ひもじい。
ぐぅと腹が鳴る。
お腹と背中がくっつきそう。
このままでは倒れてしまいそうだ!
でもおはぎはいらない。おにぎりもだ。パンだって。
や、一応は膨らむんだよ?
膨らむんだけどね。
……ともかく!
‘愉快な忘れ傘‘こと、私、多々良小傘はお腹が空いているのだ。
だけど、ただの人間を驚かせるのはもう飽きた。
戦績も微妙だしね!
……こほん。
ただの人間じゃない、人間。
もう目星はつけている。
風祝に魔法使い、そして、巫女。
そう言う訳で、私は今、山の神社、その境内に生えている木々の隙間にいる。
妖怪仲間に聞いたところ、早苗がまだ無難だろうとのことだった。
魔理沙や霊夢に比べて、彼女はそれほど妖怪退治に慣れていないらしい。
確かに以前、麓の神社で催された宴会で、そんなことを言っていた気がする。
……その割には、舟の異変の時、ちゃちゃっと片付けられた気もするけど。気のせい気のせい!
首を振る私に、じゃり、と小気味い音が届いた。
人の字を指で手に書きこんで、飲みこむ。
戦意高揚のためだ。
守矢神社の風祝、東風谷早苗が、箒を片手に其処にいる。
自分の領地に妖怪が入り込んできているとは思うまい。
証拠に、口に手を当て眠そうな顔をしている。
欠伸でも堪えているのだろうか。
「……けぷ」
どうやら食後の模様。
微かに甘い匂いも漂ってきた。
くん、と鼻を鳴らす――お汁粉……いや、善哉だ!
お正月の残りかなぁ。いいなぁ。
――じゃない!
自身との状態の比較でちょっと羨望の眼差しを向けてしまった。
けれど、どうと言うことはない。
その安寧が私の糧になる。
早苗が箒を一振りした、その時。
私は、息を吸い込んだ。
吐くと同時に、叫ぶ。
「うーらーめーしーやー」
「……きゃっ」
陽光を背負い両手を振り上げた私の、なんと勇ましいことか。
『陽光』?
読んで字のごとく『太陽の光』。
季節の狭間に降り注ぐ、暖かな恵み。
駄目じゃん私! 人間を驚かせるのは夜だって、あぁもう学習しようよ!?
……あれ、でも?
首を捻っていると、早苗が近づいてきた。
「何方かと思えば、小傘さんじゃないですか」
「あ、うん、こんにちは、早苗」
「はい、こんにちは」
「『きゃっ』って言った?」
「言いました。もう、びっくりさせないでくださいよ」
……えっと。
うーんと。
つまり。
大成功?
「え、え、嘘!? 凄いや私! でもあんまりお腹膨れてないような!?」
両手をばたばたと振りはしゃぐ私に、早苗が頬を掻き、言う。
「……それはまぁ、然程驚いた訳ではありませんから」
「そっかぁ!」
「ええ」
残念に感じないでもないけど、幸先のいいスタートだ。
なんといっても、あの風祝を驚かせたのだから。
よーし、待っていなさいよ、残り二人!
別れの挨拶代わりに手を振り続け、私は境内から浮かび上がる。
微苦笑のまま、早苗も返してきた。
穏やかな風が吹く。
――……例えばそう、夕方や夜なら、或いはもっと。
呟きが届いたのは、だから、そのお陰だと思う。
ところ移って魔法の森。
私は、魔法使いの家の玄関前にて待機することにした。
窓から確認したところ、ターゲットが何処かに出かける準備をしていたからだ。
時間も程よく経過している。
陽が落ちかけて、影が伸びる頃。
朝でも夜でも、昼でもない時間帯――そう、早苗の言っていた黄昏時だ。
くふ、と私は小さく笑った。
哀れな犠牲者はもう出てくるだろう。
そして、この飢えを満たしてくれるのだ。
どんな味をしているんだろう。
想像しただけで、喉が鳴る。
ぐぅ。……お腹も鳴ったので早く出てきてください魔理沙さん。
どうしたんだろう。
すぐに出てくると思ったんだけど……。
戸棚の開け閉めをしていたのは、貴重品の確認じゃなかったのかなぁ。
少し不安になり、室内を探るためにぴたりと玄関に耳を当てる。
何かの音が鳴った。
フラグ?
ではなくて、魔理沙が反対側の取手を捻った音のようだ。
つまり。
勢いよく開かれる扉!
そのまま倒れこむワタクシ!
フラグの回収はお手の物よ!?
ずべん。――ただし幼女に限る。じゃなぁい!
