みーんみーんみーん
聞こえてくるのは蝉の鳴き声。
長い年月を経てようやく地上に出てきた蝉が短い人生を謳歌する季節。
つまりは夏だ。
憎たらしい程に太陽光線がガンガン降り注いでいるのも、蜃気楼が出来るほど地面から熱気がゆらゆら出ているのも、どこぞの氷精が溶けかけているのも夏だからだ。
みーんみーんみーん
「………」
「………」
そんな夏の博霊神社の縁側には屍が二つ。
霊夢と私は水を張った盥に足を突っ込み、濡らしたタオルを額に乗せて横たわっていた。
十分に暑さ対策をしているように見えるが、盥に張った水も額に乗せたタオルも既にぬるい。
私の八卦炉から送られてくる風のみが頼みの綱となっていた。
みーんみーんみーん
「………」
「………」
一応木陰になっているので直射日光は避けられているが、太陽光線による熱気は避けられない。
風でも吹いていれば少しはマシなのだろうが、軒下に吊り下げられた風鈴は微動だにしていない。
少しでも風があれば「ちりん」と風流な音が聞こえてくるのだが、生憎聞こえてくるのは蝉の鳴き声だけ。
みーんみーんみ「…ああもう五月蝿い『夢想封印』!!!」
暑さやいらつきが頂点に達したらしい蝉の鳴き声がする方角に向けて夢想封印を放つと山が一つ無くなった。
巫女の機嫌を収める為の尊い犠牲である。
「…お前の方が五月蝿いぜ」
「何よ。何か文句でもあんの?」
「いーや、別に」
「ふう、これで少しは静かに…」
みーんみーんみーんみーんみーんみーん
「………」
「………」
静かになるということは全くなく、何故か音が大きくなった。
まるで霊夢が消し去った仲間達の分まで鳴こうとしているようなけたたましさだ。
ぷちぷちと何かが切れそうな音がした。
「ふ、ふふ…いい度胸ね…」
蝉の大合唱を前に手に大量の札を持った霊夢がゆらりと立ち上がる。
「そうカッカすんなよ暑苦しいな。ただでさえ暑くて死にそうだってのに」
蝉ぐらいでいちいち癇癪を起こしてその度に山を吹き飛ばすとか止めてほしい。
巫女だから何してもいいとか思うなよ。
「あんたの八卦炉が役に立たないのがいけないのよ」
ぶつくさ言いながらも渋々札をしまう。
だがそれでも蝉はみんみん鳴き続けるし暑いのも相変わらずで結局山ひとつ消し去ったところで涼しくなったりはしないのだ。
「無茶言うなこれが限界だ。冷風をお望みならどこぞの氷精でも捕まえてくるんだな」
「あーもう、盥の水もぬるいし八卦炉の風もぬるいし全然涼しくならないわ」
「霊夢が冷風を求めるならしょうがない、私はこのなけなしの涼風で我慢しようじゃないか。ああ暑い暑い」
「ちょっと、誰もいらないとは言ってないでしょ。こっちにも風寄越しなさいよ」
寝そべる二人の中間に置いていた八卦炉の風の向きを調節する。
風が来ないことに異を唱えた霊夢が寝転がったまま此方ににじり寄ってきた。
そのまま絡みつくと私が手にしている涼風の元を奪おうと手を伸ばす。暑い、ていうか熱い。
「うわ、暑いんだからくっつくなよ」
「私だって好きでくっついてるんじゃないわ。アンタが風をこっちに寄越してくれれば…ってうわ熱っ!?アンタの体温が高いから暑苦しいじゃない!」
「失礼な、人の体温に文句言うなよ。お前から近づいてきたくせにそれはないだろ…しかもどさくさに紛れて八卦炉奪おうとするな泥棒め」
「その言葉、アンタにそのままお返しするわ」
風がこないだのもっと出力あげろなどと言いながら八卦炉の奪い合い。
寝転がりながら涼を巡ってもみくちゃになった結果、無駄な体力を消費しただけの霊夢と私。
ただでさえ暑いのに軽い取っ組み合いをしたもんだから汗だくである。
蝉は相変わらず五月蝿い。
みんみん鳴くたびに霊夢が札を取り出す。
それを制止する。
以下繰り返し。
「あー…暑いわ…」
「そりゃあこの炎天下の中くんずほぐれつしてりゃあ暑いに決まってる。よっこらっせ…っと、うへぇ眩しい」
寝転がっていた体を起こす。
空を見上げると日差しは相変わらず神社を照りつけていた。
少しくらい休憩したっていいのになぁと思うが、暑くなきゃ夏じゃないとも思う。
吸血鬼が起こした異変で暑くない夏を経験したせいか、そんな風に感じてしまうのだった。
「水、ぬるいな」
「二人で一つの盥使ってたらぬるくなるのも早いでしょ」
「このままじゃ、湯になるかもな」
「そうなる前に水換えなさいよ」
話を振った時点でなんとなく予想がついていた返事。
もともと水を換えるつもりでいたが偉そうにしてる霊夢に少しムッとなる。
大抵の人間は今やろうと思っていたことを他人に指図されると腹が立つ。私も例に漏れない。
「…なんでそこで命令形なんだよお前は」
「巫女だからよ」
「巫女関係ないだろ。不公平だから私が水換える代わりにお茶でも淹れろよ」
「嫌よめんどくさい」
人に命令しておいて自分は何もしないとは理不尽もいいところだ。
このだれいむ、と小さく呟くが幸いなことに霊夢の耳には届かなかった。
「じゃあ水も換えないし、八卦炉も没収するからな」
「…鬼」
「残念ながら私は魔法使いだ。普通のな」
「…熱いのでいいわよね」
「冷たいのに決まってるだろ」
熱いのなんか出したら盥の水も湯にしてやるからな、と念を押して水を汲みに行った。
霊夢はぼんやりとそれを見送る。
