Coolier - 新生・東方創想話

花咲かじじい ~Golden Weakness~

2010/05/07 23:34:07
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◆ Prologue. やすめ!


「ゴールデン・ウィーク。欲しくないかしら、妖夢?」
 暦の上で皐月の声を聴いて二日目。夕餉の席。
 天衣無縫の亡霊少女から天衣無縫に、いきなりそんなことを尋ねられて答えに窮す。
「……あの」
「どっち」
「いえ、欲しいも欲しくないも。それは、何語ですか。さっぱり分からないのですが」
 けらけらけら。
 西行寺幽々子は、愉しげに笑った。
「やまと言葉に直せば、黄金連休」
「オウゴンレンキュウ……?」
 ふいに戸棚へ歩く。幽々子は、茶葉と急須を手にして戻ってきた。私がやります、という妖夢の申し出には、耳を挟まず手を挟ませない。
 茶葉の香りが二人きりの食卓に漂う。
「オウゴンレンキュウ……れん……連、休?」
 妖夢の頭の中。ふたつの漢字が、浮かび上がる。
 漢字が当てはまるまでに、多少の時間を要した。その意味を咀嚼し、解釈するまでにやや余分に時間を要した。
 レンキュウ。
 連なる休み。
 勤勉実直一辺倒。
 生真面目硬骨、直情径行に暮らしてきた少女にとっては縁の無さすぎる言葉。お勤めこそが、人生だ。
 休みなどない。与えられた以上に、求めたことなどない。
 例えば半日や一日の休みならともかく、
「幽々子さま、その、一体どれくらいですか」
「三日間」
「みっ……!」
 三日間もお勤めを休まされる!
 そんなことなど、考えたこともなかった。
 想像する。
 想像できない。
 無理です無理無理。
「さぁ、欲しいのか欲しくないのか」
「そ、れは……」
 幽々子は愉悦に溢れた瞳で眺めていた。からかわれているようだ。癪に障る状況下にも、こちとらは懊悩するばかり。
 降って湧いた話だ。いきなり、いいも悪いも答えられない。
 三日間の連続した休みと言われても。なんだか、怖いよ。
「……うぅ……ん」
「ああっ、もう!」
 匙を投げるように、幽々子は言い放った。
「いいも悪いも無いなら、私が決めるわ。妖夢、あなたに三日間の連休をプレゼントする。以上!」
 悪い子を喝破するような剣幕。
 いよいよ茫然とするのは、魂魄妖夢。母親に突き放された迷子に似ている。子どものような目が忙しなく泳ぐ。
 与えられた自由に困惑する小鳥。西へ東へ、ふらつく視線。

 急に言われても。
 そんなこと、急に言われても……。





 ◆1.なまくらの剣


「……連休と、言われましても」

 目指す人郷は遥か眼下にある。
 白く沸き返った靄の正体、雲。それがやがて晴れていく。石階段の遙か下には、小さな人郷の全容を一望する。雲は、眼下の存在から頭上の存在へと変わる。
 裾を隠した山が、てっぺんを隠した山へと変わり、
 地へとつづく石階段が、天へと昇る石階段へ変わる。
 遥か空の上から、青白くこの長い石階段は続く。稀にながら人通りがある。
 そのまま雲に登り行く老爺。数個のびいだまを握り締めた子供が一人ゆっくりと歩を刻み、こちらは降りていく。まるで安堵したように。いずれも行方知れず。来し方知れず。その子供を追い越して足早に降りていく、銀髪の少女の姿が一つだけ色を持つ。
 花びらのようにふらふら階段を下っていく妖夢だった。雲は風に流れ、標高が下がるにつれて視界はくっきりと晴れていく。すれ違うときに老爺がふと振り向いたのは、少女に似付かわしくない、脇に刺した二本の鞘のため。
 あどけないおかっぱ。その揺れる下、鞘は黒く、無骨に光って腰に在る。
「……連休と、言われましても」
 やはり何をして良いのか、分からなかった。
 人郷に降りれば、少なくとも白玉楼で暮らす日常からの逃避は達成できる。そう思いなした。その通りに行動を起こした。
 決して、白玉楼での日常が忌々しい訳ではない。連休を楯にした遁走とは違う。天地神明に誓って。
 ただ――休みというからにはやはり、日々のお勤めから離れ、その匂いのしない所へ行かねばならぬ気がした。とにもかくにも、白玉楼の離脱を優先した。
 いきおい行く先は限られる。人郷に降りようと思ったことについて、他には無い。取り繕うべき、理由など持たない。
 冥界へ昇る者達とすれ違う。
 戻る者達を追い越していく。
 生死の淵を彷徨い現し世に戻れる者達よ。
 この階段で、何を決めて貴方は降りていく。

