南向きの縁側に、普通の魔法使いであるところの霧雨魔理沙は座ってお茶を飲んでいた。
隣には博麗霊夢が居る。魔理沙の定位置。
見えるのは夕焼けの景色。静かにお茶を楽しみながら、沈む日とそれに照らされる諸々の物たちを眺めるのが彼女らの常であった。
夕刻の真っ赤な光は醜い何もかもを修飾して美しいものにしてくれるように思えたので、魔理沙はそれを大変に好んだ。
咲かない桜の木は陰影によって見事な造形を礼讃されて。桶に入った少しの水も暖かく煌いて命と活力とを主張していた。
土くれ転がるこの大地さえ何かが駆け抜けて行くような、雄大な風情を顕わにする。
灼熱の太陽を迎え入れんとする遠き山の縁は今や金色に輝いている。
薔薇色に麗しきあの雲たちからは無限の力が湧き出ているようで、遠くの事であるのに、魔理沙の心を楽しくさせた。
見よ、こんなにも世界は美しい。
ざあっと風が吹いて、砂埃と小さな土くれを巻き上げた。
ただのつむじ風かもしれないけれど……。魔理沙は思った。これはきっと、近くを最速の天狗が通り抜けたのだろう。
相変わらずはた迷惑なやつだ。音速を越えると衝撃波が発生して、周囲に甚大な被害をもたらす事を彼女はわかっていてやっているのだ。この目立ちたがり屋さんめ。
整然と並んだ神社の石畳を石ころが滑っていくのを魔理沙はただ目で追っていた。
ころころと勢いを止めないで、影と並んで走っていく。こんな小さなものさえも、あまねく、夕日は照らす。
石は、やがて這っていたイモリの頭に当たった。かれはこてん、と仰向けに倒れる。それでそのまま動かなくなる。死んだのだ。
見てしみじみと思う。
霧雨魔理沙は今晩には、もう人間を辞めるのだ。
志賀直哉はイモリが石に当たって死ぬのを見て死を考えたというが、魔理沙が意識するのは死、なんかよりも寧ろもっとずっと人間的な、老いと呼ばれるそれであった。
確かに有る物の筈だがこれを象徴する事物を、霧雨魔理沙は自然の中で未だかつて見た事が無かった。
魔理沙が時に雄大な、時に繊細な自然の、太陽に照らし出されるさまを好んだのにはそういう理由が有ったのかも知れない。
彼女の忌避する、逃げてきた、広大なる人間世界にこそそれは有った。
それは老いと、言う程のものでさえなかったかも知れない。
忌避したのは成長であり、成熟であった。
彼女には大人になった霧雨魔理沙という人物が想像できなかったのだ。
例えば自分は今目を瞑れば、何時でも強制的に世界を消滅させる事が出来る。
いつだって、とりたててやるべき事も無いから。嫌いな人も、嫌いな物も、嫌いな食べ物も消えてくれるだろう。
異変だって今回は自分の技が不足だと思えば、無理して行かなくてはならない訳では無い。
そういう義務とは私の役目では無い。きっと我らの博麗霊夢が、後始末くらい付けてくれる。
それがもしもやがて歳という忌まわしいものを重ねたならば。現実との関連性は今よりずっと、自分をきつく縛るだろう。
解決の出来ない問題は山と積まれ、きっと瞼を降ろしたとしても眼下から消えはしない。
そんなものにかかずらわっている霧雨魔理沙さんなんかとても想像できない。そうなるくらいなら死んだ方がましだ。
弾幕ごっこにいくらかまけていようと、人間である限りはいつかは現実に関わらなければならないというのが真理であるように思われた。
必ず何処かで若い自分を保存し、本物の魔法使いにならなくてはいけなかった。そうなれば何時までも、それこそ殆ど永久に、今のまま気楽に生きていく事が許されるのだろう。
そもそも人間一人狭い幻想郷を小規模に飛び回った所で一体何が残せるというのか。その場で会う人と交流を果たすのがせいぜいで何も、価値の有るようなものは残らないであろう。
