母親が死んでしまう。
と、人間の少女は言う。
齢で言うと、十を回ったくらいだろうか。
幼い体を揺らし、栗色の髪を振り乱し、半狂乱になって。
私の山伏の衣装にしがみ付き、喚き散らしてくる。
正直言うなら、実に、うるさい。
私の大きな耳は、そんなの大声で叫ばなくとも十分音を感じ取れる。
はっきりと、落ち着いて話せ。
もう少しゆっくり、と。
なんとか説得を試みても、死んでしまうとしか言わない。
嗚咽を繰り返し、荒い息を弾ませる。
そんな少女の着物は本来とても可愛らしいものなのだろう。
赤や黄色の花の絵がちりばめられたで、薄紅色の綺麗な着物だったはず。
しかし、今はそれが見る影もない。
枝や茂みに擦れたせいか。
上半身の所々は破れて、葉擦れの汚れでくすみ。
下半身などは、膝まで泥に塗れていた。
それでも手に下げられた竹細工の籠。
その中にある植物の絵はどこも汚れておらず。
大事に抱えてきたというのが見て取れた。
私がそれは何か、と声に出して尋ねると。
やっと少女は泥だらけの顔を上げ、その籠をぐっと押し付けてきた。
人間の子供とは思えないほどの力で。
少女は言う。
この絵の草がいるんだ、と。
この薬草がないと母親が助からないのだと。
つま先を立て、私の顔に届くように言う。
でも私はあくまでも哨戒天狗。
山の物品の管理など、管轄外で。
その権限は大天狗様しか持っていない。
だから急にそんなことを言われても対処などできない、と。
いくらそう説明しても少女は引き下がってくれない。
仕方なく私は、その紙を手にとり、どんな薬草かを見てみることにした。
ぱっと見て、ないとわかればすぐ帰って貰えるだろうと。
そして、私はその紙の絵を確認し。
思わず、私は振り返っていた。
たった、そこから6尺ほど。
振り返って、二歩ほど歩いた距離のところに、視線を向けてしまった。
少女も、私の動きに釣られて。
地面の上をじっと見て。
見つけてしまう。
絵に書かれているものとまったく同じ花を持ち。
まったく同じ、葉を持つ。
まったく同じ、色彩の草。
それが一輪だけ、私の後ろに咲いていた。
少女は、私の体を潜り抜けようと必死に地面を這う。
けれど私はそれを止めた。
止めるしかなかった。
許可なく人間が妖怪の山から物品を持ち出すことは厳禁だから。
それが例えどれほど。
緊急を要し、重大な事象を含んでいようとも。
白狼天狗には、その権限がない。
だから私は、止めた。
私たち天狗から見れば脆弱すぎる小さな体を。
歯を食いしばって、止めた。
抵抗できないように持ち上げ、羽交い絞めにして。
子供は言う。
一つだけでいいから、と。
私は言う。
駄目だ、決まりなんだ、と。
子供が叫ぶたびに、心を切り裂かれるようだった。
今すぐ、この手を離してしまいたかたった。
でも、古くから規則に縛られ続けた理性は、私にそれ以上の行動を許さない。
だから、私はこう言うのがやっとだった。
必ず、この花は人里へ届ける。
だから、待っていてほしい。
一日。いや、半日だけでいいからと。
それでも少女は抵抗を続ける。
嫌だと、泣き叫び。私の手から逃げだろうとする。
私はそんな少女を、軽く空へと持ち上げて。
連れて行け、と。
私より位の低い白狼天狗に命を出す。
白狼天狗にしか聞こえない、高い、高い声で。
しばらくして、私の前に一人のまだ若い白狼天狗が膝をつき、少女を抱えて空を飛ぶ。
目的地はもちろん、人里だ。
それを見送るか否や、私は哨戒を別の者と交代してもらい。自室に戻って持ち出し許可書を作成する。
『人里の病人のため、急を要する』
それだけを書き、自分の印を押して。
疾風の如く、地を駆けた。
大天狗様に出会い、許可を求めるため。
地面を、木々を、川面を。
足に触れるもの全てを蹴り飛ばして、風すら超える勢いで駆け抜ける。
そして、大天狗様のお屋敷に辿り着き。
息を切らせながら面会を申し出た私に対して告げられたのは。
三刻ほど、待て。
大天狗同士の打ち合わせの『準備』で忙しいのだと。書類を突き返された。
耳を疑った。
準備、で、忙しい?