 我に返った時、既に活気豊かな雑踏の中にあった。
 おおいに喧噪が周りを囲んでいて、小さな肩を震わせる少女。
 連休の身空には、義務が無い。自由を謳歌する人波も、いつもより少し感じ方が違って見えた。

 幻想郷にも黄金連休は存在している。
 着の身着のままを身上に、前向きなその日暮らしを営む幻想郷の人びと。時計や日めくり暦が宙を舞う。数字が彼等を画定することはほとんど無い。それでも人びとは、休みを欲する。おかしな話。誰かが外の世界から持ち込んだ、因習に簡単に乗っかった。
 黄金連休をもらったその少女剣士。にわかに混み合う御茶屋の片隅に、埋もれてひどく難しい顔を浮かべている。
 隣の客が、不思議そうな目になった。
 購ったばかりのお団子を、口もつけず妖夢が暫しまんじりと眺めていたのは、別に、そこに人生訓や戒めや連続休暇の過ごし方が懇切丁寧に書いてあったからではない。幽々子無しで初めて入った御茶屋さん。赤白緑赤という、この不可解な四つ並びの串団子。
 彼が難題を彼女に与えた。串を眺めて、大いに訝る。
 ――なぜに、赤がいっこ多いの?
 団子までもが連休仕様? それとも、ぼくは誰かにばかにされているのか……。
 団子職人が手際よく団子を作っていた。偶然、一個余った。だから、ちょうど最後におまけとして誰へともなくくっつけたのか?
 勇気を振り絞ってお店に来た勇敢な自分への、ささやかに奇天烈なお店の奉仕品。
 ぜんぜん勇敢などではない。ただ有閑なだけです。
 ごめんなさい。
 私は今日、休んでいて。
「おいしいかね?」
「はい、とても」
「まだ一口も食べてないのに、どうして分かるんだい」
「……すみません」
 この子、どうやら心ここにあらず。
 御茶屋のおじさんは店の奥へと退いた。十年来変わらぬ人だ。幽々子が贔屓にしている縁があり、ひいて妖夢とも顔見知り。お団子の味も知っている。彼の人柄もおなじみが深い。
 子どもの快活な声。ここをせんどと、商人の大音声。荷馬車は高らかに蹄を踏み鳴らして聞き慣れぬ方言は気まぐれに飛び交い白昼の風に倣う。少女剣士は雑踏を聴く。陽射しうららかなる中、お団子と一緒に雑踏の声なき声を聴く。桜の香り、厳かに漂うは未だに午前。
 これは食べているではなく、貪っていると云うのではないか。怖くなった。これは身に余る奢侈だ。怠惰なるものは戒めらるるべきだ。働かざる者食うべからず云々だ。いかめしい訓は自然と胸に刺さり、鮮やかな楔は痛くて甚く、自分はとてもいけない子。そんな自責が首を擡げた。
 落ち着かない! 
 落ち着かない!
 何をしていれば、この罪悪感や焦燥から逃れられるだろう。何もしないでいい日というものに、慣れていないから。
 ……ばか。せっかくの連休中なのに何を固いことばっかり考えてるの。
 もっと、何かな。気楽に、こう自由に。
「んふ、おいひいです!」
 もごもごと喋ったところで、親父さんはとうの昔に居なくなっている。
 隣の客に、ひそかに笑われただけだった。
 気を取り直す。その狭間にに、団子を立て続けに三つも頬張り平らげてしまった。
 最後に赤が一つ剣が峰で残る。
 嬉しかった。連休仕様のお団子。
 どうにも腰が落ち着かないけれど、妖夢は連休を一つ口に含んだ。
 甘い。やっぱり美味しい。
「……はぁ」
 休日と言われても、こういう時間の使い方しか思いつかないのだ。仕方ない。
 団子の串を行儀悪く、縦横に振ってみる。お勤めの日常は斬撃に屠り捨てられた。薙ぎ払われて春風に舞う怯懦。餅取り粉のついた、甘くてなまくらな剣のように見えた。ごちそうさまでした。
 ……ああ!
 そうだ、いいことを思いついた。