それから、お茶っ葉あったかしら等と言いながらのろのろとお茶の準備を始めるのだった。
ぱしゃぱしゃ、ぱしゃり
ちゃぷんと音を立てて盥の中の水が跳ねる。
「あー生き返るわー」
「うわ、バタバタするなよ。水がかかるだろ」
「あー?涼しくなると思えばいいじゃない」
「まぁいいけどさ。…それにしても氷菓子なんてよく置いてあったな」
がりがりと音を立てながら氷菓子を頬張る二人。
ばしゃばしゃ音を立てながら水を入れ替えていたら、霊夢が冷茶と共に氷菓子を持ってきた。
どうにも腹を下しそうな組み合わせだと思うが今日見たいに暑過ぎる日にはこれでも足りないくらいかもしれない。
ちなみに、ぱきんと二つに割って食べるタイプの棒付き氷菓子だ。
暑さを訴える身体に氷菓子はまさしく天の恵みに等しい。冷たさを噛みしめるように味わって食べる。
がりがり、しゃくしゃく
「ふほひはえひふかひはほっへひは」
「何言ってんのかさっぱり分からん。口から離して喋ろよ」
「ん、少し前に紫が持ってきたのよ。ほふほはへーって」
「お裾分けな。胡散臭い事この上ないが今回は助かったぜ」
「ほうへ」
「だから咥えながら喋るなって」
霊夢の口から氷菓子を取り上げると途端に不機嫌な表情になる。
おしゃぶりを取られた幼児のみたいだ、と思っただけで口には出さないでおいた。
「ちょっと、返してよ」
「なら起きろ。寝ながら食うとか、お前だらけ過ぎ」
暑さの所為かいつも以上にだらけている。
雲ひとつない空から直に日差しを食らえばやる気も無くなるのは分からないでもない。
「それは出来ない相談ね。いいわよ、返してくれないんだったら…はむっ」
「おま…っ、それ私の…!」
「ふふふ、ほほひひへふははほーはふほほ」
「よそ見してるからそーなるのよ」と言いたいらしい。
氷菓子を素早く奪ってそのままがりがりと食べ尽くすと満足げな表情を見せた。
奪われた物は仕方がないと呆れ顔でため息を吐くしかない。
「どんだけ食い意地張ってんだよお前は。まだ半分も残ってたのに」
「人の物を奪うのがいけない」
「まあいいさ、霊夢の食べかけで我慢するか…っと、ヤバい」
霊夢から取り上げた氷菓子は半分も残っていない。
しかも暑さでダラダラと溶け出したものが手を伝って肘の方まで流れていた。
急いで口に入れるが完食する頃には腕は甘い液体にまみれていた。全く、踏んだり蹴ったりだ。
「うげ、ベタベタだ。肘の方までベタついてるぜ」
これ以上ベタつきが広がらないよう肘のあたりを舐めるがあくまで応急処置みたいなものだ。
水で洗い流すなり濡らした布で拭くなりしなければこのベタベタしたものが張り付いている感覚は取れないだろう。
いっそのこと水風呂でも浴びてさっぱりしてしまおうか。
盥から足を出しながら、風呂を借りようと霊夢に声をかける。
「なあ、霊夢」
「―――」
が、反応がない。
「…?おい、霊―」
もう一度声をかけようと隣で寝転がっている霊夢へと視線を向けると、
「くー…」
身体が冷やされて満足したのか、すやすやと寝ていた。
しかも服が肌蹴て腹が丸見えだ。日に焼けていないが、健康的な肌色をしている。
「脇だけじゃなくて腹も出すのかこの巫女は」
この気温だ、このままでも腹を下すことはないだろう。
だが若干目のやり場に困る。というより、だらしがない。
腹を隠そうと服を引っ張るも汗で湿った服は思うように動いてくれず、更に霊夢が眠ったまま身体を捩って嫌がるもんだから、結果的に腹は見えたまま。
さてどうしたもんかと考えた挙句、
「…ま、いいか。風呂だ風呂」
とりあえず放置することにした。
甘い匂いのする腕に蟻が集るのだけは避けたかったから風呂に入る準備を始めた。
「入浴準備良し。あとは水が溜まるのを待つだけだ」
水風呂に入るつもりだから湯は沸かす必要はない。必要ならば八卦炉で温めればいい。
浴槽に水が溜まるまで十分ほどかかるし、その間の暇潰しに霊夢の様子を見に行くと相変わらず腹を出したまま寝ていた。
みーんみーんみーん
蝉も変わらず喧しいし、日差しも強いまま。
日が少し傾いたせいか現在座っている縁側の方にも太陽光線がじりじり当たって熱い。
この日差しじゃあ場所を変えるか室内に避難した方がよさそうだ。
脇出し腹出し巫女はそんな太陽光線も気にせずぐーすか寝ているがよく見るとじっとりと汗が滲んでいた。
「暑さより眠気かコイツは」
こんなとこで直射日光に当たりながら寝てたらそりゃあ汗もかくだろう。
出しっぱなし腹に目をやると玉のような汗がぽつぽつと浮き出ている。
「くー…」
「……」
それを数秒見つめた後、霊夢のかいた汗の滴を人差指で一つに集めてみることにした。
理由はない。なんとなく、思いつきだ。
「おお、窪みに集まる」
いや、なんでこんなことをしてるのか自分でもよく分からない。
単なる好奇心というか、魔が差したというか。
なんだかいけないことをしているかのようなよく分からん背徳感と睡眠中の奴の身体を使ってちょっとした悪戯をしているという何とも言えない緊張感が私の行動を後押ししているようだ。
別に厭らしい気持ちなんかじゃない。うまく言えないが、つまり、あれだ。
誰も手をつけていない、水溜りに張った氷なんかを見ると割りたくなるだろう?