たった一輪の花を持ち出すだけだ、と。
印を押してくれるだけでいいのだ、と。
一刻たりと、時間がないのだ、と。
私は、なんとか目を通して貰えるように訴える。
しかし、違うのだ。
門番役の天狗の目の色すら、違うのだ。
どうせ、人間に関する書類なのだろう。何を急ぐ必要がある?
まるで、そう言っているかのように。
だから私は、もう一度地を蹴った。
家に戻り、もう一度書類を作り直し。再度突きつけた。
『白狼天狗、犬走 椛が山の外で使用するため』
そう書き直しただけなのに。
驚くほどあっさりと、印は押された。
やりきれない思いに捕らわれそうになる。
あの少女のように大声で喚きたくなる。
でも、そんな場合ではない。今は、行動するしかない。
あの小さな少女が勇気を持って山にやってきた。
それに応えずして、何が天狗か。何が山の管理者か。
私はただ、必死で走る。
書類の書き直しで失った一刻を取り戻すため、ただひたすら足を前に運ぶ。
途中で人里に子供を送り届けさせた者と合流、家の位置などを短い『遠吠え』で交換し合い。転がり込むように人里へと入った。
足がガクガクと震えるが、休んでいる場合ではない。
約束を守らなければならない。
まだあれから半日も経過していない。
長くて四刻半ほどか。
そして私は、その少女の家を見つけて安堵する。
まだ人が集まってもいないし。
人が死んだことを示す道具が、入り口の前に置かれていない。
なんとか指名を果たせたと、よろけながらゆっくりと。
約束したものを届けに来た。
力強く言葉を発し、締め切られた入り口を開ければ。
私を迎えたのは、思わず身を引くほどの気配だった。
布団に眠る、大人の女性の横で。
すがるように寄りかかるあの少女と。
うつむき、左右に首を振る大人の男性。
たった三人しかいない空間から。
いや、たった一人のあどけなさの残る少女から。
信じられないほどの殺気が、私に向けられていたから。
わけもわからず、ただ、花だけを握り締める私が思わず身震いするほどの。
白狼天狗を引かせるだけの意志の力が、少女から立ち昇っていた。
私は問う。
喉をからからに干上がらせたまま。
何が、あったのかと。
すると、道具箱を持った。医者らしき男が言う。
重い表情のまま、たどたどしく。
後……
一刻ほど……早ければと。
その言葉だけで私は、すべてを察した。
理解し、右手に握る花をぽたりと落としてしまう。
あの余計な時間がなければ。
私がもう少しだけ考えて書類を書けば。
助かっていたかもしれないと。
そう思っただけで、膝が震えた。
立っていられなくなり、入り口の近くに身を寄せる。
その、直後。
ひゅんっと。何かが風を切り。
私の額に勢いよくぶつかる。
一輪挿しか、小さい花瓶か。
そんなものがいきなり私の額に当たり、爆ぜた。
その欠片で切れたのだろうか。
私の鼻の頭から、ぽたり、ぽたり、と赤い点が足元へと落ちていく。
出て行け、人殺しっ!
私を罵声する少女と。
あああ、す、すみません、天狗様! なにとぞ、なにとぞ!