◆2.とろけて


「手入れって……充分にきれいじゃないか!」
「いえ、私なんかの手入れでは必ずや不充分。重々、二重々承知。この度まとまってお暇をいただきました。この間、一度徹底的にきれいにしてもらおうかなー、と」
 老爺は急にわざとらしく年老いる。面倒くさそうに、商売っ気のない笑みを浮かべた。まるで意味のない冗談を添えるように。
 十年来変わらない人だ。
 無骨に年老いた鍛冶。その終の棲家を兼ねた、土間の広い店内。藺草を斬った匂いがする。塗り重ねるように鋼の匂いが濃く漂っている。
 いつ来ても奇妙に整然としている。しかし無骨な鍛冶屋は、その身空にお似合いの、得も言われぬ野卑なる笑みを浮かべて暮らしていた。いつ見ても俗の手垢にまみれている。人の良さを上手に滲み出させる。刃の道に何十年の翁は、ある意味で人郷というものを象徴する存在なのだ。
 命よりたいせつな二本の刀。安心して預けられる。
「お暇をもらった……とな?」
「幽々子さまから頂戴しました。黄金の連休、だそうです」
 年老いた眉間には、やにわに皺が寄った。二人きりの店内から、彼は正面の大通りの人波を見やる。
 遠い目。
 そして笑った。
「……あの子が言いそうなことだ」
「はい」
 何を隠そう、あの子とは幽々子のこと。
 幽々子のことを、あの子呼ばわり。こんな豪傑、村は狭くて彼だけだ。他には要らない。他に二人も三人も居てたまるものか。
「白玉楼も連休か、面白いじゃないか」
「そうでしょうか……?」
「その連休とやらは何日あるんだ」
「三日間です」
 老爺はうなずいた。
「貸しな。刀」
 皺だらけの手は、命よりたいせつな二振りの剣を、いとも無造作に壁の向こうへと持って行く。柱の向こうから首だけ出てきた。「三日目の昼で良いな?」妖夢は、翁に念を押された。
 その身がすっかり軽くなった。
 涼しくなった腰周りをさする。これが休日の温度と重量なんだと、妖夢は知る。髪を引かれて雑踏へと向きなおれば、人いきれも香しい。いつにも増して賑やかな喧噪が悠然と存在。
 玄関の引き戸から滲み込む、明るい声と陽射し。
 錆びた金属の匂い漂うこの堡砦に染み渡るように、席巻する喧噪。遮蔽された一つ壁の向こうにある別の世界。
 昂然とした喧噪。これに対を為し、不思議なほど感覚的に訴える静けさの世界。まるで毅然と何かに抗うよう。
 連休。
 これが、連休……。