結露によって曇ったガラスの窓なんかを見ると指で落書きしたくなるだろう?
ピンと張り替えたばかりの障子窓なんかを見ると破きたくなるだろう?
そういう類の気持ちと似ているのだ。
誰も手出ししていない場所に踏み込むような、優越感やら好奇心やら背徳感なんかが入り混じったあの独特の感覚。
つまり抗いがたいものなんだ、と自分自身と此処にはいない誰かに向かって言い聞かせた。
つい、つい
つう……ぴと
小さな滴を指先に集めては大きな滴に成長させる。
ある程度大きくなれば重みで窪みへと流れ、それが集まって小さな泉を作る。汗だけどさ。
別に楽しいわけではない。面白いとも思っていない。
ただ、気付いたら手が伸びていた。指先が触れていた。
この感じ、蟻の行列を無心でジッと見つめていた幼い頃に似ているなとふと思う。
「何してるのよ」
声が腹から…じゃない、下から聞こえると思ったら霊夢が私をジト目で見ていた。
「腹出し巫女にお茶目な悪戯ってところだ。気にするな」
「気にしないわけがないでしょ。ていうかこそばゆいんだけど」
ま、流石に時間切れか。
暑苦しくて目覚めたのか腹のこそばゆさに目覚めたのかは知らんが霊夢が起きたのなら暇つぶしはここまでだ。
丁度浴槽の水もいい感じに溜まっている頃合いだろうと霊夢の腹に這わしていた指の動きを止めた。
「霊夢にしては珍しく汗をかいてたからちょっと遊んでみた」
「人のお腹弄って遊ぶな。そんなことして魔理沙は楽しいわけ?」
「んにゃ、全然。面白くもなんともない」
「だったらするな。あと、暑いんだから手も退けてよ。相変わらず体温は高いんだから」
眉間に皺を寄せながら手をぺしぺしと叩く。
退けてほしいならまずは腹を隠すべきだと思うのだが寝起きで頭が回ってないんだろうか。
「腹を下さないようにという優しい配慮にむしろ感謝しろよ」
「調子に乗るな」
腹に手を置いたままぷにぷにと肉を突いていたらぎゅっと手の甲を抓られた。
「痛いぜ」
「止めてほしかったらさっさと手を退ける」
「腹の肉が柔らかいぞ。最近グータラし過ぎ―」
「うっさい」
ぎりぎりぎり
「うおお痛い痛い抓るな捻るな捩るなごめんなさい!」
「魔理沙は一度“口は災いの元”って言葉を覚えたほうがいいわ」
ああ、抓られてる時の擬音って本当にこんな音がするんだな。
霊夢の抓りは弾幕ごっこで落とされるよりも痛いのを忘れていた。
このままでは肉がもがれる、千切られる。
やられっぱなしは好きじゃない。そっちが痛みで来るなら、こっちは―くすぐったさで攻めてやる。
「ああ確かに、口は災いを呼ぶのかも、なっ!」
「ひゃうっ!?」
腹を軽く一舐めしてやる。
当たり前だがしょっぱかった。
「やだ、ちょ…っ、あはははっ!やめなさ、あははははっ!!」
片手は手は未だに霊夢に封じられて使えないが、もう片方の手を使って腹をくすぐってやる。
霊夢は腹、特に臍のあたりが物凄く弱いからそこを重点的に攻めてやると、面白い位に反応が返ってきた。
こちょこちょこちょ
「あはははははっ!ちょっと魔理沙、やめ…っあはははは!」
「相変わらず腹が弱いんだな。ブン屋がいたらネタにされて一面を飾るか、号外が出たかもしれないぜ」
「あはははっ!っ魔理沙…!本気で…っ、怒るわよっ!…っひゃあ!?」
「怒る?その割に霊夢の顔は笑顔だけどな」
「こ、の…!っあはははは!」
私の攻撃から逃れようと身体をじたばたさせてもがいているが、腹をくすぐれば力を入れられないくらい抵抗は弱まる。
片手は霊夢に掴まれたままで若干動きづらいが、片手さえ自由ならもがく霊夢を押さえつけるのには十分だった。
最近は弾幕ごっこばかりだったからこんなじゃれ合いは久し振りで、上手く加減も出来ずに霊夢を笑わせて悶えさせることだけに集中していたら突如腕に痛みが走る。
霊夢に掴まれた方の腕だ。
何事かと腕を見ると霊夢が手首のあたりにがぶりと齧り付いていた。
霊夢と目が合う。
あの目は妖怪退治をしてる時と同じ目だ。
「…一応、言っておくが私は美味くないぜ?」
「………」
無言。
しかし霊夢の目が「他に言い残すことは?」と語っていた。
時間をくれるなんて霊夢にしては優しい対応だな。
「あー…、お手柔らかに頼む」
「ひへ(死ね)」
神社に絶叫が響き渡り、蝉の鳴き声は掻き消された。
…
みーんみーんみーん
蝉の鳴き声が聞こえ始めた頃、浴槽の水も丁度良い感じで溜まっていた。
ざぶん
「あー、生き返るわー…」
「歯形が消えないんだが。くっきり痕が残ってるぜ」
「あら、我ながら綺麗な歯並びで惚れ惚れするわ。それより魔理沙の腕齧った時にちょっと甘かったんだけど。なに、魔理沙の汗は甘いの?」
「何で美味そうな物を見る目でこっち見てるんだよ。んな訳ないだろ、あれは溶けたアイスが腕に付いてたからだって」
「なーんだ、それでか。ていうか浴槽狭いんだからもう少し詰めてよ」
「無理言うなよ、こっちはもう定員オーバーだ」