自分が魔法に関しては天才的であると根拠無く信じていたのだ。いつの日か世界に知らしめなければならないとも。
人の身で世界を駆けるのには必ず限界が有るとなれば、いずれ人間でなくなるというのは当然の帰結であるように本人には思われた。
妖怪は永遠に少女である。
永遠に少女であるとは魂こそが、永遠に少女であるという意味だ。
精神をして精神たらしめるものとは自由である。
自由でなくなってしまう予感は微かながら確かに、気味の良くない音を立てて寄ってきていた。
光陰は矢のごとく我々を貫いてゆくばかりか少女は老い易く御業を成し難い。
……人間の老化を体内の『虫』に例えて、これを追い出す思想として『捨虫』と呼ばれる魔法が有る。が、これはそんなに単純なものではない。
生理機構の恩恵で動く進化の最高峰、この人体を寄る辺とする存在が、複雑極まるそのシステムの全てを捨て去り概念を新たな寄る辺に充てるのだ。
それも神や生まれついての妖怪のように、他人のイメージや自然の事物に頼るのではない。
効率良くデザインされた骨格、心臓の潮流、手足の膨大な量の筋肉、呼吸。
そういった系の悉くは自身の概念で補うように形作らねばならぬ。
夕日が世界を照らしていた。美しく、また眩しかった。
遠く眼下に人里が見えたけれど、そこには父母が居るのだけれど……。
さしたる感動も起きなかった。永久の時を自分に依って立つ怪異たる魔法使いとは、最早故郷を持たないものだ。
霊夢の横顔は何処か儚く、魔理沙に何か悲しいものを想起させる。
友人の出帆を悲しんでいるのだろうか……。
心配すんなよ霊夢。
私が弾幕戦をやらなくなる訳でも、ましてや死んで居なくなってしまう訳でも、ないんだし。
妖怪になったって、お前は私の一番の親友だぜ。
口に出すのは気恥ずかしいので、心の中で魔理沙は言った。
それからちょっと後悔した。顔が赤くなったのだ。心の中で言うだけでも、とても恥ずかしい事だった。
幻想郷を一つの夜が通りすぎる。
それは全く静かで、特徴の無い夜だった。
そのうちに魔理沙は旧知の魔法使い、アリス・マーガトロイドの力を借りながら捨食捨虫の術を完成させた。
魔法の森に一瞬走った赤い閃光は、新たなる誕生を迎えた彼女への祝福の号砲であったのか……。
世界がさして変わったとは思わなかった。変わる訳も無いものだ。
世界を感じる自分が変わったのは確かなようだ。違うように見えたのではない。認識がより正確になっただけの事だ。
夜だというのに、暗闇だというのに、魔理沙は世界の事物をこんなにも明るい光の中で見た事は今まで無かった。
術式は自宅で行われたが終わってすぐ、灯りも無しに、離れた天井にキリンの形の染みがあるのを発見した。今まで暮らしていてずっと気が付かなかったというのに。
分けても不可思議なのが自分自身の肌をじいっと見る時である。
無限とも思える肌理の細かさは注視して初めて描画されていっているような気がした。
自分の素晴らしさとは自分を美しいと強く、また具体的に確信する事によって今や際限無く広がっていくように思えた。
妖怪は予備動作が要らぬ。常に考えた通りにのみ行動が果たされる。
音速に関係なく音を捕捉したかと思えば、光を感じるときに光速を問題にする事ができた。
空中戦最大のキイとなる空間の把握は視覚聴覚の外に風を感じる触覚、更に嗅覚味覚と、第六感までもを駆使して完璧に行われた。
この世界に己を遮るものなど何一つ無いと思われた。これまでに無い著しい解放感から、そのような結論を出すのは無理からぬ事であった。
そう、魔理沙はもう人間を辞めたのね。
今まで弾幕ごっこのルールで手加減をしていたけど、ええ、本気を出す事ができるわ。