「着ている服はそちらで脱いでください! 必ず素っ裸の状態で、お入りいただきますよう!」
 うるさい!
 何故に、なんで、そんな大きな声で……恥ずかしい。
 女剣士と身持ちの悪い侠客。言わずもがな、似て非なる別物であろう。だが市井の民は必ずしもこれを峻別しない。
 遺憾ながら、両名おおむね同類として扱われる。
 居佇まいを正せど直らず。また連休仕様で仮に剣を腰に差さずとも、正されず。服の意匠などを観られる。剣客であることは看破される模様。然るに、無頼の者多き者達也と気に咎められる。まして風呂場のような、治安や規則に五月蠅い場となれば尚更だ。
 瓜田李下は心がける。だが、色眼鏡でそれを強制されるとなると腑に落ちない。
 かぶき者と一緒にするなーい!!
 と、目で訴えた。妖夢は、脱衣所に入った。服にも寝所にも不自由の無い家で育ったのだ。黥を入れている訳もなければ、汗のついた下着ごと湯船に浸かるような粗野な育ちも身なりもしていない。
 ざばあ。
 ちゃんと、掛け湯だって覚えてる。
「さーくーらー……さーくーらー……」
 湯船で出る鼻歌も、高尚なものだ。
 肩まで沈むにごり湯。白くさざめく水面の温さ。露天風呂特有の涼しき風を頬に受けながら、汗ばみ話し掛けた八重桜、それは既に色を失いかけている。
 春も間もなく終わろう。湯気に包まれぬぎりぎりの淵に立つ桜の花々。もう少し盛りの時期であれば薄紅に染まり、この露天湯の景色はなお嬉しかった。
 石造りの湯船に三人浸かり、それから洗い場にも二人。
 問わず語りで隣の婦人が話してくれた。「黄金の連休」なる、雅やかなる名前の由来。
 魂魄妖夢の茹だった頭はそれを咀嚼する。由来は映画。えいが。映画ってどんなんだろう?
 幻想郷とは何が関係ありますか、と訊いた。そんなん、何も関係なんてないに決まってるじゃない! と鼻で答えられた。
 いかにも幻想郷らしい。微笑ましい。古き良き時代の者達が導入したのだろう。
 これこれこれがし、外の世界にごーるでん某なる連休ありて候、斯様なのがあるなら一つ、我々も設けてみんとす連休なるものを――!
 伊達だなあ。
 言葉が違うかもしれないけど、伊達だなあと思う。
 自分は、あの鍛冶の老爺に悪いことをしてしまったらしい。彼も連休の最中だったのだ。幽々子が唐突に言い出した黄金の連休。まさか、人郷にもちゃんとあるとは知らなかった。彼には申し訳ない。
 しかしながら、今更後の祭である。
 ――なれば、今はただ。
 ただ、この心地よき湯に身を沈めるのみ。
「………………はーぁ」
 心地よい。よいではないか。
 雲雀、高く舞い上がり、生け垣の間隙から広い川を見ゆる。青きせせらぎを挟んで向こう側の堤を見遣れば、鯉幟の頭がふわふわ、風車がきらきら、皐月を瞭然と主張する。
 それがし、ただいま連休中にて候。
 先ほどの話し好きの婦人が、時折しつこく話し掛けてきて無闇に居心地が悪くなるのが玉に瑕。真っ裸同士で話をするのは当たり前に緊張する。
 風呂場は昔から一人が好きだった。子供時分から気心の知れた幽々子相手ならいい。でもそうじゃなければ、会話など無理。無理無理。最高級の無防備な姿で赤の他人と話をするだなんて。
 話し好きの婦人は、源泉かけ流しの会話をつづけていた。若いおなご相手に対する、およそ二年分くらいの話題を溜め込んでいたらしい。
 温泉を選んだのも失敗だったろうか……蕩々と流れる話し声に暫しそう思ったが、仮に失敗だとしても、これまたやはり後の祭。
 休日と言われても、こういう時間の使い方しか思いつかなかったのだ。仕方ない。

 魂魄妖夢は無防備にぐったりとしていた。
 温い湯に攫われつづけてみる。長いような短い時間。両腕をだらしなく広げた。淵にかける。息を吐き出した。熱い湯気が逆巻く。足を広げた。湯船の底に放り出す。
 半開きの瞳と口。澄明なる皐月。青空。首をくてっと傾けた。春風。ふわり。すう。嗚呼。

 ……。

「……………………ほぇ?」
 意識の中に、揚雲雀の囀りが割り込んだ。
 むくりと目を覚ます。
 寝てた。
 嗚呼。
 あ。
 休日というものはこんなにも心地よいのだ。あの婦人がとどのつまりで呟いた言葉を最後に、記憶が途絶えている。
 午後はここももっと混むでしょうね、と。
 彼女が、独り言のように。
 ――午後。
 影を映す揚げ雲雀が、青い山並みの方へやがて飛び去る。
 
 午後はここももっと混むでしょうね。連休だから。 
 いつしか露天風呂には、誰も居なくなっていた。あの婦人も居ない。一人きりになり、静まり返っている。
 時間の感覚がまるで失われていた。
 どれだけ浸かっていたのだろう。まずい。午後になったら人が来るらしい。沢山。知らない人が裸で! 真っ裸で! 連休の人達が!

