とある日。
場所は博麗神社にて。
定期的に行われているお泊まり会の、夜のこと。
食べて飲んで喋って騒いで入って流して――「ふぁぅ、んじゃ、お休んげくっ」
寝室へと歩き出した霧雨魔理沙は、首根っこを掴まれて仰け反った。
「っにすんだよ、アリス!?」
「アリスさんじゃないです」
「じゃあパチュリー?」
魔女、加えて人形遣いも、魔理沙に対して丁寧語で接する訳がない。
「お二方は魔理沙さんのお母さんですか。……まぁ、頼まれたのも事実ですが」
魔理沙を掴んでいるのは、緑を下地にしてデフォルメされた蛇と蛙のプリントをつけているパジャマを着た少女。
有体に言うと、同じくお泊まり会に参加している東風谷早苗だった。
風呂上がりだからか、髪が黒色に近い。
因みに、魔理沙のパジャマには大小様々な大きさの星が散りばめられている。
言い返そうと首を二三度捻り、体を回転させた魔理沙。
だったが、先に口を開かれる。
早苗ではない。
「お姉さんっぽくはあるよね。あ、でも、パチュリーさんには妹オーラを感じる」
「感じないでください。そも、彼女はうどんげさんより年上です。……多分」
「妖夢は妹だよね。異論は認めない。早苗さんはお姉さんかなぁ」
自身の顎に人差し指をあて、割と真剣に考え出しているのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。
みょん!? と二の句を封じられたのは、魂魄妖夢。
無論、彼女たちもこのたびの参加者である。
早苗に苦言を呈するタイミングを逃した魔理沙は、代わりとばかりに鈴仙と妖夢に話を振った。
「お姉さんだろ。……じゃなくて、うどんげはともかく、妖夢、なんで着替えてないんだ?」
言の通り、妖夢は普段着だ。
一方の鈴仙はパジャマに着替えている。
可愛らしい人参模様のプリント。
主の手作りらしい。
「なんで、とは心外だな。私は剣士だからね。服装を変えたばかりに後れをとるなんて洒落にもならないじゃないか」
「キリっ――としてるけど、妖夢、単にパジャマを忘れちゃったんだよね」
「私にもう一着余裕があるので、お貸しすると言っていたんですが」
二泊するつもりだったのか。
それともマイパジャマを置いているのか。
或いは、何らかの事情で一晩のうちに着替えるつもりだったのか。
浮かんだ疑問を飲みこんで、魔理沙は、固まっている妖夢に近づき、囁いた。
「だぶ、か?」
「だぶだぶ……だ」
「妖夢! 心の友よっ!」
心とは心臓であり、つまり、おっぱいである。
同じように魔理沙の名を叫び抱きつく妖夢。
フタリの抱擁に、隙間はなかったという。
早苗は微笑み、鈴仙は羨ましそうに見ていた。
「いいなぁ……」
「では、うどんげさん」
「早苗さぁーっん!」
魔理沙たちと同様、抱擁をかわす早苗と鈴仙。あ、隙間がある。
閑話休題。
「――あんたら、なにしてんのよ」
きゃっきゃうふふと戯れる少女たちに半眼を向けるのは、最後の、或いは最初の参加者。
どうということもなく、場所を提供している少女、博麗霊夢である。
元々黒色の髪は、射干玉と表現できる艶を伴っていた。
呼びかけに、視線を向けた少女たちは、口を揃えて言う。
「甚平!?」
それはもう、ぴったり同じタイミングだった。
「な、なによ。見たことなかったっけ? 楽なのよこれ」
袖口を手で押さえ、くるんと一回転する霊夢。
動作は珍しく可愛らしいものであった。
でも、甚平。
「あ、腰に付けてもらっているリボンがワンポイントね? ね?」
確かに二つ、紅と白のリボンが付いている。
飾り気のない霊夢にしては珍しい。
だが、甚平。
「と、ともかく! 何の話をしていたのよ」
語勢を強める霊夢に、少女たちは様々な表情を浮かべ、各々言い募った。
「悪いこと言わんから、今度、アリスにでも頼んでみろ。な」
「私でも数年前に卒業したというのに、未だ現役とは……」
