「で? どういう風の吹き回し?」
「吹き回しと言われましても」
博麗神社の軒先に、ちりんと風鈴がぶら下がる季節である。
縁側に腰掛けた霊夢はジト目に東風谷早苗を眺めていた。
二人の出で立ちこそ同じ巫女服で似通っているが、色は赤と青。
内情も同じく対照的な二人だ。
「あんたが出向いてくるのも珍しいけど、おまけに菓子折まで持ってきて。異変かと思ったわよ」
「喜ぶと思ったのですが」
「お菓子だけならね」
言いながら霊夢は早苗の持参した包みを解き、中から出てきた饅頭に「ふうん」と鼻を鳴らした。
急須を手繰って湯飲みに茶を注ぎ、そのまま早苗に差し出す。
「どうも」と言って霊夢の隣に腰を下ろす早苗。
「美味しそうだけど、これを食べた後にどんな無理難題をお願いされるかと思うとね」
「こちらがお願いをしに来たのは確定ですか……」
「しないの?」
「しますけど」
ほらね、と言って肩をすくめる。
早苗は澄ました顔で熱い茶を一口すすった。
「そんなに無理を言いにきたわけではないんです」
「聞いてからじゃないと信用できないわよ」
「はい」
早苗は湯飲みをとんと傍らに置き、居住まいを正す。
「博麗神社を一日貸していただけませんか?」
「はぁ!!?」
素っ頓狂な声を上げるのも当然。
早苗と風神・八坂神奈子がこの幻想郷にやって来てまずやった事と言えば、信仰の得られない博麗神社を開け渡すように要求する事だったのだから。
守矢家が再び神社乗っ取りを企てたのかと危惧するのも当然である。
「いえ、そういう物騒な話ではなくて」
どこから取り出したものか、霊夢は既に人差し指、中指、薬指の三指に二枚の霊札を挟んで構えている。
「単にお祭りで境内を使わせてもらおうと思ったわけでして」
「……祭り?」
霊夢が袖の内に札を収めるのを見届けて、早苗は、はいと頷いた。
「お祭りです」
「宴会?」
「ですからお祭りです」
「宴会のことでしょ?」
「お酒はナシです」
「それじゃ宴会じゃないじゃない!」
常識外の会話に、早苗は額を手で覆った。
そもそも下戸と飲んべでは「祭り」の定義が違うのかもしれない。
「とかくお酒は考えずに聞いて下さい」
「うん」
「幻想郷にやって来る前は、守矢神社ではこの時期に神奈子様を祀るお祭りをしていたわけです」
「ああ!」
霊夢はぽんと膝を打つ。
「お祭りってそっちの?」
「……あなた、巫女の仕事ナメてますよね」
仕事意識の差である。
早苗は信仰を得るために幻想郷にやってきた筋金入りの祭司であるのに対し、霊夢は幻想郷の片隅でぼんやりと見守るのみ。
異変が起こるまでは茶でも飲んでいれば務まるのが博麗神社の巫女である。
それはさておき、霊夢もやっと早苗の用向きが見えてきた。
「言いたい事は分かったけど、それって上の神社でやればよくないわけ? はっきり言ってウチよりよっぽど立派なわけだし」
守矢神社は博麗神社ほどもある下社。そして神社と一緒に転移してきた湖を挟んでもっと豪華な本殿が山の上に鎮座ましましている。
単純に敷地の大きさにして博麗神社の二十倍。そして集める信仰心は……ゼロと100を比べても仕方あるまい。
「大きさ云々ではなく立地の問題がありまして」
「何か問題が?」
「特に人間の方々には」
「あー……」
守矢神社のある場所は妖怪の山の上。天上界ともほど近い幻想郷の頂上である。
そして山は人間の立ち入るものではなく、神と妖怪の住まう土地である。
「和歌でも詠んで通してもらうってわけには」
「なかなかいかないようで」
妖怪の山に人間が立ち入ろうとすれば、神妖それぞれの大歓迎を受ける。
風神の異変で霊夢が守矢神社に赴いた時にも、逆巻く滝を抜け、逆落としを仕掛けてくる天狗の迎撃を突破してたどり着いた次第である。
「もし守矢神社の方でお祭りをしたとして、人間の参加者の何割がたどり着けるのか…」
「それ本気でやったら異変として「解決」するからね」
人間たちが山に入っていって次々遭難したとあっては大異変にも程がある。
山と里は古来より人と妖怪の領地を分ける境界であるのだから。
「そういうわけで博麗神社をお貸し頂けないでしょうか」
「お菓子だけに?」
ひょいと饅頭を口に放り込む霊夢。
「こちらも分社なわけですし、丁度いいのですけど」
「ここが分社なんじゃなくて、分社がここにあるってだけなんだけど」
先の異変以降、博麗神社の片隅に守矢の分社が建てられている。
しかし泣ける話だが、博麗神社の参拝客のほとんどはその分社に足を向けるのであるが。
「参拝の方がたくさん来ればアレです。分社と間違えて、博麗神社の方にお賽銭を入れる人もいると思いますよ」
「それあんまり嬉しくないんだけど……」
「使わせてはもらえませんか?」
「境内だけ?」
「はい」
霊夢はため息をひとつ。
「手伝わないからね」
「それは元から期待してませんから」
***
異変がない時の博麗の巫女は暇である。
縁側で茶を飲み、茶請けをつまみ、日に一度適当に境内を掃き清める程度の生活。
秋の落ち葉は掃き掃除が大変になるが、結局の所その程度。さながら隠居である。
「そりゃ町火消がいつも忙しそうにしてたら大変だろ?」
お茶請けに手を伸ばしながら魔理沙。
「盗賊改めだったらいつも忙しいでしょうね」
その手の甲をピシャリと叩きながら霊夢。
いつもの光景である。
黒装束にいかにもな三角帽子という出で立ちの霧雨魔理沙は普通の魔法使いである。
この「普通の」というのは「人間の」と置き換えてもいい。
幻想郷における魔法使いの多くはアリス・マーガトロイドや紅魔館のパチュリー・ノーリッジのように魔法使いという種族、広義に妖怪にカテゴライズされる。
対して魔理沙はカテゴライズとしては人間であり、魔法使いである。普通である。
このような事から、妖怪ばかりが集まると評判の博麗神社においてはほぼ唯一の、頻繁に足を運んでくる人間という事になる。
といっても信仰心など欠片もなく。賽銭も入れず。単にお茶をせびりに来ているだけなのだが。
「祭り、やるんだって?」
「早苗がね」
耳が早いわね、と霊夢。
「よく許したな」
