Coolier - 新生・東方創想話

橋を渡った土蜘蛛

2010/03/25 08:31:24
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 私には大切な友人が居る。
 地底で暮らすようになって一番最初に出来た友達だった。

 あの人がいなければ私は今、こうしてこの場所には居られなかっただろう。
 それなのに、もう話をすることが出来なくなってしまった。
 たった一言、今の私からお礼を言うことすら出来なくなってしまった。


 だからせめて、手を振ろう。
 あなたが救ってくれた私はここに居ますと、伝えられるように。





 §





 多くの病を引き連れたまま、私は遥か地底へと落とされた。

 同じように封印された妖怪は実に数多い。
 退治され強制的に叩き込まれる者、忌み嫌われ自分からこちらへ逃れてきた者。
 どちらが多いのかは知る由もないけれど、両方を合わせればそれこそ街ひとつ出来るほど。
 大抵の妖怪は自分達で作り上げた街に住み、地底世界で新たな生活を始めていた。
 私も例外ではなく ―― いや、私は数少ない例外の一人だった。

 私は今、少しでも地表に近付くために移動中だった。
 六本の脚を駆使して、ザカザカと洞穴の壁を這い登っている。
 眼下には地底都市。一度は住もうと思った場所。
 けれど私は、あそこに腰を落ち着けることは出来なかった。

 人型を取った土蜘蛛。近付くものは感染症を引き起こして、やがて息絶える。
 病魔にとって、相手というものは人間でも妖怪でも大差はなかった。
 人間には人間に、妖怪には妖怪に効く病原体が存在するからだ。
 そんな病原体たちと共にある私は、忌み嫌われる妖怪の中にあってなお嫌われた。



 垂直の洞穴を、上へと向かってひたすらに歩く。
 そのうち、ずっと先に誰かが居るのが見えた。二人、いや三人だろうか。
 四本の蜘蛛の脚を壁に突き立て、二本の人の足を動かして更に昇る。
 やがてはっきりと見えてくる、三人の姿。
 どうやら、地下に潜りたがっている二人の妖怪を、残る一人が足止めしているらしい。
 今はまだ口喧嘩にもならない言い合いが続いているものの、これからどうなるか分からない。

 そうは思ったものの、私は構わずに壁へ脚を突き立てる。
 洞穴の中ほどで言い合っていた三人の妖怪が、一斉にこちらに気付いた。
 その途端に、地底へ向かおうとしていた妖怪二人が慌て始める。
 私が登っている方とは逆の壁まで逃げてから、あっという間に地底へと消えた。
 唯一、足止めをしていた妖怪だけは慌ても逃げもしなかった。
 私の方を見ながらゆっくりと移動して、岩棚のような場所に腰掛ける。
 そして足に肘をつくと、両手で頬杖をしながらずっと私の事を見下ろした。

 変な目で見られるのは、悲しいかな慣れている。大して気にもならない。
 視線に構わずに蜘蛛の脚を動かして、さっさと通り過ぎることにする。
「……あんたの所為で楽しそうな二人組を逃がしたわ」
「それはごめんなさいね」
 脚を止めずに、適当に返事を返す。
 このままさっさと通り過ぎようとしたのに、妖怪は構わずに質問を投げかけてきた。
「なんでわざわざ壁を歩いているの? 飛べないの?」
「飛べるけど飛ばない。病気をばら撒かれるのは嫌でしょ?」

 どのような形であれ、霊力を放出すれば病原体を伴い、感染症を引き起こす。
 この力を以って地上で暴れてきた私は、それなりに大きな妖力を得た。
 ただ、あまりに急激に力を付けすぎた所為で、制御が追い付かなくなっている。
 平時であっても、身に纏った病原体を自力で抑えるには限界があった。
 今の私は、いわゆる厄神という神に良く似ている状態だ。
 尤もこちらは神と違って、病魔という災厄を与えるだけの存在だけれども。

「ふぅん……下手なのね」
 妖怪がポツリとそう言ったのが聞こえた。
「悪かったわね。だからこうしてるの」
 図星ほど痛いものはない。苛立ちのあまり、思わず相手を睨む。
 緑色の眼を細めて、彼女は相変わらずこちらを見下ろし続けている。
 そうだ、私は自分の力を持て余している。
 世の中には人の心を読む為に嫌われる妖怪が居ると聞くけれど、
 私の場合も似たようなものだろう。近付くだけで病気になるのだから。
 もし自分なら近付きたくない相手だろうな、と自分ながら思う。

