こう、雪を見るとなんとなくはしゃぎたくなるのはやっぱり自分が狼だからなんだろうか。それとも、まだまだ自分が子供っぽいところがあるからなんだろうか。
毎年、雪の降り始める頃になるとあたしたちの里のあちこちで子供たちがころころと地面を転げ回っている。その光景はとてもとてもほほえましくて、見つめている大人たちの顔にもその楽しげな雰囲気が伝染してくる。
もう自分は移される方に属さなければいけないはずなのだが、子供たちにまざって転げ回りたい衝動はなかなか消えない。この間は気がついたら混じって転がってた。
まあ、サガだよね、とあたし――犬走椛――はそう思うのだ。
毎年変わらず、寒くなるにつれてテンションが上がっている自分。知り合いの烏天狗殿はそんな自分を見て「信じられない。雪を見て、そんなにはしゃぐの?やっぱり犬なの?そうでしょ?犬でしょ!?ワンコね?」とか満面の笑みで言ってくる。こないだもそうだった。ひと月前の初雪の日。はしゃぐ私の後ろでシャッター切りながら延々とからかうのだ。こんなんじゃせっかくの初雪の気分が台無しだ。あんまり犬犬言うのでジャイアントスイングで新雪の吹き溜まりへ投げ飛ばしておいた。手帳がどこかに飛んでったと騒いでたが、聞こえない振りをしてあたしは雪と戯れた。どうせ犬ですから。テンション上がってるんだもん。仕方ないでしょ。うふふ。
今日も今日とて哨戒当番。大晦日も近いというのにいつもと変わらない毎日。冬至も少し前に過ぎて、妖怪の山はすっかり雪景色。寒くて鼻はつんとするし九天の滝も半分凍ってる。
「さむいさむい、おおさむい」
少し芝居がかった調子でひとりごち腕を抱えて二の腕をさする。背中に背負った盾と大刀を下し、雪除けにワラの蓑を羽織ったら、乾いたムシロを大量に抱えていつもの見張り台へ。
夜明けはまだ遠い。さっきまでどんよりとしていた空はいつの間にか晴れていた。雲が途切れて星が見える。滝のあるこの渓谷ももうすぐ朝日に照らされて白く輝くだろう。そのかわり寒いだろうな。早苗さんはほーしゃれいきゃく、とか言ってたっけ。
こんな日の見張りは割と好きだ。いや、こんな晴れた雪の日が好きだ。
ふんふん、と鼻歌交じりに崖に張り付いてくねくねと伸びる細い階段を跳ねる。暗い足下を照らす明かりはない。すぐ隣は滝だ。半分凍っているとはいえ、まだまだ迫力充分に滝の水はゴウと音を立てて流れ落ち、水煙はここまで漂ってくる。ようやく見えてきた目的地の見張り台は、飛沫を受けてつららが下がっていた。
「さて」
持ってきたムシロを敷き詰めその上にあぐらをかく。ムシロは当番の者が各自好きなだけ持ってくる決まりだ。乾いた暖かいムシロに座りたかったら自分で持って来ること。ムシロくらい支給してくれてもいいのではないかとちょっぴり不満に思うこともあるが、好きなだけ持ち込んでもいいというのは有り難かった。いくら天狗と言えど寒いもんは寒いのだ。凍った見張り台の板の間に日長一日座りっぱなしというのは流石に切ない。
それに、大量のムシロは色々と便利なところもあるわけで。
風避けの蓑をもういちど羽織り直し、おもむろに懐から出した将棋の本を開く。‥‥なに、いいでしょ。哨戒はヒマなんだから。
‥
‥‥
‥‥‥
「あふ」
あくびが出た。
まだ今日のお勤めを開始して間もない。3時間も経っていないだろか。
「‥‥まだ早いかな」
読んでいた将棋の本から顔を上げ、傍らのムシロを見ながら独りごちる。見張り台の隅、そこには不自然なムシロの膨らみ。
「良いかなぁ‥‥」
寒いし‥‥とブツブツ言いながらゴクリと唾を飲み込む。ああ、なんだ、これじゃまるで早苗さんから聞いたパブロフの犬みたいじゃない。また文殿にからかわれる。でもね、いい天気なんだよねえ。もうすぐ夜明けだし。東の山並みが白じんできた空に浮かび上がっている。
空気は澄んでいていい匂いだし、千里眼を使わなくてもいまなら幻想郷が一望できるくらいの素晴らしい晴れ間だ。
「‥‥良いよね」
もう我慢できない。本をおいて、膨らんだムシロをめくる。その下にあったのは二つの輪っぱ。片方は弁当が詰まっている。とりあえず弁当入りのを脇に寄せ、もう片方を手にとって蓋をあける。中には岩魚の甘露煮、塩辛く漬けたナスの麹漬けとあっさり目に漬けた大根。あとは味噌に、刻んだ唐辛子とネギ。味の濃いものばかり。
「うふ」
そして、さらに奥に転がっていた土瓶をつかむと、辺りをキョロりと見回して、だれもいないのを確認してから、蓋をあける。とたんに漂う甘い香り。懐から小さな湯のみを出すと、瓶の中身を湯のみに注ぐ。軽くその芳しい匂いを嗅いでから、一気に胃の中へ。
「くは♪」
お気に入りの酒屋さん特製の濁り酒。ああ、おいしい。
別に、特段あたしが酒飲みでだらしないというわけでもない。哨戒天狗の面々は冬になるとよくやっている。大量のムシロは酒と酒肴を持ち込むカモフラージュにはうってつけ。というより、「"ムシロは"自分で持ってくること」という決まりは「"ムシロの中身は"自分でもってくること」という、哨戒天狗達の暗黙の了解が含まれたものなのである。
冬の哨戒は寒くてつらい。河童は川の中から出てこないし、冬山に突撃してくるような酔狂な輩もそうそう居ない。将棋板には氷が張って雪が積もる。と、なれば。ヒマを持て余した先人たちが何をすればいいのか出した結論の一つが、これというわけ。
ほんとだよ?
