませんね。
最後にお嬢様だけじゃなくて妹様も混ぜてあげてー
きっと妹様に教えたいんだな。
大丈夫蛙はかぁいい存在だよ!
あの子達を教えるのはそうとう疲れるだろうなw
同じく真剣に考えてわからなかったのでググッてしまった。
答えを知ったら、なるほどと思わされた。
僕も授業受けたいです、先生。
勿論あの島本さんですよ。
レミリアがフランに教えるって言うのもおもしろそうです。あんまり得意げだから、既に知ってるなんて言えないフラン。
ところで門番の問題の方は分かりました?
「こっちが魔界かと聞いたらあんたははいと答える?」とでも聞けばよいのでしょう。
某巫女ならなにも言わず勘で進みそうですが(どうせあってます)
たしかに勘で進みそうですねー。