「はあ……」と、霊夢は大げさなため息をついた。
季節は巡り、早いものでもう六月。
幻想郷も梅雨に入り、外はザーザーと雨が降り続く、悪天候だ。
この雨も、今日で既に三日目へと入っている。
その間、雲間からは一片の日差しすらも入る事はなかった。
雨が降ると外出できない吸血鬼や、好き勝手に飛び回れない妖精たちのみならず、この時期は誰もが憂鬱なものである。
当然、博麗の巫女たる霊夢にとっても、それは例外ではない。
雨により、ここの所は珍しく来客のない神社。
シーンと静まり返ったそこは、いつものガヤガヤと賑わった神社と同じ場所だとは、とても思えない。
(今年も、とうとうこの季節が来ちゃったわね)
そんなことを思いつつ、霊夢は一人、何をするでもなく横になっていた。
本当は、霊夢は食料の買出しにでも行きたいと考えているのだが、長雨により中々外に出られないというのが現実だった。
レミリアのように、全く外へ出られないという訳ではないが、だからといって好き好んで濡れたい訳でもないからだ。
また、どうしても部屋に篭りがちになってしまう湿気が、彼女の体力を容赦なく奪っていく。おかげで、ますます出かける気がしなくなってしまう。
(じめじめして、本当蒸すわね。これだけでも、何とかできるといいんだけど)
額の汗を拭いつつ、霊夢は思う。
夏はまだ先の話であり、室温はそこまで高いわけでもないのだが、この湿気は非常に問題だ。
おせんべの湿気ないやつをいくら置いておいたところで、とても追いつかない。
(そう、あれよ。あれさえあれば、この位どうってことないのに)
霊夢は、以前に香霖堂で見た『除湿機』とかいうものの存在を思い出す。
あの道具を一目見たとき、物珍しさから実際に動かしてもらったが、流石に外のものだけあって、威力はすごかった。
気温そのものはさして変わらずとも、湿気がなくなるだけでこんなにも快適なのかと、霊夢は珍しく感動を覚えたほどである。
とは言っても、その除湿機は、彼女にとって目の玉が飛び出るほどのプライスをしていたために、どうにもこうにも入手は不可能なのだが。
(魔理沙みたく"借りて"来る、なんてのも考えたけど……。そもそもこの雨じゃ、あそこまで出る事自体、億劫だし)
勿論、結界を張れば濡れずに外へと出れるが、わざわざそこまでするのもまた面倒。
結局、霊夢はもそもそと起き上がると、団扇を一本持ってきて、横になりながら扇ぐのだった。
(ったく、一昨日も昨日も降ってたってのに。いい加減にしつこいのよ)
何となく障子を開け、降り注ぐ雨を眺めながら、心中で悪態をつく霊夢。
元来の彼女の性格もあるのだろうが、これだけ雨が降り続ければ、誰だって似たような怒りは覚えるだろう。
まあ、だからといって、そんなことをした所で、いきなり日が差し込むわけでもない。
霊夢はため息を一つつくと、障子を閉め、ごろりと一つ寝返りを打つ。
雨は、まだ当分やみそうにない。
洗濯や布団干しは勿論、境内の掃除もできそうにないし、室内掃除は既に終わっている。
となれば、今日はもうこのまま寝てしまおうか。
(ここ二日、ずっとそうしてたんだけど。いい加減、寝るのも飽きたわよ)
とはいえ、他にやることもないから仕方がない。
自らの腕を枕にすると、さっさと眠るべく目を瞑る霊夢。
(これやると、腕が痺れるから嫌なんだけど。でももう枕取りに行くのもめんどいし)
……どうやら、雨は人のやる気をとことん奪うらしい。
すると、そんな彼女の耳に、ガラガラと戸を開ける音と、お馴染みの声が聞こえた。
「れーいーむー。あーそーぼー」
「……帰れ」
「おおう。親友に対して、いきなりひどい言い草だぜ」
傍から見れば、とても友人同士とは思えないこの会話。
あんまりと言えばあんまりな霊夢の態度に、霊夢がいじめるー、なんて言いながら、魔理沙はわざとらしく泣くふりをする。
居間からごろごろと、まるで蓑虫のように転がって出てきた霊夢は、そんな彼女をじと目で見つめて言った。
「大体何よ、あの挨拶。あんたは子供か」
「別にいいだろ。たまには童心に帰ることも必要だぜ?」
「何でいきなりそんなことを思うのか、私には理解できないわ」
にかっと笑いながら答える魔理沙に、霊夢は冷たくそう返す。
「それに、今時子供だってしないわよ、そんな挨拶」
「そうか?私はよく、こうやって友達を誘ったものだが」