そうよ、ずっと貴方と、本気で仕合ってみたかったのよ。
調子に乗った魔理沙の挑戦を受けてそのように言ったのはパチュリー・ノーレッジである。
自分の素晴らしさとは自分を美しいと強く、また具体的に確信する事によって今や際限無く広がっていくように思えた。
それは真実だった。何処まで行っても真実。但し、他の妖怪たちにとっても同じ事だった。魔理沙にはそれが、この上無く鮮やかに隠された盲点であったように思えた。
弾幕ごっこにおいて妖怪とは、実は誰もが、いかに限りなく自由な発想ができるかと、それをアウトプットする術を備えているかについて競っていたのだった。
例えば何でも焼き尽くす炎。全てを薙ぎ払う剣。幾重にも張り巡らされた結界で敵を縛り付けたかと思えば、回避不可能のレーザーがそれをぶち抜く。
更にそれらに、何らかの方法で対抗する。そういう戦いであったのだ。
霧雨魔理沙にはそのどちらも、決定的に不足していた。そもそもそういう認識が無かった。
開戦から数秒、自分の限界以下のどのようなスピードで如何に移動した所で敵の全弾が命中するイメージしか見えなくなった時点で、霧雨魔理沙の武勇伝は終わっていた。
期待外れと言われて少し、目の端に涙を滲ませた。
その後、紅美鈴に、チルノに、ルーミアに負けた。
美鈴はやっと本気でこの悪戯娘をぶっ飛ばせるなどと言って溜飲を下げているようであった。
チルノは自分の最強が証明されたと得意であった。
ルーミアなどは何も考えていないに違いなかった。
……魔理沙は呆然として、アリスが助けなければ、ルーミアには食われてしまう所だった。
「まだ身体の操縦が上手く行っていないだけよ」
アリスの慰める声はほとんど泣き声であった。
魔理沙自身気が付いていた。自分の動きが寧ろ普段とは比べ物にならぬ程思うがままである事に。
ただ単に全てが、今まで興じてきた遊び半分の弾幕ごっこなんかとは格段にレベルが違うという事に。
例えばパチュリーの『百年』とは弾幕を錬るのに、動きを磨くのに十分過ぎる時間であった。
十分過ぎれば十分過ぎるだけ、精密さに磨きがかかり、ミスと言えるミスは減っていく。
相手の失敗に期待する今の方法では勝負になるべくもなかった。
追いつく事は、到底無いように思われた。立ちはだかったそれ程に高い壁を、魔理沙は『絶望』の二文字でもって呼んだ。
最早越えるべき壁と思う事は出来なかった。もう若くはないのかもしれなかった。……折角捨虫を果たしておきながら愚劣な発想に至った事に、魔理沙は頭から水をかけられたような戦慄を覚えたのであった。
二人の間に言葉は要らなかった。
妖怪、霧雨魔理沙は定位置の縁側、博麗霊夢の隣に座っていた。
何も言わない霊夢の目がこちらを憐れんでいるようで、魔理沙は自分が一層情けなくなった。
長い付き合いの為に心を読まれている気がした。
決して腹は立たなかった。魔理沙の心に降りて来たのは、ただただ空虚な悲しみだった。
この風景に在って、昨日と違うのは魔理沙だけだった。
あの昇る太陽でさえ、昨日に山の向うに沈んだそれと同じなのだった。
それでも、今日は昨日と、何もかもが違うのであった。
朝があまねく幻想郷の人妖たちに訪れていた。しかし晴れた日差しは魔理沙の心を一向に晴らさなかった。
西の空にはまだ残っている薄紫の見事な朝焼けもまるで曇り空のように、ただひたすらに重く、重くのしかかって来るのだ。
あるいはそれも、魔理沙が闇に生きる、人ならざる者への転生を遂げてしまったからであったかも知れなかった。
軽々と勝利を収めてきた筈の妖怪どもにコケにされて、泣き寝入りする霧雨魔理沙など想像が付かなかった。