少女の側に慌てて駆け寄り、無理やり頭を押さえる人間の男。
抵抗を試みる少女であったが、大人の力に敵うはずもなく。
頭を畳に押し付けられていた。
そうやって少女に頭を下げさせてから、土下座して、男は叫ぶ。
子供が感情のままに、何も知らずにやったこと故、どうか、お怒りをお静めください、と。
少女は知らず。
男は知っている。
天狗という種族の、特性を。
もし、誰か一人が他の種族によって傷つけられたり。殺害されたとき。
天狗は、個ではなく群れとなって牙を剥く。
それを恐れる男は、私がここにいる限り謝罪を続け。
それを拒む少女は、私がここにいる限り悔しさで畳を濡らす。
そのとき私にできたことは。
達者で暮らせ……
たったそれだけ。
わずかに、口を動かしてその場から逃げるように姿を消すことだけだった。
天魔様――。
私がもし、物言わぬ将棋の駒なら。
こんなに、やりきれない思いをしなくてもいいのでしょうか。
私がもし幻想郷という。盤の上で踊らされる駒であれば。
何も考えず、命令だけを遂行する。
そんな駒でいられれば。
この胸の痛みも晴れるのでしょうか
○月×日 犬走 椛
。
◇ ◇ ◇
鴉天狗史上最速と謳われた少女は、空から地上を見下ろし。珍しい光景を観察する。
眼下では山の麓で天狗が人間の少女と約束を結び。
そのために必死になって動く。
何の特にもならない行動を取る白狼天狗。
なるほど、あれが噂の変わり者か。
取材も終わり、ちょうど暇だったので山をゆっくり飛んでいたら。
そんな面白い場面に出くわしたというわけである。
鴉天狗の中でも少々噂になったので、覚えているのだが。
人間に対しても情を持ちやすい。
そんな変わった白狼天狗の一派がいる、と。
下っ端として雑務をさせるには優秀だが。
性格が固く。融通があまり利かないため、取材等には向かない。
よって鴉天狗もその一派と一緒には仕事をしたがらない。
確か家名が。
犬走。
どちらかというと、命令に従順で何でも言うことを聞いてくれるような。
名前からはそんな印象しか受けないというのに。
忠義を尽くすのは大天狗と、天魔だけ。
特に位を持たない鴉天狗たちは厄介者、というだけでなく。
取材しか能のない、役立たずすら思っていると。
もちろん、噂でしかない情報であるが。
鴉天狗の10人中9人が知っているような情報を噂と割り切るのもまた、不自然というもの。
確かに、気になりはする。
心に何かが、芽生えたような気がしたけれど。
その日は噂の白狼天狗に何のアプローチもかけぬまま、少女は家路についた。
それでも――
少女は次の日。
思わぬところで、その名前を目にすることになる。
◇ ◇ ◇
人間とのいざこざの合った次の日。
私は朝起きてからずっと鏡を見ていた。
ぼーっと眺めては、額に触れ。
感触を確かめるようにゆっくりと横に這わせる。
たった沿うだけの行動を繰り返す。
顔に残る傷にならなかったのを喜んでの行動なのか。
それとも、残っていて欲しかったのか。
それすらもわからず、ただ触れ続ける。
そんなとき、入り口の扉がノックされ、隙間から新聞が差し込まれた。
どうやらまた、あの鴉天狗たちの新聞らしい。
何の役にも立たないような噂話を集めただけの、白狼天狗にとってなんの利益もない物体。大天狗様たちは基本的に外出することの少ない鴉天狗以外の者が、外の世界を知るためにと必要な仕事だと言うが。
私にとっては、無駄なことだ。
何故ならこの私には、山にいながら千里を見渡せる瞳が。
犬走家の中で代々受け継がれてきた能力がある。
だから新聞など不要。
必要があれば、ずっと木の上で世界を見渡していればそれで事足りる。
そう思いながら、私はちらり、と床に投げ出されたままの新聞を見た。
……まあ、善意で持ってきてくれたものを無下にするわけにもいくまい。
入り口近くに置いてあった紙の束を拾い上げ。
布団に転がりながら広げてみれば。
やはりくだらない噂しか書かれていない。
季節外れの雪が降った。
もしかしたら異変かもしれない、だと?