「あんたが子供じゃなくなってから、もう何年経ったと思ってるのよ」
呟きつつ、再びごろごろと居間へ戻っていく霊夢。
魔理沙も靴を脱ぐと「ああ、たしかに、今の私はもう『子供』じゃなくて『少女』だもんなー」と言いながら彼女の後を追う。
「ちょっと、何で勝手に入ってくるのよ」
「うう、外寒いぜ。梅雨寒ってやつだな」
「……聞いてないし。というか、私はむしろ、ムシムシして暑い位なんだけど」
炬燵ないのか炬燵ー、と喚く魔理沙に対し、そんなものとっくにしまったわよ、とにべもない霊夢。
霊夢の言葉にそっかー、そりゃそうだよなー、と適当に返すと、魔理沙も、居間へと入って行った。
「……たしかに、外と比べると蒸すな、ここ」
「だから言ったでしょうが。蒸して暑いって」
「家主の前で言うのは悪いが、とても快適とは言い難いな」
魔理沙が言うと、流石に少々ムッとした表情を浮かべて、霊夢は言い返す。
「じゃあどうすんのよ。どっか他のとこ探せば?」
「いや、今来たばかりだろ。流石にこれぐらいじゃあ、他所を探したりしないぜ」
「……そう。それじゃあ、好きにしたら?」
昔から知ってたけど、勝手なやつ。
呆れたように霊夢が言うと、魔理沙も「好きにさせてもらうぜ」と部屋へ横になった。
ザーザーと、雨の音だけが、うるさいほどに部屋へと響き渡る。
2人は、お互い何をするでもなく、ただただ静かな時間を過ごす。
「子供の頃はさあ、雨が降ると結構わくわくしなかったか?」
どのくらい経ってからか、唐突に、魔理沙がそんなことを話し始めた。
「『あめあめふれふれかあさんが~』なんて歌ったりとかさ。新しい傘を使うのが嬉しかったり、長靴で水溜りに飛び込んだり」
今となっては想像し難いが、彼女にも、そんな普通の子供時代があったのだろう。
当時を思い出しつつ、懐かしそうな表情で、そう語る魔理沙。
彼女の言う通り、雨降りも悪いことばかりではない。
普段はしない室内遊びを色々と考えたり。傘を差して外へ出かけ、蛙やカタツムリを見つけては、触ってみたり。
怒られる事を承知の上で、敢えてびしょ濡れになってみたり。
振り返ってみれば、雨の日にしか出来ない事は、意外と多かったはずだ。
しかし、「そうだよな?」というような魔理沙の視線に対し、霊夢は「……私は、昔からずっと雨は嫌いよ」とあっさり返す。
「雨が降ると、頭は痛くなるし、出来る家事も制限されるし、買い物に出るのも面倒だし」
「いやまあ、それはそうなんだが」
堰を切ったように捲くし立てる霊夢に対し、魔理沙は思わず苦笑を浮かべる。
たしかに、今となっては、魔理沙もそれほど雨が好きなわけではない。
飛び回るなら青空か星空の方が気持ちいいし、少しの湿気でも本には良くない。
それに、この年になって全身びしょ濡れは、流石の彼女でももう勘弁だ。
ただ、特別話す事もなかったから、ほんの世間話のようなノリで問いかけただけだったのだが。
(こいつが、ここまで雨嫌いだとは思わなかったぜ)
自らの予想以上に雨を嫌悪していた霊夢に対し、魔理沙は内心でため息をついた。
そんな魔理沙に構わず、霊夢はさらにエスカレートしていく。
「じめじめして汗かくし、食べ物は湿気やすくなるし、下手すると畳にまでカビ生えたりするし」
「でも、押入れから茸取れたりするだろ?」
「あんたじゃあるまいし、取れたって嬉しかないわよ!」
まさか、そんなものを喜んで食べるとでも思われたのだろうか。
いくら何でも、霊夢だってそこまで生活に困窮しているわけではないのだ。
「他にも、外に出れば傘差してても体濡れるし、泥は跳ねるし、いいことなんて本当ないし!」
「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」
霊夢の声に気圧された魔理沙は、別段自分が悪いわけでもないのに、思わず謝りの言葉を口にする。
「何か知らないけど、悪かったって。お前がそこまで雨が嫌いだなんて思わなくて」
「でもまあ、まだそんなのは、どうでもいいのよ」
「はあ?どうでもいいって、お前……」
その言葉に、訳が分からないといった表情になる魔理沙。
それはそうだろう。散々雨が嫌いな理由を挙げておいて、最終的にそれらはどうでもいいとは何事か。
「何だよ。じゃあ結局、何で雨がそんなに嫌いなんだ?」
そしてそれは、ちゃんと私を納得させられるような理由なのか?