「変に突っぱねて異変起こされるよりもね。目の届くところでやってくれた方が気は楽なのよ」
それに、お祭りの準備で忙しければ変な異変も起こさないだろうし、と付け足す。
魔理沙はふーん、と気のない相づちを打ち、
「でも、それにしちゃおかしくないか?」
「何がよ?」
「早苗の準備がさ」
「?」
博麗神社での祭りの開催を許可されてから、早苗は忙しく準備に駆け回っている、という所までは霊夢の耳にも入っている。
その詳細については全く気にする事すらなかった。
「どうにも怪しいぜ」
「具体的には?」
「早苗のやつ、よく森に入ってるみたいなんだ」
「……?」
はて。と霊夢も首をかしげる。
「祭りの宣伝をするにしても、準備の買い物にしても、人里で全部片付くハズだろ?」
「普通に考えれば森をうろつく用件があるとは思えないわね」
「昨日なんか霧の湖あたりで見かけたんだぜ。チルノに絡まれて弾幕ごっこしてた」
「紅魔館の連中にも宣伝に行った、とかかしら」
その方面であればそのくらいの用事しか思いつかない。
どうまかり間違っても紅魔館の妖怪たちが神奈子に信仰を寄せるとは思えなかったが。
「また何か企んでるってのも考えすぎじゃないわよね」
「相手はあの守矢だからな」
「あの守矢だものね」
魔理沙の守矢に対する認識はそんなものであり、その点については霊夢もそこまで意見を異にするわけではない。
何よりここのところの異変はだいたいの所、守矢が原因である。
「異変になると思う?」
「……」
霊夢は少し考え、考えても無駄なことに思い至って肩をすくめた。
「なるようになるわよ」
***
結局のところなるようになるのが幻想郷なのだ。
これまでも霊夢は能動的に異変を止めに行った事はない。
町火消は燃え始めてから消しに行けばいいのであって、火の用心勘勘と見回りするのは誰か別の者の役目だろう。
というわけで早苗の行動を不審には思いつつ、人里や魔法の森に出向いて聞き込みをするでもなく、相も変わらず縁側で茶をすすっている。
「山の神と山の巫女は祭りの準備で駆け回ってるというのに、そっちはのんびりしてるもんだ」
「私は関係ないからね」
珍しい客がきた。
山河童のにとり。河童一族の中では珍しく人間に友好的な個体である。
霊夢・魔理沙とは山の神の異変の折に知り合った。
「で、あんたは何の用件?」
「うん。山の巫女に頼まれてね。祭りの準備」
「まだ一週間くらいあったと思ったけど?」
「設営は前日からやればいいとして、いまのうちに資材を運び込んでおきたいんだよ。というわけで、どこに置けばいいですか」
「あー。……神社の裏でも使って。池と空き地があるから、適当に」
quakと喉を鳴らすにとり。
「ああ、今のは了解って意味だ。それじゃあさっそく始めさせて貰おうかね」
「あんまりうるさくしないでよ」
quakと鳴いて作業に取りかかるにとり。
霊夢はその背中を眺めつつ、ずずっと茶をすすった。
風は柔らかである。
時間はゆるやかに流れている。
境内に視線を向けると、新たな珍客がこちらに歩いてくるのが見えた。
はて、と霊夢は首を傾げた。
見覚えのある丸帽子。彼女はいったい誰だったか。
彼女に関することだけ霧が掛かったように認識力が低下するのだから、おそらくそういう事だろう。
あれはただの観光客だ。
「珍しい奴が来るものね」
「山の神様から招待状を貰ったの!」
観光客は嬉しそうに言う。
「誰彼構わず招待してるのか早苗は」
「それで? お祭りはまだなの?」
「まだ一週間先よ」
「なんだ、つまらない」
興味が無くなったように観光客はふわふわとどこかへ行ってしまった。
「ん? 誰かと話してたような気がしたけど」
「気付かなかった?」
「ああ」
「観光客がいたのよ」
que?と首をかしげるにとり。
霊夢はずずっと茶をすすった。
祭りは準備が一番楽しいとも言う。
準備に参加しなかった霊夢は茶を飲んでいただけの一週間となった。
***
祭りの当日。
ヒュルヒュルヒュル~~~ ズズ~~ン!!
とさながら爆撃のような轟音に霊夢は叩き起こされた。
「なななななな!! な、何!? 何!!?」
白襦袢のまま庭に飛び出すと、早苗とばったり鉢合わせた。
「あら、起こしてしまいましたか?」
「……今のとんでもない音についての説明は?」
「これです」
「……………………」
「これがないとやはり守矢のお祭りという感じになりませんし」
早苗が誇らしげに胸を張り、霊夢は逆にうんざりした表情になった。
見れば庭の隅にもうもうと土煙を上げ、六角形の柱がそびえ立っていた。
博麗神社の鳥居の倍ほども高さがあり、先端に注連飾りの付けられた御柱は守矢のシンボルだ。
先の爆音は博麗神社に飛来した御柱が四方に突き刺さる音だったらしい。
「終わったらちゃんと抜いて。穴も埋めとくように」
霊夢は寝室に戻り。布団をかぶって二度寝することにした。
***
二度寝をしたせいか霊夢が起きたのは日も高くなってからだった。
境内からは群衆特有のがやがやした喧噪が聞こえてくる。
博麗神社では催事どころか新年の初詣ですら集まらないくらいの人数が来ているのだろう。
薄ぼんやりとした頭で紅白の巫女服に着替え、後ろ髪を結い上げる。
様子を見に行くことにした。
境内に出て、霊夢がまず感じたのは違和感だった。
まず神社の四方に突き刺さった御柱については気にしない事にする。
本殿の前に配された注連縄つきの祭壇はご神体(仮)というところだろう。
石畳の左右には屋台が店を出している。境内は人混みでごったがえし、べっこうや焼き蕎麦の匂いが漂っている。
これらは祭りとしてイメージされる範疇のものだろう。
「何コレ」
それでも霊夢は違和感を感じ、そう呟いた。
「あら霊夢。そんな所に突っ立っていたの」
声のした方へ顔を向ける。
まずドーム状に大きく広がった布が視界に飛び込んできた。傘である。
次に傘越しにメイド服の少女が視界に入る。
短い銀髪を片側だけ編み上げた特徴的な髪型に、カチューシャがよく似合っている。
そして最後に傘から視線を落とす。
「その視線の順番は不本意ね」
傘の下には小さな吸血鬼。紅魔館の主、レミリア・スカーレットが腕を組んでいた。
