風の吹く場所は好きだ
風は気紛れだけれど
風は、匂いを運ぶ
私の眼は千里先も見通すけれど、風はそれを遥かに越えた距離の匂いをも運んでくる
風は私の知らない世界を知っている
風が生まれた遠い地を夢想しながら、私は今日も哨戒を続けている
***
秋、犬走椛の一番好きな季節が訪れた。
夏の間は青々とした緑に覆われていた山も、今では見事な紅葉で満たされている。椛はいつもこの葉っぱの変わり様を見ていると、葉が夏の燃えたぎる暑さを吸収したのではないかと考えてしまう。
誰もいない山には淋しい秋が生まれるが、豊穣の神々がいるこの山では稔り豊かな秋で満ちていた。微かに焼き芋の匂いが届き、興味本意に椛は焼き芋を作っているものが何処にいるのか辺りを捜す。だが見当たらないので諦めた。おそらく豊穣の神が焼かれてでもいるのだろう。
山に生える木々のうち、もっとも遠くを見渡せる銀杏の枝先に椛はいる。この樹は背が高いことが利点だが、葉の落ちる速度がはやいのがデメリットなところだ。まだ半刻も留まっていないというのに椛は落葉に埋もれつつあった。白狼天狗の特徴である白い髪と尾はまるで銀杏のこがね色に染まったようだ。
擬態になるから別に構わないけれど、どうも耳にふわりと落ちる葉だけは気になるので、耳だけを上下に動かして退けている。
それでもいい加減鬱陶しいし、そろそろ別の場所に移動しようかと考えていたところに上空から声がかけられた。
「あら、そこで埋もれているのは白狼天狗の椛じゃない」
その妖気と特徴的なツインテールですぐに誰なのかを理解する、新聞記者の一人である烏天狗のはたてだ。他では見かけないような細長い“カメラ”を構えてこちらを見つめている。
「はいチーッズ、笑って笑ってー」
「もうっ、いま自分は哨戒中なのです。この前みたく構ってる暇はありません」
「ぶー、椛のケチンボ」
手をかざして“カメラ”の瞳から身体を隠す椛を見て、はたては頬を膨らませて抗議のポーズをとる。だがその表情とは別に“カメラ”を腰につけたポーチに納めている辺り、本気で撮りに来たわけではないのだろう。
こいつら烏天狗が本気で取材に来たら、それこそ嵐のように根こそぎ色々持ってかれるからな。椛は顔に出さずに毒気付いた。
「この前はあんなにもノリノリにその身体を晒らしてくれたというのに……!」
「敢えて誤解を生むような言葉を選ぶな、この引きこもり記者!」
「今のは文の真似ですよー」
「だとしたら余計に質が悪い」
文、射命丸文の名前が出て椛はさらに苦虫を潰したような顔になった。
はたては念写を得意とする烏天狗だ、椛と文の仲悪い関係ぐらい知っているはずだ。判っていながら敢えてやっているというのなら、かなりいい性格をしている。
しかしどうもはたては判った上でやっているらしく、表面は爽やかな笑顔でなんのことでしょうかと嘯いた。椛には真っ黒な笑顔にしか見えないのだが。
「取材やらは受けるのに、どうしてそこまで文のことを嫌うのかなぁ?たしかにあいつはよく人を馬鹿にしたような態度をとるけどさ」
空中に浮かんだまま頬杖をついたはたてが椛に問いかける。どうやらしばらく居座るつもりらしく、椛は嘆息した。
「別に……相手側がこちらを苦手としているのが判るんですよ。どうしてそんな奴にまで愛想をふらなきゃいけないんですか」
「お、文があんたのこと苦手にしてるってよく判ったね。ねぇねぇ、新聞記者の素質あるんじゃない?助手なら雇うよ?」
「冗談じゃありませんよ、まともに給料も払えなさそうなくせに。私は大天狗様のみに仕える身です」
少し言い過ぎたらしい、こめかみに薄く青筋をたててはたてが今度こそ身ぐるみ剥がしちゃうよ?と囁いた。
「あんたみたいに千里先を見渡せれば取材も楽になるんだけどね。文もそう言ってたな」
「だから自分は哨戒が仕事であり、記者の真似事などしません……何故先ほどから、ことある毎に射命丸文の名前を出すのですか」
どこかわざとらしさを感じたはたての言動に疑問を覚えて椛は問う。
はたてもはたてで自覚はあったのか、目線を少し上にずらしてどう答えようか迷っているようだった。
「あいつがあんな顔して頼んできちゃ断れな……いや、何でもない。二人を友人として持つ身だからね、仲良くなってほしいなーなんて」