まったく、どこまで鴉天狗たちの頭は茹で上がっているのか。過去に何度季節外れの雪が降りその年は実際に何かがあった、だから気をつけろ。そんな立証すらされず。『危ないかもしれない』で話が終わっている。
これでは本当にそのあたりの世間話を集めただけじゃないか。
文句を言い。
反論をつぶやきながら読み進め、最後のページをめくる。
そして――
『先日、白狼天狗の犬走椛氏は、無理難題を通そうとする常識のない人間が求める薬草のために、妖怪の山を駆け回り精一杯の誠意見せた。結果、人間の望むとおりにはならなかったが、彼女の行動は誇りある天狗として恥じない行為であり大天狗は表彰の意思を――』
私は、迷わずその新聞を破り捨てた。
◇ ◇ ◇
気分が、悪かった。
いつもの哨戒任務中も、あの新聞の内容が頭の中から離れない。
何が誇りある天狗か。
何が恥じない行為か。
私は天狗だから行動したわけじゃない。
純粋に、ただ。母親を思う子供の心に揺らされて、なんとかしたいと思っただけだ。
それなのにあの新聞は何だ。
私がまるで……
「こんにちは、偽善者さん」
そうだ、単なる偽善者のようで……
……
聞き覚えのない声が空から落ちてきて。
私は、瞬間的に飛び退いていた。
空からの相手に少しでも有利な位置へと。
声を出した相手から間合いを離すように、素早く身を翻し。
「おやおや? それが白狼天狗の椛さんの実力? ハエが止まる動きのようにも見えますな」
手を抜いてなどいない。
自分ではいつものとおりに、体の向きを切り替えた。
油断も、緊張すらしていない。
それなのに……
「まあ、飛ぶよりも地面を走る方が早いような? 天狗とは名ばかりの白狼天狗であれば、今ので精一杯なのでしょうね。いやぁ、情けない。こんな野良犬と同程度の弱者と、天狗の名を共有することになろうとは」
「……それは白狼天狗全員を貶していると受け取っても?」
「いえ、あなただけですよ? あんな記事で功績を称えられた白狼天狗がどれだけ鼻を高くしているか、見学にね」
柄に手を触れさせたままゆっくりと振り返れば、そこには扇を揺らし、薄ら笑いすら浮かべる鴉天狗がいて、あからさまに私を挑発していた。しかもあの記事で私が調子づいていると勘違いでもしているのか。
白狼天狗に対しそのような発言をしているつもりなら、この無礼な鴉天狗に一太刀浴びせてやってもいいのだが。
「……ならば、抜く必要はない。さっさと失せろ。人の弱みを狙う汚らしい鴉め」
妖怪の山での同属の争い極力避けること。しかし種族を過大に貶めるような発言や行為を行った場合は、指導してもよいものとする。
そう決まり事でも記してある。
だから個人を貶す言葉なら争う必要はない。
私は柄から手を離し。構えを解く。
そうやって無防備な背中を相手に向けて、ふんっと鼻だけを鳴らしてやる。
「ほうほう、へぇ~、そういうこと。それが懸命ね。私と手合わせをしたとしてもあなたが一方的にやられるだけ。何一つ得はな――」
「失せろと言った。仕事の邪魔だ」
「ほほぅ……」
それでも、この鴉天狗は退かない。
退くどころか、何を血迷ったのか。
私の肩に手を触れさせながら不敵な笑みを浮かべて回り込み、視界を塞ぐように漆黒の羽を広げてくる。
無言のまま、威圧しながら私が横に動けば、その鴉天狗もついてくる。
地面を蹴り、木の幹を蹴って、飛び上がってみても。
目の前にはニコニコ笑う鴉天狗の姿。
「何の真似だ?」
「いやぁ、偶然私の動きたい方向に椛さんがいる。邪魔しているのはどちらか、と」
「妨害行為を繰り返されたと、上に報告してもいいんだが?」
「さて、大天狗様は一体どちらのお言葉を信じると? 少々名の売れた白狼天狗でしょうか? それともぉ、将来有望な鴉天狗?」
どうやっても相手にしろ、ということか。
なんと小賢しい。
私は、妖気を使って素早く着地し。もう一度背中に背負った柄に手を当てて。
躊躇うことなく、一気に引き抜いた。