「うらめしぃったぁい!?」
「……うぉ、驚いたぜ」
「鼻、鼻打ったぁ!」
涙目になりつつ、打ちつけた部位を両手でさする。
へにょってなってた。
折れているようだ。
「え? ぅわ、おい小傘、ちょっと待て、すぐに永琳を」
ぱきょ。
「痛いよぅ痛いよぅ」
「……まさか、戻しただけで治ったのか?」
「折れるのは慣れてるもん。あ、なんなら、指もありえない方向に曲げようか?」
ぴっと人差し指を差し出すと、柔らかく両手で包まれた。
真剣な眼差しとともに首を横に振られる。
トラウマでもあるのかな。
しないしないと頷くと、魔理沙はほぅと胸を撫で下ろした。
「あ、もしかして、驚いた?」
尋ねる私に、魔理沙は、指の付け根を両の掌で圧迫してみせた。
「千切れる!?」
「接着剤でつけてやる」
「ごめんなさいごめんなさい」
情けないとか言うな。
「……ったく」
ぶっきらぼうに呟いて、魔理沙が立ち上がる。
見上げると、彼女はぷぃとそっぽを向いた。
加えて、愛用の帽子を深く被る。
そして、言った。
「なんだ、その……さっきのは、驚いたけどな」
「二連勝ぉぉぉぉぉ!」
「喧しい」
殴られた。
でも、あんまり痛くない。
「あぁ……! 魔理沙や早苗の感情が、私を強くしている……!」
「どこの主人公だお前は。単に、私に力が入らなかっただけだ」
「感情を食べたってだけよ。……そうなの?」
そうなんだ――返された言葉は、魔理沙自身の声で流される。
「あー……二連勝って、早苗も」
「驚かせた!」
「そうか」
妙な表情になる魔理沙。
半笑いとかそんな。
何故に?
犠牲者が他にいて安心しているんだろうか。
「まぁいいや、私は出かけるんだ」
尋ねようと口を開くその直前、魔理沙は私をくるりと百八十度回し、外に連れ出した。
「……にしても、小傘、お前って行儀いいよな」
「妖怪が正坐してちゃおかしいっての?」
「ちげぇ。驚かせたいなら、玄関で待ってるより中に入った方が早いだろうに」
「え、それは流石に人道にもとる……」
「くぁ、耳が痛い気がするぜ、メタモルフォーゼ」
……おぉ。
ぽむと手を打つ。
その発想はなかった。
感嘆の眼差しを向ける私に半眼を向ける魔理沙。
一瞬後、私たちは同時に空を見上げる。
頬に当たる水滴の所為だ。
何時の間にか集まった雲が、ぱらりぱらりと雨を降らせている。
「お前らの時間だな」
「……へ?」
「じゃな」
言うが早いか、魔理沙は箒に跨り飛んで行った。
その先端には小さな籠が揺れている。
可愛らしいお菓子入れ。
……って――「傘をお忘れですよーぅ!?」
微妙に凹みながら叫んだ私は、けれどすぐさま、魔理沙と同じように浮かび上がった。
奇しくも、向かう方角は魔法使いと同じだ。
残るターゲットは一人。
おっかなびっくり待っていなさい、博麗霊夢!
薄暗い夜。
月は雨雲に隠れている。
耳に伝わる音は、降る雨か、騒ぐ蟲か、唸る獣か、それとも――。
私は震えた。
なんて、なんて絶好の機会!
あ、いやいや、勝って兜の緒を締めよ、あぁだけど、ベルトは緩めておこうかしらん!?
だって、そうでしょう?
早苗と魔理沙があげた条件を、なんと私はクリアしているのだ。
時刻は言わずもがな、どういう訳か何時も縁側にいる霊夢が、今日はいなかった。
雨が降っているからだろうか――思いつつ、私は下駄を脱ぎ、そろりそろりと上がり込んだ。
二三度首を振り、霊夢との鉢合わせを警戒する。
大丈夫だ――思った矢先、声が聞こえてきた。
でも、霊夢のそれじゃない。
声は二つ。
一方は、澄んだ柔らかい響き。
もう一方は、明るく賑やかな響き。
早苗と魔理沙だ。
内容までは解らない。
雨音でかき消されている。
だけど、声のする部屋から妙な雰囲気が感じられた。
あ。もしかして、私の対策でも立てているのかな……?
凄い、凄いよ私!
妖怪にも一目置かれている三人娘を悩ませている!
いっやぁ、これで箔もついて地底にも――ちっがぁぁぁう!
まだ霊夢を驚かせていない!
急がないと警戒されちゃう!?
あぁぁでもでも急いては事を仕損じる!
――私は、大きく深呼吸した。
迅速、かつ丁寧に。
またとない機会なのだ。
大丈夫、今の私なら、できる。
息を殺し、一歩、二歩と進む。
二人の声が微かに聞こえてきた。
予想通り、私の名前がちらほらと出されている。
――小傘さんのお腹が膨れるだけです! 何がいけないんですか!