しかし自分はそれをしなければならない。冗談じゃない。こんな想いをするのだったら、死んだ方がマシだ。
死なない身体がどうにも恨めしかった。……だからといって妖怪にならない方が良かったとは思わなかった。
手を抜いて、あいつら得意になっている私を『人間にしてはやる方かもね』なんて言って陰で笑っていたのだ。
それじゃあ私は、ピエロじゃあないか。許せない、到底容認しがたい話だ。
知らなかった事を知っただけでも収穫だった。一生の間ピエロを演じ続ける羽目になる所だったのだ。
これが収穫だ。収穫でなくて何であろう。収穫だと思いたかった。
朝靄の中を、塵が舞っていた。塵は金平糖の形をして、風に乗ると、右斜め奥へと漂っていく。
魔理沙は今ややろうと思えばこの空間に漂う塵の全てを捕捉する事さえ出来る。
それをいっとき誇りに思ったものだ。
しかし精神をそれなりにすり減らすその感覚さえ、妖怪同士の弾幕ごっこに於いては基本中の基本となる事項であったのだ。
魔理沙はずうっと、それを知らなかった。その事が悲しかった。
もうそんな曲芸じみた真似をやって楽しもうとも思えなかった。
空に雲雀が飛んでいた。自由に空を駆けるかれに対して、魔理沙は小さいながらも確かな悪意を抱いていた。
ふと、雲雀が体勢を横に傾けるのを見た。すぐにつむじ風が来るのだ。この予知こそは妖怪の感覚であった。勿論来るのは自然のつむじ風だろうが、昨日の天狗の仕業と思われるそれが思い出されてならなかった。
魔理沙はかれの飛行を乱す大きな風を今か今かと待ちながら、何でも出来るような気になりながら今の自分が軽々とは音速さえ出せない事実を、内心忸怩たる想いで噛みしめていた。
気が付いたら俯いていた。急いで顔を上げると、雲雀が強い気流に乗って天高くへと舞い上がっていく所であった。
霊夢と弾幕ごっこをする気にはならなかった。
霊夢に教えてやろうかと思った。妖怪連中は大変な制約のもとに弾幕ごっこを戦っているんだぜ。
私が今まで倒した連中は勿論、お前が今まで倒した連中だって。
笑っちまうぜ、全く利口で、お行儀の良い奴らだよ。今だって私はまだ妖怪としちゃあ未熟だけれども、もし本気でお前に攻撃したらきっとあっという間に……。
そこまで考えていて、結局言うのは止めた。考えるだに惨めになったからだ。
それに理由はもう一つ有った。今の自分が本気で戦っても、妖怪退治を本職とする博麗霊夢には軽々と退治されてしまう。そういう風景を、魔理沙は懼れたのだ。
彼らは人間に手加減をしていたと言ったのか? それとも人間である私に、という意味であったのか。
この調子に乗った弱き者である私を殺してしまう惧れが有るから、本気を出せなかったと言ったのだろうか。
霊夢までもが今まで自分を相手にする時には手を抜いて戦っていたのではないかと疑った。
……全く嫌になる。
莫大な劣等感に、押し潰されてしまいそうで。
魔理沙は試しに目を閉じてみた。これから、ずっと目を閉じていようとさえ思った。
妖怪が一個の概念として外界との接続をシャットアウトしてしまう事は、果たして出来なかった。
むしろ情報の奔流に、博麗神社の縁側に座って居ながらにして電磁波が物凄い速度で飛び交う宇宙のただなかに放り出されたかのような浮揚感を覚えた。
ややあって、これは生存本能であろうか、命じずとも外の空気の情報を拾ってくる優秀な残りの四つの感覚は、近寄る敵が無い事を告げていた。……今は無い事を。
ここに敵として妖怪が訪れたならば、自分は一体どうなるのか。嫌が応にもそう考えてしまう。逃れようの無い現実、それに対応しかねる自分を提示されているようで、気分が悪かった。
かつて我人なりし頃憧れし悠久の安らぎとは、精神の自由と安定とはいずこに在りや?
