私がドロワーズに恋してから、一年が過ぎました。
ドロワーズは、下着ながらにして人に見られても構わない便利な代物です。しかし下着であるからには、やはり堂々と見せたり堂々と見られたりするのは、ちょっと抵抗があるかな……みたいな。
可憐なる乙女心の、お茶目な覚悟と羞恥の相克。
「それがドロワーズの神髄なのですよ。こいし」
姉にそう教わってから、一年が過ぎました。
姉にはとても感謝しています。
私は心を読むことをやめてしまったからでしょうか、人びとの心の機微にひどく愚鈍なのです。
そんな私に姉は、乙女心のなんたるかを諭してくれた。見せたいけれど見られたら困る、それは女の子によくある心理なのですよ……と。
姉だって、私の心の中は読めないはずです。しかしながら、私の心を姉はあまりにも適切に汲んでくれて、そして私にドロワーズをくれたのです。「可愛い下着がいいけど、いくら可愛いからってそれを堂々見せるのはちょっぴり恥ずかしいよね」――そんな私のリクエストを柔軟に理解し、「そんな貴方にドロワーズ」と短く答えてくれた姉。最早頭が上がりません。
姉はドロワーズ。
ドロワーズは姉。
あれから一年が過ぎました。
五月十四日、去年の誕生日に姉からもらったドロワーズは、驚くべき快適さを誇ります。珠玉の逸品です。大きめの膨らみも見られたっていいと分かっていれば気楽だし、締め付けのない履き心地も抜群です。この魔法のようなフリフリリボンつきの薄紅色おぱんつは、時代が代わるたび世界に勃興しては淘汰の波に呑まれていった、幾多のぱんつ達の名も無き犠牲の上に誕生した代物だと思うのです。まさにぱんつオブぱんつ。技術と発想の粋を結集して、この世に創り出された究極のぱんつに違いありません。
去年の今頃、私は誕生日を間近に控え、誕生日をきっかけに自分を変えていきたいなあと思っていました。自分に不満を抱いていたのです。人の心を見るのに疲れ、第三の目を閉じてから幾星霜。人から遠ざかっている自分を、私は何とか変えたかった。……私の、まるで少女のような勇敢な誓いが、あの日姉のプレゼントによって実現されたのでした。
ドロワーズにより、あの日を境にして私の日常は股間の通気性と共に変わったのです。
今日、また私の誕生日がやってきました。ということは、このドロワーズも一回目の誕生日を迎えたということです。
大変おめでたいことです、お祝いをしてあげなくてはなりません。
私は台所へ行き、純白の生クリームをホイップごと拝借して自室へ持ち帰りました。
うまい具合にテーブルの上、スポンジケーキの横に放置してあったのです。
私には姉の心が読めませんが、姉がしてくれようとしていることはその光景で明白でした。見てはいけないタイミングで支度品を見てしまった気がするので、これを見たことは内緒です。姉に申し訳ないですから。
嬉しい秘密の計画に心から感謝を捧げながら、私はしかしホイップを拝借しました。ちょっと使うだけなら、分からないでしょう。
部屋に戻った私は、今まで履いていたドロワーズを脱ぎました。
スカートの下からずるっと脚を抜いて、ドロワーズをその場に広げます。床の上にてちゃんと皺をのばし、その右腰、左腰、右足、左足、それから……ドロワーズのおへそがあるとすればここだろうなという、魔法の物体の重心たる場所にもう一箇所、ぜんぶ合わせて五箇所。
生クリームをむにゅっと盛りました。
今の私のスカートの中ですか? そこに言及したら殺します。無意識に殺します。
ドロワーズのお誕生日祝いは、ホイップクリームのみですがあっさり完成しました。ドロワーズにバースデイケーキを買ってあげることは出来ないので、ドロワーズそのものをケーキにすれば良いという算段です。
一歳なので、ロウソクも一本だけ。
五箇所あるクリームのどこにそれを立てようか迷った挙げ句、やはり中央、股間部分に立てるのが適切だろうと思いその通りにしました。
火を点けました。
ドロワーズの中央に盛られた白い物体に、雄々しく屹立したロウソクと先っぽの炎。
すべての形が何となく意味深に見えてしまって、私はうふふっとちょっとだけ笑いました。
揺れる火影を見つめていると、彼と共に暮らしてきた一年間が走馬燈になって駆け抜けました。
はじめて履いた時の緊張。ぱんつよりもずっとゆるゆるで、すーすーとして、何をしても気持ちが落ち着かなかった。ぱんつらしくないものがぱんつになったせいで、ぱんつを穿いてないような不思議なぱんつフィーリング。
