私は今、障子越しに妖怪と対峙している。
ちなみに言っておくと、ここは神社で私は巫女である。巷で「紅白のおめでたい巫女」と言えば名が通る程度には知られている。狭い幻想郷とはいえ、空を飛べる巫女なぞ、私くらいなものだ。最近は山の方に1人か2人増えたっぽいけど……まあ、それは別の話。
最近じゃ異変解決と妖怪退治が仕事みたいになってるし、そこらの弱っちい妖怪なぞ軽くのせる程度には強い。面倒くさいからいちいち相手にしないけど。
で、話は戻るが、私は妖怪と対峙しているのだ。
しかも、相手は軽くのせる程度の小妖怪ではない。というか、おそらくこの幻想郷でも一番強い。ヘタをすれば山にいる神に匹敵する。この幻想郷の生き字引のような妖怪なのだ。
何より、この妖怪の悪事を上げればキリがない。よりにもよって私に対しての悪事がである。
勝手に人の家に上がりこむのみならず、台所の茶菓子を「美味しくない」と言いつつ一通り平らげていくわ。冬になればどこで知ったのか「炬燵を出したのなら当たらせて欲しいわ」などとのたまって返答も待たずに潜り込んでくるわ……
極細の筆で書いても、書道半紙をまるまる埋め尽くせる程度にいろいろやらかしてくれたのは間違いない。見返りに神社に賽銭でも投げ入れてくれればまだしも、これでは居候のタダ飯食らいではないか。というか、まさにそれそのものである。
といって、妖怪退治を生業とするこの博麗神社の巫女が、このまま手をこまねいているわけにもいくまい。
というわけで、今日は結界を張ったのである。神社と居間を隔てる目の前の障子に。自家製のお札でもって。これが今朝の話で、現在は昼下がり。
案の定やってきたこの妖怪は、しかし結界を見るとそれを壊すこともせず、何も言わずただその場に居座ってしまったのであった。
居座られてしまっては、こちらからは為すすべがない。こちらも障子を前に座り込み、相手の出方を伺う他ない。なにしろ神出鬼没で何をしでかすか分からない妖怪である。結界を張ったところで、為すすべなくそのままということなどあろうはずがない――
そう思っていたのだが。
昼を過ぎ、夕方と呼ぶに近い時間になっても、この妖怪は何もしてこなかった。
障子の前を一歩も動かず、ただ座り込んだまま。
私はといえば、結果として障子越しに同じように座り込まざるを得ない。何もせず、障子を隔ててこの妖怪と対峙している……って。
いやどう考えてもおかしいだろう。我ながら何をやっているのやら。自分でも馬鹿らしくなってきた。
しかし、私が不満というか、小首をかしげているのは、そいつが入ってこれずに背中越しに居座っていることそのものではない。
「なぜ、結界を破ってこないのか」なのである。
「ちょっと、いつまでそうしてるつもりよ」
寿命の長い妖怪と違って、こちらは限りある人生を有効活用しなければいけない人間の身だ。このまま一日を終えるわけにもいかず、私はもたれかかっていた障子越しに、その妖怪に声をかけた。この結界が外部の声を閉ざす仕様でなかったのは、不幸中の幸いというべきか。
「あら、根競べにはもう飽きたのかしら」
聞き覚えのある、胡散臭い声。姿は見えずとも、間違いなく声の主はあの妖怪である。ああ、うさんくさいこと。
「いつから根競べになったのさ」
「それなりに長生きしてるからねえ。あなたよりは根競べに強いつもりよ」
胡散くさいのみならず、質問にもまともに答えやしない。まあ、いつものことなので突っ込んだりはしないが。なので一番気にしていることをそのまんま言うとしよう。変に婉曲な表現を取ると、逆にややこしくなる。
「なぜ破らないのよ? あんたならこんな結界、簡単に破れるでしょう」
目の前にいる妖怪が、なぜ大妖怪と呼ばれているのか。それはこの妖怪の二つ名に表れている。
スキマ妖怪
事象の境界を操り、スキマに入り込む能力の持ち主。境界とは、物理的な物に限らない。昼と夜の境界を操れば朝は訪れない。更には天と地の境界、夢と現実の境界、生と死の境界……ひとたび手をかければ、この世の理そのものを崩しかねない。あまりにも強大なその能力。
そんな妖怪の力をもってすれば、目の前の障子に張られた結界など、障害になるのかどうかすら怪しい。破るというより、飛び越えてこちら側に来ることができるだろう。
なのに、彼女はそれをしない。それが私には分からない。あれほど人の家に上がりこんでおきながら、どうして私の結界を前にして何もしないのか。
「……あなたの意思は尊重しておきたいからねえ」