彼女に日傘を差しているメイドは従者・十六夜咲夜である。
「アンタも来たのね」
「吸血鬼は招かれた場所にしか行けないのよ。ここには招かれたの」
吸血鬼が招かれないと入れないのは屋内のみで、しかもレミリアにその特性があるものか怪しいものだが、しれっと言ってのける。
「早苗に?」
「そんな名前だったかしら。青い方」
「青い方は早苗よ」
「そうそう。紅白が巫女で黒いのが魔女」
「色で判断してるのか」
案外そうなのかもしれない。
「美鈴を突破してまで招待状を配りに来た事ですし、面白そうだからとお嬢様が」
招待するだけなら門番を突破しなくとも、その門番に招待状を渡せばいいものだと霊夢は思ったが、口には出さない。咲夜の顔にも同じ事が書いてある。
「森中に招待状を配り歩いてたもんね」
「……ああ」
霊夢はやっと違和感の正体に気がついた。
祭りの場だ。妖怪が来てもいいだろう。霊夢も妖怪たちを招いて宴会する事だって少なくない。
だが多すぎる。
むしろ人間より妖怪の方が多いというのはどうしたことか。
屋台ではチルノと大妖精がべっこう細工にかじりついているし、その並びではリグルが金魚すくいに興じていたりする。
さながら妖怪縁日の様相である。
人間の参拝客が来てくれるかと思いきや、むしろ人間は肩身が狭そうだ。
というか、この状態で祭りを楽しめる人間は、それこそ冥界に花見に行くタイプの連中であろう。
「……話が違う気がするんだけど」
「そうだ! 話が違う!」
投げつけられた怒りの声に霊夢が顔を向ける。
「まっとうな祭りかと思いきや。なんだこれは。妖怪ばかりじゃないか」
珍しい顔がそこにいた。
人間の里で歴史を編纂したり寺子屋を開いたりしている半獣。慧音である。
人里から来た客すら人外か、と霊夢は感嘆しかけた。
しかし慧音の後ろにぞろぞろ付いてきている十人ばかりの子供たちはどうやらまっとうな人間のようである。
おそらく寺子屋の生徒なのだろう。
「こんなのばっかりじゃ、ロクに子供たちから目も離せん!」
「こんなのとは何だ」
指さされたレミリアが憮然と言い返す。
「私も同じ文句を言いたいわ」
少なくとも人間の参拝客でにぎわう祭りが見られると思っていただけに、霊夢の疲労もひとしおである。
「ともかく、万が一妙な事になったら対応してくれよ」
「わかってるわよ」
妖怪の異変に対応するのが博麗の巫女である。
この場で狼藉を働く妖怪が居ようものなら、即座に鎮圧できるであろう。
なら善し、と言って慧音は子供たちを連れて屋台に向かっていった。
ここまで来てそのまま帰る、という気は流石にないらしい。
「ま、楽しまなければ損ということよね」
「楽しみに来たお嬢様が言うと説得力があります」
「そろそろ私たちも行きましょう。咲夜、あの焼きそばというのが食べてみたいわ」
「お嬢様、お小遣いは50銭までですのでよく考えて」
レミリアたちが行ってしまったので、霊夢も動くことにした。
見渡せば見渡せてしまう広さの境内である。
ひとまず最も分かりやすい顔見知りの方へ足を向けることにした。
お好み焼きやら焼き蕎麦屋やらの並びにあるべきは焼き鳥屋だろうが、そこにあったのは焼き八つ目鰻屋だった。
幻想郷狭し、そんな屋台をやる者といえば一人しかいない。
「よう、霊夢」
屋台の前に居た魔理沙がひょいと顔を向ける。
「どうもー」
盲目に効くという八つ目鰻をパタパタ炭を扇ぎつつ焼いているのは妖怪である。
ミスティア・ローレライ。袖をまくり上げ、たすきを巻いた割烹着姿に小さな翼と長い爪が見て取れる。夜道を行く旅人を歌で惑わせ、鳥目にしてしまう夜雀という妖怪だ。
博麗神社の境内で、妖怪が屋台を出している。
霊夢はなんだかクラクラしてきた。
「悪さしてないでしょうね」
「夜道じゃないから。普通に売ってるだけ」
「普通に買ってるだけだぜ」
まあ昼の、しかも神社では夜雀も何もあったものではないのかもしれない。
今はただの焼き八つ目鰻屋で通すつもりなのだろう。
ミスティアはへらで鰻にたれを塗り付けると、手際よく串をひっくり返し、パタパタ炭を扇ぐ。
この長い爪でよく細かい作業ができるものだ。
ぱちぱちと炭がはぜる。醤油ベースのたれの焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。
一本五銭と書かれた張り紙が煙と油に汚れている。
「……朝、食べてないから。一本貰える?」
「まいどあり!」
まんまと買わされた気がした。
***
「なんだかんだで楽しんでるように見えるけどな、みんな」
「それでも一応、一言言っといたほうがいいでしょ。……早苗はどこに居るのかしら」
軽く腹を満たしたところで、霊夢は早苗を探すことにした。
幻想郷は狭く、異変の折はそこら中を飛び回る霊夢だからして、屋台もその客も知った顔ばかりである。
「いらっしゃい」
「客商売、できるの?」
「失礼な」
アリスが射的屋をやっているのを見てはさすがの霊夢も足を止めた。
どこの香霖堂から仕入れたものか台の上にはコルク銃が一丁。
「一回20銭でコルク三発。当てて落としたらプレゼントよ」
「遊ばせる気があるのなら避ける気満々の上海人形をどうにかしなさい」
板三段の景品台に並べられた上海人形。どれもいつ弾が飛んできても避けようとばかりに身構えている。
悲壮な覚悟を決めた顔で身動きしない蓬莱人形も居るが、こちらは弾が当たれば爆発する類だろう。
「まず景品に問題ありだな」
魔理沙はいつ買ってきたものかりんご飴を舐めながらからから笑った。
「爆発はさせないでよ」
「大丈夫よ。火薬は減らしてるし」
「抜け!」
霊夢ははぁとため息一つ。
「で、早苗はどこにいるか知らない?」
「?」
「青いほう」
「ああ、開会式みたいな事やってからあっち行ったけど」
やっぱり色で識別されてるのかもしれない。
***
境内の隅の木陰で話をしていた早苗と神奈子はすぐに見つかった。
神奈子の背負っている巨大な注連縄はほどよいランドマークである。
「おや霊夢、こんな時間にやっと起きたの?」
