Coolier - 新生・東方創想話

その瞬間を唇にのせて

2010/05/04 00:46:36
最終更新
サイズ
18.09KB
ページ数
1
閲覧数
2497
評価数
7/59
POINT
3240
Rate
10.88

分類タグ


 塀の中の、限られた空間。
 そこが彼女たちだけの、戯れの戦場だった。

 太陽の光を反射し、煌くいくつもの弾丸を。
 瞳で追うことすら困難な白銀の雨を。
 新緑の服を翻して、一人の女性が駆け抜ける。
 
 一つは避け。
 一つは弾き。
 一つは受け止め投げ返し、また別の弾丸を落とす。

 地面に突き刺さり、効果をなくしたものに目もくれず。
 女性はただ一直線に大地を蹴る。

 その足を止めるためか。銀色の女性が進行方向を塞ぐように、より密度の高い弾幕をぶつけてくる。
 だが赤い髪の女性は避ける素振りすら見せず、両足をしっかりと地面につけた。
 両手を腰溜めに引き、腰を落とし。
 普段と違う、変わった音の呼吸を繰り返す。
 ゆっくりと空気が彼女の胸に収まり、まるでスローモーションのように膨れ。
 そして、萎む。
 
 しかし白銀の弾幕はあくまでも高速。
 足を止めた彼女に容赦なく降り注ぎ、その美しい肌を切り裂かんと迫る。
 それでも女性は動かない。
 諦めてしまったかのように体を固め。
 じっと、その切っ先を見つめるだけ。
 その先端が、彼女の額に触れようとした――

「――覇っ!」

 刹那、裂帛の気合と同時に、一瞬で練りつくした力を開放する。
 ナイフの雨が肌に触れるか触れないかの位置まで迫った。そんな瞬間に放出された気は、あっさりと迫り来るすべてを撃ち落とした。
 十分引き付けたことにより、空中に残るナイフなど一本もなく。
 大地にいる彼女の動きを制限するものは全て消え去っていた。

 そして彼女の上空では……
 今の反撃に対する驚きの気配が生まれる。
 気を司る彼女は、相手の動揺を明確に感じ取り。
 
 弾が消え、晴れ渡った上空へと一息で飛び上がり。
 新しいナイフをまだ準備し切れていない、決定的な隙を見せた相手に向け。
 彩色のスペルカードを掲げ、大きく口を広げて宣言――

「っ!」

 だが、何故か口を開いたままその動きを停止させてしまい。
 
「……えいっ」

 すこーん、と。
 ナイフの柄の部分を額に投げつけられ。
 帽子に『龍』と刻んだ星をつけた女性は、あっさりと敗北したのだった。 




<その瞬間を唇にのせて>




「いたたたた……」
「じっとしてなさいよ」

 昼過ぎの暖かい日差しの中で。
 鳥の囀りをバックコーラスにして、門のところで二人の女性が重なり合うように立つ。
 一人の女性はちょっぴり涙を浮かべながら、為すがままに行為を受け続けていた。腕を固定され自由を奪われて、時折短い悲鳴を上げて。

「ああぁ、もっと優しくお願いします。とか言ったらちょっぴり危ない状況でっ♪ い、いたっ! 冗談、冗談ですから包帯ってそういう武器に使うものじゃなぁぁぁっ!?」
「じゃあ、使わせない努力をすることね。はい、終わり」

 冗談が気に障ったのか、咲夜に包帯をきつく絞られ。余計に涙目になった美鈴が悲鳴を上げるが。いたって冷静に手首の包帯を結び直した咲夜は、ぽんっと気軽に肩を叩いた。
 その包帯は巻き具合は、きつくもなく。そして緩いわけでもなく。まさに絶妙。

「お~、さすが、咲夜さんですねぇ、見事なものです」

 さっきの弾幕勝負のとき、地面に落ちた拍子に手首を捻ってしまい。その治療を咲夜が担当したというわけだ。本当なら手の空いた妖精メイドにお願いするところなのだが。それができないのだから仕方ない。
 何故できないかというと。

『この程度なら、数時間ほっとけば治りますから♪』

 そう言って治療を拒まれてしまうらしい。
 実際のところ、美鈴はとても回復力の強い妖怪のようで、咲夜の銀ナイフを人間で言う急所に刺しても数時間後にはぴんぴんしているという規格外の妖怪なのである。レミリアのような吸血鬼にすら苦痛を与えられる愛用の対魔武器のはずなのだが……
 ということで、無理や治療を受けさせるにはある程度親しい咲夜が動くしかない。