何時までも我は気まぐれに遊び回るだけで良かったのではなかったのか?
幾らも無く、視覚すら完全に無くす事は出来ていない事に気づく。
瞼の裏に自分の血管が脈打つ様子を霧雨魔理沙は確かに見ていた。
……それから試しに目を開けてみると、朝の景色が妖怪の鋭敏なる感覚にとんでもない鮮烈さでもって入り込んで来た。
この土地の山たちは、谷たちは。
時に光に透けて、時に影を作ってはコントラストを美しく強調する柔らかな森の葉は。
その葉から滑り落ちて宙に在りながら天空世界全部を映す露霜の粒は。
あるいは東雲に雫を浴びて太陽の色に照らし出される蒼き狼の毛並みは、ひとつひとつが昔と比べて、より一層美しく思えるのだった。
魔理沙は、美しさを感じる情緒が妖怪となっても確かに残っている事に感動していた。
意識の外ながらその視線に含まれていたのが、強い憧憬。
まるでもう二度と手の届かない物を心から惜しんで眺むるが如き、大いなる愛情であった。
人間であるとは自然の連関の中に在るという事でもあったのではないか。
それはただ単に故郷の人里という事では無く。
生まれ、育ち、何事かささやかな幸せを達成しては、せいぜい一つか二つくらいをこの世界に残して去っていく。
そしていざ老いて死ぬ段となれば、何も持っていく事が出来ない。自分を育んだ大いなる自然、築き上げた物たち、名声、欲望さえも。
何も、携えて行く事は出来ないのだ。散々に忌避していたその事実が、魔理沙には今や、何やらとても美しい物であるかのように思えてきた。
身の程という物がある。魔理沙は思った。自分には、自然のまま終わる方が相応しかったのではないか。自分には自然のまま終わる方が相応しかったのではないか……。
魔法使いとは何であったのか。
魔法使いとは自分の想像力と表現力によって世界を作ってしまうものだとすれば、今かくも麗しい自然世界に相当する物を、匹敵する物を自分が創造できるとは到底思えないのだ。
知り合いの魔法使いたちは、それぞれにその創造に成功したのであろう。私は彼女らを侮っていたのだ。
多くの妖怪たちは自然世界の力を直接に借りられるのだろう。そりゃ私なんか勝負にならない道理。
しかし例えばアリスとて、この苦しみは知っていた筈だ。彼女が本物の天才を持って生まれたのでないならば。
そう考えると、かつて魔法使いになるよう頻りに勧めてきたアリス・マーガトロイドに対してどうにも理不尽な怒りの念が込み上げてくる。
ともすると彼女は地獄の道連れを求めていただけなのではないか。八つ当たりであったが、この精神の暗さを見れば言いがかりとは断言できぬものが有るような気がした。
自分が逆立ちしたって敵わないであろう彼女だって、並みいる列強どもの内に堂々と入ってゆく程の力を有する訳ではないのである。その事実もまた霧雨魔理沙を悲しくさせた……。
あの美しい景色が、いきなり、ぽっと霞む。泣いていた。悔し泣きの涙であった。
幻想郷とは霞んでなお美しさを少しも損ないはしなかった。
何処まで行っても魔理沙は自然に対して客体であった。既存の世界からついに脱却していた。
その事実こそが、魔理沙に常に、かくも完成されたものを見せてつけていたのだ。
魔理沙は最早咽び泣いていた。
嗚咽を漏らし、みっともなく、エプロンを握る小さくて柔らかい指をガタガタと震わせた。
魔理沙は最早、咽び泣いていた。
おお我が故郷、碧き懐かしきこの幻想郷よ。かつては私も、あの輝きの中に在った……。
よくできてる。『しかし人生は続く』感が有るのも良い。
ただ個人的にはもっとドロドロしたの希望。
それにしても作者、持ち込みか賞に応募でもしたんか?