ところが慣れてくると、このふわふわが次第に心地よくなってきた。癖になった、というやつでしょうか。
対外的にも、見られてもいい下着なんだから見られてもいいわ、とようやく覚悟ができるようになり、外を歩くのが楽しくなりました。バラ色のドロワーズライフを私は謳歌した。しばらくはやはり羞恥が勝って、わざと短くしたスカートの裾を、ついつい抑えちゃったりもしていたのですが。
風に舞い上げられたスカートを、特に抑えることも必要なくなりました。姉の前でスカートをひらひらさせてドロワーズを見せまくって困らせてみたり、名も無き地底妖怪の好色な目を逆手に取って「ちらりずむ」を練習したり。
少しずつ心を開いていった私を、ドロワーズはどう見てくれていたでしょう。
心を読めない私には、ドロワーズの心が分かりません。
一歳の誕生日、おめでとう。お祝いをしなくちゃいけません。
はっぴばーすでぃ、とぅーゆー。
はっぴばーすでぃ、とぅーゆー。
はっぴばーすでぃ、でぃあ……
ドロちゃ~ん。
はっぴばーすでぃ、とぅーゆー。
ぱちぱちぱちー。
一人きりの唄だったけど、少しは喜んでくれるでしょうか。
この胸にある赤い瞳を私が閉じてしまったせいで、ドロワーズの心が読めません。
紅蓮のふとい炎を切っ先に宿し、一歳を祝うロウソクは雄々しく股間に屹立。溶けた蝋が透明になり、先っぽからてらてらと根元へ滴っていきます。
えっちだなあ、とおもいました。
私ができる精一杯のお祝い、ドロちゃん、喜んでくれてるんでしょうか。
体育座りになり、揺れる火影を変わらず見つめつづけても返事は返ってきません。
ドロちゃん、返事してくれない……。
第三の目を閉じてしまったことの後悔が、どんどん膨らんでいきます。私はその膨張を抑えることができませんでした。
姉ならきっと、ドロワーズの心の中が分かるのでしょう。ですが私には、分からない。私が第三の瞳を閉じてしまったせいで、ドロワーズと言葉を交わすことができないのです。
自らのバースデイロウソクを吹き消すこともできないドロちゃんは佇みます。
膝に顎をうずめて、私はちょっぴり落ちこみました。
ドロワーズの声を聴くために、この目を開いておけば良かったなと思います。
ゆらゆら揺らめく仄明かりをじっと見つめて、私の意識は少しずつ霞んでいきました。
物言わぬぱんつの心を想い乍ら、そのまま私の瞼はすうっと、重くなっていきました……。
「はうっ……!?」
私が目を覚ました時、周囲には焦げ臭い匂いが漂っていました。
何が起きたかはすぐに悟りました。私はうっかり微睡んでしまったようで、そして微睡む前に自分がしていたことをよく覚えていた。
ドドド、ドロちゃんが!!
根元までしっかり燃え尽き天寿を全うしたロウソクを吹き消し、クリームごとばっばっと払ってみましたが時既に遅し。
一歳の誕生日を少々祝いすぎてしまったロウソクが、祝賀の痕跡を現場にきっちりと刻んでいたのです。
「ドロちゃんがぁ……」
蝋燭の立っていた場所に、焦げ穴ができてしまっていました……。
股間の部分に開いた黒く小さな穴に、私は指をつっこみます。
指が入るにはちょっときついくらいの、小さな、けれど黒い穴。物言わぬドロワーズを見、指を蠕動させながら私は率直に落ち込みました。ああ、何ということでしょう。
姉からのプレゼントを傷つけてしまったことも、ドロちゃんがきっと熱かっただろうなということも考えました。
ですが、それよりも私を傷つけたことがあります。
私は純粋にドロワーズの損傷を嘆いたのです。
なにしろドロちゃんはぱんつオブぱんつ。これ無しに、私は今更生きてなどいけるはずがないのです。
もはや、居ても立ってもいられなくなりました。
一刻も早く、何とかしなければ。
台所に行くと、姉が右往左往しているのを見つけました。どこかに消えた生クリームを探しているようです。
私が台所入っていくと姉は飛び上がって驚き、バースデイケーキの準備品を隠そうと慌てふためきました。
しかしながら、私の手にホイップクリームを見つけたところで、全部ばれていることを悟ったようです。
「あーあ。なぁんだ、ばれてしまったものは仕方ないわ。……でも、おいしく作るから待ってて頂戴、こいし」
「それより、それよりね、お姉ちゃん!」
クリームを投げだし、もう片方の手に持ったドロちゃんを突き付けて私は切り出しました。
姉のケーキも嬉しかったですが、今それどころじゃないのです。
「これを見て欲しいの。どう思う!?」
テーブルの上へ私が無造作に広げた、ぱんつオブぱんつ。