「でも、この程度なら後1時間もすれば治っちゃいますよ? ほら、ぐーぱーぐーぱー」

 自慢気に手を開いたり閉じたりする。
 治療をしたものの前でそんなことをすればどんな気分にさせるか。
 気を使えるのに、こういうときだけは気を使えない。

「……じゃあ、あなたはその1時間の間に不審なものが現れたとき、治療もしていない手で戦おうというのかしら? 治療することによって1時間がその半分の時間になるのなら十分すぎるのではなくて?」
「う゛っ、お、おっしゃるとおりです」

 案の定、不機嫌そうに目を細くする咲夜が、腕を組みながら美鈴を見上げる。
 そこでやっと自分の言葉の不味さに気がついたのか、あははっと口元を引きつらせて笑い。逃げるように視線を空へと動かした。

「だ、大丈夫ですよ。こんな気持ちいい日にわざわざ騒動を引き起こす人なんていませんって。あ、ほら! だから咲夜さんも私を訓練に誘ったんでしょう?」
「そこで怪我をするとは思わなかったけど」
「はぅぅ…… い、いやぁ、面目ありません」

 指を立てて自慢気にそう言うところを見ると、会心の切り返しをしたつもりなのだろうがあっさりと撃沈。
 美鈴は指を立てたまま再び眉をぴくぴくさせながら苦笑いを続け、最後にはぺこりと素直に謝る。きっとこの後はお叱りが続くはず、そう思って重い空気を背負う美鈴だったが。

「でも、あそこまで私を追い詰められるようになったのなら。上出来かもしれないわね」
「え?」

 予想に反する褒め言葉に、間抜けな声を出しながら顔を上げる。

「今回の模擬戦ではあなたが勝っていたはずなんだけどね。まったくもう……」
「あー、あれですか。でも咲夜さんスペルカードなしの通常弾幕のみだったでしょう?」
「それを込みでも、負けるとは思わなかったもの」
「あれ? でも、最終的に咲夜さんの勝ちだったでしょう? さっきの模擬戦」

 最近、どんどん平和になっていく幻想郷。
 しかし門番は平和ボケしてはいけない。
 というわけで、弾幕勝負が苦手な美鈴に久しぶりに訓練をつけようとした咲夜であったが、ハンデ戦とはいえあっさりと追い詰められた。それでも、美鈴がスペルカードを取り出した姿勢で固まったおかげで勝利を得た。
 しかし、別の武術でいえば『死に体』であったことに変わりはない。

「あのとき手加減しなければ……負けていたのはどっちだったか」

 美鈴が妙なところで優しいことは、咲夜も知っている。
 だからあのときのことをよく考えた結果。
 ある結論が浮かび上がってきたのだ。
 だから多少、歯切れを悪くしながらも美鈴を褒めた。

「……別にいいのよ、私はいざとなれば時を止められるし。あなたは気にせず撃てばよかったの」

 自分に怪我をさせたくないから、わざと動きを止めた、と。
 そう思ったから。

「弾幕勝負苦手なくせに、そういう気使いだけは一人前なんだから」

 しかし、美鈴は何か不思議な顔でその言葉を受け止め、数十秒じっくり考えてから、ポンっ、と手を叩く。

 そして大きく口を開いて。
 
「あはは、別にそんなっ―― うぁっっ!?」

 急に口の前に右手を持ってきて、左手で抑える。
 小声で『ぁ~、またやったぁ~』と言いながら、涙目でしゃがみ込んでしまう。

「美鈴! どうしたの、落ちたとき別なところでも痛めたの?」
「あー、いやぁ、そうじゃないんです……大丈夫ですからぁ……」

 あからさまに小声になる美鈴が平気に見えるはずもなく。
 咲夜が同じようにしゃがみ込んで様子を伺うが。

「……本当に大したことじゃないですから」

 そうやって小声で訴えるだけ。
 しかし様子がおかしいのは誰が見ても明らかであり。
 『また』という言葉も気になる。
 こんなことが複数回、発生しているのなら。
 もしかしたら美鈴は何か、人に言えない大病を患っているのではないか。
 そんな嫌な予感すら――