質問に対しての第一声は、実に彼女らしい、なんとも取りようのない言葉であった。
「『停止しろ』と書かれた標識を見たら、誰だって止まるでしょう。無視して進んでいけば、その先には望まぬ何かがある。だから『停止しろ』と見て分かる標識を立てる。標識を見た者は、道があったとしても標識に従う。それと同じでなくて?」
「私の結界は標識代わりですと?」
「開くはずの障子が開かないのだから、何かしら意地悪されてるのはすぐに分かったわよ」
「意地悪って……」
「だってそうでしょう? その結界は『私を中に入れたくない』という、意思の表れ。私は境界を操り、結界を踏み越えることはできても、貴方のその意思を変えることはできない」
図星を突かれた私は、すぐに次の言葉を探せなかった。と同時に、彼女が私の意志を尊重するというその言葉に、驚きのような、安堵のような、みょうちくりんな気持ちを抱かずにはいられなかった。
彼女は私の意志を理解し、そして汲んだというのだろうか。いやいや。ただの根競べに付き合っただけだと思うのだが……
「でも私は逆にあなたに質問したいわね」
「?」
そんな疑念を払拭する間もなく、障子の向こうから声が飛んできた。
「そこまで分かっていて、意味のない結界を張ったのはなぜかと」
「ぐむ」と胸の中で誰にも聞こえない音がして、私は胃の辺りを少し硬直させた。いや、彼女の能力からして、こう質問されても仕方ない。されると分かっている質問に答えることができないのは……
つまり私自身の行動が矛盾しているからだ。
破られると分かっていて結界を張った。それが破られないと知っても、今度はずっとその場に居た。
果ては「なぜ破らないのか」と質問をぶつけて今に至る。
ああもう。自分でもなにがどうなっているのやらさっぱり。いや分かっていて、矛盾した行動を取ったんだが……
「まあ、大方の予想はつくんだけれど」
混乱をきたし始めた胸中を見透かしたかのように言葉が後ろから聞こえてきた。
「入ってくるなと予め意思表示をするということはつまり、何かがやって来ることを前提にしているからですもの」
相変わらずのうさんくさ~い声。しかしながらその声は、絡まった胸の中の矛盾を少しずつ確実に解きほぐしていく。こいつの胡散臭さの根源はそこなのだろう。自分の胸の内を、自分ではない誰かに解きほぐされるのだ。ましてやこのスキマ妖怪に。わだかまりが解けるのが嬉しいというか、他人にポンポン見透かされるのが悔しいのか。ぐぎぎ、やっぱりくやしい。
「来ると分かっているから、いや、来ると信じているから結界を張った。それが一つ目。そしてもう一つ。破られるのだから結界を張ったところで意味がないのではなく……」
―― 破れると信じているから、結界を張ったのでしょう ――
ああもう。こいつは。どうしてこうも。こういうところだけはどストレートに言ってくれる。
「どうする? これ以上話すとヤボが過ぎるからあんまり言いたくないのだけれど。それに私個人としては、貴方がそのままなら、ここに居座るだけでもいいのだけれどねえ」
そこまで言っておいて、ヤボが過ぎるもないものだ。というかここまで言っておきながら、私が直接聞けば煙に巻くくせに。
「ただそこにいるだけでいいの? 本当にそれだけで」
「確かにそれだけかもしれないわ。でも、それが私にとっては一番大事で面白いのよ」
やはりこの妖怪の考えることは、さっぱり分からん。
「実際、今日一日あなたの意地悪に付き合ったけれど、退屈はしなかったし」
楽しそうな声で言う。ああもう、実に楽しそうですこと。ぐぎぎぎ。この声だけ聞いたら、私が意地悪しているという発言ははなはだ疑問なのだが。
「さっきも言ったけれど、この結界は巫女の意思表示。破ってくれるものだと信じているのなら、あえて破らなければ……そう思っただけよ。私はこうしているだけでも一向に構わないわけだし。巫女の意思であるならば、それを変えるのもまた巫女だから」
そういえばさっきから、私を名前で呼んでいない。これもまた、私の意志=拒絶に対する遠慮からきているのか。まあ、多分偶然だろうけど。
「ああもう、悪かったわよ」
立ち上がって障子に向きなおる。どのくらい座っていたのか、足を伸ばすといい感じに筋が伸びて、うーんと背伸びをしたくなる。障子には、夕日に照らされた「そいつ」の座り込む影がくっきり映っていた。
ずっとそうしていたのだろうか。破ることのできる結界を前にして。ただの意地悪で?