「……まぁ、いいわ。何か、あんたを見ててもあんまり妬ましくない」
 どうやら、先の二人組にしていたようなちょっかいを出す気は無いらしい。
 私は、安堵と『やっぱりか』という気持ちを半々に感じながら脚を突き出した。
「ガスガス五月蝿い」
「ごめんなさいね! すぐ行くわよ!」
 不機嫌そうな声に、私まで苛ついてくる。そう思うなら絡んでこないで欲しい。
 苛立ちを込めた次の一歩を壁に叩きつけようと、脚の一本を振り上げる。
「五月蝿いから飛んで行きなさいよ」
「飛べるけど飛ばない!」
 ガスン、と脚がめり込む。その音はこれまでで一番大きかった。
「気にせず飛ぶと良いわ、どうせ誰もいないし」
「なんで分かるのよそんなこと!」
 どこか無責任に聞こえる台詞が腹立たしい。こっちの気も知らないで。
「分かるわよ。私の『橋』だもの。少なくとも、私の感じる範囲は」
 澄ました顔でそんなことを言うのだから、この人はどうかしていると思う。

 まてよ、『橋』?
 この人は今、この場所を確かにそう呼んだ。
 ふと、地上と地底を結ぶ縦穴……通称『橋』の存在が脳裏を過ぎる。

「あなた……橋姫?」
「そうだけど? なによ今更」

 なにが今更か。私は思わず頭を押さえた。
 けれど橋姫の言う事ならば、きっと誰もいないのだろう。
 それならここから離れるまでは飛んでいこうか、そう思いもしたけれど。
「……やっぱり飛べないんじゃないの、あんた? その脚とかすごく邪魔そうだし」
「飛べるって。あと人の脚を邪魔とか言わないでくれるかな」
 大きく広がったスカートから覗く、四本の蜘蛛の脚。私の力の源でもある。
 それを貶されてカチンと来たものの、ひとまず冷静になる。
「私が飛ぶと、今の比じゃないくらいに病気をばら撒くわよ」
「だから、誰も居ないわ。飛びなさいよ」
「あなたが居るじゃない。飛べません」
 私は腕組みをして、橋姫を睨みつける。
 橋姫は少しのあいだ何も言わず、ただ惚けた表情を浮かべていた。

「……あぁ、私?」
「そう! あぁもう、こうやって話してるだけでも良くないってのに!」
 霊力を使わなくても、近くに居れば遅かれ早かれ病気を引き起こす。
 だから、私はこうして話している間にもさっさと歩いて離れるべきだ。
 文句を言われながらでも構うもんか、もう無視してやる。
 そう思って脚を振り上げた私に、橋姫は事も無げにこう返してきた。
「平気。私、ここに座ってる限り病気とかにはかからないから」

 そうでもない限り、こんな言い合いしてないわ。 
 橋姫はそう言うと、さっさと飛んで行けとばかりに指を上に向けた。
「どうして? いままでそんなの、妖怪にも居なかったのに」
 私はというと、あまりに珍しい相手に驚くばかりだった。
 あらゆる生命を蝕む病原体の群れに耐えるなど、一介の妖怪とは思えない。
「どうしてって……橋姫だから。川は龍、掛かるは橋。私はその守護担当」
 それだけの説明をして、橋姫はまた上を指差す。私はつられて上を見た。

 橋姫の言っていることは何一つ分からない。
 けれど本人が大丈夫だと言ったのを信じ、私は全ての脚を引き抜いて浮かぶ。
 すっと、橋姫の座る岩棚と同じ高さまで移動して、間近でその姿を見る。
 鬱陶しげな顔で睨み返されたけれど、私を避けているような様子は無かった。
「なに人の顔見て笑ってるの? イラッときたわ」
「あぁ、悪かったよ」
 どうやら私は、思わず笑みを浮かべていたらしい。
 私を避けない相手なんて久しぶりだったから、嬉しく感じたんだろうと思う。



「それじゃあ……『橋』渡らせてもらうわね」
「どうぞご自由に。いってらっしゃい」





 §
 




 私はしばらく地表近くを彷徨った後、再びこの場所を訪れていた。
 気紛れなんかじゃない。ただ、行く当てが見つからなかったからだ。
 少し前に通った時と同じように、六本脚で『橋』の壁を這う。

「あっ……」

 そして、いつもの岩棚の上に座る橋姫を目に留めた。
 彼女の方も私に気付く。ただただ、黙ってこちらを見つめるだけ。
 壁を伝って下へと降りていくと、橋姫の視線も一緒についてきた。
 その視線は普段感じるような、こちらを避けるような視線じゃない。
 橋姫だからこそだろう、渡る者を見守るようなものに感じる。