テーマもさることながら文章がまたいい。
こういう解釈もありだな、素晴らしい。
ただ、ただ、凄いの一言。
自分もあなたのような作品を書けるように努力したいです。
繰り返し読み、勉強させて頂きます
ポキッと音を立てて崩れ落ちたようだ。
たぶん霊夢はルナティククリアしてる。
だけど否定はもっと出来ない。
魔理沙よ、全てのしがらみを恋符で吹き飛ばせ!!
流石は東洋の西洋魔術師。
東洋っぽさが欠片も無い。
いくつか興味深い切り口もありました。
とても賢い文章だと思います。
以下、気になった点。
>魔理沙にはそれが、この上無く鮮やかに隠された盲点であるように思えた。。
句点が二つあります。
>美鈴はやっと本気でこの悪戯娘をぶっ飛ばせるなんて、溜飲を下げているようであった。
「ぶっ飛ばせることに」又は「ぶっ飛ばせるなんてと」とした方が自然ではないでしょうか。
最後まで読んでおいてなんだが、好みの話ではなかった。
多彩な文章で内容も魔理沙もわかりやすいのは良い
願わくばこの魔理沙が逃走せんことを祈るばかり
まあメタなネタに作品を利用するSSに突っ込むのも野暮だろうが
色々おかしくない?
道連れなんて対等な相手に使う言葉だし
まあ相手を見下す為に、同じ道を歩む事を勧める感情自体は否定出来ませんが
言動や記述からして、彼女は弾幕が遊びである事は百も承知であったと思うし
そもそもにして人間辞めたからといって弾幕の質を変えてくるという話も
スペルカードルール設立の意義を考えると腑に落ちない、総じて「らしくない」
流麗な文章であるとは思うのですが、名前だけ使った感が拭えません。
これは弾幕ごっこじゃなくて
ただの戦いってことでしょう
魔理沙は原作でも「これぐらいなら自分でも」と言っている辺り、こうした思考にハマってしまいやすそうなのが悲しいところ。
でも結局、周りに及ぶものが何一つ無くても今の持ち駒でやっていくしかないんですね。
妖怪の世界で生きていくのも甘くないということですね。
さしあたり子供の無根拠な万能感といったところでしょうか。でも早くに気づいて良かったじゃないか。
ドンマイ魔理沙、君はこれからいくらでも伸びるよ。
Never Give Up!(某熱血の人風に)
早く社会人になりたいと思う学生が、いざ働き始めて味わう挫折とでもいうのか、どんな世界でも起こりえる歩み始めの一歩での転倒。
なんとか立ち上がる者もいれば、最後まで立ち上がれないまま終わる者もいる。
魔理沙がそのどちらになるのか。そういった余地を想像しながらもう一回読み返してきます。素晴らしいお話をありがとうございました。
しかし世界観や思想が追いついていない。そのせいもあってか、無理に言葉を使っている印象になっていました。
まず始めに、これは幻想郷という世界を矮小化している話だと感じました。
妖怪と人間のパワーバランスは、妖怪の戯れの上に成り立っているに過ぎないと語られています。
もしかすると巫女は例外で、異常な強さか、あるいは必要な人材であるために生かされているに過ぎない。
この巫女は人間とは別種の存在なので置いておきましょう。
妖怪と人間が対等ではない世界、そこに意味を見い出す事が出来ませんでした。
一方が支配者であると示唆するだけでは、何も新しい物を生み出しそうにないと思うのです。
本作のテーマではないと言われてしまえば頷くしかないのですが、どのような意図があったのでしょう。
妖怪が真の支配者として君臨するが、支配される側は何も気づいていない――そういう事でしょうか?