「皆がきている服に……ワンピースに見えなくも……」
「ぜひ転んで見せてほしいです」
好き放題だ。
「と・も・か・く!」
右袖に札を、左袖からは針を。
背には妖怪バスターを負い。
陰陽球を突き出した。
「パチュリー経由で咲夜もいいかもしれん。あ、経由せんでいいか」
「どう足掻いても童に見えるんだものなぁ……」
「――うん、やっぱり無理。甚平は甚平だ」
「たくしあげも素敵ですね」
けれど、どこ吹く風の少女たちであったとさ。
「うがぁっ! あんたら全員、夢想て」
「魔理沙さんが歯磨きをされていないんですよ」
――と言う訳で、本筋に入ろう。
「だって、眠いぜ」
「いけません」
「くちゅくちゅぺーはしたぞ?」
「足りません」
「むぐぐ、意地悪な奴め」
冷静に首を横に振る早苗を、魔理沙は頬を膨らませ、睨んだ。
しかし、人差し指でつつかれ、続けられる。
指がピンと立てられていた。
「何をおっしゃいますか。
確かに嗽をすれば口臭程度は消せるでしょう。
ですが、歯磨きの目的はそれですか? 違うでしょう?」
ずぃと迫られ、魔理沙は怯む。
早苗の言うことはもっともだと思っている。
そう、歯磨きの目的は、‘奴‘を消すこと――
「それとも」
否、存在する前にその可能性を潰すことにある。
「魔理沙さんは、虫歯ができてもいいんですか?」
つまりは、そう言うことだった。
「早苗! ‘奴‘の名を出すな! いつ出てくるかわからないんだぞ!?」
「は……っ、わ、私としたことが、申し訳ありません……!」
「解ってくれるなら、いい。以後、気をつけてくれ」
口元を押さえる早苗に、魔理沙は静かに頷いた。
互いの頬には滴が伝っている。
冷や汗だ。
「いや、あんたら、大袈裟すぎ」
至って真面目な二人に、霊夢が突っ込んだ。
「なんだ霊夢、もう凹むのはいいのか」
「可愛らしかったですよ」
「喧しい」
半眼の霊夢に、けれど二人は怯まない。
「大袈裟って言いますけど、本当に厄介なんですよ?」
「食べるのはおろか、飲むのすら辛くなるんだぜ」
「霊夢さんだって覚えがあるでしょう?」
魔理沙と早苗は症状を思い出し、顰め面を浮かべる。
対する霊夢が、若干気まずそうに応えた。
「えっと。ない」
「……霊夢はほら、風邪も引かないしな」
「人を馬鹿みたいに言うな!?」
「あ、引いているの見た事あります」
「私だって一度や二度くらい!」
「あー……そう言えば、お薬出したね」
「うどんげもっと言ってあげて!」
「それはさも、優曇華院の花のよう」
「落ちをつけるな妖夢ーっ!」
件の花は三千年に一度咲くらしい。そんな割合。
「うがー! って、そう言うあんたらはどうなのよ!?」
急に矛先を向けられた鈴仙と妖夢が、先ほどの霊夢と同じように、応える。
「ないよ。だって、てゐが煩いんだもん」
「私もない。気をつけているからね」
「見ってほら見って!?」
フタリの手をしっかと握り、霊夢は魔理沙と早苗にふんぞり返った。
「一度かかると厄介なのよ。人間と違って治療も時間がかかるし」
「私の場合、そも死んでも生きてもいないからなぁ」
「ちょ、ずるい!?」
何がずるいと言うのか。咄嗟に出た一言で、意味は特にない。
「……うん、まぁ。お前は、そう言う星の下に生まれたんだな」
「きっと何時か、おたふく風邪や麻疹にかかれますよ」
「憐れむなー!?」
そんな内容じゃないのにね。
私だって私だって、とうわ言のように繰り返す霊夢。
そんな巫女を撫でつつ、風祝がこほんと空咳一つ。
また本題から逸れていた。
逃げようとする魔理沙の襟首を再度、早苗が掴む。
「――と言うか、解っているのでしたら、きちんとしてください」
正論だ。
「あぁ、解ってはいる」
だが、魔理沙は怯まない。
不敵な笑みさえ浮かべ、返す。
彼女には切り札があったのだ。
「だけどな、早苗。
‘奴‘に怯える必要は、もうないんだ。
私には、いや、私たちには、あいつがいる――」