 時間感覚が失われたことで、猛烈な焦燥感に妖夢は襲われた。
 慌てて湯船から飛び出す。一糸まとわぬ身体のまま、二歩目できれいに滑って転んだ。





◆3.ひとり


「何がよろしいかしらね? おうどんとおそばしか無いのに、また随分とお悩みされることで」
「す、すみません! えっと、この……い、いや!」
「ハハハ。いやね、ゆっくり選んでくれたらいいんだけど」
 優しい言葉は現時点で逆効果だ。気を遣われれば遣われるほど困る。逆に、焦りが増すから。
 のぼせた頭。たかが献立の短い単語が、頭に入ってこなくなって困っている。さっき強打したおしりも痛む。決断力も絶賛鈍化中。
 せわしなく献立の帳面をめくる指を、困った顔の給仕に見つめられてますます落ち着けない。
 狂いに狂った。軋む生活の歯車が、まるで戻らないまま軸を傷めつづける。
「えっと……あのっ! はあ、かけうど……」
「あいさ、かけうどん一杯ね?」
「いえいえ。月見うどんで!」
 ――そして今。
 妖夢は、うどん屋さんの窓際の席。またまた連休の雑踏を見ている。
 昼を過ぎた。いよいよ厚みを得た人波が、蛇のようにうねる。人郷にも連休が存在している。農作業や内職で忙しくて、連休を定めなければ休めないのだろうか。そうかも。そうでないのかも。
 注文に迷い迷って、うどんを食う前に時間を食ってしまった。今日は一人なんだね、と。御茶屋同様、幽々子づたいでなじみの給仕に言われてうなずく。いつもと違う。
 一人きりだからこそ、もっと自然体でありのままに行きたい生きたい。
 その筈だった。
 その筈なのに。隣に、幽々子が居ないだけでうどんすら決めかねていた。
 幽々子がひょいっと注文する。
 それと同じもの、もしくは一つ順位を落としたものを注文する。
 一歩を引いて大和撫子。それがいつもの……流れだったから。
「おまちどうさま! どうだい、注文をもらうまでより、もらってからの方が早かったでしょう!」
「…………。」
 ちゅるるるるるる、とうどんを一本ずつ妖夢はすする。
 すすりながら浮ついた気持ち。
 これを持て余して、透きとおるつゆの水面を水馬の如く這うだけの、無意味な蓮華を動かす。鰹出汁の蠕動。ねぎの舞踊。卓を見わたせば家族連れ、あるいは鯉幟の吹き流しの如き服を着て、吹き流しの如く浮き名を流しそうな好色の伊達男達。
 羨望を抱くことなど今更無い。
 うーらやましくなーんて、ないやい。
 ――ないが。さりとてこうも見せつけてくるような団欒を睥睨し、頓悟して孤高にうどんをすするにゃまだ年若い。
 ここに居て、今の齢とこの性別、この自分が、大型連休出来たことはと言問えば。
 四つのお団子。
 転倒の温泉。
 とどのつまりは、かけ一杯を月見うどんに変えたこと。
 それだけ?
 そうそれだけ。
 その、卵たった一個分の『贅沢』だけが、自分で自分に与え給うた『休暇』なのだ。薄ら寒いような一抹の怖さは、現状を認識させてうどんの味を消ししめる。
「幽々子……さま……」
 連休、連休。
 ……思わず名を呼んだ。
 一体どうやったら、わたしは、レンキュウを、できるのでしょうか?
「ここ、相席よろしいかな?」
「あ、はい」
 狭い机の向かいに、老爺が一人訪れて座った。
 視線を雑踏から引き剥がす。またちゅるるるへと戻る。
 ちゅるるるるるるるるるるるるる不意に、大きな声が聞こえた。
 席待ちをする客の話し声。耳だけで聞く。総合するに、旅の芸人が道の真ん中で何やら始めて何やら派手に失敗した、とやら、何とやら。
「……」
 妖夢はうどんを、黙ってすすり続けていた。