先程無意味に謝ってしまった悔しさもあるのだろう。
霊夢の顔を真っ直ぐに見ながら、魔理沙は少し怒ったかのような声で、そう問いかける。
すると、霊夢はわずかに顔を紅く染めながら
「……雨が続くと、レミリアとかチルノとか、全然来れなくなるじゃない」
ふいっと魔理沙から視線を外しながら、聞こえるか聞こえないかという位小さな声で、そう呟いたのだった。
魔理沙は、その言葉に対して、呆気に取られつつも思う。
(……こいつは、まったく)
雨降りで友人が来れずに寂しいなら、最初からそう言えばいいじゃないか。
むしろ、自分からどこかに出向けばいい。雨が降ってるからといって、別に誰かに閉じ込められているわけでもなし、彼女なら、大抵のところは歓迎してくれるはずだ。
(でも、できないんだろうなあ)
おそらくは、子供の頃から、遊びに来られるのは慣れていても、自分から誰かの家に遊びに行く機会などなかったのだろう。
それが中立を重んじ、誰をも贔屓しない巫女としての血なのか、単に彼女の性格なのかは、流石の魔理沙にも分からないが。
(もし後者だとしたら、こんなに不器用なやつもいないな)
目の前の友人を見つめつつ、魔理沙は思う。
思わず笑いそうになるのをこらえながら、霊夢に向かい「私はこうやって来てるわけだが、それじゃ不満か?」と問う魔理沙。
すると、霊夢はひどく慌てたような声で
「あんただって昨日一昨日は来なかったでしょうが……って、いや、べ、別に私が寂しいとかそんなんじゃなくて!あいつらが暇を持て余して、変なことやよからぬ事を考えたら面倒だなーって……」
などと口にする。
明らかに本心ではないその言葉を聞き、魔理沙は笑みを浮かべながら言った。
「はいはい。そうなったら私がさくっと異変解決しといてやるから。霊夢は何にも心配せず、ここで寝てていいんだぜ?」
「……もう!」
からかわれていると分かったのか、怒ったようにそれだけ言うと、ごろごろと転がりながら魔理沙から離れていく霊夢。
そんな霊夢を、これまたごろごろと転がりながら、魔理沙は追いかける。
「ついてくんなー!」
「ハハハッ。私から逃げられると思うか~?」
ごろごろ。ごろごろ。雨音に混じり、二人の転がる音が神社に響く。
博麗神社の居間では、二人の追いかけっこが、いつまでも終わることなく続いていた。
気が付けば、時刻はあっという間に夜と言って差し支えの無い時間。
「……あんたさあ」
「うん?」
すっかり暗くなった外を見て、そろそろ帰るぜと言い出した魔理沙に、霊夢は問う。
「結局、何しに来たわけ?」
「遊びにだぜ?」
霊夢の問いに、あっさりとそう返す魔理沙。彼女は続けて言った。
「ここ二日も来れなかったからな。今日で、神社分を充電させてもらったぜ」
「うちの神社を、糖分か何かみたいに言わないでよ。……それに、横になってただけじゃない」
遊びと言えば、もっとこう、お茶を飲んだり酒盛りしたりとか、そういうのではないだろうか。
今日は生憎、そのどちらも切れていたため、二人はずっと、ただごろごろとしていただけだ。
はたして、それだけで魔理沙は、本当に満足だったのだろうか。
そんな霊夢の問いに、魔理沙は首を振りながら「いやあ、私はこれで充分満足だぜ?」と、微笑を浮かべながら答えた。
「ありがとな、霊夢。今日も楽しかったぜ」
尚も微笑みながら、そう続ける魔理沙。
その表情を見ている限り、彼女の言葉には一片の嘘もなさそうだ。
それが分かると、霊夢は何故か、ほっとした気持ちになる。
どこが満足だったのかはさっぱり分からなかったが、彼女が満足というならそうなのだろう。
霊夢はそれ以上深く追求する事もなく「……まあ、あんたがいいならそれでいいけどね」と言うのみだった。
「あっと、そういえば忘れてたぜ」
「? 何よ?」
今にも玄関を出ようとしていた魔理沙は、不意に何かを思い出したかのように後ろを振り返り、霊夢に声をかける。