「誰かさんに安眠を邪魔されたからね」
じと目を向けると早苗はあははと笑って視線を逸らす。確信犯であろう。
その点については別に言う事もないので霊夢は本題に入ることにした。
「で、このお祭り騒ぎについて何か言うことは?」
「賑わってるじゃないか」
「妖怪でまで賑わうとは聞いてない」
神奈子は悪びれた様子もなく。
「確かに妖怪たちにも招待状は配ったよ。来ちゃったものは仕方ない」
「妖怪なら山でお祭りやっても行けない事もないでしょうに」
とは言いつつ、霊夢もそこまで本気ではない。
里の妖怪が大挙して山の妖怪のテリトリーに入ろうものなら、これもまた異変であろう。
「でもこっちはせっかく神社を貸してるんだし、イレギュラーな要素は控えて欲しいもんだわ」
「そこはこっちも譲歩してるって事でひとつ」
「どこに譲歩があった」
「神奈子さまのお祭りは、本来5日間にわたってやる盛大なものなんですよ」
早苗が横から口を挟む。
5日間と聞いて霊夢の眉にますますしわが寄った。
「言っとくけど約束通り一日しか貸さないわよ」
「ほら、譲歩してるじゃないか」
「それ譲歩って言うのかしら……」
「省略したり簡略化した行事もちらほらと」
「まあ、大事なとこだけやれば一日で片付くわよ」
祭られる神自身がそう言ってるのだからバチも当たるまい。
「行事ねえ。……ただの縁日に見えるんだけど」
「午前の部は霊夢さんが眠っている間に終わった筒粥神事で、あとは午後に奉納演舞をやるくらいですね」
「つつがゆしんじ?」
「今年穫れたお米をお粥にして。一晩炙ってその具合を見て吉凶を占うんですよ」
「へえ」
「本当はそれで一晩使うんですけど簡略化してみました。こちらが一晩寝かせた筒粥でございます、って」
アバウトな話である。
「いいの? それ」
「時間短縮です。三分クッキングを参考にしたんですよ」
早苗はおもちゃの兵隊を口ずさんでみせるが、霊夢も魔理沙も首をひねる。
ややショックを受ける早苗。
「通じない……。なんてカルチャーギャップ」
「テレビのない地域だからねえ」
うう、と小さくうめくが、すぐさま握りこぶしを作って復活する。
「でもそのうちエネルギー革命が進めば山でもテレビが見られます」
「どこかの放送局が幻想入りすればね」
「外」から来た早苗と神奈子の会話は幻想郷の人間にはちんぷんかんぷんである。
「まあ、午後の部はそんな派手なこともしないんでしょう?」
「するけど?」
「おい」
「午後は演舞って言ってたろ? 演舞でそう派手になるのか?」
「神奈子さまは軍神ですので、武芸をお見せして奉納するのは当然です」
魔理沙が訊ね、早苗が答える。
「武芸奉納?」
「幻想郷の武芸と言えば、ひとつしかないだろう?」
いたずらっぽく笑う神奈子。
霊夢の顔が青ざめる。「武」を追放した幻想郷において、武の代わりにあるただひとつのルール。
それは霊夢にはなじみの深いものだ。
「ちょっと待て。博麗神社の上空<うえ>でやる気か」
「うん」
「人もいっぱいいるのよ?」
「人がいっぱい居るからね。弾幕ごっこをやるって言えばみんな見たがるんじゃない。あなたが反対してもね」
「ぐ……」
霊夢は言葉を詰まらせた。
幻想郷の住人が何の味方をするかと言えば、何はともあれ面白そうな側の味方につくというのはよく理解している。
「それにダメでしたら、博麗神社の上で弾幕ごっこをしてもいいかどうか。弾幕ごっこで決めるという手も」
「そりゃいい手だ」
当事者でない魔理沙はにやにや笑っている。
「で、返答は?」
「…………」
霊夢ははぁとため息をついた。
「絶対に人間に当てない事」
「妖怪は?」
「なるべく当てない事」
「はいはい」
「弾幕ごっこするのはいいとして、誰が?」
魔理沙が当然の疑問を口にする。
「弾幕ごっこのエキスパートの霊夢がやってくれると嬉しいんだけど?」
「境内は貸すけど協力はしない、って約束は?」
「まあ、それなら早苗と」
「私、清く正しい射命丸でやらせて頂きますが」
どこから現れたものか。
烏天狗の少女がひょっこり生えて来てパシャリと写真を一枚。
「まあ、私は記者ですので、できれば参加するより横で写真を撮りたいものですが」
「脅しか」
霊夢はジト目でつぶやいた。
『早苗』と『射命丸』にやらせるくらいなら自分でやった方がマシであろう。
「五穀豊穣ライスシャワーなどは見栄えもするし観客も喜ぶと思うんだけど」
「後でそれを誰が掃除するのよ」
自分の境内でやれ。と早苗の言を一蹴する。
「魔理沙、付き合いなさい」
「べつにいいけどさ」
変則試合なら気心の知れた相手のほうがいいだろう。
魔理沙は面倒臭そうに頬を掻きながら、それでも満更でもないようだ。
久々に霊夢と手合わせできるいい機会だと思ったのだろう。
「三枚でいい?」
頷く魔理沙に、神奈子が横から茶々を入れる。
「盛大に十五枚くらいでもいいんだけど?」
「体力が持たないっつーの」
実際にスペルカード十枚で挑んできた洩矢諏訪子などという神様も居るだけに、微妙に冗談になっていない。
「観客も喜びますよ」
「日が暮れるってば」
射命丸の冗談を聞き流しながら、奥座敷に足を向ける。
ご飯も食べなきゃいけないし、何より弾に使うお札がない。
霊夢の背中を眺めながら、早苗と神奈子はふと顔を見合わせた。
***
昼食を済ませてすぐに飛ぶ気にはなれなかったので、開始は八つ時(午後二時)からとした。
その頃合いには上空の風も落ち着いているだろうと神奈子と射命丸は請け負った。
なんとなれば風を吹かせ止める事のできる二人である。信用した。
「さあ守矢神社主催のお祭り! 午後の部の出し物は巫女と魔女の弾幕勝負です!」
博麗神社上空1里。
眼下に群衆がひしめいているのを眺めながら霊夢は浮かんでいた。
飛んでいるというよりも、落ちていないという、重力から切り離された感じの浮かび方。
霊夢の正面一里先で、ゆるやかに旋回を続けている魔理沙とは対極的だ。
「今回は文字通りの神前試合! お二人にとっては慣れたフィールドに慣れないルールといったところでしょうか」
人妖さまざま。多くの群衆が呆けたように空を見上げている。