 私は、前回に彼女が言った言葉を思い出す。
 病気とかにはかからないから。確かにそう言っていたし、今も健康そうだ。
 すぐ近くを私が飛び去って行ったのに平気な顔をしている。それはつまり。
 あの言葉に嘘偽りはなかったということ。私の力が、効いていないということだ。
 橋姫の姿を視界に留めたまま、私は歩く方向を変えて橋姫の岩棚へと近寄っていく。


「なによ。何か用?」
「私はヤマメ。あなたの名前、教えて頂戴」
「はぁ? 何を藪から棒に」

 自分でも唐突だとは思う。それでも聞かずにはいられなかった。
 もしかすると、彼女はこの世界で唯一、私の力で辛い目に遭わない人なんじゃないか。
 そう考えると自然と身体は動き、口は言葉を紡いでいた。

 この人となら、お話が出来るかもしれない。

「鬱陶しいわね……パルスィよ。これでいい?」
 追い返すかのようにシッシッと手を振りながらも、彼女はそう答えてくれた。
 そんな反応がやっぱり嬉しくて、私は蜘蛛の脚を畳んで彼女の隣に座った。
「なんなの……」
「ちょっとだけ暇してたからさ。何か世間話でもと思って」
「私はそんなに暇じゃないんだけど。あんたが居たらここから動けなくなるし」
 あからさまに迷惑そうな顔をされたけれど、ここで引き下がりたくはなかった。
 可能性を求めるあまりに必死になっているのが自分でも分かる。
 けれどそれを分かっていても止められないほど、私は会話に飢えていたんだろう。
「一つだけ聞かせてよ。気になっちゃってしょうがないことがあるの」
 わざとにそう尋ねてみた。勿論、この一つで終わらせるつもりなんてない。
 パルスィは渋々といった感じで私を見たが、何も言ってこなかった。
 質問を聞いてくれるということだろう。私はすかさずに最初の疑問を口にする。
「どうしてあなたには、私の持つ病気の力が効かないの?」
 やはり、一番に気になったのはこの点だった。
 普通ならばとっくに病魔に呑まれて苦しんでいるか、死んでしまっている。
 でも現に、パルスィは元気な様子で『橋』を見守り続けていた。
 私の問いに溜め息をつくと、パルスィはあの日と同じ言葉を繰り返した。

「橋姫だから。川は龍、掛かるは橋。私はその守護担当」
「うん、聞いた。意味が分からなかったから、教えて欲しいなって」

 パルスィがあからさまに面倒臭そうな顔でこっちを睨んだ。
 残念ながらこっちは、そういった嫌な視線には慣れっこだ。
 怯むこと無く、ニコニコと人懐っこい笑顔を維持して、私は回答を待った。
「……龍脈」
 諦めたのか、パルスィがポツリと呟いた。
 私から視線を外して『橋』の空間を見つめる瞳は、憂いに満ちている。
「龍脈って、大地の霊力が通る道っていうアレ?」
「まぁ……そうね。或いは、龍神そのものの通り道。霊力に満ちているのは一緒」
 やっと雑談らしくなってきた。相手と一つの話題を共有できるのが嬉しい。
「ここって、そんな凄い場所だったんだ。川ってのは龍脈って意味なのね」
「そこに掛かったのがこの『橋』。私は龍を……」
「で、パルスィは『橋』を護ってるから、その龍脈に護ってもらってるのね」
 喜びが先行して、私はついつい畳み掛けるように口を開いてしまう。
 パルスィが何か続けようとしていたのに気付いたのは、言い切った後だった。
「あ……ゴメン。久々で、お喋り下手くそになっちゃってるや」
「別に」
 特に苛立ったり嫌な顔をしたりせず、パルスィは前を見つめていた。
 その表情はどこか虚ろで、私を鬱陶しがっていた彼女とはまた雰囲気が違う。
「あの、それで。パルスィと龍神って、どういう関係なの?」
 まだまだ話し足りない、会話を続けたい。
 さっき発言を被せてしまったことを反省し、私は気持ちを落ち着けた。
 先ほど遮ってしまった『私は龍を』という彼女の台詞に対する質問をしてみる。

「…………」
「……パルスィ?」

 私の質問が聞こえなかったみたいに、反応しないパルスィ。
 怒らせてしまったかという不安が、一気に私の中を満たしていく。
 思わず彼女の顔を覗き込むように身を乗り出すと、パルスィはやっとこっちを向いた。
 そして、冷たい表情を私に向けて答えを返す。