―― 破れると信じているから、結界を張ったのでしょう ――
……結局のところ、破れると信じていたのは他でもない彼女自身だったんじゃないのだろうか。こうなると分かっていたのだろうか。私がこうすると。意思を変え、彼女を内に迎え入れると。
印を結ぶと、障子に貼り付けていた自家製の札が一瞬光を発してすぐに元に戻り、同時にはらりとはがれて音もなく地面に落ちる。それを見届ける間もなく、私はスパンと障子を開いた。そこには。
脇に折りたたんだいつもの日傘をひっさげ。
ごしゃごしゃとした、紫を基調とするいつもどおりの服装で。
スキマ妖怪がこちらを向いて涼やかな笑顔で座っていた。
なにもかも、いつも通りだ。私に向けている胡散臭い笑みすらも。
「開けてくれてありがとう」などという月並みな言葉を期待した私は餡蜜以上に甘かった。
「なんだか随分ふてくされた顔ねえ。そんなに私にこれを破って欲しかったのかしら」
開口一番がこれである。
「結局何から何まで、あんたの思い通りになっちゃったからでしょうねえ。ああくやしいこと!」
そのことに文句をつけるのも面倒くさいので、とりあえず彼女の質問に答えることにする。皮肉を120%ほど割り増しした上で。
「貴方が妙なことをするからでしょう? 普段通りすぐに入れてくれれば、こんな面倒なことにはならないんだから」
つくづく回答にも解説にもになっていない返答だ。というか、誰のせいでこんなことしたのか、分かっているのだろうか。
「あんまり矛盾した行動を取られると、貴方の意思を疑ってしまうわ」
「……意思を疑う?」
さっきまで障子越しに頻繁に言っていた言葉に、思わず反応してしまった。
「結界を張ったということは、貴方の意思が私を拒絶したということ。しかし、それは破ることを前提とした意思表示だった……それを確かめるまで私はこの中に入ることはできなかった」
いつもの胡散臭さが少しなりを潜め、純粋に何かを案じる少女の声に聞こえた……のは気のせいだろうけど。
「だから、私が声をかけるまでずっと、障子の前に座っていたと……?」
「余計な口を挟むと、あなたはすぐに誤魔化しそうだからねえ。結論がハッキリするまでは黙っておきたかったのよ」
「信用ないわね」
やはり胡散臭い声である。
「信用ないのなら、ます自分の意思表示をはっきりなさい。不用意に結界を張ったりしたら、勘ぐらざるを得ないでしょう」
「わかったわよ、もう……」
あらゆる境界を操る妖怪。それゆえに彼女は、すべからく境界というものの意味を、そこに宿る意思を、誰よりも理解しているのかもしれない。
「まあでも結果として、貴方は自分の意思で結界を解き、ここを開けてくれた。それは間違いない……だから、私は今ここに居る」
私の意思。彼女はそう何度も口にする。自分がここに来るのは、まるで私が許しているからなのだとでも言うように……いや、実際その通りになってしまっている。これは否定すべくもないが……
「開けてくれてありがとうね。霊夢」
その直後にこう告げられた私は、反論の機会を逸してしまった。
「どういたしまして……いらっしゃい、紫」
つくづくどうしようもないのは、なんだかんだでこいつを許してしまう、私自身のようだ。
そういえばこの日、私も紫も、ようやく互いの名を呼び合った。そのことに2人して気づいたのだろうか。しばらく互いを見合い、妙にやさしい笑顔で見詰め合っていたように思う。
私の目の前に現れるのは、いかんともしがたい大妖怪で、実にいけ好かない輩であり、そして……私の心を妙に狂わす少女。そいつはちょくちょく私の家……この神社に現れては、勝手に入り込み、私を見て、私と一緒にいて、私と話し、そして笑顔になって帰っていく。気がつけば私も笑顔になっている……気のせいだと思うけど。神社の巫女が毎日しかめっ面をしてるわけにはいかないのだし。
……それを妙だと思う私がどうかしているのだろうか? あいつはどうなのか知らないが、私は常にこんな妙な気持ちでいなきゃならんのだ。今日の件だって、こんなみょうちくりんな気持ちがゆえにやりだしたようなものだ。喜びとも嫌悪ともつかない、いろんなものが混ざった気持ち。
だから私は紫の目の前でしょっちゅうこう言うのである。そういったもろもろの意味合いを込めて。
「胡散臭いわ」と
この言葉をどう捕らえているのか、彼女は私の発言を聞くたびにくすりと笑う。そして凝りもせず、今日も今日とてわが神社にやってくる。やってくると信じている……そう、意思を示している。
まあ、とりあえず、明日は「不味い」と言われない程度の茶菓子を用意しておくとしよう。明日も明後日もきっと彼女はここにやって来るのだろうから。私の意思を結界ではなく、茶菓子で示してやれば、彼女も……紫もきっと喜ぶだろう。
薄い障子越しの2人の会話も好きだけど、やはり霊夢の心情描写と紫の自信に満ちた態度の中にある少しの遠慮にニヤニヤせざるをえないw
これで初とか・・・次回作にも期待する!
まだまだ作風が掴めていないので、思いつくのならば紫と霊夢を登場させてくれれば幸い
次回作にも期待せざるを得ない
アドバイスとか気の効いたものは言えそうに無いです。
今後の作品にも期待します!
よく描かれていると思います。
やはり結界組はいいですね~。