少しばかり過激なじゃれあいをして後、汗だくになった私と霊夢は狭い浴槽に二人で浸かっていた。
どちらが先に入るかで多少揉めたのだが、話し合いの結果何故か一緒に入ることに。
ここの風呂を借りることは結構多いが二人で入ったのは久々…いや、初めてかもしれない。
「ていうか身体洗ってないでしょ。私は洗ったんだから次は魔理沙の番よ」
ほらほら早く出なさいよと浴槽から追い出される。
文句の一つでも言いたかったがさっさと洗ってまた浸かればいい。
ごしごしと身体を洗っていると何やら感じる視線。
特に首から下、腹より上辺りを見られている。
「なんだよ」
「起伏のない身体ねぇ。茸ばっか食べてるから栄養足りてないんじゃないの?」
うるさい、と言いながら泡まみれの身体に水をかける。
視線は相変わらず同じ所に固定されたまま。
「お前だって人の事言えんだろうに。私は一応人並みに食べてるぜ」
「ふぅん。人並みに食べててそれなのね」
余計なお世話だと霊夢を睨みつけつつ、髪をわしゃわしゃと洗う。
髪が伸びてきた所為か髪を洗うのも一苦労なのだ。
水を汲んだ桶をひっくり返して髪の泡を流す。
「ふん、お前の場合胸より腹の方が出―ぅ熱っ!?」
「ああごめん。そろそろ寒くなってきたからお湯を熱くしてたんだけど、熱過ぎたかしら」
「熱過ぎだ馬鹿霊夢っ!」
突如背中にかけられる熱湯。
あまりの熱さに飛びあがり、即座に水を浴びて熱を冷ます。
涼しげな顔で風呂に浸かる霊夢が腹立たしい。
「お前がそうくるなら、こっちだって!」
「あひゃうっ!?…ってちょっと、浴槽の中でやるのは反そくっぁははははははは!」
仕返しに腹を思いきりくすぐってやった。
浴槽でもがいている軽く溺れかけている霊夢を見て爆笑していたら、浴槽に頭から沈められた。
風呂に入ってさっぱりしたはずなのに無駄な体力を消費しただけだった。
「あー…。なんか、無駄に疲れたぜ」
「魔理沙の所為でしょうに」
「霊夢が悪いんだろ」
二人の腹がぐぅと鳴る。
顔を見合わせ無言。
「…夕飯、食べてくんでしょ?」
「当たり前だ」
夕飯の冷麦はやけに美味く感じた。
しゃく、しゃく、しゃく
「よく冷えてるな」
「井戸の水でずっと冷やしてたからね」
夕飯を食べた後は縁側に座って食後の西瓜を堪能していた。
今年初めて食べた西瓜だったが甘くて瑞々しい。
大きさはそれなりにあったし結構上物の西瓜なのかもしれない。
「これも紫から貰ったのか?」
「ええ。まだ二、三個はあるから処理するの手伝ってよね」
「宴会の時に皆に食わせればいいじゃないか。幽々子あたりは喜んで処理するだろ」
「あー、それもそうねぇ」
日も暮れてあの焼けつくような日差しが無くなって辺りは大分涼しい。
喧しかった蝉も夜は休憩中なのか聞こえてはこない。
代わりにげこげこけろけろと蛙の合唱がどこからか聞こえてくる。
「蝉の次は蛙か、忙しいな。守矢神社の神様あたりが張り切ってんのかね」
「今はまだいいけど。これ以上喧しくなるようなら妖怪の山ごと吹き飛ばしてやろうかしら」
「また余計に喧しくなったりしてな。蝉と蛙はそれぞれリグルと諏訪子に頼んでおけば少しはマシになるんじゃないか?」
「ああ、確かに。穏やかな夏を手にする為に交渉してみる価値はありそうね」
「お前が言うと脅迫にしか見えないけどな。向こうも平和に過ごしたいだろうし拒みはしないだろ」
ぺちん
不意に頬を叩かれる。地味に痛い。
「何すんだ」
「蚊よ。ほら」
「蚊取り線香出しておけよ」
「ま、そのうちね」
夏になると出てくるのは蚊だけじゃない。
その他諸々の虫も夜遅くに研究をしていると明かりを求めてわらわらと集まってくる。
そのたびに虫除けの香を焚いたりするのだが面倒臭いのだ。
香霖に頼んで八卦炉に虫除けの機能でも付けてもらおうかと本気で考える。
ちりん
今日、初めて鳴った風鈴の音。
その音で風が吹いているのだと気付いた。
「あ、ようやく風が吹いてきたわね」
「出来れば日中から吹いて欲しかったな」
蛙の鳴き声と、時折聞こえる西瓜を咀嚼する音。
そして、風鈴の音。
「明日もまた、聞こえるのかしら」
「当分は聞こえるだろ」
ぺちん
「何すんのよ、痛いわね」
「蚊だよ、蚊。だから蚊取り線香出しとけよ」
「…そうしとくわ」
ちりん、ちりん
「夏ね」
「夏だな」
一日の終わりを告げる音が心地よく響いた。
聞こえてくるのは蝉の鳴き声。
長い年月を経てようやく地上に出てきた蝉が短い人生を謳歌する季節。
つまりは夏だ。
憎たらしい程に太陽光線がガンガン降り注いでいるのも、蜃気楼が出来るほど地面から熱気がゆらゆら出ているのも、どこぞの氷精が溶けかけているのも夏だからだ。
みーんみーんみーん
「………」
「………」
そんな夏の博霊神社の縁側には屍が二つ。
霊夢と私は水を張った盥に足を突っ込み、濡らしたタオルを額に乗せて横たわっていた。
十分に暑さ対策をしているように見えるが、盥に張った水も額に乗せたタオルも既にぬるい。