「関係? ……あんな奴、ぶち殺してやったわ」

 パルスィの緑色の瞳が、爛々と輝いて見えた。明らかな憎悪が伝わってくる。
 私は耐えられずに、咄嗟に目を逸らしてしまった。
 色んな嫌な視線を受け続けてきたけれど、今のは別格だった。
 私自身に向けられたものではないと分かっていても、それでも怖かった。

 しかしよくよく考えれば、一介の妖怪が龍神を相手取れるものか。
 彼女なりの冗談なんじゃないかと、僅かながらそんな気もしてくる。
「龍神をって……嘘でしょう?」
 出来るだけ気軽にそう返して顔を上げる。けれど彼女は一切表情を和らげなかった。
「一人じゃ無理だったでしょうね。けど何柱か、手を貸してくれた奴らが居たわ」
 それだけ言って、パルスィはまた前を見た。視線が自分から外れたことに安堵する。
 どこまで信じて良いものか判断に困って、私は次の言葉を見つけられなかった。

「……とにかく私はここに居る限り、龍脈で護られる。だから病気も効かない」
 パルスィの横顔から、先ほどまでの狂気にも似た威圧感が無くなっていた。
 彼女としても、長く話していたい話題ではないのだろう。私はすぐさま取り繕う。
「分かったわ。答えてくれてありがとう、パルスィ」
「別に」


 その後、何となく気まずくなって、私は逃げるように別れを告げて『橋』を離れた。
 地表近くへ向かっているものの、まだ行く当てはない。今日も寝床探しに終始する事になりそうだ。





 §





 巣というものは、張ろうと思えばどこにでも張ることは出来る。
 しかし、張った巣がそのままずっと住処になるかと問われれば、答えは否だ。
 適した場所に構えてこそ、それは安住の地となり得る。
 つまる所、私はいまだに安住に足る住処を得られずにいた。

「何よ」
「ん、何でも……少しお喋りしに」
「毎度毎度、五月蝿い奴」
「ごめんごめん、気にしないでよ」
「するわよ。で、まだ決まらない……から、ここに来てるのか」
「……うん。何だかんだで地底も狭いものだよね」

 人目を気にして挫けそうになる度に、私はここへ足を運ぶようになっていた。
 彼女はというと、やっぱり鬱陶しそうな目をこっちに向けてきたけれど。
 そこに拒絶の色が無かったから、こうしてついつい甘えてしまっている。
「それで、何か妬ましい出来事とかあった?」
 お互い、自由に遊び歩いている身でもないし、他人との交流が多い訳でもない。
 話題なんて通っているうちにすぐ尽きてしまって、今の話の種はもっぱらこれだった。
「別に。珍しく、地底への移民がちょっとあったくらい」
「へぇ……まだ封印騒ぎ、続いてるんだ」
 地上で何が起こっているかは知る由も無いけれど、地底の民は増え続けているようだ。
 ただでさえ居場所のない私にとっては、あまり嬉しいことではない。
「封印が始まったときほどの勢いは無いけど。あれが続いてたら私、寝込んでるわ」
 溜め息混じりに頬杖をつくパルスィ。残念そうに見えたのは気のせいだろうか。
「あはは。通行量が増えたら嫉妬も増えるか」
「あの時は……うらみつらみとか、絶望とかの比が大きかったから何とかなったけど」
 封印された者、やむなく逃れてきた者が殆どなのだから当然といえば当然だ。
 それらを見守ってきた彼女は、そんな光景に何を感じたのだろうか。

「……で?」
「……で、って?」
 僅かな沈黙が降りた途端、不意にパルスィから話を振ってきた。
 主語が無かったうえ、いきなり疑問系。何を聞かれたのか分からない。
「話は終わったわ。今日はいつまでいるつもりよ、あんた」
 話の振り方そのものはその日その日で違ったけれど、これは毎回聞かれていることだった。
 私は笑顔を崩さずに、いつもと同じ趣旨の回答をする。
「あぁ。私が飽きるまで、かな?」
 本気で追い返したいなら、きっともっと強く言ってくる筈だ。
 そんな自分に都合のいい解釈をして、ここに居座り続けることにしている。
「勘弁してよ……あんたには妬ましいところ殆ど無いし……」
 いつも、何だかんだでこうして二人で過ごせている。
 拒絶されている訳じゃない、と自分で納得するには十分だ。
「きっついなぁ。ほら、私の脚とかどう? 綺麗だし強いよ~」
「人型にとって余分な四本が気持ち悪いわ」
「うわ、酷い。ちょっと傷付いた」
「なんで傷付いた奴が満面の笑顔なのよ……」
 なんでって、こうして無駄なお喋りで時間を潰せるのが嬉しいからだ。
 パルスィ以外に、この脚を冗談に使える相手なんていない。
「あ、じゃあそれ妬んでよ! 『なんでいつも嬉しそうなのよ、妬ましいわ!』って!」
「なんでいつも嬉しそうなのよ、妬ましいわー」
「うっわ、すごい棒読み。なんでー? 私、嬉しそうじゃない? ねぇ」
「……やっぱりあんた、あんまり妬ましくない……」