あの上に弾を落とさないように戦うというのは少々骨だ。
「今回は観客席がありますので、高度制限を設けさせてもらってます。博麗神社の鳥居の高さが最低高度、そこを越えたら失格になります」
いっそ高度制限を突破してわざと失格になるのも、とちらっと考えるが、そんな真似をするよりはまあ普通に神奈子が満足する程度の弾幕ごっこを見せるほうが後々の面倒もないだろう。
「スペルカードは双方三枚宣言、解説は私、射命丸文と」
「レミリア・スカーレットでお送りするわ」
「あやや。レミリアさんいつの間に」
咲夜に差し出されたサングラスをすちゃっと装着し、当然のように射命丸の隣に腰を下ろすレミリア。
「で、始めちゃっていいのかしら?」
霊夢は眼下に向かってつぶやく。
一里の高空から人間の呟きが聞こえるかといえば、まあ天狗なら聞き取れるだろう。
「は~い! 紹介も終わりましたし大丈夫ですよ。あ、早苗さん合図おねがいします」
「アバウトな」
ぼやきながら霊夢は巡航体勢に移る。
魔理沙も旋回からひときわ大きな半円を描き、霊夢に相対する。
高度一里。相対距離一里。対面<ヘッドオン>。
晴れ渡る青空の下、弾幕ごっこは開始された。
開始の合図は早苗の星形弾幕。
五芒星に配された弾が空に打ち上げられ、その中心に客星がかっと輝くと同時に、弾幕の形が崩れ渦を巻いて四方に散る。
弾幕のアートに観客から「おおっ!」と歓声が上がる。
それは命名決闘の本質でもある。
観客の目を楽しませる弾幕。技能<アーツ>を芸術<アート>に昇華させる決闘。
見栄えのする避けやすい弾幕と見栄えのしない効果的な弾幕で、前者が推奨されるこの戦い。
それを戦いと呼ぶのも莫迦ゝゝしく、命名決闘という本来の名前ではなく、誰もが弾幕「ごっこ」と称する。
それでも雪合戦の雪玉の代わりに石を使う程度に、演舞で真剣を用いる程度に怪我や命の危険もないわけではないのだが。
合図と同時に、観衆の視界の左右から二種の扇がぱっと開かれた。
霊夢と魔理沙、ともに拡散型の通常弾幕を放つ。
1里もの上空からでは、下の観衆がちゃんと見て取れるような弾幕を用意するにはこうするしかない。
畢竟、同じ結論に辿り着いた二人の第二手もまた同じだった。
降下。
相手が真下に降下するのを防ぐため、牽制に相手のかなり下に一射。そのうえで坂を滑るように前進とゆるやかな降下。
初手のバラ撒きを二人が突っ切った後、二射は互いの下をかすめていく。
霊夢は再び札を扇状に投擲。相対からホーミングアミュレットによる追尾弾を放つのは効果的だが、まだ勝ちを獲りに行く段階ではない。
魔理沙は星型の弾をその場に配するように放つ。
これも魔女が星を散らして空を飛ぶ、という見栄えの優先である。
相対からの前進で互いの距離が一気に縮まる。魔理沙はくるりと上下反転し、札を避けてみせた。
体を前傾に倒して飛ぶ霊夢に対し、ホウキにまたがった状態の魔理沙は、ホウキという軸がある分だけロール機動を得意とする。
逆さまになったまま魔理沙が霊夢の真下を通過し、互いの距離が一気に開いていく。
霊夢は反転する前に、魔理沙の置きみやげである星形弾を避けなければならない。
魔理沙の置いた星がぱんと弾け、無数の小さな星になって霊夢の進路を塞ぐ。
霊夢は魔理沙のように避けるというわけにはいかないため、飛行の軸線をずらして無難に弾幕を避けてみせた。
魔理沙は上下反転したまま「上昇」。半円を描く。
霊夢も遅れて反転と降下を開始するが、この時点で魔理沙より半身遅れている。魔理沙の方がやや下をとった体勢だ。
「これは素晴らしい。最初から熱い弾幕の応酬ですね」
この百倍。空を埋め尽くすほどの弾幕を張れる射命丸が、さも関心したように実況してみせる。
「今はちょっとだけ魔理沙が優勢かしら」
「射数、回避数ともほぼ同じ。魔理沙さんの方がやや位置は下ですね。普通は上をとったほうが有利だと思いますけど?」
「普通はね」
レミリアは軽く腕を組んだ。
「相手の上をとって扇状に撃ち下ろすのが見栄えもするし効果的。だから弾幕としては好まれる。私やあなたもね」
見下ろす事と見上げること。どちらが戦いやすいかは言うまでもない。
「でも今回は下に観客がびっしり居るから。撃ち下ろしがバラ撒けないのよね」
魔理沙の星型弾も神社の境内に落ちる前に蒸発したように消えていく。
霊夢の札も勢いを失うとただの紙となって飛んでいく。
「下に向かって撃つ場合には必要なコントロールが、上に向かって撃つ場合には必要ない」
「つまり、下から上に撃ち上げる方が今回は有利だという事ですね」
まさしく眼下にバラ撒くタイプの射命丸と、放射型の早苗を霊夢が拒否した理由もここにある。
レミリア、神奈子も霊夢と戦った時には上方優位を取って弾雨を降らせることを選択した。
基本的に弾幕ごっこは上方優位を前提とするものなのである。
そこに来ると霊夢と魔理沙は都合が異なる。
異変を起こす妖怪側が上方優位を前提とする以上、異変を解決する人間側はそれに対応せねばならない。
だからこそ下方優位戦闘にも対応できる。
結局この変則勝負、霊夢と魔理沙でやるしかなかったのである。
「特に魔理沙の壱符は「マスタースパーク」。これを観客に向けてぶっ放すことはできないからね。下を取って撃ち上げるしかない」
片や霊夢はそれを読んでいる。
だから魔理沙に合わせて高度を落としている。最低でも魔理沙はマスタースパークを平射以下では使わない。
同高度を維持すれば直撃率は大きく下がる。
魔理沙はマスタースパークを壱符に。決め手はファイナルスパークを使うだろう。
そして霊夢は決め札に夢想封印を用意しているのは当然、防禦用スペルカードである二重結界を伏せているはずだ。
魔理沙はマスタースパークによって霊夢の二重結界を相殺させ、防禦を砕いた上でファイナルスパークでの一撃撃墜を狙っているだろう。
霊夢はマスタースパークを避け、ファイナルスパークまで相殺用の二重結界を温存できれば、スペルカードの枚数による勝率は大きくなる。
「しばらく優勢は魔理沙ね。外さなければ」
「なるほど」