「あのー、メイド長! めーいーどーちょう~!」

 と、そんな時。
 屋敷の中から妖精メイドの声が響いてくる。
 時間を見ればもうそろそろ三時。
 もうすぐ屋敷の主である、幼く紅い吸血鬼が目覚める時間だ。

「……本当に大丈夫なのね?」
「……ぁい、もちろんです」

 弱々しい返事を返す、しゃがんだままの美鈴。
 そんな彼女をその場に残し、咲夜は仕方なく自分の業務へと戻ったのだった。

 何度も、何度も振り返り、美鈴の様子を伺いながら。




 ◇ ◇ ◇




「急に手を押さえて痛がる病気ねぇ、パチェ、そういうの知ってる?」
「そうねぇ『く、収まれ私の右腕っ!!』という病気なら知ってるけど?」
「ナニソレ?」
「さあ、一般的には精神的な病気らしいわよ?」

 疑問に疑問をぶつけ合う。
 そんな午後のひと時。
 人間にとっては食後のティータイム。 
 吸血鬼にとっては一日の始まり、ブレックファーストのお時間。
 レミリアは大きな背もたれの椅子に座って、白いテーブルクロスの上で肘をつき、円卓の右に座るパチュリーと雑談を楽しんでいる。

「雨の日に古傷が痛む、というのはあるらしいわね。湿気のせいで関節が痛んだりするとか」
「しかし、今日は晴天でしたよね」
「そうね、そのとおりよ、こぁ。でも、それは一例でしかない。そこにないはずの痛みを感じるという別な精神病もあるらしいし。専門医でもない私だとここまでかしらね」
「精神的、ですか」

 その輪の中に、雑務を終えたこぁが加わり、パチュリーのすぐ側の椅子に腰を下ろす。

「でも、それだけ印象に残るということは、美鈴は昔それだけの大怪我をしたということなんでしょうか」
「そうね、咲夜が言うように今日の手首の怪我が昔のことを思い出させたのなら、過去にそれだけ深い傷を負ったということになるかしら。心にも、体にも」

 話題はこのとおり。
 咲夜が少し前に見た、美鈴の異常な行動によるもの。
 いきなり手を顔の前に持ってきて、涙目になりながらしゃがみ込むという行動だった。
 それがどうしても気になり、レミリアとパチュリーに相談を持ちかけたというわけだ。そんな中、加わったばかりの小悪魔が出された紅茶を啜りながら、ぽつりっと言葉を漏らす。

「でも、美鈴さんってそういうところあまり感じさせませんよね。呑気だし。あ、いえ、悪口で言ったつもりはないんですよ?」

 誰に怒られると思ったのか、小悪魔が慌てて手をパタパタと体の前で手を振る。
 しかしその場にいる者たちが思ったことは。

『確かに……』

 という、悲しい納得の意見だけだった。
 
「でも、一見呆けているような者でも、実は鋭い爪を持っていることもあるだろう? この私のように見た目も威厳ある吸血鬼とは違ってね」

「…………そうね」
「…………もちろんですわ」
「…………あ、悪魔の中の悪魔ですね」

「その間はなによ?」


 『外見は可愛いだけ』

 そんな正直なことを言えるはずがなく、三人はレミリアから視線を外す。
 ただ約一名の魔女に関して言えば、あっさり言葉にできるけど、話が進まなくなるから自重したと言うべきか。そんな妙な気配を消し飛ばすために、レミリアがこほんっと咳払いし。

「似た症状が続くようなら美鈴に休暇を与えなさい。永遠亭で治療を行うようにと」

 後ろに立つ咲夜へと、紅い瞳を向けて指示を出す。
 
「あら、レミィ。代わりの門番なんて準備してあるの?」
「妖精メイドの誰かにやらせるしかない。不安は不安だが……」

 そしてまた、咲夜の方をちらり、と、覗き見て。

「そのせいで他の者が仕事に集中できないのは困る」
「……そんなことはありませんわ。私はお嬢様が第一であり、誰が美鈴など」
「妖精メイドたちからは、仕事の途中も門の方ばかり見ていたと報告があったのだけれど?」
「そ、そんなはずはっ!」

 確かに、手首を押さえる美鈴が気になって窓から様子を伺っていたことはある。
 だが、しっかりと時を止めて、周囲を確認してから行動していたはずなので誰にも見ていられないはずなのに。
 それがばれていた。
 咲夜は思わず声を上ずらせ。
 それを見たレミリアは冷静に紅茶を口に運び。