 フッと、パルスィが苦笑する。私も何だかおかしくなって笑う。
 友達ってこんな感じかな。なんて、ちょっと考えてみたりして。
 眼前に広がる『橋』に、彼女を護っている龍脈に、そして何より彼女自身に。

 心の中で、ありがとうと呟いた。





 §





 ある日、私は掛け値なしに上機嫌だった。
 地表に程近い、とある奥まった場所に無人の空間を見つけたからだ。
 あそこであれば、穴に住む蜘蛛のように身を隠して必要な時だけ狩りが出来る。
 やっと見つけた理想的な住処。しばらくの間、巣の構築に忙しくなりそうだ。

 ある程度の下準備を終え、この空間がこれから土蜘蛛の巣となることを示しておく。
 せっかく確保した場所を、後から来た者に横取りされたりしては堪らない。
 こうして巣の構築中であることを示しておけば、そうそう邪魔は入らないだろう。
 私はもぞもぞと住処から抜け出すと、両手と六本の脚をぐっと伸ばす。
 そうして身体をほぐしてから、全速力で壁を駆け下りた。

 目指すのは当然、いつものあの岩棚。私の友人が居る場所だ。





「パールースィー!」
「五月蝿い」

 両手を振って挨拶をする私と、面倒臭そうに迎える彼女。
 いつも通りのやり取りに、知らず安心する。友達ってそういうものだ。
「ね、ね! 見つけたの、地表近くなんだけど、やっと!」
「何を……って、一つしかないか。良かったわね」
「ありがとう! やー、大変だったわ。穴場ってのは探そうと思ってもなかなかねぇ」
 楽しげにする私と、それを眺めるパルスィ。構図としては実にいつも通り。
 けれど今日のパルスィは、いつもに増して優しげだった。
 それこそ、特別な存在を慈しむかのような。そんな暖かさがある気がした。
 通い詰めるうちに、私のことを認めてくれたのか。
 勝手に色々と考えていると、パルスィが私の脚を見ながら話しかけてきた。

「ヤマメ」
「えっ?」

 今。パルスィが初めて、私を名前で呼んだ。
 そこで、ただでさえ昂ぶっていた気持ちが振り切れるのを感じる。
 自分の名前を他人の声で聞くなんて、いつ以来だろうか。
「ちょっと……なに泣いてるのよ」
「なっ? な、えっ?」
 慌てて目を擦ると、少しだけ涙が滲んでいるのが分かった。
 感極まるだなんて恥ずかしい。
 けれどそれだけ、私は彼女に気を許しているということだ。
 その事を否定する必要はないし、するつもりも無かった。
「あ、ごめんねパルスィ。えぇと、なにかしら?」
 意味は無いけれど、誤魔化しながら聞き返す。
 パルスィは特に私を茶化す様子もなく、ただ笑った。
 普段から彼女を見ていないと分からないくらいの薄い微笑みで。

「私ね、やっと見つけたわ。ヤマメの妬ましいところ。腹立つくらい明るくて楽しそう」

 そう言ってから、彼女はやっと普通に『笑った』。
「だ、だから! 私が能天気なのを妬んでって何度も……!」
「ええ、やっと妬むに値した。全く、ややこしい奴。ふふふっ」
 パルスィが私に向けて笑ってくれるのは嬉しかった。
 でも、私にはパルスィがどうして笑っているのかが分からない。
 言い返してみてもクスクスと笑うばかりで、私に分かる答えは返ってこなかった。
「何なのよ……もう」
 普段はパルスィがよく使った言葉を、今度は私が使う番だった。
 困惑する私をよそに、パルスィは楽しそうにしていて。
 彼女が楽しそうならいいか、と結論をはじき出した私も、つられるように笑みをこぼす。
「妬ましいわ。無性に腹が立つ。孤立しているくせに、笑うのが上手い」
「褒められてる……の?」
「さぁ?」

 だんだん、パルスィの態度に不安を覚え始める。
 何だか彼女っぽくない、という考えが頭の中をぐるぐると廻る。
 けれど、今の彼女を否定できる程、私は彼女の事を知らない。
 それは分かっているのに、それでも違和感が纏わりついてならない。