私の八卦炉から送られてくる風のみが頼みの綱となっていた。
みーんみーんみーん
「………」
「………」
一応木陰になっているので直射日光は避けられているが、太陽光線による熱気は避けられない。
風でも吹いていれば少しはマシなのだろうが、軒下に吊り下げられた風鈴は微動だにしていない。
少しでも風があれば「ちりん」と風流な音が聞こえてくるのだが、生憎聞こえてくるのは蝉の鳴き声だけ。
みーんみーんみ「…ああもう五月蝿い『夢想封印』!!!」
暑さやいらつきが頂点に達したらしい蝉の鳴き声がする方角に向けて夢想封印を放つと山が一つ無くなった。
巫女の機嫌を収める為の尊い犠牲である。
「…お前の方が五月蝿いぜ」
「何よ。何か文句でもあんの?」
「いーや、別に」
「ふう、これで少しは静かに…」
みーんみーんみーんみーんみーんみーん
「………」
「………」
静かになるということは全くなく、何故か音が大きくなった。
まるで霊夢が消し去った仲間達の分まで鳴こうとしているようなけたたましさだ。
ぷちぷちと何かが切れそうな音がした。
「ふ、ふふ…いい度胸ね…」
蝉の大合唱を前に手に大量の札を持った霊夢がゆらりと立ち上がる。
「そうカッカすんなよ暑苦しいな。ただでさえ暑くて死にそうだってのに」
蝉ぐらいでいちいち癇癪を起こしてその度に山を吹き飛ばすとか止めてほしい。
巫女だから何してもいいとか思うなよ。
「あんたの八卦炉が役に立たないのがいけないのよ」
ぶつくさ言いながらも渋々札をしまう。
だがそれでも蝉はみんみん鳴き続けるし暑いのも相変わらずで結局山ひとつ消し去ったところで涼しくなったりはしないのだ。
「無茶言うなこれが限界だ。冷風をお望みならどこぞの氷精でも捕まえてくるんだな」
「あーもう、盥の水もぬるいし八卦炉の風もぬるいし全然涼しくならないわ」
「霊夢が冷風を求めるならしょうがない、私はこのなけなしの涼風で我慢しようじゃないか。ああ暑い暑い」
「ちょっと、誰もいらないとは言ってないでしょ。こっちにも風寄越しなさいよ」
寝そべる二人の中間に置いていた八卦炉の風の向きを調節する。
風が来ないことに異を唱えた霊夢が寝転がったまま此方ににじり寄ってきた。
そのまま絡みつくと私が手にしている涼風の元を奪おうと手を伸ばす。暑い、ていうか熱い。
「うわ、暑いんだからくっつくなよ」
「私だって好きでくっついてるんじゃないわ。アンタが風をこっちに寄越してくれれば…ってうわ熱っ!?アンタの体温が高いから暑苦しいじゃない!」
「失礼な、人の体温に文句言うなよ。お前から近づいてきたくせにそれはないだろ…しかもどさくさに紛れて八卦炉奪おうとするな泥棒め」
「その言葉、アンタにそのままお返しするわ」
風がこないだのもっと出力あげろなどと言いながら八卦炉の奪い合い。
寝転がりながら涼を巡ってもみくちゃになった結果、無駄な体力を消費しただけの霊夢と私。
ただでさえ暑いのに軽い取っ組み合いをしたもんだから汗だくである。
蝉は相変わらず五月蝿い。
みんみん鳴くたびに霊夢が札を取り出す。
それを制止する。
以下繰り返し。
「あー…暑いわ…」
「そりゃあこの炎天下の中くんずほぐれつしてりゃあ暑いに決まってる。よっこらっせ…っと、うへぇ眩しい」
寝転がっていた体を起こす。
空を見上げると日差しは相変わらず神社を照りつけていた。
少しくらい休憩したっていいのになぁと思うが、暑くなきゃ夏じゃないとも思う。
吸血鬼が起こした異変で暑くない夏を経験したせいか、そんな風に感じてしまうのだった。
「水、ぬるいな」
「二人で一つの盥使ってたらぬるくなるのも早いでしょ」
「このままじゃ、湯になるかもな」
「そうなる前に水換えなさいよ」
話を振った時点でなんとなく予想がついていた返事。
もともと水を換えるつもりでいたが偉そうにしてる霊夢に少しムッとなる。
大抵の人間は今やろうと思っていたことを他人に指図されると腹が立つ。私も例に漏れない。
「…なんでそこで命令形なんだよお前は」
「巫女だからよ」
「巫女関係ないだろ。不公平だから私が水換える代わりにお茶でも淹れろよ」
「嫌よめんどくさい」
人に命令しておいて自分は何もしないとは理不尽もいいところだ。
このだれいむ、と小さく呟くが幸いなことに霊夢の耳には届かなかった。
「じゃあ水も換えないし、八卦炉も没収するからな」
「…鬼」
「残念ながら私は魔法使いだ。普通のな」
「…熱いのでいいわよね」
「冷たいのに決まってるだろ」
熱いのなんか出したら盥の水も湯にしてやるからな、と念を押して水を汲みに行った。
霊夢はぼんやりとそれを見送る。
それから、お茶っ葉あったかしら等と言いながらのろのろとお茶の準備を始めるのだった。
ぱしゃぱしゃ、ぱしゃり
ちゃぷんと音を立てて盥の中の水が跳ねる。
「あー生き返るわー」
「うわ、バタバタするなよ。水がかかるだろ」
「あー?涼しくなると思えばいいじゃない」