多分この場に射命丸文がいれば、椛と共に口をあわせて友人という発言を否定しただろう。だが今は椛しかいないので、とりあえず一人分は否定した。堅苦しい言葉もこの相手には面倒になってきた。
「いつあなたと友達になったのですか、私は」
「気にしたら敗けだね、アンダスタン?」
「あ、あんだすた?」
「それも気にしちゃだめよ」
だったら何で言ったんだ――椛は心のなかで盛大に突っ込んだ。
「とーにーかーくっ、ねぇ相手が椛のことをどう考えているとか、この際無視して椛は彼女のことをどう思ってるの?」
「私……ですか」
はたての問いかけに口ごもる。
椛は文のことが苦手だ。
それは相手がこちらのことを何故か苦手にしているからだ。加えていつも勝手に人間たちを山へ手引きしてしまうし、こちらの都合などお構いなしにちょっかいをかけてくる。
椛は射命丸文を思い返すうちに苛立ちが募った。考え直してみると、どうも彼女に関わっていいことがあったように思えないではないか。
だが、
「……私は、風が好きなんです」
椛がいきなり的外れなことを言い出して、はたては訝しむ。それでもかまわず、椛は風が届けた金木犀の香りを嗅ぎながら独白を続けた。
「私は千里先を見通すけど、風はそれの遥か先から生まれてくる。私が瞳で確認するよりも早く、次の四季を告げてくるんだ……その生まれた地に憧れる。
それに風は気まぐれで、自由で、縛りがなくては生きられない私と違う。それが羨ましい」
思うのと言うのでは、随分と恥ずかしさが違う。
本人を目の前に言うわけではないのに、えらく恥ずかしくて比喩でなければ、伝えられない気がした。この言葉を用意するだけでも、頬が熱くなるのがわかる。
どこからか風が吹き、誰とも知れぬ一枚の濡れ羽が椛の手元におちた。
まるで狙ったようなタイミングだ、椛は目の前にいるはたてにも判らぬように小さく微笑んでから言う。
「だからというわけではないけど、私は好きだ。風も、風が吹く場所も……その、風を操る奴だって」
そう、椛は射命丸文が嫌いではないのだ。
苦手なのは、憧憬があったからだろう。
相手の自由さに、上に従っているように思えない奔放さに
認めたくなくて彼女に突っかかったりもして、
相手も自分を苦手にしていることが判ってさらに喧嘩を買ったりして、
なんだかもう彼女のことをどう考えていればいいのかよく分からなくなってしまったけど、
問いかけられると、意外にも簡単に答えられるものなのだ。
「……良かった!じゃあ、文のことは嫌いじゃないのね!」
妙に笑顔を輝かせて、はたては拍子をとりながら椛に確認をしてきた。自分の言葉が改めて他人に言い直されると、気恥ずかしさはさらに倍になる。
「え、いや、その……い、言った言葉以上に意味などない!これが取材じゃないのなら、そろそろ私は哨戒を再開させてもらうからな!」
「うんうん、がんばってらっしゃいなー」
普段だったなら『生意気な口調だ』と喧嘩を売られるが、今のはたては機嫌がいいらしい。やっぱり考えていた通りねー、なんて小躍りしながら空中で一回転したりしている。はたてのテンションの高さに薄気味悪さを覚え、椛は訝しみながらも早々にその場を退散することにした。
***
「ほら、いい加減出てきなさいよこのヘタレ烏」
はたてが誰もいないはずの遥か上空を見上げて言い放つ。
「だれがヘタレ烏ですか、まったく」
轟、という風の声とともに空間が歪み、射命丸文が現れた。
椛とはたてが会話している今までの間、風を利用して姿を隠していたのだ。先ほど一枚だけ羽根が落ちてしまった時は焦ったものの、どうも椛は気がつかなかったようだ。
「姿かくして話聞くやつはヘタレ以外に何なのよ」
飽きれたようにつぶやくはたてに、自分でもそう思っていたのか文はきまり悪そうに目線を逸らしながら頬をかく。
「だ、だって私が変なこと言って椛に嫌われたくありませんし、椛は何かんがえてるのか判んなくて苦手なんですよぅ」
「このへたれーこのへたれー」
「いい加減にしなさい,この引きこもり記者」