「にとりの天気予報機によると、明日は一日晴れらしいぞ」
「え?本当!?」
『にとりの天気予報機』とは、河童の技術と早苗のうろ覚えの記憶を頼りに作られ、試作機にして的中率80%を誇っている驚異のマシンだ。
現在は改良が進み、的中率は90%まで上がっているというから、明日の天気はほぼ晴れとみて間違いないのだろう。
「そっか、明日は晴れか……」
呟きつつ、嬉しそうに微笑む霊夢。
そんな霊夢に向かい、魔理沙はニヤニヤとした表情で言う。
「良かったな、霊夢」
「え、ええ!やっと洗濯物や布団が干せるもの!買い物にも出れるし!本当に良かった!」
「でも、明日は待ってなきゃいけないやつが、沢山いるんじゃないか?」
「え!?」
レミリアと、従者の咲夜。それに早苗。アリス辺りも、おそらく明日は狙っているだろう。
勿論、魔理沙も、明日は何か手土産を持ってここを訪れるつもりだ。
久方ぶりにここが宴会騒ぎとなるのは、最早間違いない。
「べ、別にそんなやつらが来たって、私は普段通りに振舞うだけだし……」
おそらく内心は、嬉しくて仕方がないのであろう。
それでも、あくまでそんな素直でないことを口にしてしまう霊夢。
その言葉を聞いて、とうとう堪えきれず、魔理沙はククッと噴出してしまった。
霊夢は、そんな魔理沙に「な、何笑ってんのよー!」と怒鳴り声を上げる。
いつの間にか、雨音はすっかりやみ。
空を見上げれば、何十時間かぶりに、星の瞬きが眺められた。
季節は巡り、早いものでもう六月。
幻想郷も梅雨に入り、外はザーザーと雨が降り続く、悪天候だ。
この雨も、今日で既に三日目へと入っている。
その間、雲間からは一片の日差しすらも入る事はなかった。
雨が降ると外出できない吸血鬼や、好き勝手に飛び回れない妖精たちのみならず、この時期は誰もが憂鬱なものである。
当然、博麗の巫女たる霊夢にとっても、それは例外ではない。
雨により、ここの所は珍しく来客のない神社。
シーンと静まり返ったそこは、いつものガヤガヤと賑わった神社と同じ場所だとは、とても思えない。
(今年も、とうとうこの季節が来ちゃったわね)
そんなことを思いつつ、霊夢は一人、何をするでもなく横になっていた。
本当は、霊夢は食料の買出しにでも行きたいと考えているのだが、長雨により中々外に出られないというのが現実だった。
レミリアのように、全く外へ出られないという訳ではないが、だからといって好き好んで濡れたい訳でもないからだ。
また、どうしても部屋に篭りがちになってしまう湿気が、彼女の体力を容赦なく奪っていく。おかげで、ますます出かける気がしなくなってしまう。
(じめじめして、本当蒸すわね。これだけでも、何とかできるといいんだけど)
額の汗を拭いつつ、霊夢は思う。
夏はまだ先の話であり、室温はそこまで高いわけでもないのだが、この湿気は非常に問題だ。
おせんべの湿気ないやつをいくら置いておいたところで、とても追いつかない。
(そう、あれよ。あれさえあれば、この位どうってことないのに)
霊夢は、以前に香霖堂で見た『除湿機』とかいうものの存在を思い出す。
あの道具を一目見たとき、物珍しさから実際に動かしてもらったが、流石に外のものだけあって、威力はすごかった。
気温そのものはさして変わらずとも、湿気がなくなるだけでこんなにも快適なのかと、霊夢は珍しく感動を覚えたほどである。
とは言っても、その除湿機は、彼女にとって目の玉が飛び出るほどのプライスをしていたために、どうにもこうにも入手は不可能なのだが。
(魔理沙みたく"借りて"来る、なんてのも考えたけど……。そもそもこの雨じゃ、あそこまで出る事自体、億劫だし)
勿論、結界を張れば濡れずに外へと出れるが、わざわざそこまでするのもまた面倒。
結局、霊夢はもそもそと起き上がると、団扇を一本持ってきて、横になりながら扇ぐのだった。
(ったく、一昨日も昨日も降ってたってのに。いい加減にしつこいのよ)