「……ああ、そうそう。新居が決まったんだったわね」
 思い出したようにそう言いながら、パルスィが岩棚の表面を撫でる。
 いつの間に消えたのか既に笑顔は無く、いつも通りの彼女に戻っていた。
 妙な違和感も消えている。私は心の中でホッと溜め息をついた。
「うん。巣も問題なく張れそうだし」
「じゃあ、私からお祝いをあげるわ。受け取って頂戴」
 思わぬ申し出だった。嬉しい不意打ちに胸が熱くなるのを感じる。
 どきどきしながらパルスィを見ていると、岩棚の表面から一本の綺麗な糸が出てきた。
 端がパルスィの指に絡まっており、彼女が手を動かすたびにスルスルと伸びてくる。
「蜘蛛には糸が馴染むでしょうし、形はこれで良いわよね」
 独り言のようにそう呟くと、パルスィは糸を持ったまま私に向き直る。
「ちょっと立ってくれる?」
 私は彼女の言うとおり、岩棚の上ですっくと立ち上がった。
 パルスィの手が、私の大きく広がったスカートの裾に触れる。
 そして、クンと手首を返して、針も無しに手にしていた糸を貫通させた。
「あっ。どうなってるの」
「黙って立ってて。動くと脚に貫通させるわよ」
 パルスィは真剣な表情で、縫うように私のスカートの裾へ糸を通していく。
 作業の進行度合いに合わせて私は身体を回転させ、やがて再びパルスィが正面に来た。
「はい……終わり」
 プツン、とパルスィの手元で糸が切れ、残った糸は溶ける様に崩れてしまった。
 一方、スカートの裾に通された糸は残ったまま。
「ねぇパルスィ。この糸は何なの?」
 私が質問すると、彼女は座ったままで見上げてくる。
 そしてまた、ごく薄く笑ったかと思うと、パチンと指を鳴らした。
 その瞬間、私の脚……四本の蜘蛛の脚が、意思とは無関係に小さく折り畳まれる。
 さらに、裾に通した糸を引っ張られたかのようにシュッとスカートがすぼまった。
 人型の足二本を残して、私の脚は完全にスカートに隠れた格好になる。

「えっ……なに、何をしたのっ?」
「抑制。ついでに一番蜘蛛っぽい部分の隠蔽……力の源だっけ?」
 パルスィの言ったとおり、蜘蛛の脚が何かに引っ掛かったように動かない。
 衣服に締め付けられているのではなく、霊力で押さえられている感じだった。
「とりあえずこれで、あんたがやろうとしない限り何も出てこない」
 言われてハッとする。普段、溢れ出すように感じていた病原体が大人しい。
 蜘蛛の脚と一緒に、私の内側の方へと閉じ込められたようになっている。
 パルスィの言うとおり、霊力の流れを調整することで体外への放出もこなせそうだ。
「凄い、凄い! さっきの糸の効果なのね!」
「そう、龍脈から紡いだ糸。糸を切れば解除できるし、繋げればまた元通りになるわ」
 必要に応じて、能力の解放を制御できるということだ。
 これさえあれば他の妖怪に迷惑を掛けることもない。
「本当にありがとう、パルスィ!」
 これまで怖くて避けていた、パルスィへの接触。
 彼女が施してくれた抑制があれば、もう躊躇う必要などない。
 パルスィの手をしっかりと握って、私は何度もお礼を言った。
「出すのが遅い……とか思わないのかしらね」
 新居が決まってから糸を差し出した事を言っているのだろう。
 そんなのは私にとって些細なことだった。
 彼女が私にこんな素敵なものを送ってくれたことが嬉しい。
 こうして、彼女の手を取れることが嬉しい。
 それらの感情の前には、タイミングの前後なんて小さなことだ。
 現に、パルスィは私に『本来与えなくてもいいもの』を与えてくれた。
 与えてくれたことに感謝すれど、その逆だなんて有り得ない。

「全く……落ち着きなさいよ。無論タダじゃない、相応の制約があるんだから」
 呆れたようなパルスィの声が聞こえて、私は少しだけ落ち着きを取り戻す。
 いつも通りに彼女の隣に座ろうとして、蜘蛛の脚を畳もう……
 としたけど、その必要は無かった。そのまますとんと腰を下ろす。
 脚に囲まれて座っていた今までとは違う、妙にすっきりとした座り心地だった。
 パルスィの方を見て視線で促すと、こくんと一つ頷いて口を開いた。