魔理沙の瞳に一切の嘘りはなく、確かな希望が宿っていた。
「病のスペシャリスト、スーパードクター‘Y‘、その名は!」
「八意永琳! っきゃー、師匠格好いい! 素敵!」
「や、永琳さんだと‘E‘になるのでは」
鈴仙が沈み、妖夢が慰め、魔理沙は吠える。
「‘暗い洞窟の明るい網‘――黒谷ヤマメ!!」
魔理沙の頭に浮かんだヤマメの顔は、当者比150パーセント程美化されていたという。
言葉の通り、ヤマメは‘病気を操る程度の能力‘を持っている。
主に感染症を扱うが、なに虫歯と言えど病の一つ。
彼女の手にかかればどうということはない。
そう、魔理沙は思っていた。
「なるほど。それは素敵ですね」
頷く早苗に浮かんだ土蜘蛛は、同じく輝きを放っている。
じゃあと背を向けようとする魔理沙。
だが、早苗の手は未だ外れていなかった。
むしろ、震えによるものか、より強く握られている。
怪訝な顔をする魔理沙に、毅然と早苗が続けた。
「ですが、魔理沙さん。
貴女は忘れていらっしゃる。
‘奴‘は――穿っていくのですよ」
元より大きな魔理沙の瞳が、更に大きくなる。
穿つ。
正確には適した言葉ではない。
虫歯は別名、う歯と呼ばれ、正常な歯がう蝕された状態のことを言う。
であるのだから、蝕まれると表現した方がより適っているだろう。
しかし、あえて早苗は穿つと言った。
何故か。簡単だ。彼女自身がそう感じていたし、何より、イメージがわきやすいからだった。
つまり、ヤマメに処置を頼んだとしても――
「ヤマメさんなら、菌は倒せるでしょう。
しかし、しかし! そこまでなのです……!
結局、虫――‘奴‘は、仕留めきれないのです……っ!」
――歯に、穴は空いたままなのだ。
魔理沙の表情が、見てわかるほどに青ざめていく。
眉根が寄せられ歯が鳴らされる。
えぅぅって感じだ。
心境の変化を我がことのように悟った早苗が、魔理沙から手を離し、そのまま大きく振りかぶる。
「さぁ皆さん、今です!」
畳みかけるつもりだ。
「殴ってへし折る」
「紐で括ってずぼっと抜歯」
「専用のタービンでぎゅるぎゅるぎゅるぅ」
いやだからその段階はヤマメで解決するんだって。
しかし、効果は抜群だった。
いやいやと小さく頭を振る魔理沙。
その様は普段の彼女とは程遠く、さも幼子のよう。
好機を見逃さず、早苗が続ける。
「霊夢さん、それはちょっと流石にどうかと思います。
いつの時代の治療方法ですか妖夢さん。
そして、うどんげさん、違います」
何故、早苗はこうまでして魔理沙を説くのか。
此処にいない友達たちに頼まれたためか。
近頃散見される加虐的な嗜好のためか。
どちらでもない。
そう、どちらでもなかった。
「まず、ちくりとした感覚とともに、口の中に苦い味が広がります。
抜き取られる針から滴るのは、自身の唾液でしょうか。
ともかく、麻酔が打たれました。
……より大きな痛みを感じないようにするためです。
だけれど、口内へと入ってくる機械の異物感は拭えません。
エナメル質を削る独特の耳障りな音を聞きつつ、願います――ただ、ただ速く終わりますように、と」
魔理沙と同じように、早苗の表情も歪んでいる。
「‘キュィィィ……ィィィ‘。
数秒。
或いは数分、それとも数十分。
流れる時間さえあやふやになった頃、気付きます。
‘キュィィィ……ィィィイイイ‘
音がやけに煩い。
より深く進んでいるからでしょうか。
より大きく削っているからでしょうか――否。
‘キュィィィ……ィィィイイイィィン‘
舌に錆びた鉄の味が溢れます。
口が冷たい機械を認識します。
そして、感覚は痛みを捉え始めます。
そう……麻酔が、切れたのです……」
自身と同じような悲劇を繰り返してはいけない――早苗はただ、そう強く思っているだけだった。
「あぁそう言えば神奈子様に似た女医の方は『痛かったら手をあげなさいね』って言ってくれていました!