「まぁいいけどさ。…それにしても氷菓子なんてよく置いてあったな」
がりがりと音を立てながら氷菓子を頬張る二人。
ばしゃばしゃ音を立てながら水を入れ替えていたら、霊夢が冷茶と共に氷菓子を持ってきた。
どうにも腹を下しそうな組み合わせだと思うが今日見たいに暑過ぎる日にはこれでも足りないくらいかもしれない。
ちなみに、ぱきんと二つに割って食べるタイプの棒付き氷菓子だ。
暑さを訴える身体に氷菓子はまさしく天の恵みに等しい。冷たさを噛みしめるように味わって食べる。
がりがり、しゃくしゃく
「ふほひはえひふかひはほっへひは」
「何言ってんのかさっぱり分からん。口から離して喋ろよ」
「ん、少し前に紫が持ってきたのよ。ほふほはへーって」
「お裾分けな。胡散臭い事この上ないが今回は助かったぜ」
「ほうへ」
「だから咥えながら喋るなって」
霊夢の口から氷菓子を取り上げると途端に不機嫌な表情になる。
おしゃぶりを取られた幼児のみたいだ、と思っただけで口には出さないでおいた。
「ちょっと、返してよ」
「なら起きろ。寝ながら食うとか、お前だらけ過ぎ」
暑さの所為かいつも以上にだらけている。
雲ひとつない空から直に日差しを食らえばやる気も無くなるのは分からないでもない。
「それは出来ない相談ね。いいわよ、返してくれないんだったら…はむっ」
「おま…っ、それ私の…!」
「ふふふ、ほほひひへふははほーはふほほ」
「よそ見してるからそーなるのよ」と言いたいらしい。
氷菓子を素早く奪ってそのままがりがりと食べ尽くすと満足げな表情を見せた。
奪われた物は仕方がないと呆れ顔でため息を吐くしかない。
「どんだけ食い意地張ってんだよお前は。まだ半分も残ってたのに」
「人の物を奪うのがいけない」
「まあいいさ、霊夢の食べかけで我慢するか…っと、ヤバい」
霊夢から取り上げた氷菓子は半分も残っていない。
しかも暑さでダラダラと溶け出したものが手を伝って肘の方まで流れていた。
急いで口に入れるが完食する頃には腕は甘い液体にまみれていた。全く、踏んだり蹴ったりだ。
「うげ、ベタベタだ。肘の方までベタついてるぜ」
これ以上ベタつきが広がらないよう肘のあたりを舐めるがあくまで応急処置みたいなものだ。
水で洗い流すなり濡らした布で拭くなりしなければこのベタベタしたものが張り付いている感覚は取れないだろう。
いっそのこと水風呂でも浴びてさっぱりしてしまおうか。
盥から足を出しながら、風呂を借りようと霊夢に声をかける。
「なあ、霊夢」
「―――」
が、反応がない。
「…?おい、霊―」
もう一度声をかけようと隣で寝転がっている霊夢へと視線を向けると、
「くー…」
身体が冷やされて満足したのか、すやすやと寝ていた。
しかも服が肌蹴て腹が丸見えだ。日に焼けていないが、健康的な肌色をしている。
「脇だけじゃなくて腹も出すのかこの巫女は」
この気温だ、このままでも腹を下すことはないだろう。
だが若干目のやり場に困る。というより、だらしがない。
腹を隠そうと服を引っ張るも汗で湿った服は思うように動いてくれず、更に霊夢が眠ったまま身体を捩って嫌がるもんだから、結果的に腹は見えたまま。
さてどうしたもんかと考えた挙句、
「…ま、いいか。風呂だ風呂」
とりあえず放置することにした。
甘い匂いのする腕に蟻が集るのだけは避けたかったから風呂に入る準備を始めた。
「入浴準備良し。あとは水が溜まるのを待つだけだ」
水風呂に入るつもりだから湯は沸かす必要はない。必要ならば八卦炉で温めればいい。
浴槽に水が溜まるまで十分ほどかかるし、その間の暇潰しに霊夢の様子を見に行くと相変わらず腹を出したまま寝ていた。
みーんみーんみーん
蝉も変わらず喧しいし、日差しも強いまま。
日が少し傾いたせいか現在座っている縁側の方にも太陽光線がじりじり当たって熱い。
この日差しじゃあ場所を変えるか室内に避難した方がよさそうだ。
脇出し腹出し巫女はそんな太陽光線も気にせずぐーすか寝ているがよく見るとじっとりと汗が滲んでいた。
「暑さより眠気かコイツは」
こんなとこで直射日光に当たりながら寝てたらそりゃあ汗もかくだろう。
出しっぱなし腹に目をやると玉のような汗がぽつぽつと浮き出ている。
「くー…」
「……」
それを数秒見つめた後、霊夢のかいた汗の滴を人差指で一つに集めてみることにした。
理由はない。なんとなく、思いつきだ。
「おお、窪みに集まる」
いや、なんでこんなことをしてるのか自分でもよく分からない。
単なる好奇心というか、魔が差したというか。
なんだかいけないことをしているかのようなよく分からん背徳感と睡眠中の奴の身体を使ってちょっとした悪戯をしているという何とも言えない緊張感が私の行動を後押ししているようだ。
別に厭らしい気持ちなんかじゃない。うまく言えないが、つまり、あれだ。
誰も手をつけていない、水溜りに張った氷なんかを見ると割りたくなるだろう?
