「霖之助さん、今何月だかわかる?」
「水無月だろう?」
と、霊夢が惚けた質問を投げかけてきた。先日までは聞こえてきていたジーッ、ジーッ、と言うハルゼミの声は消え去って、外からはチィー、と言うニイニイゼミの声が聞こえてきた。
もう、春も終わりだ。幻想郷も随分と暑くなってきた。霊夢も、季節の変わり目で頭をやられたのかな。
「いるかい?」
「いいえ、拾い物を飲むほど貧乏はしていないわ」
僕の薦めた外の世界の飲み物。霊夢は一瞥もせずに断っては、湯を沸かしに奥へと向かった。
メローイエロー。コーラと同じく、面白みのある瓶に入った外の世界の飲み物だ。
まあ、僕が飲んで平気な以上問題は無いのだろうが、無理に薦めることもないだろう。
「でも、拾い物で頭をやられたわけじゃないみたいね、安心したわ」
少しの時間を経て、僕のお茶が無断で淹れられ、二つの湯飲みに注ぎながら霊夢が話しかけてきた。
お茶が苦かったわけではないが、思わず僕は顔を渋くしてしまう。
「失礼だな……」
これでも見る人が見れば高値を付ける商品も幾らでもあるし、何より、僕は拾い物をして生計を立てているわけなのだから。
そもそも、拾い物と言う言い方が悪いのかもしれない。「躓く石も縁の端」などというように、たかが石ころ一つに躓くにしても、何かの縁があって躓くものだ。
僕が拾う、いや、入手するものにしても、それは縁あってのこと、言い換えれば、僕が拾うのではない、縁があった結果、物が僕に――物の望み通りに――拾われる、とも言えるだろう。
付け加えれば、物もまた僕に拾われ、そして売られることによって縁ある者の元に辿り着く、とも考えられる。そう霊夢に説明したのだが、
「へえ。面白い考え方ね」
にっこり笑いつつそう言っては、お茶を置いて店内を物色し始める始末だった。
「これとこれをいただくわね、縁が有ったようだから。大事にするわ」
当然、支払いはツケだ。
縁にも良縁と悪縁があるのだと学びつつ、僕は溜息を漏らす。
とはいえ、これ以上悪縁を結ばれてはたまらない。縁を切るべく、僕は話題を移そうと試みた。
「しかし、どうして急に何月か? なんて聞いてきたんだい?」
「いやね、外に飾ってあったじゃない、鰯の頭と変な札を」
「ああ、飾って置いたね」
鬼避けに飾って置いた鰯の頭と札のことだろう。
確かに、あれは節分に飾るのが普通だ。
「もう六月よ? どうして今更飾り始めたの?」
「鬼避けのためさ」
「鬼? 萃香のこと?」
「ああ」
この頃、あの鬼が宴会を盛んに開こうとしているようだ。
それはいい。だが、僕を強引に連れ出すことだけは勘弁して貰いたい物だ。
「最近何か悪さでもしてたかしら?」
「いや、僕を飲み会に誘ったくらいだね」
「そういえば、この間は本当に珍しく宴会にいたわね」
まあ、僕の穏やかな時間を邪魔したのは、悪さ、と言ってもいいのかもしれない。
「まさか、能力を使って呼ばれたのかしら? それはしない、って事になったはずだけど」
「いいや、能力で萃められたわけじゃないよ」
「ならいいじゃない?」
「わかるかい? 鬼の本性を」
最強の人攫い、それが鬼だ。何も能力を使って萃めることなどせずとも、力尽くで攫われれば僕のような半妖に抵抗する術は無い。
残念ながら、荒事は僕の得意とするところではないのだから。一度香霖堂に入れたが最後、攫われ、宴会に無理矢理参加させられることになるわけだ。
「人攫い、ね」
「そうさ」
「だから、鰯の頭を置いたの?」
「効果は十分だよ、あれを置いて以来、萃香が訪れることは無いからね」
そう言われて、霊夢は少しだけ、肩をすくめたように見えた。
「そんなに宴会が嫌いなの?」
「嫌いとまでは言わないけれど、気が向いた時以外は参加する気ははないな」
「気が向く時なんてあったかしら?」
そして、微かに頬を膨らませたようにも。