思いだした私は右手を挙げてぶんぶか振りまわします、助けて神奈子様!?
すかさず手を掴んでくれたのは諏訪子様に似た衛生士さん!
『早苗ちゃんは強い子だから、我慢できるよね?』
そんな!?
ならばと私は身を起こそうと上半身に力を入れます!
けれど、あぁけれど、幼い私の力が無情な大人たちに勝てる訳もなく、諏訪子様の――!」
早苗が手を広げ背信の言葉を叫ぶ、その直前。
魔理沙は抱きついて、止めた。
ぎゅぅっと。
肩を上下させ息の荒い早苗に、言う。
「歯磨き、するぜ」
「魔理沙さん……!」
「いっぱい、するぜ」
童のように繰り返す魔理沙。
早苗の悲惨な過去に感化されたのだろう。
或いは、彼女自身、そういう覚えがあったのかもしれない。
「きっちり十分、できますか?」
「んーん。二十分、するぜ」
「ふふ、偉い偉い」
魔理沙は笑う。
つられて微笑む早苗。
開かれた口からのぞくのは、白く美しい歯。
手を繋ぎ歩く二人の姿は、傍から見れば仲の良い姉妹に映っただろう。
「……二十分もすんの?」
「できれば、だな。基本は十分……ですよね?」
「うん。あと、毎食後に三分間磨くのが理想。難しいけどね」
傍の三名――霊夢の問いに妖夢が応え、鈴仙にしめられた。
首を捻り、霊夢は続ける。
「歯磨きはそれでいいとして。永遠亭でも、外と同じことやってんのね」
「あぁ、タービンの話し? あれ、嘘」
「そんなあっさり!?」
驚く妖夢に微苦笑し、鈴仙は理由を語った。
「嘘……と言うか、師匠や姫様にあぁ説明しなさいって言われているの。
ウチじゃ、ごく初期の治療にはレーザーを使っているかな。
あ、レーザーって言っても弾幕みたいなのじゃないよ?
ミュータンス菌――所謂、虫歯菌をやっつけるだけ。
その後、歯が再生しやすいように薬を塗って、はい終了。
だけど、私も、中度以上の治療方法は知らないのよ。
そも亭の皆はちゃんと磨いているし、できても初期で治しちゃうから。
そういう患者の方は里の人とか妖怪とかなんだけど、閉め出されちゃうの。
――師匠と姫がぱぱっと治して、お説教して、こっちも終わり」
薬師の説教は長いらしい。
基本的な歯磨きの仕方から始まり、う歯の先までも叩きこむ。
たかが虫歯程度……と思っていた患者は、最悪死に至ることを聞き、皆、考えを改めるそうだ。
「え、結局、治るんですか?」
「詰め物かもしれないけど、ぱっと見、本物の歯っぽい」
「治るんじゃないですか。だったら、そんなに怖がらなくても……」
キョトンとする妖夢。
余計なことを口走ったと焦る鈴仙。
対照的な二名の様に、霊夢が小さく付け足した。
「治る治らないじゃなくてさぁ、そも、ならないのが一番いいんじゃないの」
頷く妖夢と鈴仙。
肩を竦める霊夢。
言葉はともかく――仮に薬師がこの場にいれば、同じことを言うだろう。
「――って、皆さんも磨いてないじゃないですか!」
「はひゃひゅひょいよー」
洗面所の方から声がする。
早苗は歯ブラシを握っているのだろう。
魔理沙はきっと、口から泡を飛ばしている。
想像し、顔を見合わせくすくす笑い、少女たちは駆け出した。
無論、のぞく歯は、二人と同じく、白い輝きを放っているのであった――。
<了>
場所は博麗神社にて。
定期的に行われているお泊まり会の、夜のこと。
食べて飲んで喋って騒いで入って流して――「ふぁぅ、んじゃ、お休んげくっ」
寝室へと歩き出した霧雨魔理沙は、首根っこを掴まれて仰け反った。
「っにすんだよ、アリス!?」
「アリスさんじゃないです」
「じゃあパチュリー?」
魔女、加えて人形遣いも、魔理沙に対して丁寧語で接する訳がない。
「お二方は魔理沙さんのお母さんですか。……まぁ、頼まれたのも事実ですが」