結露によって曇ったガラスの窓なんかを見ると指で落書きしたくなるだろう?
ピンと張り替えたばかりの障子窓なんかを見ると破きたくなるだろう?
そういう類の気持ちと似ているのだ。
誰も手出ししていない場所に踏み込むような、優越感やら好奇心やら背徳感なんかが入り混じったあの独特の感覚。
つまり抗いがたいものなんだ、と自分自身と此処にはいない誰かに向かって言い聞かせた。
つい、つい
つう……ぴと
小さな滴を指先に集めては大きな滴に成長させる。
ある程度大きくなれば重みで窪みへと流れ、それが集まって小さな泉を作る。汗だけどさ。
別に楽しいわけではない。面白いとも思っていない。
ただ、気付いたら手が伸びていた。指先が触れていた。
この感じ、蟻の行列を無心でジッと見つめていた幼い頃に似ているなとふと思う。
「何してるのよ」
声が腹から…じゃない、下から聞こえると思ったら霊夢が私をジト目で見ていた。
「腹出し巫女にお茶目な悪戯ってところだ。気にするな」
「気にしないわけがないでしょ。ていうかこそばゆいんだけど」
ま、流石に時間切れか。
暑苦しくて目覚めたのか腹のこそばゆさに目覚めたのかは知らんが霊夢が起きたのなら暇つぶしはここまでだ。
丁度浴槽の水もいい感じに溜まっている頃合いだろうと霊夢の腹に這わしていた指の動きを止めた。
「霊夢にしては珍しく汗をかいてたからちょっと遊んでみた」
「人のお腹弄って遊ぶな。そんなことして魔理沙は楽しいわけ?」
「んにゃ、全然。面白くもなんともない」
「だったらするな。あと、暑いんだから手も退けてよ。相変わらず体温は高いんだから」
眉間に皺を寄せながら手をぺしぺしと叩く。
退けてほしいならまずは腹を隠すべきだと思うのだが寝起きで頭が回ってないんだろうか。
「腹を下さないようにという優しい配慮にむしろ感謝しろよ」
「調子に乗るな」
腹に手を置いたままぷにぷにと肉を突いていたらぎゅっと手の甲を抓られた。
「痛いぜ」
「止めてほしかったらさっさと手を退ける」
「腹の肉が柔らかいぞ。最近グータラし過ぎ―」
「うっさい」
ぎりぎりぎり
「うおお痛い痛い抓るな捻るな捩るなごめんなさい!」
「魔理沙は一度“口は災いの元”って言葉を覚えたほうがいいわ」
ああ、抓られてる時の擬音って本当にこんな音がするんだな。
霊夢の抓りは弾幕ごっこで落とされるよりも痛いのを忘れていた。
このままでは肉がもがれる、千切られる。
やられっぱなしは好きじゃない。そっちが痛みで来るなら、こっちは―くすぐったさで攻めてやる。
「ああ確かに、口は災いを呼ぶのかも、なっ!」
「ひゃうっ!?」
腹を軽く一舐めしてやる。
当たり前だがしょっぱかった。
「やだ、ちょ…っ、あはははっ!やめなさ、あははははっ!!」
片手は手は未だに霊夢に封じられて使えないが、もう片方の手を使って腹をくすぐってやる。
霊夢は腹、特に臍のあたりが物凄く弱いからそこを重点的に攻めてやると、面白い位に反応が返ってきた。
こちょこちょこちょ
「あはははははっ!ちょっと魔理沙、やめ…っあはははは!」
「相変わらず腹が弱いんだな。ブン屋がいたらネタにされて一面を飾るか、号外が出たかもしれないぜ」
「あはははっ!っ魔理沙…!本気で…っ、怒るわよっ!…っひゃあ!?」
「怒る?その割に霊夢の顔は笑顔だけどな」
「こ、の…!っあはははは!」
私の攻撃から逃れようと身体をじたばたさせてもがいているが、腹をくすぐれば力を入れられないくらい抵抗は弱まる。
片手は霊夢に掴まれたままで若干動きづらいが、片手さえ自由ならもがく霊夢を押さえつけるのには十分だった。
最近は弾幕ごっこばかりだったからこんなじゃれ合いは久し振りで、上手く加減も出来ずに霊夢を笑わせて悶えさせることだけに集中していたら突如腕に痛みが走る。
霊夢に掴まれた方の腕だ。
何事かと腕を見ると霊夢が手首のあたりにがぶりと齧り付いていた。
霊夢と目が合う。
あの目は妖怪退治をしてる時と同じ目だ。
「…一応、言っておくが私は美味くないぜ?」
「………」
無言。
しかし霊夢の目が「他に言い残すことは?」と語っていた。
時間をくれるなんて霊夢にしては優しい対応だな。
「あー…、お手柔らかに頼む」
「ひへ(死ね)」
神社に絶叫が響き渡り、蝉の鳴き声は掻き消された。
…
みーんみーんみーん
蝉の鳴き声が聞こえ始めた頃、浴槽の水も丁度良い感じで溜まっていた。
ざぶん
「あー、生き返るわー…」
「歯形が消えないんだが。くっきり痕が残ってるぜ」
「あら、我ながら綺麗な歯並びで惚れ惚れするわ。それより魔理沙の腕齧った時にちょっと甘かったんだけど。なに、魔理沙の汗は甘いの?」