「嘘だけどね」
「……お嬢様ぁ」
「その反応からして、時を止めて行動していた。というところかしらね?」
「ご、ご想像にお任せしますわ」

 事実上の敗北宣言。
 しかも咲夜の顔は熱を帯びており、それが何を意味するかも理解していた。
 当然、あれだ。

 頬というか、顔全体が程よい薄紅色に染まっているのだから。
 
「日符、メイド長ふれあぁ~」
「なんの、スカーレットさくやぁ~」
「遊ばないでください!」

 指先大の赤い弾幕をぽいぽいっと投げ合う、レミリアとパチュリー。
 そんな二人の遊び道具に成り下がったメイド長はもう、叫ぶことしかできない。
 が、パチュリーの側で『日符』を見ていた小悪魔が『あっ』と小さい声を漏らす。

「そういえば、洗濯物当番って今日私でしたっけ?」
「あ、はい、取り込みの方を」
「お任せください! 今日は空気が乾燥してますから、カラカラに干せているでしょうし」
「最近良い天気が続くものね。こぁ、ついでに庭で花を摘んできて頂戴。テーブルの上が最近寂しくて」
「ん? パチェ、悪い天気の間違いだろう?」
「あなたは曇り以外全部悪い天気でしょう?」
「晴れと雨なんて消えてしまえばいい」

 そんな気分で紅い霧事件を引き起こしたのだから。
 凄いのか凄くないのか。
 気まぐれで天気を変えられるのだから十分凄いだろうという意見は確かにあるが、身内のパチュリーがいうには。
 『なんという我侭な無駄遣い……』
 だ、そうだ。
 
「そういえば私も布団を干していましたし、取り込んでくるとしましょうか」

 レミリアが無言で持ち上げたカップに、時を止めて紅茶を注ぎ。
 再び時を止めて外へ出て行こうとする。
 が、その直前に。

「あ、咲夜さん、咲夜さん、これを。この前、道具屋で安売りしてたので」

 と、何故か透明なビンを手渡された。
 その中にはよく料理で使う、黄金色の液体が詰まっていて。

「……ん?」

 その瞬間。
 咲夜の中で、ピースが勝手に組みあがる。

 しばらく続いている晴天。
 洗濯日和。
 そしてこのビン。

 小悪魔が差し出した真意を考えれば。
 あのときの美鈴の行動は――

「ふふっ、少々お待ちくださいね、お嬢様」

 咲夜は何かを悟り、小悪魔に微笑を返すと。
 優雅に一礼して部屋を後にした。




 ◇ ◇ ◇

 

  
 美鈴はその日、特に眠ることなく、門に背中を預け。
 ぼぅっと空を見上げながらも、何故か口元を気にしていた。

 一時間に3回は舌を出し、何故か唇を舐める。

 そしておそるおそる、口を開いて。

「――っ!」

 大きく開いた瞬間、何故か両手で口を押さえて涙目になる。
 乾燥した空気の中で、乾いた唇。
 そこから連想されるものは唯一つ。

「ああ、この痛みだけは慣れないなぁ……」

 弾幕勝負中に前から飛んでくる攻撃が当たるのは予測できる痛み。
 我慢しようと思えば、いくらでもできる。
 しかしだ、門のところで油断して足の小指をぶつけたり。
 居眠りしているときに後頭部をぶつけたり。
 そういう地味な痛みが苦手だった。

 特に、乾燥した空気の中の……

 ぴりっと唇が切れる痛みは、涙が出るほど苦手で。

「はぁ……」

 まさか門番が。
 『唇切れるの嫌なんで今日だけ中で♪』
 なんて言えるはずもなく。
 ため息だけが口から出る。

「こんにちは、レミリアお嬢様に面会したいのだけれど」
「あ、は、はいっ! 少々お待ちください。今日の予定を中のメイド長に確認いたしましてっ! って、咲夜さんっ!?」
「あら、今日は珍しく真面目に門番をしているようね」
「当たり前ですよ、私がさぼるわけないじゃないですか。私はこう、誠心誠意。レミリアお嬢様のために日夜完璧な門番業務をこなしておりまぁっ!? んーーーーーっ!?」