スペルカードを発動させる優先権が今は魔理沙にあり、その壱符を外さなければ魔理沙優位のままだという事だろう。
魔理沙が下位を取っているため、霊夢は扇状の放出弾幕から精密射に切り替えている。
精密射は狙いが正確であるが故、わずかな加減速で避けられる。
避けることも予測して狙うのもいいが、それはそれで魔理沙が避けなければ当たらない。
対して魔理沙は上方に心おきなく撃てるため、星弾をグロス単位に放出。霊夢は回避機動を取らざるを得ない。
「……っ!」
ここに来て霊夢は降下を断念する。
下をとる勝負においては魔理沙を追い越せない。下方優位に拘泥すれば負ける。
ならば下は譲り渡せばいい。
霊夢は上体を起こして急減速。高度を維持したまま横避けに魔理沙の弾幕をいなす。
そして霊夢は懐から抜いた札を投擲する。
これまでとは違う札。
魔理沙はそれを見て取ると反転した。霊夢に相対する。
これまでの札とは明らかに軌道が違う。札の殺意が魔理沙を捉えている。
ホーミングアミュレット。
霊夢を弾幕ごっこの強者たらしめる一要素。
避けようといなそうと構わず標的を追い続ける紙の猟犬。
魔理沙は短い詠唱。
虚空を切るように剣指を振り抜く。
イリュージョンレーザーが空間を薙ぐ。
レーザーは先頭の札弾数発を切り落とし、魔理沙はそのまま反転。直下によりスピードを稼ぐ。
落とされなかった札は魔理沙の軌道にぴたりと追従する。全力で降下しても札弾の方がまだ早い。
ホーミングアミュレットはさながら相手の尾に食らいつこうとする犬のよう。
魔理沙が全力で降下しているというのに、じりじりと。
歩くような早さで間を詰めていく。
「っ!」
背後から札が肩に当たりそうになった瞬間、箒を軸にぐるりとロール機動。
歯を食いしばりながら直角への方向転換。
オーバーシュートした札弾が飛び去っていく。
「避けきりました! さすが魔理沙さん!」
「いいえ、まだよ」
魔理沙が回避したホーミングアミュレットは減速することなく、大きな弧を描いて再び追尾姿勢に入っている。
更に霊夢は第二、第三波のホーミングアミュレットを投擲する。
一発でも避けにくい弾だからといって、一発とは限らない。
「さすが霊夢さん。鬼畜ですねぇ」
「苦い思い出ね」
遠い目をする射命丸としみじみ呟くレミリア。
どちらもあれに追いかけられた事のある身である。
「へっ!」
魔理沙はそれに臆した様子もなくイリュージョンレーザーで薙ぎ払う。
正確な狙いは追尾弾の半分ほどを切り捨てる。
だが逆に言えば半数は魔理沙を襲うということ。
位置エネルギーを速度に変えての高速回避。
もはや観客が目視で魔理沙の表情、一挙手一投足まで見て取れる高度しかない。
そのまま魔理沙が突っ込んでくるような錯覚に観客たちが身をすくめる。
背中から当たる寸前、ホウキからぶら下がるようにして回避。鉄棒のようにひねり上がって再度ホウキにまたがり、ピッチアップで急減速。
もはや高度の下限が近い。ほんの少し勢いが大きければ即座に突破して失格になるほど。
魔理沙に回避されたホーミングアミュレットが大きく弧を描いて切り返す前に、ホウキから飛び降りる。
その両足がとらえたのは赤い構造体。
「高さはここまで。……で、良かったよな」
「おお! まさしく最低高度! 魔理沙さん、下限に立っています!」
鳥居の笠木のうえに両の足ですっくと立ち、魔理沙は腕を空に突き出した。
上空の霊夢と、押し寄せるホーミングアミュレットに不敵に笑う。
天高く八卦炉を掲げ、叫ぶ。
恋符「マスタースパーク」
見守る八坂神奈子が、いい肴だとばかりに酒杯を呷った。
観客席の視界が白に。空を裂く一条の光刃に覆い尽くされる。
空間に生まれた断層に大気が流れ込み、あまりの熱量に沸騰するバチバチという音が響く。
ホーミングアミュレットが蒸発する。
射線の先の雲が円形に削り取られる。
文句のない高威力。
完全に制御された線であり点である破壊は芸術的でさえある。
しかしそれだけ。
「ちっ」
魔理沙は舌打ちする。
狙い尽くしたタイミングも、申し分のない破壊力もあった。
だから何だという。
当たらなければ意味がない。
上空の霊夢は紙一重でマスタースパークを避けていた。
マスタースパークはその高威力の反面、発動すれば約四秒間、回避機動が取れなくなる諸刃の剣でもある。
マスタースパークを使う以上、魔理沙は自分を狙うホーミングアミュレットをまずそれで落とさなければならない。
霊夢はあえて追尾弾の密度の濃い場を作り、魔理沙の狙いを誘導した。
霊夢は射線に入っていたとはいえ、魔理沙の狙いはホーミングアミュレットだった。回避されるのもむべなるかな。
この時点で優勢は霊夢に移る。魔理沙は残り二枚、霊夢は三枚。その優位は大きい。
「これぞ弾幕勝負。やはりこれはスペル戦ですからね、魔理沙さん、苦しい展開になるか」
「壱符を避けられたのだから、魔理沙も壱符を避けてトントンね」
「となると注目は霊夢さんのスペルですね」
解説がのんびりやっている間に魔理沙は上昇して高度をとり直そうとする。
下方優位といえど最低高度でうろうろしているのは下策極まりない。
先ほど急降下で追尾弾を避ける速度を得たように、ある程度の高度も必要なのである。
だが上昇する相手を上から迎えるこの状況、霊夢は一時的に高空優位を獲得する。
「当然、見逃すわけがない」
レミリアはにやりと口元を釣り上げる。
上昇してくる魔理沙を迎え撃つように、霊夢がスペルカードを抜き放つ。
「壱符――弾幕結界!」
弾幕結界。
収斂と放散。弾幕により生み出される極上の彩。
その組み合わさった線は複雑な方陣にも見え、そして一時として同じ形に留まることはない。
地上から見上げる者にはそれは、空そのものが巨大な万華鏡となっているかの錯覚を与える。
魔理沙はその万華鏡に真っ直ぐ飛び込んだ。
端から見れば美しいだけの弾幕を避ける者の認識はどうか。
おそらく花火の炸裂に飛び込んでいく方が幾分マシであろう。
「後ろにも目が付いてないとキツイわよね」
「弾幕一つ一つは線なんですけどね」
そう、連なった弾は文字通りの火線。それがおよそ八本、高空でうねっている。