遂に辿り着いた障子の向こうには、早苗と魔理沙。
――そうだぜ! あいつだって喜んでたんたぞ!
そして、霊夢が、其処にいる。
「……で?」
「う~ら~め~し~や~」
絶好のタイミングに、完璧な声で、私は言った。
刹那、しゃっと障子が開かれる。
「……あ゛ー?」
人を殺せそうな眼力。
ドスの効きすぎている声。
ついでに、雷のエフェクト付き。
勿論全部、霊夢にかかります。
あー、やっぱ巫女は無理か。
だよねー。
……。
「妖怪の本分を、あ、ごめ、申し訳ありませんでしたぁぁぁっ!」
情けないとか言うな。
いやまじで怖いよ霊夢!?
脱兎のごとく去ろうとした私は、後ろ襟を掴まれて室内に引きずり込まれた。
掴んでいるのは、無論、霊夢だ。
「あぅぅ、三連勝ならずぅぅぅ……」
あぁ……。
手を組み、私は思った。
こんなところで散るのなら、もっと一杯遊んであげるんだった。
脳裏に浮かぶのは、地底の桶娘、吸血鬼姉妹、そして、人間の里の童たち。
「小傘」
「ふ、覚悟はできているわ。だけどせめて内職の糧にして……!」
「してないわよ。じゃなくて、あんた、み――二つ、勘違いしているわ」
え?
見上げて視界に入るのは、変わらない目をした霊夢。
なんだけど、私を見ていない。
ぱちくりとさせながら、視線を追う。
「一つ。私が聞いているのは、あんたじゃなくて、早苗と魔理沙」
すげぇって思った。
だって、二人ともそっぽを向いている。
私なんて、目を離した隙にやられると思ったのに。
実際捕まったんだから、間違ってはないよね?
「……で?」
「ごめん、嘘、冗談!?」
「だから、あんたじゃないっての」
だって怖いんだもん! 空気に耐えられない!
なんて思っていると、襟首が軽くなった。
掴まれていた手が離れたようだ。
そのまま額へとあて、霊夢は続ける。
重い溜息と、同時だった。
「二つ。あいつら、本当に驚いていた訳じゃないわよ」
……え?
「健康的なあんよがのぞいていました」
「窓からちらちら見てたしなぁ」
衝撃的な宣告に呆然としていると、堰を切ったように二人が霊夢へと言い募り始めた。
「お餅が、お汁粉が、そして、善哉がいけないんです!」
「私はお菓子だ! 霊夢、お前にゃわかるまい!」
「腐らせる訳にはいかないじゃないですか!?」
「気をつけていたのに! 気をつけていたのに!」
「ちゃんと運動もしていたんですよ!? あぁけれど、チョコめ! 口惜しや!」
んーと……どういうこと?
首を捻っていると、二人が手を突き出してきた。
早苗は指を三本上げている。
魔理沙は二本だ。
「魔理沙さぁぁぁん!」
「早苗ぇぇぇ!」
「喧しい」
二人の指を両手で包み、霊夢が黙らせた。
「で?」
「女って怖いですよね」
「道連れは多い方が……な」
つまり。
「わかった? あんたもひっぱり込もうとしていたのよ」
……。
「嘘だった?」
「はい」
「ぜ」
なんかすっごく爽やかな笑顔で頷かれた! そんな!?
……とは言いつつも。
「ったく。
だから、早苗も魔理沙も此処に来たのよ。
私の所にも来るだろうから、手を貸せって」
ショックは少なかった。
「あ、お裾わけも持ってきましたよ?」
「うむ。家にあると毒だからな。食らうがよい」
「……早苗は調理! 魔理沙は食器の準備! ハリアッ!」
どうしてだろう。
……あぁ、そうか。
何時の間にか、お腹が膨れていたんだ。
――二人が部屋を離れて暫く経ってから、霊夢は振りかえり、ぽつりと言う。
「あんたも食べてく?」
「うん、別腹」
「……そ」
ぼぅとした頭で、今度は私が、霊夢に聞いた。
「もしかして、霊夢、驚いてた?」
「ばっきばきになった唐傘、霖之助さん、引き取ってくれるかしら」
やりかねない。
想像して、ひきつった笑みを浮かべる私。
満足感と恐怖心を抱えつつ見た霊夢は、どうということもなく、肩を竦めているのだった――。
<了>
いやでもだからこその霊夢、か?
小傘がんばれ・・・w
霊夢なら勘で気づきそうとも思ったけど、早苗さんがいるから油断してたのか。
それとも実は恐がりとか……w
というか小傘はどんだけ幼女ハンターなのさw
霊夢たち三人の会話とか雰囲気など面白かったです。