すると、さすがに鴉天狗も残像を残すような速度で私から離れ。風を纏いながら空で停止した。
「ふふ、そうでなくては……、白狼天狗と鴉天狗。格の違いを教えておかないと後々面倒になりそうだし。特に、あなたのように、鴉天狗に偏見を持っている駄犬にはね」
「人の振り見て我が振りなおせ、御託はいいからさっさと済ませることを進言する」
かちゃり、と。
腰だめに構えた刃が鳴り。
「その言に、同意する」
鴉天狗の羽が空を切り裂く。
比喩でも、何でもない。
風を操作し、空気抵抗を緩め風の壁を破壊したのだ。
音速の壁を一瞬で打ち破ることで生まれた風の衝撃が、私の全身を襲い。
直後に黒い弾丸が急降下した。
点と、点から伸びる黒い線。
それが見えたとき。
ほぼすべての勝負は終わる。
人の形としてすら捉えられないほどの。
信じられない速度だ。
一般的な、天狗が見れば、の話だ。
犬走家の者であれば――
「……止まれ」
――見えないほどではない。
私は風に体勢を崩されながらも、迷わずある一転に刃を振り上げ。
ぴたり、と止める。
「……今のを寸止め、ね。これはこれは、大層な目をお持ちで」
「ふん、犬走家の視界に入るなと教わらなかったのか? そこから逃れたくば、光速でも超えて見せるがいい」
「おやおや、たった一回私を制しただけでその態度。ふむ、癪ですな」
「反省が足りないようなら、今からでも体と頭が分かれさせてみようか? その要望になら、応えてやる」
私の刃は、鴉天狗の胴と頭を繋ぐ場所。
喉のわずか一寸程度の距離で止まっていた。
目の前のからす天狗が、調子に乗って私の声を聞き逃していれば。間違いなく頭が一人旅をしていた頃だろう。
「それが嫌ならとっとと失せろ」
「……今回は、その提案に乗るとしましょう。では……」
不満そうに眉を曲げながらも、素直に私の言葉を聞き入れ。
風を起こしながら距離を取る。
「あ、そうそう、私の名前は『射命丸文』是非ともあなたを、私の忠犬にしたいと思っているしがない天狗です。以後、お見知り置きを」
そう言いながら、何故か片目を閉じ。
さらに刀を持った私の姿を写真機に収めて。
「暗い顔の従者など張り合いがない。多少反抗心のある元気な犬の方が、燃える性質なので。ずっと今のような椛であることを希望します。では♪」
と、何か鳥肌が立ちそうな言葉を口走り、手を振りながら去っていく。
「……慰めにきた、わけじゃあ……ないだろう。いや、まさか……」
よくわからない寒気に襲われながら。
私は哨戒任務を続けたのだった。
◇ ◇ ◇
その部屋に踏み入れて感じるのはインクの匂いと。
機械を動かすのに利用する油の匂い。
常人なら鼻を押さえつけてしまいそうなほど強烈な匂いに包まれながらも、二人の少女はある紙を前に戦っていた。幻想入りした旧式の機械を再利用しているのだから、贅沢は言っていられない。
そんな些細なことに気を配っている場合ではないのだから。
爛々と輝く瞳は、部屋を照らすいくつかのランプの光を受け、妖しく燃える。
「んっふっふ、そしてぇ、そしてぇ、とうとう出会ってしまった二人は! 過酷な運命に突入してしまうのよ! 腐敗していく天狗社会、それでも椛は自分の信念を貫き、文さんはそんな弱い立場にある白狼天狗の椛に惹かれていく。そんな中、少女だった人間が大人になり、過去の恨みを抱えて椛へと牙を剥くの」
「おお、それでそれで!」
「人間の女性に負い目を感じていたせいか、不意を付かれ満足に抵抗もできずに身体を拘束されてしまう! ただ嬌声を上げるだけの椛の体力は限界を振り切り、命すら風前の灯。 このまま人間たちの玩具に堕ちてしまうのか! しかし、それを我等が文さんが許すはずもなく!」
「おおおおおおおおおおっ!」
「もう、最後は目も当てられないほど、ええ? そこまでやっちゃいますかっ! これよ、これが、新作の『あやもみ』よ!」
天狗が新聞を作る際に大量印刷を可能とする機械。
その横にある作業机で、二人の妖怪が妖しい目の色して原稿に目を落としていた。にんまりといやらしく口を半開きにして、うふふ。と