何か言うべきか、と思ったけれど、その間に霊夢が質問を投げかけてきたので、それを考えることはしなかった。
「そうそう、鬼避けはわかったけれど、なんだったの? あの札は?」
「見たままさ、鬼避けの札だよ」
僕が外に貼って置いた、「十三月」と書かれた札のことだろう。
なるほど、確かに今ではすっかり忘れ去られた風習なのかも知れない。元々この地方では根付かなかった習慣と言うこともあるが、何よりも、鬼が人間の前に現れたのは、ここと外の世界が別れる前の事、そして、あの頃の人間はもういないのだから。
「どうして、あんな札が鬼避けになるの? ただ『十三月』って書かれてるだけにしか見えなかったけど……」
「そうだね、君は鬼に関してはあまり知らないようだ」
「うーん。私だって萃香が現れる前はお話の中のものだと思ってたし、鬼は専門外だからね……」
確かに、妖怪退治の専門家とはいえ、鬼は専門外だろう。昔は鬼退治の専門家も居たものだが、今ではそれも居なくなってしまった。
とはいえ、今はまた鬼が幻想郷に居る時代だ、霊夢に少し教えてあげてもいいのかも知れないな。これもまた、人生の先輩としての心使いだ。
「じゃあ。まずは『十三月』の事を教えてあげようか」
「そうね、どうしてあれが鬼避けになるの?」
「言うまでも無いことだけど、十三月、なんて月は存在しないね」
正確に言えば、ここ幻想郷にだけ存在する妖怪の暦、妖怪太陰暦には十三月もある、との話だが、ここではそれは関係無い。
これはあくまで鬼と人間の間にだけ成立する約束なのだから。
「当たり前じゃない、昔霖之助さんから聞いたわよ? 十三月の代わりに閏三月がどうこうって話を」
「だから、あり得ない月を見ると鬼が混乱するんだよ」
それを聞くと、霊夢はきょとん、とした顔になって問いかけてきた。
「妖精連中ならともかく……萃香が月も把握出来ない馬鹿には見えないわ」
「そうだね、それに、多分彼女はどうして十三月、って書くのかも知っていると思うよ、それを知った上で避けてくれてるんだ」
「なら、混乱も何もないじゃない?」
この風習を思いついた人間が何を思っていたかはわからない、だが、少なくとも萃香は頭が良いからこそ、あえてこれに避けられているのだろう。
「そうだな、まずは節分について話そうか、節分がいつかはわかるよね?」
「二月三日に決まってるじゃない」
「本当は二日や四日の年もあるけれど、大体はそうだね。その日はみんな、鰯の頭を飾ったり、豆を撒いたりしている、君もしたかな」
「一応ね」
一応。今では幻想郷でも、節分はその程度の習慣だろう、だが、鬼は律儀にも人間の都合に合わせて避けてくれているのだ。一月ずらされた節分にも、季節外れな香霖堂の前の札にも合わせて。
「旧暦はわかるかな?」
「昔の暦ね。そうそう、閏三月の話の時に聞いたんだわ。一月くらいずれてるのよね。三月に桜が咲く、みたいに」
外の世界が明治と呼ばれる元号になった頃、博麗大結界が貼られる少し前までは、僕も旧暦を使っていたものだ。
むしろ、時に新暦の方に違和感を感じてしまう。時間の流れにしみじみとしたが、それは置いておこう、もっと重要なことがあるのだから。
「節分は、旧暦でも新暦でも立春の前日なんだ。三月に桜が咲く時代からね。ちなみに節分の謂われはわかるかな?」
「いや、知らないわ」
なるほど、これでは鬼退治には力不足なのもやむをえないな。
「元々、鬼は季節の変わり目に最も力を持つとされていた。その時期、季節の変わり目が邪気の生じる、鬼の力がもっとも強まる時期だとね、だからそれを避けるために節分があったんだよ」
「今の立春は春って気分じゃないわね。二月は雪が降ってもおかしくないくらい寒いもの」
「新暦はそうだね、ただ、元々の立春は暖かくなる時期にあったのさ」
「で、今では変わり目と関係無く、節分をしてるってわけかしら?」