何となく障子を開け、降り注ぐ雨を眺めながら、心中で悪態をつく霊夢。
元来の彼女の性格もあるのだろうが、これだけ雨が降り続ければ、誰だって似たような怒りは覚えるだろう。
まあ、だからといって、そんなことをした所で、いきなり日が差し込むわけでもない。
霊夢はため息を一つつくと、障子を閉め、ごろりと一つ寝返りを打つ。
雨は、まだ当分やみそうにない。
洗濯や布団干しは勿論、境内の掃除もできそうにないし、室内掃除は既に終わっている。
となれば、今日はもうこのまま寝てしまおうか。
(ここ二日、ずっとそうしてたんだけど。いい加減、寝るのも飽きたわよ)
とはいえ、他にやることもないから仕方がない。
自らの腕を枕にすると、さっさと眠るべく目を瞑る霊夢。
(これやると、腕が痺れるから嫌なんだけど。でももう枕取りに行くのもめんどいし)
……どうやら、雨は人のやる気をとことん奪うらしい。
すると、そんな彼女の耳に、ガラガラと戸を開ける音と、お馴染みの声が聞こえた。
「れーいーむー。あーそーぼー」
「……帰れ」
「おおう。親友に対して、いきなりひどい言い草だぜ」
傍から見れば、とても友人同士とは思えないこの会話。
あんまりと言えばあんまりな霊夢の態度に、霊夢がいじめるー、なんて言いながら、魔理沙はわざとらしく泣くふりをする。
居間からごろごろと、まるで蓑虫のように転がって出てきた霊夢は、そんな彼女をじと目で見つめて言った。
「大体何よ、あの挨拶。あんたは子供か」
「別にいいだろ。たまには童心に帰ることも必要だぜ?」
「何でいきなりそんなことを思うのか、私には理解できないわ」
にかっと笑いながら答える魔理沙に、霊夢は冷たくそう返す。
「それに、今時子供だってしないわよ、そんな挨拶」
「そうか?私はよく、こうやって友達を誘ったものだが」
「あんたが子供じゃなくなってから、もう何年経ったと思ってるのよ」
呟きつつ、再びごろごろと居間へ戻っていく霊夢。
魔理沙も靴を脱ぐと「ああ、たしかに、今の私はもう『子供』じゃなくて『少女』だもんなー」と言いながら彼女の後を追う。
「ちょっと、何で勝手に入ってくるのよ」
「うう、外寒いぜ。梅雨寒ってやつだな」
「……聞いてないし。というか、私はむしろ、ムシムシして暑い位なんだけど」
炬燵ないのか炬燵ー、と喚く魔理沙に対し、そんなものとっくにしまったわよ、とにべもない霊夢。
霊夢の言葉にそっかー、そりゃそうだよなー、と適当に返すと、魔理沙も、居間へと入って行った。
「……たしかに、外と比べると蒸すな、ここ」
「だから言ったでしょうが。蒸して暑いって」
「家主の前で言うのは悪いが、とても快適とは言い難いな」
魔理沙が言うと、流石に少々ムッとした表情を浮かべて、霊夢は言い返す。
「じゃあどうすんのよ。どっか他のとこ探せば?」
「いや、今来たばかりだろ。流石にこれぐらいじゃあ、他所を探したりしないぜ」
「……そう。それじゃあ、好きにしたら?」
昔から知ってたけど、勝手なやつ。
呆れたように霊夢が言うと、魔理沙も「好きにさせてもらうぜ」と部屋へ横になった。
ザーザーと、雨の音だけが、うるさいほどに部屋へと響き渡る。
2人は、お互い何をするでもなく、ただただ静かな時間を過ごす。
「子供の頃はさあ、雨が降ると結構わくわくしなかったか?」
どのくらい経ってからか、唐突に、魔理沙がそんなことを話し始めた。
「『あめあめふれふれかあさんが~』なんて歌ったりとかさ。新しい傘を使うのが嬉しかったり、長靴で水溜りに飛び込んだり」
今となっては想像し難いが、彼女にも、そんな普通の子供時代があったのだろう。
当時を思い出しつつ、懐かしそうな表情で、そう語る魔理沙。
彼女の言う通り、雨降りも悪いことばかりではない。
普段はしない室内遊びを色々と考えたり。傘を差して外へ出かけ、蛙やカタツムリを見つけては、触ってみたり。
怒られる事を承知の上で、敢えてびしょ濡れになってみたり。