原稿と、その物語の様子を描く挿絵。
その肌の艶さえ浮かび上がってくるような、鮮明さに、にとりは思わず唾を飲み込んでいた。
「で、でも、さすがにこれは拙いかな……今回ばかりは検閲とかに引っかかったりとか」
「……にとり? その検閲官が相当なあやもみファンだったと仮定したら、どうする?」
「で、でも! そういう人って没収して一人で楽しむとかそういうことあるんじゃないの?」
「さすがね、天狗の闇の部分をよく理解してる」
どうやら天狗の闇社会はいろんな意味で腐っているらしい。
主に、きゃっきゃっうふふ的な意味で。
「目を瞑りながら書類に印を押してくれたら。この、挿絵を書いた天狗様の未公開絵を贈呈するってことにしたからね」
「か、完璧だね! はたて! これで、闇の河童市場はあやもみで埋め尽くされるよ。正直言えば、あやもみという行為の中に私も加わりたいけど!」
「当たり前よ、にとり! あやもみこそ私たちの正義! 私だって加わりたいけど!」
「くふふふふふ」
「うふふふふふ」
あっさりと本音をぶちまけながら、
天狗と河童は高らかに笑う。
穴のない、完璧な作戦に打ち震える。
「あはははははっ! って、ぁぁっ!」
しかし、油断した瞬間に紙がふわりっと浮かび上がり床の上へと滑っていく。
「もう、にとり。匂いがきついからって窓開けないで言ったのに」
「え? 窓なんて私開けてないけどなぁ、機械が出した冷却用の風じゃない?」
「そうかな、機械の風だったらもっとこう、生暖かいっていうか……」
にとりが飛び散った原稿を拾い集め。
はたてが機械の様子を探る。
まだ動かしたばかりなので手を触れてもまだそんなに熱くはなかった。それに原稿を吹き飛ばすような位置に冷却用のファンなんてついていただろうか。
「……ねえ、はたて?」
「ん、どうしたのにとり。もしかして原稿汚れた? 大丈夫だよ予備あるから」
「ううん、そういうことじゃないんだよ。この部屋ってさ、非常口とかそういう入り口ってついてたっけ?」
「ううん、一般用の出入口と新聞搬送用の荷物の運び出しできるようなとこだけだよ?」
「そうだよね、やっぱり、そうなんだよね……じゃあさ」
にとりは、拾い集めた書類を胸の前に持ち。
壁しかなかったはずのところじっと見つめて。
「あの窓でもない、入り口でもない長方形の穴って……いつから開いてたっけ?」
「え?」
はたてが驚きながらにとりと同じ場所を見つめれば、確かにそこには異常があった。
余裕で人が出入りできそうな穴がはっきりと出現していたのに。
それがいつ生まれたかすら、はたての記憶にも、もちろんにとりの記憶にもない。しかし、この場所に忍び込んだとき部屋をぐるりと観察したはずだし。そんなものなどなかった。
と、なれば。
二人が原稿の製本作業をしているときに、できたもの。
しかも音を、まるっきり出さずに。
気付かれないように壁に穴をあける。
つまり、音を響かせない。真空に近い状態を作り上げる必要があり……
さらにその状況で壁を切り取れる力も必要になる。
「……はたて? 忘れ物、ない?」。
にとりがリュックを背負いなおし、大事そうに原稿を仕舞い込み。
「……あー忘れ物ね、家にちょっと何か忘れた気がするなぁ。取ってくるね♪」
「そっかー、私もちょっと機械を忘れた気がする。全自動大豆の皮剥き機」
「あ、やっぱり必要だよね~」
「ね~♪」
そして、二人は顔を見合わせ。
1、2、3っと。数を確認するように頷きあい。
ダッと全力で駆け出す。
だが――
「私の視界に入った河童が、陸で逃げきれるとでも?」
正規の入り口へと駆け出したにとりは、天井から降ってきた白狼天狗、犬走 椛に後ろから拘束され。
「はたて、ちょぉっとだけ、おイタが過ぎましたね♪」
はたてなどは、一歩踏み出そうとした時点で。
最速の天狗に前を取られる。
にこにこっと笑顔を浮かべ、額に青筋を浮かべる射命丸文に。