魔理沙を掴んでいるのは、緑を下地にしてデフォルメされた蛇と蛙のプリントをつけているパジャマを着た少女。
有体に言うと、同じくお泊まり会に参加している東風谷早苗だった。
風呂上がりだからか、髪が黒色に近い。
因みに、魔理沙のパジャマには大小様々な大きさの星が散りばめられている。
言い返そうと首を二三度捻り、体を回転させた魔理沙。
だったが、先に口を開かれる。
早苗ではない。
「お姉さんっぽくはあるよね。あ、でも、パチュリーさんには妹オーラを感じる」
「感じないでください。そも、彼女はうどんげさんより年上です。……多分」
「妖夢は妹だよね。異論は認めない。早苗さんはお姉さんかなぁ」
自身の顎に人差し指をあて、割と真剣に考え出しているのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。
みょん!? と二の句を封じられたのは、魂魄妖夢。
無論、彼女たちもこのたびの参加者である。
早苗に苦言を呈するタイミングを逃した魔理沙は、代わりとばかりに鈴仙と妖夢に話を振った。
「お姉さんだろ。……じゃなくて、うどんげはともかく、妖夢、なんで着替えてないんだ?」
言の通り、妖夢は普段着だ。
一方の鈴仙はパジャマに着替えている。
可愛らしい人参模様のプリント。
主の手作りらしい。
「なんで、とは心外だな。私は剣士だからね。服装を変えたばかりに後れをとるなんて洒落にもならないじゃないか」
「キリっ――としてるけど、妖夢、単にパジャマを忘れちゃったんだよね」
「私にもう一着余裕があるので、お貸しすると言っていたんですが」
二泊するつもりだったのか。
それともマイパジャマを置いているのか。
或いは、何らかの事情で一晩のうちに着替えるつもりだったのか。
浮かんだ疑問を飲みこんで、魔理沙は、固まっている妖夢に近づき、囁いた。
「だぶ、か?」
「だぶだぶ……だ」
「妖夢! 心の友よっ!」
心とは心臓であり、つまり、おっぱいである。
同じように魔理沙の名を叫び抱きつく妖夢。
フタリの抱擁に、隙間はなかったという。
早苗は微笑み、鈴仙は羨ましそうに見ていた。
「いいなぁ……」
「では、うどんげさん」
「早苗さぁーっん!」
魔理沙たちと同様、抱擁をかわす早苗と鈴仙。あ、隙間がある。
閑話休題。
「――あんたら、なにしてんのよ」
きゃっきゃうふふと戯れる少女たちに半眼を向けるのは、最後の、或いは最初の参加者。
どうということもなく、場所を提供している少女、博麗霊夢である。
元々黒色の髪は、射干玉と表現できる艶を伴っていた。
呼びかけに、視線を向けた少女たちは、口を揃えて言う。
「甚平!?」
それはもう、ぴったり同じタイミングだった。
「な、なによ。見たことなかったっけ? 楽なのよこれ」
袖口を手で押さえ、くるんと一回転する霊夢。
動作は珍しく可愛らしいものであった。
でも、甚平。
「あ、腰に付けてもらっているリボンがワンポイントね? ね?」
確かに二つ、紅と白のリボンが付いている。
飾り気のない霊夢にしては珍しい。
だが、甚平。
「と、ともかく! 何の話をしていたのよ」
語勢を強める霊夢に、少女たちは様々な表情を浮かべ、各々言い募った。
「悪いこと言わんから、今度、アリスにでも頼んでみろ。な」
「私でも数年前に卒業したというのに、未だ現役とは……」
「皆がきている服に……ワンピースに見えなくも……」
「ぜひ転んで見せてほしいです」
好き放題だ。
「と・も・か・く!」
右袖に札を、左袖からは針を。
背には妖怪バスターを負い。
陰陽球を突き出した。
「パチュリー経由で咲夜もいいかもしれん。あ、経由せんでいいか」
「どう足掻いても童に見えるんだものなぁ……」
「――うん、やっぱり無理。甚平は甚平だ」
「たくしあげも素敵ですね」