 また大きく口を開いた瞬間。
 鈍い痛みが唇に生まれて、言葉にならない悲鳴を上げて、咲夜に背を向けた。
 背を向けて頭を門の壁に当てて、必死に何かに耐えているように見える。
 そうやって地味に悶える美鈴の姿を見て、咲夜は片目を閉じて軽く息を吐いた。

「ふーん、素直に乾燥しやすい体質だって言えばいいのに」
「……」
「なによ?」
 
 痛みに耐えながら小声で返そうとするが、全然それが聞き取れなくて。
 咲夜は無意識に顔を近づける。
 すると美鈴はなんの迷いもなく。

 唇を咲夜の耳に触れるほどの位置まで持って行き。

「だって……門番としてそういうのどうかなって、呆れられると」

 囁くように。
 優しく。
 告げる。
 
 だが、冷静に聞いていられるはずがない
 そんな状態じゃない。
 
 咲夜の耳を、美鈴の柔らかい息が撫でてきて。
 言い知れない、何か正体不明の波が全身を駆け巡り。
 気がついたら時間を止めて、美鈴から距離を取っていた。
 なんとか腕で頬を隠すという不自然な行動を取ってみるものの。
 額の赤さは隠すことすらできず。
 その奇妙な様子は……

『あれ? 私なんか恥ずかしいこといったかな?』

 そんなことを言いたげに美鈴が首を傾げるほど。
 ただ、咲夜の頭の中はそんな疑問すら入る余地がなく。

『ナニコレ!』

 という短い単語が繰り返されていた。
 ただ子供のときのようにこそこそ話をしただけ。
 美鈴はそんな意識程度しかしていないのに。

 咲夜だけは、どうしてもそうやって納得できない。
 別の意味を今の行動の中で見てしまう。

「……咲夜さん、何か?」

 唇の痛みから解放されてきたのか、美鈴は心配そうに美鈴の名を呼ぶ。
 やはりその声には『別な感情』が見えない。
 咲夜を狂わせるように駆け巡るものはなく。
 
 異常を気にするだけにしか。

 だから、咲夜は少し。



 むっとした。



 むっとしたから。

 ちょっとだけ、悪ふざけを思いついてしまう。

 でもそれはよくよく考えれば……

 とてもとても……

 彼女の口から言えるようなものではなくて。

 でも、そのときは。

 とても楽しいことのように思えて。

 咲夜は、無意識に笑った。



「あ、あの咲夜さん?」

 美鈴が、疑問の声を上げ、身を引くが。
 それでも咲夜は行動をやめない。 

 子供のような、いたずらっ子のような笑みを浮かべたまま手を後ろに回し。
 一歩一歩、間合いを詰めて。
 とうとう、肌の温もりを感じられるほど近づいてから。
 
「あっ」

 右腕をおもむろに持ち上げ。
 その薬指と中指をゆっくり美鈴の唇へと触れさせた。
 柔らかい薄紅が、かさついているのを感じ取り。
 まるでそれを癒すようにゆっくりと動かす。

「あの…… えと、咲夜さ……」

 呼びかける唇の動きを指で止めて。
 さらに身を寄せれば。
 美鈴の胸の鼓動が、高鳴っていくのを感じた。
 それが、とても楽しくて。

 自分だけじゃないのが、とても嬉しくて。

 咲夜は美鈴の紅唇に触れさせていた指を、自分の唇に触れさせ……

 躊躇うことなく。

 瞳を閉じ。

 肩を抱き。

 つま先を、立てた。

「あの、さく、さくやさんっ! 駄目ですってこんなっ!」

 唇が切れるのを気にせず。
 美鈴が焦ったように声を出すが。

 その体は、まるで拒んでいない。

 むしろそれを引き寄せているようで。





 そこで、美鈴の中から。
 咲夜の感触が消えた。




「え、えっ!?」

 まるで狐に化かされた人間のように。
 首をきょろきょろ動かして、その場にあったはずの人影を探す。
 紅い、自分の髪の毛のように朱色に染まった頬を隠そうとせず、髪を振り乱して探したら。

「ああぁぁっ!」

 その姿はすでに門の中。
 紅魔館へと向かって歩いているところだった。
 しかも楽しそうに後ろで手を組み、晴天の下で鼻歌を響かせながら。

「あら、どうしたの? 何か期待でも?」

 美鈴の呼びかけに振り返る彼女の顔には、相変わらず子供のような笑みが浮かべられていて。
 悪戯に利用され、取り残された門番はにできることは。
 ただ、唇を噛んで唸ることしか――