「も、椛! 話せば、話せばわかる! 同じ将棋仲間じゃないか!」
「そ、そうですよ文さん。気の迷いというのはどうしても致し方ないところ」
『じゃあ、私たちがあなたたちに今からすることも、気の迷いってことで♪』
『い、いやあああああああっ!』
妖怪の山のとある一画で。
甲高い悲鳴が何度も上がる。
そして、その『気の迷い』が収まった後には。
二人は荒縄でぐるぐる巻きにされた二人が、床に転がされた。
服がちょっとだけ破れていたり、汚れていたりするのは、きっと気のせいだろう。
「うう、ひどい」
「いきなり、こんな激しくするなんて…… いたっ!」
余計なことを口にしたにとりの額に、椛のでこぴんが炸裂する。
「誤解を招くようなことを言うな! 誰がそんな破廉恥なことを!」
「拘束しただけなのに大袈裟なことで、まあ、私たちはこれ以上何もする気はないけど」
「え、ほ、本当ですか。さっすが文さん! 話がわかるなぁ♪」
「でも、大天狗様に引き渡すからね♪」
「……わぁぁ~い、優しさのかけらもなぁい」
床に側頭部を触れさせながら、しくしくっと涙を流す。
そんなはたてを文は呆れたように見下ろして。
「当然の結果よ。無断での印刷機の使用は今日だけでなく、過去何度も繰りかえされている。それがあなたたちの仕業というネタは上がっているのよ」
「ど、どこに証拠が」
「あなたの上司の大天狗が白状した。間違いなくそちらも処分されるでしょうね。謹慎三日くらいで」
「すくなっ!」
「実害があったわけじゃないし、その大天狗は『はたてがどうしても新聞の勉強に使いたいと訴えるから仕方なく』って。実際作られていたものが何かすらわかっていなかった。うっかり私が見せたら、なんかうっとりした目でそれ読んでたけど」
どうやら、また一人。
はたてとにとりの『あやもみワールド』に入門したようだ。
しかし、そんな悪事(?)もここまで。
「あなたたちは何度も機械を不正に使ったんだから、一ヶ月くらい反省させられるとは思うわよ。一応そのときに作ったと思われる書物も個人から押収済みだし」
「ってことは……一ヶ月引き篭もって、次回作の構想を作り放題……」
「反省しろ!」
「あ、あいたっ!」
椛のでこぴんによる犠牲者が二人になった。
しかし、はたても鴉天狗の一人。
白狼天狗にやられたまま、黙っているわけにはいかない。
キッと椛を鋭い眼光で睨みつける。
「ふん、残念だけど。私は鴉天狗とか白狼天狗の立場を気にしないクチで……」
「見たくせに……」
「……なっ いきなり、何を?」
「私たちを調べるように誰から言われたか知らないけど、調査資料はちゃんと目を通したはず。しっかりと、全部」
「そ、それが、何か?」
戸惑いを見せる椛と。
にんまりと笑うはたて。
しゃがみ込んでいる椛の方が、床に転がされるはたてよりも立場上有利であるはずなのに。
もうどっちが優勢なのかは、火を見るより明らかだった。
「……すごかったでしょ?」
ぼふっと、爆発した。
椛の顔が一瞬で真っ赤になり、頭から湯気を出す。
「……興奮したんでしょ?」
「わ、わふっ! な、だ、どどどど、どこにそんな証拠が!」
答え:その顔色です。
「はたて、あまり椛をからかわないように。こう見えて初心だし」
「初心とか言うな!」
「あー、わかるわかる。椛って昔からそういうとこあるよね」
「ない、絶対にない!」
結局、からかうなと言っていた文が真っ先にからかうのはどういうことか。
しかもにとりもうんうんっと頷いている。
そうやって椛をからかってすっきりしたのか、はたては笑みを浮かべてその光景を見守っていた。
「あの、それで、やっぱり。文さんも私の本、見たわけですよね?」
「見たけど?」
「特に思うことはなかったのですか?」
「特に思うことねぇ……、あ、体位が不自然」
さすが、文だ。
常人の二手三手先を進んでいる。
「それに、椛って。太ももの裏側に、ホクロが三つあるのよ。それが書かれてなかったかなぁ」