けれど、どこ吹く風の少女たちであったとさ。
「うがぁっ! あんたら全員、夢想て」
「魔理沙さんが歯磨きをされていないんですよ」
――と言う訳で、本筋に入ろう。
「だって、眠いぜ」
「いけません」
「くちゅくちゅぺーはしたぞ?」
「足りません」
「むぐぐ、意地悪な奴め」
冷静に首を横に振る早苗を、魔理沙は頬を膨らませ、睨んだ。
しかし、人差し指でつつかれ、続けられる。
指がピンと立てられていた。
「何をおっしゃいますか。
確かに嗽をすれば口臭程度は消せるでしょう。
ですが、歯磨きの目的はそれですか? 違うでしょう?」
ずぃと迫られ、魔理沙は怯む。
早苗の言うことはもっともだと思っている。
そう、歯磨きの目的は、‘奴‘を消すこと――
「それとも」
否、存在する前にその可能性を潰すことにある。
「魔理沙さんは、虫歯ができてもいいんですか?」
つまりは、そう言うことだった。
「早苗! ‘奴‘の名を出すな! いつ出てくるかわからないんだぞ!?」
「は……っ、わ、私としたことが、申し訳ありません……!」
「解ってくれるなら、いい。以後、気をつけてくれ」
口元を押さえる早苗に、魔理沙は静かに頷いた。
互いの頬には滴が伝っている。
冷や汗だ。
「いや、あんたら、大袈裟すぎ」
至って真面目な二人に、霊夢が突っ込んだ。
「なんだ霊夢、もう凹むのはいいのか」
「可愛らしかったですよ」
「喧しい」
半眼の霊夢に、けれど二人は怯まない。
「大袈裟って言いますけど、本当に厄介なんですよ?」
「食べるのはおろか、飲むのすら辛くなるんだぜ」
「霊夢さんだって覚えがあるでしょう?」
魔理沙と早苗は症状を思い出し、顰め面を浮かべる。
対する霊夢が、若干気まずそうに応えた。
「えっと。ない」
「……霊夢はほら、風邪も引かないしな」
「人を馬鹿みたいに言うな!?」
「あ、引いているの見た事あります」
「私だって一度や二度くらい!」
「あー……そう言えば、お薬出したね」
「うどんげもっと言ってあげて!」
「それはさも、優曇華院の花のよう」
「落ちをつけるな妖夢ーっ!」
件の花は三千年に一度咲くらしい。そんな割合。
「うがー! って、そう言うあんたらはどうなのよ!?」
急に矛先を向けられた鈴仙と妖夢が、先ほどの霊夢と同じように、応える。
「ないよ。だって、てゐが煩いんだもん」
「私もない。気をつけているからね」
「見ってほら見って!?」
フタリの手をしっかと握り、霊夢は魔理沙と早苗にふんぞり返った。
「一度かかると厄介なのよ。人間と違って治療も時間がかかるし」
「私の場合、そも死んでも生きてもいないからなぁ」
「ちょ、ずるい!?」
何がずるいと言うのか。咄嗟に出た一言で、意味は特にない。
「……うん、まぁ。お前は、そう言う星の下に生まれたんだな」
「きっと何時か、おたふく風邪や麻疹にかかれますよ」
「憐れむなー!?」
そんな内容じゃないのにね。
私だって私だって、とうわ言のように繰り返す霊夢。
そんな巫女を撫でつつ、風祝がこほんと空咳一つ。
また本題から逸れていた。
逃げようとする魔理沙の襟首を再度、早苗が掴む。
「――と言うか、解っているのでしたら、きちんとしてください」
正論だ。
「あぁ、解ってはいる」
だが、魔理沙は怯まない。
不敵な笑みさえ浮かべ、返す。
彼女には切り札があったのだ。
「だけどな、早苗。
‘奴‘に怯える必要は、もうないんだ。
私には、いや、私たちには、あいつがいる――」
魔理沙の瞳に一切の嘘りはなく、確かな希望が宿っていた。
「病のスペシャリスト、スーパードクター‘Y‘、その名は!」
「八意永琳! っきゃー、師匠格好いい! 素敵!」
「や、永琳さんだと‘E‘になるのでは」
鈴仙が沈み、妖夢が慰め、魔理沙は吠える。
「‘暗い洞窟の明るい網‘――黒谷ヤマメ!!」