「制約。橋の守護者を守護者たらしめること」

 私は首を傾げた。具体的にどうすればよいのかが不鮮明だ。
「……つまり?」
「このやり取りが終わって以降、私と一切の会話を禁ずるってことね」
 パルスィは表情一つ変えず、淡々とそう言った。
 私は混乱する。守護者云々というのと先の言葉が、上手く繋がらない。
「え、ちょっと待ってよ。どういう事か、良く分からないよ」
「私はとある橋で龍神を殺した。それ以来、私はその橋に縛られることになったわ」
 前に龍脈について話した時のパルスィが、私の脳裏に蘇る。
 目の前に居るパルスィも、心なしかあの時の眼になりつつあるような気がした。
「私は橋を護らなければならない。その為だけになら、龍脈を用いることを許されてる」
 龍神を殺した。だからその龍神の代わりに、龍に掛かった橋の守護者となった。
 それがこの『橋』ということか。想像の範疇を越えた事態に、私は改めて息を呑む。
「で、でも! なんで会話禁止って……!」
「私は守護者よ。私にとって『渡河』以上にとどまる輩は敵でしかないわ」
「それは敵意を持った奴の場合でしょうッ? 私はっ」
「あんたの意見は聞いてない。敵かどうか決めるのは……この忌々しい龍脈だから」

 パルスィの言葉を信じるのなら。
 私は『橋』にとって、不必要に居座り続ける敵と認識されたということだ。
 けれど、それならどうして。
「どうして、無理に追い出さないの?」
「……『橋』の上においては、遊びで済まない戦いは避ける。当然でしょう?」
「どうして、私に力を貸してくれたの?」
「それは『渡河』を促す為の餌よ。勿論、制約を破れば双方に不利益を起こすわ」
 不利益。私にとっての不利益が何を指しているのかは大体想像がつく。
「私の方は……抑制の消滅?」
「当たり」
 こうして可能性を見せ付けられた後、再び昔の状態に戻るということ。
 失ってしまえば惜しくなる。確かに、私にとっては抗い難い餌だ。
 けれど、それとパルスィを天秤に掛けるとなるとどうか。
 頭の中の皿に両者を乗せるより早く、パルスィが言葉を続けた。

「私も同じ。制約を破ったものは等しく龍脈を失う事になる」

 その言葉を聞いた瞬間に、詰んでしまった気がした。
 ひしひしと感じる嫌な予感を否定したくて、私は震える声を振り絞った。
「パルスィは……龍脈、無くなったら困る?」
「困る。もしかすると守護者としての存在意義を無くして……最悪、消滅ね」
「そんなッ!」
 制約によって盾に取られたのは、パルスィの命そのものの可能性がある。
 他でもない彼女の口から告げられたそれは、私にとって絶交宣告以外の何物でもなかった。
「な、ならッ! 私要らない! 抑制なんて要らない、きっと自力で抑制して見せるから!」
「その結果、私に関わり続けるなら同じよ。龍脈は手を変えて制約を課しにいくわ」

 だったら、大人しく加護を受けておくのが利口じゃない?
 パルスィはそれだけ言い終わると、私から視線を外して『橋』を眺めだした。
「さぁ、これで制約の説明義務を果たしたわ。もうそろそろ有効になる筈よ」
 前を向いたまま、平気な顔をしているパルスィ。
 私は、私自身が今どんな顔をしているのか、さっぱり分からなかった。



 この日、最後に見た横顔が酷く寂しそうに思えたのは……私の自惚れなのだろうか。





 §





 能力の抑制を得たことで、私の生活は一変した。
 最初こそ、理解を得られるのかが不安で仕方なかったけれど。
 いざ病気に掛からないと分かると、周囲は意外なほどあっさりと私を受け入れてくれた。
 私のことを厄介者扱いするのもまだまだ居るものの、それも随分とマシになった。

 友人と呼べる存在も、昔の私からは想像できないくらい沢山出来た。
 考え無しに暴れ、制御が疎かなままに増長した昔の私は、本当に愚かだったと実感した。
 でも、馬鹿だった昔の私にも、良いところは少なからずあったんだと思う。

 『橋』はあの時からずっと、変わらないままだ。けれど私にとっては少しだけ違う。
 どんなに楽しそうにあの場所を通っても、私は誰にも止められることは無い。
 そんな特別扱いが少しだけ嬉しくて、同時に物凄く寂しく思う。

 私は時折『橋』を渡る。けれど、それ以上を望む勇気は……私には無かった。



 地底で初めて出来た友人へ。
 彼女が妬ましいと思ってくれた私のままで、手を振ろう。



 あなたが救ってくれた私はここに居ますと、伝えられるように。
 言葉は交わせなくても友達のままで居たいと、願い続けながら。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・