「え、どのあたりです?」
「えーっとね、足の付け根の……」
「こ、こらああああああああああああっ!!」
そして椛いじりを忘れない。
とても立派な鴉天狗である。
「まあ、それは捨て置いても。確かに綺麗な絵だった。あんな絵をかける天狗っていたっけ? 正直スカウトしたいんだけど」
「ああ、わかります? そうなんですよ。あの絵。可愛さの中に妖艶さを潜ませるあの技法。それでいて背景や小物にも気を配って、もう素敵な天狗様ですよ」
「……天狗、様?」
「ええ、ペンネームが『天狗様』だそうで」
「なんて偉そうな……、一瞬新しい大天狗様が容疑者に上がるのかと思ったわよ」
これ以上厄介なことは、ご免。
そういうように、文は眉根を下げて首を横に振り、ひらひらと手を揺らした。
「でも、まあ。そうそう間違ってはないんですけどね、たぶんもうそろそろ様子見にいらっしゃる頃ですし」
「そう、じゃあ。その子も一応捕まえとくか」
「……え?」
とりあえず捕まえておくことを酷い、と思ったのか。
はたては疑問の声を上げ。
信じられないというように文を見上げる。
「大丈夫よ、あなたたちみたいに縛らないし」
「いえ、あのそうではなくて、ですね……」
はたてが、言いづらそうに。
視線を逸らしながら説明する中で。
ひょこ、と。
まるで人間の子供のような少女が、文たちが開けた壁の穴から顔を出し。
ぱたぱた~っと手を振って駆け寄ってきた。
「なんじゃ風通しを良くしたのか? まあ、それでも良いが。ほれ、次回作の絵をもってきたぞ。お主等も確認するがよい♪ まったく、はたてが無理な角度の絵を要求するから修正が難儀でのぅ……おや?」
この独特の偉そうなしゃべり方。
そして外見と似合わない大きな態度。
ひざ近くまで黒い髪を伸ばした少女は、すたすたと無言で立ち尽くす文と、椛の前を通り過ぎ。
「お主等、わかっておらぬなぁ……、縛りの絵をの練習をするときはまず、さるぐつわじゃろうが。それと、首輪をさりげなく付けるのもコツじゃ。まったく最近の若い者は……」
縛られた二人と。
突っ立った二人。
それを交互に見比べて、落胆した様子で肩を竦めた。
そう、そのちんちくりんな。偉そうな人物こそ。
「……天魔、様?」
「うむ、楽にするがよい」
妖怪の山の最高位。
森羅万象を司るという、大天狗すらひれ伏す。
『天魔』本人である
いきなり姿を見せた天魔は、なんの躊躇いもなくしゃがみ込むと。
二人の縄を素早く解き。
今の捕り物が虚像であったかのように、楽しそうに語り合う。
もう無邪気な子供の笑顔で。
身振り手振りも利用し外見相応な可愛らしい仕草で――
「――じゃからぁ、次の作品は、雲山×妖忌の一択で良いのではないか? 何を躊躇う必要がある。時代は今、雄と雄じゃろ?」
「いえ、それは否定しませんが。剣術を生かして責めと受けを逆にするのもいいのでは?」
「いえ、もう一本、あやもみで行きましょうよ」
邪気だらけの、可愛さのかけらもない内容をあっさり口にする。
それを聞いた文と椛は、同時に悟った。
妖怪の山は、いろんな意味でもう駄目かもしれない、と。
もちろん、『にとり』と『はたて』が無罪放免されたことを最後に記しておく。
東方的に考えるとやはり天魔も見た目女の子なんでしょうね、個人的には八坂様をもうちょっと堅物にしたような性格だと面白そう、見た目については氏の妄想に乗らせて頂く。
にとりの額では?
いやだこんな天狗社会w
前半のシリアス部分での椛と文のカッコよさ、後半でのはたてとにとりの駄目駄目っぷりの対比が素晴らしかったです。
良い話をありがとうございました。
駄ー天狗どもですねぇ
はたてとにとりでは?
>次回策
次回作では?
いいなあロリだったらいいなあ
はたて可愛いよ!
盛大に笑わせていただきました。あと天魔様かわいい。
前半も後半も実にツボを押さえた妖怪の山じゃ。すばらしい
俺も天魔様は多分少女だと思いますょ、えぇ
↑この言葉に真理を見た
この妖怪の山はだめだww