「その通り。だから、『鬼が避けてくれている』って意味がわかるだろう?」
そう、鬼は決して愚かな存在ではない。
でなければ、ただの妖怪変化と一線を画した存在とはされないだろう。
その知恵と、律儀さが故に、鬼が時に畏敬すらもたれる存在とされるのだ。
「そもそも、柊の棘で目を付く、鬼がそんな間抜けな連中に見えるかい?」
「そうねえ、酔っぱらいとはいえ、流石にそれはないわね」
「鬼は、人間の暦に合わされた節分にも、間抜けな札にも、律儀に対応してくれているんだよ」
霊夢の口を通してしか知らないが、地底、旧地獄と呼ばれるところにも勇儀とか言う名の鬼がいたそうだ。
彼女と霊夢が決闘したらしいのだが、その際、彼女は片手に持った杯を一滴も溢さず戦い、その上で霊夢と互角の勝負をしたらしい。
残念かも知れないが、人間と鬼の力はそれほどの差がある。
幻想郷の鬼が常に酔っぱらっている原因の一つにもそれがあるのかもしれない。
鬼退治の方法すら半ば忘れてしまった人間と、鬼の間にはそれだけの力の差があるのではないだろうか? 素面では勝負にならないほどの。
古来より、鬼退治の伝説は数多い。鬼が人を襲う話は数多とあるが、その大半は鬼が退治されて、めでたしめでたし、となる。まるで、鬼は退治されるために人を襲っているかのようにすら思える。
わざと負ける、と言うことは無いにしても、少なくとも鬼は手を抜いていた、と考えてもいいのではないか、と僕は思っている。
鬼は互角の勝負を望み、あえて手を抜く。そう、霊夢と対した時の勇儀のように。だが、人は勿論それを気にしない。
結果、鬼退治の伝説は生まれ続け、そして鬼は敗れる、だが人に駆逐されるほどではない。
まあ、それも想像でしかないのだけれど。それに、結局の所は、
「だからこの時期でも『十三月』という札を鬼は避けてくれているんじゃないかな」
という点さえ正しければ僕にはなんの問題もない。例え季節外れだとしても、苦手な物は避ける。鬼がそのような律儀な存在なら僕の穏やかな時間は保たれるのだから。
「なるほどね、ためになったわ」
「気にすることはないよ」
ツケの支払いは気にして欲しいものだが。
霊夢はドアを開け、外へと向かった。もう一度鰯の頭と札を見ようとしたのだろうか?
同じ物でも、その意味を知れば見方は変わってくる。
霊夢が気にしない『十三月』の札を、萃香が避け続けているように。
「やあ、霖之助! 宴会でもしようじゃないか」
……そう考えている間に、朗らかな顔をした萃香の声が香霖堂に響いた。
やれやれ、流石は季節の変わり目。鬼の力は最高潮、と言ったところだろうか。
そして、後ろにはにっこりと笑った霊夢。その手に、鰯の頭と剥がされた札が見えた。
「霖之助さん、勉強になる話を聞いたらちょっと疲れたわ、お酒でも飲んで休みましょう?」
目の前にいるのは、最強の人攫いと妖怪退治の専門家、そして、僕は半分が人間で、半分が妖怪なわけだ。
僕は溜息を付きながら考えていた。巫女を追い払う方法はなかったかな、と。
だが、残念ながらそれを思いつくことは出来なかった。
僕に出来ることと言えば、鬼より恐るべきは巫女か、と嘆息しながら、攫われるに任せることだけだったのだから。
それはともかく、よい香霖堂でした
落ちは好きでしたが、はたして妖怪に襲われない霖之助も人攫いには遭ってしまうのか。
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あ、霊夢と鬼だ
纏まっていて読みやすかったです。
七月も八月も・・・
オチよし
です
原作を待てるのも貴方のような作者がいてくれるからです。
私たちの春はまだこれからだっ!!
こういう話は大好物です
全国的な行事でも地域によって微妙に違ったりしますよね
なんとも幻想郷ちっく。好きですそういうの。
実に心地よいお話でした。
いい雰囲気ですね
いい話だ。