 れんげの小花に包まれて、春風を身体に受ける。
 まんぷくのお腹で流れる雲だけを見あげる。身に余る贅沢で身が震えた。こんなに怠惰でいいのだろうか。何とも空が青々として、五月晴れの晴れ姿を鮮烈に誇示する。堤の斜面に身体を横たえていた。心の底からこれが気持ちよい。加えて河原にも堤の上も影無し。まるで人が居ないのは、今日の都合にとても良い。
 せせらぎの音。花色風にほぐして聴く。自然の言葉を解読。花の蜜に混じって石鹸の匂いが鼻をくすぐり、何だろう? と思ったら自分の腕から匂っていた。あー、そだった、朝から温泉に入ったんだっけ……。
 半袖から生えている腕の内側を、ほっぺたでこする。とてもすべっすべ。
 嬉しくなり、草の上をころころと転がっていった。
 爆発するような物悲しさがこみ上げてきた。
 三回転して見た、青空。
 蓮華の匂いの風。
 商店街通りで目にした、浮かれ気分の人々の笑顔。春に咲いた美しき花と、蜜を吸いそびれて萎びた蝶々の羽根。想った。あんな風に、もっと上手に楽しめるはずだ。白玉楼の生活は辛くとも楽しい、つまりは、やはり少々辛い。辛いことだってあるさ。生きているんだから。
 だから、幽々子から「連休」をプレゼントされた時には素直に喜びもしたのだし。
 なのに。
 まず御茶屋さんに入ってお団子とお茶。
 お手入れと称して、剣を手放して。
 村外れに行き、露天の湯に浸かって緊張し、居眠りした。
 それから、かけうどんを月見うどんに変えてみて。
 今振り返ってみよう。休暇とは即ち、贅沢なのだろうか? ぜったいにそりゃ違うんじゃないか!? ……だが。自分がここまで徒然流してきた半日の時間! 正しく休日是贅沢也、という不可解な等式に則っている。
 休日かくあるべし、の規則に従って行動した。恣意的に作りだされた贅沢の浪費。時間だけを浪費した。この心は、一向に豊かにはならない。
 この規則に従って行動を続ければ、やがて休日は蕩尽されて黄金の三日間は終焉を告げる。体力は戻っていることだろう。
 ならば、この欠損感は何だろう。
 ならば、この焦燥感、不満足感は、何なのでしょうか、幽々子さま。
「相席、よろしいかな?」
「あ、はい……」
 男の声に妖夢は身を起こして、左隣に少しずれて座り直した。
「…………え?」
「ハッハッハ。まーだ、悩んだような顔をしてからに」
 あの鍛冶屋の老爺だった。
 不意の珍客に、春風の妖夢は目を丸くしている。





◆4.あまちゃ


「ハッハッハ! 若いくせに、難儀な性格しとるの」

 鷹揚と笑みを浮かべた翁は、春風に窘められた。老爺は煙管を取り出した。冷たく光る金色を、口にくわえたきり火も点けず、そこで妖夢を睥睨する。
「教えてみせい」
「何を、でしょうか」
「御主、今朝方、空になった団子の串を振って、何を考えていた」
 問われた妖夢、きょとん、とした。
「……見ておられたんですか?」
「店に居たのだよ。偶然、な」
 そうですか、と頷く。
 それ以上深くは、この時疑わなかった。
 あの時。団子をなまくら刀に見立てて振った時。
 妖夢は、ちょっとした昔話を思いだしていたのだ。
「――動と静」
「ん?」
 遙か昔に消息を絶った人。たいせつな声の記憶。言葉をそのまま口にしたことで、嗄れた昔日が耳に戻ってくる。
「動と静のことを考えていました。私のおじい……剣の師匠が、指南のお稽古で言っていたことなのです」
 ――その剣術、御名よりにもよって魂魄櫻花流、だか何だか。
 往時は外の世界でも一世を風靡したとかしないとか、もっぱらの噂。古風にして隙が無く、太刀筋は流麗にして風雅。その一太刀が桜の花びらを斬れば、春が逝き季節終わる時ぞ――と言わしめた古の剣術。誰が名付けたるや、名誉あふるる魂魄櫻花流の雅号……ほとんど嘘くさい! ていうか概ね嘘だと思う! 
 けれど。
 妖夢が自負と矜恃を持って今に受け継ぐ、典雅な剣術。その師範代、厳しくも愉しい人だったあの祖父が、よく口にしていた言葉だった。
「剣の心は、動と静だと云われました。花咲かば静か、なれどそれが散りぬる時、静は動へと転じる。咲き誇りし時も、花びらは風に揺られる。すなわち、静の中にも繰り返さるる動があるのだと。――静がある故に動がある。それがおじい……ちゃんの、教えだったんですが」
 鍛冶屋は笑みを崩さない。
「団子を食って、御主そんなことを思いだしていたのか! ……堅苦しいのう」
「連休って、どう過ごしたら良いんでしょうか」
 妖夢は単刀直入に口にした。
 単刀直入の理由は簡単。こんな不毛無益なる哲学的懊悩に、迂遠な言い草を選んだらそれこそただの偏屈と思われそうだったからだ。
 その翁は職人の風貌をして、打てば響く怜悧聡明な年寄り。妖夢はよく知っている。
 綽々たる今のその笑み、嘘ではない。
「お休みのところ刀をお任せしてしまって、大変申し訳ありませんでした」
「いやいや」
「私は、なかなか上手にレンキュウできないですね。だめな子です」
 作れる表情が他に無く、妖夢は笑った。
 その表情。
 その質問。
 その弱音。
 幽々子には、到底向けられない顔である。これを老爺には向けた。
 無意識に笑ってしまった自分に、妖夢もふと気づいていた。
 笑うと、気持ちが良い。良いもんだ、ね。
 顔見知りであれど、なかなか逢う機会の無い鍛冶屋。こうして水入らずに二人きりで喋るのは、生まれて初めてかもしれない。
 そこで初めて覚えた心地よい違和感。
 ハレの日になりきれない、けれど、不思議な非日常のかほり――
 あ。
 もしかしてこれが……「休日」の正体じゃないか。
 妖夢は、はたと気づいた。
 翁の笑みが、追い打ちを掛ける。
「すべきことを全て奪われて、何を思った?」
「はい?」
「休日だから休まなければならないと、決めて。それで行く宛ても無く、郷に出てきたのだろう?」
「……はい」 
 翁は呵々大笑。
 妖夢の肩を叩いた。乱暴に励ますように、ぼこぼこ、ばしばし。
 余計に力の入った肩を、今度はふと、やさしく撫でられる。
「御主は、面白くないほど面白い子だ」
「……」
 その手は、ほとんど子供扱いで――翁から見れば子供はおろか、孫でも良さそうな妖夢の年齢だけど。
 ともかく、翁の手のひらは魂魄妖夢を悠然と包み込んだ。凡ての振る舞いは彼の長大な人生に裏打ちされ、取るに足らない行動ひとつにも、含蓄深い意味が込められている気がする。
 得体の知れない包容力に、妖夢はゆっくりと身を委ねた。
 ありがたやありがたや。
 春風が、歩み抜けてゆく。
「休もうと思って休むでない! 茶屋でさえおどおどして、団子ひとつまともに食えぬ癖して」
「……ですが」
「うどんの注文もろくにできんようだったし、温泉に行ったと言っていたがどうせ風呂場ですっ転んだりしていたのだろう」
「……」
「まだまだケツが青いわい」
「な、何でそこまで知ってるんですか!」
「……あん?」
 時間は、有意義に無駄遣いされていった。
 妖夢はもう間違わない。
 あの露天の湯から反対側の河岸。ここに舞う雲雀は、あるいは先ほどの彼か? この季節には、どこに行っても雲雀が居る。
 雲雀よ。
 答えを、知りたいか。

