「姉さん?」
妹の声に、私はハッとする。
ぼやけた意識が、焦点を合わせる。
「大丈夫? 姉さん。なんだか最近ぼーっとしてるよね。せっかくの私達の季節だっていうのに」
焦点の合った両の瞳は、紅く染まった木々を映し出す。
紅葉だ。
この秋静葉が司る、美しき秋の象徴。
「ええ……そうね」
背中をあずけている木から動こうともせず、私は鷹揚に頷く。
そして一枚の紅葉を手に取り、そうっと頬に当てる。燃えるように紅く、しかし冷たいその感触に、私は目を細める。
「もう、姉さんったら。もっと秋生活をエンジョイしないと。私なんてこれから収穫祭にお呼ばれするのよ! 色んな果物や農作物がいーっぱいとれるの!」
「ええ、すごいわね。いってらっしゃい」
そう言って静かに微笑んでやると、妹は歯がゆそうな表情を見せて、去っていった。
そうね、以前は、ことあるごとに張り合っていたもんね。
「……ごめんね、穣子ちゃん」
そう呟くと、ふわりと立ち上がる。
両手を広げ、山の木々に力を送る。
さぁ、紅く染まれ、美しく染まれ、鮮やかに染まれ、寂しげに染まれ。
――秋の終焉を彩るに、相応しく。
ごめんね、穣子ちゃん。
あんなに嫌いだった冬が……今は、とても待ち遠しいの。
*
「そんなに暗い顔をしてどうしたの?」
燃料を調達しに冬の森を彷徨っているときに、そんな言葉をかけられた。
見れば、冬の妖怪だった。
銀世界を体現したかのような白い髪と服、そしてぽやんとした顔立ちの少女だった。
「私は秋の女神。私の季節が終わったのだから、暗くなって当然ですよ。いいですね、今が旬の人は。あぁ、早く早く、次の秋がこないでしょうか……」
私は当然のように愚痴を吐く。
今を時めく冬の妖怪に、妬ましさを隠さずに。
知ったことかと怒られるかな? 何を当たり前のことをと笑われるかな? なんでもいい。この鬱屈した感情をぶつけられるなら。
「あぁ、それはとても悲しいことね」
「……へ」
でも、その妖怪は、どっちの行動もとらなかった。
うんうんと頷いて、一緒に悲しそうな顔をする。
「私だって冬の妖怪よ。季節が過ぎ行く寂しさは知っているわ。そしてそれが、自然の摂理。どうしようもない感情よね」
「そう……ですね」
「冬は嫌い?」
「嫌いですよ。私達の秋を白く埋め尽くしていく雪も、肌寒い風も」
「そう、残念ねえ。こんなに綺麗なのに」
はふぅとため息をつく。
違う季節の存在に、なんでこうも話すのだろう。
過ぎ去った季節への優越感? 紅葉の方がよっぽど綺麗だわ。
「でも、あなたも冬を好きになれば、もっといっぱい楽しく過ごせるわよ」
「秋の女神の私が冬を好きになってどうするんですか」
「いいじゃない、こう、甘いものは別腹みたいな感じで」
「そんな馬鹿なことを……」
柔和に笑う冬の妖怪に、私はたじたじになっていた。
おかしい。こんなはずじゃないのに。冬の妖怪なんて、私なんて歯牙にもかけずに通り過ぎていくはずだのに。
冬が無情にも、紅い紅葉を覆い尽くすように。
「そういえばあなた、名前は?」
「……静葉。秋静葉ですけど」
「私はレティ・ホワイトロック。よろしくね、静葉」
「よ、よろしく……?」
にこりと笑って差し出されたその手を、私はつい反射的に握ってしまっていた。
つめたい。
「さぁ静葉。冬の良さを見せてあげるわ! ほら、あなたの周りの寒気は私が抑えてあげるから!」
そうしてぐいとその手を引かれる。
「え? え? えええ?」
なんだかんだのよくわからないうちに、私はいつの間にかその冬の妖怪に、引っ張りまわされることになっちゃったのであった。
「ほら、雪の結晶を特別に大きく作ってみたわ。凝った形してるでしょう?」
「む、むう……」
確かに、それは細かい意匠が施された高級な装飾品のようだった。
でもこんな綺麗に対称な形になるものなの? 冬の妖怪が見栄を張っているんじゃないかしら。
私はそれを素直にほめることは出来なかった。
「ほら、見て見て、珍しいわ。風神の湖に霜の花が咲いてる! 神が神だから、そのうち御神渡りも見られるのかな?」
「わぁ……」
水蒸気が凍り、くっついて、湖の上にたくさんの白い花が浮いているように見える。