「あれ?」

 と、そこで美鈴は気がついた。
 何故かさっきと唇の様子が違う。
 乾いてたはずの紅色の上に、何か粘り気のある甘いものが塗られていたから。

 それは間違いなく、『蜂蜜』だ。
 古来より、唇が乾燥したときに塗られていたもの。
 それを、咲夜が時間を止めた瞬間に。

 こっそりと、美鈴の唇に塗ったということに。
 やっと気がついた。

「唇が乾くなら、それを塗りなさい。乾燥に利くし、美味しいし。一石二鳥ってところね」

 咲夜は半身だけを美鈴に向け、ちょいちょいっと足元を指差す。
 するとそこには黄金色の液体の入った手の平サイズのビンが転がっていた。

「あ、ありがとうございます! 咲夜さん!」
「じゃあね。それあげるから、しっかり門番がんばりなさいよね」

 美鈴は、そこでやっと理解した。
 咲夜はこれを届けるためにここに来てくれたのだと。
 ちょっとした悪戯はオマケで。

 唇の荒れに気がつき。
 何気なく持ってきてくれたんだと。

「でも、いいんですか。お嬢様のお菓子作りとか」
「大丈夫よ、それはいつも使っているのとは別のものだし」
「あ、そうなんですか。では遠慮なく」

 地面に置かれた日の光を浴びて輝く液体。
 そのビンを拾い上げ、美鈴は中のとろりとする液体をわずかに掬い上げ、楽しそうに塗り始めた。余ったものは、しっかり口の中で味わって、表情を緩ませる。
 そんな幸せそうな顔をじっと見つめていた咲夜は。
 その顔に釣られるように微笑むと、再び屋敷に向かって足を進め始める。

「顔を緩ませるのはいいけど、仕事は引き締めなさいよ」
「はぁ~い♪」

 絶対に引き締まらないと予測できる返事を聞いて、またくすくすと咲夜は笑い。

 そっと自分の唇に。

 薬指を触れさせる。

 

 そこには、うっすらと。


 甘い、甘い、蜂蜜が塗られていた。
 

 
 
 
「……あの、ところで咲夜さん、時を止めてるとき。変なことしてませんよね?」

「するわけないじゃない」

「少し唇、湿ってたんですけど……」

「蜂蜜でしょ? 当然のことよ」



 ☆ ☆ ☆


 さて、美鈴の唇にどうやって蜂蜜を塗ったんでしょうか? と。

 というわけで甘いお話?

 久しぶりに書いて見ました。甘いの!

 作者はあまり甘さは出せません、途中で恥ずかしくなるので!!!
 
 お付き合いくださりありがとうございます。

 追伸:誤字を修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。
pys
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2560簡易評価
1.100葉月ヴァンホーテン削除
甘いけど、それはしつこい甘さじゃなくて、後味の良い甘さで。
まるで蜂蜜のような作品でした。
5.100名前が無い程度の能力削除
程よい甘さ
時を止めたあと唇は重ねたのかでそのあとも想像出来て楽しい作品でした
10.90コチドリ削除
和三盆ですね、わかります。

しかしこのお話の咲夜さん、瀟洒と乙女のバランスが絶妙だぜぇ……
さらに美鈴の初心なネンネっぷりがまたええのぉ……

店主っ! もう一杯おかわりだ!
14.100遷都山削除
なんという蜂蜜。さっぱりほっこり甘い、いいめーさくでした。
個人的に
>「日符、メイド長ふれあぁ~」
>「なんの、スカーレットさくやぁ~」
のやり取りがツボりました。
17.100名前が無い程度の能力削除
これはいいめーさく。ちょっと瀟洒じゃない咲夜さんがとってもかわいかった

>言い知れない、何か正体不明の波が全身を駆け巡り
ちょっ、なにやってんすか○えさん
18.100名前が無い程度の能力削除
爽やかに甘い!
咲夜さんの照れが可愛かったです。
34.90ずわいがに削除
なんのこっちゃと思ったら、美鈴頑丈なくせに変なところで弱みを見せちゃうのねww
ほのぼのあまあまとろ~りなSSでございました。ごちそうさまv