振り返ってみれば、雨の日にしか出来ない事は、意外と多かったはずだ。
しかし、「そうだよな?」というような魔理沙の視線に対し、霊夢は「……私は、昔からずっと雨は嫌いよ」とあっさり返す。
「雨が降ると、頭は痛くなるし、出来る家事も制限されるし、買い物に出るのも面倒だし」
「いやまあ、それはそうなんだが」
堰を切ったように捲くし立てる霊夢に対し、魔理沙は思わず苦笑を浮かべる。
たしかに、今となっては、魔理沙もそれほど雨が好きなわけではない。
飛び回るなら青空か星空の方が気持ちいいし、少しの湿気でも本には良くない。
それに、この年になって全身びしょ濡れは、流石の彼女でももう勘弁だ。
ただ、特別話す事もなかったから、ほんの世間話のようなノリで問いかけただけだったのだが。
(こいつが、ここまで雨嫌いだとは思わなかったぜ)
自らの予想以上に雨を嫌悪していた霊夢に対し、魔理沙は内心でため息をついた。
そんな魔理沙に構わず、霊夢はさらにエスカレートしていく。
「じめじめして汗かくし、食べ物は湿気やすくなるし、下手すると畳にまでカビ生えたりするし」
「でも、押入れから茸取れたりするだろ?」
「あんたじゃあるまいし、取れたって嬉しかないわよ!」
まさか、そんなものを喜んで食べるとでも思われたのだろうか。
いくら何でも、霊夢だってそこまで生活に困窮しているわけではないのだ。
「他にも、外に出れば傘差してても体濡れるし、泥は跳ねるし、いいことなんて本当ないし!」
「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」
霊夢の声に気圧された魔理沙は、別段自分が悪いわけでもないのに、思わず謝りの言葉を口にする。
「何か知らないけど、悪かったって。お前がそこまで雨が嫌いだなんて思わなくて」
「でもまあ、まだそんなのは、どうでもいいのよ」
「はあ?どうでもいいって、お前……」
その言葉に、訳が分からないといった表情になる魔理沙。
それはそうだろう。散々雨が嫌いな理由を挙げておいて、最終的にそれらはどうでもいいとは何事か。
「何だよ。じゃあ結局、何で雨がそんなに嫌いなんだ?」
そしてそれは、ちゃんと私を納得させられるような理由なのか?
先程無意味に謝ってしまった悔しさもあるのだろう。
霊夢の顔を真っ直ぐに見ながら、魔理沙は少し怒ったかのような声で、そう問いかける。
すると、霊夢はわずかに顔を紅く染めながら
「……雨が続くと、レミリアとかチルノとか、全然来れなくなるじゃない」
ふいっと魔理沙から視線を外しながら、聞こえるか聞こえないかという位小さな声で、そう呟いたのだった。
魔理沙は、その言葉に対して、呆気に取られつつも思う。
(……こいつは、まったく)
雨降りで友人が来れずに寂しいなら、最初からそう言えばいいじゃないか。
むしろ、自分からどこかに出向けばいい。雨が降ってるからといって、別に誰かに閉じ込められているわけでもなし、彼女なら、大抵のところは歓迎してくれるはずだ。
(でも、できないんだろうなあ)
おそらくは、子供の頃から、遊びに来られるのは慣れていても、自分から誰かの家に遊びに行く機会などなかったのだろう。
それが中立を重んじ、誰をも贔屓しない巫女としての血なのか、単に彼女の性格なのかは、流石の魔理沙にも分からないが。
(もし後者だとしたら、こんなに不器用なやつもいないな)
目の前の友人を見つめつつ、魔理沙は思う。
思わず笑いそうになるのをこらえながら、霊夢に向かい「私はこうやって来てるわけだが、それじゃ不満か?」と問う魔理沙。
すると、霊夢はひどく慌てたような声で
「あんただって昨日一昨日は来なかったでしょうが……って、いや、べ、別に私が寂しいとかそんなんじゃなくて!あいつらが暇を持て余して、変なことやよからぬ事を考えたら面倒だなーって……」
などと口にする。
明らかに本心ではないその言葉を聞き、魔理沙は笑みを浮かべながら言った。