「何で美味そうな物を見る目でこっち見てるんだよ。んな訳ないだろ、あれは溶けたアイスが腕に付いてたからだって」
「なーんだ、それでか。ていうか浴槽狭いんだからもう少し詰めてよ」
「無理言うなよ、こっちはもう定員オーバーだ」
少しばかり過激なじゃれあいをして後、汗だくになった私と霊夢は狭い浴槽に二人で浸かっていた。
どちらが先に入るかで多少揉めたのだが、話し合いの結果何故か一緒に入ることに。
ここの風呂を借りることは結構多いが二人で入ったのは久々…いや、初めてかもしれない。
「ていうか身体洗ってないでしょ。私は洗ったんだから次は魔理沙の番よ」
ほらほら早く出なさいよと浴槽から追い出される。
文句の一つでも言いたかったがさっさと洗ってまた浸かればいい。
ごしごしと身体を洗っていると何やら感じる視線。
特に首から下、腹より上辺りを見られている。
「なんだよ」
「起伏のない身体ねぇ。茸ばっか食べてるから栄養足りてないんじゃないの?」
うるさい、と言いながら泡まみれの身体に水をかける。
視線は相変わらず同じ所に固定されたまま。
「お前だって人の事言えんだろうに。私は一応人並みに食べてるぜ」
「ふぅん。人並みに食べててそれなのね」
余計なお世話だと霊夢を睨みつけつつ、髪をわしゃわしゃと洗う。
髪が伸びてきた所為か髪を洗うのも一苦労なのだ。
水を汲んだ桶をひっくり返して髪の泡を流す。
「ふん、お前の場合胸より腹の方が出―ぅ熱っ!?」
「ああごめん。そろそろ寒くなってきたからお湯を熱くしてたんだけど、熱過ぎたかしら」
「熱過ぎだ馬鹿霊夢っ!」
突如背中にかけられる熱湯。
あまりの熱さに飛びあがり、即座に水を浴びて熱を冷ます。
涼しげな顔で風呂に浸かる霊夢が腹立たしい。
「お前がそうくるなら、こっちだって!」
「あひゃうっ!?…ってちょっと、浴槽の中でやるのは反そくっぁははははははは!」
仕返しに腹を思いきりくすぐってやった。
浴槽でもがいている軽く溺れかけている霊夢を見て爆笑していたら、浴槽に頭から沈められた。
風呂に入ってさっぱりしたはずなのに無駄な体力を消費しただけだった。
「あー…。なんか、無駄に疲れたぜ」
「魔理沙の所為でしょうに」
「霊夢が悪いんだろ」
二人の腹がぐぅと鳴る。
顔を見合わせ無言。
「…夕飯、食べてくんでしょ?」
「当たり前だ」
夕飯の冷麦はやけに美味く感じた。
しゃく、しゃく、しゃく
「よく冷えてるな」
「井戸の水でずっと冷やしてたからね」
夕飯を食べた後は縁側に座って食後の西瓜を堪能していた。
今年初めて食べた西瓜だったが甘くて瑞々しい。
大きさはそれなりにあったし結構上物の西瓜なのかもしれない。
「これも紫から貰ったのか?」
「ええ。まだ二、三個はあるから処理するの手伝ってよね」
「宴会の時に皆に食わせればいいじゃないか。幽々子あたりは喜んで処理するだろ」
「あー、それもそうねぇ」
日も暮れてあの焼けつくような日差しが無くなって辺りは大分涼しい。
喧しかった蝉も夜は休憩中なのか聞こえてはこない。
代わりにげこげこけろけろと蛙の合唱がどこからか聞こえてくる。
「蝉の次は蛙か、忙しいな。守矢神社の神様あたりが張り切ってんのかね」
「今はまだいいけど。これ以上喧しくなるようなら妖怪の山ごと吹き飛ばしてやろうかしら」
「また余計に喧しくなったりしてな。蝉と蛙はそれぞれリグルと諏訪子に頼んでおけば少しはマシになるんじゃないか?」
「ああ、確かに。穏やかな夏を手にする為に交渉してみる価値はありそうね」
「お前が言うと脅迫にしか見えないけどな。向こうも平和に過ごしたいだろうし拒みはしないだろ」
ぺちん
不意に頬を叩かれる。地味に痛い。
「何すんだ」
「蚊よ。ほら」
「蚊取り線香出しておけよ」
「ま、そのうちね」
夏になると出てくるのは蚊だけじゃない。
その他諸々の虫も夜遅くに研究をしていると明かりを求めてわらわらと集まってくる。
そのたびに虫除けの香を焚いたりするのだが面倒臭いのだ。
香霖に頼んで八卦炉に虫除けの機能でも付けてもらおうかと本気で考える。
ちりん
今日、初めて鳴った風鈴の音。
その音で風が吹いているのだと気付いた。
「あ、ようやく風が吹いてきたわね」
「出来れば日中から吹いて欲しかったな」
蛙の鳴き声と、時折聞こえる西瓜を咀嚼する音。
そして、風鈴の音。
「明日もまた、聞こえるのかしら」
「当分は聞こえるだろ」
ぺちん
「何すんのよ、痛いわね」
「蚊だよ、蚊。だから蚊取り線香出しとけよ」
「…そうしとくわ」
ちりん、ちりん
「夏ね」
「夏だな」
一日の終わりを告げる音が心地よく響いた。
霊夢と魔理沙はこんな感じでなんでもない日をすごしてるのかな…
昼間は暑いけど夜は涼しくなってきましたね
分かっているじゃないか。
大好きだ。