いいえ、人間同士の話ならば有効な支配の形ですが、そうではありませんよね。人の畏怖を求めるのが妖怪ですから。
だとすると、スペルカードバトルという妖怪と人にとっての「可能性」を排除してまで何を得ようとしていたのか。
上手い解釈を見つけることが、出来ませんでした。
この作品は人間と妖怪ではなく、子供と大人に置き換えても通じる話だと考えます。
ネバーランドから外へと出たピーターパン。大人の格好をさせられただけで、中身は子供。自分の論理がまるで通用しない世界で戸惑う。
公園で遊ぶ子供たちを見て、自分もその中の一人であったと思い出して涙する。
こうして考えてみると、やはり単純に置き換えただけのメタ的な話なのだという思いが強くなります。
本作の主人公は魔女や研究者とは呼べない。ただ暴れる力が欲しいだけの子供であるように感じました。
弱者と強者が対等に競えるはずの決闘ルールが、強者の手加減を拠り所にしている設定……。
それは構わないのですが、本当にそれだけで均衡が取れるのかについての考察が不足していると感じました。
個人の裁量に拠るのなら、それは強者の自制心をどれだけ信頼できるのかという問題になります。
不安定ではありますが、こちらは満月が呼ぶ狂気によって自制が薄れるという設定付けも可能ですね。
手加減が一律の制限であるならば、除算と減算の組み合わせでしょうか。
こちらは平等化のために繁雑な計算を必要とする所が八雲らしいと言えるかもしれません。
しかし、本質的な問題点は個人裁量と同じく信頼性である事に変わりはありません。
このどちらか、あるいは双方の組み合わせを主人公の少女が考えついても良いのではないでしょうか?
本当はどうなのかは不明でも、こうかもしれないと可能性を挙げるだけでも十分な説得力が生まれると思います。
ところで妖怪同士では一切の手加減をしない点は、皆から賛同を得られたとは信じ難いですね。
強者から押し付けただけの、弱い妖怪に発言権を認めないような、形ばかりの平等ですから。
力量で負けている側は絶対に勝てないゲーム。それは強い妖怪が生み出した自己欺瞞のためのものです。
あるいは見せかけの平等を作るためかもしれませんが、弱い妖怪の裏切りによって露呈する未来が簡単に想像できます。
このお遊びは近い将来にでも破綻するでしょう。妖怪の賢者が何故か見逃していたルールの不備によって。
妖怪間での戦いにおいてハンデが設定されていないのは致命的なミスだと言えます。
少女に話を移します。
パチュリー達の存在という「壁」を乗り越えられないと、すぐに諦めるのは首を傾げざるを得ません。
精神が人間のままであるとはいえ、年月の差が力量の差を生んでいるとしたら、分母を上げればいいだけのはず。
たとえば100,000,000/100,000,000と99,999,500/100,000,000の違い。ほんの誤差です。
それなのに到底追いつけないと思ってしまうのは、どうにも納得が行きません。
研究している魔法の方向性がまったく同じで、鍛錬も、努力する時間もその他の全てにおいても上回られているのでしたら別ですが……。
そこが無意味に原作を無視していると感じました。
> 軽々と勝利を収めてきた筈の妖怪どもにコケにされて、泣き寝入りする霧雨魔理沙など想像が付かなかった。
> しかし自分はそれをしなければならない。冗談じゃない。こんな想いをするのだったら、死んだ方がマシだ。
「それ」をしなければならない、の部分は「想像」とは違うのではないでしょうか?