「春には見られない花よ。季節先取りね」
そう言って、レティはウインクしてみせる。
極寒の冬であっても、いや、冬だからこそ咲く花もある。ちょっと、意外に思った。
「ここら辺の木にも樹氷が出来てるわね」
「樹氷?」
見れば、木の枝が白い氷に覆われていた。だが、完全に凍結しているわけではなく、まるでこれも花の代わりになっているかのようだった。
「冬の間はこの子たちが木を彩ったりするのよ。木は春夏秋冬、色んなおしゃれが出来てうらやましいわねえ。冷たいだろうけど」
「へええ……」
レティの話に、なんだか感心してしまう。
思えば、冬のこんなところを見たことはなかった。いっつも雪にうたれて呪詛を吐き出しているような、そんな過ごし方をしていた。
自分の季節の自慢のところを見て欲しい。その気持ちは、なんだか判る気がした。
「お、ダイアモンドダストだわ。近くに氷精でもいるのかしら?」
「わぁ、綺麗……」
「ふふ、でしょ?」
キラキラと降り注ぐ光の粒に、私は目を輝かせてしまった。
自らの季節の持つ、鮮やかな色彩が一番美しいという気持ちは変わらない。けど、白色と光の織り成す冬の美しさも、捨てたものではないと思い始めてしまう。
「どう? 冬だっていいものでしょう?」
「そう……かもしれませんね」
でも、やっぱり冬に屈したくないという思いも捨てきれず、そんな煮え切らない答えを返してしまう。
そして、また捨てきれない、冬への疑念。
「なんで、私にこんな光景を見せたんですか?」
「え? うーん、もったいないと思ってね」
「もったいない?」
首をかしげる。知らなければもったいないということ? それにしても、わざわざ?
「私は、あなたがうらやましいのよ? 女神さん」
「え?」
それこそわからない。自分の季節に、過ぎ去った季節の存在をなんでうらやむ必要があるのだろう。
「なんで、ですか?」
少し恐る恐る尋ねる。
「私はこの季節にしか出てこれないの。冬以外はずぅっと眠って、力を温存しなきゃいけない。他の季節の美しさなんて、見たくても見れないのよ」
「え……」
返ってきたのは、思わぬ言葉だった。
そう言ってその少女は、しかしうれしそうに微笑む。
「だから、寒さに震えながらも、こうして出歩いているあなたが、うらやましくなった。そして、せっかく冬にだって出てこれるのに、冬の美しさを見ようとしないのはもったいないなって思ったの。だから教えてあげようって」
どうしてそんな顔が出来るんだろう。
どうして私みたいに卑屈にならないんだろう。
冬なんて、誰にも厳しい、冷たい季節だと思ってたのに。
これじゃ、私のほうが、よっぽど……。
「ごめんなさい」
「え?」
「ごめんなさい。冬を嫌っていて。冬のこと何にも知ろうとせずに、嫌っていて」
悲しくて、情けなくて、なんだか涙が出てきた。
でも、彼女はそれをそっと拭う。
「仕方ないわ。冬は厳しいもの。でも、寒いからこそ暖かさをいっぱい感じられる。それが冬よ」
言って、にっこりと微笑んだ。
「冬のよさをわかってくれて、ありがとう」
――ねえ静葉。私、冬以外の季節はわからないって言ったけど、一つだけ知ってるのよ。
――とっても綺麗で大好きな、他の季節のもの。
――私が目覚めたときに、迎えてくれるものなの。
――それはね、とってもとっても紅くて鮮やかな、紅葉の絨毯よ。
*
紅く染まれ、美しく染まれ、鮮やかに染まれ、寂しげに染まれ。
冬を迎える絨毯となれ。
「もうすぐ、秋が終わるよ。一年、寂しかったな」
大好きだって褒めてくれた、私の紅葉。
いっぱいいっぱい、心を込めて作るね。
「もうすぐ会えるね。早く会いたいな」
レティ。レティ。
私に冬を愛させた妖怪。
この一年にあったこと、いっぱいいっぱい、お話してあげるね。
早く会いたいな。
レティ。
『終焉を望んだ女神』――fin
なんだか絵本に描かれている童話のような物語ですね。
穣子ちゃんには悪いけれど、確かにこの味は静葉様じゃないと出ないでしょうねぇ。
うん、素晴らしき物語を読ませて頂いて、ありがとうございました。
レティの目覚めた時の光景てかたまらんですたい