 風邪が長引いている。
 熱や咳は殆ど治まっているけれど、まだ鼻が通らない。
 恐らく、抑制前にアイツのスカートを握った時に感染したのだろう。
 龍脈の加護も、直接触れたのでは防ぎきれないらしい。程度が軽いのは幸いだった。
 やはりあの時、糸を投げ渡して自分で抑制させれば良かったと思う。
 そうすれば今頃、気持ちよく深呼吸できていたかもしれないのに。

「ん……」
 数日振りに、誰かがこの『橋』を通る気配を感じた。
 そっと様子を覗き見ると、そこには笑顔で誰かと話すアイツが居た。
 自分の頬がヒクついたのが分かった。一呼吸置いて何とか平常心を取り戻す。

 いつもの場所に腰掛けている私の横を、談笑しながら通り過ぎていく。
 その時、アイツは私のほうを見て、そしてぶんぶんと手を振っていった。
 私は無反応のままで『橋』を渡っていく奴らを見送るにとどめる。

 やがて声は遠くなり、いつも通りの『橋』になる。
 両膝を抱えて顔を埋めると、相変わらず詰まったままの鼻が、すんと鳴った。

「なんて奴……喋らなきゃ良いとでも思ってんの……?」

 こんなことなら、もう二度と『橋』を通るなとでも言っておくんだった。
 今となってはもう言い直すことも出来ない。そんな事をすれば、制約の嘘がバレる。
 この『橋』に縛られている訳じゃない。便利だから『橋』に居座り続けているだけだ。
 私は待ち続けなければならない。その為なら全部振り払った。殺した相手の力さえ利用した。
 ここで待つことを諦めてしまったら、何の為に手を汚したのかが分からなくなってしまう。
 龍神を手にかけたあの日から、ずっと続いてる待ち惚け。きっとそれが私の存在意義。



 私は『橋』にしがみ付く、神殺しの咎人。この決断に未練なんて ―― あっては、いけない。





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>コメント3_4番の方

すみません、続かないです。
いわゆる「天啓を受けて龍神を呪い殺した橋姫の伝説」をもとにした話だったのですが、
前提となる部分や独自解釈した部分など描ききれていなかったようですね。
意図したところを伝えられる文章を書ける様、精進したいと思います。

・脚に関して
仰るとおり、ヤマメの両手をカウントしています。
目を模した飾りが六つで、本人の両目を合わせて八つとのことだったので、
こちらも本人の両手両足をカウントして蜘蛛の脚四本としました。
風流
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コメント



0.1160簡易評価
3.60名前が無い程度の能力削除
続きもの?伏線の回収ができてないというか、謎が謎のままですね。続きをつくるなら、読んでみたいです。

とりあえずは全部読んでからつっこもうと、うずうずしてたんですが……蜘蛛の脚は8本なので、2本ほど足りないのでは?蜘蛛は昆虫(6本脚)ではありません。
4.無評価名前が無い程度の能力削除
連続で失礼します。
もしかして、人間の脚2本と、蜘蛛の脚4本と、人間の手2本で、 8本脚ってことですか?
9.100名前が無い程度の能力削除
蜘蛛足とか大好物です。
最近、橋姫の龍神殺しの話をみたばかりでしたので、にやりとしてしまいました。
それにしてもパルスィはかわいい。
10.100名前が無い程度の能力削除
うまく言えないけど、凄く良い!!
14.90名前が無い程度の能力削除
あなたの短編は良いですね。
17.80即奏削除
良いお話でした。

……橋姫の背景を知っていたら、もっと深くストーリーに入り込めたんだろうなぁ。
34.100名前が無い程度の能力削除
パルスィに幸あれ。
35.100ずわいがに削除
パルスィええ子やねん。お前らなんやねん、好きなように話せや!泣いてまうやろチクショオーッ

“縦穴”の通称が“橋”というのは自分と同じ考え方だったので嬉しいです!まぁ、龍脈を川に例えるのは流石に思い付きませんでしたが。
よくパルスィが本当に“川の上の橋”にいるような作品を見かけますが、自分の中では「橋」と書かれてあったら縦穴でイメージしてしまうので、なかなか話がかみ合わないこともあるんですよね~;ww
36.70冬。削除
パルスィが何を思って、ヤマメに制約と称した嘘をついたのか。
そこの理由付けが薄く感じました。
その点は橋姫の伝奇について、知識が必要なのかな?特に後書きに関しては強く、そう感じました。
でも、ヤマメとパルスィのやり取りが良かったです。