 そうだ。
 求めていたのは、空を舞う鳥のような連休だったのだ。











◆Epilogue.魂魄櫻花流


『今の気持ち、どうだね』
『恋しいです』
『恋しい? 白玉楼がか』
『それもですが』
『……幽々子が、か』
『両方です』
 老爺は、ここぞとばかりの呵々大笑を轟かせた。
『あの子も、よくよく好かれたものだな!』
 幽々子が居ないだけで、御茶屋に入るのさえ緊張する。
 幽々子が居ないと、お風呂の温かなお湯に浸かっても緊張している。
 幽々子が居ないから、うどんを決めかねて。
 幽々子が居なくて、誰も居ない河原に逃げてきた。
 幽々子から離れた。
 連休の、最初の日。
 だというのに、幽々子なしでは何もできない自分に気づく。今はすでに、幽々子が恋しい。
 すると翁は、こう言った。
『休もうと思って休んでいる内は下手。……まだまだ、人生を泳ぐのが下手というもの。だが……恋しいなら、恋しく思え。あの子のことも。毎日のお勤めも。離れて恋しく、勤めては離れを求め、また恋しく。熱い刀身を鍛えるように、それを繰り返していけ』
 膝を打って立ちあがった。
 翁は、最後におまけとばかり、もう一言付け加えた。
『それが、動と静というものだ』

 妖夢は、雑踏の中。
 肩で風切り、歩いていく。
 びいどろの店に入って、時間とお金の贅沢をした。
 出てきたところで、荷馬車に足を轢かれかけた。
 服飾の店。
 訳も分からぬ骨董の店。
 それから、幽々子へのお土産を早速選ばんとして菓子屋にも入った。
 贅沢が贅沢でなくなっていく。
 休もうとしなければ、休めるものなのだなあ。
 静を求める心に任せてみよう。それが明けたら、お勤めに戻る。
 黄金の連休三日間。
 これから自然と、有意義な静を作り出していくだろう。
 果てしなく贅沢。年に一度の豪奢。
 おじさん、ありがとう。
 少しだけ休み方を覚えた剣士は、少しだけ、強くなれそうな気がします。