「はいはい。そうなったら私がさくっと異変解決しといてやるから。霊夢は何にも心配せず、ここで寝てていいんだぜ?」
「……もう!」
からかわれていると分かったのか、怒ったようにそれだけ言うと、ごろごろと転がりながら魔理沙から離れていく霊夢。
そんな霊夢を、これまたごろごろと転がりながら、魔理沙は追いかける。
「ついてくんなー!」
「ハハハッ。私から逃げられると思うか~?」
ごろごろ。ごろごろ。雨音に混じり、二人の転がる音が神社に響く。
博麗神社の居間では、二人の追いかけっこが、いつまでも終わることなく続いていた。
気が付けば、時刻はあっという間に夜と言って差し支えの無い時間。
「……あんたさあ」
「うん?」
すっかり暗くなった外を見て、そろそろ帰るぜと言い出した魔理沙に、霊夢は問う。
「結局、何しに来たわけ?」
「遊びにだぜ?」
霊夢の問いに、あっさりとそう返す魔理沙。彼女は続けて言った。
「ここ二日も来れなかったからな。今日で、神社分を充電させてもらったぜ」
「うちの神社を、糖分か何かみたいに言わないでよ。……それに、横になってただけじゃない」
遊びと言えば、もっとこう、お茶を飲んだり酒盛りしたりとか、そういうのではないだろうか。
今日は生憎、そのどちらも切れていたため、二人はずっと、ただごろごろとしていただけだ。
はたして、それだけで魔理沙は、本当に満足だったのだろうか。
そんな霊夢の問いに、魔理沙は首を振りながら「いやあ、私はこれで充分満足だぜ?」と、微笑を浮かべながら答えた。
「ありがとな、霊夢。今日も楽しかったぜ」
尚も微笑みながら、そう続ける魔理沙。
その表情を見ている限り、彼女の言葉には一片の嘘もなさそうだ。
それが分かると、霊夢は何故か、ほっとした気持ちになる。
どこが満足だったのかはさっぱり分からなかったが、彼女が満足というならそうなのだろう。
霊夢はそれ以上深く追求する事もなく「……まあ、あんたがいいならそれでいいけどね」と言うのみだった。
「あっと、そういえば忘れてたぜ」
「? 何よ?」
今にも玄関を出ようとしていた魔理沙は、不意に何かを思い出したかのように後ろを振り返り、霊夢に声をかける。
「にとりの天気予報機によると、明日は一日晴れらしいぞ」
「え?本当!?」
『にとりの天気予報機』とは、河童の技術と早苗のうろ覚えの記憶を頼りに作られ、試作機にして的中率80%を誇っている驚異のマシンだ。
現在は改良が進み、的中率は90%まで上がっているというから、明日の天気はほぼ晴れとみて間違いないのだろう。
「そっか、明日は晴れか……」
呟きつつ、嬉しそうに微笑む霊夢。
そんな霊夢に向かい、魔理沙はニヤニヤとした表情で言う。
「良かったな、霊夢」
「え、ええ!やっと洗濯物や布団が干せるもの!買い物にも出れるし!本当に良かった!」
「でも、明日は待ってなきゃいけないやつが、沢山いるんじゃないか?」
「え!?」
レミリアと、従者の咲夜。それに早苗。アリス辺りも、おそらく明日は狙っているだろう。
勿論、魔理沙も、明日は何か手土産を持ってここを訪れるつもりだ。
久方ぶりにここが宴会騒ぎとなるのは、最早間違いない。
「べ、別にそんなやつらが来たって、私は普段通りに振舞うだけだし……」
おそらく内心は、嬉しくて仕方がないのであろう。
それでも、あくまでそんな素直でないことを口にしてしまう霊夢。
その言葉を聞いて、とうとう堪えきれず、魔理沙はククッと噴出してしまった。
霊夢は、そんな魔理沙に「な、何笑ってんのよー!」と怒鳴り声を上げる。
いつの間にか、雨音はすっかりやみ。
空を見上げれば、何十時間かぶりに、星の瞬きが眺められた。
こんなスッキリした話をさらっと書いちゃうあたりがサッパリ。
これを照れる素振りもなしに言ったなら何も言うことはなかった
照れて慌てる霊夢というのは少し御しがたいな
でもそれが好き