受け入れる、という言葉の方が適切であるように思います。
絶望と疑心暗鬼。友人さえ疑ってしまう心というのは自然な描写ですね。
しかし、アリスを逆恨みする姿は醜いものでした。
何故なら「アリスだって妖怪の中では弱いはず」という仮定の話なんです。美鈴達と同等である可能性もある。
それなのに「地獄の道連れ」などと悪く考えて他人を恨む少女には、共感も同情もできません。
この女性は弾幕ごっこに固執していましたが、他の楽しみについて何も考えていないのかも気に掛かります。
妖怪となった少女の存在は、ただひたすらに小さく弱いもので、痛々しかったです。
彼女が人間の一生でやり遂げられた事を成すのには千倍もの月日を費やしても、もう無理かもしれませんね。
世界を美しいと感じられる心が残っているため持ち直す可能性もありますが、期待は出来そうにないですね。
期待させないような描写がされています。
先程も述べましたが、この少女が何故これほど早くに諦めたのかは大きな疑問です。
能力が底上げされた事で発見したものは無かったのか、今までの研究の続きは行なわないのか。
まさか、後発の魔女は永遠に先駆者に追いつけないはずだとでも考えているのか。
美しく雄大な自然を見ても、そんなレベルのものは自分には創造できないと諦めるだけ。
少女が悲嘆に暮れたまま物語が終わって、それでも心は動きませんでした。
所詮は老化や責任から逃げただけの少女。これは当然かもしれないと考えてしまったのです。
儚月抄(小説版)で霊夢が発した言葉をご存知でしょうか?
人は快楽を追及して、寿命は確実に延びてゆく、寿命が延びた世界で人はどうするか。そう問われて。
そうなれば寿命を減らすための研究をするのでしょう。――このような内容の返答をしていました。
>自分には自然のまま終わる方が相応しかったのではないか……。
この作品の主人公が持つ最後の望みは、人間に戻る事なのでしょうか。
そうだとすれば妖怪を人に変える魔法か、人間のように死ぬ方法について研究を始めるべきだと思うのです。
涙して終わるのではなく、記憶削除でも、魔法消去でも考えてゆくべきでしょう。
どんなに後ろ向きの手段に見えても、それらは決して後退ではない、輝かしい未来への前進のはずです。
何もせずに終わるというのは、感傷に浸るくらいしか出来ない老人の物語のようでした。
耳をふさいでも聞こえてくる、目を閉じても世界は消えない。
そうなってしまった少女についての話は興味深いです。そこをもっと描いて欲しかったですね。
あるいは、単に少女が希望を失ってゆくだけの物語にはせず、矛盾を主題に据えるべきだったように思います。
強さを得て弱くなった部分。
視力を得たせいで見えなくなった物。
人を超えたはずなのに、人より劣ってしまった点。
同じ「できなくなった事」についての暗い話でも、こちらに主眼が置かれていれば世界は広がりを見せたことでしょう。
次回は「自分は並大抵の人間でしかない」と諦めたりする事の無い物語を書かれるのを祈ります。
あと風景がとても綺麗でした
ヒトの価値、強さとは、生きた年月ではなく背負ったもの、立場、経験、歴史によって決まる。大人になりたくなかった少女が人をやめたところで、そこに居るのはまだまだちっぽけな人外の子供。すべてはこれからなのだ。ただ俯いて嘆くか、再起して大人になるか、それは少女の意思に委ねられているのです。
つまり、これはプロローグ。
本当の戦いはこれからも続く、人生そのもの。
頑張れ魔理沙。
で、驚かせて相手の考えや認識を少しでも変えさせたら愉快痛快だと思うんすけど
これって、要は「諦めるのはええな、おい」って読者に思わせたら作者の勝ちだと思うんすよ
これは諦める話なんです 絶望する話なんですよ
それは、「これは諦めてもしゃあないな」って状況じゃだめなんです
頑張れる状況で絶望するから失望のお話なんです
病的に野心家の魔理沙が周りの真の強さを認識しただけで絶望するから凄く意味があるんです
なんでや!?
人にそれを考えさせるんが創作というやつなんでしょうか?