(寒いときはこれに限るね、やっぱ)
ず、ともう一口。ちょいとキツメのにごり酒が、胃袋をじんわりと炙る。はふ、と息を吐くと、滝に吸い込まれるように流れていく自分の息。塩辛いナスの漬物がおいしい。
(ああ、だめになるなぁ、ダメになっちゃうなぁ、あたし)
堕ちていく快感と言ったら大げさだが、なんというか、ほのかな背徳感がいい。
「んぐ」
湯呑みの中身を一気にあおる。すかさずお酒を注ぐ。またあおりたくなる気持ちをこらえて、チョッ、とひとくち。
調子にのって飲み過ぎるとお酒はすぐに無くなる。持ってきている分は土瓶一つだけ。涎をこらえていったん瓶のふたを閉める。
夜明けは近い。日の出はこの湯呑みのお酒をやりながらに見ることにしよう。
「あー、とんでもない方が居ます。悪い子、悪い子」
「おふっ!?」
突如天空からかけられた声に飛び上がる。
あわてて見上げると、だいぶ明るくなった空を背に空中に浮かぶ黒い人影。右手には大幣、左手には細長い風呂敷包み。真っ白い外套。そして緑なす長い髪―――守矢の早苗さんだった。
「ちょ、ちょっと早苗さん。驚かさないでくださいよ。てか私に気配も何も感じさせずに現れるなんて、いったいどんな方法で―――」
「椛さんが酔ってただけなんじゃないですか?こんなことで奇跡なんか使いませんて。それより、今のあわてた椛さん、すっごい可愛かったですよぉ。耳がこう、ピクン!て立ち上がって」
そう言って、ニヤリと笑う早苗さん。ああ、この娘、もうすっかり好い顔するようになっちゃって。山にきたときはほんとに生娘て感じだったのに。「拐いたくなる巫女さんオブザイヤー」のあなたは今いずこ。
「となり、いいですか?」
言うなり、とん、と見張り台に降り立ち、左手の風呂敷包みをちょい、と解く。あ。いい匂いがする。
「差し入れです」
硝子瓶に入った外の世界のお酒。「原酒」という文字が一瞬見えた。
「早苗さん、一応あの、建前というものがありましてですね‥‥」
「私は差し入れとしか申しておりませんが」
「あからさまに‥‥」
「この角度でしたら椛さんからしか見えないでしょう?」
「うい」
「差し入れです」
「ありがとうございます」
にっこり笑って風呂敷包みを私に渡す早苗さん。こちらもにっこり笑って受け取る。あくまでこれは「差し入れ」である。「中身」を知らずに受け取るのである。
「へえ‥‥」ずらした風呂敷包みの隙間から瓶とラベルを観察。中身はしゃんと透きとおっていそうでちょっとオリが漂ってる。よこぶえ‥‥?