魔理沙の頭に浮かんだヤマメの顔は、当者比150パーセント程美化されていたという。
言葉の通り、ヤマメは‘病気を操る程度の能力‘を持っている。
主に感染症を扱うが、なに虫歯と言えど病の一つ。
彼女の手にかかればどうということはない。
そう、魔理沙は思っていた。
「なるほど。それは素敵ですね」
頷く早苗に浮かんだ土蜘蛛は、同じく輝きを放っている。
じゃあと背を向けようとする魔理沙。
だが、早苗の手は未だ外れていなかった。
むしろ、震えによるものか、より強く握られている。
怪訝な顔をする魔理沙に、毅然と早苗が続けた。
「ですが、魔理沙さん。
貴女は忘れていらっしゃる。
‘奴‘は――穿っていくのですよ」
元より大きな魔理沙の瞳が、更に大きくなる。
穿つ。
正確には適した言葉ではない。
虫歯は別名、う歯と呼ばれ、正常な歯がう蝕された状態のことを言う。
であるのだから、蝕まれると表現した方がより適っているだろう。
しかし、あえて早苗は穿つと言った。
何故か。簡単だ。彼女自身がそう感じていたし、何より、イメージがわきやすいからだった。
つまり、ヤマメに処置を頼んだとしても――
「ヤマメさんなら、菌は倒せるでしょう。
しかし、しかし! そこまでなのです……!
結局、虫――‘奴‘は、仕留めきれないのです……っ!」
――歯に、穴は空いたままなのだ。
魔理沙の表情が、見てわかるほどに青ざめていく。
眉根が寄せられ歯が鳴らされる。
えぅぅって感じだ。
心境の変化を我がことのように悟った早苗が、魔理沙から手を離し、そのまま大きく振りかぶる。
「さぁ皆さん、今です!」
畳みかけるつもりだ。
「殴ってへし折る」
「紐で括ってずぼっと抜歯」
「専用のタービンでぎゅるぎゅるぎゅるぅ」
いやだからその段階はヤマメで解決するんだって。
しかし、効果は抜群だった。
いやいやと小さく頭を振る魔理沙。
その様は普段の彼女とは程遠く、さも幼子のよう。
好機を見逃さず、早苗が続ける。
「霊夢さん、それはちょっと流石にどうかと思います。
いつの時代の治療方法ですか妖夢さん。
そして、うどんげさん、違います」
何故、早苗はこうまでして魔理沙を説くのか。
此処にいない友達たちに頼まれたためか。
近頃散見される加虐的な嗜好のためか。
どちらでもない。
そう、どちらでもなかった。
「まず、ちくりとした感覚とともに、口の中に苦い味が広がります。
抜き取られる針から滴るのは、自身の唾液でしょうか。
ともかく、麻酔が打たれました。
……より大きな痛みを感じないようにするためです。
だけれど、口内へと入ってくる機械の異物感は拭えません。
エナメル質を削る独特の耳障りな音を聞きつつ、願います――ただ、ただ速く終わりますように、と」
魔理沙と同じように、早苗の表情も歪んでいる。
「‘キュィィィ……ィィィ‘。
数秒。
或いは数分、それとも数十分。
流れる時間さえあやふやになった頃、気付きます。
‘キュィィィ……ィィィイイイ‘
音がやけに煩い。
より深く進んでいるからでしょうか。
より大きく削っているからでしょうか――否。
‘キュィィィ……ィィィイイイィィン‘
舌に錆びた鉄の味が溢れます。
口が冷たい機械を認識します。
そして、感覚は痛みを捉え始めます。
そう……麻酔が、切れたのです……」
自身と同じような悲劇を繰り返してはいけない――早苗はただ、そう強く思っているだけだった。
「あぁそう言えば神奈子様に似た女医の方は『痛かったら手をあげなさいね』って言ってくれていました!
思いだした私は右手を挙げてぶんぶか振りまわします、助けて神奈子様!?
すかさず手を掴んでくれたのは諏訪子様に似た衛生士さん!
『早苗ちゃんは強い子だから、我慢できるよね?』
そんな!?