まるで八匹の蛇が絡み合う姿を連想させる。
「飽きさせない弾幕ね」
弾幕を鑑賞する神奈子が短評を下す。
「神奈子さまの象徴が蛇ですから、サービスのつもりでしょうか」
「あの巫女がそこまで考えるかしら」
下は言いたい放題である。
避ける魔理沙にはそこまでの余裕はない。
魔理沙は弾幕の『線』のひとつに執着する。
この弾幕結界は、複数の『線』の交差によって相手を包み込む弾幕だ。
だから線のひとつにぴったりと追従していけば、避けるのはその線に交差する別の『線』一本ずつに絞られる。
「付き合いが長いから避けられてるって感じね」
とはいえこの弾幕。たとえ避けきったとしても消耗激しいだろう。
そして霊夢にとってこれはまだ壱符。魔理沙の集中力を削るだけでもその後の展開を有利にするものだ。
「位置が逆転しましたね」
射命丸が言う。それが何の事なのか理解した観衆は少ない。
ひとつの火線に執着する以上、魔理沙の移動方向は一方に制限される。
つまり霊夢は魔理沙の機動を一時的に制御できる状態にあり、それを利用して追いやったのだ。
『上』に。
「ここで時間切れです。弾幕結界が閉じます」
スペルルールにおける制限のひとつ、時限。
強力で放射的な弾幕は、体力の続く限り撃ち続けていればいつかは勝てる、という類のものである。
だからあくまで公正な『決闘』である弾幕ごっこにおいては、そのような弾幕は時限を切ることを推奨される。
「流石に霊夢さん、時限式スペルの使い方が上手いですね」
「効果時間ぎりぎりで下方優位を取っていったわね」
そう、魔理沙を上に追いやった霊夢は、スペルが切れると同時に降下。魔理沙の下を取った。
下方優位が原則となるこの戦い、今度は下を取った霊夢が、ここぞとばかりに放射弾幕で追い打ちを掛ける。
魔理沙は弾幕結界の疲労もそのままに放射弾幕を避けるしかなくなる。
撃ち返しの星弾も観客席に到達する前に減衰させなければならないために勢いはない。
更にイリュージョンレーザーは使用を自粛する。
魔理沙のスペルは放射系ばかりで、上から下に撃ち下ろして観客を巻き込まないようなスペルはほとんどない。
そして魔理沙は観客の頭に弾幕を叩き落とすくらいなら、潔く負けるだろう。
最後の一線において霧雨魔理沙はどうしようもないくらいの常識人であり、霊夢もそれを信用している。でなければこんな変則の勝負の相手に指名するわけもない。
下を取らなければ劣勢のままだが、魔理沙が下を取り返すのは難しい。
霊夢には魔理沙にないホーミングアミュレットがある。降下する魔理沙を、下から迎え撃つように追尾弾で狙えば、的中率は跳ね上がる。
下方優位を取られれば取り返すのが至難である時点で、魔理沙は下を手放すべきではなかった。
「魔理沙の劣勢は決まったかな」
神奈子の言葉には挑発するような響きがあった。
「そいつはどうかな?」
魔理沙は急上昇。下方優位の場にあって急上昇を選択した。
陽光をバックに、すらりとカードを抜き放つ。
「……!? 二枚目!」
下方に居る霊夢。それをどう狙っても射線の先には観客が入る。
ならば魔理沙は観客を巻き込む道を選んだのか? それは違う。
上を取っていても使える魔理沙唯一のスペルカード。それは増幅系。己の肉体を強化することに特化したスペルカード。
彗星「ブレイジングスター」
太陽が膨れあがり、手前にもっと大きな太陽が出現する。それは観衆から見ればマスタースパークと大差のない閃光だった。
ただ違うのはそれが誘導する実体弾であり、魔理沙そのものであるという事だけ。
高速飛行状態の射命丸にも匹敵するか、という速度があればただの体当たりといえどスペルとなる。
霊夢の速度域ではどう機動しようと回避は不可能。
夢符「二重結界」
霊夢はとっさに二重結界を張る。
防禦をファイナルスパークまで温存、などとやっていてはこれで撃墜される。
重厚な六角柱の盾が周囲に展開され、霊夢はそれにありったけの霊力を込める。
弾幕ごっこに慣れていない者は見学したことを後悔した。慣れている者は後悔する前に耳を塞いでいた。
耳元で鐘楼を打ち鳴らされたような衝撃。空気が砕ける音。『空間』が砕ける音。
最高速のブレイジングスターの威力はマスタースパークをも凌駕する。
二重結界の一重を貫通した。
二重結界は、ただ結界が二枚あるというものではない。
ひとつの結界をもうひとつの結界が守護し、もうひとつの結界がもうひとつの結界を守護する。
連装された結界は二重であり、二乗である。
そのうちの一層の破壊。
つまり二重結界は一重になり、一乗となる。それはただの結界でしかない。
ブレイジングスターが貫通しうるものだ。
彗星は完全に突き抜け。観客の頭上をかすめて収束していく。
文字通り彗星に轢かれた霊夢は木の葉のように落ちていく。
一秒、二秒、三秒、霊夢に浮力が戻り、くるりと体勢を立て直す。
直撃のダメージでふらふらしているが、まだ飛べる。
「霊夢さん、被弾! 被弾です! しかしまだ撃墜ではありません!」
弾幕勝負において被弾は大きな失点だ。
このまま双方に有効打がなければ敗北、それ以上にダメージが次の弾幕を避け辛くする。
霊夢はあせったようにホーミングの乱射。
せめて一でも被弾を取り、失点を巻き返すつもりなのだろう。
「悪手ね」
「ですね」
ふらふらの追尾弾など何発撃っても当たるものか。
ブレイジングスターの速力がまだ残っている魔理沙は、追いすがるホーミングアミュレットを上昇しながらでもいなせる。
追従する四枚をバレルロールで避け、更に来る三枚を直角上昇でふるい落とす。
執拗に魔理沙を追う札、まだ六枚。
魔理沙はホウキから手を離し、大きく両手を広げた。
全身で風を受け止める。エアブレーキによる急減速。
魔理沙の進路上で交差するはずだったホーミングアミュレットは、魔理沙の目の前で交差した。
収束点にはレーザー。
レーザーを交差した六枚の札は、十二枚の紙切れとなって両断された。
「どうだ!」
勝ち誇る魔理沙。
霊夢は必死。片や魔理沙は余裕。今回は勝てると踏んだ。
その時点で勝負は決まっていた。