「すごく……こいしのぱんつです」
姉はそれを暫しじっと見つめ、しかる後、このぱんつに生じた異状事態に気がついて目が点になりました。
桜色のドロワーズ。
その四隅には何故か少々型くずれしながらも、むにゅっと生クリームの山が鎮座ましましている。。
そして股間の部分には白くべとべととしたものが付着し、その中央には黒い穴。
――姉の頭のあたりで、ぷつっという変な音が聞こえました。
「こ、こここいし……貴女まさか……」
「だ、大丈夫お姉ちゃん! 私まだきれいだし!」
姉の心は私には読めません。
ですが、そのハイライトを失った目が語りかける言葉なき言葉は、異様なまでに空恐ろしく感じました。
彼女が何を考えているのかくらい、第三の目を使わずとも容易に分かります。
「これはね! だから、その……」
「……」
「せ、せ、臍下丹田?」
「私の知る限り臍下丹田は穴ではありませんし、黒く焦げてもいません」
姉は人差し指をこめかみに当てて、六桁くらいの掛け算をしているような顔になりました。
私は言い訳も無く、姉にドロワーズを差し出しました。
「ねぇお姉ちゃんこれ、直してほしいの」
「……」
「も、もしかしてもう直せない?」
「いえ、直せるのは直せますが……」
小刻みに震える姉の手が、ドロちゃんを受けとりました。
私の心を包み込む、爆発的な安堵。
「あああありがとうお姉ちゃん!!」
――ほっ。どうやら神様はまだ、私を見捨てずにいてくれたんだと思います。
ボヤの早期発見と姉の尽力により、ぱんつキングダムのぱんつオブぱんつを死なせずに済みそうです。
明日からの毎日が、また楽しみになりました。
「あのねお姉ちゃん……誕生日をね、お祝いしてあげたかったの」
「誕生日? あなたの?」
首を横に振る。
「ちがう。ドロワーズの誕生日よ」
「……」
姉は、股間の白い生クリームを無言で見つめていました。
それから、すごく可哀想なものを見る目で私を見つめてきたのです。
「こいし……」
「だってどんな誕生日がいいか、ドロちゃんに訊いても私には分からない。だって私はお姉ちゃんみたいに、ドロワーズの心を読めないから」
「ねぇこいし、貴方から見た私っていったい何なのかしら」
瞳のハイライトを失った姉は、すごく不安げな声で私に尋ねました。
いったい何なのか? 決まっています。私の心をやっぱり読めないと姉が言うなら、私から教えてあげます。
あなたは、この世で一番大好きなお姉ちゃん。
他人の心を読みとる達人、さとり妖怪プロフェッショナル。まったく読まれないはずの私の心さえ時に汲み取って、去年の誕生日にドロワーズという下着を教えてくれた全知全能の姉。
姉ならきっと、股間の黒い穴を直してくれると信じていたのです。
私は自分のスカートを持ちあげました。
「はやく、はやく直して! ねぇね、ほら、これ直さないと私ぱんつがないのほら、ほらあ!」
「きゃあッお馬鹿ぁッ! 見せなくてもいいわよ!!」
股間の穴(もちろんドロワーズの)を指さして、私は追い縋ります。
「お姉ちゃんお願い、今年の誕生日プレゼント……」
一拍の、間。
「ド、ドロちゃん……直してくれたら、それで良いから……おねえちゃん……」
隙間風が、哭きました。
「お裁縫道具取ってくる……」
小さくなっていく姉の背中に、心の底から沸き上がる喜びを私は抑えきれませんでした。
こうして私の誕生日は過ぎていくのでした。トラブルもあったけれど雨降って地固まる、最高の誕生日になったと思います。
ドロちゃんもきっと、喜んでくれているでしょう。
あなたは明日からも――これからもずっと、姉お墨付きのぱんつオブぱんつで在り続けることと思います。
「あら? どこに持ってっちゃったの、こいし」
見当たらなくなったドロワーズを探して、姉は裁縫箱を抱えたまま台所を右往左往。
そんな姉の前に立ち、私は自分のスカートを持ちあげます。
「――さあ、直して! ここ、ここの穴! お姉ちゃん!!」
姉の手から裁縫箱が滑り落ち、すさまじい音を立てて床じゅうに中身が散乱したのでした。
了
ドロワに蝋燭を立ててぼんやり見ているこいしちゃんのシュールな光景が何ともいえないww
今後は黒く焦げた穴を誤魔化すために穴の部分にホイップクリームを塗って隠して誤魔化すもんだと思ってたww
毎回のことですが発想に脱帽です…ハイライトを失った目wwwwww朝から爆笑したwwww
間の置き方が絶妙すぎるwwwwwwwww
……ゴルゴちゃ~ん
ほんまもんの狂気や……。
訳:尊敬します
……ゴルゴちゃ~ん