風の力で威力を増した拳ではたてをどつく。きゃん、と呻いてしばらく頭を抱えていたはたてだが、再び舞い上がって文の周りをぐるぐると飛び交った。からかいの対象となっている感覚が文を襲うが、先の椛の会話が度々脳裏を横切って言葉を返すことができなかった。
「ほら、わざわざ私が椛に確認してあげたんだからいい加減判ったでしょ?あいつは別にあんたのこと嫌いじゃないよ、寧ろ好位置にいるんじゃない?」
うりうりとからかいを続けたはたてだが、相手方の反応があまりに鈍いので不安になって文の顔を覗き込んだ。
そこには、顔を真っ赤に染めておろおろと髪をいじるスポイラーがいた。否、彼女はもはやスポイラーではない。ただの乙女だ。恋する女の子だ。
「え、ちょ、ここまでの反応は逆に対応に困りますよ文さん!?」
あまりに予想外だっただけに対応の口調がよくわからなくなるほど、はたても混乱してしまう。対する文は瞳を潤ませて、はたてが先ほど言った言葉をぶつぶつと反芻している。
「いやだって椛が私のこと好きだなんてそんなオオソレタKOTO!?き、嫌いじゃないと好きはだって別物ですもん、違いますよね、どうせ高望みして駄目だったときに皆私のこと笑いの種にするんですよ、そうだそうにきまってる今まで記事にあることないこと色々書きなぐってたからその仕返しにするんだ」
「ちょっと戻ってきなさい、現実世界に」
次第に頭を抱えて唸りだした同輩を見るに耐えられず、はたては呼び掛けると突然文は彼女の肩を掴み、しがみついて縋るような眼で見つめてきた。
「ななな!?」
「はたてぇ…」
深刻そうな声、自分の立つ位置が分からなくなって不安になったような声。
こいつは、今まで恋というやつをしたことがないのだろうか。
はたての疑問は、文の不安そうに自分へ確認を求めている姿から十分に答えが出ていた。たしかに、妖怪の山のみならず幻想郷の妖怪にはあまり恋愛沙汰との縁がない。毎日を楽しく過ごせばそれでいいし、相手よりも自分を優先することが多々あるからだ。
それでも、一介の新聞記者ならば一度や二度は恋愛に関した記事を書いているはずだ。椛からも文からも引きこもり記者呼ばわりされたはたてさえ、ネタは古いがとある妖怪の恋模様について記事にしたことがある。
「あの、はたて、その…」
「大丈夫だって、文はあることは書くけどないことは書いてないでしょ?嘘だって…まぁ、時々つくけど許される範囲内。清く正しい射命丸なんだから、自分が聞いたネタを誤った情報に置き換えるんじゃないわよ」
苦笑と共に彼女を落ち着かせるために、はたては文の頭を優しく撫でた。
「文のこと、椛は嫌ってない。あの言葉にウソはない」
文の不安に揺れていた瞳が、徐々に溢れる涙に揺れだした。この子はここまで乙女なのか、はたては同僚の純情さに驚くばかりだった。
「……うれしいです、うれしいですよぉ」
「よかったねぇ、あんた私以外にこんな姿見られないようにしなさいよ?完全に弱みになるから」
その言葉に反応した文が、ぎょっとしてこちらを強い瞳で睨んできた。どうもはたてがこれをネタにしないか、と勘繰っているようだ。たしかに最初に話を持ちかけられた時は、それはもうネタ作りのために了承したようなものだったが…
「だいじょーぶだいじょーぶ、ここまで来たら記事にはしないわよ。貸しにはするかもしれないけど」
もはや彼女のこんな姿を見てしまったからには、文の記事を書くと可哀想というやつだ。さすがのはたてにも罪悪感というものが芽生えてしまう。それは射命丸文に対してもだが、書いたとした記事を読んだ相手に対してもなのだ。
好きな相手が好きすぎて、苦手になった烏天狗の記事なんて、誰も彼もお腹一杯で胸やけまでしてしまうだろうから。
三者の関係が理想的だ。文ちゃん可愛い過ぎてどうにかなっちゃいそう。
>おそらく豊穣の神が焼かれてでもいるのだろう
おいwwwwww
上手いですねー
つっ、続きは無いのですか!?
素晴らしいジャマイカ
ところで、文が風を操って隠れていた、ってどういう原理なの?
Fate厨の私は『風王結界』かと思った
光を風で屈折させて不可視にするっていう
豊穣の神は、おそらく紅葉の神自前の落ち葉で美味しく焼かれているのでしょう。
しかし一文しか出てきてない穣子の存在感が異常だなあw