「油断したわね」
「へ?」
「符ノ終――」
霊夢が最後のスペルカードを発動させる。
「このタイミングで撃ちますか」
「狙ってたわね、霊夢」
ホーミングアミュレットによる追い込み。
魔理沙はそれを避けるために速力を使いきった。
エアブレーキで限界まで失速した今の魔理沙は、上空においてはほぼ静止している程度の速度しかない。
そのタイミングでのスペル。
それは凡庸な一撃であっても、確実な全弾命中というアドバンテージを持っている。
ハンマーが最も威力を出すのは、金梃子で押さえた時なのだから。
霊符「夢想封印」
八連の陰陽玉が魔理沙に収束する。
「くっ…! 魔砲ファイナルスパー……」
魔理沙はクまで言わせて貰えなかった。
***
夜は妖怪の時間。
夕暮れごろには人間たちはゆるやかに帰途についていった。
しばらくは残った妖怪たちが騒いでいたが、それも人気が少なくなったのを察してかぽつりぽつりと姿を隠していき、やがて居なくなった。
石畳の左右にびっしりとあった屋台も撤収し、片づけの遅い二、三がまだ留まっているのみである。
日はすでに沈み、空にわずかに残る赤い残滓に照らされて、八坂神奈子はそこに佇んでいた。
背中の注連飾りも今は外している。
隣に立った霊夢を見て、神奈子は「やあ」と言った。
「魔理沙は?」
「まだ奥座敷で寝てるわ。早苗がついてるから心配ないでしょ」
「派手にやったものね」
「やらせたのは誰よ」
神奈子は悪びれた風でもなく。
「祭りは派手な方がいいからね。ハレとケの落差は大きい方がいい」
季節の区切りにある非日常。それが祭りでありハレである。
日常、ケを引き立てるために非日常、ハレがある。
「今日は助かったわ。やっぱり人間から信仰を得るには一緒にお祭りするに限るからね」
話を纏めにかかっている神奈子に、霊夢は朝方からの疑問をぶつける。
「でもこの祭り、妖怪向けだったんでしょ」
「あら、気付いてた」
「そりゃ気付くわよ。弾幕ごっこまでやらされればね」
妖怪にも招待を配ったこと、実際に祭りに来たのは妖怪が多かった事も勿論ある。
だがそれ以上に祭りの「作り」そのものが人間向けではなかった。
半永久的に「日常」が続く幻想郷にとって、非日常すなわちハレとは異変に他ならない。
だから弾幕ごっこと宴会、という異変の要素を祭りに盛り込んだ。
あの祭りは異変を模したものであり、その対象は妖怪でしかありえない。
外の世界でやっていた神奈子の祭りはきっと人間向けで、構成も今日の祭りとは似て非なるものだっただろう。
「私が幻想郷に来て、信仰を集めてから山も変わったからね。……そうなるとパワーバランスって話になる」
「山の妖怪の力が強くなりすぎるって事?」
「そこで里の妖怪からもちゃんと信仰を集めないと、バランスが悪くなる」
それで手始めに今日のお祭りってこと、と神奈子。
「里の妖怪向けにお祭りやるから神社貸してって言ってもダメだろうしねえ」
「そりゃそうよ」
そんな事だろうと思った、と霊夢。
むしろ危惧していたよりはまっとうな理由でほっとしたくらいだ。
「とは言っても、あいつらが簡単に信仰するとは思えないんだけど」
アリスやチルノ、レミリアを思い浮かべながら言う。
まんまと祭りを開いて、祭りに来させたとしても、最終的にそれが信仰に結びつかなければ意味がない。
それを聞くと、神奈子は呵々と笑った。
「そんなのは焦ることじゃないのよ。今はこっちが提供した『ハレ』を楽しんでくれるだけでいいんだから」
まずは山の妖怪と杯を交わすことから始めたように。
神がそこに「在<い>る」事を認めさせる。
「信仰ってのは『させる』ものでも『する』ものでもない。『根付く』ものだからね」
さながら種まきのつもりだったのだろう。
信仰が芽吹き、収穫に十年掛かろうとも。
「祭りが楽しかったなら、こっちが何をしなくても次がある。十年も続けば、それは立派に地域のお祭りよ」
実際にそれを成し遂げてきた神の言葉の重みを感じながら、霊夢は一蹴する。
「アホか」
異変はお祭りのようなもので。お祭りのようなものだから毎年やろう。とは。
冗談にしても質が悪すぎる。
「そうかね」
「そうよ」
山の神はからから笑いながら神社に足を向ける。
その背中を薄く睨む霊夢を気にした風もなく。
霊夢はまったく、と嘆息し境内を眺めた。
並んだ屋台も、あれだけ居た人の姿もない。
元々がそうだったというのに何故か『足りなくなった』と錯覚させられる。
霊夢はふと思う。
この祭りがハレを提供しようとしたのは、妖怪達ではなく、むしろ自分なのではないか、と。
あまりに突拍子もない考えだったので、霊夢は頭を振ってそれを振り払う。
「さて、お開きに少し呑もうじゃないか。真澄を用意してある」
「いいわね」
深く考えても深く考えなくてもせんない事だ。
霊夢は小走りに追いかけて神奈子の隣に並んだ。
「朝まででもいいわね。つまみは早苗に買いに行かせればいい」
「そのうち魔理沙が起きたら行かせるわよ。今日は勝ったの私なんだから」
最後まで残っていた二人が立ち去り、境内には誰もいなくなった。
ぽつりと佇む鳥居だけが、昇り始めた月を眺めている。
祭りの後とはそういうものである。
<了>
位置エネルギーと運動エネルギーの巧みな変遷は見ていて気持ち良い
面白かったです
幻想郷ならではの神事ですね。
祭りに行っている気分になれました
会話、地の文共に素敵でした。
幻想郷流の演舞、観客の一人として堪能させていただきました。
観客を巻き込まないように注意したりと、頭の中で二人が動き回っておりました。
戦闘以外でも、台詞にキャラのらしさが出ているし。いいお話でした。
霊夢はまんまとハメられた気もしますが、なんやかんや楽しんだでしょうww
屋台と祭りの話は良いもんだ。だって読後のホッとした感じが最高でしょう?v
これが芥川龍之介の河童で、河童の言葉だと分かる猛者が何人いるか。
・・・それこそ妖怪の山を登ってこれる創想話読者並みだな。
祭りのシーンも良い味出してますね。特に弾幕ネタ。うまく解釈を諄くならないように入れる。貴様、一端の物書きだな。絶対に。