「幻想郷に来る前に近くで売ってたお酒なんです」
「‥‥簡単に開けちゃっていいんですか?貴重なものなんじゃ」
「”しぼりたて”って書いてあるのに雪室でいつまでも寝かせておくのはかわいそうですから」
「だからって今でなくても‥‥」
「飲みたくないんですか?」
「へ?」
早苗さんがじとっ、とこちらを覗き込む。口元が少し上がってる。ああもう、要らない迫力までつけて。
「こんなにいい朝なのに、こんなに美味しい空気なのに」
「‥‥呑んだら美味しいでしょうねえ」
「ですよね。それに飲みたくなったらそれが飲みどき、って誰かが言ってました」
「はあ」
誰の言葉ですかそれは。どっかの酔っぱらい親父とか口走ってそうな台詞ですよ。
「さて、そのお酒はお気に召されましたか」
「それは飲んでからですねー」
「では」
ぐ、と胸元に早苗さんの手がのびる。手の中にはぐい呑みが二つ。
二つ‥‥
「早苗さん」
「はい」
「あなた最初から飲む気満々でしたね」
「はい?」
「清純そうな顔をしてとぼけてもダメです」
「あらまあ」
「何を言われているか分からないという顔をしない」
「早く飲まないとかわいそうでしょう」
「本性現すの早すぎますよ。聞いてますか。ほら、つららを折らない。ああ、ぐい呑に入れた。はい。分かりました。分かりましたから待ちなさい。お預けです。おあずけ。今開けますから注いで上げますから待ってくださいヨダレを垂らさないで!」
‥‥もちろんヨダレなんかたれてない。そんな風な顔をしていたので冗談で言っただけ。
えっ、という顔をして袖で自分の口元を抑える早苗さん。でも視線は瓶から離れない。
これじゃあどっちがイヌ科か分からないじゃない。すっかり呑んべになっちゃって。こっちに来てすぐの頃は、ちょっと飲んで顔真っ赤にしてぽわぽわしてんのが可愛くて可愛くて。宴会の時は同僚の白狼天狗達といじり倒したもんだったのに。今じゃこれだもん。自分から飲みたがる始末だし。そらあ飲酒量は今でも天狗にかなうもんでないけど、このくらいの人間の娘に相応の飲酒量とかあると思う。あたしとしては。こないだ試しに煽てたら一升開けたし。
カミサマの子孫とか飲兵衛の血統とか色々あると思うけど、すっかり進化しちゃった彼女を見てると、無性にあの頃の(お酒に)ウブな早苗さんを返してと叫びたい。‥‥さんざ飲ませて「練習」させちゃった周りの私たちとか神様達とかに。
「はい、どうぞ」
「どうもー」
「さすがに持ってきた本人が先に頂くのは無作法です」と早苗さんがいうので先に注いでもらった。‥‥ヨダレたらしといて今更無作法もないでしょうに。うわあ、いい匂い。
「はい」
今度はあたしの番。
「おととととと」
嬉しそうに注いでもらっている早苗さんを見ていると、子供にお菓子をあげて喜んでもらった時のようなホンワカした気持ちになる。‥‥なっていいんだろうか。
「では」
「はい、いただきます」
杯をちょいと上げて、乾杯。早苗さんの杯からはカラン、と浮かんだツララがたゆたう音がする。
あ、おいしい。すごくおいしい。甘いのに甘すぎない。味がこいのにしつこくな‥‥って、酒の評論は偉い人に任せときゃいい。あたしらは美味しいかどうかでいい。でもなんか喋りたくなっちゃう。そんなお酒だ。
てかやっぱり贅沢なお酒なんじゃないのかなぁ。これ。
早苗さんを見遣る。恍惚としていた。
「普段飲む機会なくて‥‥こんな‥‥」
皆まで言わなくていいです。やっぱり持ち出したんですね。飲みたくなって持って来ちゃったんですね?
わかるよ、その気持ち。
無言で頷きあって、二杯目を空ける。ちょっと酒精のきつい原酒。これが冷たい冬の空気で冷やされて丁度いいのみごろになってる。どんどん杯が進む。ときどき漬物とか甘露煮をつまんだり。ああ、まずいなぁ、ダメなやつが二人に増えたよ、早苗さん。ねえ。どうしようか。
もうすぐ日が昇る。山の端が輝きだした。なびく雲が黄金に染まる。
「わあ‥‥」
早苗さんのつぶやきが号砲。黄金の波があっという間に雪原をわたっていく。途中でうねる金鉱脈は里を流れる川だ。
金色の光はあたしたちも照らす。右も左も、すべてが黄金色。滝の飛沫は煌めく金剛石。ツララの下がる杉の葉は翡翠。
「‥‥」
「‥‥」
この素敵な世界と朝日に。
無言で、あたし達は静かにまた杯を掲げた。
まあ、何でもない寒い日に、良い朝日を美味しいお酒飲みながら早苗さんと一緒に見たって、それだけの話しね。
あー、おいしー‥‥
>本性表す
表す:考えや感情を言葉・表情・絵画などで表現する。
現す:姿や本質を具体的に見せる。
→この場合『現す』かな
3人とも凄い可愛い
後書きの椛と文の話にニヤリとしますねぇ。
……うん、スゴくいいよ!
お酒が飲みたくなる程度のお話ですね!
私も飲みたくなってくるなぁ。
ちょwwあとがきワロタwww
お腹が空くわ日本酒が飲みたくなるわであたい堕ちちゃうぅぅぅううぅぅ!!!!!!
凄く良い雰囲気でいいなぁ。