 さて。
 ……休み方を知らぬ剣士は、早世すると思う。どうだろう。
 身や心の疲れのみならず。
 剣そのものが、休みを知らないものに育つ。
 人間には必ず隙がある。荒ぶるばかりを求める剣は、やがて意識しない空隙を産む。これが命取りとなる。
 空隙は必然として生まれる。なれば、有意義に自ずから与えるものだ。
 動のみの太刀筋に静の一滴を加えよ。たったそれだけで、剣術の幅は拡がる。緩急。動と静。
 ――それが、魂魄櫻花流也。
 預かった二本の刀を浸からせるための灼熱温泉、竈のなかでくらくらと熱気を迸らせる。
 紅蓮の旭光に照らされた翁の双眸。連休一日目の夜は翁にとって、いつも通りに過ぎていく。
 動と見せかけて静。
 静と偽っての動。
 さらに転じての静!
 ――この剣の手入れが仕上がる頃、春は終わりを告げるだろう。
「むぅ?」
 鎚を振ろうとして胸元に突っかかったものを、汗ばんだ手で乱暴に懐から取り出す。
 金色の煙管。一度として火を点けたことのない伊達なる品を、作業台の上へ放り投げる。
 身分を韜晦するのもそろそろ飽きた。
 だが、この身は老いてなお矍鑠。動と静を老獪に駆使して、密やかに、あの子を暫し見守っていく予定には些かの揺るぎもない。

 ……ござらぬ!
 赤く染まっていく刀身を、翁は集中して眺めていた。
 将来有望な少女剣士の未来は、この刃に託され、炎に炙られて身動ぎしている。
 この朝陽は明るい。西へも東へも転じるであろう。
 真面目すぎる性格が玉に瑕。我が、愛しき孫娘よ。
 当面のところ、爺がそなたに希うは、一つだけ。

 せいぜいよい連休を。今はひとまず、それだけである。



 ……へっくしょい!
 嗚呼、畜生!



 
 ざんねん!
 読者諸賢のゴールデンウィークは、なんと一昨日でおわってしまっているのだ!
 
反魂
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コメント



0.900簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
最初から最後まですごく良かったです。
後書きに思いますが、これを連休終わってから読むとなんか悔しい。
7.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいです。妖夢の気持ちとか、文章としての表し方が多彩です。
ああ、僕の連休の使い方も後悔するなぁ。
9.100奇声を発する程度の能力削除
凄く良かったです!

もうGWは終わってしまったのか…orz
10.100名前が無い程度の能力削除
あとがきで思わず畜生!と
いい話だでした。それゆえに自分の連休が終わってしまったのが残念でなりません。
14.100ginzow削除
ボンボンで不器用な妖夢の黄金連休の過ごし方、面白かったです。
語彙がありすぎて驚嘆すること仕切りなしです。ggりながら読みました。
音が良いですね。スクロールバーを見たとき長いなって身構えてしまいましたが、テンポよく読み進めることが出来ました。
15.100名前が無い程度の能力削除
忙しい日々が続くと、休みの過ごし方に本気で迷う
17.60おやつ削除
GW? それなぁに食べれるの?
始まりもしないものが終わるなどありえぬ。
我が黄金連休は、三六五日年中無休でござる。
いや、始まりもしないんですがorz
自習自得も大事です。
頑張れ妖夢w
18.100名前が無い程度の能力削除
不器用な妖夢可愛いよ妖夢。

GW?もう幻想入りしてしまったんじゃないんですかね?w
20.80コチドリ削除
ちょっと粗も目に付きましたが、最後までこの文体で押し通した作者様に、まずは拍手を。

ただ、個人的には修飾語が少し多くて、妖夢がお話の最後までゆっくり過ごしている、
という印象を受け難かった気がしますねぇ。
とにかく、ご苦労様でした。
21.90名前が無い程度の能力削除
妖忌さんなにしてはるんですかー!?
23.無評価反魂削除
 コメント&ご指摘ありがとうございます!
 ご指摘の内誤字なところは修正いたしました。
26.100名前が無い程度の能力削除
みょんむかわいいよみょんむ
29.100名前が無い程度の能力削除
この妖夢はひっそり見守りたくなる