ならばと私は身を起こそうと上半身に力を入れます!
けれど、あぁけれど、幼い私の力が無情な大人たちに勝てる訳もなく、諏訪子様の――!」
早苗が手を広げ背信の言葉を叫ぶ、その直前。
魔理沙は抱きついて、止めた。
ぎゅぅっと。
肩を上下させ息の荒い早苗に、言う。
「歯磨き、するぜ」
「魔理沙さん……!」
「いっぱい、するぜ」
童のように繰り返す魔理沙。
早苗の悲惨な過去に感化されたのだろう。
或いは、彼女自身、そういう覚えがあったのかもしれない。
「きっちり十分、できますか?」
「んーん。二十分、するぜ」
「ふふ、偉い偉い」
魔理沙は笑う。
つられて微笑む早苗。
開かれた口からのぞくのは、白く美しい歯。
手を繋ぎ歩く二人の姿は、傍から見れば仲の良い姉妹に映っただろう。
「……二十分もすんの?」
「できれば、だな。基本は十分……ですよね?」
「うん。あと、毎食後に三分間磨くのが理想。難しいけどね」
傍の三名――霊夢の問いに妖夢が応え、鈴仙にしめられた。
首を捻り、霊夢は続ける。
「歯磨きはそれでいいとして。永遠亭でも、外と同じことやってんのね」
「あぁ、タービンの話し? あれ、嘘」
「そんなあっさり!?」
驚く妖夢に微苦笑し、鈴仙は理由を語った。
「嘘……と言うか、師匠や姫様にあぁ説明しなさいって言われているの。
ウチじゃ、ごく初期の治療にはレーザーを使っているかな。
あ、レーザーって言っても弾幕みたいなのじゃないよ?
ミュータンス菌――所謂、虫歯菌をやっつけるだけ。
その後、歯が再生しやすいように薬を塗って、はい終了。
だけど、私も、中度以上の治療方法は知らないのよ。
そも亭の皆はちゃんと磨いているし、できても初期で治しちゃうから。
そういう患者の方は里の人とか妖怪とかなんだけど、閉め出されちゃうの。
――師匠と姫がぱぱっと治して、お説教して、こっちも終わり」
薬師の説教は長いらしい。
基本的な歯磨きの仕方から始まり、う歯の先までも叩きこむ。
たかが虫歯程度……と思っていた患者は、最悪死に至ることを聞き、皆、考えを改めるそうだ。
「え、結局、治るんですか?」
「詰め物かもしれないけど、ぱっと見、本物の歯っぽい」
「治るんじゃないですか。だったら、そんなに怖がらなくても……」
キョトンとする妖夢。
余計なことを口走ったと焦る鈴仙。
対照的な二名の様に、霊夢が小さく付け足した。
「治る治らないじゃなくてさぁ、そも、ならないのが一番いいんじゃないの」
頷く妖夢と鈴仙。
肩を竦める霊夢。
言葉はともかく――仮に薬師がこの場にいれば、同じことを言うだろう。
「――って、皆さんも磨いてないじゃないですか!」
「はひゃひゅひょいよー」
洗面所の方から声がする。
早苗は歯ブラシを握っているのだろう。
魔理沙はきっと、口から泡を飛ばしている。
想像し、顔を見合わせくすくす笑い、少女たちは駆け出した。
無論、のぞく歯は、二人と同じく、白い輝きを放っているのであった――。
<了>
早苗の生々しい説明に魔理沙が怯えているのとか可愛かったですねぇ。
虫――‘奴‘の話だなんてw
>お泊まり会の主なメンバーは登場人妖にアリスとパチュリーを加えたもの。
話に参加しなかった二人はきっといちゃこらしてる筈
治療途中に麻酔が切れてもマジでやめてくれないし。皆も歯を磨けよ!
ドリルっぽい気はしたけど、まさかこれだったとは!
歯みがこ……。
お泊まり会いいなぁ。楽しそうなのが素敵でした。
それはそうと甚平は正義。異論は認めない。
特に冒頭と風邪の下り。
>そう……麻酔が、切れたのです……
いてぇ!マジデ口の中に痛みが広がった!苦味が出た!ちょ、トラウマ想起イクナイ!;